珍しく鵜の池にハクチョウ、長峰にアトリ 構築は根気、解消は一瞬。
昨日午後、大潟水と森公園の東側を通った時に、鵜の池にハクチョウの群がいるのを見た。
普段はすぐ隣の朝日池にいるのに、鵜の池に沢山来ているのは珍しい。
そもそもこの池にハクチョウが来なかったのは、猟が許可されていたたため、と聞いていた。後に禁漁区となり、以来随分と経った。白鳥たちはお知らせなどを読めないので、安全を確かめながら少しずつ時間を掛けてやってきたのだろう。自然界と私たちは、そのように根気のいる関係にちがいない。
何事も構築は時間を要するが、駄目にするのは一瞬、という点が怖い。
本日昼休みの吉川区は長峰でアトリの群を見た。数年前にも見たが1000羽単位という規模ではないだろうか。
とにかく沢山いて、近傍の木と行ったり来たりで忙しい。群には猛禽が付いていることが考えられる。それから逃れるために絶えず樹木へと移動をくりかえすのではないか。
ひるがえってこちらに向かう時に群は腹を見せて、一瞬ぱっと白くなる。
群にスズメが混じったいた。
大きさは両者ほぼ同じ。飛んでいる時も良く似ているので、区別がつかない。
しかしスズメのほうが明らかに数は少ない。なにかしらスペックが異なるはずだが、厳しい季節をよく一緒に行動できるものだ、と感心する。
早いもので、京都奈良へ出かけてから一週間が経とうとしている。奈良の記載の前にハッサクや鳥が入ってしまい、奈良が少々遠のきました。近く記したいと思います。
二日で3,40センチ積もった雪が昨日からの雨風で半分に減ってきた。この後気温が10度を越える暖かな日が控えているらしい。
二日続きの雪 ドック健診 ハッサク。
昨日に続いて雪が降った本日木曜日。午後からドック健診を上越医師会の健診センターで受けた。
自宅ではまず見ないウエストが昨年より1センチ増えて、79センチだった。
もっと頑張らなくては、と言うと、スタッフの人が十分ですよ、と仰る。でも年を考えればやはり減らしたい。
健診を終えて昨年同様に回り寿司で食事をした。
帰路に寄った朝日池。ハクチョウとハクガンの姿は無く、カモがのんびりしていた。
地震以来音信を続けている熊本の医師からハッサクが送られてきた。
さて厚い皮をどう剥こうか、と考えていたところ、これが付いている、と言って妻が小さなプラスチック片を差し出した。
頼りなく見えていた鳥さんピックの凄いこと、すいすいと皮がを切り裂く。
先日の旅行で奈良の記事が残っていました。申し分けありません、今日は一日お休みして次回にいたします。
冬の連休は急ぎ足で京都と奈良へ その3(庚申塔その17)八坂と奈良町の庚申堂。
庚申信仰、あるいは庚申行事に興味を持ったのが昨年6月。
このノートにカテゴリーまで設けて気ままに地元周辺を見聞していた。その中で、庚申信仰と関係行事が盛んだったのは地方であり、長く政治文化の中心だった京都、奈良には何故か少ない、という事を知った。
そこへこの度の京都、奈良行き。調べで、京都および奈良市内に庚申堂、あるいは庚申信仰に関係する社寺があることが分かった。いずれも訪問予定の範囲に収まっているので是非もなく訪れた。
以下は去る10日日中の京都は右京区の猿田彦神社と、東山は金剛寺の八坂庚申堂、そして夕刻の奈良市の奈良町庚申堂の様子です。
山之内庚申と呼ばれる平安時代の創建になる猿田彦神社。
訪問日はやや閑散としていたが、庚申の縁日はとても賑わうという。猿田彦神社は私の地元ではまず見ることが無く、リアルな猿のお迎えは嬉しかった。さすがは京都、京洛3大庚申の一つとして古式漂う神社だった。
ところで、
猿は庚申(こうしん)の民間信仰で重要な位置にある。関係としては、まずその名から申(さる)として直結。また国造り神話における尊(みこと)を天上から地上へと導いた猿田彦の道しるべ、および農耕と生産の司としての意義。さらに人の身中にあって悪事の元凶とされる三尸(さんし:三匹の虫)を制止する青面金剛(しょうめんこんごう)の働きを手助けする存在(見ざる、言わざる、聞かざるを以て)などであろう。
しかし、神道から発した猿が何時、何処でどのように道教の三尸説と、さらに仏教の青面金剛と交わり、一大信仰と行事に結び付いたか私にはよく分からない。事実は、60日に一度集う守庚申、のちの庚申待ち行事は平安時代の貴族、僧侶から鎌倉の武士へ、そして広く江戸期の庶民、さらに明治、大正へと、長きに亘り継続されている。
