田のハクガン ほくほく線とコハクチョウ 早春鍋?。

2022年1月29日(土曜日)

時折小雪がちらちら降った曇の土曜日。
ハクガンを見るため(撮るため)午後近隣へ出かけた。最近は居場所が大体分かり、本日四カ所目で出会った。このところ数十羽のグループを見てきたが本日は百羽はいたと思う。

 

今年撮ったのは飛翔ばかり。本日は田の食餌に出会った。
ヒシクイが守るように囲んでいる。
双方ともカモ科マガン属。
鳥たちの間で自分より希少な種を守ろうという意識?が
働くのだろうか。

以下Wikipediaにある環境省レッドリスト分類です。

環境省のレッドリスト分類

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時たま近隣にコウノトリが飛来する。ハクガンと同じくレッドブックでCR(itically Endangered)に分類されている。是非見たいが出会わない。上越市稲田で最近中学生によって撮影された写真が新聞に掲載されていたが、羨ましい。

 

ほくほく線とコハクチョウ。

雪が少なくなり、髙田のお堀から当地へ戻ったのか、
数が増えているように見受けられる。

 

夕食は南三陸町の弟から届いた寒ダラ、豚肉、ワカメに地元の豆腐などの鍋。
弟の助言でタレに美術館で採ったフキノトウを刻んで足した。氏によれば「早春なべ」と言うことだった。

抹茶やゴーヤなど苦みが好きなので
一緒に口にすると確かに美味しかった。

ほかにホタテとカキが送られているが、カロリーとコレステロールが高いので明日に回すらしい。

樹下美術館にフキノトウとクリスマスローズの蕾 白菜料理。

2022年1月27日(木曜日)

予報に雪のマークがついていた本日木曜日。予報が外れ?柔らかな日射しがよく射した。

 

午後の近隣。

美術館裏手の土手で雪が消え、妻とフキノトウを探した。

 私は五つくらい採り

 

妻は沢山採った。

 

雪から顔を出していたクリスマスローズの蕾。

まだ降るだろうが、雪の下では春が仕度をしている。

 

夕食のおかず。
梅干しと塩昆布のダシにゴマをあしらった白菜の炒め物。
白菜がこんなに美味しいとは。
NHKのレシピらしい。

待っているとハクガンが来た。

2022年1月26日(水曜日)

本日午前中、外来のカーテンは清々しい日射しに染まり気持が良く、こんな日ならハクガンを探してみたいと思った。

午前の仕事が終わりいざ出かけようとするとポツポツと雨が降り始めたが出かけた。
よく鳥を見る場所で白鳥とマガン、ヒシクイの小さな群がいた。雪の田を探し回るより、ここで待っていたらハクガンが来るかもしれないと考え、じっとしていた。

 

しばらくコハクチョウ、マガン、ヒシクイを見ていた。

20分ほどすると、

一羽のハクガンが現れた。

 5分後東の方から数十羽が。

 

 

ああ雨の中美しや。

あたりを周回した後、近くを通った大きな群に加わり、行ってしまった。

探鳥は追いかけるのが普通かもしれないが、時には待っていると来ることがある。前の餌場を食べ尽くしたか、その近くで人が騒いだかすると場所を変える。
たまたま今日は期待通りになり十分だった。
それにしても最初に現れたあの一羽は何か役目があったのだろうか。

小林古径記念美術館行き 齋藤尚明宅訪問。

2022年1月24日(月曜日)

雪も風も無い穏やかな昨日日曜日、小林古径記念美術館と齋藤尚明氏(二代陶齋)宅を訪ねた。

このたび古径記念美術館の記念室に「少女」が2枚あり、入り口の1枚は初めて観た。隣の日傘を差した「少女」は以前からの馴染み。両者シチュエーションと年令は異なるが同じ少女を描いているように思われ、とても可愛いと思った。

 

「少女」

同館で今年1月4日~3月13日に開催されているコレクション展「白の世界」を観た。
「白の世界」は三部に別れている。「色彩としての白」の部で倉石隆の「さとうひさこの像」および「余白・空白の白」の部に「Kの肖像」および「粉雪が舞う」があった。
いずれも一昨年樹下美術館が貸し出しを受けた大作で、冴えた照明のもと一段と輝いていた。

