2021年7月15日(木曜日)
今年3月、誠に小規模な当院に一人若い事務スタッフが加わった。未経験だったが、ベテランの適切な世話でぐんぐん伸びてくれた。
今夕は彼女の歓迎とスタッフの慰労で上下浜はマリンホテルハマナスで食事をした。
甘鯛の松かさ揚げ。
美味しい肉、魚介、巻き寿司などでお腹いっぱい。
十分なスタンスとノンアルコールで和やかに過ごした。
穏やかな日本海の波音が聞こえる芝生に移って、果物と珈琲を頂いた。
いっとき西の空やや低く、鮮やかな三日月が出ていた。
時々香る蚊取り線香の匂いが清々しい。
間もなくこの場所はビアガーデンになるという。ここなら安全だろう。
5月半ばから始まったワクチン接種だが、新人の彼女がいなかったら出来なかったかも知れない。
2021年7月14日(水曜日)
この春、感じの良い齋藤三郎の染め付け作品「街道屋」どんぶりが樹下美術館に収蔵されました。
また開館当初から収蔵されている「二合半」と題された看板があり、両者の風情の調和に感心し記載してみました。
以下どんぶりからご覧下さい。
右から街道屋の三文字が読める。
向こうに梅の花。
裏側から見る。
「齋」の署名は開窯間もない昭和20年代中頃のもの。
全体は如何にも玄人好みの風合い。
当時髙田に仮寓していた文化人たちをうならせた齋藤三郎の骨頂が観てとれます。
一方、以下は看板「二合半」の書き付けです。
裏に掛けヒモが付いていて、形と内容から小料理屋の品書きなどと一緒に店内にあったものと思われます。
ちなみに以下のように書かれていました。
二合半
二合半と二合半は五合=半升(繁昌)
一、ますます繁昌
一、徳川時代より二合半と云ふ相言葉あり
酒米を一日二合半で済ます者のことを云ふ
一、二合半階級を徳川時代 別名を「こながら」と云った
「こ」は可愛意味 「ながら」は半数 約半分の意味
「可愛く適当に飲む場所」のこと
米、酒ともに二合半がほどほどであり、それを「こなから」と説明しています。
当地でも職人さんたちが「なから{半分)」を、“およそ”、“適当”の意味を込めて使っています。
それを可愛く言うと「こなから」になるらしいのです。
ネットを調べますと京都宮川筋に「こなから」というとても感じの良い店がありました。
ここでは「こなから」は丁度良い、ほど良いという感じでしょうか。
看板とどんぶりを並べてみました。
良い風情です。
本日温いソーメンを食べるのにこのどんぶりを実際に使用してみました。
とても良い感じで、美味しく頂きました。
ほかに一品、テレビ男の料理で観たというモヤシと豚バラのゆかり炒め。
ゆかりはシソの粉末のことらしい。
以上、看板「二合半」と「街道屋」どんぶりでした。
どんぶりは昭和20年代半ばの染め付けで、看板は裏に昭和43年吉日とありました。10才違いの二つの作品は一目で風情が一致し、優れた作家の作品は時を隔てても意識や風合いが底通するのが良くわかりました。
京都で近藤悠三、東京で富本憲吉という、後に人間国宝になる両氏に師事した食通の齋藤三郎。場末の小料理屋から立派な座敷まで厚く経験(勉強)した事でしょう。人に恵まれ、“器の良い店は味の良い店”という哲学を身につけたに違いありません。
街道屋と書かれたどんぶりは、江戸、明治、大正の美味しい食べ物屋を彷彿とさせる趣きがありました。街道屋という店が実際にあったものか、イメージは通り沿いの店、ありきたりの店を想像させます。しかしそんな店にも善し悪しがあり、「街道屋」どんぶりは明確に前者が意識されていたと考えられます。
味わい深い速筆、上手く散らした梅の花、一見地味だが染め付けならではの品格、そして洒脱な二合半の看板。二作品とも今年の陶芸展示「齋藤三郎の書と絵 展」後半の一部展示替えでお出しするつもりです。
お盆が終わる8月19日(木曜日)から陶芸の一部入れ替を予定しています。
それにしても、ほど良い、丁度良いは、一朝一夕には出来ない高尚な水準にちがいありません。
