頸城野点景

本日はしっかりと晴れた。

2017年11月27日(月曜日)

本日珍しく一日晴天となり気温が10度を超えて暖かかった。

1
春の面持ちの頸城区両毛あたりの農道。
辺りの地図に頸城区潟町という地名があって驚いた。

 

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その付近に小さな群の白鳥。今期生まれの中央の若鳥はすっかり
大人の顔をしている。

 

3
気になっている老人に食欲が出て来た往診帰りのハクセキレイ。

 

4
今夕、鵜の浜温泉付近の駐車場からの夕暮れ。向こうは中部電力
の火力発電所。

本日昼、かって来館された柏崎市の方が新潟市のお友達を誘って
再び来られた。新潟からは100キロ以上の道のり。真に有り難うご
ざいました。
お飲み頂いたお抹茶の和菓子が陽に映えて、とても美味しそうでし
た。

霧雨の大洞原を再び訪ねた。

2017年11月4日(土曜日)

去る9月、妙高市は関山の大洞原で農業を手伝っている方か
ら美味しいトマトとトウモロコシを頂いた。
また倉石隆氏のスケッチと油絵に昭和20年代中頃の大洞原を
描いたと考えられる作品があることから興味を持つに至り、9月
中旬に初めて同地を訪問した。

戦後、国・県によって進められた集団による開墾は馴染みが
無く、詳しく知りたくて妙高市役所にお電話をしたところ、入植
第一世代に当たるSさんを紹介して頂いていた。
間もなくSさんから貴重な資料本三冊が届けられた。

本日午後霧雨の大洞原のお宅をお礼かたがた訪問した。
90才をこえられる氏は移動にご苦労をされていたが、頭脳、
感覚はしっかり維持され、純粋で闊達なお人柄だった。

痩せて広大な大地の開墾は途方もない事業である。
較べるべくもないが、庭の除草で腰が痛いと言う私などは揺り
かごの中の赤ちゃんみたいな話である。

 

1
↑大洞原のほんの一角。

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立派な大根が干されている。
入植当時の地味は痩せ、カボチャはツルがわずかに伸びるものの、実を
つけることは無かったという。
導入された育牛によって得られた肥料と生乳の現金収入が開墾を下支
えすることになる。
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↑傾斜地をささえていた大きな石。黒い表土のわずか50~60㎝下に礫
とともに分厚く埋まっていたものらしい。

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巨岩は妙高山の噴火の凄さと開墾の困苦を物語っている。

 

敗戦に終わった国の農家の次男三男たちフロンティアによる開墾。新
天地を得て子孫に残すべき希望だけが、執拗な草木の根と岩石、そし
て飢えとの格闘を日々可能にした。
大洞原開墾は県下各地から集まった人々によってなされ、S氏は西蒲
原は旧味方村のご出身。

戦後妙高山麓には九つの開墾地が設けられ、武蔵野と命名された土
地には東京都出身者が中心となって入ったが、成功しなかったという。

数知れぬ失敗、朝鮮戦争と施策の変遷、多くの去就、節目の困難に
強いリーダーが現れ、問題を克服して今日に至っている。

 

3
クラインガルテン妙高(滞在型市民農園)という新機軸の居住地区と
トマト畑。
先日の訪問の折、若い両親と子供たちが憩っていた。
現在の大洞原は大きな二つの時代が入り交じっている、とはS氏の言葉
だった。

 

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↑昭和62年、開拓第一世代入植40周年を記念して建立された碑。

S氏宅に2時間余お邪魔した後、関温泉方面へと上ってみた。

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↑妙高カントリークラブを過ぎた右手にあった「休暇村 妙高」。
ここは五最杉(ごさいすぎ)という場所であり、昭和22年に開墾隊が最
初に入植した土地。
同地は地形、地味、水利など問題が多く2年で中止となり、平均200メ
ートル高度が下った国道8号線に近い大洞原へと移ることになる。
地元住民との協調も多くの曲折が必要だった。

9
国立妙高青少年自然の家付近。

霧雨が降り止まず車外温度は7度を指していた。
山麓の雪はそこまで迫り、すでに初冬を迎えている。
妙高山の自然と人間が織りなす歴史をわずか一コマながら垣間見た3
時間だった。

雨だったが楽しかったゴルフ。

2017年10月15日(日曜日)

