この所の寒さ 骨折→医療から福祉へも相談 開館が迫る 一昨日は柿崎のチドリに遊んでもらった。

2022年2月21日(月曜日)

この一両日の寒さと風は執拗で、できれば出たくない。
北海道の北東の沖合にある低気圧は台風並みの強さで、道内の吹雪の映像などは凄まじい。

午後の悪天下、訪問先のワクチンが一件に片方の下肢の激しい痛みの往診が一つあった。転倒や打撲がないのに、こちらが下肢を動かそうと触るや悲鳴を上げて痛がられる。
車椅子の高齢者の移乗や移動において、不意のひねりなど外圧により骨折を生ずることがあり、この方はそれが疑われた。

病院の整形外科に予約し救急車の手配をした。付き添う老々世帯のおばあさんが、“以前は何でも世話できたが段々大変になったので切ない”と仰っり、先に福祉相談が必要となった。お年寄りの経過は千差万別だが、介護保険後、研修と実務を重ねて担当部所の相談能力は様変わりしてきた。遠慮せず相談することが大切になる。

さて今年の美術館開館が三週間余に迫った。三ヶ月の冬期休館とはいえ宿題も多く、あっという間に過ぎる。大事な特別展などの告知ファイル作成がまだ終わっていない。
作品撮影は出来たので、今週末中にはホームページやブログにお出しできると思う。どうかもう少しお待ちください。

ところで一昨日午後いっとき風雪が和らいだので柿崎海岸を歩いた。思いもよらずチドリが沢山いた。

貝殻が沢山上がっている日のチドリは
保護色の効果でいっそう見にくくなる。

以下の写真に6羽いますが、分かるでしょうか。

以下矢印が答です。

出来れば大きくしてみてください。

目立つ一羽の動きにピントを合わせ適当にシャッターを切ると周囲に何羽も写っていました。

次は5羽です。

 

これまで海岸の散歩に多少の辛さを感じていました。しかしこの日かなり歩いたのですが不思議と楽でした。チドリに遊んでもらったせいでしょう。
チドリも何種かあり柿崎のはシロチドリのようです。このところ一羽二羽と、少ししか見ていなかったのがこの日10羽はいましたので嬉しかったのです。

今日の「小さな村の物語 イタリア」から。

2022年2月19日(土曜日)

開業して47年間、沖縄はおろか海外というものへ行った事が無い。お金と暇が無いうえ、さらにコロナだけは間に合っているという皮肉な日常だから如何ともしがたい。

せめてというので数年前に妻と奈良京都や長崎へ行った。国内で十分、これからはたまに旅行しようと考えていた矢先のコロナだった。今では近くの飯山市と野沢温泉、それに秋田県の鳥海山を見に行く計画で十分な楽しみになっている。

そんな訳なのでテレビで世界遺産や「小さな村の物語 イタリア」を観て旅情を味わっている次第。先回も書いたとおり、小さな村の物語は風土が美しいうえ生活の豊かさに毎回驚かされる。
そこには文化や教育、あるいは歴史、宗教の違いと一言で言えないものがありそうだ。素晴らしさが私達にも伝わる限り理解できる何かがあるのだろう。
だが一体それは何なのか、いつも考えさせられる。

本日(再放送?)は101才の老人の生前と、亡き後の長男夫婦が取り上げられた。
生前の老人はかって炭焼きをしていた。

ある朝目ざめのベッドへお嫁さんが蜂蜜を運ぶ。老人は何度もスプーンを舐めたあと、再び寝るかと思いきや四点杖を両手に数段の階段を降りて居間に出る。さらに暖炉に近い椅子に腰掛けると新聞を拡げた。

あまつさえ記者に向かってナポリの歌を歌おうかといって歌う。私は歌手じゃないからね、と断りを入れて恋の歌を歌った。

こんな生活をしていたら当地ではたちまち新聞に出るが、家族は静かに心こもった対応をするだけである。父を愛し後を継いだ長男は父中心の生活を語り、父の居ない生活など考えられないと述べる。

