齋藤三郎(陶齋)

近藤悠三、齋藤三郎子弟の石榴(ざくろ) 父の石榴の絵 父の引き出しと子供の私。

2020年9月11日(金曜日)

現在樹下美術館の陶芸室は、齋藤三郎(陶齋)の「石榴(ざくろ)と秋草」です。
向かって左半分を石榴、右半分を秋草に大まかにわけて展示しています。

展示の最後に参考作品として、齋藤三郎の最初の師、京都の近藤悠三作、石榴の角皿と湯飲みを飾りました。染め付け(呉須の顔料による青色作品)ですが、発色が良く、リズミカルな筆運びに見応えがあります。

 

 

一方陶齋のざくろ作品を見ますと、以下師の作風ととても良く似ています。

 

右の二つの湯飲みが齋藤作品。
軟らかに手首を使ってリズム良く描いています。

もう2点齋藤作品を見てみます。

鼠志野石榴文角皿(ねずみしの ざくろもんかくざら)。21,5×12,2㎝。
鼠色の志野うわぐすりが掛けられた角皿。
やはり石榴は師に良く似ています。7枚展示しています。

 

赤絵掻き落とし石榴文(ざくろもん)壺。入ってすぐ正面にあります。
昭和24年の展示会で父が初めて求めた齋藤三郎作品です。
居あわせた人の話によると、皆でこれは良いと話していたら、最後に現れた父が、手に取るとあれよあれよという間に持って帰ってしまった、そうです。

 

父が描いた上掲の石榴壺の油絵(写真の裏側を描いています)です。
見ていると幸福感が滲み、父亡きあと額を作って入れました。

申し分けありません、父について少し触れさせてください。
明治39年生まれの父は厳格な開業医。猛威を振るった結核医療に取り組み、ベートーベンとシューベルト(主に歌曲)を愛し、齋藤三郎の大ファン。テニスの町柿崎のコートに通い、後にゴルフに転じ、庭では葡萄と薔薇づくりを一生懸命やっていました。
昭和30年代に巨峰が出来るようになると、収穫時期に同業者に配っては喜んでいました。
寡黙で気むずかしい父でしたが、たまに見せる笑顔はまことに甘く印象的でした。

以下は私と父とのことで少々変わった話です。
子供時代の私は父の引き出しが大好きでした。留守を見計らっては開け、万年筆や眼鏡、あるいは懐中時計を分解などしていじりました。たいてい悪戯の痕跡を残してしまい、ひどく叱られましたが、それでもまた続けたのです。
万年筆をいじった挙げ句、ペン先が割れて字が書けなくなったり、分解した時計が元に戻らなくなったりもしました。
ほかに窓際にあった試験管とマッチやアルコールランプを用いてコルク栓を飛ばして遊び、しばしば器具を壊しました。2年くらいは続いたでしょうか、全く落ち着かないひどい子供でした。

叱る父は怖かったですが、殴られることはなく、もしかしたら、舌打ちしながらゲームでもするように、私の相手をしていたのでしょうか。それなら本当に嬉しいのですが、さすがにあり得ませんね。

さて最後にもう一度近藤・齋藤子弟のざくろです。
学ぶは「まねぶ」と言われるように「真似る」のが仕事のようです。近藤悠三に酷似する齋藤三郎の石榴(ざくろ)から、熱心な修業ぶりが伝わります。どうかお暇を見て両者の作品をご覧ください。

上掲しました館内の作品写真はホワイトバランスが上手く行かず、赤味をおびてしまいました。

齋藤三郎(陶齋)秋の展示は「石榴(ざくろ)と秋草」。

2020年9月2日(水曜日)

暑い暑い、と言い合っているうち、暦はするりと9月に代わりました。
酷暑の中、田では稲刈りが進んでいます。真夏と秋とが混ざり合うなか、律儀な台風が勢力を増して接近し気になります。

さて、明日から樹下美術館の齋藤三郎の展示が秋向きに「石榴(ざくろ)と秋草 展」になります。
多くの草花を描いた陶齋は、秋向きには石榴および秋草を好んで描き、当館でも多く収蔵しています。
このたびは、辰砂、赤絵、染め付け、色絵、鉄絵など多様な石榴と秋草の器を展示を、幾分涼しい館内でどうかお楽しみください。


上掲など25点余を展示いたします。

●展示の最後に陶齋の恩師の一人近藤悠三作「石榴文角皿と湯飲み」を加えました。
師弟同士とてもよく似たざくろをご覧下さい。

大変暑い一日、仕事場の上越市大潟区では38,3度まで上昇し、本日日本の観測点で最高となったそうです。
大潟区は時にその日の最高気温になることがあります。
町が砂丘の上にあるため砂漠の現象が顔を覗かせるのでしょうか。

