二日続けて古径美術館の「齋藤真一展」へ ジャンゴに似ていた 何時まで続く感染。
昨週末土曜日は来客中の二方とお別れし、南城の舟見里留さんを訪ねた。間もなく始まる「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」にむけて舟見倹二さんの作品をお借りするためだった。
樹下美術館には舟見氏のシルクスクリーンが二作品収蔵されそれを出品しようと考えていた。しかし色調が暗めなのが気になっていて、里留氏に相談した。すると明るい作品を揃えて待っていて下さり、伺って二人で一点を選んだ。
南城界隈の変遷と居住する人々の事もお聴きして楽しいひとときだった。
舟見宅を辞して小林古径記念美術館へ行った。好評の「生誕100年 斎藤真一展」を観た。年代順、テーマ別など齋藤作品を見ながらを齋藤氏への理解が深まるよう配慮されていた。
草原でヴァイオリンを弾くご本人か。この絵をみた瞬間ジプシー出のジャズギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトを思い出した。互いに顔や服装、志向など、似ていると感じた。
ジャンゴのギターで「 Nuages(ヌアージュ:雲)」
会場に何カ所も小型の動画モニターあり、ある場所の映像には小さな音量でジャンゴのこの曲が流れていた。ジャンゴもまたさすらうように生きた音楽家だった。アールデコ調からミッドセンチュリーへ、イメージが重なる。
多くの作品の中でサイズの大きな以下2点が興味深かった。
見慣れた瞽女さんと異なり、上掲二作品は大きい。図録によれば「雪の花」は横130,3センチもある。それは沈む夕陽を背景に瑞々しくも成熟した裸の女性が描かれ、「チューリップの少女」はマフラーをしたあどけない少女だった。いずれも瞽女さん、なかんずく杉本キクエさんへの色鮮やかなオマージュではないのかと思った。
さて翌日日曜日はある所の薄茶席に座り、素晴らしい良寛の扇面を観た。俚歌(りか)、俚謡と呼ばれる民衆の戯れ歌が、細めの筆でこよなくも上品にしたためられていた。席の後、主客を務められた全国良寛会会長小島正芳さんを古径美術館へご案内した。
この日は、回廊に展示Jされているお春と太郎の悲恋のシリーズが目を惹いた。赤が使われない灰色一色の何点かは物語の結末が痛々しく描かれ誠に切なかった。
前日年間入場券を求めたが早速翌日また使うとは思っていなかった。図録の笹川修一氏の「音楽を奏でる絵画」はためになり良い一冊だった。小島氏の学芸への造詣深さにいつも感心させられる。
以下は8月5日の雲と鳥追いのカイトです。
大変なことになっているコロナ。これまでガードがきつかた福祉施設なども一挙に突破してくる。一家7人全員、あるいは88才独り暮らしの方などの感染もあった。おしなべて早めに回復されるので胸を撫で下ろしているが、重症化リスクや後遺症は克服されたわけではないと思う。
帰宅時や外来の合間に手洗い洗顔、歯磨き、鼻腔までのうがいをする。マスクをしていても談笑の飛沫や物を含めた接触で感染するのであろう。
一方接種は決して慣れること無く今も一人一人緊張する。される人もする側も、いつまで続くのか、ため息を禁じ得ない。
ワクチンの合間に奉公の話 柿崎区馬正面の桃。
4回目のワクチン個別接種が半ばを過ぎている。猛烈なコロナは軽症者中心だが未曾有、世界最多の感染となり死亡者が増加し始めた。現行の流行株に対するワクチンの効果減衰が言われている。
大流行の中で自身は後期高齢者かつ三大疾病の有病者。そして毎日何名かの陽性者を診る現場の末席にいる。ワクチンは頼みとする重症化予防の期待にだけは正しく応えてもらいたいと願っている。
一人一人直前に「そっとやりましょう」と言って注射する。打たれる身には「チクッとすます」と言われるよりは良いのかなと思っている。昨年は最大一日30人を接種したが、今年は午前12、午後6人なので何とかやれる。