信仰の内容は現世利益、先祖供養、地域存立、娯楽に親睦など多義的である。そのなかで猿田彦神、猿、青面金剛のそれぞれは、存在理由を最大限に発揮し、時代と地勢にストーリーを合わせながら、人々を引きつける力(特に地方の農漁村において)を有していたのは本当のようだ。
何かくどくなってしまいましたが、以下今日の京都、奈良の庚申堂は幸福そうだった。
まず八坂庚申堂。
平安時代の創建という庚申堂。門前に庚申尊の石塔。
上部に三猿(さんえん)があしらわれ、日本最初と読める刻文がある。貫禄十分な碑だった。
くくり猿を買い、願い事を記入して奉納する。みな率直で愛らしい。
“欲を捨てると願いが叶う”とは、上手く考えられているフレーズ。
猿田彦神社は庚申日以外は閑散なようだが、八坂庚申堂は地の利を活かして大賑わいしていた。着物の若い女性が沢山いて、彼女たちから中国語が聞こえてくる。しかし言われるほどの大声は控えられているように映った。庚申信仰の三尸思想は元々中国の道教に由来しているのと春節でもあり、人気になるのだろう。
当日午後遅く、前記した本願寺伝導院を最後に、京都を発って奈良へ向かった。
以下はその日、夕食までの時間に出かけた奈良庚申堂と奈良市奈良町の様子。
奈良庚申堂にて。一帯は元興寺の伽藍だった地域。
町の庚申信仰は、奈良時代の元興寺における天武天皇と青面金剛逸話に発しているようだ。
三猿が水飲みの水盤を支えている。本尊という青面金剛は良く見えなかった。
軒下に仏を記した提灯。庚申さん、青面金剛、吉祥天女、地蔵菩薩が左右に並ぶ。
青面金剛と地蔵菩薩は分かるが、なぜ吉祥天女なのだろう。
すっかり暮れ、月が上っている。屋根の猿が凍る空を見上げていた。
以下は奈良町の一角。
下町の風情が漂い、町の明かりが寒さを和らげてくれる。
身代わり猿(京都ではくくり猿)を軒下に吊すのが奈良町の流儀らしく、とても良かった。
そういえば京都の八坂庚申付近でも、そこここに軒下のくくり猿を目にした。
街角の吉祥堂の看板。ここは奈良町資料館でもある。大きな身代わり猿が下がっている。
脇からみた資料館。吉祥天女が冴えている。ここは店舗でもあり、猿の人形ほか土産を売っている。
資料館のホームページに吉祥天女と奈良町の関わりが出ていた。
宴の振る舞いに吉祥天女が関係して奇跡が起きる話は、どこか庚申待ちに於けるご馳走とそのご利益を思わせた。いにしえの貴族版庚申さん?に繋がる話なのか。
来る時は道に迷ったが、帰りはスムースにホテルに戻れた。
以下はその時の町並み。
7時から宿で夕食。老舗ホテルはビーフシチューが似合う。昼食を摂らなかったのでゆっくり噛みしめて食べた。
庚申堂と古い町並み、、、。しっくり安心の取り合わせだった。
京都奈良で三カ所の庚申堂を参拝した。小ぶりながらいずれも参内できる境内と堂を有している。普段地元で庚申塔の石塔ばかりを目にしているため、規模の大きな庚申堂と神社を訪れ、信仰の原型と歴史の深さに触れて満足だった。
再三の冗長をお許しください、次は最終回、奈良の寺にします。
冬の連休は急ぎ足で京都と奈良へ その2 京の窓めぐり、深く優しい詩仙堂。
午前9時にタクシーさんと待ち合わせてホテルを出発。窓から窓へ忙しい京都見物となった。
西本願寺からスタートした。本当はここで遠目にでも、映画「利休にたずねよ」で聚楽第として撮られた飛雲閣を見ることが出来ればと思ったが、そもそも普段の公開はなく、さらに修復中とあって叶わなかった。
しかし壮大な境内で華麗な唐破風門を見て、転輪蔵の花頭窓を見ることが出来た。
転輪蔵。中に赤い回転式の書架があるという。どんなものだろう、一度は目にしたい。
西本願寺を辞して金閣寺へ。
鹿苑寺金閣。私の中で銀閣寺と共に元から花頭窓の寺として漠然とあった。
輝かしいのに静かに見えるのは不思議だ。黄金が邪悪を跳ね返しているからか。
次は大徳寺。大徳寺内の各塔頭は公開日など特別な日以外は参内出来ないが、門と玄関は眺める事が出来る。
大徳寺塔頭の光臨院の外部。
大徳寺塔頭、梅がほころびかけていた光臨院の唐門。客待に設えられた花頭窓が爽やか。
他に三玄院など、いつか公開日に訪ねて禅味茶味の院内を拝観したい。
続いて東山は銀閣寺へ。
