樹下だより

お話とお茶会 寒さが方向転換 庚申待ちの大河ドラマ。

2024年3月24日(日曜日)

さすがの寒さもS氏の言う通り彼岸を過ぎたら変わり、本日は温かだった。そんな日髙田仲町の「百年料亭 宇喜世」でフカミ美術主催の「お話と茶席」の会があった。

心づくしの食事の前、長野県須坂市「豪商の館 田中本家博物館」から来越された田中家12代当主田中宏和氏が話をされた。苦労の末商いを拡張し須坂藩を支えた田中家。20人分のお膳が8セットも必要だった豪商の生活と藩と浮沈を共にし荒波を乗り切った勤勉な信州人の骨頂は一種カルチャーショックだった。

茶席は二席で最初は井上宗皋(そうこう)先生の濃茶席から。味わいを高めるお軸とお道具類は重厚、一方お花の春蘭、炉縁の赤味と先生の応答に春の明るさが漂っていた。

向こうから古薩摩の茶入れ、
珠光青磁、左入の黒楽、木米のお茶碗。

次は佐藤宗佳先生の薄茶席。点茶盤によるお点前で私達は椅子に座る立礼(りゅうれい)だった。

席主さんが好きだと仰った七宝の杓立てと建水の青は、ようやく現れた青空の色だった。二席で頂いたお茶とお菓子はとても美味しく席主さんの人柄が表れた温かなお席だった。

 

そして今夕の大河ドラマ「光る君へ」は道長の結婚ばなしが「庚申待ち」の夜長とともに様々繰り広げられた。

庚申の夜、
道長の結婚に沈むまひろ。

まずドラマに庚申待ちが登場してびっくりした。当時から中国伝来の道教思想の一つとして、身体に密かに住む虫が60日に1回庚申の日の真夜中、就寝中の体から抜け出して天に昇り、自分がいた人の悪行を天帝に告げるという信心が始まっていた。これを防ぐため人々は夜遅くまで寝ずに過ごした「庚申待ち」の習慣。
後に庶民に広く浸透した行事は当初僧や貴族から広まったと聞いていたが、登場人物たちが自身の問題を抱えながら様々にその夜を過ごすのを観て、ああこんな場面があったのか、と興味深かった。

2019年2月に訪ねた
京都八坂庚申堂
今夜紹介されていた。

偏りもあろうが主に地方では時折社寺や路傍に庚申塔を見る。京都、奈良の中心的な古都では少ないと聞いていたが2019年の旅行で“本家”と言っても良いような立派なお堂を両市で見て喜んだ。

今夕久し振りの近隣、
四ツ屋浜の夕陽。

樹下美術館のカフェでドライカレーが新たなメニューになった。

2024年3月18日(月曜日)

本日も寒く午後車が示していた気温は6度だった。

ところで今年からカフェのメニューにドライカレーが入った。開館後4日経って8食の注文があったという。今まで軽食はパン類なのでお米メニューは初めて。宜しければお試しになってみてください。

ピクルスと野菜サラダそしてポットの珈琲また紅茶がつくセットで1200円です。

以下はメニュー表に掲載されたドライカレー。

本日はまた非常に寒かった。

近隣の雑木林の向こうの大きな雲。強風下でさまざまに姿を変えていた。何かプロレスラーのような表情です。
庭を巡ると風は強く頬が痛いほどだった。

寒い庭でクリスマスローズが
花盛りになっている。

明日午後から寒波が到来し一時雪が降りそうな予報。この予報は2週間も前からずっと出ていて、恐らくその通りになるのだろう。

天気予報はかなり先まで当たるのでとても感心させられる。悪天が予想される明後日は春分の日の祝日で初ゴルフを予約していた。本日申し分けないけれどキャンセルにさせてもらった。

2024年が開館 近隣の新しいフレンチで夕食。

2024年3月16日(土曜日)

本日2024年の開館日、風強かったが晴れて温かい初日になった。昨年12月16日以来の冬期休館、歳月は一段と早く、宿題も残しながら出発となった。

30人ほどのお客様は例年以上の初日。展示は面白く楽しいと言って頂き、カフェでは新顔のドライカレーもオーダーされた。
お客様とともに本年も無事過ぎるよう祈るような一日だった。午後仕事のためお会い出来なかったお客様、今年もどうか宜しくお願い致します。

開館に向けて何かと忙しかった妻と上下浜の「フォーブル」で食事した。今年1月、海が見える場所に開店したカジュアルなフレンチで、新鮮な食材が創意工夫され五感に美味しい夕食を堪能した。

 

