新潟県立大潟水と森公園の春。

2022年4月2日(土曜日)

午後1時間ほど大潟水と森公園を歩いた。まだ早いかも、と思ったが、庭と足並みを揃えるようにしっかり春のスタートを切っていた。こちらも足が速い。

傾斜地の随所にスミレ。

 

ヒメオドリコソウとオオイヌフグリ。

ミズバショウは白いブラウスが似合っていた昭和美人。

ツクシ。

中々翅を開いてくれなかったヤマトシジミ。

オオイヌフグリもヒメオドリコソウもスミレも、土手で幸せを隠そうとしなかった。

約束に遅れてカフェへ。A氏とB氏夫妻がカフェに見えていてA氏のSPレコードを聴いた。かっての名手達の演奏は現代の超絶技巧とは異質の格調や精神性などが漂う。しかもすぐそこで演奏しているように感じられるから不思議。

いつものように最後にカザルスの「鳥の歌」を聴いた。いつも最後に聴いているが心に沁みる。平和はいくら願っても足りるということはない。

年末にまたSPコンサートをしましょうと話した。その時コロナは?戦争は?どうなっているのだろうか、と顔を見合わせた。

百花の春が慌ただしく始まる 静かだった冬が恋しい?

2022年4月1日(金曜日)

四月になったが終日肌寒い。梅も桜も、いえ寒さのため花全体の開花が遅れているらしい。

 

美術館左手前のコブシが開花直前になっている。
毛皮をまとった花芽と葉芽は小さな動物のようだ。

 

陽当たりの良いところでは毛皮を脱いで開花が始まろうとしている。
辛夷が咲くと次々と花が開き庭は賑やかになる。

 

大勢でひなたぼっこをしている開花寸前のヒトリシズカ。

 

東北大地震の後、主が越した福島県のあるお宅から来たショウジョウバカマ。

数ヶ月間じっとして春を待っていた自分が、今度は慌ただしく春に追いかけられる。
こうなると寒かったが静かだった冬がどこか恋しい。

能登町の蕪寿司 春のお菓子 心に響く歌、響かない歌。

2022年3月29日(火曜日)

予報ではもっと良いお天気になると伝えられた。しかし比較的温かかったが日射しのようなものは無く終日曇った。

弟がお付き合いしている能登町の方の蕪寿司。
研究が重ねられた素晴らさ。

本日かってのスタッフが寄ってくれ、お菓子を頂いた。

菊廼舎(きくのや)の富貴寄(ふきよせ)の「桜色缶」
というもの。
開けると春満開だった。

 

食後お抹茶のお伴に頂きました。

 


心込められた薬師丸ひろ子の「Wの悲劇より」。
さすがプロの作詞作曲だけある。
彼女の「セーラー服と機関銃」もとてもいい。

一方、
“貴方に会って素直になれた
この思い抱きしめて
めくるめく季節の中を明日を信じて
前を向いて歩いて行こう”

かってゴルフの練習場でスピーカーから次から次とこのような歌が聞こえて来て参ったことがあった。どの歌も同じような歌詞(作文)で苦痛になり途中で帰った。
いつの頃からか四方に聞こえるこの歌。聴きようによってはとても幼い内容に写る。ある報道特集のテーマ曲も似たようなものだったのには驚いた。

私でも(誰でも)ちゃちゃっと作ることが出来、後世で何の評価も受けないような気がする。

嵐の翌日。

2022年3月27日(日曜日)

昨日の嵐は当地沿岸ばかりではなく上越市一体に相当な被害をもたらした。
知り合いの畑の小屋は飛ばされ、ある営業所の壁の一部が剥がれたと聞いた。樹下美術館では庭の大きな松の枝が折れて落ちた。数メートルはあるので人が居なくてほっとした。

だが一夜明けて今日は青々とした青空が覗き清々しいお天気になった。鳥や植物に安堵の表情があった。

仕事場のキクザキイチゲ。

樹下美術館の雑木と空。

 

美術館のクリスマスローズ。

近隣の田の空。

雑木林のカシラダカ。

カフェの前に来たジョウビタキ。

ひどい嵐から一日経っただけなのに花が咲き鳥が鳴く。春というのは不思議なものだ。

春の嵐 複雑な今日ゆえ。

2022年3月26日(土曜日)