金閣ほどではなかったが賑わっていた銀閣寺。庭は頑張っているものの、建物は大丈夫だろうか、やはり古い。いずれ全面修復が必要では、と心配した。新しい銀閣というのもイメージしづらいが。
銀閣寺を出て哲学の道を眺めた。
銀閣寺近傍で見た半円の窓。わずかに裾が広がっていてこれも花頭窓か。
詩仙堂へ。
昭和43年早春の夕、大学を卒業した生徒全員が京都に集まった。私は前泊して嵯峨野を巡り、最後に詩仙堂を訪ねた。バスを降りた道中、着物を着た二人の女性と出会った。就職が決まり、京都で着物を着たくて東京から持参したと、晴れやかに話をされた。時代は巡り、いま大勢の外国の人がレンタルで着物を着て、楽しそうに歩いている。
詩仙堂の上品な窓を眺めるのは、このたびの目的の一つ。
庭は思ったよりずっときれいに手入れされていた。季節は違うが、昔はもっと草木が茂っていた印象がある。
非常に複雑な屋根の構成そして窓。庭の静寂と建造の複雑が対比的。
堂内に架かっていた「関」の一文字。関は禅の重要な概念の一つで、悟りのために越えなければならない境地の関門。
茶席でもよく関の掛け軸が架かる。この額も“ここにたやすく入るな”という喝を表している。
時を知らせる巡照板(じゅんしょうばん)は禅寺で用いられる鳴り物の一つ。
「生死事大」は「光陰可惜」が続く禅語。生死は頭脳・感覚ある者の絶対命題であろう。仏道を歩む者はなおさらであり、寸暇を惜しんで修業せよ、と告げている。禅であればさらに作務を行い座れ、と取れる。
病院時代に再訪したので、この度三度目だった。寒さもあろうが、場所の空気が深く染みこむ気がした。
深くて優しい詩仙堂から近傍の野仏庵へ。
下地窓の外腰掛けは大きな石仏と隣り合わせ。野仏庵はかってのある事業家の庵。門をくぐり少々急な路地を上る。
ここがこの度で最も北に当たる。
再度下って禅林寺(永観堂)へ。
禅林寺境内のお堂。左右の丸窓がのどか。
モミジの名所ということ、変化に富んだ広大な境内を再訪したい。
さらに近くの南禅寺へ。
湯豆腐も食べずに時は過ぎる。
法観寺まで来た。
陣笠を被ったワンちゃんと一緒。尺八はとても良い音色で、妻はおひねりを渡しに行った。
最後に失念していた本願寺伝導院に寄ってもらった。
三階部分の拡大。花頭窓の原型を思わせる窓を見ることが出来た。
ついに奈良行きの時間が近づき、京都駅でタクシーとお別れした。我がまま勝手な駆け足を助けて頂いた運転手さんに感謝を禁じ得ない。
何十回と訪京する人がいるけれど私は七度目で、みな駆け足。機会があったら禅林寺と南禅寺でゆっくり過ごし、大徳寺は芳春院、光臨院などの公開日に是非再訪したいと思った。
さてこの日ほかに、庚申関係の山之内猿田彦神社、八坂庚申堂を廻った。その模様を奈良の庚申堂と併せて次回記載させて頂きたいと思います。
とりとめなく非常に長々となりました。
冬の連休は急ぎ足で京都と奈良へ その1 宵の八坂や中華など。
平成31年が明けた正月、新年の計に京都、奈良行きの計画が何となく上っていた。
急だったが切符と宿が取れて、去る2月9日午後、上越妙高駅を発って出かけてきた。予報どおりの寒波で寒かったが、奈良京都に一泊ずつした。
初日夕刻に京都駅に近いホテルに到着したものの、チェックインカウンターは何筋も長蛇の列。中国の春節に相当する時期で、大変な混雑だった。
列に並ぶヒマがもったいなく、クロークにカバンを預けて宵の街へ出かけた。宿から近い八坂神社→八坂庚申堂はこの度の目的地の一つだった。
30数年前の大晦日に、子ども達と夜の八坂神社を訪ねた折の煌々たる提灯と渦巻く人出が脳裡に残っている。この日も若者を中心に賑やかだった。
帰路の食べ物屋さんの二階の窓。所変われば窓変わる?窓を見るのも目的の一つ。
八坂神社からの帰路、入ってみた細い路地。両側にひっそっりと割烹が並ぶ。
その静かな路地に「静」の張り出し。お静かに、ということなのだろう、徹底している。いつかこの通りの店に入ってみたい。一見さんで大丈夫だろうか。
京都で中華というのも変かもしれないが、7時に四条河原町の店を予約していた。初めてなので見つけるのに少々迷ったが、良い散歩だった。
四条河原町のビルの五階が店。京都の人達が普段使いされている雰囲気の店だった。片隅に座り、空いたお腹を満たした。
京都だからと言って、おばんざいや京料理への執着は全く無い。京都で中華を食べてみたい、それだけのことだったが、期待以上に爽やかな料理で、美味しく頂いた。