斎藤真一氏の「明星 二本木の雪」の構図と雪原の瞽女さんおよび雪山の素晴らしさに、あらためて釘付けになった。
澄み渡る宵の頸城野。中央を外した右遠く三人の瞽女さんが歩み、行く手の空低く大きな星がひとつ現れている。瞽女さんたちはしんとした広大な雪原を温める小さな心臓のようだった。
これを詩と言わずして何といえば良いのだろう。
雪をいただく連山のグラデーションは素晴らしく、一体どうやって描いたのか、穴が開くほど観た。万一描き方を教えてもらっても、当然ながら絶対に描けない。

ところで、かって現代美術を先駆けた多摩美術大学教授末松正樹氏を中心に舟見検二、矢野利隆、賀川孝、倉石隆、筑波進ら上越出身者が多く加わった当県県人による主体美術協会のグループ発表展「ネージュ(フランス語で雪)」があり、長く継続された。
1972年4月に東京で第一回の発表展があった秋、それを上越市立博物館開館の特別展にすべく市川信次館長が企画。作品の到着まで終了した段階で突如中止になる出来事があった。
本日の会場の一隅にそれを知らせる当時の新聞が掲示されていた。
開催を前に上越市議会が、博物館条例には美術展の開催が書かれていない、という理由で駄目を出したのだ。美術館は博物館のジャンルに含まれるが、当時その解釈が無かったとは思われない。

政治、行政が文化芸術に否定的な姿勢を特権の如く行使し、立場を愉悦するようなことはあってはならない。芸術に対するそのような公の介入は豊かであるべき文化の存立に反して貧しい。
作品展は後日髙田のやま江家具で開催されたというが、昔話にしても悲しい歴史だ。

今回招待券を頂いた掘川紀夫さんの「Snow Performance ’85-5J」も面白かった。自ら雪原に身を投じ、一瞬にして千手観音あるいは鳥に化身されている。どのような時間帯だったのだろう、しっかりと陰影が付き成功している。懐かしい童心まで蘇った。

齋藤三郎さんがかってのお弟子志賀重雄氏に当てた書簡は、こまやかな愛情にあふれ胸打たれた。お二人とも白い器が出品されていた。それぞれ風土の色が滲み心和んだ。

こまやかさが隅々まで良く行き届いたコレクション展だった。

この後、久し振りに齋藤尚明氏宅を訪ねた。
今年樹下美術館の催しに関する大切なお願いが目的だった。その場で快く引き受けて頂き感謝に堪えない。
勝手に拝見した作品展示室の市松模様の色絵水指はとても良かった。
氏は物識りで話は面白い。京都の修業時代の茶の稽古における、高きゆえ自由な師範の姿勢は特に興味深かった。

 

今夕は半たまのラーメン。
麺はご近所の素人さんの作ながらとても美味しい。

一筆ごとに試行錯誤の絵 母の面白い言葉。

2022年1月22日(土曜日)

一日中曇の土曜日。
午後は休みだが気がかりな人がいて午前に往診をした。一昨日から2本の連続点滴を足にしていて、今朝初めて眼を開け水を少し飲んだという。おもゆが行けそうなので今日は1本にして、エンシュアを試すことにした。上手く行ってくれと願っている。

午後ははっきりしない空のまま過ぎる。
鳥を止め、絵を引っ張り出して色々やった。
水彩の植物精密画はハイライト(光る部分)としてボードの白色を残し、乾かしながら周囲から薄く薄く加色し明るい所から影へ進んだ。
この分野の教則本を色々見たが肝心の所、特にグラデーションについて丁寧に書いてあるものは皆無で、自分で色々やってみるほかなかった。

この度は油彩で描いている。水彩より色が伸びるのでグラデ-ションは楽かなと宛にしていた。しかし筆で描いているのでタッチが出やすく自然なグラデーションは容易ではない。
2014年の作品展で30点ほどの小品を油彩で描いたが、初めてにも拘わらず何とか形になった。それに比べ、今回は絵の具が画面をツルツツ滑って落ち着かない。

キャンバスを磨き過ぎたのもあり、当然歳のせいも否めない。しかしこれが最後、始めたからには言い訳などを言ってはいられない。

 

