テレビに一瞬出た拙写真 本日午後の呈茶。

2020年7月26日(日曜日)

昨日のテレビ放映「天才 志村どうぶつ園」で一瞬でしたが、私がかって撮った桜の幹の写真が使われました。

子ぐまたちの散歩シーン中の木登りに関した話題でした。たまたま昔のブログに出ていた写真がADさんの目に留まった、ということでした。

 

 

お届けした写真。
銀色の幹が気に入って撮った大潟区の新堀川公園の桜です。
放映で樹下美術館のクレジットまで付けて頂き、感謝しています。

さて4連休はあっという間に過ぎ、本日7月26日日曜日午後、樹下美術館は二席の呈茶を致しました。
二席で八名のお客様。三方の窓や戸を開け放ち、マスクを付けての点前でした。

堂々と初お目見えしました畠春斎の菱釜。
棚は源氏棚。

梅雨の空の下で明るく振る舞った前田正博氏の色茶碗。
右に輪島は若島孝雄氏の千鳥大棗。
棗には万葉集から、柿本人麻呂の和歌「近江の海云々」がしたためられている。
向こうの初代陶齋(齋藤三郎)の染め付け竹水指と良く調和していた、と思う。

最後はお目汚しの一枚。直前の拙おさらいです。

 

一応茶筅通しをしています。

予定通りでしたら8月は23日日曜日の午後1時および2時半開始で始めます。
一席5名様まで、二席の予定です。

本日薄茶を服して頂いた皆様、有り難うございました。

十分な配慮を致してますが、やはり拡大を続けるコロナウイルスが気になります。

追加されたフィンランドの食器イッタラ。

2020年7月24日(金曜日)

コロナ禍のため開館が遅れた今年の樹下美術館。
昨年12月16日以来、半年少々の長きにわたりお休みしました。
生じた時間で倉石隆の本、陶齋の梅と椿の器の展示に十分な時間を掛けることが出来ました。また雪が無い冬だったため、沢山庭いじりをしました。

さらに食器を見直す余裕が生じ、5月に新たなシェリーとマイセンおよびブルーキャリコを紹介いたしました
このたびは、フィンランドのブランドであるイッタラのカップ&ソーサーとプレートが加わりましたので、掲載させて頂きました。

 

タイカ・シリーズのカップ&ソーサー。
ブルー(1客)、レッド(2客)、ホワイト(1客)、ブラック{1客)。
200ミリリットルも入るたっぷりした器です。

昨日ベンチで使用してみました。
ムーミンの国、フィンランドの器にはのどかさが漂い、ほっとしました。

ケーキ皿も主としてイッタラを使用することにしました。

 

カラフルな輪が重ねられたオリゴ・シリーズのプレート。
ぱっと気持ちが明るくなります。

これから長く使う食器。皆様に気に入って頂けることを心から願っています。

庭でカサブランカが咲き始めた 「As Time Goes By(時の過ぎ行くままに)」と飯吉馨さん。

2020年7月23日(木曜日)

傘マークが付いた日だったが、ほとんど降ることは無かった。

7月の連休初日、Go-Toキャンペーン初日でもあるこの日、樹下美術館に居る限り静かに過ぎた。

長く降り込められながら懸命に咲いたテッポウユリが終わり、代わって庭にカサブランカが華やかに登場した。
花弁の先端をひるがえして大きく開くこの花は、数はテッポウユリより少ないものの香りが高く引力は強い。

 

梅雨時に咲くなど気の毒な面をもちながら、
百合たちは一生懸命生気を振る舞う。
1970年代、日本のヤマユリを基にオランダで誕生した品種と言われる。

さてこちらは映画「カサブランカ」のテーマ曲「As Time Goes By(時の過ぎゆくままに)」です。
同じカサブランカですが、1942年に制作された映画の方が先のようです。


映像は現代のようですが、歌は1961年のベギー・リー。

 