ある午前、接種が終了した普段の診療で大正12年生まれの方の番になった。とても小柄なその人は99才、かって半年ほど不安定な時期があったが再びお元気になった。
丈夫になりましたね、と言うと以下のように仰った。
小学生のころの自分はとても弱く、あまり学校へ行けなかった。温情のような形で小学校を卒業、数年後に東京は下谷の呉服商の家に奉公に出た。
不思議なことに東京の6年半の生活は病気一つせず子守や丁稚奉公が出来た。あるじ夫婦から大事にされ子どもたちはとても良くなついた。
戦争で空襲が激しくなると一家は愛知県の田舎へ疎開することになった。是非一緒に来てくれと頼まれたが、年季期奉公の自分は郷里に帰らざるを得なかった。最後の日、夫婦は手紙を書くと言い、こどもたちと泣いて別れた。
田舎に帰ってみると、弱かった自分は東京で死んだという話が伝わっていてびっくりした。疎開先のご夫婦から手紙が届いたのはとても嬉しかった。
お顔にあどけなさが残る小柄なおばあさん。この方の15,6才からの話ですが、可愛い娘さんだったことだろうと想像し、いつまでもお元気でと願いつつ自分も元気でいなければ、と思った。
かって10代のころから遠い都会へ奉公に出た方が少なくない。別世界の暮らしと仕事。田舎の里から都会へ、境遇を運命と定め、あるじ夫婦の教えに従い仕事に勤しむ。さほど遠い昔の話では無いだけに彼女達の忍耐と努力、従順さには驚かされる。
この方の場合、都会の恵まれた栄養が身体を健常にしたのではと想像される。強くなったことを喜び、励みとした娘さんの幸福が伝わる話だった。
柿崎区は馬正面のN氏から頂いた桃。
自作され、本当に良い食べ頃のを頂戴した。
本日食べた幸福の果物。
Nさん、いつもお心に掛けて頂き有り難うございます。こんな立派な桃を作られるとは!
所変わり季節変われば。
昨日長野カントリークラブでゴルフをした。昔は遠かったが、いま高速道路で一時間少々で着く。スコアは良くなかったが飯綱の山影を間近に、すみずみ手入れが行き届いたコースは素晴らしかった。
スタートホール脇にリンゴの木がずらりと並び、少し感動した。
所変われば山変わりゴルフ場も植栽も変わる。
以下は本日の当地の空。
あまりの暑さに関田山脈に湧く積乱雲が
息を吐いているように見えた。
たまたま遠近別の雲が重なったようだが変わった眺めだった。
ところ変われば樹下美術館の柿。
二か月前は20前後あったものが8個ほどに減っていた。
隣り合っていた実を一つ間引きして取ってきた。
ういういしいお嬢さんの感じ。
季節変われば果物変わる。秋になったら信州のリンゴは勿論、ぜひ樹下美術館の柿を食べてみたい。
8月11日~9月20まで二つの記念展が同時開催。
今年15周年の樹下美術館。記念の一つに8月11日から9月20日まで絵画コーナーで「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」を催します。展覧会は当館が常設展示する倉石隆が所属した主体美術協会で発表を重ねられるなど協会ゆかりの皆さまの作品展です。
この度は倉石隆はじめ三人の物故者を含めた9名の展示になります。ささやかな会場ですが、賀川隆、矢野利隆両氏のように上越での発表が珍しい方もいらっしゃいます。真夏から初秋へ、どうか個性あふれる作品をお楽しみ下さい。
出展者は大口満、賀川孝 ※、倉石隆 ※、篠原真知子、関谷昌夫、筑波進、舟見倹二 ※、矢野利隆、涌井和子の9名です。
倉石、賀川両氏の作品は樹下美術館収蔵品を出展致します。
さて6月23日から始まっていたもう一つの15周年記念「齋藤三郎ゆかりの人々展」。同展が終了する8月9日が近づいていますが、リピートする方や「2度3度と観たい」と仰る方がおられるなど、お陰様でご好評を博しています。
