空と周囲の秋 富山からのお客様。

2020年10月16日(金曜日)

晴れ渡った昼の空に、うろこ雲やすじ雲が見られると次第に曇りがちとなった本日。
裏の農道脇に桃色のミソソバと真っ黄色のセイタカアワダチソウが沢山咲いていた。
今まさに秋真っ盛りで、これから段々と寒さに向かい、平地でも紅葉が見られてくる。

 

波状のスジを描いたうろこ雲をセイタカアワダチソウが見上げている。

 

白い孔雀の羽根を想像した雲。 高い雲は氷の粒の集まりらしい。
右上で輝いているのは太陽です。

 

裏の農道の細い水路に沿ってミゾソバがいっぱい。

 

ミソソバにセイタカアワダチソウが混じる。セイタカアワダチソウも小さなうちは可愛い。

富山から見えたご夫婦は、ホームページにあったカップでお茶を飲みたくて来ました、と仰った。

 

奥さんのカップはオールドノリタケで、花の取っ手(フラワーハンドル)が付いている。

ご主人は英国ロイヤルドルトン社のアールデコ調を選ばれた。
このカップは男性に好まれるようです。

いずれも1920~30年代の状態の良いアンティーク食器です。

遠くから有り難うございました。
富山と聞いて昨年5月に訪ねたことを思い出しました。また出かけたくなりました。

夕暮れの鵜の浜温泉の人魚像 盛んに雁が渡ってくる。

2020年10月15日(木曜日)

昨日西側の庭に紅白の萩を植えたので本日午前までの雨は恵みの雨になった。

午後はさまざまな雲が浮かぶ爽やかな空となった。

 

 

遅くなったが、鵜の浜温泉の人魚を思い出して寄ってみた。

 

 

もう少し早ければ表情が見えたはず、また良い夕暮れに来てみたい。

 

 

どれだけ旅をしたのだろう、海上から雁が現れた。

しばらくは晴れたり曇ったり、自然はさまざまな表情を見せてくれることでしょう。
幸せなことだと思っています。

変わった植物ホオズキ かつて描いた拙ホオズキ。

2020年10月14日(水曜日)

ホオズキは変わっている。
夏にジャガイモの花に似た小さな花を咲かせ、花の後に青い萼(がく)が実を包んで膨らむと野菜に見え、涼しくなるに従って萼は赤い果実として見える。
そして今、萼は繊細な葉脈を金属細工のごとき網目として現わし、眼を楽しませてくれている。

 

中の赤い実はやや渋くどこか甘いトロリとして汁に包まれて細かい種を付けている。

子供の頃家にホオズキがあったようで、姉と一緒に赤くなった実を揉んで柔らかくし、そーっと軸と種を取り出した後袋状の実を鳴らした。
クチャクチャピュウピュウと、下唇を使って鳴らす。
海藻の仲間で海ホオズキというのもあった。
祭などで売られていたように思うが、こちらは高級品だった。

ついには楽器にまでなるホオズキ。美術館のは患者さんの家からもらった。
現在5、6本あるが、毎年少しずつ移動しているようであり、どこまで行くのだろう。

ちなみに以下はかつて小生が描いたホオズキです。

↑ホオズキ(透明水彩 2001年)。

 

ホオズキとヤマイモの実{透明水彩 2002年)。

 

ホオズキ(油彩 2014年)

 

2002年5月、市内大嶋画廊で初めて植物画の個展をした。緑色の額に入れ60点近く出し、店主に促され25点ほどに値を付けてみたところ、一日でみな売れた。サイズはB5~A3 で5000円から15000円だったと思う。
上掲した一番上のホオズキは4人の方が欲しいと仰り(かなり執拗に)、半年かけて同じように描いて皆さんにお売りした。
今になれば何か悪いことをしたように思うが、出ていった絵はその後どうなっているだろう。

 

個展をした年、民間の医学雑誌で紹介されました。
(ASAHI MEDICAL2002年12月号)

 

本日は庭のホオズキだけのつもりが、恥ずかしながら自分の事を沢山書かせて頂きました。

庭で盛りを迎える西王母やホトトギス この先の楽しみとは。

2020年10月13日(火曜日)