人望厚い老人の最後の床に村人たちが次々に訪れて手を握り祈った。村中の人と楽隊が出て歩き祈る葬儀の映像があったが、教会にあふれるた村人の服装はみな普段着だった。

亡くなって初めて父を語る人の多さに長男は驚く。お金を払えないまま村を出た女性は父から黙って品物を受け取ると“子どもだけは大事にしなさい”と言われたと話す。
“後で相手が嫌な思いをするから、施しは決して人に話してはいけない”、と述べていたという。

父が座っていた椅子に今度は長男が座っている。

もう一つの話は少し若いパン職人の夫婦だった。夜なべの仕事中「この土地で採れるものは格別だから、それを使った私達のパンはいつかローマに届く日がくるだろう、コーラのようにね」と笑った。

休憩のベンチで夫は“出合った時と変わらず素晴らしい奥さん”と言うと、妻は涙ぐんだ。

 

向こうの谷間に見えるヴァッレピエトラ村。

世の中にこのような話以外どんな良い話があるだろう。

雪は降らなかった 撒いたエサに雀とヒヨドリおよびシロハラが来た コロナの推移。

2022年2月18日(金曜日)

一昨日のブログで、沿岸の大潟区の小雪と近づく寒波の事などを書いた。
確かに同夜はいっとき降りしきっていたけれど、大して降らず5~10センチ程度の積雪で済んだ。しかしながらよそで予報を見ている人は、連日並ぶ雪のマークを見て、既に何メートルも積もっていると思うらしい。

それは仕方が無いとして、昨日庭の雪面にバンクズやお菓子の残り、それに古米などを混ぜて播いた。辛い冬期を過ごす野鳥を慰労するためだった。

大抵30分くらいで雀やヒヨドリがやってくる。

集まる雀。
本日この場所の積雪は定規で測ったところ10せンチだった。

自分の縄張りだと思っているヒヨドリが近くで監視している。
この鳥はエサに寄ってくる雀を追い払い自らも食べる。
雀は直ぐまた来るので時には一緒に食べる。

この日は賓客?シロハラが来た。

ヒヨドリより一回りは小さい。

それが猛烈な争いになった。

 大きければ力があるが小さければ小回りが利く。
途中でもう一羽ヒヨドリが現れ互いは争った。

同じ枝で一緒に休憩。
シロハラとはこうは行かない。離れてにらみ合っていた。

 

肝心のコロナはかなり身近になっている。学童、園児がメインターゲットなので先生や親御さんは神経を使っておられることだろう。高齢者の感染率と死亡者が増加しているのも怖い。

一見感染者は多いが、それでも当県の人口10万対感染率は全国平均よりもまだかなり低い。しかし三回目のワクチン接種率は全国ワースト3と本日報じらた。もっと進んでいると思っていたので意外だった。

この先6波の推移が気になる。報告漏れを含めた全体の罹患実数はかなり髙いことが想定される。その方たちに生成される抗体とこの先のワクチンにより、一定の社会的免疫が成立するか否かは重要なポイントにちがいない。
一般の抗体保有率を正しく追跡し、数週間先あたりで何か目途が立てばよいが。

人生の長短で「分からない」も答えの一つ 認知症の人とのコミュニケーション 沿岸の雪。

2022年2月16日(水曜日)

かつて母親に「今まで生きてきて長かった?短かった?」と訊いたことがあった。90才近くの時は「短かった」と答え、90才半ばすぎたら「長かった」と答えが変わった。
変わり方は自然に思われたが、重ねて訊いたならその時々で答えはバラバラだったかもしれない。
ただ誰かの箴言の通り、生活目標の有無で長短の感じ方が変わる、のはある程度頷ける。

本日90才を越えているAさんに訊いてみた。認知症が始まっている方で一時騒ぎが大きかったが、倅さんがこまやかに相手をするようになって以来、かなり穏やかになられた。
Aさんいわく、
「私にやそんがんこと分かりやせんです。毎日ぼーとしていやんすけ」
長短のほか確かに“分からない”は真っ当な答の一つにちがいない。
特に感心したのは、“毎日ぼーとしているだけですから”と理由を付け加えられたことだった。良い答だなと思った。
同行された倅さんに、良い答です、さすがお母さんですね、と話すと、背が高い男性の目がほころんでいた。

