夕刻のツグミとコハクチョウ 「田んぼのカラス」とは Y字路は魅力的 雪の歌句。

2022年2月6日(日曜日)

終日絵を描いて過ごした。はかどっているような後戻りしているような妙な具合。何事も為した分だけ意味があるとして納得した。

座ってばかりもいられず、夕刻4時過ぎに車を温めてから近隣を走った。
鳥の影が動いたので車を止めた。雑木林の低地に大きな水溜まりがあり、数羽のツグミがいた。
一両日新雪が足されて餌に不自由していることが考えらたが、戯れたり吸水するなど元気に見えた。

 

ツグミはじっとしている時間が長いので撮るのに助かる。

雪降る田んぼにコハクチョウの群がいた。

あちらこちらでカラスが群に混じっている。
白鳥は稲の根をあさるが、カラスはここで何を食べるのだろう。

「田んぼのカラス」。
かってある方が、仕事の出先で成果を上げない部下の様子を「田んぼのカラス」と形容するのを聞いた。出たは良いが何かいいことあるかなと、ぼんやり過ごしすことを指すらしい。

本当にカラスは田んぼでぼんやりしているのだろうか。以来、田でカラスを目にするたび、どうなのか見てみた。
すると全てではないが、熱心に餌を探すわけでもなく戯れるわけでもない。大きな群でも多くのカラスは漠然と「そこに居るだけ」という、手持ちぶさたな雰囲気を漂わていることがよくあった。
この言葉を日常耳にすることはまずない。多分造語だろう。さすがT氏の洞察と感心した。

 

雪中ひと休みするコハクチョウの若鳥。
若鳥たちは見た目親より気品がある。

 

帰路の大潟区。
どこであれY字路を見ると、いいなあ、と思う。

明日から高齢者の三回目コロナワクチン接種が三週目に入る。あまり降られると駐車に不自由を生じるのでどうかほどほどにしてもらいたい。

降る雪に鴉の声のくぐもれり
くぐもれる鴉の声に降る雪の深さ思ひて日は暮れにけり

差し迫った施設療養と県の説明会 もっと楽しんでもいいのでは。

2022年2月4日(金曜日)

コロナ禍は特異なオミクロン株の拡大によって療養、治療とも方法が変わってきた。自宅が主な療養の場になったのに伴い、障害者や高齢者の施設療養が差し迫った課題となった。

施設は入所者さんの心身特性と閉鎖的で集団的な環境のため、感染症に対する脆弱さを否めない。
これまで比較的大規模な騒ぎを免れてきたのは、ひとえに地域の施設スタッフ挙げて取り組んだ予防の賜物だと思う。

昨夕YouTubeを使った新潟県による講習会があった。冒頭のようなオミクロン拡大に対し今後ニーズ増大が懸念される施設内療養の要点が説明された。
(当然重症者は病院医療になりますが)
予防と防護テクニックの確認、検査キットや備品の確保、館内のゾーンニング、抗ウイルス薬使用の必要諸事項、スタッフ確保と休養、メンタルヘルスおよび県の支援など逐一詳細だった。

ところで三年目になったコロナ禍。
公から“注意深く見守りたい”が連発される。だが何事も事態は悪化か、維持か、改善か、3パターンしかない。常に三通りを想定して柔軟に準備する事が必要だ。
専門家は十分にいるし世界一のコンピュータ富岳もある。だがその富岳では室内におけるウイルスの飛散くらいしかシミュレーションが示されず、果たしてちゃんと使いこなされているかもはっきりしない。

望むらくは見守るだけでなく、エポックごとに三様の対策を先回的に用意して臨むのが今日の方法であろう。
その点、このたび新潟県が行った講習会は非常にタイムリーだった。
不肖自分は特養、グループホーム、障害者施設の三カ所に部分をまじえて関係している。
昨日の説明会で切迫感が伝わり、身が引き締まるのを覚えた。

一方コロナはオミクロン株で弱さを装いながら拡大し、最後に脆弱な高齢者や障害者をターゲットにして仕上げるストーリーを描いているかもしれない。
このたびのある意味最悪を想定した講習会は現実的だと思った。このような事は杞憂でも構わない。それならそれで幸いではないか。