中華なのに店はずっとジャズが流れている。
帰りのレジでは誰が歌うのか「My One And Only Love」が聞こえていた。
お目当ての一つ八坂庚申堂を明日に持ち越しにして、ホテルに戻ると、チェックインカウンターはすっかり空いていた。
※2月9日と11日の記事は、出かける前に二日分を予約投稿したものです。実際には出かけていて、ややこしくなってしまいました。大変申し分けありません。
美味しいのだが、、、冬の食卓。
何故か定かではないが、冬に食欲が進むのは仕方がないことかもしれない。人に言っているうちに、自分も冬前に比べて1,3キロ肥ってしまった。それで減食に取りかかり、一週間経ってまず0,7キロ減った。
もう一週間して元へ戻りたいと思うのだが、妻が一生懸命作るので本気にならないとおぼつかない。
冬は冬で多くの旬があり、暖かい食べ物が主ともなれば余計美味しく感じるから、少々辛い。
以下このところで目に付いたものを挙げてみました。
訪問先のお宅で戴いたフキノトウに美術館の庭で採ったのも混ざった。
一体妻は何処で色々覚えてくるのだろう。弟のタラも戴いたルッコラもまだある。私がこんな風に出すとまた余計に作るかもしれない。
“遊ぶ”と“稼ぐ”。
強い寒波が来ていてとても寒い。今年の不思議な事には、寒い割に大して降らず、今朝もも5センチばかりの雪がふんわりと積もっただけだった。
ところで昨日は多くの方が今冬運動不足をかこっていることを書かせて頂いた。それが本日来られた方は、犬がいるので寒いけれど結構歩いています、と仰った。確かにその通りであり、付け加えなければならない。
一方本日、「毎日遊んでばっかりです」、と仰る方がいた。但しこの場合の“遊ぶ”は、仕事をせず何かにうち興じる、という意味ではない。
往々にして皆さんは何もしないで“怠ける”ことを“遊ぶ”、と仰る。この言い方は他でも同じだろうか。開業当初、それを豪遊のことかと思い、お金持ちがいるんだなあ、と感心していた。
似たことで反語に近いものにも出合った。“稼ぐ”である。
「おまん、そんなに稼ぎなさんな」。
開業した最初の冬のこと、仕事を終えて暗くなった駐車場の雪掻きをしている時に言われた。声を掛けたのは通りがかった同級生だった。
それを聞いた時、自分はさほど金儲けに熱心ではないのに、誤解されているのかと思い、とても気になった。
後で“働き過ぎないように”という、いたわりだと分かるまで何ヶ月もかかった。
いずれも標準語だが一般的な意味を少し変えて使われている。聞きようによっては、大人の言葉づかいのように伝わる。子供や中高生時代には知らなかったので、帰郷して初めて聞いた時には少々うろたえた。
暖冬でもコタツと相撲 お年寄りの厚着。
今冬の当地は小雪などではなく、今以て無雪の様相で過ぎている。
ある種歴史的のようであり、90才を越えるお年寄りも、こんなのは初めてと仰る。夏は異常に暑かったので、冬は一転寒いのではと心配の気配が漂っていたのだが、異常な暖かさ。一体何が原因なのかさっぱり分からない。
ところで多くのお宅では、体が動くお年寄りが雪かきの係だ。例年ならば通勤する家族の為に、少なくとも車庫の前を朝夕に除雪しなければならない。中でも除雪車が寄せた硬くて大きな雪塊の始末は骨が折れる。しかるに暖冬の今年、それも一度あったか無いかで過ぎている。
楽な冬になり極端な運動不足を否めない。
毎日どうしていますか、と尋ねると、
「寝転がっています」
「テレビばっかりです」のほか、例によって
「コタツと相撲をとっています」
「コタツ番です」
「コタツのホゾです」
など、,どこか自虐を交えて仰る。
相撲を取ったり、番をしたり、ホゾになったり、という訳であるが、本当の所はじっとしているというのが実状であろう。
事のほか運動不足となった冬。それなりに気にされて、晴れた日の外出と歩行をされる人もいるが多くはない。それで屋内歩行や足踏み、ラジオ体操などを勧めなければならない。また動かない分、食事を軽くする事も大切と連日お話している。
話変わって、毎冬のことだが、お年寄り、特におばあさんたちの厚着には驚かされる。
7.8枚を重ねて来られる。
だから心音を聴こう、となると大変だ。
