樹下美術館のヤマザクラ 懐かしい「セレソローサ」。

2023年4月12日(水曜日)

ソメイヨシノが終わると間もなく辺りでヤマザクラが満開になる。昔から大潟ー柿崎間の松林と雑木林に点々とヤマザクラが咲く。

樹下美術館はその西外れに当たり建設同時から6,7本のヤマザクラがあり満開を迎えている。かって潟町の自宅にも幼少から薄緑色や桃色のヤマザクラが咲き、ソメイヨシノよりもずっと親しんだ。

以下本日夕刻雨が上がった美術館の花です。あちこちに濃いの薄いのと咲いています。

 

 

その昔、近所には三つ年上の生徒さんが何人もいて、中学校に入ると多くが吹奏学部に入った。以前は今よりも学年を越える交流があったため、トランペット、ピッコロ、チューバ、ピアノなどが身近な話題としてあり、私の家でトルコ行進曲を弾く人もいた。

春休みになり、温かい日はよく松林か海へ行った。何が目的というわけではないが兎に角心弾ませて行くのである。
ある春、三学年上のMさんが卒業し就職のため上京することになった。みんなで松林へ行くと、Mさんはトランペットを取りだし高らかに「セレソローサ」を吹いた。
それぞれ進学や就職そして進級を控え、私は高一になる春休みだった。希望と惜別の「セレソローサ」は春の松林いっぱいに響いた。

セレソローサは少し前にシャンソンとして登場、1953年にペレスプラード楽団が「セレソローサ」として発表。長期に亘ってアメリカのヒットチャートの一位を維持し日本でも大流行した。原題は「Cherry Pink and Apple Blossom White(ピンクの桜と白いリンゴの花)」。

腰をくねらせながら一歩出ては一歩下がり、時に回る。簡単なマンボステップは長く全国を席巻し、1962年大学に進学した私は皆と一緒に自由が丘のダンス教室へ通いルンバ、ワルツ、フォックストロットなどを習った。

週末の種々(くさぐさ)。

2023年4月9日(日曜日)

4月二回目の週末は雨降りから晴れへと変わった。雨はしっかり降ったため乾いていた庭には恵みだった。時折強い風が吹いたので周辺で頑張っていた桜はみな散り、残った蘂(しべ)で木々は赤飯のような色になっている。

蘂一色の新堀川の桜。

樹下美術館のソメイヨシノも落花、一昨日などあたり一面の花びらだった。それが昨日からの風に吹かれ大方どこかへ飛んで行ってしまった。

課題に浮上したソメイヨシノの根上がり。

 

南は積み石、北は美術館のコンクリート基礎に挟まれ、行き場に詰まって肥大する根。キーホルダーを置いてみたが、17年目で小苗がこんなになるとは思ってもみなかった。
このままでは遠からず石垣を壊すであろう。対策を調べてみると石垣を遠くに逃がし、盛り土したうえ表土を固めるか、最悪伐採も考えなければならないようだ。いずれにしても庭師さんに来て見てもらうことになった。

お客さんに頂いた「Number」最新号。大谷選手が良く撮れているWBC永久保存版。カフェのラックに置きます。

以下は週末の食卓です。

イワシのつみれと揚げ物野菜。

TVのレシピによる春キャベツのコールスロー。ゴマが良い味を出していた。

今夕美術館を閉めてから二時間ばかり庭仕事をした。たまたま良い場所が空いていたので掘り返し、作った用土を入れ、ネットで取り寄せたタカサゴユリ8芽、ヒメサユリを3芽植えた。
終わって撒水すると辺りは真っ暗。傷んだ所を手入れしている芝生とともに先が楽しみ。膝や腰が痛むが庭をいじるのは本当に良い時間だ。

父のバイオリンケースと1枚の譜面 「あさね」の歌。

2023年4月5日(水曜日)

3月に続き今月も良い天気に恵まれている。雨が少ないので芝生や湿り気を欲しがるクリスマスローズに水やりが欠かせない。
陽気で言えば春眠暁を覚えずの候となり、特に休日は目覚ましのメロディー「母が教え給ひし歌」が良く、しばしば寝過ごす。