さて連日恥ずかしげもなく傘寿になったことを書き連ね申し分けありませんでした。
挙げ句励ましの品を頂戴し、さらに申し分けなく思っています。

 

佐賀県のお豆腐。
鍋を見ただけで美味しいことが分かった。
一緒のタレも良く、食していっそう旨かった。

 

静岡県三島の富士山羊羹。六色あって美しいお菓子だった。
さっそくお抹茶のお伴に頂きました。
忘れん坊の自分のためにポシェットまで、、、。

さていつものYouTubeからです。


スペインの若者達が大人と一緒に演奏する
「ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET(明るい表通りで)」
その通りで老若男女が楽しく踊る。

私は基本楽しいダンス音楽が好きです。
今やダンス(歌もそうですが)はアクロバットやサーカスの如く高度なテクニックを見せるばかり。それはそれで良いのだがどこかに皆で楽しめるダンスや音楽は無いのでしょうか。

どういう訳か私達はややもすればお利口さんを意識しすぎて、堅苦しく生きているように感じます。出来れば皆でもっと気楽に楽しめればなあ、、、と思うのです。

冬は半ばを過ぎようとしているかもしれません。早くON THE SUNNY SIDE OF THE STREETを歩いてみたいこの頃です。
但し、この先二三日かなり雪が降りそうです。

亡くなった人を思い出すこと。

2022年2月2日(水曜日)

あるところに小柄で色白でいつも静かなKさんが住んでいました。背が真っ直ぐ、銀色の髪にしっかりした眼差しの瞳はグレイでした。詳しくありませんがどこかロシア人を思わせる美しい人だなと思っていました。
その昔お会いした亡き旦那さんは男前で絵が上手な職人さんでした。
一人になった後、Kさんの静かな暮らしぶりには何かしら物語が秘められている印象を受けていましたが、立ち入って訊いたことはありませんでした。
80半ばになると彼女は施設に入り、受け持ちになりました。ある時期いっそう静かになっているのが気になりました。
そんな折、お茶のためにベッドから身を起こした所へ伺いました。
「どうですか、変わりありませんか」
「はい」
「そうですか。ところでKさんは親のことや亡くなった人のことを思い出すことがありますか」
「ありますよ、どうしてですか」と、瞳をこちらに向けました。
「あのね、亡くなった人たちのことを思い出すと、天国で眠っているその人は眼をさまして、すごく喜ぶんだって」
「本当ですか」
「そうらしいよ、思い出すだけで喜ぶんだって。青い鳥という本に書いてありましたから」
するとKさんはしばらくじっと私を見てから、
「ありがとうございます」、「ありがとうございます」と、何度も繰り返えし、白い手を差し出してきました。
思いがけない反応に驚き、出された手を触れるように握ったあと戸口へ向かうと、
「ありがとうございます」
後ろからまた声が聞こえました。

高齢者さんに亡くなった人を思い出しますか、と尋ねると「はあ?」という返事が多い中、Kさんの反応は珍しいことでした。
彼女はどんな人を思い出すのか分かりませんが、意外なほど話を喜んでくれました。
そのことで彼女は幸せな人だと思いました。

昨日の父の話からKさんへ移りました。プライバシーのため設定などを一部を変えています。

今日は五つも2が付く日でした。

80才の誕生日に「Song for My Father」。

2022年2月1日(火曜日)

昨日の予告?通り本日無事に80才を迎えることが出来た。
高齢化で身体にほころびが出てくるのは好かないが、今日まで生きたことには思いもしなかった目出度さが去来した。

昨日は、お世話になった方々へのお詫びと感謝を記した。しかし肝心な親への感謝をすっかり失念していた。
仕事場で、「長生きできたのは先生のお陰です」と時々言われる。
そのようなときは、「いやとんでもない、なによりあなたの親が良い体に生んで呉れたんですよ」と応える。
すると不思議そうな顔をされた後、あ、そうですかね、と仰り、どこか嬉しそうな表情が浮かぶ。

歳をとると親の事などどんどん忘れる。しかし時には、自分にも親が居たんだ、と思い出すと一瞬幸せな気持になる。

 


ホレス・シルバーのコンボで「Song for My Father」
浪人時代の正月、ホレス・シルバーが来日し、
学生服を着てサンケイホールへ聴きに行った。
80の誕生日にあえてこのような「父への歌」を挙げさせてもらった。