午後の高齢者施設回診のあと在宅訪問を一カ所.、そして夕刻の診療。
出入りの暑さで頭がくらくらしましたが、介護に没頭される皆様を見ては心頭滅却の境地を覚えました。

インターネットで求めた作品と本。

2020年8月21日(金曜日)

樹下美術館は齋藤三郎の陶芸作品および倉石隆の絵画を展示しています。
齋藤三郎は亡父の蒐集を引き継ぎ、倉石隆については自ら作品を集めました。

齋藤作品は今でも時折骨董店や美術商で店頭に出ますが、倉石隆作品は中々商いがありません。
一方インターネットには齋藤作品がたまに出品されることがあり、今まで貴重な品二点を求めました。
いずれもネットオークションで、応札者は私一人でしたので随分安く落札でき幸運でした。

インターネットにおける倉石作品は油彩やデッサンはごく希に出品されることがあるようですが、私はまだ購入したことがありません。
ただ挿絵や表紙に絵筆を執られた書物および記事を執筆された美術雑誌などは古書のサイトを中心に案外出てきましたし、一部はオークションでも求めました。
ちなみに今年の展示で「倉石隆の本」を展示しています。挿絵・表紙に関係した倉石隆の本のうち半数以上はネットを通して購入したものです。
諦めていた古い本に出会える古書サイトは非常に貴重で、今でも時折検索しています。

さて以下二点はネットオークションで入手した齋藤三郎作品です。

 

梅文香盒。髙田における初期の作品と考えられました。
師の富本憲吉ゆずりの梅が一輪描かれた初々しい作風です。
2017年秋、収蔵品図録が完成した後のオークションでした。
間に合っていれば、良い場所に掲載できましたので、大変残念でした。

 

鉄絵椿文皿。
昨年12月のオークション作品で、
昭和30年前後の一種民芸調の作風が魅力的でした。

オークションは市中で商われる価格より随分安いため、時々覗くようにしています。
以上二点とも良い品で、現在の「椿と梅 展」に展示しています、どうかご覧下さい。

ところで、ごく最近倉石隆が挿絵をした「チャイルドブック 昭46年4月号」が手に入りました。
以下本の表紙とご本人の挿絵からです。

林義雄氏の表紙、チャイルドブック昭和46年4月号。
株式会社 1971年4月1日 チャイルド本社発行。

当号に収載された二話から「おめでとう」で倉石氏が挿絵をされていました。
4場面から2つを載せてみました。

愛らしいこどもと、倉石氏には珍しく、細くない〝ふくよか〟な郵便屋さんが描かれています。

4月に新入園するこどもをお祝いする話です。
主として若者から大人、さらに老人を描いた倉石隆。
あどけない幼児の挿絵に出合うと,、ほっとし、今でも驚きます。

当挿絵が描かれた1971年の5,6月に倉石氏は渡欧し、フランス、ベルギー、ドイツ、オーストリアを旅されています。その年の11~12月にはアテネ画廊で個展「もう一つのヨーロッパ」を催され、油彩11点を出品されました。一種エポックメーキングであろう、この時の作品を一点でも収蔵したいな、と願っている次第です。

倉石氏が表紙や挿絵を描いた書物21点を現在展示中ですが、このたびの「チャイルドブック」も場所をこしらえて展示いたします。

現在展示中の倉石隆「挿絵・表紙 展」の一部。

今度こそ開館その2 齋藤三郎(陶齋)の「椿と梅 」。

2020年5月28日(木曜日)

昨日は今年展示の倉石隆作品を紹介させて頂きました。続いて本日は齋藤三郎(初代陶齋)の陶芸作品です。

3月~7月の前半を「陶齋の椿tと梅」展にいたしましたが、コロナに対応し休館のままに二ヶ月半が経ってしまいました。
あと二ヶ月、本日展示25点の作品から一部をご紹介させて頂きまます。

陶芸ホールを入ってすぐ左の展示です。
手前に色絵の椿文壺、向こうは赤絵の椿詩文壺と椿文の筆および香盒です。

 

民芸の味わいを有する鉄絵椿文皿。上越市における比較的初期の作品です。

 

色絵椿文壺。昭和40年代、華やかな椿樹を大らかに描いています。

 