かって中高時代、押し入れに古びたバイオリンケースがあり、おんぼろな弓と弦が足りない楽器が入っていた。父の学生時代のものと聞く楽器を出しては時折キーキー鳴らしてみた。

いつしか処分されてしまったケースには歌詞付きの譜面が1枚入っていた。歌詞から朝寝坊を歌った曲のようで、ピアノで旋律を弾いてみると面白い曲だと思った。

後年、題名、歌詞ともがウロ覚えになってしまった歌を何度か検索したが見つからなかった。ところが数日前、歌詞の冒頭を頼りにサイト検索すると「あさね」という歌がヒットし、YouTubeに一つだけ出ていた。

「とろろん とろろん」の出だしと懐かしいメロディーは、まさにバイオリンケースにあった譜面の歌だった。


「あさね」
松原至大作詞・弘田龍太郎作曲

とろろん とろろん 鳥がなく
ねんねの森から 目がさめた
さめるにゃ さめたが まだねむい

とろろん とろろん 鳥がなく
とりのなく声きくほどに
私の お目めが まだねむい

舌をきられた 雀(すずめ)なら
ちゅうっちゅ ちゅうっちゅとなくけれど
とろろん 小鳥はなんの鳥

ごはんはたべたし まだねむし
学校(がっこにゃ 行(ゆ)きたし まだねむし
とろろん 小鳥がないている

ちなみに作曲の弘田龍太郎は「鯉のぼり」「浜千鳥」「叱られて」「雀の学校」「春よ来い」「靴が鳴る」など馴染みの歌の作曲者だった。

歌詞の“学校”は大学あるいは会社や仕事でも良いと感じられ、大人の歌としても面白いと思った。

以前書いたとおり、12人(生まれたのは13人)の子がいる医家の家計は苦しく、大学に進学したのは父一人だった。それも私学(慶応)なら苦学は免れない。

寒い夜は新聞紙を布団に入れ込んで寝たという貧乏学生のオンボロバイオリン。ケースにあった譜面が「あさね」でほっとする。

お陰様で父の享年を三つ上回り、何とか仕事も続けている。
日頃の仕事場で皆さまに「長生きや良い事は親のお陰」と分かったような事を言っている。今夜は「あさね」の歌を脳裡に浮かべ父に感謝しながら眠ろうと思う。

明日鳴るスマホの目ざめましメロディーが「母が教え給ひし歌」とは。

ソメイヨシノの爆発的な成長。

2023年4月4日(火曜日)

美術館裏手のソメイヨシノが満開になっている。毎年樹の成長ぶりには驚かされる。

以下本日の花とかっての写真を比べてご覧下さい。

本日のソメイヨシノ。敷地にヤマザクラは7,8本あるが、ソメイヨシノは2007年の開館時に植えたこの1本だけ。ある時期からぐんぐん伸びた。

以下若かりしころの同じ木(苗)。

2009年6月、開館3年目の木(右の輪の中)。

 

本日、上掲写真とほぼ同じ方向の桜。15年でこんなになり、デッキの雰囲気も変わった。

 

2010年4月の木。だれにも見向かれずひっそり花を咲かせ散っていた。
何とか人目を惹くようになったのは5,6年前から。

今やこの樹の何本もある根が地上に盛り上がり、そばの石垣を崩すのではないかと心配している。青年期へと成長しつつあるような印象を受けるが、いつまでも若く溌剌としていてもらいたい。

美術館の近く、新堀川の桜。

2023年4月1日(土曜日)

樹下美術館の近く、東へ歩いて10分足らず、車ですぐそこに新堀川があり、両岸の桜が見頃を迎えている。

常連のお客さんで毎年観て帰られる方がいらっしゃる。今年は「髙田へ行ったが道が混んでいて引き返した」と仰る方が当館でお茶されと聞いた。

髙田がいっぱいで引き返される方は新堀川へ行ってみてはいかがでしょうか。人が少ない分花はきれいでのんびり出来ます。

以下本日の新堀川です。

左岸を250メートルほど歩くと橋があり右岸に移れる。

 

 

 

 

コブシの白い木肌も見もの。

桜の木肌が銀色に輝くのをよくみる。ソメイヨシノではないようだ。以前仙台で観たのもソメイヨシノと違い、丈夫そうな大木だった。

 