以下は上越市出身のジャズ・ピアニスト故飯吉馨さんのCDジャケットの写真です。
氏は当地新潟大学藝能科でクラシックを勉強後、ジャズ・ピアニストの世良譲氏に師事。その後著名な奏者のコンボに参加、後に自らのカルテットを結成。NHK「音楽の広場」では森山良子とともにレギュラーを務め、テレビ朝日「題名の無い音楽会」などの出演で親しまれました。
一方でスタジオ・ミュージシャンとして録音演奏のほか、相良直美、森山良子、ガロほか数多くのアーティストの編曲を手がけ、さらにビクター音楽カレッジほかで後進の指導に当たりました。
ハンサムな人であり、かってサンヨーレインコートのCMにご自身が出演されたことがあります。

 

〝GREAT ART BEAKEY〟
Sep.29.1997 Live at Victor Music Collage

KAORU IHYOSHI Dreaming Piano FPD-5006
のプロフィール。

演奏会やライブは、しばしば「As Time Goes By」で始まり、氏のテーマ曲ではなかったかと思う。

当地でホームコンサートがよく開かれ、私どもへも何度か訪ねて頂き、弾いて下さった。
後年氏が出演し、著名人が集まった東京青山のピアノバーを時折訪ねた。ご常連という井上順氏が来られると、「駆けつけ三曲」などと言ってはこの曲を歌われた。
ある日順氏はマイクを握ると、以下の話を披露された。
〝カサブランカの映画制作で主演のハンフリー・ボガードがロケ先のカサブランカへ行くことになった。関係者に服装の事を訪ねた所、案外寒いと助言を受けた。そこで少々厚着をして空港に降り立ったところ現地は暑く、タラップを降りながら思わず「かさばらんか」と言った〟と話し、みなを笑わせた事があった。
そもそも1942年のこの映画は第二次大戦開始直後の制作であり、現地ロケなどはしてなかったという事のようです。さすが井上順さんです。

ちなみに映画が作られた年の2月、父が勤務していた満州奉天(現中国瀋陽)の満鉄病院の一室で私は生まれたようです。

去る日曜日午後の柏崎行き その2市立博物館から木村茶道美術館へ。

2020年7月22日(水曜日)

去る7月19日日曜日の柏崎行きの続きです。
前回は大潟区犀潟の圓蔵寺の大日如来像と作者の石工高橋一廣を考察した冊子を、さらに海辺の青海川駅の様子を綴らせて頂いた。

梅雨の合間の貴重な晴天のもと、半日足らずの隣市の探訪は楽しかった。

 

前回ご紹介した米山大橋。

 

 

大橋と海を見る旧街道の高い所に、円形の出羽三山参拝の供養塔{巡拝碑)があった。
最も信仰厚い湯殿山を真ん中に左羽黒山、右に月山。
一帯の随所に西国や秩父そして出羽三山の巡拝供養の石塔が見られる。

青海川駅のすぐ手前の青海神社下に大正元年と読める庚申塔があった。
庚申行事としては遅い時代くまで行われていた模様で感心した。

 

 

 

14時半すぎ柏崎市博物館へ。
ショップを見ると小生の絵はがきが販売されていた。

古い統治、農魚業と生活、町と村、信仰と祭、鉱業(石油)、地質、戦争(大戦、鯨波戦争)、地震災害、生態系、現代の文化・芸術とスポーツなど、風土とその歴史が網羅され興味尽きなかった。
生活史や信仰では、米山を東西に挟む上越市柿崎地域との往来に納得し、格調高く展示された木喰仏は特に心うばわれた。

明治期の火災で閻魔堂内から救出された閻魔様。
館内ではこの像のみ撮影が許されている。

 

一回りして出ると駐車場の背後に庚申塔が4基配置されていた。

 

その一つ青面金剛(しょうめんこんごう)の塔。

庚申塔は生活の安堵の証しのように感じる。大規模な凶作や災害のもとでは講は維持出来なかったに違い無い。
そんなことから塔とその周辺の風景を眺めるとき、ひと事ながらほっとするのを覚えるのである。

当日最終の目的は木村茶道美術館でお茶を飲むことだった。
15時45分ころ赤坂山の駐車場に入った。
コロナの世相で果たして開館と呈茶はどうなっているのか、遅い時刻でもあり気がかりだった。

 