後付けで申し分けありません、ホレス・シルバーは以下のような感じの人です(2月4日)

 1961年(昭和36年)正月、東京公演滞在中の一コマ
(「東京ブルース」のアルバムジャケットから)。
幸せそうなシルバー。

当時黒人は米国ではまだ差別に遭っていたようですが、シルバーは日本でとても歓迎されました。出光石油の令嬢がすき焼きに誘うなど、熱気あふれる当時の様子が今はなきスイングジャーナル誌に掲載されました。

ところで自分の誕生日2月1日は父と同じ。苦手な干支も一緒の馬。珍しいなど色々言われたが、ともに寒い時期に生まれたんだな、という感慨はあった。
それより、後年私が大学を卒業する年、上京した父はタクシーの中で、
「長いこと嫌いな勉強をさせて悪かったな」と突然言い、とても驚いた。
勉強は嫌いではなかったし、むしろ面白いと思っていたのであまりに唐突だった。
だが考えてみれば学業優秀、もっぱらベートーベンを聴いた父。自分は上掲のような音楽ばかり聴き、盛んに部活をするなど、勉強嫌いに見えていたならその通りだったのだと思う。
ただ父の言葉にどこか心身の弱りを感じてしまい、車中とても申し分けない気持を覚えた。

さてなんとか男の平均寿命に達した。
しかし昨夏の事を考えれば、到達はそう容易でないことも知った。
これでようやく一人前になれたのかもしれないし、
先はそう長くはないかもしれないし、これからが本番かもしれない。

いずれにしても今日あることをあらためて親に感謝したい。

 

誕生日めし、妻のかに玉丼

本日から高齢者向け三回目ワクチンが始まった。本日は24人で合計は360人だという。今回は倒れないようにしなければ。

今日は70代最後の日。

2022年1月31日(月曜日)

2012年2月2日に70代になったことをブログに書いていたが、本日その最後の日だった。
最後の晩に振り返ればひとつ夏の心臓発作の事件があったほか、仕事と樹下美術館が二本のレールのように私の前後に続いているのがはっきりわかる。
結婚のほうはレールではなく空気か霧・霞みのようなものがフワフワと私達を包んでいるような有様だ。

ところで10年前に三組の夫婦で会った大学時代の友人が、70を迎える時、「この先の10年で俺たち半分に減る」と予言した。
10年経ち私が死に損なったほか皆元気で予言は当たらなかった。出来れば今年年末あたり皆で食事をしてみたい。

生き死はともかく、晴れて80才になっても、手抜き出来ない予定が既に立っている。間もなく今年の美術館催事を発表をする時期が近づたこと、明日から3回目のコロナワクチンの個別接種が始まることである。節目の感慨にひたるヒマも無く、せかされるように明日が始まる。
だが明日の夜だけは、80才になったぞ!と言ってお酒をちょっぴり口にし、お抹茶を服したい。

遅くなったが、70代最後の今夜「THE LAST WALZ]を二つあげて明日を迎えたいと思う。

 


60年代発表のエンゲルベルト・フンパーディング
「ラスト・ワルツ」。

 


カラベリ楽団の「ラスト・ワルツ」

生まれてこのかどれだけ多くの人にお世話になったことだろう。数えたらキリが無いほどの失礼があったはずなので、この場を借りて、深くお詫びしたい。また強く影響を受けた人も沢山いたので心から感謝したい。

少しずつ絵は進むのか 今日の食事 近隣の夕暮れ 久し振りの大河ドラマ。 

2022年1月30日(日曜日)

本日は昼近くまで寝て曜日。1週間に一日くらい馬鹿になって眠ることを体が要求している様子。昨夏の心臓発作以来少々体調が変わっているのが分かる。

起きて朝昼兼用の食事を必要以上にちょっぴり摂る。サラダと8枚切り食パンを2分の1、牛乳50ccと紅茶で終わり。ちょっぴりにすると体が喜ぶようであり少しもイヤではない。

それから絵を描いた。色々といじくりながら、絵の具や油の扱い方が少し分かってきた。

この絵を中心に色々やってみた。
さらに色、陰影、詳細の描き込みなど楽しめればと思う。

12月30日の状態。
この先どうなるものかと案じていた。
作品は一応他者の眼で観るようにしているつもり、、、。

ずっと家に居たので夕刻の田を走った。
少しずつ日が長くなっていることが分かる。

南三陸町からのカキはフライにタラはタラ汁になった。
まだホタテが残っている。

フキノトウのテンプラ。

 