三種類のモチーフを色々な書き方で試している。
色々出来るのは油彩の利点。

 

一筆一筆全てが試行錯誤。花の厚みと強さがまだ出てこない。
水彩の場合は苦労して、最後に急に絵が立ち上がってきた。
いつか調子が出れば良いのだが。
うまく行かない場合全て塗りつぶすことがあり、すでに何枚かそうした。

紙のパレットを用い、絵の具はほんの少量しか使わない。水彩の時はさらに少なかった。
生前、私のパレットの絵の具を見た母は
「キスの腹わたみたいだ」と言った。
どういう意味かと訊くと、
「ちょびりしかないから」と言い、
どうしてそんな言葉を知っているのかと思ったが
「だってそう言うだろうが」というのが答だった。

ある日床屋から帰った私を見て
「頭の張り替え」と言ったこともあった。生まれ故郷の佐賀県では普通の言葉だったのか。

SDGs? 東西南北、、、異文化は楽しくもある。

雪の蜘蛛が池 1週間の早い遅い。

2022年1月21日(金曜日)

昨夜から冷え、今朝は道路が凍り、あたりの雪が少し増えた。

本日在宅回りの蜘蛛ケ池。
集落の眺めは雰囲気がある。
(スマホ撮影)

三軒を回り、帰路の車中、
「明日は土曜日だよね」と看護師さんに訊く。
「はい」
「1週間は本当に早いなあ」
「そうですね」
「1週間は早いのと遅いのがあれば、早い方がいいかな」
「うーん、そうですか」
つまらない話に付き合う看護師さんは気の毒である。なぜ早い方が良いかというと、休める週末が早くくるからという簡単な理由。

楽しみは待っている間が幸せ。だが休みは直ぐ来るがすぐに終わる。それでもやはり来るのを待つ。
明日土曜日は穏やからしく、いっときなら晴れ間もありそうだ。ハクガンはまだいるだろうか。

寒波が降らした 寒波の中の鳥たち コロナはさらに異質に 三三九度 どう見ても立場は悪い。

2022年1月20日(木曜日)

本日は二か月一度の受診日。一番を目指してみたが雪のため随所でのろのろ運転となり、随分遅れた。受診の結果は前回同様ほぼまあまあだった。「ほぼ」も「まあまあ」も満点では無いので、一定の生活管理は続けなければならない。
帰宅後に外来があるので次回はもっと早く出て一番を果たしたい。

それにしても病院は寒波にも拘わらず混んでいるし、朝早くから仕事が始まる。さらにオミクロンによってコロナが急増し受診、相談も多く、皆さんの自己防衛もあり大変だという。

三三九度。形の異なるマスク三枚、帰宅後2時間毎にうがい三回、歯磨き洗顔三回。効果は分からないが受診前後は出来るだけの予防を試みた。なにしろ後期高齢者、三大疾病の持病、エッセンシャルワー-カーの末席、、、どうみても立場は悪い。

以下は美術館前の通りと付近の農道にいた鳥と池の鳥です。

 

美術館前の通り。
除雪が進んで難渋するほどではなくなっている。

道路端で雪のへりから出ている枯れ草にスズメが群がっている。
草の種を食べているのか。

雪の上に止まっているものもいる。

飛ぶものも。

お客さん(ムクドリ)が来た。

一緒に食べるSDGs。

やはり雀とは食べ物が違うようだ。上手く行かず去って行った。
群で移動しているムクドリが一羽でやってくる。
雪が降るたびに鳥たちの群は小さく別れていく。

スズメたちとの距離はとても近く、恐れずに私のすぐそばにいた。積雪が増すほど餌は遠ざかる。用心深くしていられないくらい空腹なのだ。

以下は朝日池のマガモ。

飛び立ったところ。
オスは頭部の緑、首の黄色の輪など特に美しい。
しかもオスメスとも翼のブルーと黄色のくちばし、足のオレンジは言うこと無し。

 

上越市のページによると大潟区の積雪は25センチと出ていた。何処であれ、とにかく少なめに少なめにお願いしたい。

コロナは異質のステージになった。新潟県、当地ともにさらに様変わりするのではないだろうか。

病院の待ち時間に「海辺のカフカ」を読みもうすぐ終わるところまできた。

大寒を前に。

2022年1月18日(火曜日)