2021年7月13日(火曜日)
昨夕の空は清々しく赤味を帯び本日の好天を示唆するようだった。
昨夕7時20分ころのほくほく線電車。
左へ下っています。
本日米山、尾神岳の空と雲。
今日の空は青く雲白く、まるで梅雨が明けたような眺めだった。
我が大切な看護師の膝は負傷後24,5日が経った。一昨日退院してご主人と一緒に挨拶に来てくれた。表情はさわやかだったが、右手にストックを持ち小さなリュックを背負う姿は、どこか可愛いがやはり病み上がりを否めない。
それでもリハビリにと言って、本日から午前午後の2回、ワクチンの注射詰めに来てくれることになり、私は随分楽になった。
昨日から事業所と一般の接種を始めている。数を高齢者の半分近くに減らし、午前12人午後6人のペースで6週間余。その後、出来れば個別を止めたいと考えているが、どうなるものか。
2021年7月12日(月曜日)
先週末4日間に亘って行われた2021年女子プロゴルフツアー「 ニッポンハムレディースクラシック」で、プロ7年目の堀琴音選手が初優勝した。
2016年「日本女子オープンゴルフ選手権」決勝ラウンドの終盤、アマチュアの畑岡奈沙選手に逆転され貴重な初優勝を逃した掘選手。かって新人賞に輝いた選手は、以後極端なスランプに陥り、シードを失い引退まで考えながら不調に苦しんでいたという。
しかし今季はコーチにも恵まれ、再び復活の兆しが見え、レギュラーツアーでの活躍が期待されていた。
以下ショットはテレビ東京スポーツの決勝の動画からです。
バンカーが連なる恐ろしげなグリーンに向かって打っていく掘選手。
念願の初優勝。
最後のパットを決めた後ずっと泣きっぱなし。
優勝がこんなに嬉しいものだとは思わなかった、と語っている。
ご覧のように今どき珍しく化粧っ気の少ない選手。派手なマニキュアやピアスも無いことにも驚いた。しっかりした雨用のズボンといい、いかに競技に集中しているかかが窺われる。
2016年秋、日本女子オープンゴルフ選手権で高校生アマチュアの畑岡選手に
土壇場で抜かれた時の堀選手。
プロがアマチュアに負けて情け無い、と言って泣く姿が印象的だった。
(GDOニュースから)
この時 堀選手は「天才が1人来たと思った。勝つべき人です」と畑岡選手をたたえたという。
翌年プロに転向した畑岡は渡米し、一般に1勝さえ困難なアメリカで活躍。くしくも先週同じ日曜日に驚異的なスコアをもって4勝目を飾った。
なお掘選手が勝った最終日、一緒に回った最終組の2選手はいずれも新潟県出身者だった。
優勝経験者で、ママさんプレーヤーとして初の優勝が期待された若林舞子選手はプレーオフで掘選手に敗れ2位に、近時上位が多い若い高橋彩香選手は3位になった。ゴルフにおける当県出身者の活躍はとても頼もしい。
コロナの影響か、若者たちに戸外スポーツのゴルフ熱が高まっているという。ゴルフが好きな私には嬉しい。
2021年7月10日(土曜日)
本日、頸城区は希望館で集団接種に問診医として出務した。
一日1600~2000人規模の接種の午後の部で、いわゆる大規模会場だった。当地域では高齢者をほぼ終了し、すでに16才~64才まで対象を拡大している。
午後1時から5時過ぎまで問診と安静室を受け持った。問診は四人の医師が関わり、接種は7つのブースで行われた。7番目はナーバスな方などに向けてベッドで受けられるべく配慮されていた。
密にならぬよう待ち、受付し移動し、問診および接種、観察を受けることが何列にもなって一斉に行われる。高齢者の方たちと異なり、対象者は病歴や服薬も少なく、終始スムーズに推移した。
膨大な対象、しかも10代後半の方達も多く混じり、若者たちに懸念された緊張による不調も見られず、接種後に安静を必要とする人も無かったことは幸運だった。
途中、迷彩服の若い自衛官のグループが入り、最も混み合ったが、機敏な反応と動作によって流れ良く推移した。
