本日こどもの日。

2022年5月5日(木曜日)

本日もよく晴れたこどもの日。美術館で朝昼兼用の食事をし、作日植えたサルビアに撒水し、近隣の野を歩き、一件往診し、そのほかは絵を描いた。

以下本日時々の写真です。

水盤に雀がよく来ました。

代掻きの田んぼが見えるウッドデッキで朝昼兼用の食事。
250~300㎉ですが夜はちゃんと食べます。

散歩途中のハマダイコンとスズメノエンドウ。

もう現れていたムギワラトンボ。

話が出来そうなベニシジミ。

 ガマズミ。

ネットでは分からず、図鑑で分かったハマハタザオ。

お腹が空いていた夕食。

煮物のタケノコとワラビはお客様から、うどんは美術館のご近所の方が打たれたもの。腰が強く滑らかでプロ級の出来映え。

絵は行きつ戻りつしながら少しずつ進んでいます。お見せできるようになったならお出しするつもりです。

連休半ばの好日。

2022年5月3日(火曜日)

ようやく5月の空らしく安定して晴れた。少し寒かったが清々しく風が渡り良い日だった。

連休は半ばになっているが「齋藤三郎ゆかりの人々展」が一ヶ月余に迫り、秋の拙作品展はそう遠いものでは無くなってきた。それで本日昼に美術館で食事をしたほか殆どそれらの準備に費やした。

そんな日の昼のベンチにお二人の方がいらしてた。

三つある庭の席で
真裏のアイアンテーブル&椅子は日が射し風が和らぐ場所。
東京から新潟県を訪ねた足でお寄りになった。
「とても気に入った」と仰り、拙ブログを御存知で恐縮した。

周辺の雑木林の白フジ。

 


アルフレード・クラウスのエストレリータ(小さな星)。

お一人具合の悪い方がおられ、昨日から連日往診が必要になった。詰まって来た美術館の二つの予定と患者さんのケアで家に居た方が良い連休.。ひと様と我が身のためと納得。

昨日加茂市の加茂山公園を訪ねた。

2022年5月1日(日曜日)

4月中旬の新潟日報おとなプラス紙に「彫刻の森」が取り上げられた加茂市、加茂山公園。
内容から公園の風趣の良さが伝わり、昨日土曜日午後やや遅かったが出かけた。

県央に縁の薄い身。走ると加茂市は案外遠かった。だが遠い分旅気分がよぎり短時間の滞在ながら楽しめた。

 

市の東部の加茂山一帯が広大な公園になっている。
入園して間もなく噴水に出る。

坂道を上りはじめ右側の最初に「Silent Languageⅴ」
(作者・安田明長)

 

子どもたちを中心に若い人の姿が多く、雰囲気に活気がある。
いえ川の鯉のぼりのせいか、通りも人と車があふれていた。

 

「風のしらべ」(作者・松永勉)

 

「転 90-S」(作者・山西俊彦)

 

「楕円 ⅱ(電車ごっこ)」(作者・荻野耕一)

 

リス園の外観
リスは訪問の目的のひとつだったが4時終了で見られなかった。
ぜひまた訪ねて見てみたい。

「イリュージョン(作者・山里和典)」

 

「森の詩(作者・藤巻秀正)」

 

帰り道右側最後の「GEN」(作者・今溝訓)

 

公園の順路の脇に青海神社へ上る石段。

 

茶店の一つ。

 

神社の鳥居を望む。

さて短い時間だったが新緑眩しい公園を楽しく歩いた。花は終わっていたが5万本という椿が迷路のように整備され、幾つか茶店があった。清々しい晴れ間に誘われ園内は多くの人の姿があった。賑わいのほか静かな道もあり、さまざまに楽しめるようになっていた。

16点の彫刻作品が雪椿園と児童公園周辺に設置されている。それぞれの作品は環境調和が意識され、個性的だが分かりやすく親しめた。このような場合、あまり周囲との調和、同調を意識すると逆に環境に飲み込まれてしまい冴えなくなる、という結果が懸念され、そのような作品も一、二あった。

