食・飲・茶・器

失った1枚 栗。

2024年10月16日(水曜日)

本日日中ほぼ雨に降られたが夕方から上がった。稲刈りが終わった周囲の田はひっそりと静まり10月は中ば、秋真っ盛りになった。

午後のお茶に頂いた栗を茹でていたので食べた。肥後の小刀で皮をむいた。そうすると食べるまでに時間が掛かるがきれいに剥けばより美味しくなろう。

 紅茶で食べました。

一番最初に剥いた栗はかなり弾けていて特別大きく、とても剥きやすかった。しかしながらカメラにフィルム(SDカード)が入っていなかったのだ。
失った写真は本当に大きい。あれほど見事な栗にまたお目に掛かれるだろうか。機会があれば今度は是非落ち着いて撮ってみたい。

カードを入れずに取ることは以前からよくあり、妻には呆れられている。実はその時に備え、カメラの肩掛けバンドには予備のカードを入れた小さなケースを紐で付けている。本日はそれを使えたのだが、肝心な栗を食べてしまっていた。
上掲はその後剥いた三つの栗で、残念ながら最初のに比べるべくもない。

気を取り直して明日は満月、スーパームーンということ。晴の予報で大きな満月が観られそうだ。ちゃんとカードを入れなくては。

潟町村村立小学校の同級生。

2024年10月5日(土曜日)

本日土曜日、少々肌寒く雨交じりの曇空の日。
午前の診療で5人の小学時代の同級生がほぼ同じ時間帯に見えた。お一人が「待合室は同級会になっていた」と仰った。
さもありなん、昭和16年と17年生まれのクラスが偶々5人も同じ場所に居るなど、普段あり得ないことです。何かしらそれぞれ医療用件があり、決して暇つぶしに集まっているわけではありません。
他の日に来られる方を入れれば今や10数人が拙院に通ってこられるようになりました。不思議とも自然にも思われますが、和やかだけでは無く慎重に対応を続けたいと考えています。

私は中学校から髙田へ通いましたので皆さんとは12才でお別れしたはずでした。その後私でも参加できるクラス会があり、そうこうするうちに五人、六人、80才前後から九人、十人と見えるようになったのです。

そんな日の午後美術館へもう一人小学時代の同級生が見えました。彼は「これを貰いました」と言って、現在展示中の高宮あけみ展の販売作品が入った紙袋を見せてくれました。

 

求められた樹下美術館を
描いた作品。

実は彼こそ樹下美術館を施工された久保田建築の社長さんA氏です。駐車場からレベルの高さで入館、湾曲壁の絵画ホールから40度屈曲して陶芸ホールへ、途中のカフェへは60㎝を下りる。美しい漆喰の壁、爽やかな採光、、、。小さくても同じく大潟出身の大橋秀三さん設計の鉄筋コンクリート一体構造の、冬をまたぐ施工は容易ではなかったはずです。
竣工から18年、氏は折に触れ来館され館内を眺めカフェに座られます。

ひととき一緒に庭を見ながらお茶を飲み、もいだばかりの柿を食べました。

本日収穫した柿。

さて昨年15個ばかり獲った柿は今年40個ほど実りました。まだ早いかなと思ったのですが、この甘柿はヘタ近くに少々青みが残る今ごろ食べても全く渋みが無いばかりか、爽やかな甘みがありくサクサク、パリパリ、美味しいのです。
赤味を増すと蜂などの昆虫や鳥たちが食べに来ますので、もう少し様子を見てから残りを獲ってみます。

今日は幼い時代の同級生のことを書かせて頂きました。

路傍の花 木村茶道美術館のお茶 サブリーユの夕食。 

2024年10月3日(木曜日)

本日木曜日は休診日だが、午前に急患に相当する方が来られ、症状から病院に連絡、急遽紹介状を書いて向かっていただいた。どんな返事になるのか気になる。

終えて美術館へ。道中の花を見ながら向かった。

「ヤブマメ」という花らしい。

タムラソウ。

ツユクサ。

あるお宅のシュウカイドウ。
沢山咲いて羨ましい。

竹林とススキ。

いつも楽しみな「カンナ」。

美術館に毎年東京から見えるお客様の姿があり、お話の後柏崎市の木村茶道美術館へご一緒した。

雨上がりの坂道を歩き
最後の石段にさしかかる。

午後2時からの席に座り、15人ほどのお客様で賑わった。私達三人は七客からで私の茶碗は松井康成、客人は田村耕一、妻は藤原啓だった。いずれも人間国宝の一級品で創始者木村翁の眼力に驚かされる。