この調子で国内の接種進行を期待したいところだが、ワクチン切れを生じたことは極めて残念だ。
但し、既に接種された若者達にも深刻な副反応が乏しいことが集積され、今後用心深い彼らの安心材料になれば、と思った。
無事終了し、一斉に片付けに入る受付スタッフ。
書類はじめ本人確認の受付、案内と誘導、観察など多岐にわたり非常に多くのスタッフが関わる。
薬液調整、接種、問診など医療系スタッフとともに長時間緊張の一日だったに違いない。
過労はミスに繋がるため、こまやかにスケジュールが管理されていることを望みたい。
折角の接種、変異を重ねるウイルスに十分対応することを心から願っている。
2021年7月8日(木曜日)
本日は髙田の新道地区方達が公民館活動として来館されました。その前に小山作之助の墓碑をご覧になって来られたということ、皆様の熱意がとてもよく伝わってきました。
診療時間でしたので十分な時間を取れませんでしたが、お話しをお聞き頂き誠に有り難うございました。
また午後にはThree Love Joetsu Myokoのちかさんが熱心に取材され嬉しかったです。ちかさんの地域に対する情熱を知り、とても頼もしかったです。地域の興味深いことも色々教えて頂きためになりました。
これまでの写真の一部を見せて頂きましたが、お上手ですね、どうかこれからも長く粘り強く頑張りましょう、有り難うございました。
2021年7月6日(火曜日)
連日の雨にもかかわらず庭の植物はよく順応して頑張っている。
大きなカシワバアジサイとテッポウユリが白さを競っている。
早々と雨のなかで開いたキキョウ。
庭を観察している風。
赤、白、黄色。この一角は雨でも明るかった。
リアトリスが咲き始めた。
田んぼに面した場所で毎年ションションと生えるイネ科の草。
風情が良いので全部抜かないようにしている。
柿が段々大きくなった。
柿は案外難しいようなので少し研究が必要。
2021年7月3日(土曜日)
ファイザーワクチンは途中から注射器が1バイアル5人分から6人分に変わった。それで人数調節が必要となり、一昨日と昨日6名ずつ追加し約7週間かけて高齢者の個別接種が全て終了した。
他に4回の老人施設、2回の高齢者集団接種も済ませ、ようやく1週間ほど休めるようになった。
デリケートで手数が多い薬液の準備調整は看護師が行い、注射は私が打っていた。およそ760回の未経験の筋注はやはり一人一人神経を使い、最も危惧した即時型アレルギーは遭遇せずに済んだ。
施設は看護師が打っている。先日会った彼女たちは、気のせいか表情に疲れが見えて気の毒だった。
実は私のところでは看護師が手術が必要な不慮のケガで途中から休みとなり、後半三分の一以後ワクチン液調整も自分が行った。
さらに緊張が増した2週間が過ぎたが、行ってみると準備時間のしんとした静寂は、大学病院時代に実験室で行っていた作業を蘇らせ、深い懐かしさを覚えた。
12日から職域と65才以下の接種が始まる。縮小した態勢を考え、対象を高齢者の半分に絞って行うことにした。
一息ついた昨夕刻、上下浜に行きホテルを撮った。どこにも出かけないのでせめて眺めるだけのホテルに旅情を覚えた。
遠隔を通過した台風の影響を受けて表情豊かな雲が見られた。
ホテルの反対側に回っていつもの場所。
紫色のとばりが降りる上下浜。
アッカー・ビルクの演奏「Deep Purple」。
“眠りにつく庭に深い紫のとばりが下りる頃、、、”の歌詞があります。
時代を席巻したディオンヌ・ワーウィックの懐かしい「フィーリング」。
ハイファイセットが歌いましたね。
2021年6月30日(水曜日)
カラ梅雨ぎみに推移していたところ、夕刻にいくつも遠雷が聞こえ、1時間ばかりしっかりした雨が降った。
例年この時期、鉄砲百合は咲いて香っては、可哀想なほど雨に痛めつけられる。