そこで会期を先の「ふる里上越 主体美術協会の人々展」の終了日9月20日まで延長することに致しました。
結果、二つの記念展覧会は8月11日~9月20日まで同時開催となり、行事に厚みが出ることになりました。
熱さとコロナの盛りですが館内は十分に換気を心がけています。マスクを着用されどうか展示やカフェをお楽しみください。
クリームソーダーがカフェ・メニューの仲間入りしました。
熱さつのる日の雲。
雨や暑さが行ったり来たりしながら夏が過ぎて行く。午後、日射しは強いが風は秋めいているように感じた日。ベンチのお客様は風が通るのでここが一番と元気に仰った。
お休みの午後、ゴルフの練習に行く時間があった。クラブを短く持ったり長くしてみたり、力を入れたり抜いたり、色々してみるが果たして練習になっているのか怪しい。
終えて美術館に戻って8月11日から始まる「ふる里上越主体美術協会の人々展」に向けて届いた作品の写真を撮った。さまざまな志向の作品を見るのはとても楽しい。小規模ながら面白い会場になる予感がした。近々是非一端をご紹介したい。
夕刻関田山脈の方向に力強い雲が広がったので出向いた。
そう言えば昨夏の退院後夕焼けの海で自動シャッターを切って自分を写していた。大病などすると自分を撮っておきたくなるらしい。大きな雲を見て恥ずかしいが自分も入れた。
愛知県からのお客様に励ましを受けた。
日中美術館に居る妻が折々その日の事を話してくれる。
過日の二組の方たちには直接お会いしたが、一昨日聞いた愛知県からのご夫婦のことは妻からの伝聞だった。
以前お二人は富山県からよく来館されたということだが、愛知に移ってからここが遠くなった。このたび思い切って来てみたが、展示が非常に素晴らしかった。カフェや庭も以前のままで、“樹下美術館ほど素敵な所は無い”と仰ったという。
これだけで十分感激なのに拙ブログを知っておられ、昨年倒れた小生の体の事がとても心配と、涙ぐまれたという。
コロナ、戦争、自身の病、、、良くないことが続くなか、何と有り難い話だろう。多忙に明け暮れ年令を重ねると、ふと悲観に襲われることがある。
遠くからのご夫婦に温かな励ましを受け、つくづく“美術館をやっていて良かった、生きていて良かった”と気持が改まる。
また訪ねると仰って、帰路に向かわれたそうだが、心からお待ち致します、遠路本当に有り難うございました。
仕事場のキンカンにきていたクロアゲハ。
何度も蜘蛛の巣に止まり産卵するような動作をする。
糸に絡まないか心配だったが全く恐れを見せなかった。
秋になったら美術館のブットレアのそばにもキンカンも植えたい。
深田久弥著「わが愛する山々」の火打山と齋藤三郎。
去る6月26日のブログ「齋藤三郎とゆかりの人々展その9」で登山文学者・深田久弥に触れさせていただいた。その折り著書「わが愛する山々」に火打山があり、そこに齋藤三郎が出てくることを書かせて頂いた。
幸い文庫本サイズの本はネットですぐ買えた。今回、北は斜里岳から南は九重山まで取り上げられている23の山に関する著述から我が齋藤三郎が登場する15ページにわたる火打山をご紹介してみたい。
深田久弥著「わが愛する山々」 山と渓谷社発行
2011年6月5日初版第1刷の2020年4月5日初版第2刷
出身地が福井県大聖寺の深田氏は1960年三月下旬の白馬山麓のスキーで妙高連山を見て以下のように述べられている。
“三月下旬ではまだ全ての山は雪を置いていたが、とりわけ火打は白かった。こんなに一点の汚れもなく真っ白になる山は私の知る限り加賀の白山と火打山以外にはない。”と感嘆される。そして妙高連山のうち火打山だけが未踏であり、是非登ろうと決心されるのである。
同年6月19日深田氏は髙田に到着。かねての読者I氏の案内で金谷山、春日山城、五智を訪ね、市内で山岳講演をされる。この間に終始上越山岳会副会長の饒村義治氏(小生高校時代の恩師)と髙田山の会会長の齋藤三郎の世話になったと記されている。