いま美術館の庭では例年になく西王母が沢山花を付けています。
また厳しい暑さを乗り切ったホトトギスが盛りを迎えようとしています。

 

玄関左の西王母。2012年10月に植えて以来最も沢山花を付けた。

本日来館されたご家族が、色と形が優しい、と仰った。

 

ちなみに2012年に西王母を植えているところ

 

カフェ正面の右奥でひっそり咲いているシロバナホトトギス。、
この花も今まで一番沢山咲いた。

 

カフェ正面の目立つところの紀伊ジョウロウホトトギス。これから盛りに向かうところ。
この花は垂れ下がるので、今年は植木鉢に取りレンガを敷いて位置を高くした。
二十年以上も前、妻の母と私の母を連れて、美ヶ原に近い扉温泉に行った。
旅館から出たやや薄暗い岩の小道に、この花が何十という数で咲いていた。

 

美術館で最も数が多い台湾ホトトギスの仲間。
カフェ正面のやや左に沢山咲きます。

 

同じような場所で数カ所、ひっそりと咲いているコハクジョウロウホトトギス。

ホトトギスは種類が多く、名は正確ではないかも知れません。
樹下美術館では、菊類が咲く前の庭を賑やかにしてくれるホトトギスはとても貴重な花です。

いつしかツバメは南へと姿を消し、代わって冬の水鳥たちが渡って来ている。
これからは晴れ間に空と雲を見、月や花鳥を探し、今年最後の庭仕事をする。
紅葉の移ろいや落葉に目を止め、荒れる合間に海や虹を見に行ってみる。
深まる秋から初冬へ、コロナだけは気を付けながら折角の季節を楽しみたい。

2020年10月10日土曜日の大夕焼け 本日のゴルフ。

2020年10月11日(日曜日)

一昨日10月10日、いつもの水田で壮麗な夕焼け雲を見た。

 

17:03、妙高連峰は右に焼山、左火打山。頂上にすーっと雲が掛かって暮れていく。

車に戻って本日撮ったものをモニターで見ていた。しばらくして外をみると赤く染まった大きな雲が西南の空を覆っていた。
突然のように現れた波打つ大夕焼けに息を飲んだ。

17:10、気づいて車中から撮った雲。

 

17:12出て車を入れて撮ってみる。

 

17:13少し離れてみる。

 

17:14もう少し離れてみる。

 

17:14もっと離れた。
次第に暗い空の中に消えて行く雲。

雲の中から
〝汝、人を愛せ〟と言って巨人が降りて来れば良かったのに、と思った。

 

17:25分、電車が来た。夕陽が沈んだ西の方角。
そちらには厚い帯状の雲があり、長々と赤く染まっていた。

写真のキャプションの時刻に誤りがありましたため、訂正しました(15:13→17::13などです)。

遠くにもう一人、若い人が居て雲や電車を撮っていた。


昔懐かしい「Beyond the Sunset」。
かつて「夕陽の彼方に」という邦題が付いていた。

本日ゴルフがあり47,47は今年一番良いスコアだった。

モズがトンボを食べようとした?

2020年10月10日(土曜日)

美術館付近で毎日モズが鳴いている。次はここ、次はここと、およそ止まる場所が決まっている。
隣地の駐車場にある赤白のポールもその一つ。右回り、左回りしてはここによく止まる。

ポールは近いうえ背景の邪魔も無く撮るには条件が良い。夕刻去ろうか、と言うときにやって来た。

 

あっち向きこっち向きして鳴き、縄張りを告げている。婚活かもしれません。

よくトンボが飛んでいる。

上を向く。

身を反らしてトンボを見る。

行ってしまう。

また来た。

トンボは足を伸ばしてモズに止まろうとしているようにも見える。
モズは知らんふり。

パクッ.?捕まえたのか?

