25年初日 A君の書と芸術。

2025年3月15日(土曜日)

本日、2025年度の開館を迎えた。肌寒い日にもかかわらずご来館の皆さま、有り難うございました。お馴染みさんは冬の間に健康に過ごされたと見受けられ元気なお顔に安心しました。

その中の一人、中高時代の同級生A君ご夫婦と一緒して観て回った。それまで熱心に付き合ったことが無かったのが2007年の開館からよく顔を見せてくれるようになり、この数年は月に何度も来てくれる。
新潟大学教育学部書道科で学び、夫婦で2年間ドイツの日本学校に派遣され、県内の校長職と教育委員会の要職を歴任している。堅い肩書きを有しながら屈託なく万事謙遜の自然体、一緒する時間の話は勉強になり尽きない。

互いに年なのだが今のところあまり同じ話が出ないのはまださほど惚けていないのかもしれない。

齋藤三郎「搔き落とし牡丹文水指」
と風炉先屏風にした消息。

本日展示を観て回りながら“俺はまだ書いているがどうしても芸術的にならない”という事を盛んに口にした。“大体書を芸術に入れない分類まである”と言い、「しかしそれを意識するとわざとらしくなるしね」と話す。

対して“書の文字が持つ意味は芸術として大きなアドバンテージ”とういような事を返すと、“同じ書でもここにある齋藤三郎さんのようにどれを観てもその人らしい自然な味わいを出せれば”と言う。
“いやいや、もっとと思う気持ちは大事だが、自分らしさは、すでに出ているのでは”などと続けた。

妻同士も友人なのでカフェでお茶を飲み高校時代の学校火事にまつわるエピソード、学生時代の先輩後輩のありさま、小林古径記念美術館で始まる写真展の作家濱谷浩氏や朝夫人の話などに時を忘れた。

因みにA君は7年ほど前に遊心堂で個展を行っていて樹下美術館でも「喫茶去」を収蔵している。書は立派な芸術であり、作者が満足し何より人に喜んで貰えれば一大幸福ではないだろうか。

A君(一嶽)の「喫茶去」
とてもいい。

話しながら思った、こうなったら来年はA君の書と私の植物画で二人展をやろうと。一昨年に拙作品展を行っている。だが良いではないか、こうして顔を出してくれる級友は益々貴重で本日の話など芸術家の悩みそのものだ。館長の我が儘を許して頂きぜひ来年は一緒にやろうと思った。

ますます謙遜と向上心を秘めるA君に出会えて幸せだと思った。

明日から2025年度の開館。

2025年3月14日(金曜日)

明日から今年の開館。昨年12月15日、冬期休館に際して来年の開館までの3ヶ月は“長いようだがあっという間だろう”、というような事を述べました。まだまだある、と考えていると例年文字通りあっという間にその日を迎えることになります。

今年は小山作之助生誕160周年と茶道の会の講演があり、気分はゆっくりではありませんでしたが、一方で冬鳥の探鳥を精一杯行うことが出来ました。

今年の二人の作家の展示趣向は、倉石隆「男性像展」、齋藤三郎「茶道具展」です。
以下作家別に展示概要と本日終了した館内の様子を掲載しました。入り口順です。

【倉石隆】

「男性像展」
13点なので混雑しました。

倉石隆の絵画
今年は「男性像」です。倉石隆は生涯主に人物画と取り組みました。
人物は表情、個性、年令などいわゆる“特徴”のバリエーションが際限なく、それらはいずれも“微妙”ですから難しい仕事に違いありません。しかしその分やりがいがあったではと創造されます。
倉石作品は女性が多く、2023年には「倉石隆のお嬢さん展」を企画しましたのでこのたびは男性です。男女でいうと当館の男性像は女性に比べ少ないのですが、私なりに男性の一般性が見られるものを選んでみました。
頑張り、欲張り、見栄も張り、妙にはしゃぎ、我が身を見つめ直し、孤独に耐え、妻に促されながら、自我とストレスの狭間にもまれ人生の起伏を重ねる。
展示の男性像は男から観ればなにがしかの理解が可能と思われる一方女性には一見滑稽に写るかも知れません。しかしいずれも“本人は一生懸命”であることが伝わります。
技術的なことはともかく、作品について正確に述べることはかなり難しいことです。ここではひとまず男性に共通する“らしさ”について作品に漂う印象から簡単に触れてみました。
小さめの絵画スペースに目一杯の13点。お楽しみ頂けたら有り難く思います。

