空・海・気象

潮だまり二つ残して行った冬。

2012年3月3日(土曜日)

午前には雪もあろうかという予報が外れた一日。昼過ぎの柿崎の海は、沢山あった潮だまりが僅かとなっていた。

 

これから思い出したように一雪あったり、風花がチラリホラリとするだろう。しかし季節の入れ替えは始まっている。

 

柿崎の浜
時々打ち寄せる波が届いて海水が補給される潮だまり。

 

“ 潮だまり二つ残して行った冬 ” 

 

それから寄った美術館に春の帽子と装いの若い女性。コーヒー、ケーキ、水、お番茶、本、手帳などカウンターいっぱいに並べてニニコニコされていた。

  

いよいよ今年も始まっている。

寒中にこの暖かさ 釣りする親子の詩情

2012年1月22日(日曜日)

いわば厳冬の真ん中でこの穏やかさ。今日の車外温度は夕刻で9℃、無風で雲もない好天だった。来週から再び雪模様の予報。そのことが分かっているように今日の海岸は散歩や余暇の人が多かった。

 

釣りの親子
 

夕刻の海で釣りをしていた親子。名乗って写真のモニターを見てもらい、ブログに載せてもいいですか、とお尋ねした。お父さんはにこやかに、いいですよ、と仰った。眩しいほどの詩情だった(上越市柿崎海岸)。

 

 

「アート&アーティストの底力」新潟展(1月14日~22日)が本日で終了です。出品した拙油絵「いもけんぴ」が期間中に売れたと聞きました。震災へチャリティーされます、お買い上げ下さった方、まことに有り難うございました。

 

今夜の平清盛に佐藤義清(のりきよ:西行)が出た。立派な武者ぶりに驚いた。

雪のち晴れ 上越市柿崎区のマリンホテルハマナス

2012年1月12日(木曜日)

列島はどこも寒かったと夜のニュース。

上越市頸北地区の沿岸も午前から午後途中まで断続的に降った。

その後は夕刻に向けてよく澄みよく晴れた。

上下浜海岸・マリンホテルハマナスは雪に映え、一帯は先日とはまた異なる美しさだった。

 

今日のマリンホテル
海にも冬の見どころ。 

今日見たもの 見なかったもの

2012年1月9日(月曜日)

本日目覚めたのは10時過ぎ、目覚ましを見てびっくりした。仕事のはずなのに!あせってカレンダーをみたら祝日だった。自分はしばしば祝日を知らずにいて、慌てたり幸運だと思ったりする。

 

急に気が楽になって遅い朝食を昼食として食べた。移転開業されソフィーさんのパンに頂き物の濃厚なイタリアの蜂蜜をつけて食べた。私のパン類は何と言っても食パンが一番、やはり美味しかった。

 

午後水と森公園に行った。気になる昨日のハクチョウの場所を見たが鳥は居なかった。大丈夫なんだ、と一応ほっとして歩いた。好天のせいで一時間少々の公園、知っている人たちと出会ったが、みな笑顔だった。

 

仏は常に
 昨日記した高橋玄洋氏の掛け軸「仏はつねに」を出した。
新潟で求めてから25年、辛かったが若かった時代が懐かしい。

 

ハマナス
西洋の風景のようだった(行ったことがありませんが)上下浜。
今夕のマリンホテルハマナス。

 

夕刻、期待して行った上下浜の風景はやはり素晴らしかった。見たものをどんどん忘れるようになって、写真は有り難い。

 

夜は妻のテレビを途中から見た。黒沢監督の「生きる」だった。テレビで二度目だがあらためて素晴らしい映画だと思った。
椿三十郎を学生時代に見たことがある。詳しくはないが、大宣伝、巨費などとなって氏の映画はつまらなくなったのではないか、と話しあった。

 

夕焼けを見る渡辺さん夕焼けを見て「美しい」という渡辺さん(左:志村喬)。
解説の山本監督に映像遺産と述べられた通り、
脚本もカメラも俳優さんも照明もみな素晴らしい。
昔は二度と帰らない、しかし帽子は格好いい。

 

先日見た昭和20年代の映画「君の名は」にも役所を批判する台詞があった。事をしてはいけない所、と述べられていたようだった。「生きる」はそれが見事に描かれる。素晴らしい人も居るはず、という祈り?は今も昔も変わりない。