トンボは飛び、モズが鳴いて見上げる。
トンボはバックをしないはずなので、振り回されたのもしれない。

捕食が失敗したかにみえ、モズが見送っている。
正面から見た訳ではないが、きわどい場面だったのか。

じっとしているモズは可愛いのですが、大口を開け大声で鳴いている所は猛禽らしく強面です。

 

ところで本日の夕焼けはまことに壮大でした。
明日掲載させてください。

どこかで繋がっている方達。

2020年10月8日(木曜日)

夕刻近く、遠くから五人のお客様が見えてお話をした。
ご高齢の紳士は一目見てDrだと思った。お尋ねすると、そうですと仰った。父と同じ大学出、お父様は、小山作之助のことを〝叔父さん〟と呼んでいたということ、どこかお互いが繋がっているようであり、不思議な親しさを覚えた。

大潟区や直江津のご先祖がおられ、私どもも知っているお名前や地名、そして旅館にお寺などが出て、初対面にも拘わらず近しさを共にした。
それにしてもマスクを着けたり外したりして飲むお茶。
厄介なウイルスのお蔭で、ややもすると斯く出会いにもどこか寸法が足りないのを否めない。
閉館近く、再会を述べ合ってお別れした。

閉館後、西空低く帯のように茜が射している。
車で5分、いつのもほくほく線の場所へ行った。いっとき美しい夕焼け空が現れ、やや遅れて電車が下っていった。

夕暮れ時に見る電車の黄色い窓明かりは懐かしくも平和。

週末にやってくる台風が気になる。

今日の空とキジの若鳥 色濃くなるリンドウ 季節の足が速い。

2020年10月7日(水曜日)

時折陽が射した日中、暖かさが恋しく感じられた。
秋はあの異様な暑さなどまったく意に介せず自らの歩みを進めている。季節には互いのコミュニケーションなどというものが無いのだろうか。

美術館は定休日だが、老人施設の回診を終えて庭に寄った。

庭で見上げると東へどんどん移動するいわし雲。

 

裏手の田んぼにキジが何羽もいた。
数えると7羽。こんなに多くいるのを初めて目にした。オスが5羽、メスが2羽。
オス達は一様に羽や毛にムラがあり、一見うす汚く見えた。
まさか夏の暑さにやられたのか、まさかこんなになるまで戦ったのか、不思議だった。

色々考えた挙げ句、全てオスは成鳥に向かけて毛が生え変わりつつある若鳥ではないか、ということにした。
でもメスは何?など疑問が残る。
普段ヒナや若鳥は母に連れられて生活する。二羽のメスは親なのか?
そして群は二家族なのか?だがそれなら子がみなオスということになり、やはり変だ。

では全てが若鳥、もしかしたら7羽は兄弟姉妹、あるいは何組かの兄弟姉妹が一緒に居るのかもしれない。

夏から秋へ野鳥は群を作る。
見聞している範囲で、秋のスズメの群はすべて若鳥で構成されていると、以前から思っている。
スズメと同じく、今年生まれたキジたちも、秋には親と離れて集まって過ごすのだろうか。
かつて母親に導かれて、茂みから茂みへ隠れるように移動していた幼鳥たちが、こんな勇ましい姿になって現れるなら、彼らの流儀には恐れ入ってしまう。

いずれにしても7羽のキジを目の当たりにし、わずかのエリアながらこれだけ繁殖していることを頼もしく思った。

 

 

 

 

 

メスは通年同じ色なのかもしれない。
時期のせいかメスの奪い合いもなく、みな落ち穂探しに余念が無かった。

生き物は色々難しい、まして人間に於いておや、ではないだろうか。

 

 

リンドウがますます濃く澄んだ色になっている。

夕刻6時過ぎの頃、雁行の声が聞こえた。
県内の瓢湖に白鳥が飛来したと今夕のニュースが伝えた。まったくぼんやりしている間に季節はスタコラサッサと過ぎてしまう。

ブッドレアとヒヨドリバナを植えて来年の蝶を待つ 竜胆(リンドウ)と蟋蟀(コオロギ)。

2020年10月6日(火曜日)

いよいよ名前と素性が判明した仕事場の「ブッドレア」。
本日昼過ぎにもヒョウモンチョウ(その先詳しくは同定できません)が来ていて熱心に吸密していた。

そのブッドレアを二株、ネット通販で求めたのが来ていて昨日二カ所に植えた。
また、大潟水と森公園で蝶が寄っていたヒヨドリ花も二株求め、一緒に植えた。

 本日のブッドレアとヒョウモンチョウの仲間。

 