【齋藤三郎】

齋藤三郎のお茶道具
今年の齋藤三郎(号:陶齋)はお茶道具です。
茶道具と言いましても何かを作るものではありません。茶道のお茶は先ずお大菓子を食べ、茶わんに取った抹茶に湯を注ぎ、茶筅を振って茶を点て、お客様に“美味しく”飲んで頂くのが目的です。
それだけのことですが、より“美味しく飲んで頂く”ため床の間に書画を掛け、部屋にお香を焚き、花を飾り、時には食事や酒の振る舞いもあります。またいざお茶を点てる段には茶碗や茶杓を清め、道具を移動させたり、器に水を足すなどをします。この度の展示では会場入り口の「香合」から左へ焼き物による茶道具類を配しました。
陶芸家の道具ですから種類は限られますが、美味しくお茶を飲むために様々工夫を凝らした作品をご覧下さい。
簡単な道具類の用語
○香合(こうごう):お香を入れる小さな器 ○向付(むこうづけ):食事で菜を盛る主な皿類 ○花生(はないけ):花瓶のこと ○茶入れ:抹茶を入れる小さなふた付きの器 ○蓋置き:釜の蓋や茶巾を置く小さな道具 ○水指(みずさし):水が入る大きな器。
※入り口に焼き物以外の小さな道具数点をお盆に展示しました。

向こうに棗(なつめ:抹茶を入れる器)、手前に茶碗に組んだ茶筅(ちゃせん:振って茶を点てる竹製の道具)、茶杓(ちゃしゃく:棗や茶入れから茶をすくう竹製の道具)、茶巾(ちゃきん:茶わんを拭く木綿の白布)、帛紗(ふくさ:道具類を拭くための絹の布)。

茶会のお知らせ:6月と10月の毎月4回の日曜日に1日2席の薄茶席を設ける予定です。どうぞ気楽にご参加ください。
6月は第2,3,4,5日曜日開催。参加費:1000円(作品鑑賞の入館料込み)。時間詳細は調整後間もなくお知らせいたします。

キーボードにお茶をこぼした日,患者さんを送る 同じ日に時代劇の八幡堀が二篇 最近の夕食から。

2025年3月11日(火曜日)

近時手にしたものを落とす、あるいはこぼす事が多くなった。
私の場合、左手親指の付け根の痛みが原因の一つだと考えられ、長年のゴルフによる結果ではないかと思っている。

人より骨が細いのに60年はやった結果で、この程度の問題は甘んじて受けなければならない。当座は指の問題だが全体では老化現象に違い無い。

というわけもあり、本日午後番茶を淹れ(パックですが)、湯呑を手にしようとした瞬間卓上にひっくり返し、こともあろうパソコンのキーボード直撃だった。
買い換えたばかりの品がびしょ濡れ。ティッシュペーパーを当て、壁に向かって強く振って水分を飛ばし(左手親指は痛かったが)、ドライヤーで裏表を温めた。完全に乾いたとみてパソコンに繋ぐと全く問題無く回復していた。事は不運だが何か幸運があったのかもしれない。

本日ELECOM社製と知った
4980円のキーボード。

さてそんな夕刻、まもなく終了という時間帯に救急扱いが必要な高齢者さんの事例があった。病院連絡と紹介状を書いたが、必要なタクシーは1時間待ちで家族の到着までは3,40分かかるという。本人の身支度やスタッフの帰宅時間もあったので私の車で一旦自宅まで送った。道中話も出来て良かった。

患者さんを乗せたり、救急車の同乗は忙しい昔に何度かあった。事案によっては周囲にそれ向きの人がいても、自分がさっさと行うのが簡単で結果も爽やかなことがよくある。

昨日のことで恐縮です。夜、二つの時代劇番組でそれぞれ近江八幡の堀の場面があった。

「柘榴坂の仇討ち」の八幡堀
(原作:浅田次郎「沈まぬ太陽」から)

