食・飲・茶・器

週末は名古屋と豊田市へ 本日は名古屋の分です。

2025年3月30日(日曜日)

昨日午後から名古屋一泊で豊田市へ。
「生誕120年 人間国宝 黒田辰秋-木と漆と螺鈿の旅-」展を観に行った。「参りました」と言うほか無い木工の王・黒田辰秋。今もなお、いや、さらに高みで静かに力強く存在する人の大展覧会は京都国立近代美術館を終えて愛知県豊田市へ来ている。

数ヶ月前に妻がテレビで観て教えてくれた黒田展。何が何でも行かなければならないけれど、当地から豊田市行きは不便で珍しい名古屋一泊は必要かつ楽しみな行程だった。昨日午後、上越妙高から東京周りの新幹線で名古屋へ、午後5時少し前に着いた。

何処も閉まり、観るだけの名古屋城は開いていて桜も咲き始めていた。珍しい事に名古屋市はタクシーがとても多く移動は便利だった。

髙田の様にぼんぼりは
賑やかではない。

見事な枝垂れ桜の一角。

まじまじと城を観るのは初めて。
高く立派な石垣、重厚な天守閣。
夜の方がきれいではないだろうか。

ぐるりと城を回ったあとタクシーさんに聞いた界隈を歩き、食事処を探し、目に付いたお好み焼きに入った。
場所は宿の近くの納屋橋。堀川の両岸は「なやばし夜イチ日本酒祭 2025」というイベントで、屋台とキッチンカーがずらりと並び、若者達で一杯だった。

洋種の店もあった。

入ったお好み焼き屋はコンクリートのエントランスに水が流れるお洒落な作りで客もまた若者主体だった。

お好み焼きは50年以上も前の東京時代、先輩に連れられて蒲田で一度だけ食べた。器用な先輩は「エヘヘ」と笑いながらヘラでパンパンと叩くや鮮やかに返した。
作る前までは一人前の手付き。

何かまとまりがない。

自己流だが美味しい。

昔の先輩を思い出して作ったがかなりばらけ、一生懸命寄せ集めて食べた。

とても冷えた名古屋の夜、心身温まり楽しいひとときだった。城の行き帰りはタクシーを使ったが家から数えて9000数百歩は歩いていた。

次回は翌日午前の名古屋市徳川美術館と午後の豊田市美術館を記載予定です。

キーボードにお茶をこぼした日,患者さんを送る 同じ日に時代劇の八幡堀が二篇 最近の夕食から。

2025年3月11日(火曜日)

近時手にしたものを落とす、あるいはこぼす事が多くなった。
私の場合、左手親指の付け根の痛みが原因の一つだと考えられ、長年のゴルフによる結果ではないかと思っている。

人より骨が細いのに60年はやった結果で、この程度の問題は甘んじて受けなければならない。当座は指の問題だが全体では老化現象に違い無い。

というわけもあり、本日午後番茶を淹れ(パックですが)、湯呑を手にしようとした瞬間卓上にひっくり返し、こともあろうパソコンのキーボード直撃だった。
買い換えたばかりの品がびしょ濡れ。ティッシュペーパーを当て、壁に向かって強く振って水分を飛ばし(左手親指は痛かったが)、ドライヤーで裏表を温めた。完全に乾いたとみてパソコンに繋ぐと全く問題無く回復していた。事は不運だが何か幸運があったのかもしれない。

本日ELECOM社製と知った
4980円のキーボード。

さてそんな夕刻、まもなく終了という時間帯に救急扱いが必要な高齢者さんの事例があった。病院連絡と紹介状を書いたが、必要なタクシーは1時間待ちで家族の到着までは3,40分かかるという。本人の身支度やスタッフの帰宅時間もあったので私の車で一旦自宅まで送った。道中話も出来て良かった。

患者さんを乗せたり、救急車の同乗は忙しい昔に何度かあった。事案によっては周囲にそれ向きの人がいても、自分がさっさと行うのが簡単で結果も爽やかなことがよくある。

昨日のことで恐縮です。夜、二つの時代劇番組でそれぞれ近江八幡の堀の場面があった。

「柘榴坂の仇討ち」の八幡堀
(原作:浅田次郎「沈まぬ太陽」から)

明治維新後、安政の大獄に関連して主君が命じた仇討ちを「侍の本懐」として敵を探索しては実行する中井貴一演じる主人公。最後の仇,阿部寛役の侍は車夫に身をやつしていた。長い斬り合いの結果勝負は付く。
しかし侍は主君の「懸命に生きるものは殺すな」の言葉どおり車夫を許し「新しい時代を共に生きよう」と和解する。時代背景と内容が悲しくも美しく、胸打つ物語だった。