翌朝田口駅(現妙高駅)でパーティー9名が全員集合。そのうち上越山岳会の一人は私の中高時代の二つ上の先輩松川太賀雄さんだった。9名のうち7名が若者、残りの深田夫妻と齋藤三郎の三人が中年という具合ながら、深田氏からムッシュと呼ばれた齋藤氏は若者に劣らず山で強かったと書かれている。
読み進むにつれ地元の山男たちは深田夫妻の“お供をする”などというものではなく、途中途中の美しい景観や可憐な花々を案内、楽しい休憩と山菜採り、さらに用意した山海の珍味で深夜に及ぶヒュッテでの宴など、登山を通して精一杯の“もてなし”をしたことが分かる。
景観を愛で行程と地元の風土に親しむ。登頂に成功するばかりが登山ではなく、断念の山行にも楽しい思い出がいくつもあるとする深田氏の登山哲学を理解し、壮大な火打山をもって夫妻を温かく迎えた上越の山男たち。本は劇的な自然と人々の行為が織りなす文学として感動的に綴られていた。
一行は赤倉温泉でお別れの晩餐をする。そこで、上越山岳会は先鋭分子だが、齋藤氏が会長の髙田山の会は、生け花や謡曲の会と並んで文化団体として扱われていることが披露され大いに盛り上がり、どんな山の登り方があっても良いと、記されている。
火打山で出会った深田久弥と齋藤三郎は後も交流されました。
私より少し若い?二組のお客様との話 あれから一年。
過日私より少しだけ若く見受けられた二組のお客様とカフェで話をした。一組は柏崎の女性二人で、最初お二人は柏崎は何も無い、としきりに嘆かれた。しばしば他所から見える方はそんな風に地元のことを嘆かれる。
が私が知る柏崎は先ず桑名藩との関わりなど歴史が古く、謡曲「柏崎」があり、市内に寺が沢山あって、お寺の宗派が色々のうえ焔魔堂まであり、天神様飾りの習慣があり、随所に庚申塔など石塔が多く、越後ちぢみで代を為した大コレクターが大勢居て今日諸美術博物館の礎になっている等々を述べ、にわか知識ながら柏崎は何も無い所ではない、と弁護した。
そう言えばそうだわね、と話が進み、柏崎の人は確かに信心が厚いかも知れないと仰った。
一つとして、よそ様から何かを頂くと子どもさえ先ずお仏壇に供える、と話された。私自身かって柏崎をめぐるなかで、郊外を含め市全体に信心深さが漂うのを感じていた。
私が知らない風情の良いお寺を教えて頂いたり、かってお参りした御嶽社を口にすると、うちは直ぐそのそばと話が弾んで楽しかった。何も無いなどと謙遜しなくても、まず信心深さが漂うだけで素晴らしい市ではないかと思い、教えて頂いた寺を訪ね、いつか必ず綾子舞いを見たいと願った。
同じ頃お会いした上越市内二人の男性との話。
立ってお聴きしただけだったが、お二人とも写真好きとお見受けした。拙ブログや写真をあげ、特に鳥は素晴らしい、と褒めて下さった。
また昨7月倒れたことを知っておられ、もう一年ですねと仰り、もう一方は「机上メモ、私もやっています」と話されたのにはびっくりした。
以前はもっとお客様と話したが、コロナになって少なくなった。しかしこのように接してみると、色々楽しくかつ励みになり、続けてみたいと思った。
昨年7月24日夕刻に心筋梗塞で倒れ半分死にかけた。循環器の手術場で寒さに震えながら冠動脈拡張術を受け、三ヶ月一度の通院を続け、お陰様で一年無事過ぎた。
主治医師に勧められていることを口実にするゴルフ以外何かと用事に追われる日々。現在4回目のワクチン接種の最中で、本日自分も受けた。
この先、去る日、齋藤三郎ゆかりの人々でご紹介した深田久弥著「我が愛する山々」から齋藤三郎が登場する火打ち山の一節を書かせて下さい。
一昨年植えたブットレアに蝶が来た カサブランカが咲いている 映画カサブランカのテーマ 猛烈化したコロナ。