広やかな志野の菓子器(桃山時代)。
描かれている松島の文も達者。
上辺の織部風の文様の区切りは
芙蓉手が意識されているという。

拝見写真:いつも趣向ゆかしい
お道具で茶が飲める。

 皆さんの目を惹いていた志野
向こう付けの見立て茶器。
お正客に長次郎の楽茶碗が。
宗旦の繊細な茶杓が用いられた。

夕食は客人と大潟区は近くの野菜フレンチ「サブリーユ」をご一緒した。

サラダ。

 マコモとエビの料理。
マコモの料理は初めてだった。

いずれも健康的でいっそう創意工夫された料理を美味しく食べ、長い一日が終わった。

米は美味しい 取り残される人々 国を愛するために。

2024年10月3日(木曜日)

早いもので新米は最後に刈り取られたコシヒカリとなった。私どもはまだ「月あかり」を食べている最中で終わればコシヒカリになる。新米は確かに美味しいのだが、今夏に食べていた新潟県産の古米は不作で品質は非常に悪かったにも拘わらず常に美味しかった。米の品質は格段に進歩しているのではないだろうか。

思い出すのは戦後の困難期で、小学校の昼食時間は切ない光景が見られていた。昭和20年代後半になっても貧しいお弁当を見られまいと左腕で囲むように隠し、顔を近づけて食べる子は少なくなかった(ある意味一般的だった)。まだ良い方だった私のは、かたくあんと目刺しが数本横たわっている「めざし弁当」が普通だった。
食べ物にうるさかった弟はそれが不満で、「目刺し弁当は臭い、早くのり弁を作れ」と盛んに母に催促した。

ところで数人の生徒は昼食時、教室からいなくなることがよくあった。家に帰って食べると聞き、さして不思議に思わなかった。だが後年になり果たして家で食べていたのか、何も食べずに戻って来たのでは?とふと思った。昭和50年に開業した際、そのような人の家に何度か往診をしたが、その時家財道具らしいものは殆ど無く、昼食のことは聞けなかった。

本日東京からの来館者さんと夕食を一緒した。妻より若い方だったが、昔話になると貧しい時代の食事が話題に上った。彼は「ととちゃぶ」と「水めし」を話した。
前者は食事時になると大口を開けて水道水をガブ飲みし、終わるやベルトでお腹をぎゅっと締め上げ空腹に耐える方法で、後者は古くなった飯を水で洗ってすえた匂いを消して食べるというものだった。
「水めし」は聞いて事があるやに思うが「ととちゃぶ」は初耳だった。
いずれも人づての話題らしかったのだが、都会の愛隣地区などに伝わっていたものかもしれない。

かってのブログに「残飯屋」のことを上げている。明治時代のある時期では布団まで借りて暮らす人々がいたという。今日そのような時代とは訣別しているはずであるが、「こども食堂」や「能登の困難」はいま同時進行の事実であり、明治の暗い影に匹敵しよう。飽食とともにあるこれら現実に対して、新たな政権には是非手応えある取り組みをお願いしたい。

トリクルダウンなどは無効なのでなんとしても直接当事者に光を当ててもらいたい。

他人(ひと)の不幸は自分の不幸、不幸で国を愛せるだろうか。


ドボルザーク作曲
「わが母の教えたまいし歌」

6日振りのブログ更新 高宮展、食べ物、ゴルフ、冬鳥など。

2024年10月1日(火曜日)

読者の皆さまお久しぶりです。
去る9月24日、ヤンさんの訪問の記事以来6日間、ブログを休んでしまい申し分けありませんでした。先週末28日土曜日朝から急にインターネットに繋がらなくなり、本日信越情報さんに来て頂きかなり短時間に復旧させて頂きました。

過日新潟市のNTT関連の接続業者がルーターの更新期限が来たということで機器を入れ換えたばかり。その方面の誤動作らしいということでした。
爽やかなネット環境が蘇り、数日間ちぐはぐしていた生活がルーチンに戻れましたので嬉しい限りです。