時に太平洋岸の方が当地の雪を心配して下さることがある。
確かに予報は降る降ると言っているが、美術館の頸城区や仕事場の大潟区はさほどでもない。今のところ例年より少く、昨年のドカ雪に比べれば10分の一もない。

但しぐしゃぐしゃの雪道の運転はソロソロと行い、在宅回りの駐車にはとても気を使う。
本日は細い道路沿いのお宅でギリギリに駐車したように思ったが、訪問を終えると一台の車が待っていた。手を挙げて何度も謝り、切り返しを繰り返して発進した。

 

先日と同じ場所の本日の様子。

以下は去る土曜午後の鳥たちです。寒風の中身を寄せ合いながら元気にしていました。

 

 

これはヤマナラシの木。木肌のヒシ型模様が特徴的です。
風が吹くとポプラのような葉がシャラシャラと鳴ります。
村はずれで、葉を鳴らす季節が来るのをじっと待っていました。

間もなく大寒、雪の本番はこれからでしょう。少なめにして、と祈る毎日です。

日曜名作座のテーマ曲。

2022年1月17日(月曜日)

前回のブログで小関裕而作曲NHKラジオ放送「ひるのいこい」のテーマ曲の事を記した。そこで最後に同氏作曲のラジオ放送テーマ曲をもう一つ、「日曜名作座」を挙げた。

時々その放送を耳にしたのは、高校時代の下宿部屋。当時自分のラジオは自作で、バリコンに抵抗とコンデンサ、それにトランジスタを一個使ったものをイヤフォンで聴くのが精一杯だった。
(勿論1球~3球スーパーなどと称するスピーカー式の真空管ラジオを手作りする同級生もいた)。

放送時間は22時台と案外遅く、実家から帰った日曜の夜、布団の中で雑音だらけのラジオで時々聴いた。雑音にもかかわらずテーマ曲だけは不思議とはっきり聞こえた。

一度ミステリー風な放送があった。夜遅くシンとした下宿の二階で耳を澄ますと、“その時、小さな黒い影が部屋の暗がりをさっと横切った”というような一節が読まれた。
自分一人が起きていようかという昔の寺町の夜。まだお化けは居ると思っていたので、それをとても怖く感じた。

 


作品はナレーションを入れながら原作が脚色されている。
森繁久弥と加藤道子の朗読は優れ、一人何役もこなした。
ちなみに加藤さんは一人8役の経験があり、
第一回紅白歌合戦の司会もしたらしい。

二人の放送は、1957年(昭和32年)から2008年(平成20年)まで51年間にわたり放送され、その後西田敏行、竹下景子両氏に受け継がれているという。

放送された作品について詳しい記憶はない。だが30分の放送は効果音や音楽が付いていて、それを暗い部屋で耳をそばだてて聴くと映画などとはひと味違うリアリティがあった。

ビヨンーという独特の響きを持った冒頭のメロディは当時電子楽器かと思っていたが、ピッコロとファゴットなどだろうか。
小関裕而氏の印象的なテーマ曲は暗闇の奥深く届きそうであり、放送にピッタリの名曲だと思う。

また降り始めている。どうか少なめにお願いしたい。

「ひるのいこい」のテーマ曲 司令部通りのクリーニング屋さん。

2022年1月15日(土曜日)

私の散髪はほぼ月一回程度、大抵午後が休みの日に行く。床屋さんは近所で、子どもの頃からの掛かりつけ。先回12月は土曜日の昼すぎに行った。

刈ってもらっていると店内のラジオから懐かしい音楽が聞こえた。
何ていう番組だったっけ?と主人に訊くと、「ひるのいこい」と仰る。

調べるとNHKのこの番組は1950年{昭和25年)の「農家のいこい」から始まり、1952年(昭和27年)から「昼のいこい」、その後「ひるのいこい」に変わっている。そもそもがGHQの助言で始まったことを知り少々驚いた。

放送の時間帯は月~土曜の昼の12時台。学校に通っているとこの時間帯は微妙だが、土曜日は何とか聴けたかもしれない。内容をちゃんと聴いた覚えはないが、しばしば聞こえたテーマ曲はしっかり耳に残っている。