2020年10月美術館の北の庭と西の庭にブットレアの木を植えた。下の幹からある種暴れるように何本も長い枝を伸ばし赤紫色の房花を付ける。
もとは仕事場の庭にある木で、何も知らずに「よく蝶が来るなあ」と感心して眺めていた。あまりの蝶に調べてみると「蝶を呼ぶ木」ブットレアだと分かった。だが不思議なことに、いつ誰が植えたのか分からない。それなら美術館の庭にもということで一昨年秋、ネットで取った苗を植えたという次第。
昨年は数輪花を付け、今年はもっと咲いた。蝶はまだかと見ていたが一昨日昼キアゲハが熱心に取り付いているのを見て初めて撮った。
特別良い匂いがするわけでなく、見かけもまあまあの花。しかし蝶はぐるぐる花に取り付きながら熱心に吸密し、一通り終わると飛び立ちまた引き返してくる。なにが惹きつけるのか、蝶に対して強い未練を残すらしい。
ブットレアの脇に同じ時期ヒヨドリ草も植栽したので間もなく開花を迎える。この花も蝶を集め、とくに驚異的な長旅をするアサギマダラが好むというので、まだ見ぬ美しく強靱な蝶を一目見てみたい。アサギマダラは台湾など南方への旅で知られているが、山形県や北海道にも現れたということ。なんとか我が美術館にも寄ってもらいたい。
あちらこちらでカサブランカが咲き、庭を香らせている。
今年は雨が少ないため傷まずに伸び伸びと咲いている。今のところ今年の梅雨は百合向きだ。
ビージー・アデールのピアノで
映画カサブランカのテーマ「「As Time Goes By」
コロナが猛烈化している。
第18回卯の花音楽祭 SPレコードで聴いたクライスラーの名曲と長崎の鐘。
本日海の日の祝日。月曜日が休みだと大変気持が和らぐので貴重な日になる。
午後「卯の花音楽祭」が頸城区の希望館で開かれた。“小山作之助を讃えて”とサブタイトルがある音楽会はコロナ禍によって3年ぶりだった。
作之助の母は我が家の人なので例年名札付きの席に座らせられ正直恥ずかしい。本日は新潟市から後藤丹もと上越教育大学教授が隣に座られ、光栄かつお変わり無く懐かしかった。
大潟オカリナアンサンブル、大潟ギターアンサンブル、コーラスゆりかご、シニアコーラスさざなみ、コーラスおおがた、卯の花合唱団の地元グループのほかゲスト「サックスアンサンブル E7SS」が招待された。
メジャー、ローカル、ファミリー、さまざまな音楽活動がある。耳障りでさえなければ音楽はどのレベルでも楽しめる。本日はグループごとに個性があり楽しく聴いた。
わけてもコーラスおおがたが歌った小山作之助作曲「鏡が浦の驟雨」は後藤丹氏の編曲で、メンバーは9人と少なかったが鮮やか、かつ爽やかなハーモニーが印象的だった。積み重ねられた真剣な練習のたまものにちがいないと思った。
会場の全体換気と休憩を終えた後サックスアンサンブルE7SSがダイナミックな演奏を終えた午後3時ころ、残念だったが所用のため会場を後にした。
本日夕刻美術館でA氏とお会いし持参された2枚のSPレコードを聴いた。1枚は藤山一郎の「長崎の鐘」もう1枚はクライスラーの名曲「愛の悲しみ」「愛の喜び」だった。乾いた夏の庭が雨と出会ったように三曲のレコードは胸深くしみ込んだ。
クライスラー自身が演奏する二曲のSPは貴重で、YouTubeに出ていたが共有に制限があったので「長崎の鐘」を以下に掲げました。
この歌で思い出すのは昭和43年夏、ある大きな団体が行う九州旅行の医療班のアルバイト。
特に長崎市で平和祈念像や浦神天主堂を巡った後、バスガールさんが美しい声で歌った「長崎の鐘」は思い出深い。狭い通りを走りながら説明と歌を聴いて切なく胸に迫るものがあった。
新幹線は一部のみで、車中や船の寝泊まりを入れて5泊6日?、とにかく強行軍だった。真夏の九州をバス10数台を連ねて走り、時々私達はタクシーで最後尾に付いた。湯の児温泉の朝の爽快さのほか、阿蘇のつづら折りで一台が故障した時ずらりと並んだ壮観なバスの車列が妙に印象に残る。
