空・海・気象

海にも休息

2010年4月15日(木曜日)

 仕事休みの夕刻、海へ行った。冬の荒々しさを脱ぎつつある海でカモメが行き交っていた。ゆっくり立つ波の色が深く清潔だった。

 

海
痛々しいほど荒れた海が落ち着き始めた。

 

 長かった大荒れの冬。海は海岸の砂からゴミまでを飲み込んでは吐くことを繰り返していた。また強い波浪には自身の撹拌もあるのだろう。ごーごーと三日三晩荒波を打ち続け、少し休んでまた繰り返す。それを今年は4ヶ月余、、、。

 

 今ようやく浄化や再生の激しい作用を終えて、海に安堵の気配だった。

 

 以前少し似たことに触れたが、海に睡眠を思わせる役割を想像してしまう。環境のつむぎ直し、浄化、生成。同じ作用が我々にも及ぶことがありそうだ。森もよく似ている。

 間もなく穏当な春が来るはず。森は冬や夜間は眠っているように見えるが、海は昼夜休み無しだった。これからあの春の曲のようにゆっくり休むのだろう。海と森は季節的にも連携して役割を担っているようだ。

初海

2010年1月11日(月曜日)

午後から新型インフルエンザの集団予防接種があった。小3までの児童に三人の医師で当たった。頻回の予防接種を受けているせいか、泣くお子さんが少ないように感じた。

 

 時代を反映しているのだろう、子どもたちの服装が少し地味になったように思った。しかし皆すらりとして足が長く、ブーツが似合って格好良かった。

海

のびのびと波を打ち返す海。

 夕刻、今年初めての海へ。荒れるだけ荒れた後でおだやかな表情だった。例のリューボは姿を消していた。あんなに高い所までまた波が来たに違いない。今どうしているのだろうか、再び現れるなら凄いことだ。

海を歩くのはもう一つの睡眠?

2009年11月23日(月曜日)

 

連休最後の夕刻も海へ。

荒れたがる海を夕陽がなだめていた

ゆっくりと変わる雲と陽の色,飽かず打つ波

海は命のみなもと、絵画も音楽もなにもかもの

  

向こうから犬を連れて現れたのは古い同級生だった 

そしてリューボも入り陽を見ていた 

海を歩くのはもう一つの睡眠のようだ。

渚のリューボ

2009年11月22日(日曜日)

 連休のなか日。在宅で重症の方を抱えているので外出は近くだけ。それでも小康を見て携帯持参で海へ赴いた。  

 

 晴天の海で一体の老いた流木にまた出会った。この流木は先週の日曜日,波打ち際で見ていた。それが今日は砂山の上の方に横たわっている。あれからさらに海が荒れて、上へと押しやられたのだろう。

 

先週の写真 

 

 実はこの流木を見たのは今回が初めてではなかった。今年の三月頃、荒天続きの後にちょうどこの辺りで見た。それがいつしか居なくなり、半年以上も経ってまた現れた。とても不思議に思ったが、再会を喜ぶことにした。

 

今日の様子 

 

 春と比べてやや色あせているが、さして傷みもなく言うならば元気そうだ。ぐるっと回って眺めると、ただの流木とは思えなくなってくる。心なしか暖まっているようでもあり、海を懐かしむ風でもあった。さて今度はいつまで居るのだろう、試しにリューボと名付けてみた。  

 

 追加です:今夜、天地人が終わりました。欠かさず見ていた訳ではありませんが、最後のシーンはうるうるとしました。  峠で景明の位牌に「越後じゃ、我らのふる里じゃ」と言う兼続。直江家の終わりをお船に告げる兼続。ドラマと分かっていても、すがすがしさに涙が出ました。一応ファンにさせてもらった景虎も今は懐かしく、ゆかりの鮫ケ尾城跡は間もなく雪に覆われることでしょう。

荒海(つかの間のカタルシス)

2009年11月15日(日曜日)

 

 昨日からの強い季節風が止まらない。残っていた花の移植をあきらめて海へ行った。猛烈な風波はカタストロフィーを想起させ、いつしかカタルシスめいた感覚を覚えた。つかのまの放心状態、浄化?