明治維新後、安政の大獄に関連して主君が命じた仇討ちを「侍の本懐」として敵を探索しては実行する中井貴一演じる主人公。最後の仇,阿部寛役の侍は車夫に身をやつしていた。長い斬り合いの結果勝負は付く。
しかし侍は主君の「懸命に生きるものは殺すな」の言葉どおり車夫を許し「新しい時代を共に生きよう」と和解する。時代背景と内容が悲しくも美しく、胸打つ物語だった。

もう一篇はいつもの「鬼平犯科帳」
八幡堀は本当に時代劇で人気だ。
今冬ここへ寄ってよかった。

最近の夕ご飯。

マガレイの煮付け(下)と豆腐とコマツナの
炒めもの。
同じ魚でも宗八鰈よりも美味しい。

20年も昔には春になると地でも見事なカレイが採れて、毎年漁師さんが下さった。その方は亡くなられたが近年カレイはさっぱりダメになったと耳にしている。

 

カモ南蛮(上)とトマトの卵炒め。

今冬の冬鳥見おさめ。

2025年3月9日(日曜日)

ほどよい日射しのもと風に暖かみが感じられた本日日曜日。週末は探鳥と覚え宜しく近隣を巡った。昨日土曜日はコハクチョウとマガンのまばらな群を観て、少なくなったな、そろそろ終わりと感じて帰った。

2日目の本日は昨日とほぼ同じ場所を回ったところ、いやいや頸城区で広い範囲にずらりとした群が何カ所も見られた。
本日はコハクチョウやガンの飛翔を中心に掲載しました。

上掲2枚は群の様子。

見ていると次々にガンや白鳥がやって来る。

コハクチョウとガン。

オオヒシクイのようです。

 

クチバシの先が黄色でオオヒシクイ。
(モニターで拡大して判別しました)

コハクチョウやガンなど大型の冬鳥の飛翔は伸びやかで気持がよい。手許のモニタを拡大すると自分が飛んでいるように錯覚する。
動くのでピントあわせが難しくカメラの設定や動作に訓練が必要なようだ。

下段の白鳥は特に白い。恐らく彼らがいる場所の水に空が反映されて青白くなったと思われる。このくらいだと大変爽やかに感じられる。

さて昨日少なかった鳥たちは本日沢山見られた。それは昨日の探索が足りなかったか、あるいは西方から北帰行の鳥が新らたに加わったせいかもしれない。いずれにしても“鳥たちの都合”というしかないようだ。

明日からしばらく10数度と気温が上がり最大18度も予報されている。
鳥が北へ帰るのは、体内暦や気温などを複合させて決まるようだ。

今後北のふる里では伴侶探しと産卵、子育ての充実した日々が待っていよう。
今冬の当地は一時雪が多かった。これに懲りずどうか来期もまた大勢で来て欲しい。

およそ4ヶ月、楽しませてくれてありがとう!

ハクガンの姿無く白鳥は少なくなり 庭仕事を始めた。

2025年3月8日(土曜日)

午後水鳥たちを探しに回ったけれどコハクチョウもガンも小さな群を観ただけ、あのハクガンの長い列も見当たらなかった。私の探索範囲は狭いため何とも言えないがかなりの鳥は北へ帰ったようだ。ただマガンはまだ多く留まっている印象があった。

今冬はハクガン、コハクチョウに十分楽しませて貰い、最後は思ったもみなかったシジュウカラガンと二度出会い、カメラにも収めた。後半は思ったよりも厳しい冬だったが鳥に感謝し、来年また沢山来てもらいた。

溜め池にいたミコアイサ。
かなり悪いヒモ風。

ほぼ雪が消えている美術館で少しばかり庭仕事。
昨秋に元スタッフのAさん宅から貰っていたタカサゴユリの種を蒔いた。

花殻を割り種を採る。
何千何万?という数の種。
まだ沢山残っている。

用土にまぶして蒔きざっと撒水。

かって同じ種を貰って蒔いたがA宅では花が咲き、我が庭はダメだった。多分出た芽を雑草と見て皆取ってしまったらしい。今年こそは慎重に扱い夏の終わりはタカサゴユリの園にしたい。

