初めてタブレットを手にした 高齢者の新規挑戦と過去伸長。

2021年2月27日(土曜日)

私の仕事もコロナに関係して会議や講演会が縮小されている。
そもそも近時、それらとは縁遠くなっていたが、コロナの状況だけには何とか追いついて行かなければならない。それで次々に届くデータや報告書あるいは案内などを息切れしながら何とか読んでいる。

そんな折、とうとうリモートによる重要な説明会が予定され、そのための仕度をしなければならなくなった。自分の末端はデスクトップとかんたんスマホなのでカメラとマイクが必要である。
そこで長くお世話になっている(株)信越情報のK氏に相談した。
色々考えて下さった結果、タブレットを提案された。決まったのが64GB、10,9インチのiPad Air(第4世代)だった。本日K氏によって実物が届き、恥ずかしいくらい格好いいインカムや指触りの良いキーボードを付けてもらい、恐る恐るズームのテストも終わった。

ところで長年、美術館の収蔵作品や撮った写真などを即座に人様にお見せする必要を感じていた。それらは何とか口で説明することも出来たが全く不十分だった。これを機会に今後タブレットで大きく示すことができ、今更ながら仕事に励みが生まれることになった。

 

これに簡単スマホを加えてどうにか今様の三種の神器が揃った。

本日のように新しい機械の操作を教えてもらう場合、聞いている時は何となく出来るが、一人になって色々やってみると上手く行かない。
要点をノートに取っていたはずなのにそれが役立たず、そもそも肝心なことはノートにも取っていない。今後これまで同様、つかえた所を試行錯誤とご教示のお願いをしながら、素晴らしいマシーンをちゃんと使えるようにしたい。

ところで、年して新しいことを始める場合、掛ける時間の割りに思ったように能率が上がらない。比べて、以前身につけた事ならさほどもたつかずに出来る。
それで言うとよほど必要があれば別だが、残り少なくなる人生では、これまでやって来た事を伸ばす、あるいは磨くことを選ぶ方が こと創造的な面に関しては、成果が上がるように思われる。

万事おくてで、追いつけないことばかりの中、少なくともタブレットとリモートの基本だけは身につけて仕事に生かせればと、心底願った土曜日でした。

ドック健診 無印良品のほぼ70才以上限定ラーメン。

2021年2月25日(木曜日)

快晴ではなかったが穏やかな日よりだった本日、午後1時近くから上越医師会検査センターでドック健診を受けた。
例年今ごろの年度末、あるいは新年度前、という時期に妻と受けている。

体型は全く前年と変わらず腹囲78センチ、BMIは20,6だった。数十年わずかな問題があるので、生活の気遣いは続けたい。細部は後日の通知だが、最初の関門通過を喜んだ。

終わって懐かしくも長年世話になった事務長とワクチンなどコロナのことを話して遅くなった。

 

年に何十回も通い続けた上越医師会館を振り返る。
本日は私達が最後で、混んでいた駐車場がすっかり空になっていた。

朝からの絶食は大して苦にならなかった。
例年終わると近くの回り寿司に寄るのだが、本日は直江津の無印良品で念願のラーメンを食べた。

 

ほぼ70才以上限定という「ほっこりラーメン」は税込み300円。
このように軽く少なく単純というだけで、自然に口元がほころぶ。

年を重ねて、次第に「体に合うこと」が美味しい基準と実感になってきた。

 

のどを潤したお茶。

直江津に来るとやはり船が見たい。

 

比較的大きな貨物船が接岸していた。

直江津で豪華客船を見ることはまずない。しかし貨物船やその他の小型船舶にも旅情があり、特に夕方の船の明かりは嬉しい。

 

帰った樹下美術館は更に雪解けが進み、全体の半分ほどが融雪し地面が顕れている。良い開館ができるように準備が忙しくなった。

モチにフキ味噌。

2021年2月24日(水曜日)

一昨日美術館の土手で採ったフキノトウ。今日は昼食にフキ味噌としてモチに付けられて出ました。

 

