柿崎海岸の千鳥とカモメ。

2020年11月5日(木曜日)

午後休みの木曜日ながら仕事場に電話工事が入り、多くの時間を留守番として居残った。
途中携帯番号を業者の方に渡して短時間美術館へ顔を出した。
外は思ったよりも寒く、妙高山も根雪ではないかと思わせる白さになっていた。

先日柿崎海岸を歩いた時に出合った千鳥とカモメを載せました。

 

 

 

 

今年は千鳥を目にすることが少ない。前回見た時もこのたびも二羽だけ。かってしばしば十数羽を見ていたので、かなり寂しい。

ところで、他人と鳥自身がどう思っているか知るよしもないが、私は以前から柿崎の千鳥は母の化身ではないかと、勝手に思っている。近づくと逃げるが、完全に鳥になりきっているようで返って嬉しいのである。上掲の千鳥などそう思って見ると余計に愛らしい。

つぎはカモメです。
カモメは非常に強く、あのカラスさえ恐れるほどらしい。海岸にカラスが少ないのはそのせいだと、何かで見た事がある。

 

 

上掲のカモメは可愛い仕草をしていました。

以下はなにか男らしく見えましたが如何でしょうか。

オレが先に行くけどいいんだな。

 

な、いいんだな。

 

じゃあね。

海岸も色々想像して眺めると、時には退屈しません。
それにしても数を減らしたように見えた千鳥は大丈夫でしょうか。

小島正芳先生の講演会が近付いた 昨日文化の日の良寛の里行き。

2020年11月4日(水曜日)

当館で月1回最終日曜日に催していたお茶会。
コロナ禍の中、7月から始めましたが、10月で無事4回終え今月が最終月となりました。

ある月の会で床の間に掛けた伝良寛とされる漢詩をご覧になったお客様の機転から、全国良寛会会長・小島正芳先生とご縁が出来、その後のやり取りによって本書は、良寛五合庵時代初期の真蹟であることが判りました。

小島先生は新潟大学時代、髙田の芸能科で齋藤三郎の講義を受けて以来、氏に心酔されコレクションもされておられます。このたびのご縁により、来たる11月7日に「齋藤三郎と良寛さん」の講演をして頂くことになりました。
良寛を敬愛し、よくその話をしていたという齋藤三郎。長年におよぶ第一線の良寛研究者、小島先生。 当日どのような話を聴けるのか、とても楽しみです。

ところで、昨日文化の日のこと。
すっかり寝過ごしたと慌てて茶の間に出ると、今日は祝日と妻から告げられ、地獄で仏の心地がした。
この日は終日季節風が吹き荒れ、夜は雨も加わり、いよいよ今どきの空模様が続いた。

何も予定を決めてなかった祝日、午前は柿崎海岸を歩き、昼は本を読み軽い食事をした。その後思い立ち長岡市島崎の「良寛の里わしま」へ車を走らせた。
お目当ては良寛の里美術館。かって25年ほど前に初めて訪ねて以来何度か足を運んだ。
田園に囲まれた一帯の丘陵地は良寛の仮寓地国上山や最晩年の地島崎に近く、如何にも良寛の里の風情が漂う。

 

良寛の代表作やゆかり深い親族や親交者の作品が
静かなたたずまいの中で澄んだ気品を漂わせている。
(当然ながら展示室は撮影出来ません)

秋の足は速い。この地への訪問の目的はもう一つ、旧和島村篭田の「椿の森」熊野神社に寄ることだった。当地は古くは水運の要地で、境内の見事な椿林によって「椿の森」と呼ばれていたらしい。

良寛の姪が神社の神官家に嫁いでいて、良寛はたびたび家を訪ねている。
祭では白塗りをして踊ったと伝えられている。
椿の森入り口近くに設置された「幾千の和」
過日柏崎市のドナルドキーンセンターで写真を見た実物。
今井翔太・今井駿哉兄弟作によるトレーラーに描かれた壁画。
社殿と良寛、貞心尼の座像に椿が散らされている。

 

暮れかかる一帯の風景。

良寛さんには、子供たちとの野遊びなどに関した詩文やのどかなエピソードが多数残っている。ただ上掲のような風景を見ると、1日の乞食托鉢を終え、暮れるなか一人山へ家路を急ぐ禅師の姿がぼんやり浮かぶ。