一旦蕾を付けたクリスマスローズはその後積もった雪の下になっていた。もう大丈夫なのだが随分変形している。寒かったことだろう、ご苦労さまでした。間もなく温かになるので一休みしてください。

2月1日、雪の前の同じクリスマスローズ。多雨、雪、乾燥、寒暖etc、どんな花もコンスタントに維持するのは難しい。

春を待っていたのは雑草も同じ。
昨春は大変だった。

今冬後半の雪により例年に比べてずっと遅くなったが一先ず庭に関わった。長時間ではなかったものの急に始めたので足腰が傷む。
もう少し暖かくなってもらいたい。

コハクチョウの大きな群 タカが舞い野犬がやってくる 再びシジュウカラガン。

2025年3月7日(金曜日)

降ったり止んだりを繰り返した一帯の雪は止み積雪も僅かとなりつつある。本日は寒かったが日足は春に向かっていることだろう。

記載が遅くなりましたが、去る3月1日土曜日午後、鳥たちを見に出かけた。柿崎、吉川の区が跨がるような場所でコハクチョウの大きな群を見た。200メートルほど帯状に集まり、一部にガンが混っていた。群はこれまで見てきたなかでも最大クラスの大きさだった。

しばらくすると左側の一群が急に飛び立った。普段白鳥は人や車が近くを通っても飛び立たず、せいぜい後ずさりをする程度なのに。

食餌や休息をしていた鳥たち。

突然群の一部が飛ぶ。

残った群は一斉に首を伸ばし緊張が伝わった。

野犬と思われる大きな犬が
脇の畦を歩いてくる。
見事に揃った白鳥の反応。

犬は群のすぐ近くを歩いたが殆どの白鳥は飛び立たず、一斉に首を伸ばし左を向き犬が通り過ぎるのを待った。彼らには横から後ろの一部が見えているはずで、敢えて犬と視線を合わさず横目で見るのが警戒姿勢のようだった。

犬は襲わず白鳥は動かず、犬の通過から1,2分して全てが元に戻った。
万一犬が襲った場合、見かけによらず攻撃力があるという白鳥は一斉に反撃したかも知れない。また犬はそれを知っているのかもしれない。

犬が来る前にはタカが上空で舞い。

電柱に止まると、
鋭い視線を向けていた。

水田に広がり優雅に過ごしているかに思われる白鳥も空と地上からの危険にさらされていることが垣間見られた。

ハクガンはまだ滞在しているかを確かめるのが探鳥の目的だったが、ここでは見当たらず頸城区へと向かった。

頸城の何カ所かでコハクチョウの群を見た。その中の一つにシジュウカラガンが混じっていた。

2月28日の群と同じかも知れない。
やはりさほど人を恐れない印象。

白鳥対し白黒のコントラストが
魅力的。

コハクチョウの口元。

コハクチョウの口元を追ってみた。この時期ぬかるんだ田で稲株の下に首を突っ込み根を食べるのをよく見る。しかし本日はそうせず、雪面や古株をクチバシですくい、落ち穂や二番穂の米を探している風に見えた。餌はそれで十分なのだろうか。

明日からの週末、再度コハクチョウやガンを見てみたい。週が明けると気温が上昇するらしく、今年最後の探鳥機会になるかもしれない。

今年の齋藤三郎は「茶道具展」です。

2025年3月6日(木曜日)

今年度の齋藤三郎(陶齋)の展示は茶道具です。茶道具には鉄器、竹細工、漆芸、木工など多くの分野の道具が含まれます。三郎の制作には陶芸と書画がありました。

この度はお茶会で用いられる齋藤三郎の陶芸作品を中心におよび床の間に掛けられる書画も併せてご覧頂くようにしました。
倉石隆の絵画とともに年間を通しての展示になります。季節館あふれるさわやかなお茶道具をお楽しみください。

齋藤三郎「お茶道具展」のポスター
私にしては上出来?