 

小関裕而作曲のメロディ-は如何にも日本、しかも農村や田舎のイメージを如実に滲ませる。今でもそうだが、さらに昔は農家農村や田舎に関係ある人がどれだけ多くいたことだろう。今日も番組が愛されている事がうなずける。

ちなみにかつてこのメロディーを耳にし、何故かはっきり覚えている場面がある。
高校時代、多分土曜午後の学校帰り。土曜は週一回、午後に寺町の下宿から潟町の家へ帰る日だった。
髙田司令部通りを歩いていると、青田川の右手前のクリーニング屋さんから「昼のいこい」の音楽が聞こえた。
店内が暑いクリーニング屋さんは、店を開け放していることが多いので聞こえてきたのだろう。一人だったような気がするが耳にして、懐かしいなあと思った。

このたび年末の床屋さんで聴いてしばらく後、用事で司令部通りを通った。その時記憶を確かめるため見当がつく場所を眺めた。
店は無かった。
それどころか青田川と大手町小学校のグラウンドは接近していて、店があるすき間など無い。
でもクリーニング屋さんは確かにあって、昼のいこいの音楽も聞こえたのに。
すでに60年以上は経っている。
店は閉まりその後学校のグラウンドが拡張されたのだろうと想像し、納得することにした。

私に限らず「ひるのいこい」のテーマ音楽は、時代や老若を越えて懐かしさを覚える名曲にちがいない。

小関氏作曲のラジオ番組のテーマ曲で、同様に忘れられないのが「日曜名作座」。
近々触れさせてください。

在宅の悩ましさの一端 「海辺のカフカ 上」を読み終えた 長生きの価値。

2022年1月14日(金曜日)

言われるほどは降らない寒波。
午後三軒の在宅を回った。苦労する道路もあるが、各お宅は大抵きれいに除雪され、爺ちゃんは朝から待っていました、と家人が申されるなど恐縮する。

だが在宅回りは必ずしもほのぼのしたものではない。悪化に加え新たなトラブルが生じていることが少なくない。なかでも別な疾患で病院に掛かりながら検査だけで処置、投薬が無く、次の受診を前に症状が悪化している場合などは大いに悩む。本日はそんな事例があり、考えたすえ私なりの処置をした。

さて大晦日から読み始めた「海辺のカフカ上」を本日終了した。
戦前設定の特異なお椀山事件、直近のジョニー・ウォーカーによる大量の猫殺し、主人公の父の殺害事件などを経て人物たちは四国高松に集まってくる。

エディプス・コンプレックスの神話的な構図を下地に、集団催眠、行為を伴う無意識下の動機、時空を越えて絡む複数の人間関係などが語られる。
ノルウエイの森では心の病理の深刻さが書かれていたが、このたびは心理、分けても科学を越える無意識下の事象が取り上げられる。

父による不吉な予言や暗示から逃れようと家出した少年は、むしろそれに支配される。後半、人間の原理的な問題を前に、彼はどのように自らの存在価値を発揮し、開放されるのだろう。
少年時代の事件によって読み書きが出来なくなり、猫と話せるようになった良心の人ナカタさんは出色で、下巻が楽しみ。

 

昨夏私は突然心筋梗塞に襲われ、循環不全に陥り意識を失った。病院循環器グループの皆様によって救命され、お陰で遅まきながら村上春樹を読む機会を与えられた。文中聴いたことが無い音楽が書かれている時など、YouTubeで聴いてみるのも楽しく、皆様には本当に感謝に堪えない。

色々事情はあろうが長生きはするものだ、とあらためて認識している。

寒波の割りに降らない 去る日の夕刻 今日の歳より明日の雪。

2022年1月13日(木曜日)

何度目かの寒波だが現在の当地の夕刻は以下のような具合だった。

夕刻の仕事場周辺。
手前のまだらな雪はカーポートのナニワイバラの雪。
現在もこの程度で済んでいるので助かる。

 遅くなりましたが、以下は去る10日夕刻の朝日池と美しい雲が見られた妙高山系の空です。

 