本日土曜、朝から荒れ模様だったのが午後一段と激しくなった。
雨はポツポツだったものの風は凄かった。

木々はうなり枝は飛ばされ花は腰をかがめて耐えていた。
風は南から吹き気温は20度近くにもなり草木には最悪だった。
毎年春にはこんな嵐の日があり、散々なゴルフだったこともあった。

本日午後近隣の畑。


かって幸せな二人が歩いた緑の野
時も場所も帰らぬが
いつか昔に戻れる日を待ちたいと歌われる。

1960年代は何事も質素で分かりやすかった。学校帰りに駅前の食堂でメザシ定食などを食べて十分満足だった。
今はあれこれあまりに多く耳目と口中に入り、そうかも知れないが違うかも知れない、と悩ましい。

それで当時単純すぎると思っていた上掲の歌などは今は親しめ、かってあまり聴かなかったモーツアルトが優しい。
時代のせいもあるだろうが、一番は歳のせいに違いない。

施設に架かるNさんの絵。

2022年3月25日(金曜日)

本日患者さんがお世話になっている高齢者施設を診察で訪れたところ、見覚えがあるNさんの水彩画がホールに架けてあった。

同じグループの別施設で見たことがあるNさんの作品は風景もあるが花が良く描かれている。

このたびのは初めて観た作品で縦1メートルくらいはあり水彩としては大きい。
感心するのは良く研究されていること、陰影に力があること、構成の緻密さ、植物の迫力、なにより水彩画としてご自分のスタイルに到達されていること、などいつも感心して足を止めさせられる。

「あじさい」

 

「朝顔」
2枚ともアクリル板の上部にに照明が写り込み申し訳けありません。、

如何にも楽しんで描いてらっしゃる風で素敵だ。

ヤブツバキの成長。

2022年3月24日(木曜日)

北側の庭にヤブツバキが咲いている。先日まで固い蕾だったのがいつの間にか開花している。
ヤブツバキは最後まで開ききることなく大事そうにしべを抱えて咲く。
真紅の花が揃って葉の中に隠れるように咲くので、そんなに遠慮しなくてもいいのに、と声を掛けたくなる。

椿の成長はとても遅い。
まことに遅いのでこの場所は合わないのだろうかと心配になる。かと思えば20年近く経って急に花数が増えるのもある。その木も背丈は伸びず、まだ私の背ほどなので特に遅いと思う。

一つ植木屋さんが言うことに、カンカン日が照る所は絶対だめ、というのはその通りで、少しくらいの暗がりがちょうど良いらしい。

以下何本かある中で特に色形が良いと思っているヤブツバキで、丈は1,8メートルくらいです。

 

 

かってあるお宅に二階の屋根を越えるほど大きなヤブツバキがあった。まっ赤な花を非常に沢山付け、毎年楽しみだったがある日切られて小さくなってしまった。

ところで最近訪ね始めたお宅に見上げるほど大きな木がある。90過ぎのお爺さんが、“私の爺さんが植えた木らしい”と仰った。植えて100数十年は経っていると考えられるが、今まだ蕾は小さい。この先どんな花が咲くのだろう。

南の庭の土手近く、フキノトウが伸びていた。
柔らかい色がとてもうぶうぶしい。
テンプラにすると美味しいと、お客さんから聞いた。

午後から陽が射したが寒かった 侵攻はリンチ。

2022年3月22日(火曜日)

時折小雨が混じる寒い日。午後から陽が射したが寒さはつのった。
上越市髙田で最高気温5,2度。驚いた事に北海道網走の5,7度よりも低くかった。
寒い訳だ。

 

 

雨上がりのアプローチ。
明日から気温は少しずつ上がってくるようです。

 

雨を降らせて身軽になった雲。

 

美味しいと評判のピクルスが仕込まれていた。

 

ロシアのウクライナ侵攻は容赦のないリンチ。
かっての同志の敵方への寝返りが我慢出来ない。
独裁は自国の劣化を招来し旧知の自由と幸福を許せなくなる。
裏切りを口実に隣国が築いたものを気が済むまで破壊する。
幼弱の極みだが凶暴なものが勝者になって良い訳がない。

恋愛や結婚、友情や思想でも同じ事が起こり厳しく罰せられる。
国なら許されるはずは無く、必ずや制裁されなければならない。

あまりの惨状に目を覆いたくなるが、さらなる波乱へ転じることがあるのではないか。
必死に抵抗するリーダーと、仲間を救おうとする国や個人の努力に畏怖を覚える。

今年始めての週末日曜日 美味しそうな厨房 ホオジロ 水仙。 

2022年3月20日(日曜日)