しかし今年は雨が少なく、先の予報も曇り時々雨の程度が示されている。今年くらい、百合たちはあまり雨にいたぶられず安心して咲いてもらいたい。
さて昨日のお年寄りの昔話の二回目です。ある奥さんからお聴きしたのはお父さんのことでした。
私は父母の最初の子で、2才になる前に父は招集され仙台の連隊に入った。昭和19年、母は2才になった私を連れて仙台まで父に会いに行った。しかしその後、戦地に向かうため父が乗った船は途中で撃沈され、父は戦死した。
仙台で会ったのが父との最後だった。後々母は再婚したが、私はその相手をずっと「お父さん」と呼ぶことが出来なかった。だが結婚して子どもが出来ると、みなと一緒に義父を「おじいさん」と呼び、初めて親しみを覚えるようになった。義父は早く亡くなったが、長く「父」と呼ばなかったことを今でも後悔している。
百合のつぼみで雨を待っているアマガエル。
黄色の花はいま盛りのレダマソウ(連玉草)です。
2021年6月29日(火曜日)
去る5月18日から始めた高齢者の個別ワクチン接種が、昨日当初の予定6週間を終了した。但し注射器が途中で1バイアル5人向け→6人向けに変更されたため、その人数調整として7月2、3日に6名ずつの追加分が残っている。
その間3日は通常の仕事だけで、ようやく接種のお休み日が巡ってきた。本日その初日で昼寝をし、心身が軽くなるのを感じた。
さて以下は在宅接種の観察時間にお茶とともに出された笹団子です。とても美味しいお団子でした。
在宅は15~20分の観察ですが、その間患者さんやご家族の話を聴きました。接種以外を含め、近時お年寄りから聴いた話を二三記してみます。滞在が短いので詳しくはありませんが宜しくお願い致します。
農家で生まれ育った103才のおばあさんは、新聞の一面を読むほどしっかりしています。
ある日の訪問で、「今朝、看護婦さんが電話をくだすって、助かりました」と仰った。一帯のおばあさんたちは“くだすって”などとはまず言いません。
それを聞いて、おばあちゃんは若い時、奉公に行きませんでしたか、と訊いてみました。
すると、行きましたよ、と言って昭和の初め頃16、7才で奉公に出たという、次のような話をされました。
奉公先は名古屋の商店だった。そこで子守や台所を一生懸命やった。ある日店の夫婦は「この子の在所は、そんなに山奥ではないらしいね」と話すのを聞いた。それまで自分は訛りのきつい田舎の山奥から来たと思われていたようだった。
奉公先の自分の言葉は訛りが少なかったかもしれない。それは、かって縁あって髙田の婦人会に参加し、一緒に勉強したり奉公袋を作ったりして奥様たちと交わったため、自然と言葉が良くなったように思う。
そもそも当時「髙田の言葉は日本全国で通用する」と聞いていたが、名古屋に行って、本当だと思った。その後も出来るだけ言葉に気を付けるようにした。
※奉公袋:出征する兵士が戦地に持参する袋で、身の回り品を入れるもの。千人針もこしらえて一緒に入れたという。
以上ですが、“髙田の言葉は日本全国で通用する”という話を初めて聞いて、少々びっくりしました。名詞や助詞に独特さはありますし、普段とよそ行きで区別があるのかも知れません。しかし妙高、糸魚川を含め上越一帯は、ずーずー弁的な訛りや特異な抑揚が見られないことなどから、確かにその説は当たっているかもしれないと思った次第です。
2021年6月27日(日曜日)
今から10年前、大震災と原発事故に関連する政府のコメントに「安心安全」というフレーズが盛んに使われた。
その言葉の曖昧さがとても気になって、当時安心・安全の愚とブログに書いた。具体性が曖昧のまま事態が流れる印象を否めなかったからだった。
安心安全、また安全安心は、2000年に始まった介護保険制度の議論の中で盛んに登場するようになったやに思う。画期的な制度の議論で、自治体の要人たちは安心安全を常套句とした。述べられるものは役所が用意した数字などであり、責任者としての意識と意欲は薄かった。
