館長の作品。

いもけんぴの絵

2011年9月6日(火曜日)

本格的に学んだわけではないが、ふとしたきっかけで絵を描きたくなることがある。植物水彩画(ボタニカルアート)は10数年前のテレビがきっかけだった。

 

樹下美術館を開くに当たって倉石隆氏の絵画に接すると油彩を描いてみたくなった。それで2007年の秋か冬に絵の具とキャンバスを買い、たまたま目の前にあったイモケンピの袋を描いた。油彩は何十年も前、うまく行かなかったが数点描いてみた。

 

4年前のもの いもけんぴの絵、4年前のもの(指の跡などもありとても完成とはいえませんが)。
 F-SM(22,7×15,8㎝)サイズの小さな作品です。

不思議なことに何か描こうとすると必ず口笛を吹きたくなる。描くのが好きなのだ、と思う。せわしない時間なので、この時はA5サイズの小さなキャンバスに黒のマーカーで輪郭を書いて色を塗った。教則本を斜め読みしてばたばたと始めるので、描いたり消したり当然上手く行かない。

いい加減に描きながら偶然気に入った部分が生じるとそれに合うようにほかも進めてみるやり方しか出来ない。第一回のけんぴは途中のまま、いづれまたと言って止めてしまった。

 

それを一昨日日曜日から新たなキャンバスで描きなおしを始めた。芸術の秋は不肖私などにも当てはまるのか。 

現在二日目の絵 
どうなるかさっぱり分からないまま現在描いているもの。
右肩の上がり過ぎが気になる。

 

今回のをなんとか形にして10月長岡開催と聞いている「アート&アーティストの底力展」のチャリティに再び参加してみたい。 

 

去る8月の柏崎における第一回同展では、実行委員をされた堀川紀夫先生にお願いして「椿の蕾」の小品を急遽参加させていただいた。4000円の値をつけたら売れたということで嬉しかった。

マツモトセンノウ

2011年6月12日(日曜日)

虫が大好きな花、マツモトセンノウが咲いている。虫だけでなく私も好きだ。

 

この花は少々陰のある場所が合うようだが、コントラストが強く、やや奥まったところに居てもかなり目立つ。

 

夏、薄い色彩だけが涼しいのではなく、強く濃いものもハッとさせられそれなりに涼しい、と教えられる。

 

 

マツモトセンノウ絵 
マツモトセンノウの絵,色が薄めの種類
マツモトセンノウの写真 
マツモトセンノウの写真

 

左の絵は10数年前に描きました。葉に白をかけたらビロード状の感じが出て、自分でも気に入っていましたが、ある人の所へ行ってしまいしました。

 

はじめての日曜日

2011年2月20日(日曜日)

個展はじめての日曜日、午後になると切れ目なくお客様が見えられた。

新聞の記事を見て来た、という方が多くてその影響を実感させられる。NHK新潟放送局が3月1日の情報番組で放送するという。スタジオの出演を乞われたが、平日なのと恥ずかしいのでお断りした。作品の紹介などはちゃんと放映して頂けるということで有り難い。

 

1 2
3

 個展とはいえ、上越代表で頑張るぞ、樹下美術館は頑張るぞ、という気持ちがしてきた。あと38日、作品も頑張れ。

花の命を描く展の搬入 新潟空港に流れる時間

2011年2月17日(木曜日)

花の命を描く展に向けて午前にスタッフと妻は知足美術館へ50点の作品と配布物を搬入した。午後の休診日を利用して自分も駆けつけた。

館長で(株)キタック社長中山輝也さん、副館長佐藤和正さん、ほかスタッフの皆さんにはとても親切にしていただいた。素晴らしい会場で、小生の絵は幾分上がり気味、おいおい大丈夫か、と心中つぶやいた。

とにかく始まる。ご来場者さんに少しでもお楽しみ頂ければこの上なく、ご期待外れの段は何とかお許し頂きたい、と思う。

1
3
5
7
2
4
6
8

展示作業を終了して夕刻の空港を見に行った。飛行機は変わっている。静かに洗練されていたかと思うと、轟音と共に飛び立つ。発着を中心に空港は緩急の時間がほどよく流れ、到着の機体に春の香。
昭和50年代以後、飛行機に乗ったことがない。しかしそれ以前7,8回の搭乗はいつも胸踊った。

しばし港に佇めば

かたや入り船はた出船

 ひととき船が絶えたなら

 思い出などが出入りする

場内で妻と夕食を食べて帰ってきた。さすが新潟だった。

以前のノートで知足美術館の位置を県庁の西200メートルほどと記しました。しかし本日伺ってみますと4、500メートルはありました。謹んで訂正させていただきました。

西王母も始めてみた

2011年2月16日(水曜日)