梅文のペンダントヘッドと香盒。
師である富本憲吉の梅が継承されています。
香盒は初期、ペンダントは中期に相当する作品です。

 

手前の酒器は赤地に金彩で梅の枝が一面に描かれています。
向こうの鉢は椿樹を梅が囲む大胆な意匠です。
ともに中期に相当する晴れ晴れとした作品です。

 

向こうは梅枝をあしらった皿6枚。
手前は最初の師・近藤悠三の赤絵と呉巣の描き分けによる梅枝の鉢。
見込みの文字は「壽山萬丈高」でしょうか、参考として展示いたしました。

寿山といいますと、師・近藤悠三に続き、若き陶齋が腕を振るったのが「壽山窯(じゅざんがま)」。
宝塚市雲雀丘で、サントリー創業者・鳥井信治郎が有した窯です。

梅は二人の師、富本憲吉および近藤悠三が好んで描いたモチーフに習って描かれています。椿は、上越市寺町に窯を開いてから独自に創り出した文様で、長く好んで描き、多く愛されました。
時代により花の形状が変わりますし、中頃からは椿樹も描かれるようになりました。

陶齋作品の前期は地味めで一種民芸風、中頃から色数が増えて華やかなになる傾向が見られます。ご自分の好みを考えながら、どうかご覧ください。

 

本日はスタッフで展示準備と庭仕事でした。午後にはコロナの対応を皆で確認をしました。

以下は作業の一部です。

当初から庭にトクサの一角があります。
常緑性ですのが、細いため冬期は雪でバラバラに倒れます。
それで初冬に短く刈ります。
不思議な事に、冬を越すと上部が枯れて白くなり、見た目が良くありません。

 

それで本日、皆で上の枯れた部分を取り去りました。
大変でしたが爽やかになりました。
まじっている植物はこの場所が好きなリンドウです。

 

ようやくカーテンが上がり、呼吸を始めた樹下美術館。

〝良い季節になりました〟

今年前半の齋藤三郎(号:陶齋)。

2020年2月7日(金曜日)

今年の齋藤三郎展示は前半(3月~7月)と後半(8月~12月)に分けて展示致します。
前半は以下のように「陶齋の梅と椿」に致しました。

 

上掲は約30点の展示作品から一部を掲載致しました。

 

梅は二人の師富本憲吉と近藤悠三ゆずりの紋様ですが、椿は陶齋独自に始めました。椿は時代と共に変化が見られ、興味深く思われます。
どうか陶齋の春をご高覧下さい。8月~12月の後半は「ざくろ」と「秋草」をテーマに展示の予定です。

柚子、陶齋の歳寒三友。

2019年12月14日(土曜日)

荒れたり晴れたりをめまぐるしく繰り返す日。暦は12月も半ばにかかり一気に慌ただしくなりました。
そんな日頃に近隣の庭先で黄色や橙(だいだい)の柑橘類の実を見ると心温まります。

過日は柚子を沢山頂き、スタッフと分け合いました。これから茶碗蒸しや熱いお蕎麦にお雑煮などがとても楽しみです。

ところで樹下美術館展示の作家齋藤三郎は柚子を描いていて、美術館にも何点かあります。

 

 

百合や椿などを描いた染め付けの絵変わり皿セット。向かって左下に柚子皿。
和食器は一般的に5客1セットですが、陶齋は6客で設えました。
1客欠けても揃うようにという配慮だと聞いたことがあります。

 

染め付けの青がとても爽やか。

 

こちらは色絵の一枚。師の富本憲吉から受け継いだデザイン。
磁器の白さ、カゴの赤と黄色の実の対比が美しい。

 

この柚子皿は上越市髙田における初期の作品の一つ。
もりもりとしたボリュームが柚子らしい。

上掲の柚子皿には「歳寒酸友」と讃が記されています。この言葉は中国宋代の「歳寒三友」を陶齋らしいユーモアでもじったものです。
歳寒三友とは、古来中国で尊ばれた三つの画題「松」「竹」「梅」のこと。
歳寒は寒さ厳しい時節を指し、そのような折に緑の生命を維持する松、しなやかな竹、香り高い梅の三つが画題として尊ばれていたといいます。またそれらは、高雅風流を愛する文人が冬に友とすべきもの、として親しまれたということです。

当絵皿は、齋藤三郎が髙田に来て未だ日が浅い昭和20年代の作品です。当時の髙田で彫刻家の戸張幸夫及び写真家の濱谷浩と陶齋の三人は「三貧(さんぴん)倶楽部」と称して集まり、安いお酒を酌み交わしては四方山を話したといいます。
皿に書かれた醋友は、酸っぱい友「柚子」であり、一方で貧しかった三人の仲間のことではなかったか、と想像しているところです。
万葉集もそうですが、中国の古事への造詣など、陶齋世代の教養がしのばれまた感心させられます。

話変わって美術館裏の田に生える二番穂を食べる試みは進み、昨日新しい野球ボールがネットで手には入りましたので試してみました。このことも追ってご報告しなければと考えています。

もうインフルエンザ、流行の始まりなのか?