始まりはふるさと創世事業の1億円を原資に公募したという。野外彫刻は建物が要らないうえ環境と管理に配慮すれば作品はより生きる。当公園の環境は十分であり、新聞によればたゆまぬ管理が継続されているという。
成立に非常に多くの手間が掛かったと考えられるが、ふるさと創成事業の成功例ではないかと思った。

歩きながら、ここはどこかに似てるぞ、と思っていたところ、「北越の小京都」という看板。ああなるほど、と思った。
雰囲気は一部東山界隈を彷彿とさせるし、加茂川(あちらは鴨川)もあれば近くにこぎれいな料亭もあるようだ。リスも見たいのでこの度結婚式出席で叶わなかった妻を誘って是非とも再訪したい。

東京からお見えになったお客様。

2022年4月29日(金曜日)

昨日は清々しく晴れたかと思えば本日は寒い曇り空から雨に変わりシトシトと止まない。変わりやすいお天気が続き、本日は大型連休初日になった。

 

 

昨日のチューリップ。

 

その晴れた昨日、東京からある方が訪ねて来られた。かって倉石隆氏が都内、厚生年金会館で続けられた絵画教室の生徒さんだった人は、本当にふとしたことから当館のことをお知りになり、早々にお訪ねくださった。

コロナへの気遣いからわずかな滞在時間だったが、お聞きしたお話しは貴重だった。すらりとしてシャイ、俳優のような容貌、厳しい制作姿勢、勉強家、物識り、作風の変遷、仲間との交流と楽しみ、尊敬とあこがれ、、、。

小生がお会いした倉石氏はすでに病床の人になられていた。しかし昨日のお話中、氏が何度も生き生きとして現れるのを錯覚した。
最初のころの教室で、
“漠然と絵を描いてみたいだけでは駄目、何を描きたいのかがはっきり意識されなければならない”と話されたという。美しいだけの絵は苦手だと述べられた倉石氏らしい厳しい言葉だと思った。

お持ち下さった在りし日の倉石隆。
氏主宰教室の作品展における氏(銀座の画廊にて)。
※樹下美術館館長の責任に於いて写真を掲載いたしました。

お客様は道中目にした残雪の妙高山の素晴らしさ、当地の環境の良さを口にされ、拙館をお褒めくださった。

そして本日はゴルフをした。朝早くからスタートしたため雨降り前の妙高山や大毛無山を見ることが出来た。

どういうわけか成績はさっぱりだった。

新緑と身に余る春の恵み。

2022年4月26日(火曜日)

タイミング良く雨が降り庭は一斉に新緑になった。

何万人の魔法使いでやってもこんなには出来ない。

そして山海の恵みを頂戴した。

町内の方からタケノコをいただいた。

 

それでタケノコ汁を。

 

南三陸町の弟から届いた鱒。

 

ご実家が安塚の方から頂いたタケノコとウドで。

居ながらにしてこのような春の旬を頂けるとは身に余る贅沢だと思った。

去る日ウクライナ出身の名チェリストが演奏する「祈り」を聴いた。

2022年4月25日(月曜日)

去る日にカフェでA氏らとSPレコードを掛けた。その一枚にかって100万ドルトリオと呼ばれたトリオのチェリストであるピアティ・ゴロスキーが演奏するブロッホ作曲「祈り」を聴いた。

ピアティ・ゴルスキーは旧ソ連時代のウクライナ出身で1942年に米国市民権を得ている。「祈り」を作曲したエルネスト・ブロッホはユダヤ系のスイス生まれ、同じく米国で活躍した。

SPレコードを回して、
ピアティ・ゴルスキーのチェロ演奏で
ブロッホ作曲「ユダヤ人の生活」から第2楽章「祈り」を聴く。

以下の動画で演奏するチェリスト、ミッシャ・マイスキーはソビエト連邦生まれ。1970年代に家族の一人がイスラエルに亡命したことなどから逮捕、18ヶ月間、収容所の強制労働の後に米国に移住している