お天気に恵まれ、しばらく花見日和が続きそう。盛大な落花も楽しみの一つ。

春の大池いこいの森を歩く。

2023年3月30日(木曜日)

今年二月から毎週木曜日を休みにさせて頂いている。当初いくつか混乱があったが、ここへきてなんとか認めて頂いている流れになってきて、感謝に堪えない。

本日は午前10時から予約してあった柿崎のドコモショップへ行った。昨年12月に購入したスマホの操作でいくつか問題を感じていたので教えてもらうためだった。店の人は丁寧で、次回残りの懸案を教えてもらうことにして店を出た。

その足で大池いこいの森公園に向かった。
ビオトープの方から入った。
大気と鳥、花と蝶。温かそうな枯れ草や芽吹きを待つ広葉樹の森の風情は格別だった。

済んだ声で歌っていたホオジロ。

一種人懐こいジョウビタキ(雌)

水上回廊。せっかくあるのに歩けない。設営したは良いが、世の中にはその後の手入れが出来ず使えないものが多い。それでもここは人影が少ないものの全体に手が入り、生物ともども良く維持されているのではないか。

見放題のスミレ。

低地のユキツバキ。

道路に出た春の女神ギフチョウ。自分の影とダンスをしている風に見えた。

花色が濃く青葉が美しい
ショウジョウバカマ。

日陰のユキツバキは葉と色がやや薄く
楚々としている。

真っ白なムシカリ。

ヒオドシチョウ。

スミレにとりついていたギフチョウ。

イカリソウ。

ツクシ(上)とミズバショウ。

遠くにほくほく線の電車が通る。

3月がこんなに晴れて温暖なのは珍しいのではないだろうか。爆発的な春となる前のいっとき、穏やかな大池公園は一切の煩わしさも無く
、人を整える力を内包していた。

樹下美術館に戻るとコブシのお迎え。

いつもは昼食を食べないが、沢山歩いたので新メニューのホットドッグセットを食べた。小さめのホットドッグが二つ、ピクルスとサラダそしてフルーツにポットのコーヒーor紅茶が付いて1200円ということだった。

春雨の庭 祝福されているような花たち。

2023年3月26日(日曜日)

日曜日の今日、晴ていれば早く起きて大潟水と森公園へ行き春の鳥を撮りたいと思っていた。昨夜目覚ましを6時45分にして早めに寝た。
だが朝からしっかり降っている。待てど晴れそうも無くあらためて見た予報は一日中雨だった。それではと10時までぐっすり寝て身仕度、新聞、食事のあとやおら絵筆を執った。
4時間半、座っては描き、描いては屋内を歩き回った。たとえ何時間、どんな風に描こうとも問題は出来映え。少しでもご期待に添えるよう取り組み続けたいと思っている。出来上がりに近づいたならまた掲載させてください。

夕刻4時過ぎて美術館へ行った。皆さんが帰られて静かになった館内と庭を観た。展示の安定した雰囲気はこれまで通りだったが、庭の変化は目覚ましかった。

以下夕刻近く肌寒い雨の庭です。

手前のコブシと
向こうのホウキザクラ。

例年寒さをものともせず眩しいばかりに咲くヒュウガミズキ。

数日前まで固そうな蕾だったヒヤシンス。

駐車場脇、何カ所かの水仙。

東北地震の翌年、茨木県からやってきたショウジョウバカマ。

クリスマスローズ。終わったらしっかり肥やしをやろう。

独りでに咲き、
移動するキクザキイチゲ。

晴れた過日、よく香っていた沈丁花。地味が合わないのか小さなまま。周囲を掘り返して施肥の予定。

5㎜ほどの小さな花はヒサカキ(当地のサカキ)。
地域の池周辺の急な傾斜地に沢山生えている。フナやコイの乗っ込み時期〔産卵期)に釣りしているとかなり強く匂う。タクアン漬けあるいはメンマに似た匂いと言われ、悪臭とされても仕方が無い。
地味な花は釣りに最適の時期に咲き、また何年に一回は統一地方選挙と重なる。釣りの最中に田や湖畔を渡って聞こえる選挙カーの音とともに懐かしい匂いでもある。