相変わらず手入れの良い壮大な庭を急いで美術館へ上がると、受付の方が4時半まで大丈夫です、と仰った。

 

待合に正岡子規の短冊が掛けられている。
夏帽や不起とはされて濠に落つ
(夏帽やふきとばされて濠に落つ)
夏の流動する大気がよまれていた。

庭に面した竹の長椅子に座る間もなく、最後の席が始まった。
もったいないことに、私一人のために裏千家の方がお点前をされた。
席主さんの説明では、コロナのために南北の戸を十分に開け放ち、小人数ずつ分けて座り、マスクをしてのお点前を続けているという。
私どもも今週末、呈茶の予定があるのでとても参考になった。

穏やかなお点前で美味しいお茶とお菓子を頂いた。
手付の竹筒花入れに、矢筈薄(やはずすすき)、白花秋海棠(しろばなしゅうかいどう)、金水引(自信がありません)が涼しかった。

向こうの菓子器は現在同館で展示中の神山清子作の信楽。
神山さんは同市に縁があったとお聞きした。

 

茶杓は宗旦作銘「弁慶」、黒中棗(満田道志作)、茶碗は三代道入(ノンコウ)の黒楽平茶碗。
ふと訪ねてノンコウのお茶碗で服すとは!

夏のお席で黒味のお道具は心引き締まり涼やかだった。お道具組みは表千家のお仕事ということ、感心しました。

 

帰路の石段模様がリズミカルで楽しい。

5時間に満たない柏崎。西の一部を巡っただけですが、海、山、博物、お茶とお菓子など沢山頂きました。

去る日曜日午後の柏崎行き その1大潟区圓蔵寺から青海川。

2020年7月21日(火曜日)

過日、ある方から新潟県石仏の会上越支部で発行された「石工の系譜-梅沢光廣とその弟子ー」という冊子をお借りしました。
石仏石塔は、ふとしたことから十三夜塔と庚申塔に少々の興味を抱き、散策がてら漫然と周辺を見ていただけでした。

それでもたまに貴重な資料をお持ち下さる方がいて、恐縮しながら有り難いことと感謝しています。
冊子の冒頭に当地大潟区は犀潟の圓蔵寺境内に安置されている大日如来の素晴らしさから、制作者である石工(いしく)とその系譜が丹念にまとめられていました。
冊子を見始めたばかりでしたが、圓蔵寺(えんぞうじ)は美術館から数分の場所。お天気の良い7月19日日曜日昼過ぎ、最初に訪ねました。

 

清々しい圓蔵時

 

境内の手前から無縫塔、大日如来座像、宝篋印塔(ほうきょういんとう)
丸みを帯び先が尖った無縫塔また卵塔はかっての住職の墓碑。
宝篋印塔は仏舎利や貴重な経典を収めたもの、あるいは墓碑など。

 

上品な光背を背負った大日如来様。生き生きとして端整な表情が素晴らしい。

冊子において、この石仏は柿崎区黒岩の石工・高橋一廣による1886年(明治19年)の造立であることが確認されています。柿崎、刈羽から離れた大潟区犀潟の一廣作品は大変珍しいという。かっての優れた石工は高い教養と技術を身に付けていたことが述べられていました。

さてこの日、久し振りに柏崎市立博物館を訪ねることにしていました。数年、庚申塔探訪や天神様祭によって同市を訪ねる機会が増えていたため、「まとめ」的に博物館が浮んでいました。
柏崎は地形に起伏の変化があり、海岸の岩や赤坂山周辺の赤い土などを見ただけで心が弾み、社寺や石仏石塔が随所に見られるのも嬉しいのです。
当日は珍くよく晴れ、本日は一応前半として途中の風景を載せてみました。

米山インターで国道へ降り、米山大橋を青海川へ下りて行きました。
柏崎はマリンスポーツが盛んです。この日も青く穏やかな海を楽しむ様子がうかがえました。
昭和50年代後半、私たちは30フィート級のヨットを所有し、同市に出来たばかりのマリーナに係留していましたので、ヨットは大変懐かしいのです。

以下は日本海に一番近い駅、青海川駅の様子です。

かわいい駅舎。
駅と海岸には次々と人が訪れていました。

 