ピアノはリリー・マイスキー。

マイスキーはピアティ・ゴルスキーの最後の弟子と言われ、米国移住後世界で演奏しています。

ユダヤ人、ソ連生まれ、ウクライナ生まれ、、、。独裁者がいなければ深く美しい芸術が生まれるのに。独裁者はどれだけ世界を駄目にすれば気が済むのでしょうか。

米山水源CC、朝日池のヤマザクラ 樹下美術館の花。

2022年4月21日(木曜日)

午後お休みの本日、近隣の米山水源CCでハーフラウンドした。
よく一緒する方が仕事のため一人で回った。ゴルフは一打一打考えたり、何かを思ったり、辺りを眺めたり、一人でもそれなりに楽しめる。いえ世間はそうしようと思えば大抵の事は一人でも楽しめるようになっていると思う。

本日は朝日池周囲のヤマザクラが満開で、曇り空ながら風も無く良い日だった。

フナ釣りで小学生の頃から親しんだ朝日池とヤマザクラ。
今ごろは乗っ込みの時期で良く釣れた。

18番ホール途中に見事な桜。
ヤマザクラの一種であろう。

午後一人回るコースに山桜愉しからずや赤きカートで

 

昨年から試しにメモしているグリーン上のライン。
本日赤で追加した。
使ったことが無いがいずれコンペで参考にしてみたい。

会員だとハーフラウンドが2500円少々なのでリーズナブルだと思う。

最後に樹下美術館のヤマザクラとジューンベリーそして満開のミツバツツジです。

手前のジューンベリーは白く淡く、春の雪のようです。

大池いこいの森の雪椿 齋藤三郎の雪椿。

2022年4月18日(月曜日)

一昨日午後、頸城区大池いこいの森を「であい大橋」を渡って散策しました。目的は野鳥のエナガでしたが見ることは出来ず、代わりに森の随所で盛大に咲く雪椿を目の当たりにして感激しました。

春の同園は何度も足を運んだつもりでしたが、時期が合わなかったせいか、これほど沢山の雪椿の開花を見たのは初めてでした。

以下当日の一部です。

谷あいなど一定の日陰地に群生の如き雪椿。
こんな場所が随所にありました。

以下は花のクローズアップです。

雪椿の特徴は何といっても花の形。個々の花びらは大小形状が不同で、良く開き、シベが大きい。そのうえ枝は細く柔らかです。柔軟な枝が冬期の深い雪から身を守っていると考えられます。

ちなみに以下のヤブツバキとは随分印象が違っていますね。

過日の樹下美術館のヤブツバキ。園芸店で求めたものです。

当館の常設展示作家、齋藤三郎は椿を好んで描きました。多くはヤブツバキ系ですが、中にはっきりと雪椿が描かれたものがあります。

 2017年に収蔵された「辰砂椿文壺」。

当時この変わった花と枝を見て即座に椿のイメージが浮かびませんでした。話に聞いている雪椿であろうと考えましたが、その後大池などの原木を見てあらためて納得が行った次第です。

 

岩の原ワイン「深雪花」のラベル。

上越市のワイナリー岩の原葡萄園の銘酒「深雪花」は齋藤三郎が描いたラベルです。花と枝から明らかに「雪椿」ですね。

まだ咲いていると思われますが、お暇をみて大池いこいの森公園でご覧になってみて下さい。

昨日のサブリーユは楽しいセッションを聴きながら美味しい食事をした。

2022年4月16日(土曜日)

昨夕大潟区のレストラン、サブリーユでヴォーカルの名知玲美さん、ピアノ&アコーディオンの高嶋真悟氏のプロを東京から招いたジャズ・セッションがあった。
地元のピアニストI氏、ギタリストW氏、二胡奏者のOさん、アルトサックスIさん、テナーサックスI氏が加わり、楽しい演奏会になった。