冷たそうな雨に黙って打たれる花はけなげだ。
この世を終えたら花になれればいいと思う。敢えて言えば野に咲くのが良く、手抜きされかねない家の庭は勘弁してもらいたい。


雨に祝福されているようだった花たちのために。

侍Jが優勝 大谷選手のインタビュー。

2023年3月22日(水曜日)

診察室と自室を往復しながらTV観戦したWBC対アメリカ決勝戦。いいところでしばしば呼ばれたが9回裏、クローザーとして登板した大谷投手は一死走者一塁で、必死のアメリカを鮮やかなダブルプレーで切り抜け四番トラウト選手との対決になった。

アメリカ屈指の強打者で米国のキャプテン、チームメイトでもあるトラウ選手を大谷は尊敬しているという。画面からトラウト選手に闘志とともに緊張の表情が見られ、最後は大谷選手渾身のスライダーをフルスイングし空振り三振で試合終了。球はスライダーで打者の向こうへ約43㎝も曲がったらしい。

MVPに選ばれた大谷選手はインタビューの最後に日本球界への思いを聞かれた。
すると“日本だけじゃなく、韓国も台湾も中国も、その他の国ももっともっと野球が大好きになってもらえるように、その一歩として優勝できてよかったし、そうなってくれることを願っています”と答えた。

優勝が日本の球界に与えた影響は非常に大きい。
しかしあえてそれを口にせず、近隣との他の国々で野球がより盛んになって欲しいと願いを伝えていた。限られた時間のなか、無駄の無い立派な答だった。

立派な功績を残す人は素晴らしい話を口にする。こんな場合、心が素晴らしいから立派になれたのか、立派になったので素晴らしい心の持ち主になったのか、よく頭をよぎる。

おそらく前者なのだろう。
生まれ育ちから誠実で高い探求心に恵まれた人だったのではと思う。さらに自然な言葉で高潔な気持ちを伝えられる事が多くの人の心をとらえるに違いない。

インタビューの大谷選手。
保身や邪(よこしま)さなどみ塵も無い。

優れた投手陣とアメリカの強打者との対決も素晴らしかった。

春分の日 絵筆とシューベルト スポーツ観戦の鳴り物 ノイズに夢中で良いのか。

2023年3月21日(火曜日)

温かだった春分の日の祝日。スマホの妙なる目覚まし音「我が母の教え給いし歌」が余りにも優雅に響き二度寝を繰り返したため、起きたのが昼近くだった。
だが慌てることもなし、長寝が必要だったと納得し身支度をして用意された朝昼兼用食をゆっくり食べた。

冬鳥が去った後、暇をみては絵筆を執る。小品中心とはいえ数が多いため時間が必要だ。本日西王母椿に手を入れると、ようやく15点が一定の段階まで揃ってきた。

2月28日時点の西王母の2枚。
当時殆どが下段どまりだった。

以来葉を濃くし枝とシベを描き、右の花に影を付けた。

この絵の15点が揃ってここまで来た。
細部と陰影、バックなどまだまだ。
ほかに風景と菊の静物等もある。
6月に間にあうだろうか。

本日はシューベルトのピアノ五重奏、いわゆる「鱒」をYouTubeで聴きながら描いた。「鱒」は歌も良いが五重奏はいっそう鮮やかで楽しく、ピアノが生き生きしている。鱒の季節が気になる所だが調子の印象から春として聴きながら描いた。

だが3時間近くなると疲れ美術館に顔を出した。
聞く所によると陶芸、絵画とも観やすい親しみやすい、と好評らしい。確かに焼き物と言えばまず「壺」のイメージがある。また「お嬢さん展」はデッサンと版画メインだが、一目で若さや愛くるしさに出会えるので良かったのか。

さて寝ている間にWBCは素晴らしい逆転で勝っていた。これもユーチューブ。勝っているのだからチームワークの良さは素人目にも分かるし、監督が優れていることも伝わる。
ただ一点、外野席に陣取る鳴り物は明らかに浮いていて見た目にも恥ずかしかった。