昔から私にはこの眼で見てみたい人が二人いる。会いたいのではなく、一人歩いているのを遠くから見てみたいのである。
二人のうちの一人はキリスト、もう一人は良寛だった。
実際には会えないのは分かっているので勝手にイメージするしかない。
粗末ななりをして一人夕暮れを歩く姿を、ぼんやりした光が包んでいる、そんな様子が浮かぶのである。
もう一人、これは実際に会って話を聞きたい人が居て、1818年生まれの高祖父・玄作爺さんです。
どんな顔をしていたの?父母はどんな人でしたか?どうやって医者になったの?本当に高野長英を匿ったの?本当にドンドの池の洗濯女を妻にしたの?旅した当時の京都は?信州でどんな人達と合っていたの?

出来ればこの眼で見てみたい、あるいは会って見たい人。
皆さんはどんな人でしょうか。

以下はわずかですが、所蔵する良寛様関連の本です。

 上下の写真のそれぞれ一番上に、小島先生の近著を載せました。

中に齋藤三郎の兄・齋藤泰全和尚の著「良寛の生涯」(編者齋藤謹也 昭和63年洞門教材社発行)があります。
多くは読んでいた頃から2,30年ほど経ちました。この機会を得て、再読すべき年になったと思っています。

●コロナ禍で講演会の参加数を減らしましたため、申し込みが予定いっぱいになりました。
小島先生にはお聴きしたいお話が沢山ありますので、来年もと念願しています。
実現出来た時は皆様にもどうか宜しくお願い申し上げます。

大潟水と森公園のリンドウ (農)大潟ナショナルカントリー周辺のスズメの群。

2020年11月2日(月曜日)

昨日日曜日は新潟県立大潟水と森公園へ行った。前日の頸城区大池いこいの森のビオトープと同じく、リンドウが見られればと思って出かけた。

何度も訪れている公園だがリンドウを見た事が無かった。それが今春歴史ゾーンで一株見つけたので、咲いているのではと出かけた次第。

 

園内歴史ゾーンの古墳への道。
花は写真の道の右側で、少し入った草地で見られた。

一本でもと期待したところ、歴史ゾーンの園路に沿って西側の草地でかなり沢山花が見られた。
リンドウはしばしば茎の長さが数十センチ、あるいはそれ以上のものも見る。しかし公園のは背丈が低く、花数も一輪が多く、まことに楚々とした印象だった。
これらは多分夏草刈りのせいではないかと考えられる。刈ることで姿が小振りになったり、丈夫に育つなどの効果がある。

 

 

 

 

他に替えがたい美しい色をしているリンドウ。

一本どころか沢山あり嬉しかった。
自生していたものが手入れによって増えているに違い無い。同園の秋の楽しみになった。

 

さて公園の帰路大潟区潟田でスズメの群を見た。路上や脇に沢山いて、車で通過すると一斉に飛び立った。撮りやすい所へ、そーっと引き返し窓を開け車内からファインダーを覗いた。

 

 

 

 

9月のころに見ていた数十羽の群とは格段に数が違う。

 

 

 

 

茶とベージュと黒がシックなスズメ。
私の友人でお洒落な男がいるが、およそこのような色使いを好んでいる。

 

群は、車が来るたび近くの電線や屋根に飛び立ち、とても忙しい。
群はタカなど猛禽の襲撃に備え、
そばに樹木や建物など、
飛んで逃れるものがあるところで主に食餌するという。

場所は農業組合法人ナショナルカントリーの事務所と作業場の付近。
落ち穂があるのか、うってつけの場所に大きな群で来ていた。
最近見た群の中でもっとも数が多いかも知れない。

数で思い当たるとすれば、昨冬の暖かさだ。
先日書いたように北国のスズメは厳しさにより、ひと冬で数多くが失われるという。
その点、温暖で極端に雪が少なかった昨冬は、スズメにとって大変大きな恩恵だったはず。
例年よりも多くが冬を越えたとすると、今年の繁殖数も通常以上だったと考えられる。

数が減り続けていると言われているスズメ。
稲作の食害は負、害虫捕食は益と、農業と微妙な関係にある。
だが減り続けるだけでは余りに淋しい。昨年の暖冬を機に少しでも勢いを盛り返してくれればと思う。

昨日歩いた大池いこいの森のビオトープ、リンドウ、オヤマボクチ、カケス、ウグイスなど。

2020年11月1日(日曜日)