帰りの船中で起きた大規模な船酔い騒ぎ?のほかは大した用件も無く、当時の人たちは強かったなあ、と思い出す。
週末二日のお茶とゴルフ、そして夕暮れの渋柿浜。
週末土曜日午後は薄茶の呈茶を行い、本日日曜日はゴルフコンペに出た。
晴れ間となった茶席は知らない方同士3組様が集って6人の和やかなお席だった。
お道具は前回そのまま、お花を一部替え、
診療所のハナミョウガ、美術館のミゾハギなどが入った。
カフェの正面に咲いている黄金オニユリ。
今年は沢山花を付けています。
茶が終わって美術館に戻ると仲良しのお二人のお客様から
お菓子を頂いた。「こんにゃくゼリー」と「妖怪きびだんご」。
どれも初めて。お腹が空いていたので沢山食べた。
そして本日のゴルフコンペ。成績は散々だったが、どういうわけか楽しかった。ちなみに成績はブービーメーカー。初めての結果かもしれない。今年初めのころは良かったのにどんどん下手くそになっていく。
主に体のことで「良い事があれば親のお陰、悪いことは年のせい」。自作の迷言を思い浮かべて納得した。
昨夜の土砂降りで比較的涼しかった本日。夕刻は大潟漁港の西隣の突堤で夕焼けを「写した」。
こうして戻り梅雨の二日が過ぎた。
「戻り梅雨」と言うらしい 4回目の接種、7波の流行。
短い梅雨が開けてカラ梅雨模様となり畑や庭が乾き、溜め池の貯水量が心配されていた。
それが4,5日前から雨が降り始めると、再び梅雨の空模様になった。「戻り梅雨」という語があるようだが、ぼんやりしていたせいか記憶が無い。
本日夕刻西の空に茜が射したので仕事の後四ツ屋浜へ夕空を「撮り」に行った。
陽が沈んでしばらくの間、雲がきれいに染まり、いっとき見応えがあった。
海沿いの道の傍らに大きな水溜まりがあり、美しい空が写っていた。
今月11日から4回目のワクチンが始まっている。通常の仕事の合間に午前12人、午後6人の接種がほぼルーチンになる。これがお盆休みを除いて8月いっぱい続く予定。
昨年は18人を残して7月24日に心筋梗塞を発症して倒れた。個別を希望される方が想像以上に多いのでやむを得ないが、今年は一人一回接種なので健康に気を付けて何とか乗り切りたい。
それにしても第7波。それも急峻な上昇カーブで流行している。新たなウイルスには免疫逃避のメカニズムが加わったため、より感染力が強まった。
ワクチンや実際の感染による免疫獲得と変異ウイルスによるすり抜けのイタチごっこが始まった。ワクチンの有効性強化と対コロナに特化した特効薬が今こそ期待される。だが果たしてインフルエンザよりも動きが軽そうな新型コロナの動向に追いついて行けるだろうか。向後長いスパンの複雑な流行を想定しなければならないかもしれない。
戦争はじめ嫌なことが止まない。本当はそのようなことをしている場合では無いのに。
雨が降り、今度は梅雨に戻るのだろうか。
半ば諦めていた雨が昨夜から降り始め、綱渡りして命を繋いだ庭が息を吹き返した。
いっとき雨が止んだのを見て庭に出た
降ったは良いが、予報は連日傘マークが並ぶ。せいぜい降ったり止んだりにとどめ、豪雨は避けて欲しい。
堀口すみれ子さんの講演会。
先週末9日午後3時から堀口すみれ子さんの講演会があった。2010年が1回目、2016年が4回目だった。これまで父であり詩人、フランス文学者、文化勲章の人堀口大學のひととなりと交友、上越市や葉山町の暮らしなど、時々でテーマを変えてお話し頂いた。
このたび樹下美術館開館15周年の記念講演の申し込みをお願いすると、5回目だから何を話したらよいやらと、すみれ子さんは逡巡された。
最後の講演から6年が経っています、初めての方も大勢さんいらっしゃいます。お話は繰り返し何度でもお聴きしたいと述べ、あらためて上越時代の堀口大學のこと、交友特に齋藤三郎とのことを折りまぜ「堀口大學と上越 そして齋藤三郎」の演題でお話頂くことになった。