あくまで観客は客。それが主役とともに目立っているのはどうかと思う。バレーボールしかり、大声を揃えて客が試合に参加するのは日本独特の文化だろうか。
一方、観客の多くがサポーターとして旗振り揃って大声を出すサッカーは世界共通であり例外かもしれない。

ゴルフも観客が特定選手のプレーによく大声を出している。選手によって不興を表明したり、嬉しいと言うなど反応はまちまち。私個人は観客の大声は邪魔だと感じる。

総じて観戦マナーとしては拍手や驚きの歓声など自然な反応で十分ではないのか。お金を払って観ている者同士なのだから、基本個人が余計なノイズを生じさせるのは感心しない。
音というのは防ぎようが無く、厄介だ。それで言うと修行において食事を無音で行う禅の徳目が目を惹く。

文句のついでにもう一つ。
首相がウクライナを電撃訪問した。コメンテーターは目的と成果を論ずれば良いのに、NHKと日テレだけが知らされていたのではないかと、物識り顔でノイズに埋没している。
仕事の本質と哲学を忘れ、ただただ見た目や末梢で済まそうとする。それで言うと為政と学問文化の根幹であり、忘れっぽい人間のためにこそある資料、文書を「ねつ造」と言い出す風潮しかり、何が動機なのかあまりの軽さに悲しくなる。

こんなことで国は大丈夫なのだろうか。

新潟市の茶道裏千家(今日庵)支部総会に参加した。

2023年3月19日(日曜日)

.本日新潟市で今日庵(茶道裏千家の一般社団組織)の新潟支部総会があった。亡き渡辺宗好先生の門をくぐって一応36年が経った。先輩諸先生に比すれば自分の歴などたかだか中学生のようなものであろう。

それが、今度の総会で表彰されるから是非出席してと長年上越市は有沢宗香先生の許で裏千家を稽古している妻から勧められた。既に稽古通いも止めているのに表彰とは?と思いつつ恐る恐る参加した。

竹石松次さんが会長をされている新潟支部は會津八一を初代として発足、一昨年70周年を迎えている。竹石さんとは今日庵(こんにちあん)の新潟県数寄者の会でご一緒し、樹下美術館のお茶会にもお顔を出して頂いたことがあった。

さて、新潟市へハンドルを握るだけで緊張する昨今、盛大な会への参加、あまつさえ表彰もあるというので特にしくじり厳禁、ゆっくり運転したのだが、開会予定の午後1時30分より一時間も早く到着した。

同会にちなんで朝から呈茶があり、宗香ご一門が昨日から泊まり込みで濃茶の席持ちを担当されている。総会後、お席に正客として座ることも決まっているということで、昨夜は教科書を引っ張り出して作法を読み直した。

同じ濃茶でも茶碗の種類一つで飲み方が変わる。さらにコロナの感染予防に対応した各服点て(かくふくだて)というのも初めてだった。
そもそもお菓子は容器によって取り方から異なる。頭がもやもやしたまま会場に着くと、やってきた妻から本日の次第を訊きひとまずほっとした。

総会は議題が多いにも拘わらず会長はじめ各分野担当の幹事および司会の先生方は無駄なく要点を伝え質疑し、さすがだと感心した。

肝心の表彰は優良会員表彰というものだった。何をもってそうされたのか詳しく分からなかったが、かって新潟市の数寄者の会におけるお家元へのお点前、あるいは樹下美術館で行っている折々の呈茶などが対象になったものか。

まことに面はゆい場面だったが5人の受彰者とともに名を呼ばれた。

お元気な竹石氏にお会いできたこと、着物の女性が盛大に集まる会に参加できたこと、宗香先生一門の麗しいお席で美味しいお菓子と濃茶を頂けたこと、なにより裏千家今日庵から受ける日頃のご高配に感謝を禁じ得なかった。

ある施設からコロナ発生の連絡があり、呈茶は濃茶のみで帰路についた。

開会前の会場。
最前列の右端に席が指定されていた。

各服点てでいっそう壮観となった濃茶席。

窓にしだれ梅が覗く広間。裏千家九代家元・不見斉の床(掛け軸)と時の花、古天明(こてんみょう)の透木釜(すきぎがま)によるお点前、そして左入の愛らしくも畏まった黒楽茶椀が残寒の席を温めて止まなかった。