 

色々見たり歩いたりした祝日だった。自分には珍しい生き物を池で見たので明日記してみたい。

北ぐにの波に桜の色見えて雲に龍かな正月の浜

2012年1月2日(月曜日)

年末30日に末期癌の方の看取りがあったが、その後は静かに過ぎているようだ。

 

上越市の頸北地域では一月元旦は穏やかな日になることが案外ある。いつぞやは坂田池湖畔へ母を連れて行き、リハビリの散歩をしたこともあった。

 

昨日2012年の元旦もそこそこの一日となり、午後3時すぎから柿崎海岸を歩いた。

 

柿崎の浜柿崎の海は季節風が止んで3,4日すると、西側に平坦な渚が広がる。
そこは大きな潮だまり様になり、少しでも夕陽が差すと波の出入りがきれいだ。
昨日も一時桜色になった。

雲龍?
暗くなる頃、見上げた空にもしや昇龍かという雲が一瞬現れた。 

 

普段縁起はほとんど担がないが、どうなのかな、という夕刻だった。

大雪は温かな海のせい?

2011年12月26日(月曜日)

連日大雪の予報が伝えられるが、上越市大潟区ではほとんど積雪が無い。その一方で山沿いは雪下ろしや除雪で死傷者がでるほど大雪となった。 

 

浜線の道大潟区・鵜の浜温泉の付近

 

冬のはじまりはしばしば沿岸に多く雪が降る。しかし今年は最初から山に降った。恐らく秋以来の温暖気象によって海が暖まり強風とあいまって沿岸は積雪を免れているのだろう。一方温かな海は大量の水蒸気を上空の寒気に送り込み、内陸に大雪をもたらした可能性がある。

 

大雪の妙高市には親族もいる。一旦寒波が去ることを心から願っている。

雲見るためもあらむ今日の日 夜は救急

2011年11月18日(金曜日)

往診は夕刻までかかった。夕焼けは日没する西をはずして東寄りの雲を染めた。ダッシュボードのポケットカメラで撮った。

今日の夕焼け雲

 人の世のいかなるものかは知らねども雲見るためもあらむ今日の日

 

追加:夜9時過ぎに電話があった。夕食は変わりなかったという在宅患者さんの急変、痰が詰まっているようだということで急いで出た。完全に反応を失いぐったりされている患者さんの顔ががゆがみ、左上下肢がだらりとして脳血管障害。血圧は維持されていて、すぐに病院と救急に連絡し紹介状をFAXした。

 

在宅の急変は家族が直ちに救急車にするか、在宅主治医の往診を依頼するか、判断が微妙な場合がある。様子を聞いてすぐに救急車を呼んで下さい、と伝えることもある。

 

近時脳梗塞は、病院専門科による早期の処置(t-PAの静脈注射)によって重篤な麻痺の回避が期待できるようになった。事実この一両年、救われた事例がみられている。
いずれにしても如何に早く病院に到着するか(二時間以内の到着、三時間以内の処置)が鍵になる。

急変する天候とサーフィン 明日は司修さんの講演会

2011年11月16日(水曜日)

お天気のなんとお天気屋さんなことだろう。昨日の荒天とうって変わって今日の晴天。寒かったが時間が経つほど晴れ渡っていった。

 

サーフィン

午後の大潟区雁子浜の海岸でサーフィンをする人を見た。海は楽しめる場所だが、津波だけは本当に恨めしい。

 

明日は絵画、装幀と挿絵、小説、芸術論と多能な芸術家司修さんの講演会です。若い時代から倉石隆とお付き合いのあった司氏。かって録音された倉石氏の声も聞く事が出来るようです。とても楽しみです。

きままな雲は高空で舞っていた。

2011年11月1日(火曜日)

日中は暖かで、雲が高い空を謳歌していた。

 

雲が舞う

 

ともすると雲は踊って笑って浮かんで跳ねて、ふさいで怒って暴れて泣く。その雲をあやつる天然は壮大で気まま。秋になって少々穏やかになったが、今年は随分激しく振る舞った。

 

ところで冬はと、みな心配している。テレビはあくびをするように「平年なみ」、と言った。ともあれどうかお手柔らかにと、高空で踊りに興じる雲を眺める。

秋晴れの秀麗 柏崎市のお茶 新潟市の驚くべき展覧会

2011年10月29日(土曜日)