挨拶などの終わりには「制度も大事だが、体を鍛えて福祉の厄介にならないようにしよう」などとよく結んだ。
体は鍛えてもらうのは良いが、その後に巡りくる不自由を手当てするのが介護保険。
制度の意味が理解出来ず、肝心な話の方向が違うのであり、委員会では精一杯抵抗し理解を促した。
どれだけ鍛えたか知るよしもないが、その方達は後に、忌み嫌っていた介護保険にしっかりお世話になったはずである。
介護保険、大震災、コロナ禍とオリパラ、、、多用される「安心安全」。
そもそも安心させたいのであれば、安全を十分確保しなければならない。
ちなみに交通安全週間と言うが交通安心週間とは言わない。職場で労働安全週間と言うが安心週間とは言わない。
これらで安心と加えた場合、途端に気が緩みそうである。
安心という言葉には危険な側面がある。
安全を掲げたビル建築工事の下は、工事が完成するまで安心ではない。最初から安心を掲げたら「ウソだろう?」という事になろう。
過日の西村長官の会見は「安全・○○」(○○は確実だったか?)と述べ、「安心」が外されていた。
ある意味正直だと思い、むしろほっとした。
安全は科学的、可視的で明らかなものである。
一方安心は心理の問題で漠然としている。
安全でもないのに、上手いことを言われて安心してしまうことは、世間ならどこでも起こり得る。
国が行うのは安全を可能にする科学を徹底させ一日でも早くコロナ禍を終わらせることだ。
弁を弄して曖昧な「安心」を繰り返すことではない。
ぼんやりだが、私達は安心と安全のちがいを認識していて、聞かされる「安心安全」に違和を感じ、「安全」が薄められるのを心配するのである。
以下は今週末の写真です。
昨日見た近隣のタチアオイ。
昨日新しいベンチで読書する人。
昨日、蓄音機でシャンソンやクラシックを掛けました。
5,6カ所で咲き始めた庭のテッポウユリ。
次第に一種「森」的な雰囲気が出てきた本日美術館の雨の庭。
お客様も庭を愛して下さっていることが伝わる。
本日閉館前にコーヒーを飲んだ。
国は、ふだん国民が色々考えたり国を批判することを好まない。
だが近時、過酷なコロナによって、ものを考えることが自然に増えた。
2021年6月24日(木曜日)
昨日夕刻近くの田でタチアオイが風情良く咲いているのを見た。明日午後は休みの日、お天気が良ければ近隣のその花を観て回ろう、と考えた。
そして本日、晴天となり午後のいっとき、車を走らせた。
昨夕6時半ころ、大潟区のタチアオイ。
以下は本日午後に見た花です。
頸城区で。
頸城区で。
以下三枚の写真も頸城区です。
地名は分かりませんが同じ場所です。小さな流れに沿って沢山咲いていました。
頸城区で。
大潟区で。
大潟区で。
頸城区で。
頸城区で。
およそ50分の花巡りでした。タチアオイは水田集落に良く合いますし、この時期の晴れ間は特に映えるようです。
そして夕暮れの電車を撮りに再び出かけますと、
夕陽を浴びて電車がきました。
実はその直前まで近くに現れたタヌキを撮っていたのです。
カザッと言う音がしてタヌキ(多分)が現れました。
向こうへ逃げると思いきや、近づいて来ます。
座りました。
物憂げなポーズを取る風情。
間もなく草むらに去り、その後電車が来たというわけです。
10数メートルほど離れた対面。こんな近くでタヌキを見るのは初めてでした。
夕暮れにタヌキと出合う。
どこか人慣れしている風で親し気でしたので、一瞬化かさているのかな、と錯覚しました。
キツネは痩せていて、辺りに紛れてサッと現れスッといなくなります。
一方丸いタヌキは、一般にこのようにうまく近づいてくるのでしょうか。
だとすると人を化かす、だます、と言い伝えられる二種のこれら動物。
上記の二通りは、社会に於いても欺しの基本的な態度かもしれない、とふと思った次第です。
キツネ、タヌキには申し分けありませんが、昔の人は良く観察し、上手く比喩に用いたと感心します。