ところで認知症の人に何か質問をしても質問自体理解されない事が多い。
それでも、どこで生まれた?田植えをしました?きょうは寒い?いま雨は降っていますか?何が食べたい?赤飯はどうですうか?富士山を見ました?汽車に乗ったことは?親は怖かった?etcが通じる場合少なからずある。
これらから少しずつコミュニケーションを拡げてみるのも、良い関係のきっかけになる可能性がある。

多くで基本本人の毎日は寂しい。そのうえ無視、否定が重なるならば、自分だけの荒唐無稽な世界へと行くしかない。問いへの返事は何でも構わない、反応しあうこと自体が大切だと思われる。
またコミュニケーションによって、その人の「素の人間」としての楽しい発見があるかもしれない。

 

本日午後の雪降り。寒波が来るらしい。

東京の友人が電話で雪のことをしきりに心配した。予報で毎日雪のマークが出ている、という。
予報を見るかぎりそう考えるのは当然だ。だがこと沿岸の当地は現在殆ど積雪は無く、説明しても中々分かってもらえない。
一応平坦で海が近いので気温が高いことや風が強いためと話してみるが、通じているだろうか。

冬の終盤に沿岸が降ることがある。明日は降るかも知れない。

「小さな村の物語イタリア」、疲れたらやっている仕事を変えてみる。

2022年2月14日(月曜日)

BS日テレで放映している「小さな村物語 イタリア」を土曜夕食時によく観ている。漁村、農村、山村の穏やかな風景と暮らしが紹介される。

石やモルタルの建物、石畳の坂道など風景に異国情緒が漂う。代々の土地への愛着と手仕事、家族の様子などもこころ温まる。
物の少ないスッキリ整った生活をみていると、この国の人達の「消費」はどうなっているのだろう、といつも考えさせられる。

代々質の良い品を大事に使い、将来の大切な何かのために貯金をしているのだろうか。働く年配の両親を定期的に訪ねる若い夫婦、後を継ごうとする若者もよく登場し、土地と家族への愛着の強さに感心する。

さて先週末は畑に精を出す老夫婦の暮らしだった。そのなかでおばあさんが呟いた。
「仕事に疲れた時は、やっている事を変えてみると良いんだよ」。かって姑から聞いた言葉だという。
これは確かに色々用事が混んでいるとき、あるいは庭仕事にも向いている言葉だと思った。

昨日日曜日の私は、前もってあれもしたい、これもしなければ、と五つも六つも予定があった。
介護向け書類と紹介状が三通、重要な手紙一通、絵の作製、絵筆を買う用事、購入作品の撮影、美術館の告知制作などなど。折角の日曜日だというのに考えただけで頭痛がしそうだった。

絵は西王母15枚の花を濃く着色した。その後の作品撮影の途中で、イタリアのおばあさんを思い出し、車を走らせ髙田の大嶋画廊へ絵筆を買いに行った。まだ腰まである髙田の雪に驚いた。

疲れたら休めば良いという話はだれにでも出来る。だが目先を変えることを明瞭に伝えたのはイタリアの小さな村の亡き姑さんである。
遠くの私にまで智恵を授けてくれて、有り難いと思った。結局この日、かなりの仕事が残って終わった。明日にしたらという妻の有り難い助言に従った次第。

 


「小さな村の物語 イタリア」のテーマ曲。

本日午後は三軒の在宅回りがあり、二軒カ所三回目のワクチンをした。
重い障害のある方を遠くの会場まで連れ出すのは大変である。在宅の接種は皆さんとても喜んでくださる。

本日午後は良く晴れ、そよ吹く風の寒さは和らいていた。

しかし明日は再び崩れるらしい。そうこうしながら間もなく三月になる。

 

やると思った平野歩夢選手 白鳥とタゲリ。

2022年2月11日(金曜日)

平野歩夢選手が期待に応えて優勝した。中継をみていたが二回目まで二位のところ三回目にほぼ満点を出して覆した。
決勝(三回目?)を前に、
“色々状況が変わるが、どんなでも対応できるようにしている”と述べ、その通りに結果を出した。

マナーは全く異なるけれども、バンクーバ五輪当時、服装と態度を批判されたパイオニア国母和宏選手を先輩として敬愛しているのではないだろうか。
見た所彼らの世界には独特なまとまりが感じられ、ドレッドヘアーなどもとても似合っている。

 