 小生の新潟市における『花の命を描く」展が近づいた。私の作品などで本当に大丈夫なのか不安は尽きない。失敗でも失うものはたいしてないが樹下美術館と医師の名だけは汚せない。両方とも案内にしっかり書かれているので逃げ場はなくなった。

 

西王母 西王母(せいおうぼ:つばきの一種)に手を付けて

 

 先回書かせたいただいたタチツボスミレが一応形になって額装ができた。搬入の17日(木)にまだ日があるということで数日来西王母に手を付けている。西王母は6年ほど前に医療界のある要人に差し上げて手元にない。上越地域医療センター病院の医師招聘のお願いでご挨拶に持参した。

 

 このたびの期間中に販売する拙画絵はがき22種に西王母は入っている。しかし展示に現物が無いのは寂しかろう、とてあらためて取り組んだ次第。

 

 ところで10年前の網膜剥離以来、物が二重に見えるようになった。車のテールランプは四つ、月は垂れ下がる。制作の際はルーペで何とか見えるが少々きつい。

 

 さて作品展は批判もあろう、しかし41日の期間も始まればあっという間にちがいない。新潟市ではよく宣伝されているようで、会期中私に会ってみたい、いつ来るのかという問い合わせがあると聞いた。嬉しい知らせだが、年と共に人にお会いするのが次第に恥ずかしくなった。

タチツボスミレの絵

2011年2月6日(日曜日)

 今月18日から小生の拙画展「花の命を描く」が始まる。手持ちの絵が40点、お借りしたのが約10点ほどで臨む。新潟市の美術館で40日もの作品展は恥ずかしく、かつ不安だ。

 

 話戻って、平成12年5月末、上越市大嶋画廊の初めての作品展で一部を売った。どの絵も苦労したが、特に分身のように実感したものは全て非売品とした。

 

 ところが非売品とわかっても、欲しいと仰っる方がいらした。先輩やお世話になっている方に7,8点出て行き、名残惜しかった。万一を考えて、今後作品展などの時にはお貸し下さい、とお願いした。ある絵は小布施の老舗に飾ってあったと聞いて有り難いと思った。

 

タチツボスミレ 
およそ7時間でここまで、今後根と全体を仕上げるまで祈るような気持ち。
 

 そんな皆様のおかげでこのたび何とか展示規模に届いた。しかし中にお一人、もうどこへ仕舞ったか分からなくなりました、というお返事があった。どうしてもと仰った先輩だった。始めてから3年目の春に描いたタチツボスミレは、小ぶりながら気に入っていた。

 

 画像はスキャンしてあり、輪郭線のトレース紙もあったので昨夜から再挑戦した。当時のようには行かず、試行錯誤の連続。原画は根を水に浸して見ながら描いたので迷っても到達点が見つかった。しかし画像だけ見て行うリメイクは難しく、少々きれい過ぎる観もある。 

 

  大嶋画廊以後の10年間で新たに描いたのはわずか8点。描いていた言い訳になるだろうか。

 

 お借りした昔の植物画(ボタニカルアート)

2011年1月31日(月曜日)

 豪雪の1月が終わる。明日は私の誕生日、妻の都合で今夜セーターをもらい小さなケーキを食べた。何かと粗忽な自分はかって一年間、年を間違えて過ごしていた事があった。ずっと58才だと思って過ごし、迎えた誕生日に「58才おめでとう」と言われて驚いた。

 

 一瞬冗談かと思い、今生まれたような、あるいは死んだばかりのような、不思議な気持ちに襲われた。

 

 今日は第一印刷所さんが来て陶齋の図録原稿を持って行かれた。昨年6月の予定が7ヶ月も遅れた。何度も校正させてください、と伝えた。たぶんそうなるにちがいない。倉石氏の分も峠を越えた、もう少しだ、頑張ろう。

あまどころ紅葉 あまどころの黄葉 A3サイズ 下は部分、実はアオツヅラフジ

部分 
 

 ほおずきと山芋の実 
ほおずきと山芋の実 A4サイズ 下は部分

ほおずきの部分 

 

 さてそうこうしているうちに小生の拙画展(水彩による植物画)が近づいている。レセプションはどうしますか、と主催者に尋ねられたが止めます、とお答えした。

 

 上に掲げた作品はいずれも2002年、上越市大嶋画廊における作品展のもの。その時50余点を展示して20点ほど販売した。安かったので一日で完売し、利益はある介護の会に寄付した。このたびは展示のために何人かの方からその時の作品をお借りした。
 写真はそのうちの二点。皆さんには感謝を禁じ得ない。

 

 今見るとよく描いたな、と思う。当時も、二度と描けないだろうと思いながら描いていた。

バラの花の絵 その3

2010年12月18日(土曜日)