今年の開館後初めての週末日曜日、ほど良く皆様に来て頂きました。カフェだけの方も大歓迎なのですが、今年の展示が湯呑と盃、絵画は新蔵品と裸婦で見やすいせいでしょうか、展示もよく見て頂き感謝しています。

昼に行ってみますと厨房が美味しそうでした。

ホットサンドやベーグルサンドに付くピックルスとサラダ。

 

甥が営む自家製粉の健康なパン屋さん「ハレノヒi」のベーグル。

 

今年からメニューになった「白玉アズキアイス」
450円です。

 

夕刻犀潟海岸で鳴いていたホオジロ。
澄んだ声で短いメロディを歌っていました。

 

仕事場の水仙。
何も構わないのにとても良く咲きます。

 


懐かしい1960年代のフォークソング「七つの水仙」。

 

当時、カレッジ・フォークソングというジャンルがあり、ブラザーズ・フォーは人気でした。彼らの曲はほぼ毎日ラジオから聞こえてきました。
当時の(今でもそうかもしれませんが)洋楽は歌詞の意味がよく分からなくとも、雰囲気だけで十分にヒットしました。

齋藤三郎の盃、陶器と磁器、器の雰囲気、署名の有無 一日中冷たい雨降り。

2022年3月19日(土曜日)

現在展示中の陶芸は齋藤三郎の「湯呑と盃」です。
盃に関連してお気づきかもしれませんが、展示している二つのケースのうち一つは「鉄絵」で陶器。もう一方は「染め付け」と「赤絵金彩」で主に磁器です。

陶器は「土もの(つちもの)」、磁器は「石もの」という呼び方もされます。
前者は柔らかみがあり後者は硬い、前者は厚みとざらっぽさがあり後者は薄くツルツツしているなどの違いがあります。
さらに風合いでいうと、前者がくだけた感じで後者は澄ました感じなどの違いがあります。

この度の展示から、三郎は両者の器の底(高台:こうだい)に書き込むサイン(署名)も以下のように区別していたことが窺えました。

 

全て陶器の盃です。
矢印の一個以外は点が三つ、四つ、あるいは三本線など
記号的で、くだけた感じあるいは遊び心が認められます。
三つの点、また3本線は三郎の「三」でしょう。四つの点は一体何でしょうか。

少し遠くから撮っていますが、一個(矢印)を除き全て磁器です。
青主体の染め付けと白磁のかしこまった雰囲気に
合わせたうようにみな署名が施されています。

2個の矢印作品のように陶器に署名をした訳は良くわかりません。もしかしたら特に気に入った場合にしたのかな、と思いました。
上段の矢印は如何にも絵唐津の味が出て、下段のは辰砂の桃色の出来が良いので、署名したのでしょうか。
齋藤三郎の盃はおよそ小振りです。
賑やかに杯を重ね合うのを期待したのでしょう。

昨日肥料をくべましたところ本日冷たい雨が降り続きました。
濃い肥料が雨によって少しでも馴染むことを願いました。

木曜午後の断り書き ぐにゃぐにゃになったトンプン 妹。

2022年3月17日(木曜日)
午後お休みの木曜日。
木曜日のブログは殆どこのような書き出しで始まっている。その日の記事は鳥を撮ったり庭仕事や海岸の散歩が多いので、こう書かないと遊んでばかりいるように取られるかも、、、と今更ながらの自己弁護。この年になれば何をしようと誰も文句は言わないと思いつつ、意地だか見栄を張ってしまう。悲しい性というほかない。本日午後は寒かった。
夕方閉館前に来館者さんの足が止まったのを見て庭に施肥をした。それもとうに時期を過ぎてぐにゃぐにゃになったトンプンの処理を兼ねて肥料が効いていない一角にくべた。

樹木だけの場所。
小さなスコップで何十カ所も穴を掘ってはベチャ、ベチャと臭いトンプンをくべ、上から土をかけた。こんなに濃い肥やしで果たして良いのだろうかと思ったが、痩せた砂地なので良いことにした。


ミッシェル・ルグランの曲、エディ・ヒギンズのピアノ。
「You Must Beieve in Spring」

おひな様の発表会、受験の付き添い、見舞い、葬式、、、。寒さが残る季節にふと私よりも先に亡くなった妹を思い出す。

お世話になりながら開館 国連におけるパブロ・カザルスの「鳥の歌」 文化芸術が無ければ。

2022年3月15日(火曜日)