一昨日のフキノトウ。

 

急いで咲く花も可愛い。
南向きの土手はまことにフキノトウ向き。
例年早くから採られてしまうところ、今年は沢山あった。

 

右は割った鏡餅。美味しく食べました。

スーパーで4個150円で出ていた、と妻が言いました。それで言うと1500円くらい稼いだかも知れません。美術館産のものは不揃いですが、天然ものならではの風味がありました。

本日とは打って変わり明日は晴れるようです。

昨日の春陽 海面を見て飛ぶカモメ 衝突しないのが鳥の条件の一つ 1人から始まったコロナ災禍。

2021年2月23日(火曜日)

昨日の晴天が一変、今日は荒れました。

昨日昼の春陽を思い出し大潟水と森公園を2枚足してみました。

 

豪雪によって公園を取り巻く今年の鵜の池は水量が多いかも知れない。
水かさが多い公園も見てみたい。

以下は時折陽が射した午後の大潟漁港のカモメです。荒海など全く気にしない、むしろ喜んでいるフシさえありました。
写真を見て分かったのですが、飛ぶ時は前を向いているとばかり思っていたのですが、海面を見ているようです。絶えず餌を探しているのでしょうか。

 

 

ぶつかるように見えますが、多分右のが前を横切っているのでしょう。
大きさからも、左が前とはちょっと考えられませんが如何でしょうか。
(そもそも遠くをズームで撮りましたので見た目以上に離れているはずです。
鳥同士が空中で衝突することは、まずあり得ないと思われます。
もしもぶつかるなら、それは鳥ではない、と言うくらいの約束ごとなのでしょう。
何百羽という群が一斉に飛び立つ時、衝突が起きるのも見たことがありません。

 

本日、上越市で8人のコロナの報告がありました。
全国的に減ってきているようですが、過日のニュースで新潟県はくすぶっている8つの地域の一つに数えられていました。

ところで、いくつも条件が重なったはずですが、そもそも一人から世界に拡がった新型コロナウイルス禍。
減っているとはいえ簡単に緩めていいものか、難しい問題です。社会の集団免疫が成立していない現状であればなおさらです。
ワクチンの評価が高まっていますので、それが終了しても一定の用心をした方が良いと考えられますが、どうでしょうか。

昨日、本日とも暖かい 雪解けの美術館とフキノトウ。

2021年2月22日(月曜日)

昨日今日と暖かく、本日など髙田の最高気温が17,5度とあった。

以下は昨日の美術館周辺の様子です。

 駐車場が現れ始めた。

 

美術館入り口も自然に融雪している。

 

庭で顔を出したクリスマスローズの蕾。

 

裏手の農道。

 

土手ににフキノトウがいっぱい。

 

洗った。

 

九州のサツマイモとテンプラに。

残ったものはフキ味噌になるらしい。

 

明日また荒れると聞いたがピントこない。本日昼休みに大潟水と森公園を歩いた。

在宅回診の帰路、鵜の浜人魚館裏手からの眺め。

今年の樹下美術館の展示ご案内その3 倉石隆の「自画像 自己投影の像」

2021年2月21日(日曜日)

人物画をライフワークとした倉石隆は、折々に自分を描きました。
但しそれらには「自画像」のタイトルはありません。他のタイトルで自分を表象させたのです。

背が高く俳優のようにハンサムだった倉石氏ですが、描かれているのはどこか滑稽で空疎、あるいはユニークです。一点作品「見つめる」は正面からちゃんと描かれていますが、「マリオネット」などは壊れたあやつり人形に自分を重ねています。

 

優れたデッサン力と自在な表現を有した芸術家は、なぜ自らを矮小し、シニカルに描こうとしたのでしょうか。是非ご本人に尋ねたいことでした。しかし2002年、初めてご自宅を訪ねた時、倉石氏は重い病によって言語や運動がご不自由で願いは叶いませんでした。
「これは誰を描いたのでしょう」、面白そうな人物作品をよく奥様に尋ねました。
すると、
「多分主人でしょう、自分なんです」と決まったようなお返事が返りました。