米山大橋の直下はサケが遡上する谷根川(たんねがわ)。
採魚と孵化・放流場があり、「さけます展示施設」を見て回りました。

色々道草をしてしまい、時間が残り少なくなりました。このあと急いで柏崎市立博物館へと急ぎました。
次回にこの続きを記したいと思います。

本日樹下美術館へご来館の皆様、有り難うございました。

大潟水と森公園 白蓮の素性など植物編。

2020年7月19日(日曜日)

本日日曜日は朝から晴れた。
終日降っていた空に晴れ間がまじるようになり、梅雨開けが近い感じがする。
来る盛夏はどのようなものだろうか。また40度などと酷暑になるのか、はたまた思ってもみない冷夏なのか、予報を聞いてみたい。

本日は柏崎へでかけてみた。昼過ぎからなので、同市の西部をほんのちょっぴり回っただけだった。柏崎のことは後日にして、今日は昨日の続きとして、大潟水と森公園の草花を書かせて頂きます。

公園の駐車場は東西と北の三カ所あるが、昨日は北に駐めた。ここは公園事務所があるメイン駐車場で220台が駐められる。

 

駐車場を降りすぐ下にスイレンの池がある。
大きい池ではないが涼しそうに花が咲いていた(14時過ぎ)。

一時間半ほど歩いた帰りの花はすでに蕾を閉じていた。

かってここでまっ赤なショウジョウトンボを見たが、もう何年も見ていない。しかし近くの長峰池では見られるので、暇を見て出かけてみたい。

芝生広場から水上回廊へ向かう。
夏草が刈られ、風が通って涼しい。

 

水上回廊にかかってすぐ右手にヌマトラノオが群生している。
この白い花はとても涼しく、夏の公園の見所の一つであろう。
オカトラノオは頭を垂れるがヌマトラノオは直立する。

 

回廊の中ほど右手にガマの穂が見えた。

 

回廊を過ぎて間もなくの左手にまっ赤な実がついた木がある。
右の白い花の木はクサギと思われる。

以前この赤い実をガマズミかと書いたが、時期と実の付き方が違っている。このたび調べると実の数の多さと8月を中心に結実と載っていた「ゴマキ」のようだ。葉を嗅ぐとゴマの匂いがするらしいので、ぜひ試してみたい。「ゴマキ」、、、かあ。

両側を池に挟まれた歴史ゾーンの道は、途中に大きな赤松が生え清々しかった。しかし数年前、一挙に松枯れを起こしてほぼ全て伐採された。現在跡地に多くの松苗が植栽されている。

 

道中のツリガネニンジン。

さらに先、丸山古墳へ近づくあたりにリンドウがあった。
この公園では珍しいと思われる。秋の花を楽しみににしたい。

丸山古墳の手前に群生している「フトイ」?自信がないので公園の方に尋ねてみたい。

ちなみに以下当館のトクサをご覧になり、「フトイですか」と訪ねるお客様が時々いらっしゃる。

手前の直立しているのがトクサです。

 

この日何カ所かでアザミが咲いていた。
他所よりも遅く花は少し小さいが,、そそとした感じを受けた。

古墳に渡って右手に行き、鵜の池のハスを見る。
ここのハスはすべてが白蓮で一斉に咲くと神秘的な光景になる。

当池のハスはレンコンを取る食用の品種と考えられていた。しかし専門家によって鑑賞用の「「不忍池斑蓮(しのばずいけまだらはす)」だったことが分かったと地方紙に掲載されていた。花が大きいこと、花弁の縁に紅紫色のまだら模様があるのが特徴らしい。
東京上野の不忍池を構成する三つの池の一つに「鵜の池」があるという。当地も「鵜の池」であり、何か関連があるのだろうか。サイズなどから食用のはすとは違うのでは、という話があり、この度の調査発表につながったらしい。