二日続きの秋晴れの一日だった。週末の午後、柏崎市の木村茶道美術館へ寄って新潟市の會津八一記念館へ行った。柏崎市では最初に懐かしいヨットハーバーへも寄った。

 

 1ヨット
柏崎市沖合のクルーザー。秋風を受けて近づいて来た。

同市は昔からヨットが盛んだ。ハーバーでは7割がた陸揚げされていたが、懐かしい「ミス日本海」号はまだポンツーン(係留のための共有通路・桟橋)に居た。大きかった同ヨットはその昔、ナホトカ市への友好航海やハワイへの遠征を行って有名だった。およそ4年間、当時皆さんにはレースなどでお世話になった。

お目当ての一つ木村茶道美術館は昭和62年春、茶道を始めるきっかけとなった所。ヨットを終えてからだったが、以来何度通ったか分からない。
初めての人もお菓子をいただき文化財級のお茶碗で抹茶が飲める。掛け軸、香合、棗(なつめ)、茶杓、風炉・窯、棚飾り、みな文句なしの文化財。私の茶碗は御本刷毛目(ごほんはけめ)、大振りで明るく、うっとりするような器だった。
妻は秋らしい趣の絵唐津の筒茶碗で、初めてというご一緒したお二人も備前や灰釉の名碗だった。

茶室のある松雲山荘の四季も道具類に負けずご馳走だ。なかでも間もなく錦となる紅葉はかってニュースステーションで中継されている。

ここでは未経験者でも気楽にお手前のもてなしを受け、御抹茶が楽しめるのでお勧めしたい。

2刈り込み
松雲山荘:ドウダンツツジの刈り込み。
この数百メートルも真っ赤になる。

 

4リーフレット
驚嘆の展覧会リーフレット

3茶箱
茶室の棚飾りは竹籠。
古い唐物(からもの:中国の伝来品)

 

5會津八一記念館
展覧会場・會津八一記念館

本日のお目当て「北大路魯山人VS會津八一」はまれに見る充実の展覧会だった。サブタイトルは“傲岸不遜の芸術家”とあった。思い切ったキャッチ、しかし傲岸に秘められた限りない美意識と探求、ナイーブな精神は天からの贈り物だと思わずにはいられなかった。

単に贈り物と言っても、本人達は血のにじむ思いで制作と格闘したことだろう。しかしその結果が私たちへの贈り物(あるいはもてなし)ともなっているのだ。

二人の共通項は先ず時代と書、なにより強烈な個性(自我)ではないだろうか(巨躯とユーモアも)。両者の特異として魯山人は美食の具現と陶芸、八一は短歌と美術史でそれぞれ巨峰をなした。
お互いは同時代にも拘わらず、意識しあっても決して交わることは無かったという。つきつめた個性とはそのようなものかもしれない。

さて八一は新潟県の人であるが、魯山人と新潟県の関係も新鮮で興味深かった。その一つ貴人、良寛への熱中が示されていた。新潟県の文化人達へ良寛を所望する痛々しいばかりの手紙などに陶酔ぶりが伺われる。
糸魚川の歌人相馬御風や柏崎市のコレクター吉田正太郎との交流等々、同県人として誇りを禁じ得ない。

拙樹下美術館の人間として印象に残ったのは八一が揮毫し、齋藤三郎が形成・焼成した抹茶茶碗だった。蝋で書かれた力強い文字、染め付け(藍色)の色合い、寸法、、、。二人の天賦と努力が一点に注がれた夢のようなお茶碗だった。

會津八一の没後55年となる当館の今年度特別展。希な芸術家の篆刻、書画、手紙、器、看板、写真等々が二度と見られないであろう切実さと品格をもって心に迫った。本日は全てを見たとは言い難い日程だった。11月30日までなので願わくば何度も見たい。

同催事は新潟県民の誇りを確認させてくれる異例のものではないだろうか。是非沢山の方に見ていただきたいと思った。

 

6ディスプレイ

 懐かしいイタリア軒のラウンジで見たディスプレー

すっかり暮れてイタリア軒で食事をして帰った。夏来体調が良くなかった妻は快気のビール。運転の私は食べるだけ、美味しそうなお酒の色合いを鑑賞させてもらった。

何度か書き直しをしました。

司修氏講演会

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