今日が2022年の開館。
昨日はお魚が届き本日はお花そしてお客さんに来て頂いた。
3年目に入ったコロナ禍に加えて深刻な戦争色が重なり、気が滅入る。会う人ごとに皆ユをひそめ、むごたらしい侵略を憂う。

それでも自分なりの外来を診て、三回目のワクチンを接種し、施設を訪ね、在宅回りの暇をみて美術館の仕度をした。幸い仕事はその時だけいくばくか重い気持ちを和らげてくれるので助かる。

本日複数のお客様から展示の助言や興味深いご指摘を頂いた。なるほどと思ったくことだったので、採用したり確認をした。皆様には本当にお世話になる。

早春の庭のカフェにお寄りの皆様、有り難うございました。
これからトサミズキ、コブシ、イチゲ、モクレン、桜、チューリップ、丁字ザクラ、そして新緑へ。
その前のクリスマスローズだけの庭は木の葉も無くまだ寒げです。
時には小雪がちらつくかもしれませんが、曖昧さを漂わせて静かに春を待つ風情はまた何とも言えません。

 


伝説的なチェリスト、パブロ・カザルスの「鳥の歌」
1971年91才、国連平和賞受賞式での演奏とスピーチ。

ダリ、ミロ、ガウディ、カザルス、ピカソ、カレーラス、FCバルセロナ、ジャズのモーティスを生み出すスペインはカタロニア。カザルスは内戦、さらに独裁的なフランコ政権の圧政に苦しむ同地方の平和を願って国連で演奏しました。
1975年フランコの死去後、1977年に何とか民主的な選挙が行われました。

樹下美術館で毎年末行っているSPレコードを聴く会のお終いにカザルスの「鳥の歌」が掛かります。蓄音機をお貸し頂き、毎回レコードを持参されるA氏にはとてもお世話になっています。

自由な文化、芸術がどれだけ平和に役立っているのか具体的に知りません。でも、もしそれが無ければ世界はもっと野蛮な戦争に明け暮れるのではないかと思うのです。

明日開館 倉石隆の新旧コレクション展 DNAの深い願い。

2022年3月14日(月曜日)

明日2022年の開館になりました。
上越ゆかりで我が家とも少しゆかりがあった陶芸家と画家を常設展示する樹下美術館。開館以来15年テーマを決めて展示してきました。

テーマを決めるのは大変でしょう、と訊かれることがあります。しかし大して思い悩むこと無く、前年中にアイディアが浮かぶことが多く、それを考えるのは楽しみでもありました。

今年の絵画は倉石隆の「新旧コレクション展」です。昨年新たに3点作品が加わったので決めました。
1点は美術店から2点は寄付に相当する収蔵でした。
幸い当館の絵画展示場は10メートルほどのささやかな湾曲壁ですから、あとは旧蔵作品を何点か架ければ良いことになります。今年は色調の異なる「裸婦」を5点選んで架けた次第です。

以下新たな3点です。

爽やかな「運河の風景」。

絵のお弟子さんの一人を描いた「O婦人像」。

 

「(少女像)」

二人の人物は個性を描こうとする倉石隆らしく生き生きとして、そこに実在するように感じます。

以下は旧蔵の裸婦たちです。

こんなに青い裸婦像とは。
使われている赤にいっそう温かみを感じます。

朝の光の中でしょうか。

 小さなバラを手にした裸婦像。

高価なオレンジ色(バーミリオン)を大きな画面一杯に使った裸婦像。

 

終戦後、わずかに残った絵の具で描いた上京前髙田時代の作品です。
精一杯力強く描いています。

皆さんはどの裸婦像が良いでしょうか。私はブルーやバラを持った茶色が特に気に入っています。

 

ロシアによるウクライナへのむごたらしい行為が続いています。
強力な権力と軍隊をもった人間が、異常な愛国心と自己愛の拡大に取り憑かれて悪の限りをつくす。

 


ウクライナ民謡「月の歌」
何年か前の動画で、涙ぐむ人も見えます。
こんな善良な人達の国を壊滅させようとするとは。

祖国、民族に誇りや愛を抱くのは当然です。
しかし個々は1から10まで100%その内容が同じでないのも当然で、それはDNAの長く深い願いにほかなりません。
ちょっとした個人個人の違いがエネルギーや文化や智恵のみなもととなり、全体としての豊かさと成長をもたらすのでしょう。

