齋藤三郎(陶齋)

2017年の展示1.齋藤三郎(陶齋)の作品。

2017年2月21日(火曜日)

来る3月15日(水曜日)の今年の開館が近づきました。
ここへ来て寒い日が続いていますが、開館のころには
ぽつぽつと早春の趣が見られることでしょう。

今年の樹下美術館の展示は以下のようになりました。
齋藤三郎(陶齋)は「陶齋の色絵と鉄絵」
倉石隆はカリカチュア風な倉石隆
です。
本日は陶齋をお知らせ致します。

生涯絵付け陶器にこだわった陶齋は多様な表現を行いまし
た。最も人気だったのは色絵作品で、赤、緑、黄色、青など
の多色を用いて華やかに描きました。

一方単色で描く染付(そめつけ)と鉄絵(てつえ)も積極的に
制作しました。かって樹下美術館で「色絵と染附」展を行い
ましたが、この度二度目の「色絵と鉄絵」です。

鉄絵はモノクロームで地味ですが、その分変化やデザイン
性を活かして魅力的です。色絵と互いに引き立て合う展示に
なればと期待しています。どうかお楽しみ下さい。

 

 

陶齋展示ファイルブログ用

 

●お示ししたタイトルはかって同じ主旨で展示をしたことがありますが、
昨年~今年に収蔵した4点が相当しますため、今年再度開催する事
に致しました。

明日は倉石隆作品について掲載いたします。

最近当館に収まった陶齋の小さな湯呑の大きな世界。

2016年10月20日(木曜日)

最近樹下美術館に齋藤三郎(初代陶齋)の湯呑が収
まりましたので、数種を選んで掲載致しました。

いずれも草花の趣を生かし、器の小さな面を一杯に
使い、デザイン性に優れ、背後の大きな自然さえ感じ
させるものでした。

華やかなモチーフを鉄絵の具のさび色や、呉須の青に
よるモノトーン調で描く。
個々の風情を知り、表現に結びつける感覚と手筋の良
さなど、陶齋ならではの品だと思います。

 

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↑鉄絵芙蓉文湯呑。
涼しげな花を器全体を埋め尽くすように伸びび伸びと
描いています。

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↑染め付け露草文湯呑
花を囲むように絶妙にあしらわれた葉、この花の特
徴を良く知っている作者ならではの洒脱な図柄です。

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↑染め付け水仙文湯呑。
強い筆致で描かれた水仙はビュッフェのタッチを思
わせます。
ダミ筆(輪郭の中を埋めたり、背景を塗りつぶしたり
する時の太めの筆)の青が早春を伝えています。

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↑鉄絵秋草文湯呑。
ススキに掛かる半月が渋い鉄絵の具で描かれ、薄く
掛けられた白のうわぐすりが微妙な月明かりか夕靄
を現しています。
尾形乾山の趣を有した洒脱な一作ではないでしょうか。

湯呑は陶齋ワールドが凝縮された器でありましょう。
それらは日々手に取られるものゆえ、一層心込めら
れたかのようです。
お身内によると生涯何万個単位もの湯呑を作ったの
ではないか、ということ。
樹下美術館にも4,50の湯呑があり、カフェで飲食
後に、お番茶のサービスとして用いています。
いつか湯呑展ができれば、と楽しみにしています。

この度は、いずれも昭和20年代中頃から30年代中
頃までの作品でした。

本日電車で五泉と栃尾から吟行に来られたお二人
様、作品からカフェそして丁寧に庭を見て頂き有り難う
ございました。
良い句が出来ましたか。

カフェの図書の入れ替え その3

2016年9月29日(木曜日)

去る9月21日からカフェの図書につきまして、新たに追加する
ものを掲載しております。
本日は25日に続いて三回目最終回のご案内です。

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↑「芸術新潮 特集 ジャコメッティ」
芸術新潮2006年7月号 新潮社
倉石隆氏の奥様から「主人が影響を受けた芸術家の一人」と
して何度かお聞きしたアルベルト・ジャコメッティ。
当書は2006年、神奈川県立近代美術館で開催された展覧会
に合わせて刊行された雑誌特集。
超人的なこの芸術家自身や評論家の言葉は難解なものが多い
が、誌上の作品から直接的に人なつこさや親近感を覚える。
作品は存命中から人気があり、現在のオークションでは想像を
超える高値がついてその都度話題になる。