もう一篇はいつもの「鬼平犯科帳」
八幡堀は本当に時代劇で人気だ。
今冬ここへ寄ってよかった。

最近の夕ご飯。

マガレイの煮付け(下)と豆腐とコマツナの
炒めもの。
同じ魚でも宗八鰈よりも美味しい。

20年も昔には春になると地でも見事なカレイが採れて、毎年漁師さんが下さった。その方は亡くなられたが近年カレイはさっぱりダメになったと耳にしている。

 

カモ南蛮(上)とトマトの卵炒め。

大分県佐伯のフルーツトマト ジョージ・シャーリングの「まるで春のよう」

2025年2月25日(火曜日)

連日断続した雪は止み長い寒波は去った模様。今後週末に向かって気温が上がり12~13℃と予報されている。
いつもは短い2月だがしつこく雪に見舞われたせいか長く感じられ不思議な気がする。

こうなると融けるのも早そうで、3月になったら早春と言ってみたい。

さて知人からご家族が大分県で関わっているフルーツトマト「朱朱」が送られてきた。
粒ぞろいで中ぐらいの大きさ。口にしてみると甘味と風味が一緒になってとても美味しい。

 

色香り、味、三位一体の美味しさ。

皮が少し固めだが食味といえるし、中にいっぱい詰まった栄養をしっかり守っているようで決して悪くない。歯ごたえや風味が口に残るためすでに癖になりそうだ。


ジョージ・シャーリングの
It Might As Well Be Spring
「まるで春のよう」の邦題。

一昨日ある人が、もうこれで寒波も冬も終わりでしょう、と言った。自信たっぷりだったので本当かなと思ったが、彼の言うようになってきた。

上掲のピアノの導入と最後は小鳥たちの声であろう。懐かしいジョージ・シャーリングは全盲だったので鳥の声が好きだったにちがいない。彼のピアノは常に優しく、学生時代、ジョージ・シャーリングと口にしただけで“何を柔な”と言われそうだった。

寒波は峠を過ぎ小林古径記念美術館へ 昼抜きの食事例。

2025年2月9日(日曜日)

2月2日立春ころから始まった今冬一番の寒波が本日ようやく峠を越えた日曜日、小林古径記念美術館の「花にまつわる物語展」に行った。

除雪された雪は道路の両側に1,5メートル前後積み上げられてはいたが路面はきれいに現れ交通はスムースだった。

雪に降り込められていると美しさと新鮮さの美術館は別天地の如く感じられる。以下に印象的な作品を並べてみました。

小林古径による志賀直哉の小説題字と朝顔の扉絵。朝顔の色がなまめかしく、雪の時期に観るとハッとする。

古径さんが絵付けした湯呑。古径さんの器で熱いお茶を飲んでみたい。

かつてまちかど交流館で見た峯田敏郎の「白い百合のある庭」が入り口で迎えてくれた。穏やかな朱色の配分が清々しく、心込められた百合が愛らしい。

1896~1970年の上越市出身画家、斎藤俊雄の屏風。前年東京でみた田中一村を思わせる南国の画風。思いっきり良くかつ鮮やかで、とても雪国出身者の作品とは思われなかった。

エミール・ガレのガラス作品セット。うす褐色が施された透明硝子の花模様が軽やか。

同じくガレ作品。アール・ヌーボー趣味満点の上品さ。

北大路魯山人作の金彩に四季の花が描かれた10枚の皿セット。カットしたお肉に野菜の煮込みなどを分けて取ったら幸福であろう。

お馴染み齋藤三郎作品。手前の壺は青空を背景に辰砂のモクレンが美しく、もうしばらくすれば当地もこのような春が来よう。

齋藤三郎のお弟子さん、志賀重雄作品。黒釉に蝋抜きを思わせる筆で梅が描かれている。夜の梅は夜桜とは異なる粋な風情がある。

お馴染みの東洋越陳人は堂々の屏風。こうして美術館に展示されているのを知った天国の作者は喜んでいるに違い無い。

以下は本日の夕食と朝食です。

夕食は肉入りの熱いお蕎麦。

野菜炒めが付き。

ポテトサラダも。
ちょうど6時頃から
一時間少々かけゆっくり食べます。

昼食抜きの生活になって3年半が経った。因みに以下は本日の朝食です。

あずきが入った玄米ご飯、脱脂ヨーグルトにブルーベリーソースをかけ、家で採れた金柑の砂糖煮が二つ(金柑は皮だけ食べます)。かって野菜もありましたが、何か面倒なので最近止めました。もともと飲めない人間ですが、10年ほど一切アルコールを口にしていません。