ブルゾン1枚(時には2枚)、カーディガン1枚、セーター2枚、メリヤス肌着2枚、下着2枚、合計8枚も珍しくない。
付き添いの方と袖を引っ張り、肩をはずし、外側だけでも脱いでもらう。このレベルの厚着のほとんどが85才以上の方だ。
その日の暑さ寒さに関係なく、厚着は確固として決まっているように見える。いくらご家族や私が話しても、寒いからと言って、ある物みな出して着るという。厚着は長年の習慣と安心、こうなると一種信仰のようでもある。
朝日池に集まるバードウオッチャー クリスマスローズ、ふきのとう、ルッコラ、夕暮れの海。
大雪の年でも、2月になると穏やかな晴れ間が訪れる。大抵一日だけで、長くは続かないが、日射しに強さがこもり、春遠からじを覚える。
昼食を摂ってから朝日池に向かったものの、白鳥もハクガンも居なかった。
でも池の堰堤にはずらりとバードウオッチャーの車が並んでいる。全国とは言えないが、新潟はじめ長野、群馬の隣県、関東、関西の車もある。付近の森にいるらしいオジロワシの出番を待ってい人も居るようだ。
例年集まる沢山の車。良いお天気なので、お仲間同士、鳥を待っている間も楽しいことだろう。
午後訪問診療をしたお宅でフキノトウを戴いた。右側の小さなのは私が樹下美術館の庭で取ったもの。
ほとんどよその人に採られるので、小さな残り物を有り難がってる。
お宅からルッコラも頂戴していた。うっとりするような早春の色だ。
夕刻の四ツ屋浜。こんな海をみていると、もう春と言ってもいいのかな、と思ってしまう。
樹下美術館の冬期休館は半分を過ぎた。例年ここまで来ると急に開館までの足が速くなる。
深刻な当地の勤務医事情 近くにコハクチョウ、遠くにハクガン。
今週末にかけてある高齢者の方の腹部症状が思わしくなかった。病院はどこもインフルエンザなど冬期独特の忙しさ。何とか入医院を回避できれば、と綱渡り的な状況を禁じ得なかった。
昨日点滴を試み、今朝の往診では少しだけ水分が収まるかに見えた。しかし往診後まもなく全て嘔吐した、という知らせ。
柿崎病院さんに連絡を試みると、見せて下さい、という仏のような返事をもらった。本日日曜日の当直は院長だった。食べれないのと、検査も必要でしょうからと仰った。
昨日から年令を問わず重症の方たちに忙殺されている、とお聞きした。
眠る時間などまず無いに違いない。
おそらく殆ど休めずに、また明日の常勤に入るのであろう。
何かと良い事ずくめに伝えられる上越地方だが、医師不足による病院の事情は本当に深刻だ。
最も大切なことが最も深刻、これは紛れもない上越地方の真実。
院長の犠牲的な取り計らいで何とか昼から出かけることが出来た。
柿崎区の水田にコハクチョウの群が居た。院長に申し分けないと思いながら群を眺めた。
群に次々と白鳥が降りてきた。コハクチョウといえどもとても大きい。
飽かず群を眺めた後、当地に飛来したというハクガンを探したが見つからなかった。
昨日の上越タイムスは150羽の再来を伝えている。
暮れる頃、大潟水と森公園を歩き、それから朝日池に寄った。
朝日池の遠くにハクガンが沢山居た。何羽いるのか、かなり多い。
相変わらす自分たちだけでまとまっている。
着いたばかりなので、日中食餌をせず休んでいたのだろうか。
暮れているのとレンズサイズのため、これが精一杯。
遠目にも愛らしさと一種神々しさは変わらない。
忘れずに来てくれたこと、何かの思し召しか、有り難い。
冬の本州では秋田県の八郎潟と、当市の朝日池のみ往き来するという貴重なハクガン。今年また夕陽の水田で出合えれば幸運だ。
ハーモニー。
最近Yahoo!のポータルサイトで以下の広告を目にしていた。
楽しそうなので開いてみた。すると海辺をドライブする車内のカップルが歌を歌う。どこかで聞いたようなメロディを口ずさんだ。
サビの部分なのか、途中をハーモニーにして楽しそうだった。若い人たちはこうして普通にハーモニーを楽しむのだろうか、新鮮に映った。
私たちは時に何か歌おうとなると、およそ皆で同じメロディを歌う。いわゆる斉唱だ。そういえば、民謡や浄瑠璃などの古い音曲もハーモニーはつかない。普段、生活で2人居れば2人が、10人なら10人で同じ節を歌いがち、単調である。
しかるに西洋音楽では、何部かでハーモニーを効かせ、コーラスを楽しむ映像やレコードに接してきた。歴史的にも宗教歌、民謡、歌謡、オペラなどでハーモニーは古そうだ。和声に従ってメロディのほか複数の旋律が合わせられると、曲に膨らみと豊かさが生まれる。