さてお休みした6日間ですが、朝晩すっかり涼しくなり寝具に迷うようになりました。まだ青かった美術館の柿の実は色づきはじめ、2個もぎました。
甘柿のため渋みは全く無くまだ甘みは薄いのですが、パリパリとした食感で来館中のお客様と一緒に美味しく食べました。今年は30個も実を付けましたのでこの先とても楽しみです。

 

9月29日日曜日には妙高カントリーで同業のゴルフコンペがあり、46.49でまわり19人中3位になりました。80才を越えるとゴールドティーといって一番前から打てますのでドラコン賞もひとつもらいました。勿論波はありますが皆さまとゴルフが出来るのも幸運なことだと思っています。

お陰様で現在開催中の「透明水彩 高宮あけみ展」は好評で、会場とカフェは常より多く来場して頂き喜んでいます。多様な生活場面や風景が描かれた水彩画が如何に親しいものであるか、あらためて知らされています。横浜方面からすでに何組も高宮さんのお弟子さんたちに来場頂き、とても感謝しています。来館によって美術館の佇まいも気に入って頂き、また来たいと仰るなど有り難い事と喜んでいます。

話変わって、数少ない中高時代の友人U君がご夫婦でこられ、信州の知り合いから届いたというマツタケを頂戴しました。中くらいで形の良いマツタケは土瓶蒸しとマツタケご飯になりました。

妻は何でも作る。

 

良く香ったご飯。
お米は妻の友人からの「月あかり」。

本日鳥好きの患者さんが、当地にヒシクイの第1団が飛来したらしいと話されました。かっての写真をみると10月上旬に雁行を撮っていましたので、既に冬鳥の季節が始まっているようです。
今年のマガン、ヒシクイ、コハクチョウ、タゲリ、タカ、なによりハクガンの飛来はどんなでしょう。良いシーンに巡り会えればと期待しています。

引き続きどうかブログも宜しくお願い申し上げます。

本日の空と頂き物の食卓。

2024年8月27日(火曜日)

曇りがちな日だったが空は様々に変わる雲がみられ、大気は澄んでいるのか遠くの山々は明瞭だった。

昼、美術館近くの水田から。
西方は糸魚川方面の
ギザギザした海谷山塊の峰々。

夕刻の四ツ屋浜から北東の空。
雨の柱、降水雲がやって来る。

多様な雲はゆっくりした足で遠くからこちらを伺っている台風10号がもたらしたものか。

そして夕食。

本日津南町までこれを買いに行かれたご夫婦から頂いた「鬼もろこし」。朝もぎしたものをその日のうちに食べるのが正道と伺った通り夕飯に出された。農家の丹精と買われたお二人の心がしみ込んだ絶品の鬼もろこしでした。

 こちらも頂き物の
カボチャコロッケ。

むっとする南風の一日でしたが、皆さまのお心こもった食べ物を頂き幸せでした。

幾分涼しかった日 女子ゴルフが始まった五輪。

2024年8月7日(水曜日)

本日髙田の最高気温が30,3度。この所の中では涼しい日となった。それでも毎日熱中症症状の方の点滴が必要になっている。辛い暑さがジワジワと続くと普段と異なる体調の落ち込みが突然のように襲ってくる。微熱を伴えばコロナも懸念され慎重にならざるを得ない。疲れは蓄積するので本日の涼しさが少しでも続くことを願いたい。

オリンピックで女子のゴルフが始まった。TVerで実況されフランス選手が首位に立っているので現地は大いに盛り上がっている。日本の山下選手が7位タイ、笹生選手は少々ツキが無い。あと三日間あるのでまだこの先のことなど全く分からない。どうか二人には粘ってもらいたい。

コースは池が入り組みゾッとするほどである。選手たちは世界ランキングに従って各国から選出されているのでみな強く上手い。映しだされるコースの雲が素晴らしく印象派の風景を思い起こさせてくれる。

本日はほかに写真が無く
夕食を載せました。

暑い日のゴルフ うなぎパワー。

2024年7月18日(木曜日)

本日休診の木曜日、眼の手術などで二ヶ月ご無沙汰したゴルフに行った。前からこの日の晴天が予報され、その通りの空となった。

私のゴルフは20才過ぎてすぐ始まっているので60年は経っている。この間ずっと親しみ続け、趣味としては庭いじりと同等、いや長い分、それより上かもというくらい好きが続いている。