朝から寒かった日曜日、同業のゴルフがあった。
妙高サンシャインゴルフ倶楽部は冷たい雨がずっと降
った。

11人が参加し、コンディションは悪かったものの、パー
トナーに恵まれて楽しかった。
スコアはともかく70才以上のA氏が優勝し氏よりも1年
上の拙生は準優勝だった。

ずぶ濡れになり、用意した雨用のウエアがちぐはぐで、
撥水も効かず少々苦労した。
帰宅してから一昨年用意した上等?でピッタリのウエア
が見つかり、来年はそれを着て何度でも雨中のゴルフ
をしてみたい。

1
桜が見事なこのコースは落ち葉も美しい

2
帰りに売店で求めたマグネットのボールマーカ-。
中郷区のゆるキャラ「さとまる」が可愛い。
同区の縄文土器と桜をデザインしたという。

誰もいない海の楽しさ。

2017年9月28日(木曜日)

本日午後胃カメラの日。
1年前の予約なのだが、再診用の器械に診察券を入れ
ると、日付と時間が約束通りにプリントされて出て、病院
のシステムの円滑さにはいつも感心する。

朝から寒いうえ雨模様だった空が、検査を終えて出ると上
がり始めた。
9月も下旬となりすでに日は短い。
さすが雨上がりの海は誰もいないだろう、と考え柿崎海岸
へ向かい5時少し前に着いた。
一人二人は必ず居る海だが本当に誰も居なかった。

歩き始めのころの灰色の空と海が、日暮れにつれて明るく
なり、あまつさえ赤々としてきた。

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入り陽は5時30分過ぎだった。

 

 

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暮れた広い海に一人居る開放感は素晴らしい。

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なんだか心が軽くなり、走り出してしまった。
歩数を数えながら800歩走ったが、少し膝に来たものの
息の辛さはまったく無かった。
昨年の正月明けの散歩中に走り出した事を思い出した。

 

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暮れたマリンホテルハマナスの前を通って帰った。

台風前の本日大洞原を訪ねた。

2017年9月16日(土曜日)

過日、妙高市は関山、大洞原のトマトとトウモロコシを頂戴した
ことを書かせて頂いた。
倉石隆の絵に素描「草原開墾」と油彩「妙高」があり、同所では
ないかと思われ、トマトを食べて以来無性に訪ねてみたくなっ
ていた。

以下は倉石隆の素描「草原開墾」から。

1'
働く男女とハンモックのようなものがペンで描かれている。

2'
上掲の女性を入れて大勢が描かれ、わずかの水彩で着色さ
れている。
ここが大洞原だったとすると、描かれた人物たちは一日一日
が精一杯、観光化されるまでになった今日の様子など想像だ
に出来なかった事だろう。

調べてみると現在同所にハートランド妙高という施設あり、本日
昼そこへ電話をして場所を確認し妙高山が見えているか、も尋
ねた。
山は見えているということで、仕事を終えた午後車を走らせた。

1
トマト畑と向こうにハートランド妙高。

2
トマト畑は至る所にある。

4
開墾地らしく石ころが小道脇に集められていた。
火山の山麓ゆえ岩石との格闘だったことだろう。

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トウモロコシ畑で、竿に繋がれた鳥追いのカイトが舞っていた。

6
曇天の妙高山と爽やかなソバ畑。

以下は倉石隆の「妙高」 41×31,5㎝。

3'
手前に描かれたものは判然としないが、良く晴れた山は本
日訪ねた場所からの眺めに似ている。
明るく南を向く妙高、数個の雲と原野、あらためて良い絵だと
気づかされた。

スケッチと油絵が同じ日のものとすれれば、この日倉石
氏が訪ねて描いたのは大洞原とみて間違いなさそうである。

氏が髙田にいたのは昭和25年(1950年)まで。
大洞原の開墾は昭和24年からだ。
わざわざ訪ねたなら、当時開墾は大きなニュースになってい
た事が考えられる。
「草原開墾」の題から、一帯は広大な草地あるいは萱場のよう
な場所だったのか。
いずれにしても開墾は始まったばかりだった。

敗戦後、厳しい世相下に於ける豪雪地の開墾は、運命への挑
戦だったであろう。
苦しい生活の中、再上京のことなどで葛藤が想像された当時
の倉石氏にとって、晴れた妙高山と精出す入植者の姿は、心
奮わせられる光景だったのではないだろうか。

 

7
本日路傍のハギと向こうのソバは秋の風情そのもの。
一帯から見て東に昇る満月などは美しかったにちがいない。
開拓団の人々は、月の日ばかりは疲れを忘れ、なにがしかの酒で
喉を潤したことを想い願いたい。