一方、不勉強ながら、我が国はじめ中国や韓国など東アジアの伝統音楽に、ハーモニーの印象は浮かばない。
同じアジアでも、フィリピンの歌では、大らかなハーモニーが付けられるのを、その昔ラジオでよく聴いた。
また人生ただ一度の海外、1970年代なかばのタヒチで、庭や桟橋などで聴いた歌や購入したレコードの殆どがコーラスだった。
フィリピンはキリスト教国である。タヒチもまた教会が多く、日曜の礼拝と午後の盛大なピクニックを目にした。かようコーラスによるハーモニーはキリスト教がもたらした文化の一つではないのか、と考えてみている。自信がないので、機会があれば詳しい人に尋ねてみたい。
ちなみに以下タヒチの歌を載せてみました。
尻切れになってしまいましたが、幸せなシーンです。声も良いですね。
我が国のハーモニー(コーラス)は明治時代以後と考えられる。学校で熱心に教えられたものの、日頃はおよそ斉唱の域を出ない。そんなわけで上掲したコマーシャルの車中の二人が、ハーモニーを楽しむ様子は新鮮だった。
進行する和声に従って異なるメロディで合わせる。響きは色彩を帯び、豊かさをもって膨らみ、心地良い。あたかも1+1が3や4、あるいは別次元の高度な音を生む調和作用を覚える。
比べて斉唱は部分として上手く使えば効果的だが、それだけだと単調である。1+1は1のままであり、音量が増すだけに留まろう。
ひるがえって、社会に於いても多様性の受容はハーモニーとして幸福と文化の生成を促し、地域と国の豊かさの源になるにちがいない。
逆に同一のみを図るのであれば、個人の対立や孤立を生じしめ、社会の硬化と衰弱を招こう。
カローラのコマーシャルから長くなってしまいました。
晴天の日、ちょぴり芝生の草を取る インフルエンザと呼吸など。
例年家の前の除雪が一仕事なのだが、今冬はまずその用が殆ど無い。車の出入りもすれ違いも普通通りで、仕事上大変に助かっている。
以下は本日午後の美術館の様子です。
芝生のところどころに草が生えていて、少しだけ取った。今春は手押しの肥料撒き機を購入して上手に沢山肥料をくべたい。
今日は特に上天気だった。小雪は良いのだがインフルエンザが流行っている。23人の事業所で9人が休んでいると仰る人がいた。朝お子さんを連れて来られたお母さんが夕方発熱して来られる。
マスクを付け、手洗いうがいをしても、急所の鼻(鼻腔)は弱点として残る。鼻を漱ぐ方法はあるが、それによって更に奥へとウイルスを拡散させてしまう懸念もある。
かように予防は難しい。私の場合手洗いうがいのほか、強いて言えばそれらしい方との場面で、出来るだけ深い(強い)呼吸を避けるようにしている(ウイルスを深く沢山吸い込まないように)。
つまり、ゆっくり息を吐きながら、または浅く吸いながら話を聴くという具合。マスクをしていて多少の息苦しさを否めず、つい深い呼吸をしがちだが、肝心の場面では用心している。
正直、上記の方法による効果のほどはよく分かりません。
ただ軽微なウイルスの吸い込みに対して、受けているワクチンに一定の期待をしている次第です。
この時期活発にふざけあったり、大声で笑いあうのはよくないかもしれません(残念ですが)。
特に多人数が仕事する密室的な部屋、あるいは列車、教室、冠婚葬祭、人混み、さらに激しい呼吸が必要な部活などは容易に感染を拡大させるような気がします。
たとえマスクをしていても、、、、。
※教室、冠婚を追加しました。
ミシェル・ルグランさんが亡くなられた。
去る1月26日に、フランス人の音楽家ミシェル・ルグランさんが亡くなられた(享年86才)。
ジャズピアニスト、作曲、編曲者として数え切れない業績を残し、2度のアカデミー賞、5度のグラミー賞に輝き、訃報に接したマクロン大統領は、無限の天才、と述べて死を悼んだ。
氏の作曲「風のささやき」(歌:ダスティー・スプリング
フィールド)。1968年公開の映画「華麗なる賭け」の主題歌。
2009年、自らのコンサートで自作の「シェルブールの雨傘」
を歌う。
マイルス・デヴィス(左)と。
マイルスが若き日のルグランが開く譜面に見入っている。
何て格好良いんだろう、高校を卒業する頃に買った本の写真から。
(写真:荒地出版社 1961年6月25日発行発行 モダンジャズ入門)。
