「真実は美しい」 面白く有意義だった篠崎正喜氏の講演会。
現在樹下美術館で展示中の篠崎正喜作品。独特の美しい色彩と手を抜かない描き込み、旅情とファンジーの画家の講演会が昨日午後終了した。
氏と知り合ったのは植物画を描き始めた頃なので25年ほど前になる。細密に描くことに苦労をしている時ネットで知りメールを交換、東京や横浜でお会いし、こちらにも二度足を運んでもらった。
ご好意に甘えて作品を求めたのが、念願叶いようやくこのたびの展示に到った。
よく晴れた昨日の駐車場。
演題は「生成AIと美術」。
氏は私より少し若いだけなのに美術や思想はじめテクノロジ-、環境や健康などについて深い興味と理解を有されている。AIについては頻回に氏のブログで取り上げられていて、それは瞬く間にChatGPT、生成AIへ、美術との関連へと展開されていた。
場内の様子。
講演される篠崎氏。
10年ぶりの氏は一段と個性を磨かれ独自の境地へと進化されたように感じた。当日自らトライし上書きを試みた映像を紹介しながら説明された。
生成AIは、丁寧かつ要点を絞ってプロンプト(指示、依頼)すること。一般的になってからまだ日が浅いため、興味さえあればだれでも等しくスタートラインに立てると強調された。
まだ生成AI作品には一種の欠落や錯誤が混じるがフォトショップで自分なりに修正を試みていること、未来とくに事物の劣化や荒廃などの表現が得意なこと、あるいは作品の所有権などにも言及された。
最初の方で、カウボーが荒野で馬をを駆るシーンをA・ワイエス風に描く要求に応えた絵が示された。砂塵舞う躍動的な作品で、なるほどなるほどと感心したがワイエス独特の静謐さは今一だった。
快活に語る氏の姿勢は印象的で、取り組みには「何より楽しむこと」が大切と明言された。
南国の海と島、着物の少女をオーダーした作品。とても気に入っているとコメントされ、鮮やかさは宮崎県ご出身だけある。
※上掲3葉は端の席から撮りましたため画面が歪みました、、、。
生成AIは色々やってみているが全体として「生活感」の希薄さが課題と仰った。
後段には自らの作品の解説と、在りし日の親族とのことを描いた自筆スケッチ、さらに街で出会う人々のスケッチ作品が多数追加された。
颯爽と自転車に乗る美しい脚の娘さんや主に赤羽駅周辺あるいはアメ横や電車内、あるいは横浜で見た人々の作品が供覧された。
アジアや中南米の人々、ダンサー、変なオジサン、美しい店員、部活帰りの女子高生、格闘家、変わったおばさん、風俗嬢、鎌倉の女性などなどが、「きれいでしょ」「可愛いでしょ」「面白いでしょ」と次々紹介された。
出会った場所ではなく帰ってからサッと描くという観察眼と記憶力(印象力?)、なにより筆力にはただただ脱帽。休憩を挟み納得と笑いが絶えない貴重な2時間だった。
振り返れば後段の亡き家族や街の人々のスケッチはただの自己紹介や作品解説では無かったのではないか。実は無双「生成AI」がなし得ていない、あるいはその先にある、またはアンチテーゼとしての「様々に匂いのある生活感あふれる作品」の提案だったのかもしれないとふと思った。皆さまは如何だったでしょうか。
終えて近くの「サブリーユ」で食事を一緒した。そこでも話尽きなかった。氏はかなり前から老荘思想、特に莊子が良いと傾倒されている。他方、量子力学への興味から下世話な世間話などへも広がった。
あああのように様々な範疇への興味と洞察、そして描くことへの情熱が混然一体となって氏独自の美しい作品へと昇華されているのでは、と食事を一緒した方が仰った。まったくその通りだと思った。
幼少から描くことが好きで、多くのパトロンが付いた氏の作品。それでも描くことより売ることのほうが遙かに難しかったという。
「真実は美しい」という氏の言葉が心に響いた日だった。
連休の事々。
晴れたり曇ったりの昨日と小雨の本日月曜日は連休だった。
昨日はひごろお世話になっているお二人と柏崎市は「石地シーサイドカントリークラブ」でゴルフをした。
初めての同コースは緑濃く起伏に富み難しい。誘って下さったA氏は同クラブのかっての選手。新潟県の選手権で何度もクラブチームを優勝に導かれている。
氏とは二回目だが、驚くほど飛ぶ。少し曲げても後のリカバリーが良く、同伴のB氏と終始目を丸くした。
各ホールの急所を説明しながら後半のアウトなどは38で回られた。同じゴルフでも私達とは次元が異なり、こちらは観客目線で楽しむというような感じだった。
本日月曜はスポーツの日の祝日。小林古径記念美術館で7月15日から行われていた「生誕110年 齋藤三郎展」が本日で終わる。
とてもお世話になっている小島正芳・日本良寛会会長さんがお見えになるので同展に行った。
ちなみに樹下美術館からも出展したこともあり三度目の訪館となった。
館長はじめスタッフ一同の努力によって充実した展覧会となり、本日も賑わっていた。発刊された図録も充実し、愛すべき一冊だった。
二代陶齋・齋藤尚明氏ご夫妻、宮崎俊英館長さん、コレクターの長瀬幸夫さんのお顔も見え、ひとしきり齋藤三郎を懐かしみ最終日を過ごした
尚明氏と小島先生が會津八一が揮毫した書き入れ陶器の皿を観ている。
一渡りした後美術館を辞して髙田駅まで小島先生をお送りした。道中先生の若き日、お勤めされた安塚の学校や、お住まいされた浦川原の話を興味深くお聴きした。
ところで樹下美術館は酷暑の真夏に比べ秋になり入館者さんが増えた。日中の外出を控えてと勧められるほど危険な暑さが続いたのだから仕方が無い。こうなると今後“芸術の秋”はますます鮮明になるかもしれない。