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↑「スリップウェア」
編者・誠文堂新光社 誠文堂新光社 2016年1月23日発行。
スリップウエアは古くからヨーロッパや中国ほか世界各地
にあった陶器だが、18世紀、産業革命を期にすたれ、一
部のコレクターの手許に残るだけなっていた。
1913年にスリップウエアが載っているイギリスの古陶器
の書物を若き日の陶芸家富本憲吉と美術家柳宗悦が偶
然別々に目にして魅惑されたことから、日本に於ける本陶
器への熱い注目と憧憬が始まった。
すぐさま在日中の英国の版画家バーナードリーチおよび
同時代の陶芸家濱田庄司、河井寛次郎らの知ることとなり、
自らも渡英して調査研究と収集を行なった。
彼らはいずれも当時起った民芸運動の中心的人物たちで、
洋の東西を越えて存在する素朴かつ一種斬新な芸術に触
発され、それぞれの作風に生かすに至った。
富本と共に陶芸の研究を重ねていたリーチは帰国後、窯を
築き、途絶えたスリップウエアを、和の味わいも加えた独特
の作風で現代に蘇らせた。
本書は英国を中心に各国の作品およびリーチや日本の現代
の作家のものなどを詳細に紹介している。
暖かみと面白みを有した器は鑑賞でも良いが、肉などの煮
込み料理を盛ったらどんなに素晴らしかろう、と心惹かれる。
※富本憲吉は当館齋藤三郎の二人目の師。

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↑「新潟の絵画100年展」
編集構成・新潟市美術館 1989年9月1日発行。
開館5年目に開催された明治、大正、昭和の新潟県出身者
および新潟県をモチーフにした130名の作家の224作品が
網羅された画期的展覧会の図録。
あらゆるジャンルと個性的な画風が見られて興味深く、また
意識せずとも地元感が横溢する一冊。
上越市出身では、小林古径、矢野利隆、飯田春行、牧野虎
雄、賀川隆、舟見倹二、堀川紀夫、富岡惣一郎、柴田長俊、
矢島甲子夫、串田良方らとともに、樹下美術館の倉石隆も三
点が収載されている。
県外人として齋藤真一、寺田政明ほか幕末明治初期の画家
チャールズ・ワーグマンらの新潟県に関する作品も見られる。
また県内の洋画黎明期の人、小山正太郎による「春日山より
米山を望む」(1899年)の古色溢れる頸城野が美しい。

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↑「會津八一の法帖」 中央公論美術出版 昭和54年2月25日発行。
法帖(ほうじょう)は主に書家の作品をまとめた中小サイズの
書物。
自ら作成したものと、後人が編さんしたものなどがある。
当書は會津八一の書が7つの範疇にまとめられ、それぞれ
の末尾に読みが丁寧に記載されている。
7月にたまたま東京から樹下美術館を訪ねられたお客様か
ら贈呈された八一に関した書物のうちの貴重な一冊で、感
謝を禁じ得ない。
八一は樹下美術館の陶芸家・齋藤三郎と親交され、氏に
「泥裏珠光(でいりじゅこう)」の号を与え、高田で書き入れ陶
器の制作を共同で行い、東京で発表している。

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↑「写真集 私」 著者・濱谷浩 湘南文庫1991年3月28日発行。
戦前戦後、縁あって上越市に住んた世界的な写真家を、関係
者などが撮影したアルバム。
都内のダンディな青年、軍を撮る軍服姿、上越地方におけ
る山間の撮影の一コマ、高田での幸福な結婚、雪国、裏日
本、表日本、それぞれの風土に密着して仕事をする本人が
写っている。
大磯の新居の正月、床の間に着物姿であらたまる夫を写し
たのは朝(あさ)夫人。
後年夫人永眠の際の氏の様子は真に辛い。
だが晩年に訪れたアメリカでタイツのゴーゴーガールと踊る
写真には、自己の全てを出し切って生きる渾身の芸術家魂
を垣間見る事が出來る。
※写真集「福縁随所」では齋藤三郎を撮影している。

以上この度の入れ替え図書14冊を紹介させていただきました。
当館の二人の展示作家、齋藤三郎と倉石隆両氏や上越市や新
潟県にゆかりのあるものなどを交えて選んでみました。
ご来館の節にはお手にとり、どうかお楽しみください。
樹下美術館のホームページの「本」の改訂は来週中にさせてい
ただきます。

再び熊本のスイカ 果物の美味しさと優しさ 八一の講演を聴いたお客様。

2016年6月14日(火曜日)