倉石隆の絵画とともに年間を通しての展示になります。齋藤三郎(号・陶齋)の温かく柔らかみのある器と書画をお楽しみください。

 

今年の倉石隆は「男の肖像展」です。

2025年3月4日(火曜日)

本日ようやく樹下美術館今年の倉石隆展の告知とポスター、チラシ原稿が出来た。
スタッフたちも材料などを渡せば出来ると考えるが手を付ければ足りない材料、資料が出てくるのでやり取りしなければなない。
それで下手くそでも自分がやるのが早かろうということで今年も自分で作った次第。

今年の倉石隆は「男の肖像展」にしました。わずかな作品を集めてテーマを決めるのですが、作品の持つ雰囲気を繋いで並べ男性の半生をストーリー的に表現してみた。個人的に気に入った展示になろうと期待しています。

ポスターはアピールポイントを決め、ある程度抽象化してインパクトを出すのが大事だと思われます。しかるに出来上がったのは展示作品全てを入れ、技術も無く説明的いわば実用的になってしまいました。子供のころからの性分で抽象化というとどうも頭が回らないのです。

実は収蔵作品に大変大きな男性像が一枚あり、それは恐いほど圧倒的なので、あまりのことにこの度は止めました。

展示には作品の原題や制作年を表示します。しかし結果として上掲のファイルではほぼ制作年に沿って並びました。一般に作品にご自身を投影されたものが多くみられる倉石氏ですから、孤独を愛し、何度も夫人を描いた氏なりの半生が滲む会場になるとに思われます。
ファイルの右下に真っ白なカンバスを立てた画室の隅に奥様がモデルとして立つ絵をいれました。倉石さんは画面のこちら側に居て、さあ描こうかと言っているのでしょう。姿はありませんが、自分が主人公でもある作品ではないでしょうか。

今年は企画展なしで最終の12月15日まで同じ展示をする予定です。
齋藤三郎の「茶道具展」は明後日に掲載させてください。

フカミ美術の懇親会が髙田であった 霧を抜けて三和区の喫茶去へ。

2025年3月2日(日曜日)

本日終日静かに雨が降った日曜日。髙田は寺町の長養館でフカミ美術主催の懇親会が催された。過日の小山作之助行事に続き挨拶と講話のお鉢が回っていた。

会場は寺町長養館、さすが海辺の大潟と違い髙田は雪が多い。

寺町の風景。

40人ほどのお茶人が集まる会なのだが教養的な解説話は苦手。ならば2017年4月に新潟市を来訪された裏千家お家元への呈茶の体験談談に決めた。
かってのブログに掲載済みの8年前の前代未聞の出来事。前もって不確かな事を当日同行した妻に尋ねて仕度した。
時間は15分程度と短く、要点を拾って話した。会場にはその日新潟市でお手伝いをして下さったお二人方も参加されていて懐かしい話でしたと仰った。

ブログを読むと8年前の自分がとても若く感じられる。
まあいい、人生いつでもその時々に「何かを始める」事を重ねれば、気持だけでも若くいられるのではと思った。

長養館の行事を終えて三和区にある「喫茶去」へ行った。どういう訳かそこへは寒い季節に行く。本日は道中霧が立ちこめ雪も多く例年とまた違った三和区山高津行きだった。

髙田を出ると途中濃い霧がかかっている。

 

山高津は霧が晴れていた。

 

喫茶去。

GACKT氏が来店して10数年が経ったという。

店内はアンティークが一杯。
時計の棚の奥にアール・デコが見える。

 

古民家の店内。

私は病院からカフェインを止められているのでデカフェをお願いすると対応して下さった。

ご自慢のフレンチトースト。

プレートにはアイスクリームや天津甘栗などがあり見た目から美味しそう。詳細はとにかく自分への褒美として食べ、夕食はサラダだけにした。

このところ何かと忙しく予定の美術館の告知は来週に回りました。
今年の齋藤三郎は「齋藤三郎の茶道具」、倉石隆は「倉石隆の男性」です。
遅れて本当に申し分けありません、どうか宜しくお願い致します。