本日裏手の小さな水路が愛らしいミゾソバで被われていた。
みぞそばの陰にちろちろ水の音
行く秋を惜しんで花に取りつく蝶たち。何とは無しにその蝶と花を惜しんでいる自分。なぜだか「春秋」とは良く言ったものだとふと思った。
篠崎正喜さんの鉛筆画。
月並みだが歳月が早い。ついこの間まで暑い暑いが口癖だったのに、突然寒いというようになった。暦は9月を飛ばして一気に10月、それも本日6日を迎えている。
今月17日までの「篠崎正喜展」があと10日で終わる。本日は入場して直ぐ左の一角にある鉛筆画5点の紹介です。
広く澄んだ時間が柔らかに切り取られています、
上掲二作とも少年が遠くを見ています。彼らには翼がありますが決して不自然には見えません。遠くを見ていた青春時代の気分が蘇ります。
かすかな耳鳴りだけが聞こえているような一人の時間。その時間にも何人かの人がひそかに一緒にいるのではないでしょうか。いずれの作品にも自然な旅情が感じられます。
●10月12日(木曜日)15時から篠崎正喜さんの「生成AIと美術」のギャラリートークを致します。入場は無料、まだ少し余裕があります。美術の最も新しく切実なテーマではないでしょうか。お暇をみておいで下されば有り難く思います。申し込みはお電話でどうぞ。
樹下美術館 電話 025-530-4155
上京2日目の護国寺、六義園、そして飯吉さん兄弟の音楽。
本日日曜日は午後から池袋の東京芸術劇場で音楽会を聴く日。先ずかって何度もその前を通った二カ所の東京名所、護国寺と六義園を訪ねた、
昨日食事を一緒した孫と護国寺で待ち合わせ。同寺は真言宗豊山(ぶざん)派で家の宗派にあたる。大きさは想像以上で、武蔵野丘陵の面影を残すゆるやかな起伏を生かした壮大な寺院だった。
不老門へと石段を上る。
赤い建物に緑が映える。
春のツツジも美しかろう。
大師堂の脇に裏千家茶道、第13代家元、円能斉〔1872年生まれ)の顕彰碑が建っていた。護国寺には八つの茶室があり護国寺茶寮群と呼ばれているという。茶と真言宗開祖の弘法大師との関係の深さをあらためて思った。
時間の関係で早々に出なければならなくなり、再訪を決めて寺院を後にした。昼食は寺の直ぐ前の角のおそば屋さんで食べた。
続いて六義園へタクシーで向かったが思っていた以上に距離があって反省。
赤煉瓦の長い塀にぐるりと囲まれた公園「六義園」。その塀沿いの細い道は混雑する大通りの抜け道で車で何度も走ったが園内に入るのは初めてだった。通常は300円の入園料のところ、当日10月1日は都民の日というので新潟県民でも無料だった。
濃い緑と芝生、そして池。神宮が森なら、ここは水だった。よく手入れされていて、都心とは思われない爽やかさに驚いた。比べればあの上野動物園の無味乾燥ぶりが思い出され、同じ都なのに早くそちらにも手を付けたてと願われた。
本日の本番、東京芸術劇場に向かうため再びタクシー。だが乗ったは良いが氷水のところにサイフの忘れ物をした(私ではない)ため戻るハプニング。
そんなこともあって会場到着はジャストだった。
孫が取ってくれた席は、間際だったこともあり三階だった。しかし有り難いことに2000人は入る会場全体が見渡せ大きさに驚いた。
演奏は白金(しろがね)フィルハーモニー管弦楽団。明治学院大学OBによるアマチュアフィルで、大学がある都内白金を冠としている。アマチュアといえどもステージを埋め尽くす100人を越す大編成オーケストラの迫力は目を惹き演奏が楽しみだった。
※ちなみに我が町、我が家の小山作之助が家出同然に上京し入学したのが明治学院の前身、築地大学でした。
この度上京した目的の一つは同オーケストラを指揮する汐澤安彦(本名飯吉靖彦)さんを観るためだった。
満場の拍手で迎えられた汐澤さんが団員の間を歩いてこられる。遠くに見える正装の人は、ああ70年前、中学校の学生服を着て何度か我が家へピアノを弾きに来られた飯吉靖彦さんその人なのです(当時近隣ではほかにピアノがありませんでしたし)。
中学生の飯吉さんは色白でハンサムなうえ流麗なピアノを演奏され、すでに我が潟町村のスターだった。
直江津高校を卒業後、東京芸大に進まれ卒業後は読売日響のトロンボーン奏者として活躍。かたわら指揮法を齋藤秀雄氏や渡欧してカラヤンアカデミーで研鑽を積まれている。以来長くプロ、アマを問わず多くの楽団に関わり熱心に指導と発表を重ねられた。
それなのに実際の演奏や指揮をされるのを一度もこの目で見ずに70年が経った。
始まった演奏はダイナミックに盛り上がった「禿山の一夜」から「「イーゴリ-公」のダッタン人の踊りへ。美しい調べはフランク・シナトラやトニー・ベネットの「Stranger In Paradise」でどれほど聴いたことか。
いつかはちゃんとオーケストラでと思っていたのが汐澤さんの指揮で実現し、爽やかなメロディが館内にあふれると胸が一杯になった。
休憩を挟み最後はブラームスの1番だった。人生の影と光がホールを振るわせる熱演だった。大ホールの三階に座るのは初めてで、特に管楽器と打楽器がいっそう輝かしく響く。アンコールを含めて4曲、良いプログラムで熱気に満ちた幸せな演奏会だった。
2000人近いお客さんで混雑するホワイエ。
さて汐澤さんが会いたがっているとある方から伝えられていた。終了後お疲れを考え遠慮しよう、と一旦出口に向かった。が孫が会ってみたいというので方向を変えた時、その方とばったり出会った。