陽当たりの良い北側の庭に一本。
すでに1メートルはあり、枯れかかった花も付いていた。

花が終わった多年草のヒヨドリ花は茎で届いた。
ブッドレアから2メートルほど離して植えた。

もう一組を西側の庭に植えた。両者ともに来年は一応花が期待できる。この二組がどの程度開花し、果たして蝶が来るのか、楽しみにしたい。

さて先日美術館で咲き始めたリンドウ。その場所にもう二つ以下のように花が見つかった。

 

この花の根に近い部分を見ると、

一羽のコオロギが亡きがらとなって横たわっていた。

枯葉と同じく虫たちは死して草花の肥やしになるのであろう。手前の茎は上掲のリンドウで、良い場所に落ち着いたと思った。

竜胆の花咲き初める傍らに蟋蟀一羽なきがらのあり

新装なった上越市立小林古径美術館を訪ねた。

2020年10月5日(月曜日)

昨日10月4日日曜日午後、新装なり4年ぶりに開館した上越市立小林古径記念美術館を観に行った。
城址公園の風致に相応しい平屋の建物は上品で軽やか、親しみやすかった。

古径記念室の常設展示のほか、来年の3月21日まで「上越美術のチカラ 展」が記念企画されている。
古径の作品は勿論だが、明治期以降の上越地域ゆかりの作家たちの作品はいずれも魂がこもり、文字通りチカラがみなぎっていた。

 

以下小林古径作品から二点、爽やかさがいっぱい。ほの暗い室内は居ながらにして秋の光が感覚された。

 

以下は新潟大学教育学部髙田分校の芸能科卒業生はじめ当県ゆかりの作家作品から二点。
普段から身近な人、同郷人などローカルなアイデンティティーが共有される人の作品は得に言われぬ親しみを覚える。
込められた熱意や県人特有の真摯さが現れていて、心打たれる。

 

 

 

話それますが、以下エントランスにさりげなく置かれた家具に目が止まりました。

 

左右に柳宗理のバラフライ・ストゥール。真ん中はムライ・ストゥール。
いずれも天童木工が発表したミッドセンチュリー・モダンの名家具です。

 

明るいギャラリー回廊に飾られている齋藤真一氏やガレの作品。
豊かなお宅を訪問して観るような気軽さで次々立ち止まった。

 

採光の良い二ノ丸ホールでは楽しく創作活動や催事ができそう。

 

こまやかに作り込まれた掘川紀夫氏のテンセグリティー。
やや古風な庭に楽しい動きと色彩を与えていた。
二本の白が他の四色をうまく引き立てている。
白とは大切な色だな、とあらためて思った。
そういえば、雪は白ではないか、とさらに思った。

 

なだらかな芝生に前山忠氏の竹による爽やかな造形。

 

日本家屋の骨頂を感じる古径邸。
柱と壁が計算され尽くした面と角度で空間調和している。

 

古径邸内路地に端整な酔芙蓉。
この花を見るためだけでも、もう一度行ってみたい。
管理は大変だが手入れの良い庭は見所の一つ。

贅沢な借景。

 

邸内展示は、左から志賀重雄氏の二作品、向こうに齋藤尚明氏作品。
展示はケースを用いず、あるがままの姿で展示され、力強い存在感を肌で感じられる。

 

これも志賀重雄作品。
齋藤三郎の最初のお弟子さん・志賀氏による思いも寄らぬ灰釉の大作。
刻んだ線も雄渾だった。

 

以下二点は内田邦夫氏作品です。

 

焼き物によるテーブルと椅子。
1910年(明治43年)上越市生まれの内田邦氏は東京藝芸術大学を卒業され陶芸の世界に入りました。
後に日常の使用を前提に、安価で楽しく、モダンなクラフト陶芸のジャンルを築いて広めました。

 

帰りに一休みした「世界のトナリ」。お客様がはけて静かになった店内。
帰りがけ、ふと見るとスタッフがしゃがんで丁寧に床を拭いていた。
客が途絶えた時に何をするかは、あらゆる仕事の成功の鍵だと思う。
この店はそれが行き届いていることにとても感心した。