昨日土曜日の午後は柿崎海岸でハマゴウなどをいつもより熱心に眺めた。

まだ陽があるのでその後頸城区の自然実践センターへ行った。ここは今年4月、コロナ禍が深刻になるなか一度来ている。
その時、湿地環境の新緑がとても気持ちが良かった。
今回はリンドウと野鳥との出会いが目的と言えば目的。そもそも特別な目的など無くとも、季節を問わず自然は何かしらの面白みや独自の風情を楽しめるものだと思う。

場所はほくほく線「大池いこいの森 駅」からすぐで、車は駅駐車場に停めた。名称は学習実践センターといかめしいが、かなり大規模なビオトープである。恐らくもとからある湿地に周辺の丘陵の湧水を組み合わせて整備されていると考えられる。

 

園内に入ってすぐ物音に振り返ると、ほくほく線の電車が通過して行った。

 

 

まだしっかり穂が残っているガマの一種。

歩いて間もなく所どころでお目当てのリンドウと出合い、満足だった。

 

 

湿り気を好むので道の山側を主に花が見られた。

 

オヤマボクチもちゃんと咲いている。
大げさな咲きっぷりはどこか滑稽で親しめる。

 

ヤマユリの実ではないかと思った。

 

枯れ木の蔦が紅葉している。

 

周囲から盛んに「ジッジッツジッ」と鳥の鳴き声が聞こえるものの姿が見えない。
ほんの短い時間、眼前に現れたのはやはりウグイスだった。
樹下美術館脇の野ブドウの茂みでもウグイスが地鳴きをしている。
(なかなか姿を現しません)

 

ギャーギャー!と園内に響き渡る悲鳴のような鳴き声の主はこの鳥。
初めて見たカケスだった。大きさはヒヨドリ以上かもしれない。
鳴き声だけは何度も聞いていたが、外見がこんなに綺麗だとは。

 

道に沿って進んで行くと先が明るくなる。

 

ビジターセンターから橋を渡って入る湖畔のゾーンに出た。

 

見慣れた池の眺め。

ここで道を引き返した。

 

 

手入れされた気持ち良い眺め。

 

駅駐車場に戻ると上り電車が入線してきた。

よほど広大な自然林ならともかく(たとえ国立公園でも)、住環境に近い自然は一定の手入れをしないと荒れる。リンドウやキキョウなども、かっての農業やカヤ刈りで行っていたように下草刈りをしないとヤブに埋没し消えてしまう。

春は奥まで進まずに引き返したビオトープ。
昨日は思ってもみなかったが大池の湖畔に出て、公園のスケールの大きさを垣間見た。同時に緊張感をもって一帯を維持管理されていることが伝わり、関係の方々に敬意を禁じ得ない。

話変わって本日11月1日、日曜日。
春の大潟水と森公園でリンドウを見ていたので、花はどうかなと出かけてみた。
すると歩道から一歩外れた刈った草地に沢山咲いているのを見て驚いた。

その様子と、田んぼで目にしたスズメの大群?を次回書かせて下さい。

10月最後の日の海岸植物。

2020年10月31日(土曜日)

快晴の土曜日、昼食に美術館に寄り軽い食事のあと午後から柿崎海岸へ行った。
昨日書いた通り昼間の植物、特にハマゴウの実をよく見たいために出かけた次第。

 

数日荒れ模様だった後の晴れ間。海も空も良い色だった。

さて海岸線を覆うハマゴウは大方優しい紫色の花を終えていた。
一端を載せてみます。

 

僅かながら花をつけるものがあり、葉は青い。

 

これは花後の実。実は赤味を帯び葉はわずかに青みを残している。

 

この一群は実が黄色になっている。葉の色は褪せている。

 

ここでは実が黒くなり、落葉している。

海岸線を覆う低木のハマゴウは夏~初秋に花をつける。久し振りの10月最後の海岸ではごく一部が僅かに花を残すだけだった。
多くの群落を作る野性植物は季節の進行とともに一斉に同じように振る舞う。しかし本日のハマゴウは花と実の時期状態にばらつきが目立ち、少々驚きかつ不思議だった。
また、ばらつきはてんでんばらばらでは無く、幾分小さな群でまとまりが見られ、それぞれの進行に何らかの要因が働いていることが窺われたが、それが何かよく分からなかった。

だがもしかしたら、しばしばかぶる波が場所によって異なり、それが死活サイクルにわずかなばらつきを生じさせ、結果生育進度にずれが見られるのかもしれない、と想像してみたが、どうだろう?

