齋藤三郎と棟方志功 上越市大潟区と棟方志功。

2021年3月18日(木曜日)

今年の展示「齋藤三郎の絵と書」に絵入りの葉書が12点展示されています。
昭和20年代中頃のものですが、今の絵手紙と違い、それぞれにはしっかりした内容があります。ちなみに以下の葉書はきれいな赤が施された器に二点の内容が記されています。
その一つは第四銀行支店の前で楽焼きをすることになったこと、もう一点は髙田に於ける棟方志功展開催および座談会の予定です。楽焼きは雁木の下で行ったのでしょう、本人は、“街道に出ての商売いかなることになりますやら あわれな事で御座います」と述べています。

今日貴重な銀行の建物は保存されていますが、はたして70年も前の当日はどんな様子だったのでしょう、一目見てみたかった所です。
何度か当時の楽焼き作品を観たことがありますが、素朴かつ美しい作品でした(残念ながら樹下美術館は収蔵していません)。

 

文面の棟方志功展は昭和26年(1951年)3月31日、4月1日に開催されました。棟方氏は当地の祭踊り「米大舟」見学や柏崎市の個展などで、写真のお二人の家に数回泊まっていることが、以下「大潟小学校で開かれた棟方志功展」に記されています。

(大きくしてご覧下さい)
現在大潟区の郷土史家が地域の歴史を伝えるべく中学校へ出向授業をされている。
本資料は昭和35年11月、小学校で開催された「棟方志功展」や
氏と地元との関係を取り上げています。
かって地域の学校でこのような展覧会が開かれた事を知り、大変驚きました。

当地訪問に際し、棟方氏は一度だけ当家に寄ってお茶を飲まれたことがありました。品川ホールの売り上げは芳しくなかったらしく、父は来訪された氏から5,6点作品を求めたようです。上掲写真の若きお二人も購入されたと考えられ、これらの機会で知己を深め後々も棟方氏と交流されました。

齋藤三郎は戦前、富本憲吉門下時代、すでに棟方志功と知り合っていました。三郎の作った陶印を気に入り欣喜雀躍したと伝わっています。

金沢市のお土産、諸江屋のオトギクズユ。

2021年3月16日(火曜日)

過日、金沢に詳しい方が国立工芸館に行ってきました、と言って諸江屋のお菓子「オトギクズユ」のお土産を頂いた。
2020年、金沢市に開館した国立近代美術館の工芸部門である国立工芸館を観てこられたということだった。

あまり出ない私達。でも出かけられた方が見えては時にはこうして情報やお土産を頂く。2月の十日町博物館行きもそのようないきさつがあり、“皆様から聞いた”という、それがまた楽しかったのだと思う。

いろはカルタのように、どこか懐かしいパッケージの「オトギノクズユ」

煙のようにフワフワした中身。

熱湯を注いでかき混ぜると、あら不思議今はむかし、軽い甘みのくず湯が出来る。
小さなカキモチのようなものが2個浮く。

是非とも金沢へ行き、国立工芸館を訪ねたい。また嬉しい低カロリーのオトギクズユを少しまとめ買いし、しばらく昼食時に飲んでみたいと思った。

無事に15年目の開館を迎えた トウナの卵とじ 新年号?

2021年3月15日(月曜日)

本日今年の開館を迎えた。晴れ間の多い気持の良い日だった。
月末まで午後のみの開館なので少々申しわけ無く感じる。
22名様の来館ということ、ちなみに昨年の初日は15名で、例年の初日よりも多かった、とノートにに書かれていた。

春の日に包まれた館内で思い思いに憩われる皆様を見ていて、ふつふつとありがみが湧いてきた。
半数近くの方が「倉石隆の自画像 自己当映像」と「齋藤三郎の絵と書」を観てくださった。倉石隆の「馬上の人」や齋藤三郎の“手紙”などを中心に、興味深くご覧頂けているようで嬉しかった。

 

お持ち頂いたお花。開館はお客様が仕上げて下さる。

 

車の日向ぼっこ。いつしか良い季節が始まっている。

 

夕食はスタッフの畑から届いたトウナに新タケノコと鶏肉の卵とじ。
美味しく頂きました。

自然の中の樹下美術館。今年も自然のように自然にスタートが出来て安心しています。

コロナはまだまだやる気なのでしょうか。
主だったウイルス感染症がすっかり影を潜めた中、一人コロナだけが残っている。
実際およそ1年ほど前から外来と、関係している三カ所の福祉施設とも発熱や消化器感染症が激減した。