2019年10月2日(水曜日)

熱風で菜園の野菜を枯らした17号台風の後、今週末に18号到来の知らせが伝えられている。

ところで、まだ日中25度を越える日も珍しくない昨今、先週末から数人のインフルエンザ(疑いを含め)の方を診た。
既感染の方周辺から次々生じた四人の発熱者のうち、お二人のテストがA型プラス、他のお二人に疑いを診断した。それぞれの方は発熱前日にだるさや喉の違和感と咳が共通してみられていた。
感染は高齢者ばかりではなく、成人も含まれている。まだ予防意識が低くワクチンが先のこの時期、意表を突く発症に戸惑いを禁じ得ない。

調べてみると東京都内419カ所のインフルエンザ定点報告機関における9月16日から9月22日の報告数が、流行開始の目安となる定点当たり平均1.0人をすでに超え、1,06人になったという報告があった。
例年より二か月早い流行の兆しであり、まさかである。

 年次別の年間感染者数のグラフ(東京都感染情報センターの資料)
定点報告1医療機関あたりの件数。
左の赤い点が今季(2019年9月中~下旬)のマーク、
右上はその部分拡大で確かに例年と異なる。

報告平均と実数から、流行といってもよい状況が窺われる。

 

流行の報道(9月30日のFNNプライムのホームページから)。
例年より二か月以上早い流行と伝えている。

現象が一過性なのか、信頼出来るトレンドなのか判然としない。だが佐賀、宮崎、東京などですでに合計5716人が届けられ、当地でも見られることから偶然ではなさそうだ。

現在、南半球は冬の終わり。まだインフルエンザの流行期に相当している。
近年ますます盛んな南北の往来が原因の一つではないかと指摘され、まさかのラグビーワールドカップの関与も云々されているようだ。
いずれにしても念のため日常のこまめな手洗い、咳エチケット、疲労回避をいっそう心がけたいところ。
このところ不足が問題のワクチン、果たして今年の備蓄は大丈夫だろうか、少々緊張が走る。

陶齋親子展にちなんだお茶席 一昨日期日前投票をした。

2019年7月20日(土曜日)

雨の予報が曇りになり、いっときだけ霧雨が通過した土曜日。
陶齋親子展の催しに関連して隣接の茶室で呈茶を行った。客様は若い女性お二人で、私も末席に座り、妻が点前を、お友達が支援をして下さった。

 

 

 

床は小林古径筆「壽」が掛かり、ムクゲやヤハズススキなど庭の花が宗全籠に入っている。

 

香合は初代陶齋の緑地金彩秋草文。

 

 

窯は西村道也、薄茶器は初代陶齋、水指は二代陶齋を用いた。

 

すらりとして絶妙のフォルムは二代陶齋尚明氏の辰砂細水指。

 

初代陶齋三郎氏のどくだみ小壺に柿蓋を付けた薄茶器。

 

煙草盆の火入れは初代作、染附湯飲みを見立てで用いている。

 

お出ししたお茶碗。左に陶齋「弥彦鉄鉢茶碗」、中央阿牛「掛分釉幾何学茶碗」
右鈴木秀昭「色絵金銀彩綺羅星茶碗」

台風が近づいているらしく、蒸し暑かった本日。軽めにクーラーを点けた茶室に清々しい時間が流れた。
本日はお二人のお客様でしたが、たとえお一人でもお点前を致しますので、ご希望の方はご遠慮なく樹下美術館の窓口やお電話025-530-4155で申し込み下さい。

 

参院選挙の運動期間が本日で終了、明日投票日となりました。
「比較的近くにある恐ろしい柏崎原発を止めて欲しい」、「精神の拠り所である憲法を大切に守って欲しい」、「安心して自らの信条に従える社会であって欲しい」、と心から願っています。それで一昨日、期日前投票に行き、これらに叶う人がいましたので投票してきました。

後半が始まった樹下美術館館内。

2019年7月18日(木曜日)