以上くどくどとハマゴウの現象を書いてみましたが、一方ご覧のように時期ごとの実と葉の色や形状がシックで、なかなかお洒落な植物だなと思いました。皆様は如何でしたか。

 

夏を中心に権勢を誇ったコウボウムギは殆ど姿を消している。
本日見たのはこれ一つ。

 

一面に白い花を咲かせたハマボウフウは、ビッシリ種を残して花を終えていた。

 

海岸線から5,60メートルで砂防柵が連なっている。
柵の海側、山側で植物の様子が全く異っていた。

海側にハマゴウ、ハマヒルガオ、ハマボウフウなどかなり限定された植物のみ群を作っている。一方山側は、わずかな隔たりにも拘わらず、ササをはじめ野の草花など大変多様だった。
以下そのごく一例です。

 

ノイバラ

 

アメリカネナシカズラ
絡んだ糸か網のようであるが、海岸などで見られるツル性の植物だという。

 

よくお目に掛かるアオツヅラフジ

 

さて帰ろうとする車のそばにスズメがいました。

ある意味不思議な鳥、スズメ。
これは数羽の小さなグループの一羽。
クチバシの根元の色が浅く、今年の若鳥のようだ。

大きな群から離れているのは、一帯をすみかに決めたためだろうか。
厳しい冬に向かってどうか頑張ってもらいたい。
本によるとかなり多くのスズメは冬に失われるらしい。

以上のようにハマゴウを中心に学童の戸外学習のような海でした。
目を凝らすと面白いことや不思議なこともありました。
この後、頸城区の自然学習実践センター(ビオトープ)へ行きましたので、そちらは明日などに掲載させて下さい。

四ツ屋浜のカワラナデシコ、ハマゴウの実と花 水餃子。

2020年10月30日(金曜日)

本日午後の仕事前に雲を見に四ツ屋浜にいきました。

 

さしたる興を催す雲も無く帰ろうとしますと、

 

足元に二輪のカワラナデシコ。
波打ち際まで100メートル。強風の場所で背の高い草に隠れるように咲いていました。

 

そばで沢山のハマゴウがシックな黒い実をつけていました。
生薬になるハマゴウ。鼻にもってくると香りよい薬草の匂いがしました。

 

その傍らに紅葉のハマゴウ。まだ花を残していました。

ハマゴウの黒い実や紅葉が見られている。
そしてまだ花までも、、、、。
こうなるともっと明るいうちに草花を見に海岸を歩かなければなりません。
週末は晴れるようですから、出かけてみたいと思います。

本日の野ブドウ 美味しそうな枯れ草 テッポウユリを植えた。

2020年10月28日(水曜日)

先日雨の日の野ブドウを掲載しました
晴れ間の多かった本日あらためて見ますと、色づいた房がさらに増え、色も濃くなっていました。

 

 

 

ターコイズブルーそのもの。

 

見過ごしがちな場所にこっそりと出現している色の王国のようです。

 

ベンチから農道に降りると一面のメヒシバ。
本日は乾いて良い感じに美味しそうです。
草食動物が見たら狂気乱舞するのではないでしょうか。

小さな流れに沿ってまだミゾソバが咲いている。
コロナ禍も荒々しい政治感情も無く、自立的に生活する植物たちの貴さが光る。

 

本日施設巡回が早く終わったので、購入してあった鉄砲百合を植えた。

16球を三カ所に植えた。百合は来年4月に芽を出すまで土の中で成長する。風雪の季節を過ごす土中は案外暖かいのかも知れません。あと1,2種類百合を植えるつもりです。

まだチューリップもあります。
いつもモタモタしてミゾレの中の作業も止む無しですが、今年は早めに切り上げたい、と思っています。

庭が赤くなってきた リュウノウギク レッド・ガーランドの「Rain」。

2020年10月26日(月曜日)

よく雨が降った月曜日。
さほどの寒さではないが、美術館の庭も少しずつ赤味を帯びてきました。

 

夏の間、長く咲いたカシワバアジサイは早めに紅葉を始めます。
北アメリカ東部原産といわれる木は、紅葉もどこか洋風な感じを受けます。

 