シジュウカラガンに初めて出会った 北帰行が始まっているのだろう。

2025年2月28日(金曜日)

気がつけば2月は最終日になっている。沢山楽しませて貰った冬の水鳥たちには北へ帰る日が近づいている。

本日は暖かく、髙田の最高気温は12,3℃だった。例年15℃前後が続くようになると鳥は次々に北へと帰る。そんな時期にさしかかる本日昼休み、頸北の田圃を回ってみた。

興味があればやはり行ってみるべきなのであろう、いつもの場所に着くと初めて見る鳥がいた。
コハクチョウの小さな群に黒っぽいガンが10羽ほど混じって動いている。個体はマガンよりも小さく,コハクチョウと同じように道路が近いのにたいして人を恐れず一緒に探餌していた。

カモ?と思いながら撮ったモニターを見ると顎の辺りがベージュ色。図鑑で目にしていていつか見たいと思っていたシジュウカラガンだった。それが目の前に10羽もいて盛んに動いている。

なんて幸運なんだろう、お洒落で可愛い鳥だった。

シジュウカラガン。
シジュウカラに似たツートンカラー。

シジュウカラガン絶滅危惧IA類 (CR)環境省レッドリスト)に以下の様に絶滅危惧種の筆頭として載っているまだ貴重な鳥。

 

少し行ったところにオオヒシクイが
マガンとコハクチョウに混じっていた。
ダイバーシティは互いが健全でいる証し。

柿崎に向かって田の雪が少なくなるので餌が獲れるので随所にいた。

憩うコハクチョウたち。

雪シーズンを越えた本日のモズ。

恐らくすでに北帰行は始まっていて、南からやって来た様々な一群と当地の鳥たちが入り交じっているのではと考えられた。何千キロ先の目的地を目指して飛ぶので途中には幾つか中継地が必要で当地もその一つにちがいない。それにはねぐらのための湖沼と餌場になる雪の少ない水田が必要で、朝日池と頸城平野が相応していたのだろう。
いずれにしても冬場にスケールの大きい渡りをする鳥類を観ることができるのは幸せなことだと考えている。

間もなく一帯の空も地も空っぽになる
春は賑やかな一方美しくも強靱な冬鳥は姿を消す
また会えるからいいか、、、
人生の春秋、諦めと希望を一緒にして胸に納める

明日から3月
雪、雪、雪と思案して過ぎた冬が終わる
今日はシジュウカラガンに出会えて本当に良かった

温かな日に訊ねたお宅 柿崎海岸 首輪のコハクチョウ。

2025年2月27日(木曜日)

我が儘言って休日にさせて貰っている本日木曜日。暖かく晴れた柿崎海岸へ行った。

去る2月9日の当欄で強風のカモメを掲載して半月、陽は高く明るくなり海も春めいてきた。

 

シーグラスと貝殻を拾った。

帰路は白鳥をみるため新井柿崎線(県道30号線)を走ると水田のあちらこちらに群がいた。

水鳥が憩う様子は大変に可愛い。

午後あるお宅にお呼ばれしていた。

おひな様が飾られたお家で、時代を色濃く反映する人生を歩まれたご夫婦の話をお聴きした。奥只見の開発の渦を体験され、新潟地震は佐渡で津波前の引き波を見、凄まじいバブルを乗り切られ、奥様と仲良く旅されたヨーロッパ各地。はじめて聴くご夫婦の話にはとても勇気づけられた。

お宅を辞して鳥を見に行った。
かなり暗くなったが鳥たちはまだいた。以下の写真は陽が落ちてしばらく後の5時15分過ぎ。遠くの車はみなヘッドライトを点けて走る時間にも拘わらず熱心に餌を食べていた。

ねぐらへ飛び立つのを見ようと待っていたが、まず私達の食事時間が近づいたので鳥より早く帰った。

ところで日中と夕刻の二回同じ場所を訪れたところ首輪を付けた2羽の個体がいた。いずれもモニターで拡大して確かめた。

午前に見た首輪のコハクチョウ。

夕刻の首輪のコハクチョウ。

首輪は黄色と赤に見え、両者は異なる鳥のようだった。ネットに標識コハクチョウの報告サイトがあった。残念ながら標識番号の同定は出来なかったが,それ以外を記載して届けた。