熊本のスイカは青味が無く甘さに品があった。
数年来、朝食は果物130~150Kcalと牛乳を60ml位で済
ませているが、熊本のスイカで今朝は一層幸せだった。

朝食を簡単にすると日中心身が軽くかつ眠くないため自分に
は合っていると思う。

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今朝の朝食、小玉スイカは特にむらなく美味しいと聞いた。

普段昼も野菜果物メインにし、脂質とタンパク質は夕食で調
整する形にしている。

一定の身体運動を行っているのもあり、今年3月の健診はBMI
20,5、体脂肪率18,6を維持していた。

最大の懸案であるクレアチニンが1,02で、この6年間で最も
低値となりeGFRまで数値が改善して希望に繋がった。

野菜果物メインでもタンパク尿が無く、HbA1c5,1かつクレアチ
ニンがこのレベルなら総タンパクもカリウムも全く問題を生じな
い。

もとより虚弱な人間のうえ年と共にヘビーな食事は体が拒む。
スイカ、サクランボ、メロン、モモ、ナシ、、、良い季節時が始まり、
ほどほどであるが運が良ければ雪国マンゴーなども食して
みたいと夢見ている。

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本日昼、これから佐渡へ向かうという東京のご家族が来館さ
れた。
とても可愛い犬を連れた90才のご老人が、早稲田中学時代
に會津八一の講演を聞いたことがある、と仰った。

カフェの本でその事を思い出したが、講演では巨躯、異形の
八一の迫力に圧倒され内容は全く覚えていない、と言って笑
われた。

八一は若い時代、板倉区の有恒学舎(現高校)で4年間、英語
教鞭を取り、後年には齋藤三郎(陶齋)に泥裏珠光(でいり
じゅ
こう)の号を与えている。
會津八一の講演を聴いた人(しかも早稲田中学で)と初めてお
目に掛かったが、とても羨ましかった。
今なお氏の和歌と書の人気は衰えを知らない。

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今夜また食べました。

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野イバラ(野バラ)と齋藤三郎(初代陶齋)の壺。

2016年5月25日(水曜日)

先日まで樹下美術館一帯はアカシアの白い花が沢山見ら
れていました。
それも終わり、いま路傍などに野イバラが咲いています。
野イバラはいわゆる野バラに相当する植物です。

茂ってトゲもあり、容易に触れにくい花ですが、近づくとと
ても良い匂いがします。

 

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↑野イバラ(野バラ)。

1の拡大
↑上掲写真の部分をトリミングして拡大。

 

さて樹下美術館に齋藤三郎(初代陶齋)が野バラを描いた壺
が二つあります。
一つは青(るり色)の地に黄色で描かれています。

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↑初夏の青空を思わせる地色の「色絵のばら文壺」。
縦横22,0×26,0㎝

 

2の拡大
↑「上掲の一部を拡大しました。

 

もう一つは現在展示中の作品で、赤い地に金彩で描かれ
ています。

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↑「赤絵金彩野薔薇文壺(あかえきんさいのばらもんつぼ)」
縦横20,0×16,9㎝

あでやかな赤と金、才気と情熱が伝わる作品です。
(「ばら」と「薔薇」とありますが、器の箱の記載通りにしました)

3の拡大
↑上の写真の一部を拡大。
二つの作品とも軽やかな筆致で花の喜びを伝えています。

野バラを描いた陶芸家は珍しいと思われ、陶齋の花への親し
みが伝わる作品ではないでしょうか。

アザミの季節にもなりましたので、近いうちにその作品も掲載
したいと考えています。

齋藤三郎(陶齋)の赤絵金彩の壺には何が書いてあるのか。

2016年4月22日(金曜日)

樹下美術館今年の陶芸展示は「陶齋の赤」です。
展示順No2は「赤絵金彩椿詩文文壺」です。

名は長いのですが、赤々とした小ぶりな壺です。
赤い地に呉須(ごす・藍色の顔料)で椿が二輪描かれ、
金彩で詩文が書かれています。

何と書いてあるのでしょう、とお訪ねされる方がおられ、
本日取り上げてみました。

 

椿詩文壺赤絵金彩椿詩文文壺 縦12,3×幅12,2㎝

詩文の読み↑読みです(窯を築き→窯をつき と読ませています)。
戦後雪国のつましい生活の中で奮闘する
陶齋の様子がありありと窺われる文です。

友人が贈ったものと聞きますが、内容のこまやかさと
慎ましさから、本人の作ではと思うことがあります。

 

以下はこの詩文の版画です。
丈夫な和紙に刷られた版画は焼き物を求めると器に添えられました。
昭和20年代中頃~後半より用いられたと考えられます。

詩文・此の男云々
↑版画「この男云々」 縦28,7×幅41,5㎝

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↑同版画の文字だけの版。 縦18,8×27,8㎝

版画は味わい深く人気があり、当館では掛け軸にしています。

今年度の展示ご案内その2 陶芸 齋藤三郎。

2016年3月14日(月曜日)