同業のA氏夫妻と美味しい食事をご一緒。こんなひとときは久し振りで、耳かたむけ体を揺らして楽しんだ。

 

「Moon River」そして 「There Is No Greater Love」で始まった会。
ピアノ、と二胡が付き、「いい日旅立ち」「My One And Only Love]が演奏された。
二胡の間奏とオブリガートも良くバラードが胸に迫る。

ついで地元の方々加わる。アップテンポの「ハニ・ーサッククル・ロード」などが演奏され全体の迫力がぐっと増す。

 

美味しかった牡蠣とシイタケのソテー。

 

上手かったアルトサックス。

良く歌ったベースとテナーサックス。

最後に上越市のピアニストI氏が入った。
「Take The A Train」と「All Of Me」が演奏された。

フィナーレの「All Of Me」は高嶋氏とI氏が連弾。皆が気迫あるソロを披露しエキサイティングなセッションになった。

お互いが反応しあってアドリブを応酬する。

ジャズはアマチュアでもある程度の水準になるとプロと共演出来る。
プロのお二人は海外など十分なキャリアがある。初対面のアマとソロを回しあい、ユニゾンを楽しみ、エンディングを盛り上げる。ドラムスが無いのにこれだけヒートアップするとは。

アマチュアにとってこのような機会は大変勉強になろう。プロはプロでアマチュアを乗せるべく上手くステージを回し、スリリングな演奏会が実現。良い一夜だった。

春雨 散った桜の向き 春雨の庭。

2022年4月14日(木曜日)

昨日は散ったソメイヨシノの向き(裏表)を書きました。
この先本格的な落花が始まるので見てみたい、としました。そして本日一斉に落花が始まり午後は雨でした。

肝心の落花ですが、散ったのはひとひらずつの花びらで、軸が付いた花そのものはほとんど見られませんでした。

 

駐車場の雨中の落花。

写真は夕刻の駐車場ですが、一枚ずつの花びらばかりです。これでは表も裏もなく、昨日記載の現象は花がそのまま落ちる限られた時期、条件で生じるのかもしれないと思いました。

そんな訳でソメイヨシノでの観察は来年の課題になりました。
しかし山桜はこれからです。この先ヤマザクラで同じことが観察できるか、目を凝らして庭を見たいと思いました。

今夕刻、閉館間際の庭を見て廻りました。午後からシトシト降った雨の中木々は新芽を展開し新たな花が開いていました。

ナツハゼ。

カシワバアジサイ。

今ごろの雨は木の芽にとって慈雨そのもので、木たちは雨に当たろうと喜んで枝を差し出しているようでした。

開花する丁字ザクラ。

咲きそろったクリスマスローズと真っ盛りのミツバツツジ。

庭の変化は見ている間には変わらず、目を離すと変わっているという時計の長針のようでもあります。

落花の姿勢、水面と地面の違い。

2022年4月13日(水曜日)

ソメイヨシノ、コブシ、モクレン、スミレ、ツツジ、チューリップ、ヒトリシズカ、椿、ヒヤシンス、クリスマスローズが満開を迎え、トサミズキ、キクザキイチゲは花を終えようとしています。白々していた芝生が緑色に着色し始め、先日まで殺風景だった庭とはイメージが繋がらず、魔法を見ているような感じです。

さて以下の写真をご覧下さい。
昨日4月12日、美術館裏のソメイヨシノが散らした花びらです。

裏手にある小さな流れの花びら。
殆どが上向き。

 

木の下の石に散った花びら。
下向きが多い。

如何でしょうか、水面のはみな上向きで、石の上はまず下向きでした。
水面の上向きは何となく想像できるのですが、石上の下向きはちょっとびっくりしました。

実は仕事場の駐車場に落ちた桜が殆どが下向きなのを見て驚いた次第です。それで美術館で確かめたところ、平らな石や小さな板の橋の上ではやはり下向きが多かったのです。

一体何で水面と平らな地面で違いが生じるのでしょうか。
先ず軸の重さにより一般に花びらは上向きで落ち、落ちた直後は基本上向き。平らな地面では、そこに風が吹くと軸と花びらの間に出来るすき間に風が入り容易に反転する。
下向きに反転した花びらは地面に密着し(あるいは数カ所の花びらを一定の水平面上の支点として)姿勢が安定、風にも動じず下向きを保つ、と考えてみましたが、如何でしょうか。
水面では重い軸を下にしたまま落ちた花びらはそのままの姿勢で浮き、水と密着した花びらは容易に風の影響を受けず、浮いていられるのではないでしょうか。