妻は過日に続き本日も樹下美術館の庭からフキノトウを採ってきた。
人様にもあげるつもりらしい。

毎日曜夜、大河ドラマを観ている。毎回の大河は「天地人」以来だから本当に久し振り。
「鎌倉殿の十三人」は楽しめる。私はドラマや映画は如何にも役者さんが「演じている」風なのが好きだ。リアルなものはどうしても冷めた料理のように感じてしまい駄目である。

近時テレビは器用な芸人さん達が各方面に我が物顔で活躍するが、俳優さんたちはせいぜいゲストで、出番も少ない。
しかしこの度の大河は、日頃の鬱憤を晴らすが如く役者さんの熱気が伝わる。張り合いが演技にあふれ、冬のさなか観ていて心身が温まりそして楽しい。
練られた見せ場、テンポ良い脚本、考証されたであろうセットなど、手作り感十分な「鎌倉殿の十三人」は良い感じに写る。

田のハクガン ほくほく線とコハクチョウ 早春鍋?。

2022年1月29日(土曜日)

時折小雪がちらちら降った曇の土曜日。
ハクガンを見るため(撮るため)午後近隣へ出かけた。最近は居場所が大体分かり、本日四カ所目で出会った。このところ数十羽のグループを見てきたが本日は百羽はいたと思う。

 

今年撮ったのは飛翔ばかり。本日は田の食餌に出会った。
ヒシクイが守るように囲んでいる。
双方ともカモ科マガン属。
鳥たちの間で自分より希少な種を守ろうという意識?が
働くのだろうか。

以下Wikipediaにある環境省レッドリスト分類です。

環境省のレッドリスト分類

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時たま近隣にコウノトリが飛来する。ハクガンと同じくレッドブックでCR(itically Endangered)に分類されている。是非見たいが出会わない。上越市稲田で最近中学生によって撮影された写真が新聞に掲載されていたが、羨ましい。

 

ほくほく線とコハクチョウ。

雪が少なくなり、髙田のお堀から当地へ戻ったのか、
数が増えているように見受けられる。

 

夕食は南三陸町の弟から届いた寒ダラ、豚肉、ワカメに地元の豆腐などの鍋。
弟の助言でタレに美術館で採ったフキノトウを刻んで足した。氏によれば「早春なべ」と言うことだった。

抹茶やゴーヤなど苦みが好きなので
一緒に口にすると確かに美味しかった。

ほかにホタテとカキが送られているが、カロリーとコレステロールが高いので明日に回すらしい。

樹下美術館にフキノトウとクリスマスローズの蕾 白菜料理。

2022年1月27日(木曜日)

予報に雪のマークがついていた本日木曜日。予報が外れ?柔らかな日射しがよく射した。

 

午後の近隣。

美術館裏手の土手で雪が消え、妻とフキノトウを探した。

 私は五つくらい採り

 

妻は沢山採った。

 

雪から顔を出していたクリスマスローズの蕾。

まだ降るだろうが、雪の下では春が仕度をしている。

 

夕食のおかず。
梅干しと塩昆布のダシにゴマをあしらった白菜の炒め物。
白菜がこんなに美味しいとは。
NHKのレシピらしい。

待っているとハクガンが来た。

2022年1月26日(水曜日)

本日午前中、外来のカーテンは清々しい日射しに染まり気持が良く、こんな日ならハクガンを探してみたいと思った。

午前の仕事が終わりいざ出かけようとするとポツポツと雨が降り始めたが出かけた。
よく鳥を見る場所で白鳥とマガン、ヒシクイの小さな群がいた。雪の田を探し回るより、ここで待っていたらハクガンが来るかもしれないと考え、じっとしていた。

 

しばらくコハクチョウ、マガン、ヒシクイを見ていた。

20分ほどすると、

一羽のハクガンが現れた。

 5分後東の方から数十羽が。

 

 