人には想像できない自分、自分しか知らない自分、、。
告白に似たそのような絵こそ倉石氏が描きたかったもののように思われます。だが創作活動で、自己を問い詰め晒すことなどは容易に出来ることでしょうか。まして他者をおなじようにして描くのは極めて困難な作業だったはずです。
それには人間の普遍や属性について一生懸命考えなければなりませんし、哲学の課題にほかなりません。

一方、こどもたちや若い女性については、心のおもむくまま楽しそうに描きました。しかしそれが終わるとすぐまた自分に戻るのです。繰り返しは挑戦か一種修業のように見えます。

しかし折れることのない自己追求は、次第に表現者として精神の芯と力に変わったにちがいありません。
(たとえ描かれたものがピエロであれ壊れた操り人形であれ)
そんな氏が、円熟に入ったと言われた71才で重い病に襲われるとは、誠に残念な事でした。
だが苦闘を越えて残された作品それぞれに、真摯な足跡を見る時、氏の幸福も思い浮かぶのです。

「自己追求」は「人間追求」にほかなりません。
氏が描いた自分は、どこか私達も理解出来る印象をもたらします。
芸術家として氏は忍耐と勇気を以て立派な道を歩んだと、あらため畏怖を覚えます。
展示は8点ですが、どうか作家の心を想像しながら楽しんでご覧下さい。

 

さて最後に晴れた本日、新柿線の東の水田に存分に陽を浴びる白鳥たちがいました。

 

 

 くわんくわんな顔は随分きれいなり、ほぼ名前の通りの姿になっていました。

今年の樹下美術館の展示ご案内その2 小島正芳先生の講演会「齋藤三郎の絵と書」。。

2021年2月20日(土曜日)

昨日は今年度の陶芸展示のテーマ「齋藤三郎の絵と書」のお知らせをしました。
本日はそのことに関係する講演会「齋藤三郎の絵と書」のご案内です。

講師は昨年11月の講演会に続き、全国良寛会会長の小島正芳先生です。
先生は髙田にありました新潟大学教育学部書道科をご卒業されました。これまで数多くの良寛の書物、論文を執筆され、昨年から全国良寛会の会長をされています。学生時代に齋藤三郎の講義を受けられ、以来今日まで斎藤三郎を深く敬愛し、作品に魅了されていらっしゃいます。

 

本日は晴れたり曇ったり、夕刻から冷たい風が吹きました。
明日は一転暖かく良く晴れるようです。
なかなか雪解けが進みませんが、これからのお天気に是非頑張ってもらいたい所です。

明日のお知らせは、倉石隆の「自画像 自己投影像」です。

今年の樹下美術館の展示ご案内その1 陶芸は「齋藤三郎の絵と書」です。

2021年2月20日(土曜日)

雪よ、コロナよ、と言っている間に暦はタッタとめくられ、2月は下旬になりました。
3月15日は今年の樹下美術館開館日。
本日はホームベージ向けの展示お知らせのバナーと、倉石隆、齋藤三郎両氏のお知らせファイルを作りました。
ご案内その1としまして、以下今年の齋藤三郎の展示「齋藤三郎の絵と書」のお知らせです。

今年の齋藤三郎展示に関係しまして、昨年に続き全国良寛会会長の小島正芳先生から「齋藤三郎の絵と書」の演題でご講演を予定しています。
明日はそのお知らせです。

もはや白い鳥とは言えなかったくわんくわんのコハクチョウ。

2021年2月17日(水曜日)

二日続きの寒波だが、沿岸の仕事場界隈はわずかな雪で済んだ。

本日の通り。

午後は休診の日、昼食後寒風の空の下、白鳥はどうしているだろうと車を走らせた。

過日かなりの白鳥を見た吉川区長峰に想像よりも沢山集合していた。

 