帰路、国道の直販センターに寄ってミョウガ、枝豆、トマト、ハリハ
リ漬けなどを買った。

11
大潟区潟町の祭で、知人宅からお赤飯を頂戴した。

夕食にセンターで買った野菜が出て、妙高の土と入植・後継の人
々による渾身の恵みを堪能した。

懐かしい潟町の池と駅。

2017年7月28日(金曜日)

本日の在宅訪問の帰り道、JR「潟町駅」の南に接する「御手洗
池(みたらいいけ)にハスが咲いていたので寄ってみた。
以下の写真でほぼ三分の二、とても小さな池だ。
池は自分の家に近く、子供時代から「潟町の池」と呼んでよく釣
りに行き、何度か泳いだこともある。

駅舎はすっかり変わり、水だけの池には蓮が生え周囲は樹木と
ともに家が多くなった。
真ん中は深いと聞いていたが、蓮が生えるほどだからそもそも
浅かったのか。

 

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本日午後の御手洗池。向こうは駅舎。
その昔ホームで列車を待つ間、ぼんやりと池を見ていたような気が
する。

 

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咲いていた蓮。

 

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片隅のミソハギ。盆花(ぼんばな)と呼ばれていました。

 

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チョウトンボ。

 

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さらにショウジョウトンボも。
このようなトンボがいたとは知らなかった。

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帰ろうとするとスマートな電車が来た。
子供時代は蒸気機関車。停車中にその動輪を間近に見て大きさに驚
いていた。

車に看護師さんを待たせたまま、急いで撮った懐かしい御手洗池。
思わぬトンボにも出合い、いずれもう少しゆっくり来てみたい。

川の変化 水の恐ろしさは高校時代の国語教科書の幸田文さん

2017年7月1日(土曜日)

過日当ノートに偶々見た姫川が白っぽく濁っていた事を不思議に思って
記載した。
6月7日から始まったという白濁の原因は上流の支流である小滝川の蛇
紋岩帯で崩壊など何らかの変動を生じたためと知った。

ノートに記載した折、緑色トーンの蛇紋岩の崩壊でなぜ白濁するのか疑
問に思った。
だが去る6月28日の上越タイムス紙は続いている白濁は蛇紋岩に含ま
れる天然アスベストを含む成分の溶出によると報じていた。
確かに蛇紋岩(石)には光沢ある濃い緑色トーンに混じって多くのスジ状
の白い部分が複雑に混じっているが、それが天然アスベストに相当する
らしい。
それにしても大気中の長期吸入で深刻な問題を生じたあのアスベストと
は驚いた。

鉱物として比較的もろく、蛇紋岩帯の土木工事などは厄介だという。
川にはまだ白濁が見られるというが、長期に亘り川を濁らせるには大規
模な地層変動が生じている事が考えられないだろうか。
白濁は人体や作物への影響は無いということ、今後ヘリコプターなどで
原因場所の探索が行われるようだ。

新聞記事
白濁に関する上越タイムス記事。行政も土砂崩れなどの災害を懸念して
いる。

本日は昨夜来の雨が休み無く降り続いた。
北陸一帯を見舞った雨で当地でも午後から次々と河川沿いで避難勧告が
出されていた。
梅雨本番後のあっという間の勧告レベル、夜半には解除されたが、心配は
続く。

潟川と水田
本日午後、樹下美術館の近くの水田と潟川。川の水位が高く、一部で田が
行き場の無い水を抱えていた。
小さな川でもあふれそうな光景は恐ろしさを伴う。

そして昨日、今度は高田地区の儀明川がワインのように赤く染まっていたと
いう。
これは一体何が原因なのだろう、新聞の写真では全体は本当にワインのよ
うだった。

川の怖さは水の怖さ、記憶に間違いがなければ高校時代の国語教科書に幸
田文(あや)さんの書物の断片があった。
父露伴から受けたしつけ教育の一コマだったが,雑巾掛けとバケツの下りで、
御しがたい水の恐ろしさが軽妙な文体で書かれていたのをぼんやり思い出し
た。

姫川の白濁と蛇紋岩。

2017年6月13日(火曜日)