氏の音楽はいつもスリルがあり上品で詩的。元気に活躍され、今年もコンサートが計画されていたという。こんな時は、どんな人にも寿命があるのだとあらためて思い知らされ、切ない。
上越市立歴史博物館・宮崎館長 髙田公園の庚申塔(庚申塔その16)遊心堂 なかに寿司 寒行 髙田暮景 大坂なおみ選手。
昨夜から降雪があった上越地方、日中ひと止みしたが寒かった本日土曜日。
午後から再び上越市立歴史博物館を訪ねた。お忙しい宮崎俊英館長にお目に掛かり、大切な話が出来た。
来る3月15日から樹下美術館は今年度の開館を迎える。齋藤三郎と倉石隆を常設展示する当館は毎年二人の作品からテーマを決めて展示を続けてきた。同一作家のテーマを考え、見せ方を工夫するのは気を遣うが、楽しい作業でもある。
これを何とか維持出来たのは、お二人の作品が比較的豊かなバリエーションを有していたことがある。また展示スペースが小さいため、数多くの作品を準備せずに済むという事も大きかった。
今年の展示についても新鮮を意識し工夫をこらし、皆様に楽しんで頂くよう準備をしている所です。
本日宮崎館長にお会いして是非お尋ねしたかったことがもう一つあった。髙田公園の庚申塔の所在である。すると、ありますよと即座のお返事。「ぶら髙田」を持ち出され、すぐに場所が確認できた。
「ぶら髙田」 著者朝倉有子(代表) (有)北越出版 平成26年3月31日発行。
帰路、本町の春陽館に行き、最後の一冊と仰る本を求めた。
書物の一部。
髙田公園内の55基の碑・モニュメントの場所が写真とともに地図に明示されている。
使う人本位の真に親切な一冊。
一大懸案であり、あきらめかけていた髙田公園の庚申塔は身近にあった。髙田に庚申塔があることもそれが公園にある事も貴重である。
有り難い、さっそく向かった。
30㎝近い新雪の公園で左上方の庚申塔を目指す。
私は短い街中ブーツ、妻は長靴。
高田生まれの妻は、雪と言うと基本張り切って動き、本日先導した。
合掌し、弓矢に剣と鉈?を持つ青面金剛。
上部に日月文、見にくいが下部に三猿が約束通り刻まれていた。
塔ではなく塚と表されている。
塚の基壇部分の側部に寄進者の記銘。「 いろは高山千三」と刻まれている。
いろは肉店のご先祖であろう。
他所のものをここへ寄進されたのか、あるいは実際に庚申待ちをされた供養なのか。
ちなみに手許の「越後の庚申信仰」に以下の掲載写真がある。
昭和41年発行の本。髙田城址公園と記され、現在と同じ場所なのか。
日は春陽を思わせる。50数年経って実物に出逢えるとは。
今日まで大切にされていて感激した。
その後本町4丁目は「アートサロン 遊心堂」へ行った。
新旧の茶道具が見栄え良く並んでいる。上品な変化を付けた棚(茶道のお点前で用いる棚)が見つかり、値段も手頃だったので購入した。
店主と齋藤三郎の話をした。熱心な主から沢山質問を受け、スリルがあり非常に楽しかった。
その折、昭和二十一年作という齋藤三郎作品の写真を見せて頂いた。樹下美術館で最も古いものは二十二年の染め付け菓子鉢だ。それを更に1年のぼった箱書きは線が細く当時の三郎の筆そのものである。時期は近藤悠三への師事を終え、富本憲吉門下となって二年目に相当している。
楚々とした染め付け香合で、春蘭を描き、鉄絵の具でふち取られていた。
23才、まだ入門中だった時代であろう。しかし署名が許される作品を制作していたとは。それを認めた師の大きな懐と眼力に驚き、まことに良い勉強をさせてもらった。
主はまた一昨年、当館が発行した「樹下美術館の齋藤三郎」を念入りに読んで下さっていて、緊張を禁じ得なかったが嬉しくもあった。
遊心堂で長居をするとすっかり暮れていた。帰路たまたま「なかに寿司」の暖簾が目に入った。
賑やかな店に運良く二人分の席があった。
お寿司屋さんにいると太鼓の音。寒行をする方たちだった。とても懐かしい。
帰宅すると大坂なおみさんが全豪オープン決勝の最終セット。それを見事に取った。
彼女の言動は率直で新鮮、とても好感が持てる。一般に欧米の授賞式における挨拶は、まず敗れた相手やライバルへのリスペクトを十分に表す。この日、大阪選手は長年の夢、などとは一切言わず、クビトバ選手への賛辞とサポートチームとファンへの謝辞に終始した。王者に相応しく真に洗練された態度だった。
ほのぼのとしたユーモアもあり、ずっと愛される選手であることを心から期待したい。