このほかに小さな群がいくつも見える。

 

オオヒシクイも一緒だった。
この鳥の色合いはなかなかお洒落。マガンとは嘴と顔で区別できる。

 

食餌に熱中するコハクチョウ。

 

 

頭を突っ込み田に残る稲の株や根を食べていると考えられる。

 

顔や首は泥で真っ黒。
嘴の色から手前は若鳥で向こうは親鳥。

 

 

急に群全体に緊張が走り、立ち上がってソワソワし始めた。
何があったのだろう。

 

後ろに大きな通学バスが停車していた。こどもたちが見た後間もなく通過した。
鳥は走る車をさほど恐れないが、停まると緊張する。
大きなバスに群全体が反応したらしい。

 

食餌の合間に鳴きあわせをする。
コハクチョウといえども翼を広げるととても大きい。

 くわんくわんの顔。
顔の周りにいっぱい食べ物を付けてほおばることを、
“くわんくわん”と言うのを東京時代に何度か聞いたことがある。

 

痒いのだろうか。

 

泥だらけで、くわんくわんどころではない。

豪雪で朝日池が閉じてしまい、ねぐらを失った白鳥たちは髙田のお堀や県外まで避難した。今池が空き、田で餌を取れるようになった雪解けをどうして知ったものか、順次戻ってきている。犠牲も出たと考えらえるが、本日案外太っているのを見て安心した。

鳥たちは朝日池にほど近いこの長峰の田によく集まる。
暮れて池に帰ったなら、十分水浴びや毛繕いをして汚れを落とし、また白い鳥に戻ってもらいたい。

豪雪など先に何が起こるか分からない野性の生活。鳥たちが食べられる時に際限なく食べるのは、万一の飢餓に備える摂理が働くのだろう。この度の豪雪に対しても、直前まで蓄えた栄養によって耐えたと考えられる。

二回目の寒波。 

2021年2月17日(水曜日)

外れるのが普通だった昔の天気予報と違って近時の予報はピタリと当たる。それで予報の事を、当たるとか外れるなどいう言い方をしてはいけなくなった。

その当たる予報どおり今日は降った。特に昼からは本降りとなり施設行きで何度か除雪車を見た。

 

 本日昼の樹下美術館。

 

同じく大潟区蜘蛛ケ池。

 

苺の香りのチョコレート。
毎年義理堅い施設の看護師さんたちから頂く。
有り難うございました。

さて今回の寒波も相当強そうだ。
だが空は1月の豪雪で雪を使い過ぎているので、あれほどまでにはならないのではと思っている。

明日も降るようであり、念のため手を貸して頂ける方に明日朝の除雪をお願いした。

夕霧の水田 昔の運動会のアベックレース。

2021年2月15日(月曜日)

夕刻の在宅回りの田舎道で低く霧が立っていた。同行の看護師が言ったように幻想的だった。

さて話変わって、過日はDVDの大映映画「湯島の白梅」を書かせて頂いた。悲恋の主人公はお蔦と主税。
この二人で思い出したのは昔の地域の運動会だった。

その運動会は毎年行われていて、大人が主役だったように思い出される。種目にタバコレーズやしゃもじレース、パン食い競争、あるいは借り物レースやアベックレースなどのアトラクションがあり、学校のとは違い、見ていて楽しかった。

特にアベックレースが面白かった。
ヨーイドンで走るのは男性で、まず途中に並べられている紙を拾う。紙には有名な男の名が書かれている。観客席の女性たちには、走ってくる人が手にしている人の相手になる女性の名が書かれた紙が配られている。

やって来た男性が、オレ勘平、勘平!と叫ぶと、オレお軽、お軽!と言う人が出て行き、手を繋いでゴールした(当時男女とも自分をオレと言っていました)。組み合わせは、ほかにロミオとジュリエット、お宮と貫一、お蔦と主税、お光と吾作などがあったと思う。