彼女に案内され楽屋を訪れると着替えもされずに汐澤さんは待っておられ、満面の笑みで迎えて頂いた。80代中ばに差し掛かる先生は、背とお声が小さくなっておられたが、かっての私達のあこがれをしっかり秘めておられ、胸が熱くなった。
急に親にでも会ったように先生の肩に触れ手を握った。
すると突然、
「兄がお世話になりました」とそっと仰った。
私達は、ジャズに進まれた亡きお兄様「飯吉馨」さんとかつて親しくさせて頂いた。亡くなられて久しいが今そのことを口にされる。兄弟で異なる音楽の道に掛けた歳月と情熱が浮かび不意に涙がこぼれた。
こんな風に東京の週末は終わった。
昨夕の食事、今日の護国寺、六義園、そして飯吉さんご兄弟の音楽、、、良い週末だった。
いつものことだが、色々あっても、それなりに長生きをしなければと思いながら帰ってきた。
演奏会の入場料は都民の日サービスでしょうか、なんと1000円、上京の写真はスマホでした。
先週末の上京、一日目。
10月1日(日)に、70年も前、我が家でピアノを弾いた人が指揮をするオーケストラを聴きに、前日9月30日(土)午後に上京した。上京したその晩身内の二人が食事に誘ってくれ楽しい週末一日目を過ごした。
芝公園近くのホテルに泊まった。本が沢山ある静かな読書室があるホテルだった。夕食までの時間をいつものように歩いた。通りを真っ直ぐ北に向かうと日比谷通り。そこを左折すると間もなく増上寺に着く。同寺は二回目で前回は3年前だったと思う。
日比谷通り沿いの公園内を歩いて、
増上寺へ。赤い山門が立派。
花頭窓も立派。
東京はよく飛行機が飛ぶので羨ましい。しかもかなり大きく機影が見える。
境内を歩いているとぼーん!と大きな音で鐘が鳴った。夕刻5時を告げる鐘だった。
振幅を大きくしながら4,5回鐘撞き棒を振り、最後は最も大きく振り慣性で突いた。今まで聞いたことも無い低く太く心身深く響く音だった。
中高で同級だったU君は教育者であり僧でもあった。かって氏は増上寺本堂の上階にある道場で修行をしたと聞いた。道場はそれはそれは広大だったという。鐘を撞いた若い僧を見てU君も撞いたのだろうかと思った。夕食は6時からだったのでお寺を辞した。
食事場所は港区内のイタリアン・フレンチの店だった。新鮮な食材の美味しい料理を少しずつ食べ最後にエスプレッソを飲んだ。アルコールフリーで食べたが、途中皆にに紅茶が振る舞われた。
紅茶の振る舞いは初めてだった。驚いた事にごく細く長い柄のついたグラスが用意され、それに注がれる。注ぎ終わるとソムリエ?はグラスを斜めにして細い柄を親指と人差し指でクルクル回した。
何故そうするのか訊ねたところ、熱さを整えるとともに紅茶がグラスの上部まで浸り、香りが広がるようにしているという。茶道でも美味しくお茶を点てるために途中日常から離れた手順をいくつか踏むが、紅茶にも独特な方法があるとは。
グラスに口と鼻をつけて味わってみると、好天の日の草秋の香りが僅かにして、なぜか遠い異国の高原に漂う蒸気を感じた。海外をほとんど知らない私には一瞬旅情がよぎる時間だった。茶葉はダージリンと聞いた。
料理ごとにナイフ、フォークが替えられたので迷いなく安心して食べられた。
年末に年一度の食事を長年一緒にしてきた学友夫婦と食事する。ノンアルビールやジンジャーばかりでは無く「紅茶」を食事の友にしてみたいし、温かくて美味しいウーロン茶もためしてみたいところ。
次回は翌日曜日に訪ねた六義園と護国寺、そしてお目当ての音楽会を記したいと思います。
ムクゲ、パガニーニの本 悪天候のゴルフ。
暑くてどうしょうもない部屋からドアを開けて涼しい部屋に入ったような突然の天気の変りよう。今夏35度あたりを中心に外は病に匹敵する世界が続いた。庭や草地は焼け、私にはキリギリスやアブラゼミの声も乏しく蚊までも少なく感じた。それが4,5日で一変した。
一旦雨が降ると焼けた草地にもこもこと草が生え、心配した芝生に緑が戻った。暑さのせいなのか、美術館の若い柿は当初20数個実をつけていたのが夏の間中ポトポトと落ち続け、今7個まで減った。いくら雨が降っても戻らないので7つに掛けるほかない。
花を減らすのかと思ったムクゲが満開になっている。
去る24日、カフェで朝昼兼用の食事(妻が家で作ったもの)をカフェに持参して食べた。
立ててある本は「悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト パガニーニ伝」。2018年の新潮新書で調べが詳細であり、著名な諸音楽家との接点や時代背景との絡みが勉強になり、面白く退屈しない。例によって気に入った本は何度も読むので、すらすら読める先がたのしみ。
さて本日休診の木曜日、A氏と米山水源でゴルフをした。どんよりした曇り空は午前なかばまで持ったが、途中から強風ときつい雨に変わり、午後終了まで続いた。
氏とのゴルフは、ほかの組が止めて帰るような荒天でも大抵続ける。お金と時間がもったいないのもあるが、とにかく好きでボールを打つのを止められないのである。
スコアは103。しかし最後はパー、パー、ボギーで上がったので、すべて良しとなった。
異常な酷暑の夏。果たしてこの先の秋冬はどんなだろう。
柿崎海岸で一羽の千鳥に出会った。
昨日午後遅く柿崎海岸を歩いた。賑やかな所が苦手なので海水浴が終わりシンとなったはずの海を見たくなった次第。
