週末土曜の午後の種々 新しい物と年寄りの愚痴。

2022年10月30日(日曜日)

寒くも温かくもない週末29日、午後美術館に寄りあるお茶人とお話した。
その際ちょっとした頼まれごとをお受けした。それが上手く出来たらブログに載せてみたいと思うが不安と楽しみが入り交じる内容だった。

例に漏れず、茶会はコロナによって開催はじめ、しつらえ、手順、作法の細部まで影響を受けた。
いまどきコロナが話題になればワクチン、症状、見通しなど話は尽きない。それでも健康で長生きするなら、いつかコロナも懐かしい昔話になるのかと話が進んだ。

たまたまカフェのお客様にお茶人のお弟子さんご家族が見え、帰りが重なり、いっとき玄関が賑やかだった。

仲良し二人組のお客様から頂いたハロウィンのお菓子。

また昔ばなしになるが、20数年前、ある会合があり二次会(死語?)のあと夜遅くホテルに向かうため六本木の通りを歩いた。その時奇妙な帽子をかぶり裾の長い風変わりな服を着た5,6人の集団とすれ違った。不思議な人達だったが、何年も経ってハロウィンだったらしいと思った。

美術館と仕事と年令のせいで、いつしか周辺のもろもろから遠ざかるようになった。それでもお客様を通して、今は何々ということが伝わり、なるほど、とおすそ分けさせてもらい、気持が旬になることがある。

話変わって本日美術館の後、電気量販店に行きプリンタを買った。今様の不思議として、何か買い物をすると、○○の特典がついたカードにしませんか、と誘われる。
この日、調べていた機種の在庫があり助かったものの、支払い後に新しいカードを中ば自動的に、古いのは使えなくなると半ば強制的?に作らされた。

自分では分単位に動いたり休んだりしているつもりの生活の中で、(店の都合で?)新たなカードのために20分も費やすのはしんどかった。また、買ったビジネスタイプというプリンタは重く、店員さんに車まで運んでもらった。

家に帰ってセットにとりかかる。
ややこしそうなので自信は無いが「取説」を見ながら進めた。インクはカセットでなく4色のボトル。ほか色々カチッと音がするまで押したり、テープを引っ張ったり剥がしたり、なんとかセット。
次ぎにパソコンと繋ぎCD-ROMを入れてセットアップした。
今や取説もCD-ROも古かろう。新旧の機種交替に関わるインストールは良いとして,途中○○の登録を、○○の会員に、と余計な案内が誘ってきて、惑わされては時間を取られた。

あれこれジグザクやって何とかセットアップを完了、試し刷りまでたどり着き、用事の写真を数枚プリントした時はふーっとため息が出た。

ところで今日、時代の動向にちゃんと付いて行く柔軟な世代の人が羨ましい。
30年前にありもしなかった方法論が等しく生活基盤として取って代わる昨今、少なくとも私はさまざまな場面でもどかしさや不快を拷問を受けるように実感する。

老人と言われてももそこそこ社会の一員として労働し買い物をし、わずかながら社会貢献をしているつもり。しかし新たな仕組みが辛いと言うと時代遅れ、年のせい、不勉強などと言われて気が萎える。

心臓カテーテル手術は確かな進化だが、社会システムとしてITは全て本当に進化なのだろうか、人の精神はみな異常なく機能しているのだろうか。実は多くは誰かの金儲けの都合ではないのか?などと考えてはモヤモヤしてしまう。

少なくとも高齢者には未だかって無いストレスフルな時代になっていると考えるが、皆さんはどう思われるでしょうか。

年寄りの愚痴と言われれば、その通りと言うほかないのですが。

11月上旬、二つの催し。

2022年10月27日(木曜日)