最後は芝の上です。

上向きで落ちたばかりの花が手前に見えます。
向こうは時間が経った花ですが、下向きも上向きもあるようです。

すき間の多い草上では姿勢が安定せず、風によって色々な向きになるのかも、と考えました。

大した話ではありませんが、果たしてどうなのか。これから一斉に始まる落花の様子を見たいと思いました。

樹下美術館のソメイヨシノ 戦争する人間の順位。

2022年4月11日(月曜日)

設立時の2007年に植えた桜が満開になった。

 

一本の枝でしかなかった桜・ソメイヨシノ。
満開の花はベンチを被わんばかりになりました。

 

角度が違いますが、
2010年、私も含めて見る人もいなかった桜(丸囲み)。

 好天の本日は秋の作品展に向けて4時間ほど絵を描いたり、美術館でアイスクリームを食べたりしました。

 

午前の仕事場の庭にメジロが来ていました。

すでにツバメはやって来ていて元気な飛翔を見せています。
「人間(国家)以外はみな順調」のように思われ、我々としては恥ずかしい。

まさか第三次世界大戦は無いと思いますが、ロシアは対欧州を戦争相手に想定しているという報道にはぞっとさせられます。そうなれば全ては米国と中国次第で、その先は想像が出来ません。こんな“まさか”があるとは。

大戦になるようであれば、人間は動物以下、草以下、カビ以下ということが確定し、今のところそうなりつつあるのかもしれません。
しかるに我々は動物や草、あるいはカビではイヤだと考える。では人間の方が良いと考える理由とはどういうものなのでしょう。
戦下の当事者は銃や爆弾で手足や首が飛び、命あっても難民となり、築いた社会と地域が瓦礫と化す。こんなでは死んだ方が良い、まだ草木でいる方が良いと考える人達がいてもおかしくありません。

それでも人間の方が良いとするならば、死と破壊の再生を子や孫に託す希望からでしょう。では未経験の残酷な道を突き進む戦地の結末は本当に再生可能なのでしょうか。

新堀川の花 夕暮れのジョウビタキ 雌もさえずる。

2022年4月9日(土曜日)

終日の晴天下、気温も上がり辺りの桜がきれいに咲いた。
美術館そば、犀潟駅近くの新堀川堤も一斉に花開いた。

毎年見事な花を咲かせる白木蓮も満開。

 

何故こんなにと思うほどビッシリ咲く木蓮。

夕暮れの芝生でゴルフボールを打っているとジョウビタキが来た。

ツイ、、、ツイと軽く澄んださえずりが静かな庭に響く。
色合いからメスでした。

夕暮れの梢に一羽のジョウビタキ 赤き尾羽の色ぞ悲しき

一日中鳴いてパートナーを探したのでしょう。夕暮も一羽で鳴き続ける様子に少々哀れみを覚えました。

鳥で囀るのは雄だけと言われてきましたが、現在では雌でもさえずる鳥は少なくないことが分かってきました。
それも女性の研究者がこの分野に増えるに従って事実が拡がってきたと言うことです。
今夕のジョウビタキは雌ですが、とても澄んだ声で囀りを繰り返していました。

野鳥が水浴びをするようになった 懐かしい「Moon River」

2022年4月8日(金曜日)