本日7月18日は、陶芸の齋藤三郎・尚明、親子展の初日、そして上越小林古径記念美術館からお世話頂いている倉石隆作品の最終展示の初日。
当館の展示イベントは大抵静かに始まる。
本日も例に漏れず普段と変わりなく淡々と過ぎた。淡々としたなか、ご覧になった方から倉石隆の油彩の迫力、陶齋親子の白磁の世界の清々しさなど、良い反応を頂戴して手応えを感じた。

 

本日の絵画ホール。それにしても2メートル近い「さとうひさこの肖像」は迫力がある。

陶芸ホールに尚明さんの大きな鎬(しのぎ)壺を置いてみた。
絵画と陶芸作品が互いに引き立て合っているように感じられる。

以下は本日の陶芸ホール。
梅雨の候、館内の清々しさからあらためて白磁メインにして良かったと思った。

 

 

 

本日午後、在館中に古径記念美術館から宮崎館長さんがお見えになった。このたびの倉石作品貸借を通して館長さんにはとてもお世話になっている。また自己流を否めない私たちは、美術の専門職の氏に接するだけで色々勉強をになる。さらに氏の地域を耕そうとされる明るい姿を見るにつけ、元気を頂戴している。今後とも仲良くさせて頂ければ大変有り難い。

また本日10年ぶりの懐かしい人が見えた。昭和62年からともにお茶の稽古に通った亡き渡辺宗好先生門下のNさんだ。お話ししながら習いたてで、うぶうぶしかった頃の稽古、さらに庭の雨やお茶室を通った風の気配までふと蘇るように感じた。

 

カフェの向こうに女王カシワバアジサイ。
雨の中、臣下にキキョウ、さらに黄金オニユリが加わった。

昼は晴れ間もあったが夕刻からしとしとと雨になった。こんなによく降る梅雨も珍しい。

明日からの展示替えが終了した。

2019年7月17日(水曜日)

明日から樹下美術館では以下のように新たな二つの展示が始まります。本日休館日の水曜は明日からの準備に追われました。

●●●7月18日から8月27日まで、陶芸ホールは夏の特別展「齋藤三郎・尚明  陶齋親子展」です。
“麗しの白磁、親子の格調”と謳ったサブタイトル通り、端として爽やかな白磁作品が並びます。
亡き父三郎氏とその子息尚明氏という明らかな血統が、同一の芸術なかんずく同一の陶技「白磁」で饗宴する試みはとても貴重なことではないかと期待しているところです。

 
以上は展示の一部です。実際の展示は24点34ピースで、ともに青磁が1点ずつ加わります。

驚くほど大きな作品から手のひらに乗るものまで、どうか白い器に込められた親子の魂と渾身の技をご覧下さい。

 

●●●3月の開館以来、絵画ホールでは今年の特別展「倉石隆の大型油彩」として上越市立小林古径記念美術館のご協力を得てホール中央に迫力ある大きな作品を展示しています。
期間は半年に亘り、2ヶ月ずつ3回の展示更新でした。
このたびは最終回で7月18日(木)~9月10日(火)まで以下の三点を中央に架けます。

このほか樹下美術館収蔵作品で、かって新潟日報の文芸欄に掲載された応募「コント」の倉石氏による挿絵原画を展示しています。

 

「Kの肖像」 1973年 154,4×112,6㎝
上京後24年、57才の倉石氏ご本人の肖像と考えられます。
真っ直ぐ前を見る肖像から力に満ちた真剣な表情が伝わります。
この頃から人物画への取り組みが本格化するようです。

 

「奇術師」 1981年 98,2×78,2㎝
盛んに裸婦像を描いていた時期です。
若い女性をシンメトリーを効かせてバランス良く描いています。
モノクローム作品は黒いバックによって身体の白さをより際立たせています。
薄いヴェールを手に、無垢な女性は自らの人生に魔法を掛けようとしているのでしょうか。

「さとうひさこの像」 1965年 193,0×135,9㎝
ホールに架けますと、下端が床に着きそうなほど非常に大きな作品です。
佐藤久子は家政婦さんだったと聞いたことがあります。
彼女をモデルとしてとても気に入り、知る限り3点の油彩を残しています。
丁寧に白の地色を重ね、黒の明解な線で輪郭を描き切っています。
斜め向きの位置が彼女をより立体的に、より具体的に見せていると思います。

以下二葉は本日の準備の様子です。

 

小さな美術館ですが、精一杯の準備をいたしました。
どうか真夏のひとときを樹下美術館でお楽しみください。
夏の庭を眺めるカフェも気軽にお使いください(カフェだけのご利用もできます)。

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