これは抜きん出たコロナの強さを現しているのか。いずれにしても未知でしぶといウイルスということだけは間違いない。
全実像が明らかにされ、ワクチンの有効性が確認されるまで、今後とも用心はやむを得ないと思う。

昨年はコロナ元年、今年はコロナ2年の呼び方があるかもしれない。残念ながら現代におけるコロナ禍のインパクトは、西暦や元号がかすむほど世界を席巻している。

いよいよ明日開館 あらためて「齋藤三郎の絵と書」「倉石隆の肖像画と自己投影像」 ある記者さんと「馬上の人」

2021年3月14日(日曜日)

いよいよ明日が2021年度の開館になります。

本日ぎりぎりまでかかって来館者様に配る展示作品の紹介文を作りました。樹下美術館は全く小さく、その一から十まで個人施設です。自分が楽しむ室を皆様に開放せて頂くという、我が儘な本質のもとに始まり今日まで営み、今後も変わりなく推移することを願っています。

そうは申せ、一旦美術館と称すれば一種公共性を帯びるのは自明のこと、一応の自覚をもってやってきましたが、もとより凡庸浅学のうえ怠惰な日常。学識的な言動には全く曖昧さを禁じ得ません。

左様に以下展示の概要説明も自己流の域、ある個人の見解ということで、お許し頂かなければとお願いするばかりです。
勿論、責任や勉強のため皆様のご意見ご助言はこれまで通り、貴重なご好意としてお聴きして行きたいと思っています。

それでは、
陶芸作品展示「齋藤三郎の絵と書」
旧栃尾町(現長岡市)出身の齋藤三郎は18才の時に陶芸の道に入りました。後に絵付け陶芸の人間国宝になる二人の陶芸家、近藤悠三、次いで富本憲吉に師事したのはとても幸運だったと言えましょう。
5年もの修業を完遂し得たのは三郎が造形、絵付け、書、教養、それぞれに優れた才を有し、師達がそれを高く評価していたためだと考えられます。

中国出兵後、帰国し上越市寺町で窯をひらいた三郎は、民藝風な素地に江戸時代の琳派に通じる趣きを重ね、加うるに師の富本氏に連れ添って訪ねた九谷の陶風を自らのものともしました。
絵付けのモチーフはあまねく雪国の草木であり、風雅のうえに親しみと上品さが滲む作品を沢山造りました。

この度の展示では、氏の書にも光を当てましたので、関係する作品や手紙類をどうかご覧下さい。

大変勝手な印象ですが、書にも氏が愛した草木の品と流麗さ、繊細さと強靱さなどを見るのは私だけでしょうか。 みなが草花を愛するように、氏の書もまた私達を惹きつけるにちがいありません。

 

手紙類には仕事の精進と生活支援を頼む趣旨が多く含まれています。

昭和20年代中頃、芸術家はおしなべて貧しく、手紙は近況を告げると同時に、支援者に助けを働きかける重要なツールでした。三郎の手紙と作品に動かされ、父は喜んで窯出しに向かっていました。良い手紙を書くことは生きるためにとても大切だったのですね。

 

絵画作品展示「倉石隆の自画像 自己投影像」
倉石隆が敬愛したレンブラントはじめ、内外の画家は好んで自画像を描きました。人間を描いた倉石氏も当然そうしました。しかし氏の当館収蔵のそれは作品「みつめる」以外一般のような肖像ではなく、別の形を借りそれに投影させ(表象させて)描かれました。

展示作品の多くは愚者、空腹、ピエロ、漫画風に悩む人、壊れた操り人形など、いずれも存在の負に自らを投影しています。
自己のネガティブな要素を描くこと。それには相当な覚悟と自己追求の深刻な作業が必要だったに違いありません。ですが何度もやり直しの跡が見える作品を眺めるにつけ、どこか吹っ切れた感じを受けるものもまた事実です。

「黄昏のピエロ]はやはり悲しいです。しかし孤独は万人がともにする人間の一面であり、共感と親しみを覚えるのですが、如何でしょうか。
最後に「馬上の人」です。この氏は前進しています。オレンジの光の中を、馬に乗って坂を上ろうとしています。1979年、後期にかかろうとする時代における挑戦の決意でしょう。その男を隅に小さく描いたのも氏の美学ではないかと思うのです。