秋は一通りのお天気をずらりと並べたあと間もなく晩秋へと移ります。
11月上旬、当館に関係ある方達の二つのイベントが予定されています。本日はそのお知らせです。

●一つめ、上越市吉川区出身のチェコ在住、市村幸恵さんピアノ
&チェコが誇る「シュターミッツ弦楽四重奏団」の演奏会です。
・開場:髙田城址公園オーレンプラザホール
・期日:11月4 日(金):17時45分開場、18時15分プレトーク、18時30分開演
・プログラム:ドヴォジャーク「弦楽四重奏曲第12番アメリカ」および「弦楽五重奏曲第2番」
シューベルト弦楽四重奏曲 遺作 ハ短調 第12番
・入場券:一般前売り3000円、当日3500円(樹下美術館でも購入できます)
※市村さんはチェコ留学に際し、小生の義兄で医師の、チェコ文化研究家・関根日出男氏と親交され出発されました。

 重厚な歴史の上に奏でられる平和への願い。

●二つ目大橋設計工房、大橋秀三氏の「住まい展」は無印良品 直江津店で。
・時期11月5日、6日 13;00から16:00
・ひょんなことから実現した催し。家具売り場でお話と展示です。

大橋氏のセンス「樹木の風と手作りの家。清潔な木綿の風合い」。
これらは建築にどう生かされるのでしょう。
16年前、氏が設計された樹下美術館は今でも新鮮です。
大橋氏と私は1998年、市村さんの渡欧壮行の演奏会で出会いました。

二つの特別展が終わった 晩秋の庭へ。

2022年10月26日(水曜日)

昨日で樹下美術館15周年の記念特別企画「齋藤三郎ゆかりの人々」展および「ゆかり上越 主体美協会のひとびと」展が無事終わった。
リピートされるなど好評の感触を得て、前者は4ヶ月、後者は2ヶ月半の会期延長をさせて頂いた。大規模館に比べるべくもないが、期間中の有料入館者数は849名、カフェを入れた入館者2489名となり前年同期より大幅な伸びだった。

当館初めての記念事業の成果は十分ではなかったかと振り返りご来館者様に心より感謝申し上げます。

閉会に当たり「齋藤三郎ゆかりの人々」で貴重な収蔵品の出品にご協力いただいた二代陶齋・齋藤尚明様はじめご好意の皆様、および「ふるさと上越主体美術協会のひとびと」で傑作を出品くださった作家さんと関係各位に深く御礼申し上げます。
最後に両展について何かとご指導頂いた小林古径記念美術館の宮崎俊英館長に厚く御礼申し上げます。

休館日の本日、展示を片付けももとの展示に戻した。
倉石隆「新旧コレクション展」、齋藤三郎「湯呑と盃」です。

作業をされたスタッフの皆さま、期間中および本日の一日、本当にお疲れ様でした。明日からまた頑張りましょう。

以下は今日の庭です。

一時心配したホトトギスが咲き秋の庭らしくなり、気が早いマユミが紅葉し始めました。

検査当日と翌日の退院。

2022年10月24日(月曜日)

検査日の10月20日、15時半近く看護師が迎えに来て検査着に着替えた。スリッパを履き、今や分身となった点滴スタンドを押して看護師とともに検査室まで向かう。

検査着に着替えて記念撮影。
病後一年数ヶ月、意識して7キロは痩せた。
それが心腎の保全にも良かったと思っている。

昨年の救急では真っ暗に感じていた深夜の検査室がとても明るく思われた。施術する主治医医師と担当スタッフに挨拶して十字架に似た細いベッドに両腕を拡げて寝た。前回行った剃毛や導尿カテーテルの挿入はなかった。
検査のためのカテーテルとやワイヤを通す右手親指下の動脈周囲に局麻が打たれる。痛みはこの時だけで検査終了まで何処にも痛みはない。

検査が始まって静かな室内に心電図モニタの心音がピッ、ピッ、ピッと規則的に響く。前回のピピピッ、ピピなどの不整脈とは大きな違いだ。
最後に、検査目的の一つである、ステント設置せず経過を観た狭窄血管について、病変前後の内圧比を調べる検査(FFR)が行われた。医師達がやり取りする数字から機能の回復が想像できた。検査は40分ほどで終了。動脈射入部を止血固定し室内にほっとした空気が流れた。