ああ雨の中美しや。

あたりを周回した後、近くを通った大きな群に加わり、行ってしまった。

探鳥は追いかけるのが普通かもしれないが、時には待っていると来ることがある。前の餌場を食べ尽くしたか、その近くで人が騒いだかすると場所を変える。
たまたま今日は期待通りになり十分だった。
それにしても最初に現れたあの一羽は何か役目があったのだろうか。

小林古径記念美術館行き 齋藤尚明宅訪問。

2022年1月24日(月曜日)

雪も風も無い穏やかな昨日日曜日、小林古径記念美術館と齋藤尚明氏(二代陶齋)宅を訪ねた。

このたび古径記念美術館の記念室に「少女」が2枚あり、入り口の1枚は初めて観た。隣の日傘を差した「少女」は以前からの馴染み。両者シチュエーションと年令は異なるが同じ少女を描いているように思われ、とても可愛いと思った。

 

「少女」

同館で今年1月4日~3月13日に開催されているコレクション展「白の世界」を観た。
「白の世界」は三部に別れている。「色彩としての白」の部で倉石隆の「さとうひさこの像」および「余白・空白の白」の部に「Kの肖像」および「粉雪が舞う」があった。
いずれも一昨年樹下美術館が貸し出しを受けた大作で、冴えた照明のもと一段と輝いていた。

斎藤真一氏の「明星 二本木の雪」の構図と雪原の瞽女さんおよび雪山の素晴らしさに、あらためて釘付けになった。
澄み渡る宵の頸城野。中央を外した右遠く三人の瞽女さんが歩み、行く手の空低く大きな星がひとつ現れている。瞽女さんたちはしんとした広大な雪原を温める小さな心臓のようだった。
これを詩と言わずして何といえば良いのだろう。
雪をいただく連山のグラデーションは素晴らしく、一体どうやって描いたのか、穴が開くほど観た。万一描き方を教えてもらっても、当然ながら絶対に描けない。

ところで、かって現代美術を先駆けた多摩美術大学教授末松正樹氏を中心に舟見検二、矢野利隆、賀川孝、倉石隆、筑波進ら上越出身者が多く加わった当県県人による主体美術協会のグループ発表展「ネージュ(フランス語で雪)」があり、長く継続された。
1972年4月に東京で第一回の発表展があった秋、それを上越市立博物館開館の特別展にすべく市川信次館長が企画。作品の到着まで終了した段階で突如中止になる出来事があった。
本日の会場の一隅にそれを知らせる当時の新聞が掲示されていた。
開催を前に上越市議会が、博物館条例には美術展の開催が書かれていない、という理由で駄目を出したのだ。美術館は博物館のジャンルに含まれるが、当時その解釈が無かったとは思われない。

政治、行政が文化芸術に否定的な姿勢を特権の如く行使し、立場を愉悦するようなことはあってはならない。芸術に対するそのような公の介入は豊かであるべき文化の存立に反して貧しい。
作品展は後日髙田のやま江家具で開催されたというが、昔話にしても悲しい歴史だ。

今回招待券を頂いた掘川紀夫さんの「Snow Performance ’85-5J」も面白かった。自ら雪原に身を投じ、一瞬にして千手観音あるいは鳥に化身されている。どのような時間帯だったのだろう、しっかりと陰影が付き成功している。懐かしい童心まで蘇った。

齋藤三郎さんがかってのお弟子志賀重雄氏に当てた書簡は、こまやかな愛情にあふれ胸打たれた。お二人とも白い器が出品されていた。それぞれ風土の色が滲み心和んだ。

こまやかさが隅々まで良く行き届いたコレクション展だった。

この後、久し振りに齋藤尚明氏宅を訪ねた。
今年樹下美術館の催しに関する大切なお願いが目的だった。その場で快く引き受けて頂き感謝に堪えない。
勝手に拝見した作品展示室の市松模様の色絵水指はとても良かった。
氏は物識りで話は面白い。京都の修業時代の茶の稽古における、高きゆえ自由な師範の姿勢は特に興味深かった。

 

今夕は半たまのラーメン。
麺はご近所の素人さんの作ながらとても美味しい。

一筆ごとに試行錯誤の絵 母の面白い言葉。

2022年1月22日(土曜日)

一日中曇の土曜日。
午後は休みだが気がかりな人がいて午前に往診をした。一昨日から2本の連続点滴を足にしていて、今朝初めて眼を開け水を少し飲んだという。おもゆが行けそうなので今日は1本にして、エンシュアを試すことにした。上手く行ってくれと願っている。