ちなみに以下は2012年、当ブログに掲載した鵜の池のハスです。

2012年8月15日の日付の鵜の池。

昨日の池は花が少なく、2012年の様子と異なっていた。今年は特に少ないのか、時期が早かったのか、いずれだろう。8月になったら再度訪れてみたい。

帰りのアジサイが咲く道。

色々と長くなってしまいました。
同じ場所でも出かけると何かしら新しい発見があるので楽しいのです。
コロナ禍の中、めいめいに楽しまれる方達を沢山目にしました。
どんな形にしても自然に親しむのは本当に良いことだと思います。
コロナはいやですが、読書とともにこの傾向は好ましい現象だったのではないでしょうか。

本日ご来館の皆様、まことに有り難うございました。

夏の大潟水と森公園 生き物編。

2020年7月18日(土曜日)

本日土曜日、午後2時ころから1時間半ほど大潟水と森公園を歩いた。
今年3月は、新型コロナウイルスが拡大しはじめる中公園を3度訪ね、緊張しながら歩いた。いま4ヶ月が経ち、散策やリクレーションの人は増えたが、当時と異なりほぼ全ての方がマスクをされていた。
コロナ禍によって広い自然公園の存在価値はさらに大きくなっていると思う。

本日目にしたものの中から以下に生き物を乗せました。

大きな鯉。ここでは釣りをする人がいないので、魚はゆっくり出来る。

たくさんいるコシアキトンボ。

 

まず休まないギンヤンマ。

 チョウトンボは羽の角度で青いメタリックカラーになる。

 

ヒヨドリソウに止まるモンシロチョウ。
白い花に白い蝶は一種の格調。

この花に以下のヒョウモンチョウ(ミドリヒョウモン)もいた。

地味な場所ながら2種の蝶が来ていた。
蝶は小さな花が集まって咲く集合花を好む傾向があるという。
小さな花の蜜を吸うのは容易ではないはずで、少々不思議だ。

1000キロに渡って列島を大移動するアサギマダラもこの花が好きらしい。ヒヨドリソウは園内に何カ所も咲いているので、次回訪ねた折は特に蝶に注意をしてみたい。

次回は本園内で目にした植物を載せたいと思います。

新潟市から月刊キャレルの取材。

2020年7月17日(金曜日)

本日御前に新潟市から月刊キャレル掲載予定の記事について取材がありました。
眺めの良いカフェ特集ということ、ライターさんとカメラマンのお二人には丁寧に取材して頂きました。

仕事の合間に駆けつけて短時間でしたがインタビューに応じました。
ライターさんは美術館と周辺の世界にとても造詣深く、当館のコンセプトや設えについて大変好意的にとらえて下さり、感謝しています。

 

妻がスマホに収めた取材風景。

奇しくもライターさんが仰るように、当館は展示作品とともに建物、家具、食器、庭まで、樹下のものはみな鑑賞対象になるように励んで行こう、とあらためて思った次第です。

遠路の御取材、まことに有り難うございました。
雑誌は8月20日発売号ということ、楽しみに致します。

コロナの海に漂流する船 歩みを進める夏。

2020年7月16日(木曜日)

昨日上越市から10代と20代二人の感染報告があった。
当市の感染は今年4月26日以来6人となり、一気に緊張が走った。

現在、国内で再び拡大に転じている感染は、5月25日に次ぐ6月19日の自粛緩和が反映されたものであろう。
間近に迫るGoToトラベルには、各界から深刻な懸念が指摘されている。
いずれも容易に想定された事態である。
未知の医療マターにも拘わらず、予防、検査、診断、治療を検証重視して進められる医療の王道が顧みられていない。
おそらく絶えず政治の都合に押しまくられるのであろう。
政府の部会に参加する医療の専門家たちは、不条理をどのように耐えているのだろうか。
経済優先と言いながら、付いて回るツケは想像以上に大きいことが危惧される。

主要な流行地である東京都は迷走の末、一昨日知事は警戒レベルを最も高い水準に引き上げ、本日GoToに独自の制限を設けた。
周辺各県も追従する可能性がある。

〝緊張感をもって見守る〟といつも国は述べる。、
だが克服の港に向けてコロナの海を航海する船は、漂流しているように見える。
あるいは、もうこの先国民は、〝個人の責任に於いて泳いで渡れ〟と、言われているようでもあり、
経済とともに感染を促すのは、犠牲者を盾に抗体保有者を増やすことによって、社会防衛を果たそうと目論んでいるようでもある。