 

遙か広大な天地の上りを歩み始める。

 

初めて人馬を拡大してみました。
とても格好よくテンポ良く描かれていますね。

その昔、最初に「馬上の人」を展示した時の事、ある方とお話ししました。人物をドン・キホーテに見立てているのでしょうか、と述べると、その人は、いやこれは倉石氏の挑戦の決意を描いているのでは、と仰いました。目を凝らすと人物の姿勢、馬の歩みの力強さから、確かに氏の仰る通りだと心から同意し、私自身ほっとしました。
その方は当時、ローカル新聞の記者さんでした。よくお話しする機会があり常に高い見識に驚かされました。

本日冒頭でごちゃごちゃと並べましたのも、「馬上の人」にまつわる記者さんとの話を思い出したからでした。

明日からの開館、コロナに配慮しながら慎重に始めたいと思います。
皆様をお待ち致しています、どうか宜しくお願い申し上げますす。

大変申し分けありませんが、
3月31日まで午後1時~5時の開館。
この間は飲み物およびケーキのサービスに限定させください。

明後日の開館に備えて齋藤三郎&倉石隆の展示 小鳥がよく来るようになった。

2021年3月13日(土曜日)

世の中は、コロナ中心に回っているようになり、まことに様変わりした生活を強いられている。
昨年12月20日来の冬期休館も何かとコロナに気を奪われ続け、感染状況とワクチンの動向、検査受託の可否などに悩まされ続けた。

コロナにかこつける訳ではないが、昨年12月20日からの冬期休館は誠にあっという間に過ぎた。
今月に入り、豪雪でひどく荒れた庭の掃除と展示の準備で何度もスタッフに来てもらっている。本日ほぼ展示を終了し、明日最後の見直しをすることになった。

 

絵画スペース。
賑やかですが倉石隆のテーマ「自画像と自己投影像」に沿って8点全て架けました。

正面を見ている「みつめる」を除き、作者は自身を様々な姿に変えて描いている。情け無い姿、ピエロ、壊れた人形、空腹、悶々たる様など色々だ。無いのは自画自賛だけだで、その姿勢こそ氏の美学そのもののような気がする。
恥ずかしさ、恐縮、、、かって無言の俳優のような倉石氏にお会いした際、精一杯お顔に現れていたのがそれだった。

芸術家は作品すべてに狙いを持って作る。それがどれだけ私達に伝わるかは常に微妙だ。だが一点、観る人が作者にどれだけ“親しみを覚えるか”は肝心なことであろう。
特に亡き作家ともなれば、作品の前だけでもよい、なにがしかの関係、よしんば親しみの感情などが動くなら、幸福な出会いに違いない。
額の中で悩み恥ずかしがる倉石隆氏への同情、軽蔑、尊敬でもなんでも構わない。それらから親しみを感じてもらうだけで天国の氏は喜ぶのだと思う。

 

本日の陶芸ホール。
今年の展示は「齋藤三郎の絵と書」。
齋藤三郎大好きな良寛の人、小島正芳先生が楽しい企画を考えて下さった。

私は父が買ってくる齋藤三郎に親しんだ小学生の頃から、器の字、特に底にしたためられた署名は魅力的だった。そもそも家中で、作品は勿論だが、署名まで今度はどんなだろう、と皆で器をひっくり返しては眺めた。その味わい、早さ、太さに細さ、踊り加減、、、色があっても無くても喜んだ。
このたびは折々の三郎氏の心境が現れる絵付け作品と、文字が施された器、書また手紙類を展示した。抜群の手筋に加え筆あるいはペンの何たるかを熟知し、人を惹きつける品のある美しい文字が現れる。加えて昭和20年代中頃の手紙類からは、高い教養とともに懸命な制作と生活への傾注が滲むのである。

展示に関係したご講演を全国良寛会会長・小島正芳芳先生にお願いした。氏の学生時代の貴重な恩師・齋藤三郎にまつわる第二回目講演をどうかお楽しみください。

さて急に小鳥たちが来るようになりました。

 

敏捷なシジュウカラ。
今年も庭のどこかに巣を作るのでしょうか。

カワラヒワは見合い写真のように撮れた。
ただし既に「つがい」になっているようでした。

「続 良寛遺墨集ーその名筆とゆかりの人々」と齋藤三郎作品 3・11のこと。

2021年3月11日(木曜日)