時には走る人と待つ人の組み合わせが分からないことがあった。するとまわりの物知りが、貫一きない、きない!ここにお宮がいるすけ、早くきない!などと言って二人を引き合わせるのである。

相手探しで盛り上がり、手をつないだ女性が恥ずかしそうに走り、誰かが転んでは盛り上る。
ロミオとジュリエットはともかく、人物たちは金色夜叉、仮名手本忠臣蔵、湯島の白梅、佐渡情話。ほかにもあったかもしれないが、歌や映画あるいは芝居や浪曲で広く知られていたように思われる。

だが今これをやったなら、どんな組み合わせをするのだろう。全く見当がつかないうえ、そもそも男女に手を繋がせるのも問題になりそうだ。

中高学時代までは目にしたと振り返られるアベックレース。かっての大人の運動会は牧歌的でどこか文化的だった?

旅情の十日町博物館行き ローマの休日のラストシーンとマイ・ファニー・ヴァレンタイン。

2021年2月14日(日曜日)

昨年6月に移転新館を開館させた十日町博物館
かねて良い場所と知人から聞いていた。今週末は晴天の予報が出て、待ってました、と本日行ってきた。前々から十日町へ行くならほくほく線でと考えていた。本日車を犀潟駅に置き、10時過ぎの普通電車に乗った。

犀潟を出て間もなく、雪の頸城平野の東西に米山、尾神岳そして妙高連峰が美しかった。
およそ50分で十日町に到着。

 

乗ってきたラッピング電車。

 

東口へ出て早い昼食にてんざるを食べた。
駅前の繁華街は雪も見えずからりとしていた。

食後西口に回って博物館へ。

 

東西を結ぶ地下通路入り口にあった石彫は良い感じ。

 

階段を上り西口へ。

 

するとこちらは大雪の名残が保存?されている。
これは歩道で、右側のさらに右に除雪された車道がある。

 

旧博物館や体育館、情報館などがある文教地区の博物館に到着。
雪の中の真っ白な建物は一種エキゾチックだ。

 

自ら「究極の雪国」と名乗って日本遺産の認定を受けている。
この高らかな割り切りこそ、ものごとの基本だと思った。
概念がしっかりしている十日町に可能性を感じた。

 

入場後すぐ十日町の紹介ビデオを観る。

常設展示は「縄文時代と火焔土器のクニ」「織物の歴史」「雪と信濃川」の三部がある。
最初に火焔土器のクニ、から観た。数多くの国宝が含まれ、特異な美とみなぎる力に驚き心打たれる。

 

 

 

 

話に聞いた貴重な土器は穏やかな照明のもと、大変丁重に飾られている。

 

ある作品の頭部。

 

 

独特な美意識への徹底したこだわり。
漂う不思議なバランス感覚。

こだわりは先史時代の世界感、生死館、宗教観、美意識等々多様な観点の集合が生んだものと理解された。それには階級の象徴あるいはまつりごとの用具としての意味も込められたようである。
おどろどろしい外観は一種魔界の神秘に通じる神性を帯び、厳しい自然や霊魂が如何に生活と近かったか、を想像させた。
まだ長岡市の火焔土器を観たことがないが、写真で比べるとこちらの方が幾分穏やかな印象を受けた。是非とも長岡市の収蔵品を観たいと思った。

勉強しなければならないことが余りに多く、ますます寿命との競争が激化しそうだ。この年でそれは大変であるが、まず楽しむことを考えて臨みたいと思う。

次は生活、とくに女性の仕事、あるいは機織りの展示だった。。

 

かっての農家の展示。
リアルな人形がコタツで針仕事?をしている。
土間では夫が縄仕事をしたいた。

 

なぜかその女性の髪が気になった。

そして機織り。

弥生時代の原始的な機織り。
温かそうなチョッキが再生展示されていた。

 

上杉謙信の時代から一気に麻織りがさかんになり、江戸時代になると絹へと移行したという。

 