真っ盛りのリュウノウギク。
2007年の開館の数年前に植え、その後沢山増えました。
もとはと言えば東京の伯母が富士山麓の別荘の庭から送ってくれました。
60年も前の話ですが、別荘の土地は伯父のゴルフの賞品だったそうです。
時代とはいえトンデモな話として当時聞きました。
鈴を振ったように綺麗な声の持ち主だった伯母。
生前何かとお世話になりました。

 

雨に濡れている本日裏手の庭テーブルと椅子。

 


レッド・ガーランドのピアノトリオで「Rain」。
この人のジャズには温かみが感じられます。
学生時代はじめ若い頃に沢山聴きました。
鐘の残響のような響きを持つ和音や、コロコロしたメロディは彼独特の演奏スタイルです。

10月名残の茶会 虹の上下浜。

2020年10月25日(日曜日)

7月から始めた月末茶会の10月が終わりました。
午後から2回に亘り10 名様にお座り頂きました。
午前中かなり激しく降った雨も上がり、室内三カ所の窓を20㎝ほど開け、進行も簡略を心がけた次第です。
お点前の私は勿論、皆様は飲食以外はマスクをされ、本当に変わった時代になったと思いました。

 

床の軸は9月と同じ、立花大亀師の円相。今月も吉田隆介さんの花入れを用いました。
洗練されたモダンな意匠が茶室に映えます。
10月は風炉の名残り月、それに沿って花も庭の物を沢山入れました。

丸を一筆で描いた円相は禅における書画の様式の一つです。世界の表象や悟りの境地を現すとされ、決まった解釈を避け、見る人に任されると言われます。私は和やかなお席のために、と話してみました。描かれた丸の具合がとても良いのです、

 

風炉先屏風は齋藤三郎筆の父あて消息。
10月は寒さに配慮し、火がお客様に近づくよう風炉釜を長板に置き、
客側にあった水指を左に除ける「中置き」の設えです。

風炉はつい最近、道具を片付けられた方から頂戴したおっとりした道安風炉です。下さったH様、本当に有り難うございました、大切に致します。
水指は二代陶齋、齋藤尚明氏作の辰砂面取り水指の再登場でした。上品な細身の器に暖かな辰砂の色が印象的でした。

 

お菓子は上越市は髙田、竹内泰祥堂さんの「神鈴」です。
鈴の様子が大変可愛く、美味しいと評判でした。

 

路地にお客様の姿が見えると緊張します。

お茶の先生や生徒さん。着物を着たかった、という方。茶席は初めてという方。いつもながら皆様には思い思いに寄って頂きました。粗忽な亭主ですが、お付き合い下さり感謝でいっぱいでした。

 

終わって夕刻になると急に時雨が混じり、風も強まり今どきらしい荒れた空になりました。
虹が現れる予感がしました。
虹を撮るのに電車か海か水田かを迷いましたが、上下浜に向かいました。

 

 

虹は思った以上に美しく、マリンホテルとも相性よく掛かりました。
時刻は午後4時半近くです。

 

覚悟はいいか、とばかり荒れる空と海。

 

むしろ歓迎、と言うように次々とやって来たカモメ。

めまぐるしく変化した気象の一日。皆様と暖かく交わることが出来て良い日でした。
こまやかに水屋を助けて頂いたT先生、いつもながら誠に有り難うございました。

美術館のすぐそばでノブドウが綺麗です。

2020年10月24日(土曜日)

去る10月17日、妙高山の初雪の日の当欄でノブドウの写真を1枚掲載しました。
それがこの数日日増しに色濃くなりました。
これまで何度かノブドウの掲載をしました、
2018年11月1日、 2017年10月4日

しかし今年ほど沢山しかも鮮やかに色づいているのは初めてです。
今年はどこでもこんな風でしょうか。

以下は本日雨中の美術館裏にあるベンチの左手で見た実です。

 

 

 

 

 


様々な色がありますが、紫色がニュアンスとして共通しているようです。
よくもこんなに綺麗な色を作れるものだと感心します。

 

かってノブドウを描いたことがありました。

2000年作で、これまで何度か出した絵です。
これでも精一杯豪華に描いたつもりでした。

 

平成3年、日本橋三越で求めた根本曠子作野ぶどう切貝棗(きりがいなつめ)。
お茶を習い始めて5年目のころでした。
秋に何度も使い、これからもお出しするつもりです。

明日は月末日曜日の茶会の日です。雨降りが続いていますが、日中は止むようです。

ネットで注文した野菜ギョーザ いつか母のを手作りで。

2020年10月22日(木曜日)