すぐにモニタ室に呼ばれ検査動画を観ながら待っていた妻とともに主治医の説明を受けた。結果は去る21日のブログの通りだった。

翌日の退院が9時と決まり、妻と別れ再び病棟看護師と一緒に点滴スタンドを押して部屋に戻った。夕刻に少し本を読みぐっすり眠った。

21日退院の朝は晴れ、朝食を摂って部屋を片付けた。9時頃看護師が点滴を抜きに来た。
問題の腎臓を造影剤の悪影響から守る点滴処方をした主治医先生に感謝し、忠実に実施した看護師さんたちにも同じ気持ちだった。繋がれっぱなしの点滴はもう一人の恩人に思われた。

 

退院日、朝の窓外。
配膳に付く食事票に描いた。

 

迎えに来た妻と10時過ぎ病院を後にした。

お世話になった主治医F先生とスタッフの皆さま、そして妻にあらためて深く感謝します。

入院の種々 輝くスタッフ愚かな自分。

2022年10月23日(日曜日)

【点滴したままの着替え】
さて入院一日目、用意された病衣に着替えると直ちに点滴が始まった。二泊三日の入院期間中、点滴に繋がれたままの生活を送ることになる。
スタンドを引っ張って衣類などを片付け、本を読みトイレ、自販機に行った。

しばらくすると看護師が状態のチェックにやってきて、服が少し大きいようだからと小さめのを届けてくれた。だが私は高い点滴スタンドのバッグまで長いライン(チューブ)で繋がっている。着替えるにはどうすればいいのか。左袖からこの一式を抜かないと服を脱ぐことが出来ず、新しい服はその逆をしなければならない。一人で出来るだろうか。

着替えは難問だった。
まず自由な右袖を脱いでみた。左袖を通して服全体が点滴チューブにぶら下がるような形になる。次ぎは点滴を止め、ラインをバッグから外して袖から抜くのか。だがこれは露わになっている先端の針が服に接触するなど不潔を免れない。
では点滴チューブを抜かずにバッグごと袖を通せるか。見ると袖幅に余裕がありそうだった。バッグを台から外しチューブを伝って服の袖を移動、最後に袖からバッグを抜いて服を外した。

新たな服はこの逆を行った。だが一連のことは手品か曲芸のようで、万事神聖で合理的な病院に相応しい行為に似つかわしいとは言えなかった。看護師を呼ぶべきだったか。

実は翌日、点滴をしたまま検査着に着替える場面があった。この時は看護師がいて、まずコネクターの上部チューブと射入部それぞれの流下を止めてコネクターの連結を外し、露出した接合部をアルコール綿で消毒後、袖を通して脱いだ。その後新たな服に袖を通し、再び消毒しラインを繋ぎ着替えを終えた。

点滴をしながらの着替えはこれが正式であろう。遠い昔の勤務時代にはやっていたような気がした。眼前でよどみ無く行った一年目という看護師を敬意をもって見た。やはり誰かに来てもらうべきだった。

【あんかと電気毛布】
本ばかり読んで過ごしていた初日、夕方テレビを点けるとニュースは翌朝までの強い冷えを伝えた。大事な検査を控え、寒がりの自分には掛け物一枚では眠れない。

流しから熱い湯が出る。起きて傍らのペットボトルを空にして湯を満たしタオルにくるんだ。足元に置くとぽかぽかと気持良い。
これで眠れると目をつむった。
だが頭が冴えるので本を読む。
時は過ぎ看護師が預かった私の常備薬である睡眠導入剤を持って消灯を告げに来た。
ペットボトルの湯のことを話すと、湯たんぽがありますよ、入れましょうと仕度に帰った。すると今度は別の看護師が点滴チェックに現れ、あんかのことを話した。
彼は今夜の寒さは特別らしい、電気毛布があるからと、持って来てくれた。あんかの看護師には毛布の話をしました、という。
電気の掛け毛布は初めて。今度は眠れる、、、。

【不眠の原因】
しかしやはり寝付けなかった。緊張していたわけではなかったが、何故だろう。前年の入院では不眠など全くなかったのに。4時を回っても眠れず、室内が明るみを帯びたころ僅かの睡眠と短い夢を見ただけだった。
おかしい。
初めての電気毛布でもなかろう。あるいは前日午前中、腎臓の負担緩和を思って飲んだペットボトルの「生茶」のカフェインが影響したのか。