大抵はシーグラスを探しながら歩くが、採る人が沢山いるようで見当たらない。お目当ての雲も平凡で波はぽちゃぽちゃと退屈そう、釣り人も少なく写真向きの眺めでは無かった。
東の方向の眺め。
何かあればと西の方、柿崎川河口を目指した。
ほぼ真っ直ぐなのは散歩する人や釣り人の移動か。色々曲がるのは犬を連れた人やビーチコーミング(打ち上げられた漂流物の探索)の人なのか。足跡一つ一つの向きも真っ直ぐもあればひどいガニマタの人もいた。それに行きも帰りもあるので面白い。
私の足跡はあっちへ行ったりこっちへ来たり。右足が少し開くのは何年か前に確かめた通りだった。ひどいがに股の人は長い間過酷な労働をされたのではと想像した。
河口まで来て折り返すとシロチドリが一羽前を走った。
写真が示す時間をみると上掲写真の間、4,5分まったく動かずにじっとこちらを見ていた。その間、立ったりしゃがんだりしてアングルを変えた。
しばらくすると僅かずつ移動、こちらもそっと動く。
ずっと私を見ているようだが、時折視線を外し向きを変えたり歩いたりする。
およそ鳥の顔は(生きものすべてかもしれないが)正面は少々怖く威嚇的な表情に設計されている。宜しければ大きくしてご覧下さい表情がいっそう変わります。
後で写真の時間表示をみると40数分、立ったりしゃがんだり、少し移動して撮った。鳥の夕ご飯時間だったかもしれない、迷惑を掛けたようだった。
すっかり暗くなったので離れた。普段は群れている千鳥が一羽だけ。今春だったか、もっと何羽も見た。どこかに群がいるのか、酷暑で数を減らしたのか、一羽だけは寂しそうだった。
何も撮るものが無いと思っていた海岸。やはり歩けば何か、ある意味特別な何かさえある。そう言えば私の写真はずっとこんな調子だったように思う。
ところで以前母が亡くなってしばらくの間、柿崎海岸のチドリは母の化身かもと勝手に想像していた。
昨日、長時間目の前にいるのを見て、小さな声で「母さんですか」とついに言ってしまった。すると驚いたようにピクッとしてからまたこちらを見ていた。チーと鳴いて返事でもしたらそれこそ大変なことになる所だった。
樹下美術館で長く流れている「浜千鳥」。
涼しくなりました 篠崎正喜展 絵本「青いナムジル」の原画から。
10月17日(火)まで開催の篠崎正喜展。およそ二ヶ月の展示は後半に入りました。ご好評を頂いている展示ですが過日妻から遠来のご夫婦のお客様のことを聞きました。
お二人は、それはそれは熱心に時間を掛け作品を観て行かれたそうです。長野県の東御市(とうみし)から二回目のの来館とお聞きしたということ。一回目は当地を訪ねたおよそ二週間前、たまたまサイトで樹下美術館を知り篠崎作品をご覧になったそうです。その際展示をとても気に入り早速二度目の訪問だったそうです。
さて本日は展示中の篠崎正喜作品から書物「青いナムジル」の挿絵「金持ちの娘」です。白馬と草原と青年ナムジルの物語で、かっての国語教科書「スーホーの白い馬」で知られるモンゴルの民俗楽器、馬頭琴生成の伝承をモディファイし童話作家寮三千子さんが物語として書き篠崎正喜氏が挿絵されています。
本日取り上げましたのは去る日の来館者さんが、作品の細部の描き込みに驚かれたのがきっかけです。
挿絵原画「金持ちの娘」。
いずれも中世絵画を思わせる鮮やかさですが、画家によるモンゴル衣装の研究成果ではないでしょうか。
話変わりまして以下は館内のお声ノートに残されている皆さまのメモの一部を掲載させて頂きました。
・とってもきれいだった。特に「この森に天使はバスを降りた」がとてもきれいだった。
・色の重なりがとてもきれいでした。素敵な世界を見ることが出来てとても楽しかったです。「海辺の街」が特に好きです。
・きれいで絵にひきこまれそうになりました。
・素晴らしい。好きな絵です。どんどん話がふくらんでいつまでも観ていられます。丸い。やさしい。人の目がいい(嫉妬している女の目でも)。動物の目や手足のフォルムに愛ががる。ユ-モアがある。どこかにいつもひとりを愛する(?)人がいる。きっとネコ好きでしょう。
・どうやってこの感動を買えるのだろう。
・絵のどうぶつがかわいいです。みていてたのしいです。またきたいです。
・昨年より絵本の読み語りのボランティアを始めましたので篠崎先生の作品に出逢えて本当に心より感謝申し上げます。
・本当に何度も足を運びたい美術館です。展示作品も驚くほどクオリティの高い作家さんでした。とても素敵です。有り難うございました。
本日は雨。ようやく涼しくなり“芸術の秋”の候になってきました。樹下美術館開催中の倉石隆の素晴らしいデッサンなどの「お嬢さん展」、あざやかなファンタジー「篠崎正喜展」をどうかご覧下さい。
●10月12日(木曜日)15時から篠崎正喜さんの「生成AIと美術」のギャラリートークを致します。35席の予定で入場は無料です。美術の最も新しく切実なテーマではないでしょうか。お暇をみておいで下されば有り難く思います。
小林古径記念美術館の齋藤三郎茶会。
上越市立小林古径記念美術館で生誕100年「齋藤三郎展」が7月15日~10月9日の期間で開催されている。当県陶芸家を先駆けた人の展覧会だけあって好評を博している。
長い会期の後半に入った昨日日曜日、齋藤三郎展にちなんで同美術館の小林古径画室において裏千家茶道の有沢宗香先生を席主として齋藤三郎茶会が催された。
いくぶん涼しくなりかけたのもつかの間、当日は暑さがぶり返した。午前中三席の会、10時30分からのお茶に上がらせてもらった。本席の床は淡々齋筆円相に風雲香が添えられている。小さめの円相は月をも思わせた。