18:30ころの店のベランダ。
暮れる海が見える。

豊かな山海の前菜。

カニが載ったリゾット。

久し振りにメインの魚、肉をこなしデザートまで年を忘れて美味しく食べた。潟町の仕事場から車ですぐの場所。地域が美味しくなるのは幸せなことだと思う。

本日2024年樹下美術館のスタート、皆さまには本年もどうか宜しくお願い申し上げます

今年の倉石隆の展示「兎に角生きる 展」の仕度が終わって。

2024年3月14日(木曜日)

開館して18年目の今年、倉石隆の展示準備が終わりました。

今年のテーマは「兎に角生きる」です。果たして作品がテーマに添っているか、倉石氏はそのつもりで描いたか、私には確固たるものがあるわけではありません。

ただ開館して17年が過ぎ、一種はたと気がついたのが、かなり多くの作品は尊大な(偉そうな)雰囲気や主張があるわけでは無く、氏の周辺で生活している人々の「普通さ」を一生懸命に描いているのではないかということでした。

人生になにがしか目的や目標はあろうと思われます。しかし知る限り、普段その日々は「兎に角生きる」の連続なのではないでしょうか。

大家が好んだ美人モデルや舞妓さんに踊り子さんなど鑑賞を伴う特別な対象とは異なり、ひごろ駅や街中で見かける人たちの「生活感」や「普通さ」を敢えて「肖像」として描こうとする。これは挑戦であり、一面容易な仕事ではなかったのではと思うのです。

現実にそれをする時、作者の技術もありますが、なにより自身が如何に真剣に周囲の人(自分を含め)を見てきたかが問われたのではないでしょうか。

 それぞれの年代を
精一杯「兎に角生きる」。

さあ出発のうぶ湯。
まずは兎に角生きる。

青春、壮年、
みな「兎に角生きる」。

時として人は「孤独」かもしれません。しかし作品を架け眺めますと、日々精一杯「兎に角生きる」点でみな一緒という「共通項」が浮かび「安心」が生まれるように感じました。

わずか12点の展示です。ご覧頂ければ有り難く存じます。

裏の桜に来ていたカワラヒワ。

本日午後、外は暖かく鳥たちの声が聞こえていました。温かくなると早速現れる小鳥たちは今まで何処にいたのでしょう。

春雨とは遠い冷たい雨 齋藤三郎作品の展示準備。

2024年3月12日(火曜日)

二日前に一日だけ晴れ間を見たが元の木阿弥、本日もシトシトと冷たい雨が降り続いた。そういえば「春雨」というのもあった、と懐かしく思い出した。

春雨ならばこれほど冷たいはずがない。どこか甘やかで草花の芽や蕾に優しい風情があったではないか。ただ寒いだけなのは年のせいばかりではなかろう。

昨日から今年の展示に向けて作業を始めている。展示は雰囲気が大事でプランだけでは駄目、やはり置いてみなければ分からないのであっちへやったりこっちへ戻したり、キャプションを変えたり色々楽しく試行した。

絵画室にも出して「ばらこくたい」。

木瓜(ぼけ)と飛鉄(ひてつ)文の台など。

松とカボチャの花、百合、スギナなど。
松の鉢は箱に皇紀2600年(昭和15年)
と制作年が記された若い時代の作。

ザクロと柚子の台。

 

手前は四季折々の植物の陶板セット。
向こうは竹の水指と湯呑。

数えてみると文様(図案)は植物や風景および詩文などで48種、器の数は89品になりました。文様は人気だった椿だけで数十になりますが場所を取るので三つだけにして出来るだけ多くの展示を心がけました。

当館にしては賑々しい感じですが、どうか齋藤三郎の多様性をご覧下さい。いずれもう少し詳しくお知らせするつもりです。

この先倉石隆についてもお知らせして参ります。

厳しい寒さの日曜日。

2024年3月10日(日曜日)

本日も大変寒く美術館付近はいっとき白くなった。午前は開館に備え来館者さんにお配りする齋藤三郎と倉石隆の展示品説明文を書いた。
午後庭に行くと男性スタッフが分厚く積もった庭と路地の冬落ち葉を電動ブロワーで吹き払っていた。便利な道具があるもので、建物を囲む玉石の面倒な落ち葉もこれで取ったという。明日は晴れますので集めます、ということ。明日でなくとも開館まで晴れ間はあることだろう。

寒かったがそうとばかり言っていられず、ゴルフ練習場へ行き200球打った。年取ったのに練習すれば上手くなると考えているのは一種「業」のようなもので、年々下手になっているにも拘わらず「去年より上手くなりたい」と思うのはもうどうかしている。