検査日の朝を迎えた。朝食を終え配られた薬を飲み、傍らのテーブルを見ると、なんと前夜もらった睡眠導入剤がそのまま置かれていた。
飲み忘れ、全く馬鹿げた原因だった。
夜間のペットボトルとあんかに続く電気毛布の一件に紛れてすっかり忘れていた。

何かの支障の原因が分かったとき、それを正せば問題は片付く。しかし不眠の原因が翌朝かわっても、薬を飲み直すわけには行かない。普段それほど効いていると感じない導入剤だが、こんな形で薬効を知るとは。

検査日朝7時ころの窓外。
駐車場はガランとしている。

9時にはスタッフ(手前)や患者さん(向こう)の車で埋まってくる。

病院スタッフ、なかんずく看護師さんたちは大変マメだ.。交替勤務で入れ替わり立ち替わり現れる。ドクターのオーダーを共有しチェックし検査に向けて齟齬なく対応する。
一方私はひとり怪しげな着替えをし、薬を飲み忘れ、寒がり、不眠に到る。輝かしい皆さんに比べ何と愚かしかいことか。

入院中の主な出来事は以上です、この先検査当日をもう少し書かせてください。

長野から再びお客様 入院の種々(くさぐさ)。

2022年10月22日(土曜日)

【長野県からのお客様】
去る18日、長野市から団体で来館された男性が、今度は奥様連れで本日再び来られたと聞いた。樹下美術館が気に入ったからということ、何と有り難いことかと喜びました。

本日お客様の話で、先日の皆さまの熱心な鑑賞態度はどこへ行っても同じと、伺った妻の言葉。さすが勉強熱心な長野県人だと感心しました。どうか季節が変わりましたなら又お寄りください、お待ちしています。

【二泊三日入院のわけ】
さて前年発症した心筋梗塞による入院は夜間の救急搬送だった。当直医の応急処置と診断後、冠動脈拡張術のため循環器内科医師とスタッフが招集され、深夜に掛けておよそ3時間カテーテルによる造影検査と処置が行われた。
慌ただしく動く皆さんに囲まれながら、当の私は不整と微弱で必死の心臓をよそに終始ぼんやりしたまま身を投げだしていた。

そして今回1年2ヶ月通院の後、10月19日午前、予約通り受付と循環器内科外来で手続きし、9時半に病室に入った。付き添った妻が帰ると直ぐに病衣に着替え点滴が始まった。

この度は検査前後の一日半、生理的食塩水(生食)を主とした持続点滴を受ける。私のように元来腎臓に一定の問題がある人間が負担が大きい造影検査をするには、臓器への負担が無い生食を投与し続けて造影剤による負荷を薄め軽減を図らなければならない。
外来で、あるいはせいぜい一泊入院で済む検査を二泊三日かけて行うのは、腎保護を考えてのことだった。

 

とても若い看護師が射した点滴部位。
これだけで前後6本の持続点滴が受けられた。

 

三本目から連結になった点滴。

【岡倉天心の本】

持参した「茶の本」(The Book of Tea)。
岡倉天心著 立木智子訳 平成6年淡交社発行。
明治39年英文による著作は欧米で販売され反響を呼び、
以来多くの訳本も出版されている。

原著を読んだことも見たことも無いが、この本から明治時代にあって、岡倉天心の英語力と深く膨大な教養に驚かされる。アメリカ留学歴がある天心の欧米人への訴え方は洗練されていて、いま我が国で日本文化と固有の美をこれほど上手く伝えられる人がいるだろうか、と考えさせられた。

訳者の言及にあったが、明治の文化人たちの教養は凄まじいものがある。このことは時々お会いする二代陶齋・齋藤尚明氏もよく指摘される。

このたび、これまで途中で投げ出していた本を点滴しながら二回読むことができた。
昭和62年から下手の横好きのまま続く私の茶。何らかの形でずっと続けていたいと痛切に思い、そのためにも我が心臓と腎臓にはもう少しのあいだ頑張ってもらいたいと心の底から願った。さらに天心の晩年の山荘であり終焉の地でもある妙高市赤倉に建立されている岡倉天心六角堂へ、是非とも行かなければならないとも。