清々しい日射しが僅かな肌寒さを包んだ日。桜をはじめ花は開花を急がず春の最も丁度良いお天気だった。

気になっていた方が快方に向かわれたので4軒の往診、訪問の予定が3件に減った。かっては7,8件も苦ではなかったが今は4件が一つ減るだけで随分気が楽に感じる。

昼休みの美術館の庭で水浴びするシジュウカラとホオジロの姿があった。

 

しばしば庭のどこかで営巣するシジュウカラ。今年は何処になるのか。

 

 

梢の先端で鮮やかに鳴くホオジロが水浴びをしていた。

 

 

 ソメイヨシノの直前に満開になるホウキザクラ。
濃いめの色が冴える。

 


「Moon River」。上京したころの緊張感と希望を思い出す。

1961年公開の映画『ティファニーで朝食を』で、主演女優のオードリー・ヘプバーンが劇中で歌った曲。1961年のアカデミー歌曲賞を受賞、グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀編曲賞の3部門を受賞した。
特に波乱のストーリーも無く、ニューヨークのアパート生活のほかオードリーの生活感と魅力に満ちた作品という印象がある。

映画と音楽は浪人時代の発表で、そのころの正月、ホレス・シルバーとクリス・コナーの来日公演を大手町サンケイホールに聴きに行った。
正月の静かな大手町のビル街が映画の朝の通りによく似ていて、通りを「ムーン・リバー」を口ずさみながら東京駅まで歩いた。
小田和正が音楽の道に入るきっかけとなった曲と書かれている

戦争の残虐 ある人の言葉は永年の罪の意識からか 裏手に宵の桜。

2022年4月7日(木曜日)

戦争行為に公式非公式、あるいは表裏があるうえ、さらに個別に断罪されるべき「犯罪」行為まである。ウクライナ侵攻は国を挙げての暴力沙汰だが、次第にロシア軍による民間人への凄惨な拷問や虐殺およびレイプが報道されるようになった。

残虐行為は偶発でなく軍には強さのほか悪徳を知らしめ、相手の厭戦を促そうという意図があるのだ。
特にロシア軍の凶悪さを指摘する記事は見られるが、このたびは傭兵の関わりも大きいのではという気がする。
もともとロシアは残虐を想定して傭兵を投入しているのではないだろうか。これなら、「ロシア兵」はそんなことをしない、と言えば済んでしまう。都合が悪ければフェイクといい、狡猾さでも指導者は際立っている。

実直が価値だった世界を一夜にして残酷、凶暴の悪徳が席巻する。進んでいるとされている国でこれだけの反道徳が行われるとは、21世紀はまだまだ未開発な時代だと言わざるを得ない。
個人が日夜洗練と生活努力に勤しんでいる時に、国家が如何に遅れているかをイヤと言うほど知らされる。どこかでしっかりリセットしないと、そう遠くないうちに世界は滅茶苦茶になってしまいそうだ。

残酷と言えば話変わって、
古い事になるが、当地で仕事を始めて間もなく、特に昭和50年代は色々な人が来た。
ざっと計算すると当時60才前後、太平洋戦争で軍人だったという一人の男性が脳裡に浮かぶ。褐色の人は小柄ながら鋭い眼光の持ち主だった。

初診でその人は
「私は満州で何人も支那人を斬った」と言った。民間人が相手らしかった。
何が言いたいのか分からなかったが、私は憤りを覚え、
「いくら戦争と言っても自分は何人殺したかを、自慢げにしゃべるなど最低だ。そんな事を言う人はうちに用は無いから帰ってください。」
と怒鳴った。
「そんなに怒らなくてもいいじゃないの」と彼は眉をひそめた。
「一回だけ薬を出しますが、次はほかへ行って下さい」
と言って終わった。

ひと月後その人はまた来て、この間は申し分け無かった、と謝った。以後奥さんも一緒に来院されるようになり、20数年通われた後お二人を看取った。
初診であんな事を口にされたのは、必要以上に私との上下関係を意識されたのか。もしかしたら殺めた中国人に対する永年の罪悪感からだったのかもしれない、と後に考えた。

 今夕5時半ころ、美術館裏手のソメイヨシノ。

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