空・海・気象

雲と蜘蛛の日。

2013年10月21日(月曜日)

爽やかな一日だった。

合歓と雲本日も高空の雲が見られた。

真新しい蜘蛛の巣庭に張り直されたく立派な女郎蜘蛛の巣。

昨年秋も、台風の後に同じように掛け直された女郎蜘蛛の巣を幾つも見た。しかし今年は多くの巣が無くなったままになっている。
真新しい巣は気持ち良く見えるが、毎週のようにやってくる台風で、蜘蛛たちはヘトヘトかも知れない。

四ツ屋浜夕刻の四ツ屋浜。
昨年あたりから夕陽を観る人撮影する人が増えているのを感じる。

巻雲 高い空で氷晶の童(わらべ)が走り回る。

2013年10月18日(金曜日)

雲、月。冬を前に秋の空は澄んで美しい。今日は様々な形の巻雲(けんうん)が見られた。5000~10000メートルの高度で最も高い雲、巻雲。空域の気温はおよそ-25℃で、微小な氷の結晶(氷晶)で出来ているらしい。

高高度のため湿度が低く、かつ気流が早いので厚くならずスジ状になるという。

巻雲本日午後の巻雲。

 

氷晶上掲の雲の真ん中にこんな形があった。「上空を走り回る氷晶の子ども」みたいだ。

冬、彼らは下界へ降りてきて雪になる。いずれこの元気な童も白魔などと言われ、私たちをさいなむのだろうか。

今日の月も素晴らしかった。

台風一過の雲とほくほく線。

2013年10月10日(木曜日)

台風は暑い風をまき散らして去って行った。時折陽が射し、群雲が気持ち良かった。

四ツ屋浜13:45ころ四ツ屋浜の高積雲。2000~5000メートルの高さにあるらしい。

夕焼けは空一面にはならなかったが、ほくほく線を写した。二本の列車を撮ったが、カメラの仕度をしていると「ゴォー」と来て「、シャー」と行ってしまった。

17時ころ、ほくほく線夕暮れ電車二両編成の素朴な普通電車。
ちょっと待ってと心で叫んでも澄まし顔で行ってしまう。

 

特急はくたか17:20ころ昨日は台風のため何本も運休した特急はくたか
今日は、邪魔だ邪魔だと言わんばかりの元気な走行だった。

フェーン現象がもたらした熱風と雲。

2013年10月9日(水曜日)

台風24号は温帯低気圧に変わって本日午後~夕刻にかけて新潟県上越地域を通過した。

午後特養ホームに出て、そのあと樹下美術館のコーヒーを飲んだ。本日は雲が気がかり、その後四ツ屋浜に寄ると砂ぼこりが舞い、小さなレンズ雲が現れた。

1穏やかだった昼過ぎの美術館の庭。 2まだ緑が残る樹下美術館。

3 四ツ屋浜。遠くに魚が並んだようなレンズ雲がでてきた。

4診療所近くの道路をふさぐ砂塵。

 

045 強風の大潟区岩野で東方を見る。弓型の輪郭をもつクリーミーな雲が重なっている。

 

長崎方面の雲 岩野から長崎集落方面に見える先ほどの雲。やはり普段のものとは違う。
巨大な造形物のように異質な感じを受けた。

091大潟区潟端の方面を見る。高田、直江津は砂塵でかすんでいる。

当地は台風がもたらしたフェーン現象によって10月としては過去最高となる気温を観測している。お隣の糸魚川市が35・1度で猛暑日となり、この日全国1位だった。私の所、上越市大潟は二位で34・5度、同高田は33・4度。いずれも2時前後らしい。本当に暑かった。

概況によると本日の全国最高気温ベストテンは新潟県(6観測所)と富山県(4観測所)の二県が占めている。台風がもたらす異常熱風は湿った南風の高山越えが起こす現象だが、気象は不思議でスケールが大きい。

やはり台風は変わった雲をもたらした。明日は雨らしいが合間の雲はどんなだろう。

美しい夕空がある限り。

2013年10月4日(金曜日)