Xゲームスで鍛えた経験と度胸はさすが。

同選手はいつも落ち着いている。上掲の言葉など、若くして修業を重ねた茶人のようでもある。将来茶道に進めば立派な師範になれそう。

 

さて本日も日射しが良く、いつもの場所にコハクチョウが居た。嬉しい事に途中からタゲリが来た。かって何度か突然現れたことはあるが、群で素早く飛んでいるものばかり。地上の写真をちゃんと撮れたのは初めてで、不思議な鳥の印象だった。

白「見慣れないやつがいるぞ」

タ「タゲリです」

タ「三羽で来てます」

白「三羽かい」

タ「お休み中ごめんね」

白「遊ぼうよ」 タ「エサはないでしょうか」

 

 

白「ねえ、遊ぼうよ」 タ「エサはないでしょうか」

 

白「あそぼうよ」

 

白「あいだ、くぐるんかい」

タ「撮影は一枚だけね」

白「もう行っちゃうの」 タ「はい、忙しいので」

タ「若いのがよってきた」

タ「追いかけて来るぞ」

白「そっち行くんかい」 タ「忙しいもんで」

白「ねえあそぼ」 タ「うーん、困ったな」

白「いいでしょ、いいでしょ」 タ「うーん」

タ「今日のところ急ぐんで、さよなら」 「僕の飛翔かっこいいでしょう」

タ「ね、かっこういいでしょう」

 

白鳥にとってタゲリは特に珍しくはないことでしょう。珍しかったのは私だけでした。

遊びたがるコハクチョウとエサが欲しいタゲリという風にいたずらしました。

スノーボード競技 愛されることとプライド。

2022年2月10日(木曜日)

午後休診の本日、テレビで冬期オリンピックを観た。女子ハーフパイプのスノーボードが行われていて妙高市の冨田せな、るきの姉妹選手が銅メダルと5位入賞した。


せな選手が難度の高そうな業を次々に決め、るき選手は3本中2本を転倒したが最後は決めた。
代表になるだけでも大変なのに、オリンピックで上位に入るなど、それも10代で、とても信じられない。


その前にあった男子スノーボード・クロスも面白かった。一度に4人が滑降する。その協議中何組かで二人が接触転倒し、決勝進出ならなかった。しかしゴールで握手し互いに非難することも無かった。

またハーフ・パイプ女子優勝者は決勝を前に「私は何も求めない、ただ楽しむだけ」とコメントしていた。
いずれも鍛錬し精魂込めて競い合った末の洗練された境地であろう。

二月の晴れの日 樹下美術館の雪 鳥たち 信州の方から。

2022年2月9日(水曜日)

二月に晴れれば大気は透明で光は強く、下手な三月の雨天よりも「春」が感じられる。
今日はそんな日だった。
テレビによれば、今年になって既に1時間も日が長くなっているということ、納得させられる。

以下本日の近隣と美術館です。

近隣。向こうは高速道路{北陸自動車道)。

 

陽光の美術館。雪は20センチほど。
矢印の所、カフェの前に屋根の雪が集中して落ちます。

 

矢印の部分の拡大、板で覆いをしています。

逆光の雀。

 

本日は施設でワクチンがあった。自院の個別も行われているので忙しい。一段落する暇も無く若年層へと進む。

本日は在宅の無い日なのでヒマをみて樹下美術館の周囲を走った。日中ほぼ晴天が続き気持のよい空だった。花粉症の方はすでに辛い最中になっていて、本日私も目がかゆい。

以下は過日の鳥です。

二番穂をついばむのアトリと雀。穂に実は付いているのだろうか。

間もなくノスリがやって来て群は飛び去った。
タカは見栄えが良い。私にしては珍しくちゃんと撮れた。

本日長野県の方から、現在ハクガンはいますか、と電話があった。
ハクガンを検索されてブログをご覧になったと仰った。是非ハクガンを撮ってみたいということ。詳しく回っているわけではないが私自身、1週間ほど姿を見ていない。
県立大潟水と森公園の事務所が詳しそうなのでお尋ねしてみて、とお返事した。安曇野方面の方のようだった。あこがれの地からの問い合わせは嬉しかったが、お役に立てただろうか。

春の開館までもう少し、今年度の展示企画です。

2022年2月8日(火曜日)