午後ははっきりしない空のまま過ぎる。
鳥を止め、絵を引っ張り出して色々やった。
水彩の植物精密画はハイライト(光る部分)としてボードの白色を残し、乾かしながら周囲から薄く薄く加色し明るい所から影へ進んだ。
この分野の教則本を色々見たが肝心の所、特にグラデーションについて丁寧に書いてあるものは皆無で、自分で色々やってみるほかなかった。

この度は油彩で描いている。水彩より色が伸びるのでグラデ-ションは楽かなと宛にしていた。しかし筆で描いているのでタッチが出やすく自然なグラデーションは容易ではない。
2014年の作品展で30点ほどの小品を油彩で描いたが、初めてにも拘わらず何とか形になった。それに比べ、今回は絵の具が画面をツルツツ滑って落ち着かない。

キャンバスを磨き過ぎたのもあり、当然歳のせいも否めない。しかしこれが最後、始めたからには言い訳などを言ってはいられない。

 

三種類のモチーフを色々な書き方で試している。
色々出来るのは油彩の利点。

 

一筆一筆全てが試行錯誤。花の厚みと強さがまだ出てこない。
水彩の場合は苦労して、最後に急に絵が立ち上がってきた。
いつか調子が出れば良いのだが。
うまく行かない場合全て塗りつぶすことがあり、すでに何枚かそうした。

紙のパレットを用い、絵の具はほんの少量しか使わない。水彩の時はさらに少なかった。
生前、私のパレットの絵の具を見た母は
「キスの腹わたみたいだ」と言った。
どういう意味かと訊くと、
「ちょびりしかないから」と言い、
どうしてそんな言葉を知っているのかと思ったが
「だってそう言うだろうが」というのが答だった。

ある日床屋から帰った私を見て
「頭の張り替え」と言ったこともあった。生まれ故郷の佐賀県では普通の言葉だったのか。

SDGs? 東西南北、、、異文化は楽しくもある。

雪の蜘蛛が池 1週間の早い遅い。

2022年1月21日(金曜日)

昨夜から冷え、今朝は道路が凍り、あたりの雪が少し増えた。

本日在宅回りの蜘蛛ケ池。
集落の眺めは雰囲気がある。
(スマホ撮影)

三軒を回り、帰路の車中、
「明日は土曜日だよね」と看護師さんに訊く。
「はい」
「1週間は本当に早いなあ」
「そうですね」
「1週間は早いのと遅いのがあれば、早い方がいいかな」
「うーん、そうですか」
つまらない話に付き合う看護師さんは気の毒である。なぜ早い方が良いかというと、休める週末が早くくるからという簡単な理由。

楽しみは待っている間が幸せ。だが休みは直ぐ来るがすぐに終わる。それでもやはり来るのを待つ。
明日土曜日は穏やからしく、いっときなら晴れ間もありそうだ。ハクガンはまだいるだろうか。

寒波が降らした 寒波の中の鳥たち コロナはさらに異質に 三三九度 どう見ても立場は悪い。

2022年1月20日(木曜日)

本日は二か月一度の受診日。一番を目指してみたが雪のため随所でのろのろ運転となり、随分遅れた。受診の結果は前回同様ほぼまあまあだった。「ほぼ」も「まあまあ」も満点では無いので、一定の生活管理は続けなければならない。
帰宅後に外来があるので次回はもっと早く出て一番を果たしたい。

それにしても病院は寒波にも拘わらず混んでいるし、朝早くから仕事が始まる。さらにオミクロンによってコロナが急増し受診、相談も多く、皆さんの自己防衛もあり大変だという。

三三九度。形の異なるマスク三枚、帰宅後2時間毎にうがい三回、歯磨き洗顔三回。効果は分からないが受診前後は出来るだけの予防を試みた。なにしろ後期高齢者、三大疾病の持病、エッセンシャルワー-カーの末席、、、どうみても立場は悪い。

以下は美術館前の通りと付近の農道にいた鳥と池の鳥です。

 