書物「続 良寛遺墨集ーその名筆とゆかりの人々」 全二巻  序・泉田玉堂、 執筆・小島正芳、 企画編集・ 関谷徳衛 淡交社発行 2021年2月26日発売。
執筆者の小島正芳さんから届けられた函入りの大型本は素晴らしかった。

かなり昔、何冊かの良寛さんの本をすがるようにして読みそれなりに心酔した。何も無いというが全てがある人、良寛。そんなイメージを今でも抱いている。

このたびの本は一言で言えば「美しい本」だと思う。渋いグリーンを基調にした装丁が施された函入りの上下二巻は読みやすく、大変親切に編集、執筆されている。良寛は勿論、その縁者、後年の理解者、名だたるフアンまで作品と説明は逐一丁寧だった。
第一巻は作品写真で、それらは大きく色彩は自然で、釈文や読み下しが附され心おきなく鑑賞できる。第二巻は作品のモノクロ写真の再掲にさらに詳しい解説が加わる。
巻末に附された良寛の年譜、系図、440余人にわたるゆかりの人々や膨大な参考文献などは綿密で、専門書と同時に安心な入門書でもあるまいか、と思った。

ページをめくる度に師の貧しさと清らかさ、美しさと深さ、あるいは人間らしさなどが浮かび、読む人それぞれの良寛に出合うことができるのではないだろうか。

 

 

 

渋いグリーンを基調にした函と本の麗しい装丁。
お茶を服すように爽やかな印象。

本中の一部。一閑(右)および思無邪(左)。
以下解説の要旨。
閑は心の中がのどかで無心であること。良寛が大切にしていた心境。
思無邪:思ひ邪(よこしま)無し。論語にある言葉。
執筆の小島先正芳先生がよく口にされます。

 

特筆中の特筆。
ゆかりの人として齋藤三郎作品(左)が掲載されている。
皿のふちに良寛の詩から「花開蝶来」がしたためられている。
右は北大路魯山人の筆筒(ひっとう)。魯山人と並び示されるとは。

「続 良寛遺墨集ーその名筆とゆかりの人々」 (株)淡交社 令和3年3月12日 初版発行
A4判変型 2巻セット(ケース入) 総400頁 (カラー208頁・モノクロ192頁)の体裁で17600円です。

●ちなみに細川家ゆかりの永青文庫美術館(東京都文京区目白台)で「心のふるさと良寛 Ⅱ」が今年4月24日~7月4日の会期で開催されます。
小島先生は本展も監修され、齋藤作品が展示される予定ということで、とても光栄です。

先生の講演会「齋藤三郎の絵と書」が来たる4月3日、午後3時から樹下美術館で開催予定です。

さて本日、東北大地震から10年が経ちました。当時仙台市に二家族、南三陸町に一家族の縁者がいました。いずれも直ちに音信不通となり、特に南三陸街町の弟は6日間も音信が途絶しました。
被災地の心配ばかりしていたせいか、長い揺れを覚えていますが、その時家に居たはずの自分はどこで何をしていたのかさっぱり思い出せないのです。仙台の無事は間もなく確認できましたが、南三陸町の方は、弟と親しかった小室等さんのルートから無事が知らされた経緯がありました。
丁度新潟市の知足美術館拙植物画の個展会期中。順調に推移していましたが、それどころではなくなりました。

ところで良寛の時代に三条を中心に震度7,1607人が失われる大地震が発生し、良寛は深く悲しみ、被災者を励ましたといいます。
地震の詩があり、その一節に“凡て物微より顕に至るは亦尋常”とあり、今日のコロナ禍にも通じる観点が示されていました(上掲本から)。
すべて物事は、かすかな兆候から始まり大事に至るのは世の常と述べているようです。

長くなりました。

鳥の声が戻った大潟水と森公園 水芭蕉も咲き始めた。

2021年3月9日(火曜日)

晴れた日、吹くというほどの風もなく良い日和だった。
陽に誘われて大潟水と森公園に行った。お目当てはあの可愛いエナガに会えないか、ということとミズバショウは咲いたか、だった。
雪どけ後、何度か公園を歩いたが、晴天でも園内はシンとして鳥の声を耳にすることは無かった。

それが本日カワラヒワの声を聴き、一羽のホオジロを撮った。

 

 

公園の西の端で咲き始めたミズバショウ。
真っ白な花も、緩やかに流れる雪解け水もきれいだった。

 