恥ずかしながら正客席に押し出され、宗香先生が目の前。勿体なくも親しく言葉を交わして下さり、暑さを凌ぐお道具に囲まれ薄茶を楽しむことが出来た。
お菓子「秋の月」は大杉屋さんのお製。生前齋藤三郎が同店のマッチ箱向けにデザインしたラベルが一つ一つ菓子に敷かれている。私のは茶杓と茶碗が描かれていた。お菓子の味、色とも大変良く、齋藤三郎ゆかりのラベルが手に乗るという趣向に心和んだ。
膝前のたばこ盆の火入れは齋藤さんの作品(矢印)、染め付けの竹林文様が涼しい。
齋藤さんのかわくじらの水指と月と秋草の「武蔵野」茶碗。その左奥に立つ富士釜。お道具を囲む風炉先屏風は「雲月」とお聞きした。屏風の細かな格子は雲、金色の四角い囲みが月というわけだ。火がある点前座は風通う壮大なジオラマを思わせ、暑さ去らない当日に打ってつけの演出だと深く感銘を覚えた。
落ち着いたお点前によって点てられたお茶はまことに滑らかで良く香り、あたかも挽き立てのように新鮮な味がした。
席を終えて外に出ると堀の蓮はおおかた花が終わり青々とした葉に埋め尽くされている。すぐそこにお彼岸と仲秋の名月が待っている。口中にまだ茶の香りが残っていて、ああそれでも秋に向かっているんだと気がついた。
有沢宗香先生、楽しく美味しいお茶を有り難うございました。社中の皆さまお疲れ様でした。お写真をお貸し下さった社中の方、有り難うございました。とても良いお茶席でした。
今年前半(3~7月)の館内「お声」ノートです。
コロナになって以来3年間、館内の「お声」ノートを仕舞っていましたが、今春からまたお出しして、自由に記入してもらうようにしました。待っていたように皆さまに感想などを記して頂き嬉しい限りです。
129筆のお声コメントはまとめて樹下美術館のホームページ「お声」に掲載しましたのでどうかご覧下さい。ここでは以下に一部を掲載させて頂きました。
複数のノートからの抜粋ですから、時系列ではありませんが、宜しくお願い致します。
●桜の満開の季節に伺えて幸せです。踵の骨折がやっと…。歩ける喜び、大好きな昼の一時ありがとうございます。命の洗濯、来館の度心がなごみます。
●すばらしい洋食器コレクションでした。心が穏やかになりそうです。
●初めて訪問させていただきました。庭がとても美しく、久々に癒されました。窓からの風暖かく美しいです。カップも素敵、最近は心がすさんでとても悲しい思い。明日から又頑張れそうです。お花見こちらで出来て良かったです。お庭の妖精、館長さん一生懸命魔法をかけます。素敵な時間をありがとう。お庭、音楽とても素敵。
●ブログをいつも見ています。大好きな場所です。満開のサクラ良かったです。今日も午後からの仕事がんばれそうです。
●東京から来ました。とってもとっても癒されました。目線に鳥がトコトコ歩いているのが見れて、おだやかな気持ちになりました。また来させて下さい。ケーキとコーヒーも大大大満足です。こんな場所が近くにあったらな。
●埼玉からの友人を連れ来訪。どうしても連れてきたい場所だから…。3年ぶりに話がつきません。作品展楽しみにしています。
●七夕、館長の写真、素晴らしかったです。絵画も楽しみです。
●三度目の訪問です。毎回気持ちが豊かになります。
●大切な人と、共に素敵なひとときを過ごすことができました。
●4回目です。今日も大好きなケーキセット、念願の丸ごと桃のタルトをいただきました。すごく美味しかったです。スタッフさんともお話ができ、緑いっぱいのお庭に癒され、とても幸せな昼下がりです。いつもありがとうございます。毎日来たいくらいに大好きなところです。
●特急はくたかのファンです。在りし日の681系の姿になつかしい当時の思い出がよみがえってきました。またいつか、くびき野を疾走してほしいと願うばかりです。いつもすてきな時間をありがとうございます。
●今日、樹下美術館へ早めて行った。展示の最終日なのだ。前回1度拝見した美しい高貴な古いティーカップコーヒーカップの展示には圧倒される。こんなにあったのだと思う。ですから本日は人の少ない時間帯に来て、展示室のテーブルでおいしいホットドッグとダージリンティーを頂く目的であった。たった一人の貸切状態(実際に他のかた数人)での、ゆったりでした。豪華な昼食を見事な展示の食器を眺めながら一時を過ごした。他所の空間では味わえない、至福の一時でありました。
●初めて娘と来る事ができました。ゆったりとした景色を見ながら、普段なかなか話せない話ができました。今度はお茶の時間に訪れたいです。
●初めて来ました。展示写真の風景、特に夕焼けは美しいと感じました。美術館の雰囲気もとてもよく、落ち着き、ほっとできる空間と思いました。
●今日は抹茶をいただきます。すてきな器でとてもうれしいです。写真もゆっくり見て行きます。いつ来てもいやされがんばろうと思わせてくれる場所です。ありがとうございます。
●ステキな時間をすごせました。ケーキもコーヒーも美味しく、館長の上越の写真が心に残りました。ありがとうございます。
●七夕、館長の写真、素晴らしかったです。絵画も楽しみです。
●素晴らしい写真と美味しいケーキとコーヒーをありがとうございました。いやされましたし、明日からの仕事への活力となりました。また、お伺いいたします。
●we enjoyed your beautiful watercolors!