メザシと野菜炒めまたサラダの夕食を続けているが、作る妻としてはそれだけでは不満らしい。
基本はそれを軸に次第に変化を加えるようになった。気持ちは良く分かるので、体重を見ながら量で加減をして食べるようにしている。

本日は玄米メザシではなく餃子。
昭和30年代の何年間、節目の日があると、母は思い出したように餃子を作った。
新婚時代を満州で過ごした母は、中国人のクーニヤン(お手伝いさん)から餃子の作り方を教わっていた。

小麦粉を長時間練って寝かせ、小さな麺棒で丸く厚めに伸ばす。抜群に美味しかった餃子は肉もニンニクも無い。
具はキャベツあるいは白菜にニラ、それにみじん切りのタマネギも入ったのではなかっただろうか。ボールの中の具はねっとりしながら、少々シャキシャキもしていた。具はゴマ油が混ぜ込んであったように思う。

初期の肺結核で休学していた高校生の私は母と並んで皮を伸ばし、具を取っては皮で包んだ。
みな揃えば7人、熱いゴマ油がしたたる厚皮の餃子はウースターソースで食べた。

美味しかった本日の野菜餃子はネットで探した台湾製。少し焼きすぎた。
残りは水餃子にするらしい。

 

 

チーズ大根のスープ。

 

 

春雨とレタスのサラダ。

ある夏、父が懇意にしていた先代の陶齋・齋藤三郎さんがお子さんや甥姪たちを引き連れてやってこられた。まだ小さかった当代陶齋尚明さんも一緒だった。
海から帰った子供たちが揃うと餃子を焼いた。
総勢10数人の食べ手。大きな皿いっぱいに出すのが、たちまち空になった返ってきた。焼いても焼いても切りが無く、ついに具が無くなった。すると母は小麦粉で饅頭のようなものを作って出し、それもまた喜ばれた。

本日の餃子は美味しかったが、勿論母のようには行かない。早速別のものをAmazonで注文した。
多分最後は家で作ることになると予想され、上手く再現できればと思う。

とにかく野菜だけ。皮は大きめに厚く伸ばし、ゴマ油をたっぷり使う。油を敷いたフライパンで焼き、ビシビシと焦げる音が始まったらすぐに蓋をとり、餃子の三分の一くらいが浸るように急いで熱湯を掛け蓋して蒸す。ほんのわずか煙が立ったら出来上がり、だったか?

熱いのをウスターソースをつけ、ほおばる感じで食べる。

本日のはネットで探した通販のを食した。
肉無し餃子」で検索すると「にんにく無し餃子」などが沢山出るが大抵肉が入る。ただ「ベジタリアン 餃子」で引くと野菜だけの餃子が出てくる。
ネットに野菜ギョーザのレシピが沢山出ていたので、自作の時は具などを確認したい。

昨日製本した森のトマト畑を、本日昼比較的若いご夫婦が一冊お求めくださった。
拙くはあるが絵でも本でも絵はがきでも、作ったものが売れるのはとても嬉しい。

森のトマト畑を10部追加しました。

2020年10月22日(木曜日)

先月16日に手作り拙絵本「森のトマト畑」を8冊追加して受付に出したことを書かせて頂きました。
ぽつぽつと出ていったのですが、先週お二人の方が一人でに2冊3冊とお求め下さって無くなりました。

一ヶ月で8冊は思ったより早く、感謝しています。昨夜10部出来ましたので、宜しければお手に取ってご覧さい。

24ページ、カラー口絵8枚の文字通り手作り絵本「森のトマト畑」。

内容の
前半
後半
です。

次回より扉を1枚追加して体裁を整え、1冊750円(50円値上げです)にさせて下さい。
運営費の足しになります。どうか宜しくお願い致します。

高齢者に予定があることは大切 過剰?な私の予定 蝶のためにフジバカマを植えた。

2020年10月20日(火曜日)

高齢者に大切なことの一つに予定がある。
在宅、施設を問わず、また経験上母をみていた時にも感じたことだが、高齢者が前向きに生活するために「予定があること」は大切だと痛感する。

何かを待つでもなく、ただじっとしているのは辛く、明らかに心身に悪い。
そのような毎日を重ねれば、現実逃避の側面でもある、自分だけの世界「認知症」への道を歩むことになる。
毎日、月々、週ごと、あるいは来年と、何かしら予定があることは張り合いであり、そのリズムは心身を活気づけ、生活実感を感覚できる。
その意味から体がある程度利けば畑や庭、プランターでも良い、これらをかまうことは予定が生まれ、外気にも当たれる。