大型の機織り機械。

かって松代ご出身のおばあさんは、二年間の教習を受けて祖母が使ったきりの大きな機織機で絹を織ったという。兄の嫁取り用に背広生地を織り上げたなど、貴重な話を聞かせてもらった。手前の大きな織り機だったのかと想像した。

最後に企画展「マジョルカ着物と黒羽織」を観た。織物は流向に激しく左右される。十日町では、戦後にマジョルカ陶器にヒントを得て華やかな色模様の着物を流行らせている。実物とともに雑誌や映画とタイアップして強力な宣伝活動を展開したことが示されていた。

黒羽織は独特であり、花模様が闇に浮かぶ着物は強く人目を引いたことだろう。

 

さて十分楽しみながら十日町という文化に触れることが出来た。

 

文化は信濃川が生成した地勢と、雪国の極みに磨かれて育ったものにほかならない独特さを滲ませていた。

 

十日町駅二階は市の観光課が入るなどユニークだ。
フリースペースで学生さんが勉強し、カウンターでひと休みしていた。

 

帰って来た犀潟駅。

午後のひと時、楽しみながら十日町の一端に触れた。私の狭い世界からすればそれでも旅情十分だった。

最後に昨日の続き、本日ヴァレンタインデイにちなんで「ローマの休日」の映像を使った「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」です。
歌っているのは前半がリンダ・ロンシュタット、後半がロッド・スチュアートです。


最後に訪れた公式の会見シーン。眩しいばかりのオードリー・ヘップバーン。
密かに公私が行き交う会見で、王女はローマが一番と述べる。
記者たちに礼をと言い、握手をして男に別れを告げる。
目で応答しあうグレゴリー・ペックも本当に素晴らしい。

戦前からヨーロッパ共同体は議論されていた。戦争が終わるといよいよ具体化し始める。1953年制作映画の質疑シーンもそれを窺わせていた。
あれほど嫌っていた公務を、見違えるほどの誠実さでこなす王女の成長が描れ、シナリオも良く練られている。

後年戦渦の孤児救済に勤しんだオードリー・ヘップバーンは多くの貴重な言葉を残している。
“自然ほど心を癒やすものはない”という意味の言葉にはとても感動した。

さて会見を終えた男が一人歩くシーンは、現実への逡巡を物語りほろ苦くも大変に印象的。

十日町は分けて書くつもりが一回となり、長くなりました。

道がついた大潟水と森公園 戻って来た水鳥たち 「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」。

2021年2月13日(土曜日)

好天の今日は大潟水と森公園を歩いた。
去る1月18日に行った時は豪雪によって南のトイレ棟まで200メートルほどの道だけだった。それが本日ほぼ全周出来るまで除雪が進んでいるようだった。

好天の週末、多くの人が歩きソリ遊びに興じる子供達の声が響いていた。

 

西駐車場の入り口も除雪されている。

 

 

分厚い雪に覆われていた鵜の池に水面が現れていた。
湧水と雪解け水が一緒になってゆっくり流れている様子。

 

 

 

 

園内は雪解けが進み、春の仕度が始まっている。

 

さらに道をきれいにしている。

 

 一帯の田や朝日池も水面が現れ水鳥たちが戻って来ている。

 

1週間から10日はお腹を空かせたことだろう。
吉川区長峰の水田で一心不乱に食べるコハクチョウ、マガン、オオヒシクイ。

 

さて明日ヴァレンタイン・デイ。
以下は私がよく聴いた昔の歌手の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」です。


ペリー・コモの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
1961年予備校に入った年に初めて買った25センチLPに入っていました。

 


イーディー・ゴーメの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
1960年代に2回グラミー賞に輝いた人。
仲の良い夫スティーブ・ローレンスとのデュエットも評判でした。

音楽の好みはほぼ30代までのものが生涯続くと、何かで読んだことがあります。それは如何ともしがたく私にも当てはまり、本当に困るほどです。

昨日カモメの写真を沢山撮りました。

2021年2月12日(金曜日)