 

帰りにもう一軒寄った遊心堂で、偶然志賀重雄氏の湯飲みが出ていて求めた。

さて長々となってしまいました。
もっと詳細を書かかなければなりませんが、時間がありません。
新たな小林古径美術館。
思ったより小さい、空間が狭い、など意見はありましょう。
だが資金や規制がタイトな中、4年の歳月を掛け智恵とデザインを絞り尽くして完成した美術館だと思いました。

身の丈に合って余りある、コンパクトで見やすく、疲れず興味深い施設です。
特に美術のチカラ展では多くの作家の力作を初めて楽しみ、もっと沢山観たいと思いました。
焼き物好きには、志賀重雄と内田邦夫作品は新鮮で驚きでした。

公的な施設ではなおさらのこと、作家や作品の選択にご苦労されることでしょう。ジャンル、ネームの大小、プロとアマなど芸術世界は常に宇宙的な様相を呈しています。
〝何が真摯で美しく、親しめ、素敵なのか〟
このたびはバランス良くそのことが配慮され、必要な主張もちゃんと貫かれていた、と実感しました。
開館にたどり着くまでの館長はじめスタッフのご尽力に敬意を表し、末長く皆様のチカラが発揮されることを祈っています。

この機会に上越の芸術とその環境に誇りを持ち、いっそう魅力ある地域になることを心から願った次第です。
暇をみて何度も訪ねてみたいと思いました。その都度心地良い時間と新たな発見に出会えることでしょう。

爽やかな日の雲 お客様の声 スズメの群 サルビア 初リンドウ 蝶が集まる木。

2020年10月2日(金曜日)

高田の最高気温はおよそ25度、湿度は55パーセントほど、10月に相応しい爽やかな日だった。

本日金曜日は1週間で最も暇な日。昔は一日一人の来館者も珍しくなかった。開館14年我慢を続け、今年は金曜日も15名様前後の方が来て下さる。
昼食後、カフェで本を広げていると、お二人の方が庭を巡られ展示を観て座られた。おひと方は初めての様子。
「ね、いいでしょう」
「こんなに良いところがあるとは知らなかった」
運ばれたケーキと食器に歓声が上がり、お客様の声には幸せを感じる。

 

西の空いっぱいに細かく千切ったような雲の群。

 

それが東に流されるとスジを引いて涼しそう。
氷の粒が落ちる途中で溶けて蒸発しているらしい。

 

傍らの水田と美術館の木を行ったり来たり、スズメの群は忙しい。
群はすべて今年生まれた若鳥で形成されている模様。

 

庭の入り口のサルビアは、初夏に種を撒いたもの。
一見して貧弱なのは遅く始めた私のせい。

 

思わぬ場所でリンドウの初咲き。

25年ほど前に安塚の方から花を頂き、一時ここで盛んに増えた。
それがある年ばたりと絶えてしまった。その後南に下がったトクサの中に現れるととても増えた。上掲の花は最初に植えた場所で咲いていた。

竜胆の思わぬ所に咲きたるは人の世とてもあらむことなり

 

ところで去る9月29日に掲載しました蝶が集まる木のことが分かりました。
何年か前、妻の知人で昆虫に非常に詳しい方から頂いたものでした。忙しい妻はその事を忘れてしまったか、あまりに成長の早い木のため、様変わりしてしまい、思い出せなくなったのかもしれません。

今では毎日見るのが楽しみになっています、本当に有り難うございました。
ネットにありましたので早速小さな苗を取り寄せ、美術館に植えるつもりです。

来る11月に「齋藤三郎と良寛さん」の講演会 仲秋の名月。

2020年10月1日(木曜日)

来る11月7日(土曜日)、樹下美術館に於いて、
「齋藤三郎と良寛さん」と題しまして全国良寛会会長・小島正芳先生の講演会を以下のように催します。

当館茶会におけるふとしたご縁で講演会が実現しました。
小島先生は長年に亘り良寛を研究され、今年8月に全国良寛会会長に就かれました。
演題は「齋藤三郎と良寛」に決まり、樹下美術館にとって打って付けの会になろうと想像されます。
コロナ禍は負の面とともに、文化・芸術への親しみを深める傾向を内包しているように感じられます。
感染への配慮によって満席の約半分での開催ですが、どうかご都合をみてご参加ください。