早いもので12月16日からの冬期休館が半ばを過ぎようとしています。皆様には長くお待たせして大変申し分けなく思っています。現在美術館の雪はカフェの前で地の雪と屋根から落ちたものが合体し、そこだけかなりの量があります。

さて今年は開館満15年になります。特別なパーティーなどは致しませんが、催事としまして以下を企画しました。

3月15日(火曜日)~6月14日(火曜日)常設作家企画
・齋藤三郎「湯飲みと盃 展」
・倉石隆「倉石隆 コレクション展」

開館15周年特別展
・「齋藤三郎ゆかりの人々」展

齋藤三郎は作品、人柄ともに優れた芸術家で戦前の修業から復員後の髙田における開窯と花開いた疎開文化を通して多くの文化人と交流しました。
始まりに陶芸修業の師、近藤悠三と富本憲吉、支援を受けたサントリー創業者の人々、木工黒田辰秋、戦後も交流した版画家・棟方志功。その後疎開文化を期に画家小杉放庵、歌人會津八一、童話作家坪田譲治、詩人堀口大學、写真家濱谷浩と茶人朝夫人、画家松林桂月、登山文学者深田久弥、微生物学者坂口謹一郎各氏と交流し学びました。

展示は小さな樹下美術館のそれぞれ僅かずつの収蔵品ですが、貴い諸氏が遺した品々によって館内が麗しく香ることを期待しています。

開館15周年特別展
「ふるさと上越、主体美術協会の人々」展

樹下美術館常設展示の画家、倉石隆は芸術家集団「主体美術協会」に属していました。
このたびは上越市および妙高市出身で、物故者を含めた同会所属の8名の作家作品を展示企画しています。
倉石隆もそうですが、当地ゆかりの同協会所属者には、故賀川孝、故舟見倹二、故倉石隆、現役の筑波進、矢野利隆、関谷昌夫、篠原真智子、大口満の諸氏など、多くの作家さんがいらっしゃいます。
本展を通して倉石隆の同士、地元ゆかりの人々の個性と生命感あふれる作品をご覧ください。

秋から冬に15周年を一人記念して、全く勝手不遜な館長の作品展「館長のひごろ展」を思い付き企画しました。

・絵画
9月27日(木曜日)~10月27日(火曜日)
1999年から描きためた植物水彩画に、後の植物および風景の油彩を加えました。すべて小品です。
・写真
2015年樹下美術館開館を期にブログを書き始めて以来カメラを手にするようになりました。その後次第にカメラは分身のようになりました。

絵も写真も日常がモチーフの自己流。本来お見せ出来るようなものではありませんが、お暇の節にお目汚し頂ければこの上ありません。

以上の今年度の各企画展につきましては、今後さらに詳しくお伝えさせてください。

 


1957年の映画「An Affair to Remember」のテーマ曲。
エミール・パンドルフの優しいピアノ。

夕刻のツグミとコハクチョウ 「田んぼのカラス」とは Y字路は魅力的 雪の歌句。

2022年2月6日(日曜日)

終日絵を描いて過ごした。はかどっているような後戻りしているような妙な具合。何事も為した分だけ意味があるとして納得した。

座ってばかりもいられず、夕刻4時過ぎに車を温めてから近隣を走った。
鳥の影が動いたので車を止めた。雑木林の低地に大きな水溜まりがあり、数羽のツグミがいた。
一両日新雪が足されて餌に不自由していることが考えらたが、戯れたり吸水するなど元気に見えた。

 

ツグミはじっとしている時間が長いので撮るのに助かる。

雪降る田んぼにコハクチョウの群がいた。

あちらこちらでカラスが群に混じっている。
白鳥は稲の根をあさるが、カラスはここで何を食べるのだろう。

「田んぼのカラス」。
かってある方が、仕事の出先で成果を上げない部下の様子を「田んぼのカラス」と形容するのを聞いた。出たは良いが何かいいことあるかなと、ぼんやり過ごしすことを指すらしい。