朝・夕の食事前は気持ち良くお腹が空きますので身体に良いのではないかと感じています。

ああ近くに居たかった 鮎の甘露煮と百人一首最中。

2025年1月19日(日曜日)

本日日曜日も穏やかに晴れた。午後、庭に使う用土を買いにホームセンターへ出かけた。昨年秋から庭全体に肥料入り用土を蒔いているがまだまだ足りない。

本日芝生の目土3袋、花の培養土8袋を求めた。それぞれ小さめの14L袋11個を台車に積んだ。台車は一杯いっぱいになった。支払い後車まで運ぶ途中、溝のようなヘコみでガタンと音がして台車が前にひっくり返った。台車を起こしたところで遠くからスタッフが走って来て、車に載せるまで手伝ってくれた。

さて連日の鳥(ハクガン)です。今日はホームセンターへ向かうのに田を見ながら走った。午後2時半過ぎた頃、高く飛ぶ雁の大きな群を見た。双眼鏡を覗くと大半がハクガンだった。

車の向きを変えて群を追ってみた。雁の方向は朝日池で、車の私はあちこちの道をジグザグに走らざるを得ない。車が池に近づく頃、群は池の西端、米山に向かって手前の狭い部分を旋回していた。低く何度も回る。おそらく近づく前に下りてしまうだろうと考え遠くから望遠で撮った。

頭上を通過する群。

遠くからだったが以下の写真が撮れた。

湖上を旋回する群。

ここに居た方たちにとって
光景は奇跡だったに違い無い。

 降る如く舞う如く何度も旋回。

ああ羨まし、大きな群だった。せっかく舞ってくれているのに私は遠くから、しかも遅れて撮らざるを得なかった。普段のねぐら入りは17時前後であり、明るいこの時刻に現れるのは滅多に無い。池のふちにおられた方達は何と幸せなことだったろう。

因みに群の近くに居たのは大抵地元の人か撮影をしない観察者さんだ。一方普段三脚に大望遠レンズで撮る遠来のマニアさんたちはやや遠く東の方で構えている。車の数は数十台はあった。今日ばかりはここで待っていた人達が大変な幸運を掴んだと言える。

さて昨夕は京都、滋賀旅行でお世話になったAさんご夫妻から届けられた見事な鮎の甘露煮を食べ、本日は百人一首歌留多の最中を頂いた。

皺一つ無い見事な子持鮎。
美味しくてほっぺたが落ちそうだった。

百人一首の札が上下2枚の皮となって一包みされている。それにさお状になった甘い餅が入った小豆あんを切って挟む。
高校時代、一時家で百人一首が流行り、母に習って「むすめふさほせ」などを覚えて楽しんだ。このたびお菓子といえど札通りの図案はとても懐かしかった。

本日はせっかく紫式部の「め」で最中を作ったのに撮る前にバクリと食べてしまった。歌は「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」だった。幼なじみとの短い出会いの名残惜しさを雲隠れする月にたとえた歌だった。しかし私の式部最中(もなか)は巡り会うなり即お別れだった。

そこで二つめの河原左大臣(かわらのさだいじん)「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」」を作って食べた。
「しのぶもぢずり」は福島県信夫地方の染めによる衣のことらしい。“もじずりのように乱れた私の心はあなたのせいです”と歌っている。

その昔、「しのぶもぢずり」の意味など全く分からずに遊んでいた。しかし意味不明の変わった言葉でも、かえって頭にこびりつい長く忘れずにいることがあるんだと思った。
※河原左大臣は嵯峨天皇の皇子だった人。

美味しい鮎、楽しい最中、京・近江の文化を有り難うございました。

京都滋賀の旅 最終日は延暦寺。

2025年1月8日(水曜日)

4泊5日の京都滋賀旅行は本日延暦寺を参拝して終わる。この日は延暦寺のみなのでいつもより遅く出発した。

初めて来て色々お世話になった山科駅。

この度はケータイにSuicaを入れてきた。初めのうちは不慣れだったが、次第にさっさと改札出来るようになった。ちなみに全部で13回の改札、4670円を電車代に使った。
一方タクシーは12000円ほど乗っている。がめつく言うと二人とも昼食を摂らない分およそ2600×4日=9200円を節約できているので、一定分タクシーの埋め合わせにはなっている。