死亡者が少ない一点が楽観を許しているのだとすると、ウイルスはそんなに甘くはないことが経験されている。
重症者と死亡者は遅れてまとまって増えるのではないか。
予算に余裕があるとは考えられず、GoToの補助は支援金として直接業界に交付し、感染拡大防止と医療資源の確保に専念してはどうかな、と思う。

 

おしまいに、お目汚しに昨日、本日の写真です。

昨日切ったカシワバアジサイを水盤に入れました。

 

本日夏の花、ミソハギとリアトリスが盛りになりました。

 

今夕山を覆っていた優しく美人な雲。

久し振りの夕陽を浴びてほくほく線が緑の水田を走って行きました。

「銀の匙」の夕刻 過日の夕暮れ。

2020年7月14日(火曜日)

雨に何か考えがあるのだろうか、とにかく降り続く。
今日も降り、体調がすぐれない人が、自分はコロナではないでしょうか、などと言う。

さてたびたびの「銀の匙」。明治期中頃にかけて幼年のこどもの日常が描かれる。つぶさな描写から生活は、まだ江戸時代の名残を引き継いでいる。一方現在の私たちの心の中にも、かっての時代の情緒性が息づき、ある時刻や情景によって浮上し、共感を覚える。

以下は「銀の匙」から、夏の初めの夕刻における幼い主人公と仲良しの女の子お国さんとの場面です。

あの静かな子供の日の遊びを心からなつかしくおもう。そのうちにも楽しいのは夕がたの遊びであった。ことに夏のはじめなど日があかあかと夕ばえの雲になごりをとどめて暮れてゆくのをながめながら、もうじき帰らねばとおもえば残り惜しくなって子供たちはいっそう遊びにふける。
ちょんがくれにも、めかくしにも、おか鬼にも、石蹴りにもあきたお国さんは、前髪をかきあげえ汗ばんだ顔に風をあてながら
「こんだなにして遊びましょう」
という。私も袂で顔をふきながら
「かーごめ かごめ をしましょう」
という。
「かーごめ かごめ、かーごんなかの鳥は いついつでやる……」

-途中略-

夕ばえの雲の色もあせてゆけばこっそりと待ちかまえてた月がほのかにさしてくる。二人はその柔和なおもてをあおいで お月様いくつ をうたう。
「お月さまいくつ、十三ななつ、まだとしゃ若いな…..」
お国さんは両手の目で眼鏡をこしらえて
「こうしてみると兎がお餅をついているのがみえる」
というので私もまねをしてのぞいてみる。あのほのかなまんまるの国に兎がひとりで餅をついているとは無垢にして好奇心にみちた子供の心になんという嬉しいことである。

以下は7月9日、いっとき雨が上がった夕刻の写真です。

 

 

 

 

夕暮れの茜があたり全体を包むと、去りがたい名惜しさをがつのる。
出来れば茜と一緒に西の国へ行ってみたいのだが、それは黒い森影などを残して去ってしまう。
取り残されて私は、いつも動物のようにすごすごと家路をたどる。

♪ 菜の花畑に入り陽うすれ~
♪ 夕焼け小焼けの赤とんぼ~
♪ 夕空晴れて秋風吹き~
♪ 夕焼け小焼けで日が暮れて~
♪ 秋の夕陽に照る山もみぢ~
♪あの町この町日が暮れて~
♪ぎんぎんぎらぎら夕陽が沈む~
※「叱られて」も夕暮れでしたね。

斯く子供のころから、私たちは日暮れを歌ったり聴いたりして育ってきた。

さて、くだんの本では、伯母さんが迎えに来て、幼い主人公と女友達お国さんは
「かいろが鳴いたからかーいろ」と、玄関先までかわるがわる呼び合いながら家に帰るのである。

新型コロナウイルス対策で都道府県の「貯金」が痛手 深刻な三すくみの中で。

2020年7月13日(月曜日)