●my favorite painting way kobushi, it we very beautiful
●the painting were all very pretty!
●先生の作品すばらしい。次回も楽しみです。
●青田風米山さんのふもとまで
以上様々なシチュエーションで展示やカフェを楽しんで頂き有り難うございます。心が和む、豊かになる、イヤされる、ぼーっと出来た、元気が出たなどと書かれているのを見ますと私の心も癒やされ元気がでます。
以下は丸テーブルのスケッチブックに描いて頂いた一部を掲載しました。
当館を訪ねると何かを描きたくなるようですね。見るのがとても楽しみです、また描いて下さい。
あらためて齋藤三郎さんの署名。
去る9月10日、前日に小林古径記念日館で開催中の「齋藤三郎展」のイベントの一つギャラリートークで話してきたことに触れた。
書いたは良いが見直してみると文の流れがまことに悪く、少し間(ま)を埋めさせてもらいました。どうかお許しください。
さて本日は齋藤三郎(以下三郎)の署名について前回のフォローです。署名という視覚的で一定の考察が必要な話題ですので少々写真を増やし記事を補完させてもらいました。
署名についてのトーク当日の要旨は、
1署名の変遷。2樹下美術館収蔵で制作年代の同定が難しかった二つの作品の署名について、でした。
まず1からです。
父の後を継いでコレクションを始める過程で最も関心があったのは、手許に無かった戦前作品でした。そもそもそのようなものが後になって手に入るものかと半分諦めていました。しかし何気なく古美術店や個人から求めたものが、後で戦前の作だと分かるようなことが何度か起こりました。
戦前の品はおしなべて地味な染め付けでしたので、求めてからじっくり見るのを後回しにしがちとなり、三郎といえば先ず色絵、もっぱらそんな考えでいたためです。
実際に戦前作品をしっかり確認出来たのは、2007年の開館直前、プロのカメラマンによる全作品の撮影作業がきっかけでした。収蔵品の全てを箱書きとともに観ていくなかで、昭和12~15年に相当する作品が三器あることが分かったのです。自分の迂闊さを反省し、若き日の作品との出会いを喜び、その品の良さと慎ましやかさにあらためて驚いた次第です。
以下はその中の一つ、当館で最も古い作品「染付菓子器」のとも箱と蓋の裏書きです。
図1:慎ましい杉箱、横一文字の紐(左)。右は「昭和拾弐年 秋 齋三郎 造」の裏書きと印。富本憲吉から独立し京都で作陶した年にあたり、「齋三郎」と名乗っています。
図2:文様はデザイン化された竹林で、鉄釉で縁を取る祥瑞(しょんずい)風の仕上げ(左)と、右署名「齋」。発色良い呉須の青と淡々とした署名の趣きが目をひきます。
この後の数年間、署名は以下のように大きく変わりました。
図3:戦前(昭和12年~15年)における染附作品の署名。少々奇抜で一種記号を思わせます。何故このように変わったのでしょう、とても驚きまた不思議でした。現在古径記念美術館に展示されている長瀬幸夫さん所蔵の「染附楼閣山水図菓子器」は同時代のものですが署名はさらに記号風でした。
時代は下り、次は昭和23年髙田に登り窯を築いた時の初窯作品です。
図4:初窯の署名二つ。「齋」は二つの作品でかなりニュアンスが異なっています。窯焚きでは半年一年掛けて制作したものを一気に焼成します。並べてみると同じ初窯でも印象が異なることが分かります。個人的には右のものが左よりも早いのではないかと思われました。
図5:初窯後によくみられる昭和20年代中~後半の署名例。流れるように素早く記されています。
図6:昭和30年前後(左)、40年代(中)、50年代(右)にみられる署名の例、
初窯以後、署名は太くなったり、「なべぶた」の下の省略が進んだり、脚(あし)に当たる「示偏(しめすへん)」が分かりやすくなるなど時代とともに一種単純化の傾向が見て取れます。
次ぎに要旨2です。前回触れた以下二作品の署名はどんな時代に相当するのでしょう。
図7:制作年代が不明だった皿(左)と鉢(右)の署名。
楷書風の書体、陰刻 丸囲みの三つの特徴が共通しています。これらには上掲してきた戦前(昭和12~15年)、昭和23年初窯およびその後の署名のいずれにも類似しない印象がありました。
何時のものなのか図録制作も進まず困っていたある日、髙田のお茶人から白磁の香合を拝領しました。底を見ると呉須で「初窯」の揮毫と楷書の陰刻「齋」があるではありませんか。
図8:葉文月瓷香合の署名。右はそのトレース(右)。
初窯にこんな署名もあったのかと驚くと同時に、図7は初窯にごく近い早期のものではという設定が可能になりました(実は逆に一時は晩年のものかもしれないと考えたことがありました)。初窯にごく近い時期となれば初窯以後とともに、その直前もあり得るのかという考えも払拭できません。これは大変難しい問題でした。