本当にカラスは田んぼでぼんやりしているのだろうか。以来、田でカラスを目にするたび、どうなのか見てみた。
すると全てではないが、熱心に餌を探すわけでもなく戯れるわけでもない。大きな群でも多くのカラスは漠然と「そこに居るだけ」という、手持ちぶさたな雰囲気を漂わていることがよくあった。
この言葉を日常耳にすることはまずない。多分造語だろう。さすがT氏の洞察と感心した。

 

雪中ひと休みするコハクチョウの若鳥。
若鳥たちは見た目親より気品がある。

 

帰路の大潟区。
どこであれY字路を見ると、いいなあ、と思う。

明日から高齢者の三回目コロナワクチン接種が三週目に入る。あまり降られると駐車に不自由を生じるのでどうかほどほどにしてもらいたい。

降る雪に鴉の声のくぐもれり
くぐもれる鴉の声に降る雪の深さ思ひて日は暮れにけり

差し迫った施設療養と県の説明会 もっと楽しんでもいいのでは。

2022年2月4日(金曜日)

コロナ禍は特異なオミクロン株の拡大によって療養、治療とも方法が変わってきた。自宅が主な療養の場になったのに伴い、障害者や高齢者の施設療養が差し迫った課題となった。

施設は入所者さんの心身特性と閉鎖的で集団的な環境のため、感染症に対する脆弱さを否めない。
これまで比較的大規模な騒ぎを免れてきたのは、ひとえに地域の施設スタッフ挙げて取り組んだ予防の賜物だと思う。

昨夕YouTubeを使った新潟県による講習会があった。冒頭のようなオミクロン拡大に対し今後ニーズ増大が懸念される施設内療養の要点が説明された。
(当然重症者は病院医療になりますが)
予防と防護テクニックの確認、検査キットや備品の確保、館内のゾーンニング、抗ウイルス薬使用の必要諸事項、スタッフ確保と休養、メンタルヘルスおよび県の支援など逐一詳細だった。

ところで三年目になったコロナ禍。
公から“注意深く見守りたい”が連発される。だが何事も事態は悪化か、維持か、改善か、3パターンしかない。常に三通りを想定して柔軟に準備する事が必要だ。
専門家は十分にいるし世界一のコンピュータ富岳もある。だがその富岳では室内におけるウイルスの飛散くらいしかシミュレーションが示されず、果たしてちゃんと使いこなされているかもはっきりしない。

望むらくは見守るだけでなく、エポックごとに三様の対策を先回的に用意して臨むのが今日の方法であろう。
その点、このたび新潟県が行った講習会は非常にタイムリーだった。
不肖自分は特養、グループホーム、障害者施設の三カ所に部分をまじえて関係している。
昨日の説明会で切迫感が伝わり、身が引き締まるのを覚えた。

一方コロナはオミクロン株で弱さを装いながら拡大し、最後に脆弱な高齢者や障害者をターゲットにして仕上げるストーリーを描いているかもしれない。
このたびのある意味最悪を想定した講習会は現実的だと思った。このような事は杞憂でも構わない。それならそれで幸いではないか。

さて連日恥ずかしげもなく傘寿になったことを書き連ね申し分けありませんでした。
挙げ句励ましの品を頂戴し、さらに申し分けなく思っています。

 

佐賀県のお豆腐。
鍋を見ただけで美味しいことが分かった。
一緒のタレも良く、食していっそう旨かった。

 

静岡県三島の富士山羊羹。六色あって美しいお菓子だった。
さっそくお抹茶のお伴に頂きました。
忘れん坊の自分のためにポシェットまで、、、。

さていつものYouTubeからです。


スペインの若者達が大人と一緒に演奏する
「ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET(明るい表通りで)」
その通りで老若男女が楽しく踊る。

私は基本楽しいダンス音楽が好きです。
今やダンス(歌もそうですが)はアクロバットやサーカスの如く高度なテクニックを見せるばかり。それはそれで良いのだがどこかに皆で楽しめるダンスや音楽は無いのでしょうか。

どういう訳か私達はややもすればお利口さんを意識しすぎて、堅苦しく生きているように感じます。出来れば皆でもっと気楽に楽しめればなあ、、、と思うのです。

冬は半ばを過ぎようとしているかもしれません。早くON THE SUNNY SIDE OF THE STREETを歩いてみたいこの頃です。
但し、この先二三日かなり雪が降りそうです。

亡くなった人を思い出すこと。

2022年2月2日(水曜日)