比叡山ケーブルカー坂本駅。
京阪電駅からバスで10:30ころ到着。

昭和2年に建てられた駅舎は国の有形文化財に登録されている。

縦長の窓や灯り
が文化財的。

窓外にはうっすらと雪。

時々現れる晴れた琵琶湖を眺めながら11分で延暦寺駅に到着。

ベンチの雪。

鐘楼のある階段上から見た
改修中の根本中堂。

護摩祈願が行われる根本中堂は2026年まで10年がかりで大改修中。受付で二人分の祈祷を申し込む。ともに「家内安全」と「健康祈願」にした。間もなく暗い堂内で20人分ほどの護摩祈祷が始まった。
私達はやや高い所の椅子に並んで座る。不動明王を祀った祭壇の前に僧が座り読経を始める。こちらから見えないが6、7人の若い僧が堂内に居て経を唱和する。
祭壇に小さな火が灯され、僧は経を唱えながら絶え間なく印を結び法具を操る様子。大勢の僧の唱和が堂内に響き荘厳な雰囲気になってくる。前段は辺りを清め、不動明王をたたえながら呼び寄せる儀式と思われた。
読経の響きが高まると護摩の火は一段と大きく立ち上り明王が現れたらしい。
祈願を申し込んだ者の県と名、祈願内容が読み上げられていく。終盤、私達一人一人の祈祷になった。祈願を書いた護摩木が焚かれあらためて炎が立ち上った。唱和のなか何とも言えぬ有り難みがこみ上げ胸が熱くなる。終わってお札とお守りを一式もらい暗い堂から出た。妻は目を赤くして感動したと言った。

護摩供養
延暦寺ホームページから。
まさにこのように見えていました。

外でずっと梵鐘が鳴り続けている。祈祷を終えて鐘楼へ行くと次々に参拝者が撞いていた。

  お年寄りがお孫さんとおぼしき人と
撞くと、拍手が起きた。

私達も列に並んで撞いた。

さて以下は昭和30年(1955年)秋中学二年生の秋に行った関西修学旅行における延暦寺・根本中堂の写真です。
当持は二眼レフが大流行。みな親にせがんだカメラをぶら下げて歩いた。私は父に連れられ柏崎のカメラやさんで買って貰った。

如何にも山中の寺院に見える。
周囲は狭いが正面はどうだったのだろう。

根本中堂は大きくて恐らく二眼レフには入りきらなかったのであろう、右手に回って斜めから撮っている。

比叡山を占める延暦寺は150余の堂塔があり、世界文化遺産になっている。この日他にも魅力的な所があったが、護摩祈祷を受けたあと鐘を一つ撞くと晴ればれとしてしまい、他所を見ることなく下山することにした。

早いか遅いか、長いか短いか、歳月はどちらも合っている。修学旅行から70年近く経ったが、振り返ってただ一言“何とか生きて来ました、本当に有り難うございました”としか言えない。

足を揃えたらと言われて
撮ってもらった。

 

敦賀駅で。
新幹線が逞しく見えた。

私達の旅行は不思議と買った切符よりも早く帰ることになる。このたびも買い換えた。

どっとお腹が空いたので京都で買ったお弁当を車中で食べ、帰宅すると延暦寺のお札を並べて妻作のはりはりとお蕎麦を食べた。

はりはり。

祈祷と祈願のお札、それとお守り。
運転、作業、健康にいっそう気を付けけよう。

 濃茶を練って旅行の無事に感謝。
石山寺で求めた井筒製のお菓子が美味しい。

旅行中は慌ただしい晦日にも拘わらず、2日もお付き合い頂いたAさんご夫婦には感謝に堪えません。お陰様で何倍も楽しい旅になりました。どうかお元気で、またお会い致しましょう。私達も身体に気を付けその日を楽しみに致します。

何日も長々と書き連ねて失礼致しました。今年もどうか宜しくお願い致します。

本日は終日風と共にみぞれが降り辺りは再び白くなっています。今後の二日間寒波の再来です。

七草粥に大根のバター煮 蝋梅。

2025年1月7日(火曜日)

本日1月7日は強風に見舞われたが暖かかったため、平地の雪は殆ど消えてしまった。
今日は七草がゆの夕食。珍しく妻の方から撮ってみたらと言う。そんな時に限って上手く撮れないのですが載せました。

粥と豚汁。

 

いつも頂くお宅からの大根。
良い味でした。

蝋梅。

昨年植えた仕事場の蝋梅がけなげに黄色の蕾と花を付けていました。一枝とって玄関に飾るといい匂いが漂っています。午後の往診で寄ったいつものお宅の庭でも良く香っていました。うちの蝋梅はこのお宅のを真似て植えた次第です。
荒れる寒い時候に咲く蝋梅。しかも長く咲くので感心します。

ブログのヘッダーも蝋梅に替えました。

旅行の最終日、延暦寺は次回にさせてください。夜になってザーザーと雨が吹きつけ始めました。次の寒波が近くで待っているらしく、冬本番はまだ先です。

本日ちゃんとした初雪?