昨日のノートで、新型コロナウイルス感染症(COVIT19)対策に〝国や自治体が血が出るまで繰り返す以外ないのではないだろうか。と記しました。
昨日日曜日は新聞を読まず、本日になって12日の朝日新聞を手にしましたところ、
〝42都道府県「貯金」58%減ーコロナ対応 1兆円超取り崩しー〟と一面トップにあり、否応なく目に留まりました。

貯金とは都道府県が、主に緊急支出に備えて蓄えている財政調整基金です。
日本が新型コロナウイルスの災いに見舞われておよそ半年。
4月以後の基金取り崩しの調べの結果、47都道府県のうち42都道府県で残高の平均58%を使ったとありました。
90%を越える都県からゼロの所まであり、各自治体の事情や考え方などで色合いが異なるようですが、多くは相当の身銭を切って出血し対応していることが窺われました。

ちなみに東京都は8521億円(万単位切り捨て)で、残高に対する減少率は91,2%でした。石川県も90%台と多く取り崩していました。こんなに使って大丈夫かな、と思いますが、カバーできる税収や国からの他の交付金で埋め合わせするようなのです。

ちなみに我が新潟県は380億円と比較的多額の残高を有していて、この度の取り崩しは4億円で率1,1%と小さな範囲に留めていました。ほかの財源で多くをまかなったこと、発症者が比較的少なかったなどもが関係しているかもしれません。
さらに未だ感染者の報告ゼロである岩手県は5億を、反対に多くの感染に見舞われた埼玉、千葉、京都、兵庫などでゼロのまま踏ん張っているという、多様な様子も窺われました。

終息はおろか再拡大をはらんでいる感染症。
元はといえばわずか0,001㎜という電子顕微鏡レベルのウイルスがもたらしている災禍です。
くすぶる大都市圏、思いがけない劇場クラスターの発生、さらに拡大する世界の感染事情、、、。
この先どのような姿がゴールなのか、イメージしにくいのが本当に辛いところです。
そんな中で地味ながら、私たちなりに新たな生活様式に準じようと、あらためて思うばかりです。

感染対策、財政出血、税収確保。
小さなものがもたらしている深刻な三すくみ。
少なくとも1点「安心」の二文字を共通項として、国、自治体には長く長く粘ってもらいたいと、心から願っている次第です。

日中晴れ間が見え、雨が上がった本日。
終始肌寒く、夜になってシトシト、ザーザーとまた降り始めました。

雨降りが続くようです。
よろしければ作品とテッポウユリの庭に憩っていただければ、と思っています。

解禁拡大、どうなる第二波、やはり厚生労働大臣が前面に。

2020年7月12日(日曜日)

新型コロナウイルスの感染報告が東京都と周辺および大阪などで4上旬のレベルを越えるようになった。
死亡例が少ないだけで感染状況は明らかに2波であろう。

現況の死者は少ないが、今後の社会・家庭における接触シャッフルにより重症化リスクの高い老人や有病者への拡大は否定出来ない。
移動解禁と.、5000人以下というイベント解禁はどうみても流れが悪い。
恐らく国はそれも見越して拡大に踏み切ったはずである。
根拠として①陽性増は検査を増やしたため、②死亡例が少ない、③医療資源が足りている、の3点が挙げられている。
しかしこれは、わずか一瞬の相を見ているだけに過ぎないのではないのか。
この先、急な感染と死亡例の拡大が避けられる保証はなく、むしろ悪化の可能性のほうが想定される。

それでもやろうとするのは、集団(社会的)感染→集団(社会的)免疫獲得によって終息を図ろうというのだろうか。
そうであれば、最終的には弱者切り捨て。コメントするのもおぞましい現実が浮かぶ。

新たで厄介なウイルスのコントロールとは、デリケートな措置をラジカルに繰り返すことでしか成立しないように思われる。
慌てて経済を回す前に、根気良い予防マナーの継続、潜在的な発生源の完全な封鎖と経済保証、水平な損失補填の継続。
これらを、国や自治体が血が出るまで繰り返す以外ないのではないだろうか。