昨日は有り難い休日。
浜っ子の私は、子ども時代から春は海からで、毎年春めくと海へ行った。行っても特別なことは無いのだが、冬から解放される感じが良く、晴れやかな気持になれた。

昨日はまあまあの空、車で10分少々はいつもの柿崎の海だった。
海では見たことが無いほど沢山のカモメの群を見て写真を撮った。撮りすぎて整理がつかずブログのアップが今日になった。

さて写真です。

いつものように西に向かった。
矢印の柿崎川の突堤にカモメがいた。この時は気づいていない。

数百メートル手前で突堤にチラチラ動く白い鳥の影が見えた。

近づくとカモメの群。

おびただしいカモメが飛んでいた。

 

突堤から見た柿崎川にも沢山いる。

砂州で休むものと手前の川に並んで浮かぶものがいる。

浮かぶ一群はぷかぷか流れに乗って河口に向かう。

河口の波が来る所で多くは飛び立って引き返し、列の後方に付く。

列の後ろに来たカモメが着水する。

 

いっしょに流れていく。波のリズムが気持ちよさそう。

 

間もなく群は一斉に飛び立った。見ていた私に反応したのだろうか。

 

 

一部が残り大部分は向こうの砂浜へ行った。

 

 

突堤はカモメの糞がいっぱい。

20か30羽くらいの群はよく見る。しかし本日はゆうにその10倍以上はいたと思う。飛翔するもの、砂州で休むもの、川に浮かぶもの。およそ三つの斑に別れて過ごしていた。

沢山集まっても餌をあさるわけでもなく、ひたすら飛ぶ、あるいは佇むほかプカリプカリと流れに乗って遊ぶカモメたち。何故ここなのか、何しに集まったのか、さっぱり分からなかった。

しかし大声で鳴くものも争うものもなく、なんだか大人だな、と思って見ていた。

種類は大部分がウミネコで一部オオセグロカモメ。茶色のまだら模様が入る若鳥たちも沢山いました。
もっと大規模な群があるようなのでいつか見てみたいと思います。

雪が降った日の看取りと訪問 自分と皆様の今昔。

2021年2月9日(火曜日)

気温は2度ばかりで寒く、日中雪が交じった。春遠からじと言ってはみたが冬も粘っている。

時々仕事めいた事を書かせて頂いているが、一昨日深夜に続いて本日午後また看取りがあった。10年在宅で診ていた方は、優しく笑む細身のおばあさんだった。
昨日いつ止まるか分からない呼吸のなか、耳元でお名前を呼ぶとほんのかすかに口元が動いた。このような時、「又来ますからね、安心して」としっかり告げて額を撫でる。

およそ看取った後、親は諸般忙しくせざるを得ない。一方、ひっそりした部屋で、お孫さんが目を赤く泣きはらして亡きがらに添っていることがよくある。
お孫さんと祖父母の関係は素朴で暖かく、そして短い。感受性も強いので余計に辛く悲しいのだと思う。

 

続いて向かったのは小高い場所のお寺さん宅。

 

道路脇が除雪してあり、そこに車を停める。

 

先を行く看護師。

 

上ってきた階段を振り返る。

到着すると、
いま先生が看取ったところと、電話がありました。そう言って住職が身支度を整えていた。ああ、みんな繋がっているんだ、とデジャブに似た感覚がした。

話はその昔、開業して10数年間は、慣れぬ手付きで頭や手や顔を縫ったり、子どもたちも沢山診て、100を越える胃癌も見つけた。近隣に若い医師の開業が相次いだ後、介護保険がはじまり一時在宅医療が一段と拡がりをみせた。その上施設の出向も加わったので、今日まで6~700の看取りをした。

そもそも45年もやれば、当初40才の方は85になり、8才の子は53才になる。確実に自分も相応であるはずだが、なぜか60代半ばの感覚がよぎるのである。

90才代の方に年を尋ねるとしばしば40と言う人がいる。自分もそのように答えるのではないかと思うと、今から気恥ずかしい。

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