その緩やかな水辺のサギ。
サギの種類をよく知りませんがコサギではないようです。
ではチュウサギでしょうか。

 

田んぼのサギは人の気配で直ぐに飛び立つが、この鳥は案外平気な素振り。
風に煽られた尾羽がてひるがえって、愛嬌になった。

 

高いハンノキのテッペンで澄んだ声を響かせていたホオジロ。

今まで何処にいたのだろう、当地に小鳥たちが姿を現し始めている。一方でコハクチョウやガンは北へ帰ったものか、見なくなった。運が良ければ朝日池や鵜の池で西国から北帰行の途中休憩するオオハクチョウを目にする事が出来るのだが、もう遅いかもしれない。

いよいよ春は本番。ネットで買ったチューリップの球根が間もなく届くので、急いで植えなければならない。

上越市のクラスターが中々終息に至らずはやり困惑する。
コロナは普段ヒト事のように言うけれども、自分が罹らないないのは運が良いだけと考えつつ、いっそう用心する以外ない。

小島正芳先生の講演会が1週間延期になりました。夕食のカレイの煮付け。

2021年3月8日(月曜日)

上越市に発生しました新型コロナウイルスのクラスターに対応しまして、
念のため来る3月27日予定の小島正芳先生の講演会「齋藤三郎の絵と書」を1週間延期致します。

4月3日(土)開催に延します。
午後3時始まりは変わりません。

一週間延期をどうか宜しくお願い致します。
先生の齋藤三郎に対する愛あるお話をどうか楽しみにご参加ください。

 

さて遅くなりましたが、この日の夕食はカレイの煮付けでした。

カレイの煮付け、手前はフです。ネギがみそという話でした。
少し昔のこと春になると背中が盛り上がった大きなヒラメを下さる漁師さんがいました。
妻の包丁の手が止まったほど見事なヒラメだったと言います。
すでに亡くなられ、もう二度と食べられない、とは妻の口癖です。
私は妻の半分くらいしか味を理解していなかったかもしれません。

いそいそと始まっている春。

2021年3月7日(日曜日)

上越市髙田で最高気温6,1度だった寒い日曜日。午前に左官さんにきてもらった。

昨年のこと、庭仕事の休憩にと、裏庭に鉄と石板の丸テーブルと椅子三脚を置いた。風に煽られず中々格好良く、コロナの外気対応にもなるのでお客様にもと考えた。しかし玄関から遠すぎて、思ったように利用が進まなかった。
そこで今年は美術館向かって左手の植え込みの中に平らな場所があるため、そこにコンクリートをうち、椅子テーブルを置いて四席作ることにした。

駐車場に面しているので背の低い椿を脇に二本移植し、足隠しにすればそれはそれで良く見えるのでのではないかな、と期待して始めたところです。

 

午後、スーパーセンターに行き芝生の肥料を買い、庭用のテーブル&ベンチを見た。一体型のものがあり、簡単で良いかな、と思った。

施肥はいい加減でしたので本日は工夫した。二本の棒に5メートルほどのヒモを結んだものを二組用意し、約80センチ幅に平行に並べて間に肥料を撒く。一筋まいたら一組を80センチほど先に移動してまた撒く。どれだけ繰り返しただろう、体は冷えるし右肩が痛くなり、少々残して終わりにした。

さて白モクレンの蕾がズンズンと膨らんでいる。と思えばピーピージュクジュクとシジュウカラが枝に来た。
キルリキルリと、カワラヒワのつがいも来てカメラを向けたものの、カードが入ってなく撮れずに残念だった(よくあることです、、、)。

さて春よ早く来い、と考えているうちに、鳥や花の方から割り込むようにやって来る。
よく目を凝らしていないと、あっという間に辺り一面が春になってしまい、こちらが焦る番になる。
美術館は着々展示準備中です。

庭に居ると、時々美術館の前に車が停まります。しばらくするとまた走り出すので、来館された方かなと思うことがあります。
●本当に申し分けありませんが、3月15日からの開館です。
●しかも3月いっぱいは午後1時~5時までで、
●この間、飲み物だけのサービスになりますので、どうか宜しくお願い申し上げます。

昨年は伸ばし伸ばして6月1日から開館しました。それでも今年の方が早いのです。
昨年は先がどうなるのか全く状況が見えず不安でした。今年はどう終わるのかを案じて心を尽くすという事でしょうか。ぜひ終息に向かう年になりますよう願っています。