本日午後から休み。
外は悪天候とコロナなのでずっと籠もり、絵と本で時間を潰しました、海辺のカフカ上巻が間もなく終わるところまできましたが、こんなに面白いとは思いませんでしたので先が楽しみです。

越の冬今日の歳より明日の雪((>_<))

周辺は雪が少なく、田でハクガンを見た 渡り鳥と飛ぶ 美しいものを沢山。

2022年1月12日(水曜日)

昨年の今ごろはドカ雪に見舞われ最悪だった。
1月半ばから降雪は小康になったものの、交通が回復したのは幹線道路だけ。少し入ればまだ一度も除雪車が来ていない道も多かった。

今年は今のところ楽だが、あのドカ雪はもうこないかもしれない。悪い“歴史的~”というのがしばしば来るようでは困るのである。

 

本日の仕事場の周辺。この先再度寒波がくるというが、、、。

本日の樹下美術館。
例年よりも雪が少ない。

葉も実もまっ赤な美術館のヤブコウジ。

この先、何かと荒れるが、あとひと月すれば、強い陽光の日が現れ、ふた月経てばクリスマスローズ-が咲き、樹下美術館の開館が近づく。これから雪の本番、しかも当面あたりはコロナ一色になるかもしれない。家で音楽を聴き、本を読み、趣味を行い、忘れていた事を行うなど、に良い機会でもあろう。

さて本日は高齢者施設の回診。終えて田を回った。食餌しているハクガンを探すためだった。
初めてハクガンを見たのは2013年2月16日で、その後17、18、19年と全部で4期見た。19年は朝日池のを遠くから眺めただけなので、田で見られれば3年ぶりになる。

これまでハクガンを目にしたのはおよそ六カ所の地点であり、それらを回ってみることにした。すると二カ所目に向かう途中、突然頭上を飛ぶ群に出遭った。見ていると目指していた場所に下りたので短時間寄って遠くから確認した。

 

ほかからも次々に下りてくる。

ハクガンは絶滅危惧種であり三段階で最もリスクが上位にある。シベリア東部、アラスカ、北カナダなど極地に近い所で繁殖するという。育ちから言って、本日の頸城野の荒天などは意にも介さないのであろう。

シーズン始めは彼らの警戒心も強いはず。降り立ったのを遠くから見て引き返した。数百という数は見たことが無く圧倒される。お天気の日、出来れば夕方に良い場所で見ることが出来ますように。

2018年は150羽からさらに倍になっている。国際的な保護活動が効を奏しているのか。美しい自然や造形は心の平衡と成長に役立つという古い文学者の言葉を目にしたことがある。
幸い周囲には、見方も含め、美しいものや時間が沢山ある。
大学病院の研究室で付いた先輩は、“美しいものは、若いうちから沢山見ておくのが良い”と口癖のように話していた。氏は全学規模で大学と医局改革の先頭に立ち、難しいカジ取りを懸命に行った。

 


かってカナダで初めて成功した渡り鳥との飛行。
現在飛行はフランスで希望者に対しても行われ、
絶滅危惧種の保護資金に供されている。

今年初、ハクガンの飛来。

2022年1月10日(月曜日)

本日は風も無く好天に恵まれた。
大潟水と森公園を歩いた。雪は消え枯れ木々や蘆は気持ち良く乾き、春を思わせる眺めだった。

 

 

頭上を水鳥たちが飛んだ中で、翼の先端が黒い一群があった。
ハクガン?

ハクガンが来たのか、お隣の朝日池へと走った。

 

 

池の周りに車列。
ざっと30輌、新潟県のほか群馬、長野、埼玉各県、三重県まである。
白鳥だけではこんなことにならない。

 

遠くの白い列がハクガンだった。

 

たたんだ翼の先端が黒く、確かにハクガンだ。
この鳥の白さは別格。

飛来は何の告知もない。SNSなどで伝わるのか。
瞬時に遠くから人を集めるハクガンの存在は大したもの。

数年間、当地でハクガンの群は確認されていなかった。今年も駄目かと、諦めかけていたところついに来た。ざっと数百はいるという。

これまでやって来たのは嫌なコロナばかりだった。しかし待ちに待った「冬の宝石ハクガン」がついに現れた。しかもこれまでにない数で。
日本におけるハクガンの飛来地は三カ所。宮城県の伊豆沼と秋田県の八郎潟、そして上越市大潟区の朝日池だ。
よく忘れずに来てくれた。