コロナは全体が減少している一方、上越市ではインフルエンザとともに未だしぶとく粘られている印象がある。

※お社中より届いた二枚目の写真と文を後から追加しました。

貴重なU君 北村英治の「Memories of you」。

2023年3月16日(木曜日)

今年の開館後わずか2日目にも拘わらずもう何日も経ったように感じる。緊張して過ごしているせいではないかと思う。

本日、中学、高校の同級生U君夫妻が見えた。大学で書道を専攻され、教職とともに有名な鎌倉仏のご本尊を有する寺院の住職の道を歩まれた。

私は高校三年生の半ばで病のため休学したために、卒業は一年下の学年と一緒だった。しかし同級生となると入学を共にした学年という意識がある一方、宙ぶらりんを否めない。そんな事情のなかたびたび髙田からやって来てくれる中高入学一緒のU君は貴重。

お決まりに従い年と老いの話を一通り終えると同級生たちの事になる。彼は私より遙かに皆の消息を知っている。
私自身決して壮健では無いので、心身共に優れていた級友の死などにはとても驚く。中には私が知り彼が知らない話もあり可笑しかった。
長話になったが文字通り気の置けない級友の訪問は嬉しい。


原信夫とシャープス&フラッツとともに北村英治の「Memories of you」
学生時代、氏のクインテットを良く聴きに行った。テーブルの用紙にリクエストを書くと店員さんが取りに来る。ドキドキしながら待つのだが大概のリクエストは演奏してもらえた。

北村英治の「Memories of you」はいつ聴いても甘く懐かしく大好きな一曲。

学生時代テニスも音楽も何かと一緒だったSはもういない。いつしかそういう年になったのは不思議なことだ。

無事なスタート 頂き物に癒やされて。

2023年3月15日(水曜日)

好天に恵まれた本日、お陰様で2023年の樹下美術館は無事スタート致しました。年末12月15日まで、今年もどうか宜しくお願い致します。

夕刻のこと、とある入れ物が届き開けてみるとアジの干物。よくゴルフに誘ってもらっている友人からの品で、自ら干物に仕立てたという品でした。

アジは最も美味しい魚の一つですが、干物は形良く身離れ良く、すみずみ突っついて食べ尽くしました。
向こうの卵とじの黒マイタケと澄まし汁のウドも過日の同氏からで、何から何まで本当にご馳走様でした。
ちなみに手前のフキ味噌豆腐のフキノトウは患者さん宅から。春の食卓一式頂き物でした。

開館まで突っ走った後、皆さまのご好意に癒やされています。

明日から今年の開館です。

2023年3月14日(火曜日)

昨年12月15日が同年度の最終日だった樹下美術館。以来冬期休館の三ヶ月が過ぎ明日2023年度の開館になりました。創立17年目を迎え、休館の三ヶ月は諸般忙しくあっという間でした。

展示は常設の齋藤三郎「壺展」と倉石隆「お嬢さん展」から始まり、「洋食器展」「館長の絵画写真展」「篠崎正喜展」「絵付け陶芸三人展」「A氏のコレクション展」と5つの企画展を予定しました。企画は例年よりずっと多く、準備に忙しかったのですが、楽しみな一年を予感しました。

本日は常設展のご案内。入って直ぐは「お嬢さん展」です。

 

中央の6点のうち4点が初展示のデッサン。

 

右パネルの2点は倉石氏1980年代の個展パンフレットです。表紙を少女が愛らしく飾っています。ほかに版画、石版画など若い女性の16点です。モデルの個性と年代を的確に表現した倉石隆の目と力量をご覧下さい。

絵画の先の陶芸ホールは「壺展」です。

 

 

壺のみの展示は初めての試み。様々な草花のモチーフ、陶器に磁器、色絵に染め付け、面取りや掻き落としの技法など齋藤三郎の多彩さをご覧ください。
固有の容積と口を持ち呼吸する21点の器、壺。それぞれの表情と全体の迫力にあらためて驚かされました。

そして庭。

 