一昨日11日日曜日に糸魚川へゴルフに行った事を書いた。
帰路駒ヶ岳方面へ国道148号を南下したが道すがら姫川が見え
た。

普段川は水が澄み上流の小滝川でヒスイが産出することもあり、
美しい川のイメージがあった。

ところが当日の様子はおかしかった。水が濁っていているうえ、ブ
ルーが薄まり全体が白っぽく、何があったのだろう「普通の川」の
印象を受け少々がっかりした。

そして昨日のニュースで〝6月7日以来見られている小滝川、姫
川の白濁はまだ続いていて、県の調査ではカドミウム、鉛、ヒ素な
ど6種の法定有害物質は検出されなかったと報じられていた。

調べてみるとネットに上流の姫川支流小滝川の流れが乳のように
真っ白になっている映像があった。
小滝川がこんなになるとは、ショックを受けた。

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6月11日午後、白く濁っていた姫川の下流域。

ところでヒスイ産地などの断層地帯でよく見られる蛇紋岩帯が
糸魚川一帯にも随所にある。
蛇紋岩はヒスイと異なり不規則で柔らかな性質のため、崩落を
起こすことがあり、必要な土木工事などは難渋するらしい。

ニュースによると、この度の河川の白濁は上流の蛇紋岩帯でな
んらかの変動があって川を濁らせている可能性が示唆されてい
る。

国際的な地質価値を有する一帯だけにその原因や変動の規模
などが気になる(調査中と考えられるが)。
緑色系の蛇紋岩が関係するならなぜ川が白く濁るのだろうとい
う事も聞いてみたい。

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蛇紋岩(糸魚川ジオパークのおじさんのブログから)。

さて本日昼、カフェのお客様が蓄音機に眼を止められ、掛けてみ
ましょ うか、ということでクランクを回した。 ラックにあった中から
ウイリアムテル序曲と青い山脈をかけた。

 170613蓄音機
沢山写真も撮られて満足そうだった蓄音機。

二人の若者を交え4人のお客様は、電気無しで聞こえる鮮や
かな音に感 嘆された。

夏日は黄色の花咲く丘、自分の名は北の方角。

2017年5月21日(日曜日)

本日晴れて気温が上がった。
5月下旬の日中は夏と言っても過言ではない陽気だった。

暇が出来たので冬以来の上下浜へ行ってみると一面に黄色の花が咲いて
いる。

1
↑今年2月25日雪の上下浜。向こうにマリンホテルハマナスと右に
石のオブジェが見える。

2
本日正午ころの上下浜の丘に、タンポポをスマートにしたような黄色の花
が沢山咲いている。塔状の石を四つの半玉の石が囲んでいる。

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↑東西南北に位置する石に中国の四象から取った方角の銘が彫られている。
北は玄武で私の名が入る。玄は北や冬あるいは黒、果てしない世界などを
表しているという。二月生まれということもあったのか、祖父が名付けたらしい。

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丘から下る道があり初めて歩いてみた。花はブタナと思われる。

4
↑思いも掛けず池が現れた。砂丘地とはいえ低地のため水が湧き出しているのか、
水は澄み人工的な感じがしない。

5
池の先で坂を昇る。

6
↑登り切ると一段と高い所へ出て、右遠くに石塔、左に池が見える。
石塔の方向へ回って下りていく。

本日は時間があったので普段馴染みのない直江津、郷津方面へ足を伸ばした。

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知らない山道へ入って行くと黄色い花がいっぱいの丘に出た。
(上越市立三輪の台いこいの広場ということ、、、22日追加しました)。
風車が回りキャンピングカーなどが駐まりバベキューをしている人達がいた。
こちらの花は上下浜よりも小さく花弁が少ない、よく分からないがオニタビラ
コという植物らしい(あるいはオオジシバリかもしれない)。

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山あいの野球場に打球や捕球の音が気持ち良く響いていた。

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↑郷津海岸は大勢の人が夏日を楽しんでいた。

近隣でも全く知らない場所があり、馴染みの風景も季節でがらりと変わる。
まして10キロ15キロと足を伸ばせばまるで外国へ来たようなことになる。

上越市頸城区、雨の情緒。

2017年5月13日(土曜日)

終日静かに雨が降った日、18度はあった模様だが肌寒く感じた。
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樹下美術館の近く、雨の中を去って行くほくほく線の電車。
田植えが終わったばかりの苗と雨中の電車の相性がいい。
(上越市頸城区上柳地区のあたりで)。

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雨に色冴えるアヤメ(上越市頸城区上谷知のあたり)。

本日沖縄・奄美は梅雨入りか、と往診先のテレビが伝えていた。

長雨は良くないが植田の雨は静かで詩のような情緒。

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