集まって初庭仕事

2021年3月4日(木曜日)

庭の雪ほ自然に消えた。
本日その片付けをし、休憩のお茶を飲みミーティングをした。広葉樹が多いため雪の被害は最小限度だったが、小枝と落ち葉で皆さんは大変だった。

クリスマスローズの茎を切ると例年より沢山蕾がついていることが分かった。開花しているものがあり再会を喜んだ。

揃って早々と出芽している百合。

 

 

毎年早く咲く花は決まっている。

 

 

 

沢山芽が付いているので大株が期待出来そう。

 

皆さんのお陰で、4時間近くかかってきれいになった。
芝生に一回目の施肥をした。例年になく芝の調子が良いと感じた。

 

夕刻の眺め。カフェの板囲いの隅に小さな雪の山が残っている。

2月21日の写真。
芝生で20~40センチ、囲いの前は山ほど雪があった。
その後の雨と気温上昇によって何もせずに一気に消えた。

百合の芽がしゃんとして出ているのも、クリスマスローズの芽が多いのも、芝がムラ無く揃っているのも、雪の下でゆっくり休んだためだと思った。
しっかりと雪に押して貰うと草花は良くなる、とその昔、園芸店で聞いたことがある。

名付けようもない変わった樹下美術館の庭。草木は何も出来ない赤ちゃんみたいなものなので皆で世話したい。

追加です。

お腹を空かせた夕食は野菜カレーでした。

晴天のコハクチョウとマガン。

2021年3月3日(水曜日)

風は少々冷たいがよく晴れた日。
午前の外来で、昨日は頸城区の田に沢山白鳥がいました。500羽はいたでしょう、マガンもいっぱいでした、と聞いた。
施設出向の午後、帰路聞いた場所に行くと、確かに沢山いる。しかもあちらこちらに大小の群が見られ、コウコウと白鳥が、クヮクヮクヮとガンが盛大に鳴いている。

 

 

鳥が舞うと米山がいっそう神々しくなる。

一心不乱に食べながら鳥たちは鳴く。遠くの群も鳴いている。飛べること、鳴けること、食べられること、なにより冬を越えたことが嬉しいのだろう。

いつまでも楽園をともにしたい気持がして去りがたかった。

朝日池に一羽でいるコハクチョウ。

2021年3月1日(月曜日)

日中暖かかく17度もあったという。風も陽の光も春そのもの、やはり心は軽くなる。

本日の在宅回りで朝日池をみると一羽の白鳥が堤の下にいるのが見えた。
集団で行動する彼らなので、一羽だけでいることや、人の気配が近い場所にいるのもおかしい。北へ帰る時期になっているのに残っていることも、みな理由があるに違いない。
ケガをしているのだろうか。
幸いなことにやつれているようには見えなかったし、マガモたちと一緒なのも安心に思われた。

 

マガモは見守っているとしたら大したもの。
餌が与えられているならお相伴をしているかも。

 

帰りに見ると付近を泳いでいた。
鳥たちは悲しみや痛みというものを顔に現さない。
弱りの表情を見せないのは、捕食者の多い野性で身を守るためだと思われる。

集落の方が、あの豪雪の最中、県道を歩いていた鳥では、と仰った。餌をもらっているなら大丈夫だが、苦手な夏が課題。

 

近くの堤に上がっているマガモ。
堤の上のマガモを初めて見たがとても可愛い。

15日の開館が近づきました。
ただし上越市はここへ来て急にコロナのクラスターが発生しています。
そこで大変申し分けないのですが、少し様子をみるため、
3月15日~3月31日までは午後のみの開館にさせて頂くこと致しました。
開館時間 午後1時~5時です。
どうか宜しくお願い申し上げます。

冬の終わりの柿崎と大潟水と森公園 上越市のクラスター。 

2021年2月28日(日曜日)

尻切れトンボのようにして2月が終わる。
仕事場の大潟区はすっかり雪が消え、頸城区の美術館も大方消えようとしている。

穏やかなだった本日、いつものように柿崎海岸と大潟水と森公園を歩いた。

穏やかな柿崎海岸。

砂利が多くシーグラスがありそうなので探しながら歩いた。

良い感じのものを並べました。
手前のはっきりしたハート型に少々驚きました。

 

続いて大潟水と森公園へ。

 

 

混んだ木を切ってある。水辺がすっきりしている。

 