主として生活介護を支援するデイサービスも予定の点で大変意義がある。
デイのメニューは良く考えられ、スタッフもスキルが十分で、初めに渋った人も次第に喜んで通うようになる。
それに比べ、泊まって利用するショートステイでは、ややもすると本人に我慢の試練を払拭できない。長年の見聞で、もっとこまやかにかまってやってほしい印象を受けるのである。

残念ながら時にデイを厭がる人がいるのも現実である。
制度上、主として集団的に対応される傾向がある現行の一般施設にとって、外気浴とともにもう一段突っ込んだパーソナルな部分の充実は、今後の大きな課題であろう。
将来に向けて、国および本人・家族ともに本気で現実を検証し、人生設計を考え改良を重ねて前進することが強く願われる。

私個人といえば良い悪いを別にして、かなり過剰な予定の中で生きている。すべて自分がもたらした日常なので文句は絶対に言えない。その維持にはただ一点、健康への留意だけしか頼るものがない。
そう言い聞かせながら来年の庭に蝶が寄ってくれるのを期待して、日曜日に買ったフジバカマ三株を本日昼に植えた。
これまで植栽したブッドレア、ホトトギス花に加えてフジバカマも蝶が寄ると言われる。
良いことにみな丈夫そうな花だ。
これを庭の西奥と北の二カ所に分けて寄せ植えし、来年を待つことにした。

どのように育つのか、春~秋へ万一蝶が来たなら、是非ともここでお伝えしたい。

赤い普通のフジバカマが二株。

 

白花のフジバカマが一株。

柏崎市のドナルド・キーンセンターを訪ねた 今井翔太、駿哉ご兄弟の作品 帰路の福浦八景。

2020年10月18日(日曜日)

本日日曜日、念願かなって柏崎市、ドナルド・キーンセンターを初めて訪問した。
同センターは樹下美術館の少し後に開館している。
まったく格上の同センターを訪ねるのに10年の歳月を要した事になる。遅くなったがその間に年を取り、偉大なキーン氏を少しく理解できる仕度をしていたのかもしれない、という言い訳を許して頂きたい。

センターは想像以上にスケールが大きく、目的が明瞭で、知的な文化漂う場所だった。それはとりも直さずキーン氏自身のエッセンスの現れであり、センター設立者のキーン氏に対する敬愛と深い理解がそうさせているものと思った。

自国の文化価値は自国人の理解だけではまだ足りない。国際的な研究と俯瞰が加わっていっそう価値の普遍性が高まる。
キーン氏がこの国の文学を研究し世界に向けて多数発表され、多くの作家、文化人、国民と広く親交を結んだのはまことに貴重なことだったにちがいない。

氏の足跡を示す展示は大変分かりやすく充実していた。こまやかな資料蒐集と展示構成とともに、傍らのキャプションは誰が書かれたのだろう。ご苦労と内容の明瞭簡潔さに深く感銘を受けた。

 

やっとたどり着いた今日のドナルド・キーンセンター。

 

ロビーでは今井翔太、今井駿哉兄弟の展示イベントが行われていた。

 

駿哉さんの立体と版画の現物ほか、広大なインスタレーション作品の写真も。

 以下は翔太さんの絵画。

 

色と形象に深みと重量感がある絵画。

 

表現が異なるご兄弟の作品は、ともに精神性と時間要素が重なり、印象的だった。

 

展示順路の口に建っていた鮮やかな柱。
ここから先はマナー遵守で撮影をしていません。

 

よく手入れされたバックヤードの芝生。

 

 

芝生の通路を上がると和風の設え。

 

 

ゆったりしたロビーで一休みした。

 

 

キーン氏の著作を中心に図書が充実しているショップ。

 

 

ショップで求めた本。
左から別冊太陽「ドナルド・キーン 日本の伝統文化を想う」 2017年9月25日平凡社発行。
真ん中は常設展示図録「ドナルド・キーンセンター柏崎」
2013年9月20日 ブルボン吉田記念財団発行。
右「石川啄木」著者・ドナルドキーン 2016年6月10日新潮社発行。

 

バックヤードを歩くとすぐアカタテハ蝶が飛んできて塀に止まった。
いつかの武相荘でもそうだったが、記念施設の庭で蝶をみると、
かつての主が遊んでいるのか、とふと想ってしまう。
また柿崎海岸で千鳥をみると母かと思ったりもする。