例年より早くクリスマスローズとヒュウガミズキが咲きはじめました。

展示をご覧になる場合、入館料は200円→300円に上げさせて頂きました。ただし入館無料のカフェのメニュー料金は昨年のまま据え置くことに致しました。

コロナ対応です。
スタッフはマスク着用、お客様はご自分の意向にお任せ致します。当分戸惑いはあろうと思われますが、着ける着けないはあっても互いを尊重し、静かに認め合うならばそれもまた幸せではないかと考えています。

またお客様間と受付のアクリルパーティションを取り去りました。但し入口ドア、雨の日以外の天井の排煙孔、カフェの1カ所における一定程度の開放を継続し換気に留意、場内二基の空気清浄機の運転は続けることに致しました。
いずれにしましても今後の動向によって柔軟な対応が必要とも考えられますので、どうか宜しくお願い申し上げます。

当地は例年に無く小雪の冬、そして3月は晴れ間に恵まれています。
何かと忙しくなりそうな一年ですが、スタッフ一同心からお待ち致しております。

何かと体を動かした午後 ヒメオドリコソウも早い あれから12年。

2023年3月11日(土曜日)

晴れてはいたが肌寒かった土曜日。午後から絵を描きゴルフの練習場へ行き、帰って庭の花に施肥をした。数年前のゴルフ練習では300球が普通だったが昨年から200でちょうど良くなった。練習する分、疲れて余計下手になるかもと気付き球を減らしたが、もっと減らしても良いかも知れない。

庭の施肥は周囲を掘り広げてくべるため大変である。そこで今年は液肥(ハイポネックス)主体で試してみることにした。まず花期まで二週間に一回スタッフにも手伝ってもらって続けたい。

隣の草地のヒメオドリコソウ。

イチゲと同じ頃、野に咲くヒメオドリコソウ。この花も例年よりかなり早い。

この写真は樹下美術館開館の約二ヶ月前にあたる2007年4月4日のもの。ブログの前身のお知らせで第一回目を飾った。カメラはパナソニックのコンパクトデジカメだった。土手は年により異なる野草が場所を占め、現在ミゾソバが主体になっている。

久し振りの夕食写真。カレードリア、カブのスープ、白菜と鶏手羽の煮物。

 

12年前の本日夕刻、東北大地震が起きた。仙台と南三陸町に親族がいるため非常に心配して過ごした。地震後現地は雪が降り始め、様相にいっそうの悲惨さを覚えた。

全国に散った多くの被災者。わけても原発があった地域の方達の心境と身の振り方は今なお複雑で非常にお気の毒だ。ふる里への回帰は家族といえども世代間で厳しい相違がみられている。また汚染水の行くへとともに真に地域が再生、存続が可能なのか傍目にも安心とはほど遠く写る。

少なくとも原発は広く人生を蹂躙することがあること示したのは否定し難い事実。避難計画は良いとして全ての問題はその後の事。

よく晴れる3月 海の写真。

2023年3月8日(水曜日)

先月のある日、ぐずぐずしがちな3月に比し2月の晴れ間は力強いというような事をここで書いた。それが今年3月に入るや時折の好天などというものではなく良く晴れ、しかも続いている。2月と比べられた3月が怒ったか本気を出したにちがいない。

今日は髙田で20度を越え、一帯は春霞を思わせる大気に包まれていた。暖かさと同時に数日来花粉症の症状が辛い人が多いようで本日は小学生が見えた。
たいてい昨年より10日ほど早く始まり、良い季節に重なる症状はとても気の毒で、お薬が効いて少しでも楽になってと願っている。

さて今年6月に拙写真展が始まるため海、空、鳥など写真ファイルを色々見て選んでいるところです。案の定夕方の写真がとても多い事がわかりました。朝は苦手日中は仕事の結果ですが、夕暮れの色と詩情が好きだというのもあります。
夕方のほか悪天候のものも多いので副題を―明日天気になあれーにしようかなと考えています。

本日は柿崎の夕暮れから2枚掲載してみました。

 

こんな写真ですが、宜しければどうかご覧下さい。

以下はボサノバ曲「WAVE」です。


女性ピアニストビージー・アデールの演奏です。

「WAVE」は1967年の発表ですからやや古い曲ということになります。色々な人にカバーされ、いつも爽やかで新鮮。どこか旅行に行きたくなります。

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