 

秋が深まります。

本日、庭の萩。優しくこぼれる様は何とも言えません。

 今夜は仲秋の名月でした。

 

 

20時頃に見えた月です。

名月や夜更けて屋根に雨の音

また傷んだ蝶が来ている 夜の稲刈り 蝶が良く来る木。

2020年9月29日(火曜日)

本日も仕事場の庭にひどく翅が傷んだ蝶が来ていた。

 

翅の傷みがひどい本日の蝶。

 

1週間前(9月22日)に来た傷んだ蝶。
同じ蝶とは思われないが、みな頑張っている。

 

 

これは9月24日に来た傷みの無い蝶。

それしてもこの花は何という名前だろう。いろいろな蝶が来て密を吸う。
一見百日紅に似ているが花は長い房状で色が濃い。幹が何本も分かれていて現在2メートル以上に背が伸びている。
4,5年前から生えてきたが、妻は植えた覚えがないという。

鳥が種を運んだのだろうか。多分8月初めころから長々と咲き続けている。
出来れば美術館にも欲しい所であり、ヒコバエを探すなどして移植できないだろうか。

暮れてもドード-と稲刈りをしていた。
稲刈り機はどんどんと進化をしているように見える。

ところで蝶を良く来るこの木のことです。
「秋、紫 房状の花」などで検索しましたが見当たらず、「蝶が来る花木」で引くとすぐに「ブッドレア」だと分かりました。
さまざまな蝶がくること、長く咲くこと、花の形状などからこれだと思いました。楽しみですので探して買ってみます。

無事に終わった今月の茶会。

2020年9月27日(日曜日)

時に土砂降りを交えた本日日中、樹下美術館で今月の茶会をしました。
7月から始めた新機軸、月1回の月末茶会です。
午後1時と2時半の二回、11名様のお客様をお迎えし、雨も上がり良い日和になりました。

待合に掛けた堀口大學、團伊玖磨両氏による色紙「友と来て」。
お二人は慶應義塾式典曲などで作詞作曲を共にされています。
文言は大學氏、音符は伊玖磨氏と思われます。

樹下美術館は齋藤三郎を常設展示しています。三郎は戦後上越市に仮寓された堀口大學に気に入られ、親しく交わりました。

 

本日のつくばい。

 

軸は立花大亀和尚の円相。
花入れは柏崎市の吉田隆介作の掛け花入れ。
頂いたアケビと庭の茶の花を入れました。
器は今年正月、天神祭に出かけ吉田宅を訪問した際に求めました。

 

坪島圡平作の赤絵鳥文角切り香盒。
作者は川喜多半泥子の廣永窯を継いだ人です。

 

今日庵のお庭焼きによる四方風炉と畠春斎の菱形釜。
風炉先屏風は齋藤三郎筆の父宛手紙。
そして坪島圡平作菱水指です。

 

髙田の竹内泰祥堂さんのお菓子を坪島圡平の角皿に盛りました。
古い話ですが、30年前坪島氏の水指を求めた年の暮れ、
お歳暮と言って氏から届いた2枚の皿のうちの1枚です。
本日はコロナの日々を明るくする同氏の三器を用いました。

 

清水六兵衛の現代的なお茶碗と加藤卓男氏の棗です。

 

建て付けに蝋型鋳物による斑紫銅建水。
花入れと同じく今年正月の天神様祭で柏崎を訪れた際、
原惣右衞門工房にお寄りして求めました。

 

障子を開けた会が和やかに終わりました。
暗くなりがちな毎日ですので色彩を意識してみました。

お客様で、結婚式の前日に発熱し小生が注射をしたというご夫婦が見えました。40年も昔のこと、全く記憶にありませんでした。
式当日は熱が下がり無事だったということ、今更ながら良かったと胸を撫で下ろした次第です。今では、熱が出たからといってすぐに注射などをしませんので、今昔物語です。

 

終えて田んぼに行くと青空と大きな雲が緩やかに戯れていました。

 