美術館前の通り。
除雪が進んで難渋するほどではなくなっている。

道路端で雪のへりから出ている枯れ草にスズメが群がっている。
草の種を食べているのか。

雪の上に止まっているものもいる。

飛ぶものも。

お客さん(ムクドリ)が来た。

一緒に食べるSDGs。

やはり雀とは食べ物が違うようだ。上手く行かず去って行った。
群で移動しているムクドリが一羽でやってくる。
雪が降るたびに鳥たちの群は小さく別れていく。

スズメたちとの距離はとても近く、恐れずに私のすぐそばにいた。積雪が増すほど餌は遠ざかる。用心深くしていられないくらい空腹なのだ。

以下は朝日池のマガモ。

飛び立ったところ。
オスは頭部の緑、首の黄色の輪など特に美しい。
しかもオスメスとも翼のブルーと黄色のくちばし、足のオレンジは言うこと無し。

 

上越市のページによると大潟区の積雪は25センチと出ていた。何処であれ、とにかく少なめに少なめにお願いしたい。

コロナは異質のステージになった。新潟県、当地ともにさらに様変わりするのではないだろうか。

病院の待ち時間に「海辺のカフカ」を読みもうすぐ終わるところまできた。

大寒を前に。

2022年1月18日(火曜日)

時に太平洋岸の方が当地の雪を心配して下さることがある。
確かに予報は降る降ると言っているが、美術館の頸城区や仕事場の大潟区はさほどでもない。今のところ例年より少く、昨年のドカ雪に比べれば10分の一もない。

但しぐしゃぐしゃの雪道の運転はソロソロと行い、在宅回りの駐車にはとても気を使う。
本日は細い道路沿いのお宅でギリギリに駐車したように思ったが、訪問を終えると一台の車が待っていた。手を挙げて何度も謝り、切り返しを繰り返して発進した。

 

先日と同じ場所の本日の様子。

以下は去る土曜午後の鳥たちです。寒風の中身を寄せ合いながら元気にしていました。

 

 

これはヤマナラシの木。木肌のヒシ型模様が特徴的です。
風が吹くとポプラのような葉がシャラシャラと鳴ります。
村はずれで、葉を鳴らす季節が来るのをじっと待っていました。

間もなく大寒、雪の本番はこれからでしょう。少なめにして、と祈る毎日です。

日曜名作座のテーマ曲。

2022年1月17日(月曜日)

前回のブログで小関裕而作曲NHKラジオ放送「ひるのいこい」のテーマ曲の事を記した。そこで最後に同氏作曲のラジオ放送テーマ曲をもう一つ、「日曜名作座」を挙げた。

時々その放送を耳にしたのは、高校時代の下宿部屋。当時自分のラジオは自作で、バリコンに抵抗とコンデンサ、それにトランジスタを一個使ったものをイヤフォンで聴くのが精一杯だった。
(勿論1球~3球スーパーなどと称するスピーカー式の真空管ラジオを手作りする同級生もいた)。

放送時間は22時台と案外遅く、実家から帰った日曜の夜、布団の中で雑音だらけのラジオで時々聴いた。雑音にもかかわらずテーマ曲だけは不思議とはっきり聞こえた。

一度ミステリー風な放送があった。夜遅くシンとした下宿の二階で耳を澄ますと、“その時、小さな黒い影が部屋の暗がりをさっと横切った”というような一節が読まれた。
自分一人が起きていようかという昔の寺町の夜。まだお化けは居ると思っていたので、それをとても怖く感じた。

 


作品はナレーションを入れながら原作が脚色されている。
森繁久弥と加藤道子の朗読は優れ、一人何役もこなした。
ちなみに加藤さんは一人8役の経験があり、
第一回紅白歌合戦の司会もしたらしい。

二人の放送は、1957年(昭和32年)から2008年(平成20年)まで51年間にわたり放送され、その後西田敏行、竹下景子両氏に受け継がれているという。

放送された作品について詳しい記憶はない。だが30分の放送は効果音や音楽が付いていて、それを暗い部屋で耳をそばだてて聴くと映画などとはひと味違うリアリティがあった。

ビヨンーという独特の響きを持った冒頭のメロディは当時電子楽器かと思っていたが、ピッコロとファゴットなどだろうか。
小関裕而氏の印象的なテーマ曲は暗闇の奥深く届きそうであり、放送にピッタリの名曲だと思う。

また降り始めている。どうか少なめにお願いしたい。

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