午後伺ったお宅は患者さんのお家。周辺は田圃、奥様手作りの食べ物は美味しくとても楽しかったです、大変ご馳走になりました。

大分県佐伯のフルーツトマト ジョージ・シャーリングの「まるで春のよう」

2025年2月25日(火曜日)

連日断続した雪は止み長い寒波は去った模様。今後週末に向かって気温が上がり12~13℃と予報されている。
いつもは短い2月だがしつこく雪に見舞われたせいか長く感じられ不思議な気がする。

こうなると融けるのも早そうで、3月になったら早春と言ってみたい。

さて知人からご家族が大分県で関わっているフルーツトマト「朱朱」が送られてきた。
粒ぞろいで中ぐらいの大きさ。口にしてみると甘味と風味が一緒になってとても美味しい。

 

色香り、味、三位一体の美味しさ。

皮が少し固めだが食味といえるし、中にいっぱい詰まった栄養をしっかり守っているようで決して悪くない。歯ごたえや風味が口に残るためすでに癖になりそうだ。


ジョージ・シャーリングの
It Might As Well Be Spring
「まるで春のよう」の邦題。

一昨日ある人が、もうこれで寒波も冬も終わりでしょう、と言った。自信たっぷりだったので本当かなと思ったが、彼の言うようになってきた。

上掲のピアノの導入と最後は小鳥たちの声であろう。懐かしいジョージ・シャーリングは全盲だったので鳥の声が好きだったにちがいない。彼のピアノは常に優しく、学生時代、ジョージ・シャーリングと口にしただけで“何を柔な”と言われそうだった。

寒波が続く 道路に降りる鳥、海岸に現れるイノシシ。

2025年2月24日(月曜日)

昨日日中一段落したかに見えた雪は夜から断続し積雪は増した。平地の積雪は目測50~60㎝、道路脇の除雪車が積んだ雪は1メートル前後に見受けられる。

すでに10日は降ったり止んだりして続く寒波は当地に平年以上と思われる雪をもたらしている。
以下は上越市大潟区の本日日中の様子です。

R8号線小船津浜からブルボンに上る
高架橋からの眺め(西方)。

同じ場所から東方の眺め。

樹下美術館の庭からの眺め。

今月はじめ上掲写真の右側の土手でフキノトウを採ったのが信じられない。「樹下美術館」は今や「雪中美術館」に様変わり。特にカフェの前には屋根の雪が落ちるのでそこは豪雪の様相です。

近くの屋根に雀が三羽。

雀は道路と屋根を往き来していた。雀のほか一羽のカワラヒワが濡れた道路で餌を探していた。
こうなると多数いた鳥の群はひと組数羽など個体数を減らして多数分散し、乏しい餌でそれぞれが生き延びようとする。

さて我が区の浜沿いの県道に数日前イノシシが出て二人?が噛まれて負傷したニュースが流れた。普通イノシシは突進して人を負傷させるが、今回いずれも噛んだというのだからよほど空腹だったのだろう。

冬眠をしない彼らは餌の無い豪雪の山から下りたは良いが、平地も長期の深雪で野菜も見当たらない。ついに海岸に現れたのは、増えすぎと雪でよほど飢えていたからにちがいない。

この時期、大波が打ち寄せる海岸は雪が無く、強い風波によって魚や海鳥の死骸、ときには野菜が揚がる。
彼らが餌を求めて海を彷徨うのは異常なことだが、そこまで追い込まれたからだろう。ほかの動物、鳥類もひもじい思いをしているに違い無い。

懸案の小山作之助生誕160周年記念イベント最終回が終わった。

2025年2月23日(日曜日)

昨年来懸案の小山作之助生誕160集記念事業の三つ目最終回が本日開催され“無事”終了した。心配された長期寒波は小康となり新潟市からのゲストの皆さんも無事に到着された。