2024年12月18日(水曜日)

本日近隣は雪に降られ、今冬初めてどこもかしこも白くなった。積雪は10㎝前後で冬将軍の挨拶と理解される。これから先が大事なのだが、将軍は何も詳しく答えない。頼りの予報は一旦ひと休みを告げているけれど、その通りにお願いしたい。

以下は本日の写真。白一色となり風もなくきれいだった。

 

上掲2枚はいつもの近隣の道。

 

樹下美術館の庭。

 

美術館裏手の水田。

 

潟町の仕事場の金柑。

本日は忘年会をした。ラ・ペントラッチャでスタッフはじめお世話になった皆さまと集まった。


みなあまり飲まなくなり、かと言ってしんみりでもなく、ほどよく飲食を楽しみ、今年の働きを慰労しあった。

昨日眼鏡、本日Suica、そして最終日。

2024年12月15日(日曜日)

昨日に比べて青空とお日様が沢山出た本日、柿崎のドコモショップでSuicaをスマホに入れて貰った。
ショップの予約は午後5時だったのが、カフェで何組かの方達と今年のお別れをしているうちに時間を過ぎた。電話をすると少し遅れても構わない、気を付けて来て下さいと親切な返事だった。
いつもお世話になる柿崎のショップ。私もそうだが高齢者が多くみられるのもどこか微笑ましい。

これで遠くの駅の切符自販機であたふたしなくて済むし、人並みにスマホをかざし改札を出入りできる。今の時代に生きているかぎり、たとえ高齢でもこのくらいはしてみたい。

さて本日で今年の営業?(本当は何といえばいいのだろう)を何とか無事に終えました。
今年の当館コレクション展は陶芸・齋藤三郎「文様展」、絵画・倉石隆「とにかく生きる展」から始まり、秋から企画展「水彩画 高宮あけみ展」を、続けて「ラッセル・ジョケラ ハンドメイド家具展」を最終日まで行いました。その間、10月に開催した日本良寛会会長・小島正芳さんの講演会「良寛さんに学ぶ」も好評でした。
年間を通してご来館頂いた皆さまはじめ作家と講師の方々には大変お世話になり、あらためて感謝申し上げます。

夕刻は撤収を終えたジョケラ氏に挨拶し、妙高市の身内とささやかな食事会をしました。

最後まで賑わった最終日。

さてまことに恐縮ですが明日から例年通り来年3月15日まで冬休みにさせて頂きます。
来年は開館19年目。今のところ特に企画展の予定はありません。忙しかった今年を振り返り爺と婆は骨休みをさせて頂き、来年は館内外、とくに庭とカフェををしっかり維持したいと考えています。

初顔で好評だったドライカレー。

来たる年にまた元気でお会いしましょう。


Among My Souvenirs
(思い出の中に)

ささやかなブログは休みの間も続けるつもりです。

新たな眼鏡 マガモ 天ぷらソバ 同級生。

2024年12月14日(土曜日)

12月はなかばにさしかかった。今年6,7月に両眼の白内障手術をし、本日宿題だった新しい眼鏡が出来上がった。午後から世話になっているイオンの「メガネ館」へ取りに伺った。

お陰様で遠近くまなくすっきりと見え、一種晴れやかな気持でハンドルを握り帰ってきた。

何気ない感じのフレームで
気に入っている。

 

午後イオンに行く前に
いっときアラレがパラパラと降った。

上掲は本日のイオン。

夕刻の朝日池でマガモのつがい。

夕食の天ぷらそば。

本日来館された皆さま、寒い中まことに有り難うございました。午後のカフェに今年何度も来て頂いた中高同級生U君夫婦がいた。午前は高校を一緒し、ことあるごとに来館されるY君にも来て頂いた。以前から書いているとおり病によってお二人より一年遅れて卒業したのに、同級生として接して頂きいつも感謝している。

明日で今年の樹下美術館は終わる。最後を飾って頂いたラッセル・ジョケラさんの「オーダーメイド家具展」も盛会だった。このところ連日お見えのHさんは明日も来たいと仰って帰られた。

身内のかなちゃん、すずちゃん、来館ありがとうございました。

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