上越市歴史博物館と雪の髙田公園 頸城区は日根津の庚申塔(庚申塔その15です)。
木曜日午後は休診にさせてもらっている本日、妻と上越市立歴史博物館を訪ねた。時折激しくみぞれが吹きつけが、積雪にはならず道路は何とか普通の靴で歩けた。
昨年7月、名前も新たに新装なった当館を初めて訪れた。たまたま知人と出合い楽しく一緒に廻った。
残念ながら展示物はすべて撮影禁止のため、パワーショットで施設の一部を撮ってみた。下手な写真だが撮影出来ればお見せしてみたい展示物は多かった。
上掲2枚はカフェに飾られていた名椅子。上が帝国ホテル東京の設計を引き受けたフランク・ロイド・ライト1902年デザインによる「ミッドウエイ」。下はチャールズ・レニー・マッキントッシュによる1924年の「ラダー・バック(はしごの背中)」です。両方とも大変に斬新。
一階の広いフロアーは床に上越市の地図が描かれている。向こうに大きなヒマラヤスギと濠。
博物館は大きなガラスが随所に使われている。ガラスは汚れが目立つので管理が大変。しかし気象の悪いなか、大変きれいに磨かれていて感心した。
二階が受け付になっている。らせん階段があると写してみたくなるのは癖。
展示は安土桃山時代、つまり謙信公が関係する春日山の時代から堀氏の福島城、そして髙田城から現代へ書状、絵図、現物が資料として丁寧に示されてている。
以前はあっけらかんとして味気ない陳列室の趣きだった館内が、テーマごとに動線を変化させ、それぞれがコーナーとして楽しめるるように工夫してある。
専門家でないので文字資料は苦手、絵図・写真や品物に目が行く。春日山城の復元図で、描かれていた天守閣風な建物を興味深く観た。一方、当持国内有数の城下の様子は想像するしかなく、それが難しい。かって部分的にイメージ出来たのは大河ドラマ「天地人」であり、幾つかの今町シーンは新鮮だった。
立派だったのは日枝神社の山車飾りである大きな黒漆の孔雀像で、実に優美だった。また雪下駄の制作過程、町屋模型、克雪の道具類、豪雪写真などは、やはり風土独特の博物として当館の貴重な展示物になっていると思った。
雪国の哀切と美を象徴するものとして、瞽女杉本キクイさんに関する資料と齋藤真一氏の瞽女油彩が印象的だった。齋藤作品はサイズが小さくとも、小ささゆえ求心力があり、見る度に素晴らしさを増す。
町屋の台所の写真は懐かしかった。土間のスノコ、流しとかまどはモノクロ写真にピッタリ。どこかに手押しポンプは無いかと見れば、隅に写っていた。中高生時代、寺町の下宿でポンプを押して水を汲み、歯を磨き顔を洗った。
展示最後の生活家電、電話、オーディオなどでみる時代の流れは、新しい世代にとって驚きではないだろうか。年代ごとに生活感と手わざの風合いが感じられ、親しめる。
明るいショップで本を買った。
「懐かしのわが街 上越」岡観妙著 新潟日報事業者 2008年10月1日発行。
遠足、祭、バス、下駄、宣伝カー、いずもや、しながわ、、、。
懸命な生活の中にあふれる精一杯の楽しみと将来への希望が切り取られている。
見終わって帰路はいっとき吹雪きとなった。以下は髙田公園の様子。
あらためて当地の冬はモノクロだと思った。齋藤真一氏ではないが、そこにあって最も鮮やかな色は、人間の熱い血の色なのだろう。
いまだ探訪つづく庚申塔。樹下美術館から最も近い場所が頸城区日根津に見つかった。それまで大潟区は内雁子の塔が7,3キロだった。それが日根津で7,0キロに縮まった。日根津は今の所知り得た、頸城区内で唯一の庚申塔でもある。本日日は暮れたていたが折角の外出、妻を連れて再度訪ねた。
日根津は願成寺境内入り口に、六地蔵と如意輪観音と共に手前に建っている。
以下は過日訪ねた時の写真です。
上部に日・月が彫られ、合掌する青面金剛は宝剣と羂索それと体に巻き付いた?何か太い物を後ろ手に掴んでいる。この手は弓と矢を持っているものが多いが、まさかヘビなのか。浦川原区有島でも似た形を目にしていた。
有島の庚申塔。六臂の腕の出方や角度、持ち物、太い足腰の三猿などは両者でかなり似ている。
太いものを二重に撒いているが、まさか同じ石工(いしく)ではないだろう。この地方の一種定番だろうか。
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