本日は時間がきましたのでここで終了させてください。
後日この続き【働く病院スタッフ】【点滴をしたまま衣服を着替える】、【寝不足の原因】、【検査と結果】などを書いてみるつもりです。

無事終わった冠動脈造影検査。

2022年10月21日(金曜日)

一昨日19日午前中に上越総合病院に入院、翌20日に冠動脈脈造影検査を行い一泊して本日午前に無事退院した。
昨年7月夜心筋梗塞を発症して救急搬送され13日間入院治療を行い、その後定期的に通院。この度の入院は治療成績を評価し今後の方針を決めるのが目的だった。

結果、設置された2本のステントは望ましい形で働き、これまで経過観察した狭窄部は十分な数値まで機能回復していた。
腎機能に問題があるため最も危惧された造影剤による腎への影響は、検査後最小限度に留まり、今後通院の必要はないでしょう、と主治医から伝えられた。

短い入院でしたが主治医先生はじめ担当看護師およびスタッフの皆さまには大変お世話になり感謝に堪えません。

本日は結果の報告をさせて頂き、当院の患者さんや施設関係の方々、周囲の皆さまにお掛けしたご心配やご迷惑をお詫びし、明日からまた元気に生活と仕事に向かえることをお伝えさせて頂きました。

この先、入院中のことなどを少し記載してみるつもりです。

長野県からバスが来た。

2022年10月18日(火曜日)

本日午後、長野市芹田公民館の絵画サークル15名様がバスで来館された。

コロナ以来久し振り(何年振り)のバス。

小林古径記念美術館の後当館を訪問された。

展示室の皆さま。
とても熱心に観て頂き感謝しています。

 カフェで一息。

カフェでは蓄音機を聴きたいと仰り、小畑実唄「高原の駅よさようなら」と雪村いづみ唄「ブルー・カナリー」をお掛けした。とても珍しがられ、喜んでいただいた。

私のあこがれ長野県からのご来館。皆さま本当に有り難うございました。
別所温泉に行ってみたいと思っています。

年とともにまとまってくる。

2022年10月17日(月曜日)

年取って老けてる若く見えるは、ひごろよく話題になる。
体のことでは姿勢やシワそして表情などが相当し、身なりや趣味、活動が印象を左右するのかもしれない。

過日ある女性の生年月日を見ると昭和11年生まれとあった。
普段あまり話をしない静かなその人を、私より二つ三つ上かなと思っていたので八つと分かり、お若く見えますね、と言った。
すると、「そうですか、私みったくなしだけど、丈夫で入院したこともないんです。わーっ本当ですか、みったくなしは本当だから仕方ないけど、親に感謝しています」とたて続けに仰った。

みったくなしは、当地の方言で美しくない、醜い、という意味。普段寡黙な人が自分の容貌、健康、親への感謝を一気に話をされたので少々驚き、嬉しくもあった。

私自身もそうだが、年を取るに従い、あれこれ考えていた自他のことに段々とこだわりが無くなり、何となくそれらが単純化されてくるのを感じていた。

この方も悲喜色々あったかもしれないが 先のように少なくとも自分について、見方がまとまってきたのかなと、ふと思った。
まとまりは割り切りといった意味でもありましょう。

 

近隣の柿の木。今年はどこの柿も当たり年。
実りすぎて枝が折れたと言う人もいる。

健診のこどもたちと受け持ち。

2022年10月14日(金曜日)

過日のこと近隣の保育園で秋の健康診断があった。45年以上携わっているが園児達は昔も今も変わらずにあどけなく可愛い。
昔は鼻たれさんやひどいアトピーのお子さん、胸部に喘息音が聴こえる園児がいたのに、昨今まずそのような児を診ることはなくなった。

過日の健診で正常な呼吸音と異なるかすかな副雑音のお子さんが一人いた。傍らの園長に告げると、RSウイルスが治癒し登園してきたお子さんだという。
登園は掛かりつけ専門医の判断だと思われるが、冬に向かって増える低年齢ターゲットの本感染症は今後いっそう油断できない。