このことに関してかって三郎は本格的な登り窯以前に穴窯(あながま)を築いて焼いたようだという話を聞いたことがありました。あるいうは登り窯であっても正式な初窯前に「試し焼き」のような試行は無かったのでしょうか。色々想像をかき立てられました。
いずれにしても図8が出現したため図7のおよその目安が可能になりましたが、いまだに十分な納得に到らない課題です。
一方同じ初窯でも、三郎は昭和50年に新たな窯を築き二回目の初窯を焚きました。しかし本香合を入手された元々の方は昭和40年までに当地を去られているため、一回目の初窯であることに違いはないようです。
ちなみに昭和50年の初窯の署名を以下に掲げました。
さて図7、8の署名に関してもう少し話を進めさせてください。
2009年秋、長岡市の新潟県立近代美術館で「-版画と陶芸-あふれる詩心展」がありました。楽しい展覧会でしたが、そこで三郎の「呉須搔落牡丹文瓶(ごすかきおとしぼたんもんびん)」を観ました。当作品は齋藤筍堂編著「越後の陶齋 泥底珠光」の書物に昭和18年作として掲載されています。
美術館で観た作品は想像より幾分小さく感じましたが、美しいブルーの地に明瞭な線で牡丹が掻き落とされ、強い求心力を放っていました。
昭和18年と言えば三郎の藤沢市鵠沼(くげぬま)時代(昭和16年~18年)最後の年に当たります。樹下美術館の戦前作品はサントリーの創業者が宝塚市に所有した壽山窯時代を入れても昭和15年までです。鵠沼の昭和18年の署名は一体どんなものだったのか、見てみたい衝動がつのりました。
一両年経って許可を得て近代美術館収蔵庫の「呉須搔落牡丹文瓶」を拝見し撮影させてもらう機会が訪れました。
そこで見た「齋」は陰刻の楷書体、図7および図8とほぼ同じではありませんか。
昭和15年までの図3やその類似ではなく、とても驚きました。また手書きと思われる六角形が文字を囲んでいました。
新潟県立近代美術館収蔵「呉須搔落牡丹文瓶」の署名(左)とそのトレース(右)。
奇しくも同作品はこのたびの「生誕110年 齋藤三郎展」で現在古径記念美術館に展示されています。
作品を造った昭和18年に三郎は招集され中国へと出兵し足かけ4年大陸を負傷しながら転戦しました。昭和21年髙田へ帰国すると23年、早々に寺町で築窯です。陶芸への熱い思いを胸に焚いた初窯。記した署名は5年前、鵠沼で記した署名をほぼそのまま再現したものが含まれていたことになります。
これには戦場から生きて帰り再び作陶できる喜びと、5年間のブランクを自らの手で埋める感慨が窺えないでしょうか。よくもまあ、手がちゃんと覚えていたものだ、とこちらの胸が熱くなります。
さて長くなりました。
ジャンプを交えながら齋藤三郎の戦前の初期作品から戦後髙田の初窯およびその後の署名の移り変わりを想像をまじえ眺めてみました。
しかし述べたものはあくまで私個人の主観、学問でもなければ客観でもありません。また時代ごとの変化やジャンプには何か訳があったのかも知りたいところです。今後作品とともに署名を眺め、あれこれ想像して楽みたいと思います。
最後にこんな風に人前で話すことはとても珍しいので、当日古径記念美術館スタッフに撮って頂いた写真をもう一葉記念に載せました。ご参加の皆さ本当に有り難うございました。
昨日小生のギャラリートーク。
上越市の小林古径記念美術館で7月15日~10月9日の期間で好評開催中の「生誕110年 齋藤三郎展」。昨日午後恥ずかしながら「齋藤三郎の文様と署名」の題で話をさせてもらった。
用意した資料の文様集は収蔵作品の草木や果実の写真34種92枚の小さな写真および大雑把な時代ごとに見られる器の署名20個を載せたもの計3枚。それに戦前の若き日の奇抜ともとれる署名と戦後髙田時代の見慣れた署名の隔たりと繋がりを示す資料を一枚加えた。
文様(模様)の話題は三郎のモチーフへの関心と優れた観察とデザイン力を作品写真とともに見ていった。
一方署名は作品鑑賞に大切な要素で、真贋は勿論、好きな作家ほど作品内容と共に制作年代を知りたくなる。当然のように三郎の署名も時代とともに変化が見られ、私なりの解釈を述べてみた。
当然ながら文様よりも遙かに難しい話題であり理解可能な実証も必要だった。
まず当館に青磁と白磁2つの鉢があり、それぞれに牡丹と椿が陰刻されている。両者の器の署名は珍しく楷書に近い書体で丸い縁取りもまた陰刻されていた。色絵の多い作品とはやや異なる様式と署名は魅力的だが肝心の制作年代が分からずじまいだった。
かくしてしばらくの間、樹下美術館の齋藤作品には、以下二つの謎が存在していたことになった。
①齋藤三郎の戦前(昭和12年~15年)と戦後(昭和23年初窯以後)で署名に大きな異なりがある。両者の隔たりはどう繋がるだろうか?
②これとは別に、丸や楕円の枠に囲まれ陰刻された楷書風の署名はどの時代のものなのか?