今夕の夕暮は素晴らしい空でした。夕方まで何気ない曇り空でしたが、突然のように優しく鮮やかな色に変わったのです。

いつもながら夕焼けの予想は難しいと思います。いいかなと思えば平凡、あるいは本日のように突然色づいたりと。

しかも最も素晴らしい時間はほんのいっとき、ある意味一瞬で、せいぜい1分前後でしょうか。今夕も家を出る直前の空が最高だったように思われます。
玄関を出た時、ご近所の家々の壁がみな鮮やかなピンクに染まっていました。1分少々、海へ到着した頃には既に幕引が始まっていました。それでもしばし息を飲みシャッターを押したのです。

 

四ツ屋浜でいつもの四ツ屋浜です。

燧岳と焼山紫色の火打山(左)と焼山。

13104夕焼け優しい色に包まれた上越火力発電所。

ブログは日が空くどころか連日となりました。こんな夕空がある限り仕方がないのです。

敬老の日 台風18号の影響 雁子浜の夕空。

2013年9月16日(月曜日)

敬老の祝日の本日、台風18号は新潟県上越地域に雨の被害をもたらした。

雨を避けようと昼前に東京へ立った長男たちは、やはり高速道路の通行規制に遭い、ある区間は一般道へ降りたという。

早くから多くの河川で増水の警報が出続けていた上越地域。夕刻5時頃とうとう矢代川の堤防が決壊したと報じられていた。
氾濫は避難を促すだけで、目の前で進行する堤防決壊までは防げないらしい。川の怖さであろうが、歯がゆさも感じた。

避難所のニュース映像に妙高市の親戚の地名が出ていたが、水害は免れたと聞いた。堤防決壊の映像はひどいものだったが、その後も大丈夫なのだろうか。

 

雁子浜 の夕刻夕刻に向かって雲が切れてきた。大潟区雁子浜は日没後に鮮やかな空。
台風一過の夕は何時までも空が明るいことがある。

敬老の日だった。現在104才の方と間もなく104才を迎える方を月一で訪問させて頂いている。いずれも女性。104の方は100才で大腿骨頸部骨折の手術をされたがベッドサイドに端座され、しゃんと話をされる。もうお一人は普段よく眠っていらっしゃるが、デイサービスに週二回通われ、耳のご不自由があるものの、目立った認知症もない。

お二人とも長生きの愚痴を仰ることがある。しかし、「またおばあちゃんの顔を見に来てもいいですか」と言うと、お二人とも同じように手を合わせて拝む仕草をされる。

この方たちに共通する生活方法や身体の特徴を一概に言うことはできない。ただ酒たばこをせず、一生懸命身体を使って働いたことのほか、ご家族の暖かな見守りと敬老(愛老)の姿勢が共通していると思う。

週一回特養に出向いているが、私が知る範囲でこの年まで比較的お元気なのは在宅の方たちのようだ。

雲の季節 頑張れ農業。

2013年9月6日(金曜日)

午後に樹下美術館でコーヒーを飲んだ。裏手の田んぼからどーどーとコンバインのエンジン音が聞こえている。大きな機械が何台も入って次々に刈っていた。毎年もち米の品種から始まるらしい。

農業は天候に大きく左右される。今年は春以来、冷温、乾燥、猛暑、大雨など何かと異常と言われ続けた。皆さんの規模は昔よりはるかに大きい。やり直しが効くとは思われないゆえ、心安まる暇が無かったことだろう。

それでも稲作は平年並みと報道された。あと少し穏便な気象が続くことを祈らずにはいられない。

 

涼しくなって雲の形が面白くなってきた。雲は自然現象なのに、見上げるだけで即、巨大なアートに変わる。昨日のように雨を降らせたり風まで吹かせる。自然は偉大だ。

 

昼の雲本日は変化に富んだ気持ちのよい雲。

コンバイン美術館に隣接する農道を行く大型のコンバイン。

いま燃料の高騰は馬鹿にならない。
安全、新鮮、美味、美観、 日本の風土の根幹を支える農業!
こんな立派な仕事はない、どうか粘って頑張ってください!
新潟県でも再び小麦への取り組みや、地熱利用の野菜栽培などが試みられていると聞いた。

柿崎海岸で九月の驟雨に遭う。

2013年9月5日(木曜日)