当日みどり鮮やかなスーツで来館されたすみれ子さん。緑いっぱいの樹下美術館の庭に溶け込みながら、姿は美しく際立つ風にお見受けした。
45人の方が来場された当日の様子。
参加されたお客様が撮られたました。
これまではスライドをまじえての講演だったが、このたびは終始お話だけで進行した。静かに語られる妙高市のお母様のふる里から髙田へ。わずか1時間の講演だったが、雪国の疎開で激変する高潔な詩人の苦しい生活と心が、徐々に癒やされる様子が詩を交えながら語られた。
変えたものは上越の風土と人々の情けだったことが自然に浮かび立つ感動的な講演だった。
このたびすみれ子さんは以下2枚の大學先生自筆の貴重な書を持参され、私どもに与えてくださった。
母よ 僕は尋ねる 耳の奥に残る あなたの声を
あなたが世にあられた 最後の日 幼い僕を呼ばれたであろう
その最後の声を
三半規管よ 耳のおくに住む巻き貝よ 母のいまわの その声をかえせ
堀口大學 印
一番目の詩「母の声」は詩集「人間の歌」に、二番目の詩「越びとに」は詩集「月かげの虹」に初出掲載されています。
「越びとに」は講演の最後に読まれ、お身内ならではの情愛がこもり、越びとの一人としてとても感動しました。
良い人の良い話は何度でも聴いてみたいし、聴く度に新たな発見があります。
文化や芸術は単に知ることではなく「感じること」だと、このたびも知らされました。
堀口すみれ子さん、ご来場の皆さま、本当に有り難うございました。
スタッフ共々感謝致しております。
齋藤三郎ゆかりの人々展 その12 サントリーの人々および齋藤尚明(二代陶齋)。
齋藤三郎ゆかりの人々展の展示紹介は本日のサントリーの人々およびご三郎氏の次男、二代陶齋齋藤尚明氏で一応の終わりになります。
齋藤三郎は戦前戦後、サントリーグループ分けても創業者の鳥井家と幾つかのエピソードで交わりがありました。
一つは戦前です。三郎は近藤悠三、富本憲吉の許で足かけ7年の修業を昭和12年に終えます。その後京都で一時活動した後、サントリーグループの創業者鳥井信治郎が寿屋社長時代に宝塚市雲雀丘(ひばりがおか)の自宅に開いていた陶房「壽山窯」で昭和13年から数年間活動しました。
同所には複数の陶芸家と画家が所属し「壽山荘同人」という名で作品発表が行われていました。阪急百貨店における作品展の案内には三郎の師である近藤悠三の名も見えます。
案内で齋藤三郎の紹介は「斯界(しかい)の大家富本憲吉につき作陶法を修められ、毎年の国展に出品される方。壽山窯現在の責任者でゐられます。」とあり、高い評価と信頼を受けていたようです。
※斯界:その道の専門家の人々。
その後のエピソードは後に述べさせてください。
昭和15年前後、寿山荘同人による陶器、絵画作品展の案内。
壽山窯時代の三郎は信治郎社長はじめご家族とも親密だったようだと、次男尚明氏が述べられています。戦後三郎が髙田で開窯した後、大阪の阪急デパートで作品展を行いますがこの催事でも鳥井家のお世話になっていることが伺われます。
鳥井信治郎の次男でサントリー(株)の前専務取締鳥井道夫氏はかって岩の原葡萄園の社長として髙田を訪ねては三郎の窯に寄りました。陶房における二人の写真を展示ボックスに掲げています。
このたび「齋藤三郎ゆかりの人々展」で、サントリーの人々の展示の相談をさせて頂いた取締役副会長の鳥井信吾氏(道夫氏のご子息)と通信する機会がありました。
その折、「齋藤さんから食べ方の図と共に送られてくる空豆がとても美味しかった」と述べられていて、温かな交流の一端を伺うことが出来ました。
2010年樹下美術館を訪ねられた鳥井信吾氏(前列中央)。
美術館スタッフとともに、左は当時の岩の原葡萄園坂田敏社長。
この写真も展示中であり、小さなボックスは一杯です。