小なりと言えども美術館と名乗る以上収蔵品の制作年代や署名について大きな不明があるようでは話にならない。
しかし双方の謎は、あるお茶人から拝領した香合と新潟県立近代美術館が収蔵する「呉須搔落牡丹文瓶」の署名によって私なりに一応の決着を見るに到った。
以上の主旨で1時間余の話、本日は遅くなりました。続きは後日にさせて下さい。
ところで講演(トーク)は午後2時開始で、3,40分前に会場に着いた。場内に20脚ほど椅子が用意されていてこれで十分と想像し、時間があるので齋藤三郎展をひとまわりした。
戻って仕度を始めると人が増えはじめ、スタッフが次々に椅子を足した。それが足して足しても増え、最後には館内の椅子を総動員するまでになり、私自身とても驚いた。
「海風」というビジネスネーム。
今年2月から木曜日を休診日にさせてもらっている。だが春から色々と企画展が連続し、8月中ばまで準備や告知、報告などで休みといえども忙しかった。それが本日は休日らしい日になった。
午前中パガニーニの伝記などを読んだり今になって吉村妃鞠のYouTubeを観たりして過ごした。午後は朝昼兼用食を美術館に持参し、田んぼの見えるベンチで食べた。
8月以後、連日危険で災害的な暑さが続いたのが昨日の雨が上がると本日は30度を下回る涼しさになった。久し振りにベンチで風に吹かれ田を眺め本を読み食事した。
カフェではA氏が昭和時代にヨットを一緒にしたB氏と連客されていた。久し振りのB氏は定年になりましたと言った。
かって氏ら若く元気なクルーとともに佐渡や能登のレースなどに参加した日が昨日のように思い出される。そして「早いですね」と二人の口が揃った。
カフェの後、篠崎展を観るというので案内した。月明かりの美しい色彩と独特の雲と海が描かれる幾つかの絵、そして絵本「青いナムジル」の馬頭琴の挿絵などを一緒に観て回った。
自分なりのことだが、篠崎正喜さんの作品の話をするのは楽しい。ほぼ半分を観終えて「海風」の前に来ると、B氏はあっ、と小さな声を出し、「俺と同じ名前だ」と言った。
「俺も会社で海風という名前だった」と仰る。
B氏が海風?あまりに唐突で何のことだか分からなかった。
聞けば会社は社長の方針で、社内では本名を使わず各自好きな名を名乗ることになっていたという。それで氏はヨットに乗り海に親しんでいたので「海風(かいふう)涼(すずし)」にしたんだと話した。
社長が先進の人で、会社では個人のしがらみを捨て新たに社風のもとで歩もうとの意図から皆がそうしていたという。
ビジネスネームというものがあるらしいと耳にしたことはあるが、エンジンや機械に詳しいB氏の会社がそうで、当人は「海風涼」だったとは。
本当にびっくりして国家公務員だったA氏と私は目を丸くして、もともと目の丸いB氏をまじまじと見た。
ああ海が好きでヨットを愛したB氏らしい素敵な名前だ、そして何て良い会社なのだろうと思った。
本日はその後ゴルフの練習に行きました。
●10月12日(木曜日)15時から篠崎正喜さんの「生成AIと美術」のギャラリートークを致します。35席ほどの予定で、入場は無料です。
美術の最も新しく切実なテーマではないでしょうか。お暇をみておいで下されば有り難く思います。
篠崎正喜さんの「追想」と細部。
現在好評開催中の篠崎正喜展。
氏の作品は大変カラフルで、しかもその色彩は外見される色の成分が明暗とともに緻密に構成されているよに観察されます。一種の点描でしょうか、10月12日来館されますが、その折にぜひお聞きしてみたいことの一つです。
さらに作品の細部にはテーマを補完するように小さな場面が描かれます。照明などの関係でよく見ないと分からないことがありますので、前回の「海辺の街」や「六月の花嫁」同様大きくして掲げてみました。
今回は作品「追想」です。
鮮やかな夕暮れの「追想」
かっての恋人が在りし日の自分たちを思い出しているロマンティックな作品。爽やかな夕べの海辺で、美しい女性がの周囲に以下の様な場面が描かれています。
野外の小さなバーカウンターに一人の男性が座っている。
そのそばの丸テーブルにも似た男性が一人飲んでいる。隣の猫が可愛い。ダンスをするのはかっての自分たちのようだ。夕暮れの良い時刻、テーブルの灯りがとてもきれいだ。
「追想」は鮮やかな女性とは対照的に少々切な気な男性がそっと描かれている。私は男なので、むしろ男性が「追想」として女性との事を想い出している作品として写りますが、皆さんは如何でしょうか。
月が上り始めた戸外の情景をどうしてこんなに鮮やかに描けるのでしょう。
●10月12日(木曜日)15時から篠崎正喜さんの「生成AIと美術」のギャラリートークを致します。35席ほどの予定で、入場は無料です。
美術の最も新しく切実なテーマではないでしょうか。お暇をみておいで下されば有り難く思います。
本日髙田で髙田文化協会60周年記念の講演会と祝賀会。
本日午後、髙田仲町「宇喜世」に於いて髙田文化協会60周年記念にちなみ式典と上越市ゆかりの文化人堀口すみれ子さんの講演会「父・堀口大學とわたし」がありました。
すみれ子さんはエッセイストで料理研究家。戦前線後の約6年間を妙高市、上越市で疎開生活を営まれた文化勲章受章の大詩人、堀口大學のご長女で、幼少を当地で過ごされました。
澄んだ品格あるお声で身内ならではの父の実像と祖父母におよぶご家族のエピソードを話されました。大學先生に関してはメキシコからダボスのサナトリウムなど世界を駆け巡った旅と病のこと、画期的な「月下の一群」の出版や当地への疎開。さらに最後の富士を望む湘南における死まで、父の詩の朗読を交えながらまさに話中の「ビスタビジョン」の如く、起伏に富むダイナミックな内容に感動しました。
講演が終わると、不肖私はこともあろうにすみれ子さんへの花束贈呈でした。恥ずかしくも光栄とばかり必至に敢行しました。
何度お会いしても
チャーミングな堀口すみれ子さん。
休憩の後、祝賀会では二胡ととチェロの涼やかな演奏、祝いの謡曲、それぞれお立場に相応しい要人の挨拶、渡辺隆前上越教育大学学長がご自身の貴重な視点による髙田文化史が語られ、2日間に亘る記念行事一日目が終わりました。
堀口すみれ子様、求心力ある緻密なお話、本当に有り難うございました。お疲れになったことと思います。またお目に掛かりたく思います。
主催された皆さまの下準備、本日の司会進行のお二人様、本当にお疲れ様でした。また普段お目に掛かれない方々にお会い出来て幸運でした。参加させて頂き深く感謝しています。
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