あるところに小柄で色白でいつも静かなKさんが住んでいました。背が真っ直ぐ、銀色の髪にしっかりした眼差しの瞳はグレイでした。詳しくありませんがどこかロシア人を思わせる美しい人だなと思っていました。
その昔お会いした亡き旦那さんは男前で絵が上手な職人さんでした。
一人になった後、Kさんの静かな暮らしぶりには何かしら物語が秘められている印象を受けていましたが、立ち入って訊いたことはありませんでした。
80半ばになると彼女は施設に入り、受け持ちになりました。ある時期いっそう静かになっているのが気になりました。
そんな折、お茶のためにベッドから身を起こした所へ伺いました。
「どうですか、変わりありませんか」
「はい」
「そうですか。ところでKさんは親のことや亡くなった人のことを思い出すことがありますか」
「ありますよ、どうしてですか」と、瞳をこちらに向けました。
「あのね、亡くなった人たちのことを思い出すと、天国で眠っているその人は眼をさまして、すごく喜ぶんだって」
「本当ですか」
「そうらしいよ、思い出すだけで喜ぶんだって。青い鳥という本に書いてありましたから」
するとKさんはしばらくじっと私を見てから、
「ありがとうございます」、「ありがとうございます」と、何度も繰り返えし、白い手を差し出してきました。
思いがけない反応に驚き、出された手を触れるように握ったあと戸口へ向かうと、
「ありがとうございます」
後ろからまた声が聞こえました。

高齢者さんに亡くなった人を思い出しますか、と尋ねると「はあ?」という返事が多い中、Kさんの反応は珍しいことでした。
彼女はどんな人を思い出すのか分かりませんが、意外なほど話を喜んでくれました。
そのことで彼女は幸せな人だと思いました。

昨日の父の話からKさんへ移りました。プライバシーのため設定などを一部を変えています。

今日は五つも2が付く日でした。

80才の誕生日に「Song for My Father」。

2022年2月1日(火曜日)

昨日の予告?通り本日無事に80才を迎えることが出来た。
高齢化で身体にほころびが出てくるのは好かないが、今日まで生きたことには思いもしなかった目出度さが去来した。

昨日は、お世話になった方々へのお詫びと感謝を記した。しかし肝心な親への感謝をすっかり失念していた。
仕事場で、「長生きできたのは先生のお陰です」と時々言われる。
そのようなときは、「いやとんでもない、なによりあなたの親が良い体に生んで呉れたんですよ」と応える。
すると不思議そうな顔をされた後、あ、そうですかね、と仰り、どこか嬉しそうな表情が浮かぶ。

歳をとると親の事などどんどん忘れる。しかし時には、自分にも親が居たんだ、と思い出すと一瞬幸せな気持になる。

 


ホレス・シルバーのコンボで「Song for My Father」
浪人時代の正月、ホレス・シルバーが来日し、
学生服を着てサンケイホールへ聴きに行った。
80の誕生日にあえてこのような「父への歌」を挙げさせてもらった。

後付けで申し分けありません、ホレス・シルバーは以下のような感じの人です(2月4日)

 1961年(昭和36年)正月、東京公演滞在中の一コマ
(「東京ブルース」のアルバムジャケットから)。
幸せそうなシルバー。

当時黒人は米国ではまだ差別に遭っていたようですが、シルバーは日本でとても歓迎されました。出光石油の令嬢がすき焼きに誘うなど、熱気あふれる当時の様子が今はなきスイングジャーナル誌に掲載されました。

ところで自分の誕生日2月1日は父と同じ。苦手な干支も一緒の馬。珍しいなど色々言われたが、ともに寒い時期に生まれたんだな、という感慨はあった。
それより、後年私が大学を卒業する年、上京した父はタクシーの中で、
「長いこと嫌いな勉強をさせて悪かったな」と突然言い、とても驚いた。
勉強は嫌いではなかったし、むしろ面白いと思っていたのであまりに唐突だった。
だが考えてみれば学業優秀、もっぱらベートーベンを聴いた父。自分は上掲のような音楽ばかり聴き、盛んに部活をするなど、勉強嫌いに見えていたならその通りだったのだと思う。
ただ父の言葉にどこか心身の弱りを感じてしまい、車中とても申し分けない気持を覚えた。