 

 

懐かしい柏崎マリーナを入り口から覗いてみた。
出来たばかりの昭和50年中頃、
私たちの30フィートヨット「オレンジペコ号」をここに係留していた。

以下は本日の福浦八景と恋人岬。

 

この一両年、庚申塔や天神様街道の探訪、市立博物館や木村茶道美術館訪問など、何度も柏崎市を訪ねた。
同市は歴史と神仏が厚く、多くの文化人やスポーツ選手、さらに様々なコレクターを生んだ貴重な文化都市だ。

世の中が偏狭と目先利益や見た目に夢中の昨今、求めるべき幸福が遠く薄くなるのを漠然と感じる。
文化と教養は幸福を求めて歩くために履く、歩き心地の良い丈夫な靴かな、と思う。

今日、文化豊かなドナルド・キーンセンターでは気づかされることが非常に多かった。
館内奥にあったキーン氏の再現書斎でなんとも居心地の良さを覚えた。
求めた本も楽しみにしたい。
御地がいつまでも心安らかに訪れることが出来る街であることを祈っています。

寒かった日の見聞 皆様に感謝。 

2020年10月17日(土曜日)

本日は朝から寒い一日だった。
午前の仕事を終えて美術館に向かう道で、妙高山山頂に雪が見えた。

雪は谷すじに溜まり、ちょっぴりであり冠雪というより初雪のイメージ。
しかし例年より相当早く降った模様で、今冬の寒さが案じられる。

 

美術館裏から撮った山頂。

 

 

午後3時ころ、買い物帰りの妙高山。
ホームセンターで芝生の肥料や百合の球根と咲いているフジバカマを買った。
フジバカマも蝶が寄る花なのでブッドレアのそばに植えたい。

以下午後から目にしたものです。

裏のベンチ脇で沢山実をつけているノブドウ。
ある種のハチが卵を産み付け、その実だけがこのように色づくらしい。

夕刻に尊敬するコレクターのA氏が見えた。
お持ちになったスプーンは、先ほど手に入れたばかりのイタリアのアンティーク。100年ほど前のもので、コーヒー豆の計量スプーン。
良い感じに使われ、各部のカーブとバランスが何とも言えず美しい。
如何にもイタリアという感じでしょ、と言うニコニコ顔のA氏。センスの良さにはいつも感心させられ、美学の専門家と言ってもいい人。
仕事帰りの俳句のA氏も加わって、しばらく四方山を話した。

 

コレクターズアイテムとしてスプーンは奥が深そうだ。

閉館後西方の空低く僅か雲の切れ目が見られ、綺麗な夕焼けの予感。
近くの水田へと出向いてみると、いっとき紫色の世界が現れた。

 

東の米山は変わった形の雲が浮かび、童話のシーンのようだった。

 

西の妙高連山と雲も紫色。

 

帰路の潟川。

 

本日夕食のメザシ。
このほかに玄米ご飯にサラダとおでん風の煮物が出た。
軽い朝昼とメザシ&野菜中心の夕食にして45日、
54,7キロの体重が2,5キロは減った。
減り加減が早いため、夕食のおかずを少し増やした。

ちなみに朝・昼はヨーグルトとサラダに紅茶が基本。多目に動く日は8枚切りトーストを1枚加える。
このような食事は一般に勧められないかもしれませんが、味覚が鋭くなり、ゴルフが良くなり食後の眠気も無い。年の多い私には合っていると感じている次第です。

 

仕事場の夕食どき、外でドンドンと音がした。鵜の浜温泉の花火が見えてカメラを向けた。

本日夕刻近く、柏崎の方達がお見えになり、熱心に展示をご覧頂いた。その後カップが楽しみと仰りカフェでゆっくりして頂いた。
午前に来られた方が「森のトマト畑」を二冊お買いになったと聞き、有り難く思った。

さまざまにスマホを楽しまれた若い女性お二人の様子は、スマホが上手く使えない私には羨ましい光景でした。
多く留守をしましたが、皆様ご来館有り難うございました。
明日は暖かくなるということです。

常時玄関扉を6.70㎝ほど、カフェの窓を20㎝ほどを、晴れていれば天井の排煙孔を開けていますが、新しい二基のエアコンのお蔭で館内はほどほどに暖かく、助かっています。

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