ここには雪が残っていた。

今年1月2日、人が踏んだ足跡の雪道をこの辺まで歩いた。

1月、同じ場所でこの方と立ち話をした。
この1週間後まさか豪雪に見舞われるとは、想像していなかった。

雪消えの上越市ではこれまでにない30人規模のクラスターが発生し、緊張が拡がっている。

緊急事態宣言そのものの効果は全く分からない。ただ宣言解除によって緩みの「気分」だけは常に波及する。
いつまでこれを繰り返せばいいのか、医療専門者は本気で宣言解除→4波の始まり、を心配していると思う。

初めてタブレットを手にした 高齢者の新規挑戦と過去伸長。

2021年2月27日(土曜日)

私の仕事もコロナに関係して会議や講演会が縮小されている。
そもそも近時、それらとは縁遠くなっていたが、コロナの状況だけには何とか追いついて行かなければならない。それで次々に届くデータや報告書あるいは案内などを息切れしながら何とか読んでいる。

そんな折、とうとうリモートによる重要な説明会が予定され、そのための仕度をしなければならなくなった。自分の末端はデスクトップとかんたんスマホなのでカメラとマイクが必要である。
そこで長くお世話になっている(株)信越情報のK氏に相談した。
色々考えて下さった結果、タブレットを提案された。決まったのが64GB、10,9インチのiPad Air(第4世代)だった。本日K氏によって実物が届き、恥ずかしいくらい格好いいインカムや指触りの良いキーボードを付けてもらい、恐る恐るズームのテストも終わった。

ところで長年、美術館の収蔵作品や撮った写真などを即座に人様にお見せする必要を感じていた。それらは何とか口で説明することも出来たが全く不十分だった。これを機会に今後タブレットで大きく示すことができ、今更ながら仕事に励みが生まれることになった。

 

これに簡単スマホを加えてどうにか今様の三種の神器が揃った。

本日のように新しい機械の操作を教えてもらう場合、聞いている時は何となく出来るが、一人になって色々やってみると上手く行かない。
要点をノートに取っていたはずなのにそれが役立たず、そもそも肝心なことはノートにも取っていない。今後これまで同様、つかえた所を試行錯誤とご教示のお願いをしながら、素晴らしいマシーンをちゃんと使えるようにしたい。

ところで、年して新しいことを始める場合、掛ける時間の割りに思ったように能率が上がらない。比べて、以前身につけた事ならさほどもたつかずに出来る。
それで言うとよほど必要があれば別だが、残り少なくなる人生では、これまでやって来た事を伸ばす、あるいは磨くことを選ぶ方が こと創造的な面に関しては、成果が上がるように思われる。

万事おくてで、追いつけないことばかりの中、少なくともタブレットとリモートの基本だけは身につけて仕事に生かせればと、心底願った土曜日でした。

ドック健診 無印良品のほぼ70才以上限定ラーメン。

2021年2月25日(木曜日)

快晴ではなかったが穏やかな日よりだった本日、午後1時近くから上越医師会検査センターでドック健診を受けた。
例年今ごろの年度末、あるいは新年度前、という時期に妻と受けている。

体型は全く前年と変わらず腹囲78センチ、BMIは20,6だった。数十年わずかな問題があるので、生活の気遣いは続けたい。細部は後日の通知だが、最初の関門通過を喜んだ。

終わって懐かしくも長年世話になった事務長とワクチンなどコロナのことを話して遅くなった。

 

年に何十回も通い続けた上越医師会館を振り返る。
本日は私達が最後で、混んでいた駐車場がすっかり空になっていた。

朝からの絶食は大して苦にならなかった。
例年終わると近くの回り寿司に寄るのだが、本日は直江津の無印良品で念願のラーメンを食べた。

 

ほぼ70才以上限定という「ほっこりラーメン」は税込み300円。
このように軽く少なく単純というだけで、自然に口元がほころぶ。

年を重ねて、次第に「体に合うこと」が美味しい基準と実感になってきた。

 

のどを潤したお茶。

直江津に来るとやはり船が見たい。

 

比較的大きな貨物船が接岸していた。

直江津で豪華客船を見ることはまずない。しかし貨物船やその他の小型船舶にも旅情があり、特に夕方の船の明かりは嬉しい。

 

帰った樹下美術館は更に雪解けが進み、全体の半分ほどが融雪し地面が顕れている。良い開館ができるように準備が忙しくなった。

2024年11月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

▲ このページのTOPへ