昨日16時半すぎの空。

集団で行う健診における保母さんのこどもたちに対する態度で気になることがたまにある。
当然のことながらこどもたちは程度の差はあれ、健診中におしゃべりやいたずらをし、時には走り回る。そして状況はクラスや年令により異なる。

現場では園長がそばに付いて記録し、担任の保母さんが子の名を告げながら衣服を持ち上げ、聴診などを行う。
かってあるとき、こどもたちの列がまとまらず走り回る子が沢山いて、保母さんは次の番の子を追いかけるのに忙しく、なかなか介添えが出来なかった。

一方その日あるクラスの保母さんは、左手で先頭の児のシャツを持ち上げ、間に一人を挟み、右手を伸ばし三人目の子の肩を抱え、これを繰り返し全体を円滑に進めた。同じ日のこの差は何だったのだろう。

園長さんに訊くと、経験ですねと言った。前者の保母さんは新人で、後者は若く見えるが20年の人と聞いた。
なるほど。
それにしても20年の保母さんの手際が鮮やか過ぎて、誰にでも出来るものなのか。普段の意識や情熱もあるのでは、と思った。

以前小学校健診で、騒がしいクラスの担任は始終「黙って!」「静かに!」を連発した。一見熱心そうに見えたが、そもそも良い先生のクラスがこんなに騒がしいものだろうか.。先生の声の方がよほどうるさかった。

ある時の担任が「お医者さんの聴診器の音が良く聴こえるように、みんなで静かにしましょう」と予め言い、全体が穏やかだったことが思い出される。

その昔、わずか数人の子どもがクラス全体をひどく荒らし、それが学校全体に影響する時代があった。その頃の担任は大変だった。

 

同じ日17時閉館間際の別の方角。

秋空のフェリーチェ。

2022年10月11日(火曜日)

風はあったが空青く晴れた午後、美術館にお洒落な自転車が二台あった。
裏のベンチで自転車のお客様が休まれています、とスタッフの言葉。どんな方だろうと、お会いしに行ってみた。

 

 

鉄テーブルでお茶をされていたのはトラットリア ラ・ペントラッチャ上越ほか新潟市、東京都、川崎市でクオルス・トラットリアとしてイタリアンを展開されている高波氏とお友達の設計家。

ヨーロッパの庭みたいですと仰るお二人。
普段とがらり変わってサイクルジャージ。
お忙しい方がこうして寄って下さるのは嬉しい。

傍らのトクサに赤トンボが羽根を休めている。
スタッフと妻は来年に向けハーブやレモンの木を植えていた。

近隣の青空と雲。

 


ドメニコ・モドゥーニョ「ボラ―レ」。
真っ青な空を飛ぶ思いを歌っている。

学生時代のラジオからいつも流れていた「ボラ―レ(ヴォラーレ)」。秋空の下自転車で来館されたお二人の様子はイタリア語でフェリーチェ(幸福)というのですね。

ほぼ何も出来ずストレスの日曜日。

2022年10月9日(日曜日)

曇り空が夕方にシトシトと雨になった日曜日。
せっかくちゃんと起きたので午前から初めた懸案の名刺作りに取りかかった。妻の分は順調にいったが、私の分はミスとパソコンの不具合で中々上手く行かず、時間を浪費するだけの日になった。
名刺のあたま書き「樹下美術館」を緑色で半円に湾曲するレイアウトにし、なんとか上品に出来たものを、プリントの段階でミスした。
A4サイズの専用紙に10枚の名刺が一度に刷れる行程で、表8枚(80枚)を刷った後、裏面を刷る前に何を思ったか1列ずつ(5枚ずつ)にバラしてしまった。

用いているソフトは4枚5列も一枚ずつのバラ印刷にも対応しない。仕方がないのでワードで作ってみたが肝心の見出しの文字列の湾曲の並びが上手く出来ない。

仕方がないので10枚シートの一枚を刷れるようにして、バラした用紙をセットし裏面の印刷を試みると「用紙が詰まっています」の表示が出てすぐに止まる。名刺サイズOKなはずなのに、、、。
つかえた用紙を取り除こうとカバーをあけるが何も見えず、「カバーが開いています」の表示に変わる。裏側のカバーもはずしてみたり、細いとげ抜きで用紙らしいもの(用紙ではなかったのだが)を「取ろう」としたが全て「徒労」だった。