2021年6月21日(月曜日)
今夕、一時夕焼けがみられたので、上下浜へ行きホテルを撮ってみた。
良い時間はとても短い。
ロケーションに恵まれているホテル。
チガヤの白い穂が優しく揺れている。
さて本日接種は18人で、うち二人は在宅の人だった。かかりつけに限定して予定した376人の2回接種がようやくく終わろうとしている。
自分で打っているため一人一人とても神経を使う。
また副反応については多様さに驚きを禁じ得ない。それでも何とか克服されているようであり、今後も無事に推移することを心より願っている。
一方、一昨日の土曜午後は2回目の集団接種の問診に出向いた。前回4時間半の缶詰めだったが、今回は予定通り4時間で終了した。前回、湯も茶も無い4時間半は少々きつかった、と担当に言ったところ、本日はペットボトルを一本買ってきてくれた。他の出務者はどうしているのだろう、またの機会には自分で水を持参しよう。
新潟県のコロナ報告が一両日ゼロになり、全国的にも数字が減少している。
頼みの接種は進み始めたが、相手には執拗に機を窺う一種ターミネーター的な側面が見え隠れする。
心晴れるその日まで、まだ油断は出来ない。
最前線の病院が何とか一息つければ良いのだが。
2021年6月18日(金曜日)
先日美術館に行くと、スタッフが“裏のベンチで小さな赤ちゃんを連れたお母さんが座ってお茶を飲まれた”と嬉しそうに、話してくれました。
良いお天気で、爽やかな風が吹き、とても気持ちよさそうに見えたといいます。
お伝えしていますように樹下美術館には、以下のように三つのベンチ席があります。最近の緑のベンチを載せてみました。
開館以来の裏手のベンチ。
水田に面していてますが、稲が随分伸びてきました。
昨年こしらえた鉄の椅子、テーブル席。
建物の真裏にひっそりとあります。
今春しつらえた駐車場に隣接する木製のテーブル&ベンチ。
これからの季節、晴れた日にどうかお座りになってみてください。いずれの席でも飲食が出来ます。
以下は「そよ風と私」、原題は「アンダルシア」。カテリーナ・ヴァレンテが歌った曲でしたね。
ジョン・ノーマン指揮のコーラスで「そよ風と私」。
ペペ・ハラミジョのピアノで「そよ風と私」。
本日6月18日、当地も梅雨入りしたと報じられています。
今年はどんな梅雨になるのででしょう。
宜しければ晴れ間に外の椅子に座り、海からの風に当たってみてください。
2021年6月16日(水曜日)
15,6年前に東京のデパートの展示会で味の良い伊賀風の壺を購入した。
辻村史郎の作品だった。
昨日NHK総合放送の番組フェッショナルで辻村氏のドキュメントが放映され視聴した。
「作ることが、生きること 陶芸家・辻村史朗」のタイトルで、サブタイトルは-孤高の陶芸家・辻村史朗 山奥で生きる日々に密着-だった。
奈良県山中の仕事と生活はまさに自然とともに営まれている。そこで土と炎にまみれて汗する作家の姿に感銘を受けた。
番組で、
“作品を如何に作るかではなく 如何に生きるかである”。
と述べ、
苦境については、
“嘆くのにも、前に進むのにもエネルギーが要る。同じなら進む方にエネルギーを注ぎたい”
という主旨を口にされた。
理想に執念を燃やし苦闘する人に相応しい言葉だと思った。
以下は樹下美術館で所蔵する作品です。
自然釉の壺に山岳と人の美。
ご長男・辻村唯氏の平茶碗。
茶を飲むと美味しい。
独学で、まあよくもここまで、と感嘆させられる氏の作品。
世間の名を求めず、失敗を肥やしに造形家として、美への執念ひと筋に生きる賜物ではないだろうか。
嘗て氏のことを知らず、ただ良かった、というだけで作品を求めたが、放映を観て素晴らしい人であることを知った。
現在樹下美術館はコロナの影響を考え、月末の呈茶を中止していますが、再開の際には、齋藤三郎作品とともに辻村氏親子の器を用いたいと考えています。