サントリーグループの岩の原葡萄園のワイン「深雪花」。
1991年(H3年)同葡萄園創業100周年記念として販売開始された。
齋藤三郎の雪椿図色紙がラベルに用いられている。
さて最後のゆかりの人々紹介は“ゆかり”どころか、齋藤三郎の次男二代陶齋齋藤尚明さんです。
1950年(S25年)年上越市生まれ。1973年京都の白磁の第一人者竹中浩に足かけ7年間師事。ちなみに竹中氏の師は三郎の師でもある近藤悠三でした。
1979年修業を終え帰郷、晩年の父と共に作陶。栃尾美術館などの親子展や銀座松屋デパート始め県内外で発表のかたわら中国景徳鎮を訪ねて研鑽、2000年父の窯を継承し二代陶齋を襲名。師から修得した発色の美しい白磁、丹精込めた色絵磁器を鋭意発表しています。
氏の幼いころ、三郎氏とともに私どもを訪れ海で遊び、夕食は母が焼く餃子を皆で腹一杯食べました。あの餃子は美味しかった、と今でも口にされます。
岩の原葡萄園で展示される尚明氏の色絵椿文大皿とワイン「雪椿」と「善」。
15年の同園リニューアルを記念して発売された「善」には尚明氏の椿が
ラベルに描かれている。
そしてこの度のゆかり展の展示です。
氏が修業した京都風に言えば“はんなりした”風合いの「色絵市松文水指」。
とても目を惹きます。
父三郎氏の「色絵どくだみ文水指」と一緒に親子一つのボックスに展示しました。
現在週末に行われている薄茶の茶会で用いられる同水指。
展示中ですが、茶会の午後だけ茶席に移動します。
棚の上に父親三郎氏の薄茶器が置かれています。
●今後のゆかり展記念茶会は7月16日(土)、24日(日)、30日(土)および8月7日(日)です。
●1席目は午後1時から、2席目は午後2時30分からです。
●コロナに配慮し1席6名様まで。茶室は雨天以外窓を開け、お飲み頂く以外はマスク着用をお願いしています。
長々となりましたが、これで「齋藤三郎ゆかりの人々展」で展示される人々の紹介を終わります。途中からスペースの関係で黒田辰秋の展示を取り止めましたことをご報告しお詫び申し上げます。
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- 仏像、社寺、二十三夜塔、庚申塔
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- いま四月馬鹿はどうなっているのだろう メギスの旬。
- 3月30日の徳川美術館と豊田市美術館 そして富士山。
- 週末は名古屋と豊田市へ 本日は名古屋の分です。
- 自然の末席で。
- 三月にして真夏日 初ゴルフ アイスクリーム 啓翁桜 雪割草 内山雅子さんのCD。
- 春の公園、過日の大潟水と森公園と本日の大池いこいの森公園 その付近でクジャクチョウ。
- 大好きな濱谷浩作「ホンヤラ洞で歌う子供たち」とその絵はがき。
- 小林古径記念美術館「生誕110年記念 濱谷浩展」と講演会。
- 春分の日、肌寒いが日が長くなった 啓翁桜はいつ咲くか。
- 柏崎から佐藤さん、明静院の大日如来坐像 いしだあゆみさんの訃報
- 宮崎俊英さんとあらためて倉石隆を観た。
- 25年初日 A君の書と芸術。
- 明日から2025年度の開館。
- キーボードにお茶をこぼした日,患者さんを送る 同じ日に時代劇の八幡堀が二篇 最近の夕食から。
- 今冬の冬鳥見おさめ。
- ハクガンの姿無く白鳥は少なくなり 庭仕事を始めた。
- コハクチョウの大きな群 タカが舞い野犬がやってくる 再びシジュウカラガン。
- 今年の齋藤三郎は「茶道具展」です。
- 今年の倉石隆は「男の肖像展」です。
- フカミ美術の懇親会が髙田であった 霧を抜けて三和区の喫茶去へ。
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