アオイガイ(一つが美しいものの一つ)

2009年11月5日(木曜日)

 10月31日に少し遠い海岸へ行った。実は当日の浜辺でアオイガイに出会った。大きさは長径が10センチほどだった。

 

 沢山持っている人もいて決して珍しいものではないようだが、私もほしいと思っていた。それが先日の渚にポツンと上がっていた。

 

 昔これはタコの一種が作るものだと聞いてにわかに信じられなかった。手のひらのような二本の足(腕?)で頭を覆い、特殊な分泌物を出して形成していくようだ。目的はメスが卵を保護するための殻だという。

 

 しかしどうしてこんな綺麗に作らなければならなかったのだろう。合理的な進化のことだから繊細なヒダやカーブにも意味があるのだろうが、、、。 

 

沢山より一つが美しいものの一つ。

少し遠い海岸のEast of The Sun

2009年10月31日(土曜日)

今週は例年のインフルエンザワクチン接種が追い込みで忙しかった。また私が学校医をしている小学校で初めて新型インフルエンザによる学級閉鎖があった。比較的平穏だった新潟県も今月中旬から注意報→警報へと一気に深刻化しはじめた。

北海道ではすでに最大級の警報が続いている。季節型、新型ともワクチンの不足と遅れによって今後の半年余が非常に憂慮される。

国は早々とワクチンの減産を宣言した。これは大きな問題だったと思う。日本の国力があれば克服できたのでは。極めて重要な年になぜ生産に専念しなかったのだろう。

 夕刻、少し遠い海岸へ行った。

陽が沈みかけ、月が昇り始めた。

East of the sun and west of the moon

We’ll build a dream house of love dear

・・・・・。

朝な夕なに向き合う月と太陽の時間。

とてもいい昔の歌だ。


Diana Krallの East of The Sun

 

シーグラスのキャンドルホルダー

2009年10月19日(月曜日)

 先週末に同級会があって、再び千葉県のSと会うことが出来た。彼とは今春、新潟県内の村上市で会っている。

 

 前回たまたまの話から、Sの奥様手作りによるシーグラスのキャンドルホルダーが送られてきた。そこには千葉県のグラスがあしらわれていた。今回の同級会では、予めこちらの海で拾ったシーグラスを持参した。

 

今度は新潟県のシーグラスで

 

 そしたら今度は新潟のグラスで出来たホルダーが送られてきた。立派な握り手(ハンドル)がついたのびやかなホルダーだった。蝋燭を入れるとなんとも穏やかな光を放った。 

 

 シーグラス、海底に沈んだガラスたちが、海の作用で優しく生まれ変わったもの。以前作品は旅をすると書かせて頂いたが、名も知らぬガラス片もまたしかり。太平洋と日本海の小さな旅人がここで出会っている。これも「天然の旅情」(檀一雄の言葉だったかな)。

 

 秋は、ことさら多くのものが旅をしているように見える。S、奥様、有り難うございました。

雲そして弟

2009年10月10日(土曜日)

   

 

 夕暮れの浜で、山ぎわからムクムクと清潔そうな雲が立ち上っていた。ヒゲのおじいさんが両腕でウサギたちを囲っているように見えた。おじいさんは積乱雲と呼べばいいのだろうか。雄大な秋の雲は夜になって雨を降らせた。

 

 ちょっぴりヒゲのある弟。その弟が出版した本「フォルテシモな豚飼い」が新聞や週刊誌で好意的に書評されて嬉しい。10月15日号の週刊文春では、芥川賞作家・池澤夏樹氏がかなり詳しく紹介してくださった。とても驚いている。

 

浜千鳥

2009年9月17日(木曜日)

 今日、木曜の午後は休診日。思い出したように母を連れて美術館へ。もっと頻繁にと思うが、中々出来ない。

 

 行き帰りはいつものように昔話になる。小さいころ事故で父を亡くした母喜代。父を失ったある日、喜代は母と並んで縁側に腰を下ろしたという。母は足をぶらぶらさせながら、「なあキヨ、明日からどうしたらいいかね」、とつぶやいたそうな。

 一回りして美術館のカフェに座り、帰りはお気に入りのフルーツケーキを土産にもらった。

 

色々と指が曲がっている親の手。

 

 帰って間もなくお年寄りの看取りがあった。このところ夜中も通っていた95才の小柄なおばあちゃん。遠くからお孫さんやひ孫さんたちも来て、熱心な介護だった。看取りで若い人たちや子どもさんは目を泣きはらした。温かな家庭の印象を受けた。

 およそ若い人達(小さなお子も)は人一倍身内の死を悲しむ。言われるドライさとは全く違うと思っている。

 

 夕刻、また海へ行った。ある場所へ来るとチチ、チチ、とよく千鳥の鳴き声がする。今日は沢山いて、私が歩く先を盛んに走った。

 

群れの中の二羽。

  

  ♪ 青い月夜の 浜辺には 親を探して 鳴く鳥が 

 波の国から 生まれでる 濡れたつばさの 銀の色 

「浜千鳥」

作詞 鹿島鳴秋(1891-1954)
  作曲 弘田龍太郎(1892-1952)

 

飛び立つ千鳥。

 

私は浜千鳥の曲が好きで、美術館のカフェでもカーメン・キャバレロのピアノで浜千鳥が時々聞こえるようにしています。 

 

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