さてなんとか男の平均寿命に達した。
しかし昨夏の事を考えれば、到達はそう容易でないことも知った。
これでようやく一人前になれたのかもしれないし、
先はそう長くはないかもしれないし、これからが本番かもしれない。

いずれにしても今日あることをあらためて親に感謝したい。

 

誕生日めし、妻のかに玉丼

本日から高齢者向け三回目ワクチンが始まった。本日は24人で合計は360人だという。今回は倒れないようにしなければ。

今日は70代最後の日。

2022年1月31日(月曜日)

2012年2月2日に70代になったことをブログに書いていたが、本日その最後の日だった。
最後の晩に振り返ればひとつ夏の心臓発作の事件があったほか、仕事と樹下美術館が二本のレールのように私の前後に続いているのがはっきりわかる。
結婚のほうはレールではなく空気か霧・霞みのようなものがフワフワと私達を包んでいるような有様だ。

ところで10年前に三組の夫婦で会った大学時代の友人が、70を迎える時、「この先の10年で俺たち半分に減る」と予言した。
10年経ち私が死に損なったほか皆元気で予言は当たらなかった。出来れば今年年末あたり皆で食事をしてみたい。

生き死はともかく、晴れて80才になっても、手抜き出来ない予定が既に立っている。間もなく今年の美術館催事を発表をする時期が近づたこと、明日から3回目のコロナワクチンの個別接種が始まることである。節目の感慨にひたるヒマも無く、せかされるように明日が始まる。
だが明日の夜だけは、80才になったぞ!と言ってお酒をちょっぴり口にし、お抹茶を服したい。

遅くなったが、70代最後の今夜「THE LAST WALZ]を二つあげて明日を迎えたいと思う。

 


60年代発表のエンゲルベルト・フンパーディング
「ラスト・ワルツ」。

 


カラベリ楽団の「ラスト・ワルツ」

生まれてこのかどれだけ多くの人にお世話になったことだろう。数えたらキリが無いほどの失礼があったはずなので、この場を借りて、深くお詫びしたい。また強く影響を受けた人も沢山いたので心から感謝したい。

少しずつ絵は進むのか 今日の食事 近隣の夕暮れ 久し振りの大河ドラマ。 

2022年1月30日(日曜日)

本日は昼近くまで寝て曜日。1週間に一日くらい馬鹿になって眠ることを体が要求している様子。昨夏の心臓発作以来少々体調が変わっているのが分かる。

起きて朝昼兼用の食事を必要以上にちょっぴり摂る。サラダと8枚切り食パンを2分の1、牛乳50ccと紅茶で終わり。ちょっぴりにすると体が喜ぶようであり少しもイヤではない。

それから絵を描いた。色々といじくりながら、絵の具や油の扱い方が少し分かってきた。

この絵を中心に色々やってみた。
さらに色、陰影、詳細の描き込みなど楽しめればと思う。

12月30日の状態。
この先どうなるものかと案じていた。
作品は一応他者の眼で観るようにしているつもり、、、。

ずっと家に居たので夕刻の田を走った。
少しずつ日が長くなっていることが分かる。

南三陸町からのカキはフライにタラはタラ汁になった。
まだホタテが残っている。

フキノトウのテンプラ。

 

妻は過日に続き本日も樹下美術館の庭からフキノトウを採ってきた。
人様にもあげるつもりらしい。

毎日曜夜、大河ドラマを観ている。毎回の大河は「天地人」以来だから本当に久し振り。
「鎌倉殿の十三人」は楽しめる。私はドラマや映画は如何にも役者さんが「演じている」風なのが好きだ。リアルなものはどうしても冷めた料理のように感じてしまい駄目である。

近時テレビは器用な芸人さん達が各方面に我が物顔で活躍するが、俳優さんたちはせいぜいゲストで、出番も少ない。
しかしこの度の大河は、日頃の鬱憤を晴らすが如く役者さんの熱気が伝わる。張り合いが演技にあふれ、冬のさなか観ていて心身が温まりそして楽しい。
練られた見せ場、テンポ良い脚本、考証されたであろうセットなど、手作り感十分な「鎌倉殿の十三人」は良い感じに写る。

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