午後休診の夕刻、春以来となる柿崎の海を歩いた。シーグラスを探しながら歩いたが、いつしか「浜千鳥」をくちずさんでいる。ここでよく千鳥を見るのと、千鳥と母が重なるので柿崎にくると自然に出てしまう。

生前シーグラスを探して持ち帰るたびに、ベッドの母は青くてきれい、大きいね、などと興味を示した。色々こまごまと喋った人でも、最後はきれい、大きい、小さい、もう少し、お腹空いた、などとしか言わなくなる。最晩年は、そんな時間がいっそう貴重で有り難った。

 

今夕の柿崎は東の方角に当たる米山が雨雲に被われていた。雲は次第に低く広がりそこから強い風が吹いてくる。いつもとは逆、まさか竜巻などは来ないだろうが、帰りには土砂降りとなり最後は走って車に飛び乗った。

前歩き始めた頃、東北の方角は雨雲。

 

途中から帰り始めると、強い風とともに雲がこちらに広がってくる。

 

本降りへずぶぬれになって車に飛び乗った。

途中まで湿った風が気持ち良かったのですが。
ずぶ濡れで車のシートに座るのは気持ちが悪いですね。
シーグラスはほとんどありませんでした。

秋を迎えて 水鳥 残照。

2013年8月26日(月曜日)

日が短くなり始め夏~秋へ季節は移る。新旧の暦に照らす暇もなく、気象や生き物そして気分・感情まで移ろうのを感じる。

昨日日曜日、4組のゴルフコンペは妙高CCだった。高原のコースでかろうじて100を切り2位のお土産を頂戴した。31もついているハンディキャップのおかげというほかない。

潟川 昨日日曜日夕刻の潟川。水鳥の影に秋を感じる。

さて潟川は上越市の大潟区と、吉川区と頸城区の一部の水田から水を集め、大潟区犀潟の新堀川を経て海に排水されています。
昔は小舟が往き来して稲を運んだと聞きました。筆者の子どもの時も我が子たちともこの川で釣をしました。よくフナが釣れ、ハヤやナマズを釣ったという人もいました。

四ツ屋浜の残照昨夕の大潟区四ツ屋浜の残照。秋の旅情が漂う。

7月始めの日没は19時15分ころだったのですが、今や18時25分ということです。

アメシロ退治 まことにタフなヨットレース 美術館は人生最後のレース。

2013年8月24日(土曜日)

秋を迎えて厄介なアメシロの二回目の繁殖時期になっている。。今夕、アメシロが巣をかけている木に梯子を掛けて大枝を切った。それを細かに切って焼いた。本当は枝など切りたくない所だが、消毒が効かない場合もあり致し方ない。当分格闘が続きそうだ。

慣れない梯子、枝きり、たき火、ともに汗だくになった。

さて色々と過酷なものがありますが、競技としてヨットのオーシャンレースがある。
9レグをかけて世界一周を争うボルボ・オーシャンレース(VOR)などはその一つだ。
艇が見えなくなるほどの大量のスプラッシュ(しぶき)、危険な傾斜角、遭難の領域を猛烈なスピードで帆走する。
落水を免れているのはしっかりハーネスを装着しているからにちがいありません。

超過酷なレースだが優勝はトロフィーのみで賞金は無い。

ヨットでほぼ30年前ありし日の小生?レース後の帰路、富山湾沖だと思う。
このときのレースは輪島-舳倉島往復レースだったのか。
当日夜半から朝にかけ、余りの悪天候のため棄権艇が出はじめレースは途中中止となった。
めったに行けないので舳倉島だけは廻った。

当時の数年間、およそ30フィートのレースヨット「オレンジペコ号」を皆で所有し乗り組ませてもらった。
艇は6人が寝泊まり出来、能登や佐渡のレースに参加したりクルージングを楽しんだ。
とび職、サラリーマン、機械リース会社の整備工、自衛隊員、、、皆さんは様々に能力がありレースは強かった。
仕事が多忙を極めるようになって、船を下りたが、クルー各氏には本当にお世話になった。

こんな写真を引っ張り出すと大変懐かしく、ある種別人と出会っている感じがする。
年を取ったが、人生の最後に美術館の維持という自分との戦いに参加しているようにも感じられる。

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