当地方では隣接の糸魚川市で初めて一例が報告された。
これと東京都および全国の動静をどう関係づければよいのか。
一般にこれらに対して答えるのは、
厚生労働大臣ではなく経済再生担当大臣が出てくるなどというのは、非常に奇異である。
一刻も早く、直さなければ災禍は永遠に続くように思われる(本気度が疑われる)。
PCRのさらなる一般化と医療確保と同様、リーダの人違いは最も根本的な問題であろう。
体を張っている知事たちは、もどかしくないのだろうか。

 

2020年3月1日~7月12日までの全国新規感染者数の推移。
Yahoo!ニュースから。

しゃんとしている今年のテッポウユリ。

2020年7月9日(木曜日)

毎年テッポウユリは梅雨のまっ最中に満開を迎える。
咲いたままひどく雨に降られると、早くしおれたり、脱色してガラスのようになってしまう。その点今年は雨に当たっているものの、しゃんとしていて驚いている。

例年の今ごろはお客様が減り、せっかくの美しい百合を見る人が少いので、花は可哀想だな、と思っていた。
ところが今年は皆様に多めに来て頂き、しかも庭をご覧になる方が多く、百合にも満足気な表情がうかがえる。

ところで花全体に言えることだが、夕暮れ時になると、彼や彼女たちは一段と穏やかな雰囲気を漂わす。
昨日は昼間の写真でしたが、本日は午後7時近くの花を撮ってみました。

美術館が陽当たり側なので、およそそちらを向いているのもけなげだ。

 

カシワバアジサイと隣同士↑

アマガエルも。

 

例年賑やかにおしゃべりをしている風に見えるのに、今年はみな静かな印象なのが不思議。
新鮮な感じは、宝塚の卒業生か、舞妓さんから芸妓さんになったばかりの女性達のようだ。

梅雨を越えてもはや「雨期」 換気、庭の花。

2020年7月8日(水曜日)

連日の雨は梅雨というより、「雨期」と呼びたくなるほどの執拗さ。
しかし当地では、昨夜から降り続いた雨は昼頃から小休止となった。

本日は換気の様子と庭の花を記しました。

 

開けっ放しの玄関ガラス扉。今までどんなに降っても閉めずに済んでいる。

 

降らない日には天井の排煙窓がさらに換気を促してくれる。

 

 

カフェのお客様は開けた窓を喜ばれる。

 

涼しいイトススキ。

 

トクサも庭を涼しくしてくれる植物。

以下今春沢山植えたテッポウユリがあちらこちらで賑やかになりました。

 

 

ヤマアジサイが終わった後、以下園芸種の額アジサイが綺麗に咲いている。

 

柿の実が大きくなってきた。

ポロリポロリと落ちて現在6個が付いている。
何とか秋まで頑張って貰いたい。

母の出身地の川がテレビに映った 雨降りの昼。

2020年7月7日(火曜日)

本日も雨が降り続く。
人間ならば息切れするところだが、雨はいっとき休んではまた降るを繰り返している。

洪水が頻発している九州の雨は残酷なほどで、昨日は母の出身地である佐賀県鹿島市の映像がテレビに出た。
母の昔話に出てきた川が氾濫しそうだった。
母はよくこの川で泳いだという。
ある日泳いで帰ると、いつもは穏やかな母が烈火の如く怒り、お前の背中に石をくくって沈める、と言ったという。
子ども時代ならまだしも、もう娘になるのだからはしたない、ということだったらしい。

近隣の水田。
雨を降り残した雲がもやもやと米山にけむっている。

本日昼のいっとき美術館はお客様で賑わっていた。多くの人がカフェを使われるが、今年は特に初めての方々が熱心に展示をご覧になり有り難い。

私がいた時に、俳句の皆様が寄ってくださり、庭を見ながら発句をされていた。
また車椅子でご老人をお連れした女性の静かな甲斐甲斐しさは印象的だった。
あるご夫婦は毎年結婚記念日に当館を尋ねてお茶を飲み、玄関で記念写真を撮ると仰った。例年スタッフがシャッターを押すらしいのだが、今年は私が押させてもらった。
持ち寄り食事会の後と仰る四人の女性は、カフェがいっぱいで陶芸室のテーブルにすわって頂いた。陶齋の作品に囲まれ、ここもいいですね、と仰った。

 

雨降るお昼のひととき、皆様有り難うございました。

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