 雪は止んだが季節風が息をしている。このところデイサービスで倒れた患者さん宅へ毎日通っていた。ここへ来て小康が現れ、尿が出はじめて食べ物を口にされるようになった。

 終了1218 
 影のグラデーションは白を少し加えて伸ばしました。

 

 12月に入って描き始めたバラの花の絵その1バラの花の絵その2、を完成としました。恥ずかしながらこれを上越医師会報の1月号表紙と年賀状に使うつもりです。特に年賀状に間に合ってほっとしました。

 

 ところで来年のことですが、2月18日(金)から3月30日(水)まで新潟市で小生のボタニカル画作品展が開かれます。場所は県庁の近く知足(ちそく)美術館です。今回の拙バラも細い金縁をあしらった楕円マットを付けて出展するつもりです。

バラの花の絵 その2

2010年12月12日(日曜日)

 去る12月5日のノートに、恥ずかしながらバラの花の絵その1を書かせていただきました。昨夜はその続き、つい先ほどまで彩色をしました。薄い絵の具を少しずつ乾かしながらやりとりして描きます。
 今回は分量が少ないので乾かす時間を節約して二枚並行して描くことにしました。

バラ1 

バラ2 

 小生の拙絵、特に彩色は全くの独学です。色を塗っては消し、乗せてはぬぐうを延々と繰り返します。今日は3時間でやっと掲載のところまで進みました。 

 以前花に比べれば葉を描くのは難しいと書いたことがあります。しかし今回バラを描いてみてそうではないことがよく分かりました。バラは花びらの美しいたわみや反りによって特に影が容易ではありませんでした。

 

 年賀状と一月号の会報表紙向けですので、あと一週間で描かなければなりません。 

バラの花の絵 その1

2010年12月5日(日曜日)

 上越医師会報一月号の表紙の番が回ってきました。一昨年は白花デンドロビューム、昨年は椿の蕾を描きました。今年は夏にスケッチしたバラに決めて作業を始めました。うまく描けたら年賀状にも使うことにしています。時間が少々足りませんので花だけを描くことにしました。

 

 ところで拙ブログには植物画やボタニカルアートの検索から入って来られる方がよくあります。水彩画ボタニカルアートは思ったよりも難しく検索して研究されているのかもしれません。

 

 ボタニカルアートの困難のうち、前半の転写部分を上げてみました。
①本画となる厚いケント紙(ボード)には余分な鉛筆の消し跡などは残せない。
②そこでスケッチから得た輪郭線のボードへの転写には工夫が要る。

 

 今日は小生が行っているスケッチ→ボードの転写を説明してみます。昔の教則本にはトレーシングペーパーからボードへの転写は、トレース紙の裏を鉛筆でこすり、その上から輪郭をなぞってボードに写す方法が書かれていました。これですとボードが鉛筆の粉で汚れますし、それを落とすための消しゴム跡が彩色作業に不都合な影響を残しました。

 

 そこで画材屋さんに色々相談して、着物の型どりなどに用いるチャコペーパーを使うことにしました。チャコは水で消える性質があります。ボードに転写したチャコの輪郭線をペンシルでなぞって写し、余分なチャコは水筆で消すという方法を続けています。チャコペーパーは画材屋さんで求め、黒もあるようですが、私は青を用いています。

 

 パソコンが発達した今日、方法はとても原始的に見えます。しかし私の不明かもしれませんが、厚いボードに輪郭線をコピーできるプリンター技術を知りませんので現行を採用しています。作業は少々厄介ですが、工芸風の過程は嫌いではありません。

1スケッチ 
スケッチ
2輪郭線
輪郭線をトレーシングーペーパーに

3ボードにチャコペーパーとトレーシーペーパーを載せる
ボードにチャコペーパーを乗せ、その上にトレース紙を乗せてペンシルでなぞる。

4ボードに写し取ったチャコの輪郭線
見づらいですが、ボードに転写されたチャコの輪郭線。
5チャコの輪郭線をなぞる
ペンシルでチャコの線をなぞる 
6チャコを消してなぞった輪郭線だけ残す
水を含ませた筆でチャコを消しさる 
   

 スケッチは当初から一般の半紙(コピー紙)に描いています。画用紙にくらべればはるかに消しゴムが良く効くからです。スケッチはBの鉛筆で、トレースや転写には0,3㎜のシャーペンを使っています。そもそもモチーフには輪郭線などはありませんので、リアリティを高めるために出来るだけ細い線をと思っています。 

 

 今回は茎や葉を省略しました。厳密にはボタニカルアートと言えないかもしれません。また表紙や葉書のサイズを想定して上方の花弁を低くしましたら少々迫力に欠けました。我が手のけがれを反省して書き直すつもりです。

 後日、彩色から掲載してみます。彩色はいつも自信がなく戸惑います。

2025年4月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

▲ このページのTOPへ