毎年この場所のカンナに慰められます。

 

尾神岳と黄色の水田、そして大きな雲。

秋の茶を終えて仰げば大き雲

樹下美術館にやってきた賀川孝と水島清および倉石隆各氏の作品。

2020年9月26日(土曜日)

過日遠方から来館された方が2点の油絵と4枚の版画を持参されました。
油彩の1点は賀川孝、もう1点は水島清各画伯の作品です。版画は倉石隆の「罪と罰」の挿絵原画からでした。

以下作品を紹介させて頂きます。
●最初に賀川孝作品です。

賀川孝「牛」1965年 32,0×41,8㎝。

全面に赤を用いた熱っぽい作品です。躍動する牛が古代の洞窟画を彷彿とさせます。倉石隆の画友として、話に聞いていた賀川作品を初めて見て胸踊りました。後に記しますが、左上の同心円は賀川作品独特のモチーフです。

○賀川孝と倉石隆
1917年上越市寺町善導寺に生まれた賀川孝は、髙田中学校(現髙田高等学校)時代から倉石隆と美術を共にしました。上京後二人は駅前で殴り合いの喧嘩をするほどの親しい仲だったといいます。 自由美術協会から主体美術協会へ、これも二人一緒でした。
1975年1月享年58才で没した賀川氏。京橋の「ギャラリーくぼた」で催された遺作展の図録に、芥川賞作家小田嶽夫氏とともに倉石隆が長い送る言葉をしたためています。

 

賀川孝遺作展図録。

 

掲載作品。
いずれも同心円が眼あるいは記号として描かれている。

胎内で早々に形成される眼。賀川氏にとって原初の生命と文化・文明の根源的な表象なのでしょうか。氏の作品では、その眼がいつも私たちを睨んでいたと言われています。

 

右ページは、賀川氏が生まれ育った善導寺に仮寓した小田嶽夫氏の追悼文。

 

昭和21年、髙田で二人展の一コマ。(遺作展図録から右賀川氏、左倉石氏)

 

昭和40年4月髙田における「矢島甲子夫、賀川孝、倉石隆 三人展」
左から倉石隆、矢島甲子夫、齋藤三郎、賀川孝の各氏(髙田信用金庫ホールで)。

故郷を離れ、保証もなく東京で切磋琢磨した芸術家たち。確かなものは熱い魂とふる里を同じくする仲間たちの存在だったのでしょう。当時の写真をみていると、自分が恵まれている事とともに、恵まれていない事にも気づかされます。

○水島清について
明治40(1907)年7月新潟県旧水原町生まれ。若くして上京し林武に師事、東京美術学校を卒業しました。二科展、後に独立展で活躍。構図、色彩、タッチとも独特の力強さがあります。発表を重ね1991年12月17日横浜で没しました。享年84才でした。

以下はこのたびご持参頂いた作品です。

水島清「パリ サンジャックの塔」1963年 37,7×46,6㎝。
パリで二番目に高い建物がキャンバス一杯反るように描かれています。
白い塔を浮き立たせている空も青く強く塗り込められました。
所によって触ると痛いほど絵の具が盛り上げられていました。

さて齋藤尚明氏にお借りしているアルバムの中に、水島清氏と収まる齋藤三郎の写真がありました。

「水島清展」で前列中央に水島清氏、その後ろ齋藤三郎。
髙田の人がほかにおられますので同地での展覧会でしょうか。

 

●最後に倉石隆による挿絵原画の版画です。

「罪と罰」の原画4点 各サイズは7,3×9,5㎝。
(ドストエフスキー著 中村融訳 1969年 偕成社発行)
現在この書物は「倉石隆の本展」として展示されています

以上いずれの作品も、かって上越市で医業を営まれた亡きおばあ様のコレクションの中からお持ちくださいました。
作品の良さとともに、かって当地の同業者に熱心なコレクターがおられた事に深く感銘を受けました。

遠路作品をご持参くださったSさん、本当に有り難うございました。

 

本日はお若い女性お二人に「森のトマト畑」をお買い頂きました。
おうちへ帰って読むということ、如何だったでしょうか。

2024年11月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

▲ このページのTOPへ