今年度の展示ご案内  その2 陶芸 齋藤三郎

【陶芸 齋藤三郎(陶齋)】
陶齋は「絵描きになりたかった」と述べた事がありました。大正2年、新潟県栃尾町(現
長岡市)に生まれ、18才で入門した富本憲吉と近藤悠三は絵付け陶芸で後に人間国
宝になっています。
草花を愛し、それらは様々な器に描かれました。伸びのびした形と洒脱な絵付けは見る
人の心を和ませ、使う人を楽しませました。昭和56年7月17日惜しまれながら68才で
没しました。

【展示のテーマ】  ー陶齋の
作品から赤系の色彩がほどこされた作品を選びました。その色は雪国の炭火のように
暖かくまた優しく心打ちます。この度は辰砂(しんしゃ・銅による発色)の桃紅色も混ぜ
ました。

【展示作品の概要】
 色絵唐辛子文大皿 幅30センチを越えるいわゆる大皿です。赤い唐辛子は白い雪
とともに越後の冬の色ではないでしょうか。
 赤絵金彩椿詩文文壺 白椿と金彩の詩文(陶齋を詠った詩)が赤地に映えます。
 赤地金彩羊歯文陶箱 やや晩年の作ですが、鮮やかさと強さを感じさせます。
  色絵更紗文湯呑 更紗文は同じパターンを繰り返す模様。ドクダミがよく描かれました。
色絵更紗丸文水指: 水指は茶道で用いられる器。ドクダミ更紗の中に水仙、萩、
セキチクなど四季の花が描かれています。
  赤絵金彩牡丹文壺 金は焼く温度に敏感ですが、和の趣で鮮やかに焼成されてい
ます。
  辰砂葉文ジョッキ
8  辰砂葉文珈琲碗皿 作品7,8ともに桃紅色の辰砂の地に葉が一枚。素朴で心癒や
されます。陶齋の食器は1セット6客がよく見られます。食器は用いられる事を願い心
込めて作られました。
  色絵椿文鉢  鮮やかな赤い椿は陶齋のシンボルです。骨董屋さんでこの作品に出
会い、迷っていた美術館を決心しました。「露結為霜」は露が結ばれ霜になる初冬の現
象を表し、努力によって結実する、の意味があるようにも思われるのですが。
10  赤絵金彩酒器セット 赤に金色の梅。めでたさあふれる酒器です。
11  赤絵銀彩石榴文茶器セット
12  色絵番茶器セット 作品11,12ともに赤を使った茶器セット。陶齋には早い時期
は地味め、晩年は鮮やか、という傾向が感じられます。
13  寸雪庵好雪花文金彩屏風香合 香合は茶道でお香を入れる器。寸雪庵は写真
家濱谷浩の夫人が営んだ茶室の庵号です。夫人のお好みだった雪の結晶が描かれ
た屏風を模した器と考えられます。
14  色絵蕪文皿 赤いかぶの背景の大きな白地は訪れる雪のイメージでしょうか。
15  赤絵金彩秋草文陶箱  作品6と同じ様式の華やかな器です。錦秋が伝わります。
16  赤絵金彩のばら文壺  作品6に似ていますが、文様の味わいは洋風です。
17  赤絵どくだみ文小壺  昭和20年代、陶齋の初めての弟子の独立に際して贈られ
た器です。18 赤絵搔落石榴文壺
19  赤絵搔落石榴文壺 作品18とともに赤い地の表面を削いでざくろを描き出してい
ます。褐色に近い赤が秋の深まりを伝えます。

 

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齋藤三郎写真柏崎昭和26 - コピー
ありし日の齋藤三郎
高い教養と美意識の陶齋は多くの人に人気がありました。

2016年3月 樹下美術館

今年の齋藤三郎(陶齋)は「陶齋の赤」です。

2016年3月1日(火曜日)

暖冬とはいえ昨日から小雪まじりの寒さが続いてます。
いつしか3月に入り、今年の開館15日が近づきました。

先日、今年度の倉石隆展示「倉石隆の朱色」をご案内
致しましたが、本日は齋藤三郎の「陶齋の赤」をお知ら
せ致します。

さて焼き物で赤を得るために鉄を主成分とする釉薬
(うわぐすり)が多く用いられます。
ベンガラ(紅殻)と呼ばれる酸化鉄です。

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真っ赤な地に野ばらを金彩で描いた壺。

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冬の風物詩唐辛子を描いた大きな皿です。

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陶齋のシンボル的な赤々とした椿です。
平成10年頃、この作品と出会って美術館を決心しました。

 