妻の分70枚はちゃんと刷れたが、私のにあれこれに貴重な時間を費やしてしまった。今後のことも考え「ビジネスプリンターに買い換えよう」と決めて終わりにした。

以下今夕の椿「西王母」

雪囲いで覆ってしまう前の今が見時。

玄関左のベンチ脇に沢山蕾をつけて咲いている。
この花を油彩で描いているので困った時は観に来よう。

北の庭ブットレアのそばで咲いている紅白のフジバカマ。
見えていませんが、秋の蝶を呼ぶつもりもあります。
植えて3年目、随分増えてくれました。

 本日「えちご・くびき野100キロマラソン」があった。

17時少々。潟町の仕事場付近のランナー。
残り約5キロ,。よくもまあ95キロも走ってきたもんだ。
このあたりはどんな人にも感動する

夕食のうなぎの卵とじはゴボウが入っている。
美味しそうだったが名刺のストレスが胃に残り、
結局手を付けられず妻には悪いことをした。

年取って何かあればほぼ全て「生まれつきか、年のせい」。自分のことがもたつくようになり、他の人とのことが以前のようにすんなり行きにくくなってきた。多方面に失礼を生じており、誠に申し分けなく思っています。

慌てて冬支度をした日。

2022年10月6日(木曜日)

昨夜半からの寒さは異常だった。

午後の外出時にはセーターを出しマフラーまで用意した。

しかるに外へ出るとさほどでもなく、セーターを後悔した。外の気温がかなり上がっていた一方室内は冷えたままだったらしい。

午後1時半に美術館で柿をもいだ。
獲るのが3回目となりさらに甘くなっている。
8名のお客様に美味しいと言って頂いた。

穏やかに暮れた妙高連山。

あと10日もすれば連山は初冠雪の時期になる。例年どんな冬になるのか想像出来ない。渡り鳥の写真が撮れるなど冬らしい良い事があるのを心から期待している。

週末の種々(くさぐさ)。

2022年10月3日(月曜日)

用事を含めほぼ家で過ごした週末。ブログを書く時間が無くなり本日になりましたので以下お願い致します。

一昨日土曜日のブラタモリは下北半島だった。

下北のエンディング場面のタモリと野口さん(NHKの放送画面から)。

驚いたのはアシスタントの野口葵衣アナウンサー。
浜辺の海藻の名と、ある神社の社殿の材木の名について、なんでも知っているタモリが答に窮する場面があった。すると海藻では「布海苔(ふのり)」、木材は「ヒバ」と何気ない風に野口さんが正解したのだ。
布海苔について、私新潟出身ですから、へぎそばの繋ぎで知っていました、という。1本取られるだけでも珍しいタモリが2本とは、一瞬時間が止まったような場面だった。それにしても何故ヒバが出たのか、野口さんの天然?ぶりは今後も注目ではないだろうか。

日曜日は午前午後の4時間ほど椿の絵を描いた。
油絵に慣れていないので当初教則本やYouTubeの油絵を見て薄描きの後、これまで苦労しながら厚塗りを試みていた。不慣れな作業のため難しい葉の部分の収拾が付かない。そこで本日、水彩に準じてハイライト部分(光が当たる白っぽい部分)を残しながら彩色をかさねるべく、白を多く混ぜて葉全体を薄く均一に塗りつぶした。

まだブルーが足りないが出来れば葉はこのようにしたい。
面倒な葉が終われば花を描き込む予定。
(植物画で最も苦労するのは葉です)

そこで

例えばこの一枚。
このまま進めると、葉の荒い濃淡が最後まで影響し制御できなくなる予感。

このくらいはなんとかなると思ったが、
ほぼ全て塗りつぶすことに。

想定したハイライト色に葉を塗りつぶした11枚。
この段階から薄塗りを重ねるべく全てやり直す。

今のままでなんとかなりそうな5枚。
学習しながら沢山描き、れぞれの出来が均一になるよう心がけたい。

どの花(植物)もそれぞれの見所を備えている。何とかそれを表現したいのと、出来れば美術館支援のため売ってみたいと思っているので、精魂こめなければならない。せっかくの油彩ですからバックをどのようにするかは今後の楽しみ。