本日昼の潟町の通り。

上掲はプログラムの一部です。

ロビーにおける作之助の資料、写真の展示及び講演、さらに演奏の準備は大変念入りに行われ進行は完璧だった。市長、実行委員長の挨拶に続いて私の講演。
荷重くも記念講演と冠されているので粗相は許されない。折角だからほとんど語られることが無かった事柄を中心にタイトル「小山作之助の系譜・中島幸子と欧州」を話した。
緊張しながら作之助誕生前後の時代背景と生誕に関係する親族の状況を前半に、後半は作之助のひ孫、ヴァイオリニストの亡き中島幸子の生涯と残された音楽の系譜に言及した。

残りの時間は一昨年春、幸子さんの国立音楽大学の先輩で音楽研究家、指揮者、音楽プロデューサーの中島良史氏から届けられた4枚組レコードアルバムからモーツアルトのバイオリンコンチェルト第3番第1楽章に針を落とし、皆さんと聴いた。

ザルツブルグで高名な教授のもとに学び、師を支え、ほどなくリサイタルに立ち、トリオを結成、ヨーロッパを巡り各地で絶賛を博すことになる中島幸子さん。日本でも何度かのリサイタルとオーケストラとの共演、NHKの放映やFM放送出演など、短い生涯にも拘わらず明瞭かつ大きなスケールで美しい足跡を残された。

彼女は大潟区潟町の小山作之助の実家で誕生している。
僅か二ヶ月余の潟町だったが上越市大潟区は彼女の立派な生誕地。この先作之助とともに語り継がれることを心から望み、この地で音楽がより親しまれ先人に続く音楽家が多く生まれる事を期待したい。

会は進行し後藤丹、上越教育大学名誉教授のお話は作之助が作曲した音楽の構成上の特徴と先進性をピアノに触れながら語られた。お聴きして、なるほど研究者の脳はこのようなことも理解するのかと驚いた。

ゲスト演奏は後藤先生が新潟から呼ばれた声楽家の梅沢ゆきのさんの歌、ピアノ伴奏は高橋雅代さんだった。日本の美しい四季を7曲、アンコールは「夏は来ぬ」だった。
作之助が育てた滝廉太郎の二曲、わけても「荒城の月」はやはり素晴らしかった。中田喜直「むこうむこう」は中田氏らしく心に響いた。数メートル先の席で聴く声楽家の命の歌声は圧倒的で聞き飽きることが無かった。

お終いにコーラスおおがたのみなさんが作之助の曲三曲と「海」を歌い有志が加わり相馬御風作詞小山作之助作曲の「潟町青年團歌」が高らかに歌われて終わった。

そう、そう、作之助イベントに捕らわれていましたら、今年の開館準備をすっかり後回しにしていました。遅くなりましたが急いで取り掛かりますのでどうか宜しくお願い致します。
開館しましたら中島幸子のレコードを皆さんと聴く機会を持ちたいと考えています。

後日記プログラムの掲載が重複し文が分かれましたこと、申しわけありませんでした。

本日会場でリハーサル。

2025年2月20日(木曜日)

本日午後から来たる23日の小山作之助生誕160周年記念行事のリハーサルがあった。記念講演にスライドを用い本などを並べるのは私くらいなものらしく、それらの調子をみるため区が時間を取って下さり、補助机の配置やスライド用パソコン及びポインターなど当日に準じた確認をした。

会場は二階、
すっかり準備が出来ている。

 

一階の役所ロビーで音楽が小さく流れていた。2月16日ここに書いたドヴォルザークの「スラブ舞曲」だった。ポータブルの小さな音源にSDカードが差し込まれ、誰のアイディアなのだろう、支所らしく気が利いていて嬉しかった。

報じられている寒波は中ばと考えられる。本日の雪は以下のようになっていた。

区総合事務所駐車場。

四ツ屋浜の通り。

ニュースに3メートル半、信号に届くような豪雪が映し出される。大自然からみればほんのわずかの事なのだろうが、地上は平穏か災害かの差にまでなる。

催事まであと僅か。お天気には小康へ向かってもらいたい。
ヒマさえあれば頭の中で講演の練習をしている。心配もあるが若干の楽しみもある。

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