湖面に佇む姿は遠目にもオーラが感じられ、神々しくさえ覚える。
一帯の積雪は僅かで、田の稲株を食べるには条件は良い。まあまあの気象なら二月いっぱい居留できるので、白鳥や他のガン達に混じって田で食餌する幸福な様子を見る事ができよう。

1月8日に打った三回目のファイザーワクチンは三日目になった。昨日は終日悪寒、頭痛、だるさがあったが、本日は改善した。

去る6日、仕事始めの曜日を間違えていた理由が分かった オミクロンとインフルエンザ。

2022年1月8日(土曜日)

仕事始めの6日のこと、
その日を水曜日だと勘違いして夕方まで過ごしたことを書いた。本当は木曜日で午後休診の日であるのに、水曜のつもりで自室に籠もり、患者さんが来なくてヒマだな、と思いながら絵を描いた。
そのうえ仕事場にいるはずもないスタッフの手持ちぶさたを思い、ヒマにして申し分けなかったな、と心中つぶやいた。

午後休診の木曜だと知ったのは、夕方帰宅した妻から聞いてだったという次第。歳などのせいにして終わったがすっきりしなかった。
それが本日ある書類の日付を記入するのにカレンダーを見たとき、カレンダーの曜日の始まりが日曜日ではなく月曜になっているのに初めて気づいた。

これだこれだ、暦のせいだ。
仕事始めの1月6日は左から四番目にあり、週の真ん中、普通なら水曜日で良いのだ。

それが何故木曜?
正月休みの間特に暦を見る用事も無く、6日になって初めて目をやった。実はこのカレンダーはドイツ製だった。裏の小さなロゴと社名標記を見て分かった。どなたか製薬会社の方からもらったもので、絵がきれいなので自室に掛けた。

一般に日本のカレンダーの曜日は左から日曜日で始まり、アメリカも同じらしい。一方欧州は月曜からだという。
このたびはよく確認せずドイツ式を日本式に読み間違えたというのが事の始まりだった。
(実は午前中、暦を見ながら一瞬何か変だな、と思ったのですが、、、しっかり確認しませんでした。)

カレンダーの写真。
分かりますでしょうか、矢印が6日です。
上段にこのカレンダーの月曜から始まる曜日を青で書き、
その下に一般の日本式を記しました。
ぱっと見日本式は曜日が1日遅れです。

調べてみますと外国語で小さく書かれた曜日は英語、モーリシャス・クレオール語?スペイン語、イタリア語、オランダ語、ドイツ語で、日本語は無し。文字は全て黒、6日の曜日を位置だけで判断してしまった次第です。

誤りは独り相撲でしたので事なきを得ましたが、念のためカレンダーを替えました。
それにしましてもやはり全ては歳のせいなのでしょう、一応まあ良しとしました。

本日午後早く三回目のコロナワクチンの接種を受けました。夜遅くなって接種部位に痛みが生じてきました。

さて、全国わけても本日新潟県の100人超の感染はドキッとしました。年末年始の無防備な移動が一因でしょうが、これはまだ序の口、この先猛烈にインフルエンザが流行った年の規模になる事が否定できません。

全体にオミクロン株の同定は遅れていますが、その主な症状は上気道感染と言われる点でもインフルエンザに似ています。
となると、これまでの諸予防に加え、ちゃんとしたうがい液による「うがい」が大切になる可能性がありそうです。

これまで「うがい」は局所の感染を拡げると言って、むしろ控えてという論調がありました。微妙なところですが、専用うがい液は別かもしれませんので、今後の一般的な見解をみたいところです。

それにしましても特効薬の無い現状では、インフルエンザ並みと軽く見ないで、インフルエンザ並みだから怖いと認識したほうが良いと考えられます。

相手も必死なのでしょう。
度重なる変遷を経てコロナはこれまでに無い難しい局面になったと実感されます。それだけに何とかここを越えれば、一定の形に定着または終息に向かう可能性があるのではないでしょうか。

今日の接種はあらためて二重マスクをして行きました。

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