次にNHKが実況してくれた女子ゴルフ、日本オープン選手権。1年でもっとも重要なメジャータイトルの競技で野田市は紫カントリークラブ「すみれ」コースからだった。
フラットだが松林でしっかりセパレートされた美しいコースは距離が長く多数の大きなバンカーがあり、タフな名門の一つ。

ティーショットを構える優勝者の勝みなみ選手(NHKの放送画面から)。
4日間通算3アンダーというロースコアからしてコースのタフさが分かる。
勝選手は今どき珍しく特定のコーチを持たないという。

紫カントリーにはもう一つ「あやめ」コースがある。友人Sは地元で会員。学生時代の昭和40年前後、家に泊めてもらい、どちらかのコースを級友4人で回った。当然私はヘタで、スコアを数えることに忙しく、これが名門なんだ、と思い知らされた。

当日、私達の後ろを歌手の藤山一郎さんがプロと一緒に回っていた。途中のホールで「すみませーん、お願いしまーす」と大声で告げられ、私達はコースを譲ると足早に追い抜いて行った。
藤山さんは小柄な人だったが目が覚めるようなショットを打ち、とても驚いた。ちなみにスポーツ万能だった当時のSのハンディは3前後。そのSが一昨年亡くなり大きなショックを受けた。
放送で、コロナ以後ゴルフ人口が60~70万人も増えたと解説者が言った。練習場やコース、そしてショップへ行くと実感がある。

この日絵を描きながらNHKの合唱コンクールも観た。中高生のコンクールは喉を無理するので問題があるとする声楽家の言葉があったので興味深く観た。

マスク着用で歌うコンクール。
精一杯声を出し、手などを動かし表情を付ける人もいた。

くだんの声楽家は無理して均一な音質を意図するあまり、必要な情感は声で無く顔の表情に頼りがち、と危惧していた。だがマスクで肝心な表情は全く分からない。全体が不自然で何かとても可哀想な印象を受けた。

さて最近食事がブログに出ないと言う意見があり、以下お応えしてみました。

芝生を手伝ってくださる方が釣ったキスとカマス。
春、この方の山菜は上等で、そばやラーメンを打つなど多彩な人。

 これはお客さんから頂いた安塚の道の駅の卵。
出所からして美味しそうな目玉焼きは濃厚な味だった。

以上色々と長くなりました。

日鉄工材の皆さまの訪問 植えて4年、初めて実った柿を食べた。

2022年10月1日(土曜日)

よく晴れて過ごしやすかった土曜日。午前の外来中に4日間高熱が続く方、徐脈と前身浮腫の方の往診があり緊張を禁じ得なかった。お一人は緊急入院となり一応安堵した。

本日午後上越市の日鉄工材の方達5人が美術館を訪問して下さった。地域のさまざまな施設を定期的に訪問、学習されているということ。文化団体やサークルの訪問は時々あるが、先端の工業生産会社の方達が訪ねてこられるのは珍しく、同社の文化面に対する取り組みにとても感心した。皆さま本当に有り難うございました。

夕刻庭の柿の木を見ると実が一段と黄色味を増している。ものは試し、一個もいで剥いてたもらったところ甘い!
これなら大丈夫、もう一つもぎ、居あわせたお客さんやスタッフとサクサクポリポリ、美味しく頂いた。驚いたことにスタッフの一人は甘柿を初めて食べたと言い、とても美味しいと言った。

玄関脇のベンチで秋風に吹かれながら食べた。

後口まで甘さが残って美味しく、皆さんの顔に幸せが浮かんだ。
まだ13個ある。これからゴマがいっそう黒くなり甘みも増すことだろう。4才くらいの苗木を植えて4年、初めて実った。美術館で秋の味覚を獲り、味わうとはなんと幸せなことだろう。

来週木曜日午後一時半ころにまた獲る予定ですので、居あわせた皆さまと一緒に食べてみたいと思っています。

2024年11月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

▲ このページのTOPへ