本日の朝食。

午前の9ホールは54だったが自分としては悪くないと感じていた。昼食はメニューにあった「うな重」の写真が誠に美味しそう。いつもなら「カレーの小」などで済ませているものを、同行のA氏に「おごるから一緒に食べよう」と言ってうなぎにした。
しかしいつまで待っても注文を取りに来ない。普段なら手を挙げればすぐ人が来るのに行ってしまう。10分も待っただろうか、ようやく来た人がテーブルのパネルで注文してください、と手順を説明してくれた。

運ばれたうなぎはふっくらこってり、てらりとタレが掛かりメニュー写真の通りだった。錦糸玉子の上のうなぎをダシが滲みたご飯と一緒に箸で四角に切り、重箱の隅に寄せてすくうように取って食べる。日頃昼食を抜いているので最初は残そうと思っていたが箸が進み、一粒残さず食べてしまった。

空きっ腹に普段食べない昼食、それもうな重。体は大丈夫か、と心配しつつ午後の9ホールに臨んだ。すると気持ち良くボールが当たり、およそ真っ直ぐ飛ぶ。「うなぎパワーですね」と言うA氏も調子が良い。最後の1ホールを残して39という数字だったが、ついにうなぎパワーが切れ、最終で8を叩いて47で終わった。

本日午後のコースの眺め。
車で7分米山水源カントリークラブ。

A氏とのゴルフは「良いゴルフをしたかどうか」だけで、勝ち負けのこだわりは全く無い。普段色々と背負いあう多様な人間関係の中で過ごしていると、6時間のゴルフは終始自由で、他に代えがたい生活蘇生になる。

34℃に迫る熱さだったが風は気持ち良く沢山汗を掻き、スポーツドリンクを3本飲んだ。

注文までの時間が掛かり、かなり急いで食べましたのでうな重の写真は撮れませんでした。

ゑしんの里記念館の茶会。

2024年7月7日(日曜日)

本日日曜日は梅雨の晴れ間となり、妙高連峰がよく見える板倉区は「ゑしんの里記念館」で茶会があった。裏千家茶道宗米先生お社中、宗季さんの薄茶席と煎茶道の方円流宗園先生お社中の紅茶席が持たれた。

薄茶の宗季さんは妻の友人で長年互いに往き来している。このたび初の席主を務められ緊張されたことと思う。一方でご準備、本番と心砕きながらその時間を一心に楽しまれたのではないかと想像している。

お心入れの楽しいお道具組み。
お棚はかって私も使った
ことがありとても懐かしかった。

「水」をテーマに地元作家さんの陶芸作品を取り入れ、滝、波、清水、蟹、水面、水鳥など清涼なイメージが随所に配され、清々しいお席だった。チェンバロを弾き英語堪能な人がどこから見てもお茶人の佇まいになられ、ご努力の年月を思わないわけにはいかなかった。

紅茶席のしつらえ。

ウエッジウッドのカップ&ソーサーに丁寧に淹れられた紅茶は美味しく、注がれる水音は涼しかった。時にはこのような趣向も有り難いと思った。

窓外の妙高連峰と周囲の池。

建てられて後荒れてくる施設を時に目にする。しかしここは広大にも拘わらず館の内外とも良く手が入り、炎天の日にあって気持ち良く過ごす事が出来た。

お席持ちの先生方、お点前の社中の皆さま、清々しい気持になって帰りました。本当にご馳走さまでした。

食べ物が美味しい季節。

2024年6月28日(金曜日)

本日しっかり曇った日。一日中仕事場にいて少々肌寒さを感じていた。しかし終えて玄関をあけると蒸し暑い。美術館の庭で小一時間来年の為に草花に施肥をした。

一昨日から一泊で病院にいたため数日運動というものを全くしてない。それだけなのに足もとに弱さを感じていた。暮れるまでの小時間、しゃがんだり立ったり精一杯歩いた。

本日一日特別な事も無く、夕食を掲載しました。

患者さんで料理や菓子づくりがとても上手な人がいる。上掲の押し寿司はご自宅の笹を使われ、今年はそれがとても大きくてしっかりしているということだった。梅雨時の笹を用いた料理は美味しくてきれいだ。

サラダ。

サバの料理。
トマトソースかけムニエル。

今年も半分が過ぎ,もうじき合歓の花が咲く。良くなった眼でしっかり見ておきたい。

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