鉄は焼く温度などで黄色、赤、褐色、黒などに変化します。
陶齋はモチーフのイメージによって色を使い分けました。

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褐色がかったざくろを搔き落としの技法で削り出しています。

 

また赤系として陶齋が苦労して会得した辰砂(しんしゃ)が
あります。
これも血色のように濃厚なものから薄いピンク系まで多彩
です。
陶齋は後者の辰砂を得意としましたので今回の展示に混
ぜました。

 

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ジョッキーは品良く親しみ易い辰砂です。

今年の陶齋はこんな風におよそ20点を展示致します。
「倉石隆の朱色」の油絵とあいまって、小ぶりな樹下美
館の館内は赤々とした暖色に彩られることになりました。

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開館の頃はどんなお天気になっているのでしょう。
どうかお楽しみにご来館下さい。

 

信州のお土産 陶齋の変わった署名。

2015年12月7日(月曜日)

信州の実家を訪ねられた方から上田市のお土産を頂きました。
以前掲載しました飯島商店の「みすずあめに二種のジャム」と、うさぎ屋の「くるみそば」でした。
普段から皆様に頂戴してばかりでとても恐縮しています。

このたび貴重なお土産の中で「くるみそば」を初めて見ました。
ほどよい甘さの餡がクルミ入りのソバ粉に包まれたくるみそば。
歯ごたえと香りが楽しめる山国信州ならではのお菓子でした。

頂戴ものは昨日記しました上越市牧区の笹餅と同じように風土の母から生まれた親しみにあふれていました。
それにしましても以前記載しました信州と越後の交流は多様でしたが、人の行き交いも「善光寺参り(越後→信州)」や「海湯治(信州→越後)」などで賑やかだったようですね。

 

025陶齋の湯呑で頂いたくるみそば。

ところで上掲の齋藤三郎(陶齋)の湯呑の底にある署名は以下のようなものでした。

 齋の崩し?「六」に見えますが「齋」を崩していると思われます。

一般に見られる署名は以下のように「齋」が基本でした。

齋の署名「齋」の署名(鉄釉蝋抜きの大きな鉢から)。

ですが湯呑や盃、ほかに徳利や抹茶茶碗などには以下の様な変わった署名が見られるのです。

三本線三郎を表す「三」の署名(抹茶茶碗から)。

点が三つ同じく「三」を表していると思われる「三つの点」(盃から)。

点が四つこれは点が四つ、何を表しているのでしょうか(盃から)。

「候 (そうろう)」を「、」のように記号化したり、漢字を点で表すことはかって一般に見られていました。
良寛の書はよく知られていますし、陶齋にも点を三つ記して「下」と読ませるなどの手紙があります。

昔の人の字に対するおしゃれやこだわりは私にとって一種あこがれの世界です。
それにしましても最後の四つの点はどう読めば良いのでしょうか、もう一度調べてみなければなりません。

力の源としての風土、笹餅、ゴーギャン、作之助も倉石隆も陶齋も。

2015年12月6日(日曜日)

数日続いた風がようやく止んだ本日日曜日、さしたる雨も降らず今時としては穏やかな日曜日だった。

何人かのお客様と話をさせて頂いたが昨年の12月5日には雪が降り、所によって根雪になったらしい。
明日の予報は晴れ、その後も晴れ間を交えてまあまあのお天気が知らされている。
まずは3ヶ月予報通りの暖冬で冬が始まっている。

本日上越市牧区の方から笹餅を頂いた。
笹とヨモギが香ってとても美味しかった。

ところで土地の香りは風土として多大な力を有していて、人々の足下からあるいは背後から衝動や影響を与える。
食産物や観光はもちろん美術、音楽、文学、映画など地域、個人を問わず文化生成に力を及ぼす。

樹下美術館常設の作家、倉石隆、齋藤三郎ともに生まれ育った越後の風土を濃く作品に残している。
倉石隆の人物に現れる静寂や重めの情感、齋藤三郎の冬を起点に春を待ち秋を惜しむ絵付け。
さらに清々しい小山作之助の「夏は来ぬ」は、閉ざされた雪国の冬と表裏をなしているのではないだろうか。
いずれも風土として染みこんだ雪国の生活が芸術の背景となり表出されたにちがいない。

創造、創出、創生、私たちは現況の打開を迫られている。
今あらためて自分たちの風土を振り返り、敏感にその力や貴重さに触れることは意義深い。

流行り物や思いつきで忙しい昨今、頂いた笹ダンゴ、そして本日テレビで見たブルターニュのゴーギャンにも強い風土性を実感させられた。
時代を越えるものには魔力のように土地の力が潜んでいる。

 

013風土の力、笹餅。

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