この度のような他を許さず、祖国・民族を自己愛的に同一化したい欲求は、底に近親相姦的な側面をはらむ。それは外観の勇ましさとは裏腹に実は自他を幼弱化させ、往々にして個人や祖国を危うくするはずです。
これらは自己壊滅を避けようとする慎重なDNAのブレーキにちがいありません。

長くなりましたが、
開館の仕度をしていますと、毎日何組もの方達が「まだですか」と、お見えになりました。
お待ちかねのカフェが整い、暖かさで庭のクリスマスローズの開花も進んでいます。

どうかいらして下さい、心からお待ち致してます。

本日展示ケースに載った齋藤三郎の湯呑と盃。

2022年3月13日(日曜日)

本日曇り空の日曜日は気温が上がり髙田の観測で19,8度にもなっている。
今年の常設展{コレクション展)は陶芸「齋藤三郎の湯呑と盃」、絵画「倉石隆の新旧コレクション展」です。

開館を前に準備が進み以下のようになりました。
まず今日は陶芸の一部です。

鉄絵

色絵

辰砂

染め付け

展示は大きく分けて入り口から茶色や黒の「鉄絵」、時計回りに淡い赤紫が使われる「辰砂(しんしゃ)」、続いて多色を用いる「色絵」、正面から右へ青で描く「染め付け」、最後は盃各種です。

所々に急須と徳利を添え、一つの器を一個と数えますと92点の展示になりました。
小さな器に齋藤三郎らしさが滲む湯呑や盃を展示したいという思いがようやく叶いました。飾り物ではない実用の作品には自然と親しみが湧きます。

4種の絵付け技法や草花のモチーフ、そして形状などをどうかお楽しみください。

開館が迫った 争い 勇み立つ首相。

2022年3月12日(土曜日)

年度の展示案づくり、告知(刷り物、ブログ、ホームページ)、什器補修、展示準備、キャプション作成、来館者配布文作製、、。75日間も冬期休館があるというのに、例年最後の3,4日はスケジュールに追われっぱなしになる。

来館者さん向け説明文が当日朝に刷り上がるのはしばしば。
ちなみに印刷物はチラシなども全て自家用のpcプリンターで、これが当日まだ誤字があり抹消線を入れて配ったりする。

今年は開館15周年に当たるが、祝いの集まりなどを止め、ささやかながら記念特別展を三つ予定した。
本日休憩中、三つもやって大丈夫ですか、とスタッフが心配した。心配は仕方が無いが張り合いに変えて皆で頑張りたい。

さて作業が終わり短時間庭仕事をした。
するとギャーギャー、ギャーギャーと電線がうるさい。
ムクドリだった。
この鳥は普段からうるさいがメスの取り合いと巣の取り合いでひどく争う。からみあったまま壁に激突したり屋根にも落ちる。

 

本日の争い。

 

上掲2枚は2012年3月の争い。

鳥は争うがまず仲間同士相手を抹殺すること無くどこかで収める。しかし生きものの頂点としてはばからない人間は、個人はおろか他国、他国民を抹殺するまで残虐を行い得る。
動物たちは進化の過程で一般にそのような事へのブレーキが掛けられたようだが、ひとり人間にはそれがスルーされた。
悲しくもむごいこの事は一体何を意味するのだろう。

考えてみれば進化と言わず何事も頂点は危うい(悪いという意味で)。長く続くほど危険や悪辣さに近づくのではないか。世界のスピードは一段と加速化した。幾つかの王朝しかり、我が国においても一党支配が長くなり、良しとしている間にきわどく、よりキナ臭くなっている。

さて本日、
ウクライナ戦争とコロナの今こそ改憲と首相が述べた。
残酷な戦争のさ中で今こそ党利党略とは。
心痛む大変な時に微笑むのは邪(よこしま)な一群だけだ。
今夏の選挙が決戦だと不似合いにも勇み立っていた。

敢えて文化、信条を二分し国民を選別するつもりらしい。

賢く自衛隊法を運用すれば危機に耐えられる。
集団で優越欲求などを満たしている場合ではない。
太平洋戦争が遠い世代は何事も空勇ましくて困る。
コロナとウクライナ戦争に加えていま改憲とは。

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