帰って庭仕事。過日の秋葉区行きで求めた草花を植える土を造り予定場所に入れた。馴染ませて開館後植え付ける予定。これまで肥料が濃すぎたきらいがあるため肥料分は広く深くし、根が接する部分はあっさりと赤玉と鹿沼だけに変えてみた。

以下は庭の様子。

 2月17日の同じ花。

 南の日陰の残雪。
不思議な残り方。

 1月9日に取り替えた卓上メモが一杯になった。

カレンダーの裏側を使っているが、
このたびは小さめで交換が早い。

夕食は」カレイの煮付け。

それにしても本当に「三月は冬の尻尾」で、暖冬の後は「厳春」。風情もへったくれも無い寒さ。ゴルフと庭仕事は貼るホッカイロを使った。

先週末の新潟市秋葉区訪問その2 新潟県立植物園。

2024年3月5日(火曜日)

去る3月3日曜日の新潟市秋葉区へのお出かけ掲載は、本日新潟県立植物園となった。
皆様はお出かけになった方も多いと思われるが私はここも初めてだった。
いくつかの行きたい場所が隣り合うようにあるのは、荒天では特にとても助かった。

季節が良くなれば丘陵を背景に望まれる水場や芝生ののびのびとした風景を見てみたい。

大きなドームを有する植物園に期待が高まる。

入ってすぐの親子のコーナーでおとぎ話と植物をファンタジー風に展示。上掲は赤頭巾ちゃんのリンゴ。美女と野獣、ジャックと豆の木ほかがあしらわれ、光のトンネルを通ってエリアに入る。次回は「はなとしあわせ」ということでとても良いテーマだと思った。

高い岩から数本の滝が落下している。ドーム内を満たす水の音が館内の雰囲気を生き生きとさせる。

オオギバショウの葉と花を見上げる。
左側に立つものが花のようだ。

ソーセージの木。

ダリの絵の中にいるような気分。

ひそかに咲いていた蘭。

食虫植物「ウツボカズラ」。

ベトナム北部のカイドウツバキ。

白花ブーゲンビリア。

ニューギニアのツツジの一種。

ドーム内はエキゾチックな南国の森を思わせ、手軽な旅行気分を味わうことが出来た。

天井の様々な環境コントローラー。
光、温度、湿度、気流などを管理
しているらしい。

見事だったアザレアの展示。

アザレアは江戸時代から西洋ツツジとして人気になった。現在秋葉区は日本最大級の産地だそう。本来の開花時期は4月~5月だが冷蔵管理などによって秋から冬の鉢花として親しまれている。咲き揃ったバリエーションとボリュームは圧巻だった。

以下は最後に見た水中植物のセクション。

神秘的な緑と愛らしい
熱帯魚に心休まる。

交通の要地新津。旧新津、小須戸、白根は江戸時代から現代までヤブコウジ、ボタン、チューリップ、アザレアなど内外のブームと同調しつつ研究を重ね今日成果がが実を結んでいる。新潟県といえば米と相場が決まっているなか、雪国にあって花を選んだ先人の見識に驚かされた。

寒風と氷雨のなか出かけた秋葉区金津。一か所に集まっている美術館と植物館そしてフラワーランドを楽しませてもらった。

かねが.ね当植物館を勧めてくださったS氏に感謝いたします。

新津美館でかってお世話になった松沢寿重館長にお会いできたのも幸運でした。

温かな週末 連日雪囲い外し バッハのアリア。

2024年2月18日(日曜日)

二日続きの好天。朝は寒かったが上越市髙田の最高気温が19,5にまで上がり上っ張りいらずだった。

 

様々な飛行機雲が見えた。

昨日庭の囲いを外したが、本日の空をみて午後から続きをやろうという事になった。

再度私が囲い縄を切り竹を抜き、家内が結び目を切り取る手順。

カラカラ、ガラガラと乾いた竹の音が庭に響いた。後に妻はクリスマスローズの葉を切り落とし、私は芝生でゴルフボールを打った。

夕刻の四ツ屋浜。

陽は少しずつ北に移動している。その方向に能登半島があるはず。本日皆さんはどう過ごされただろう。


1995年1月24日NHK交響楽団定期演奏会、
阪神淡路大震災への追悼演奏
「バッハのアリア」。


2024年1月9日小澤征爾さんへの追悼演奏
ボストン交響楽団による
「バッハのアリア」

庭の雪囲いを外してみた。

2024年2月17日(土曜日)

白鳥やハクガンではないが、当地ではもうさして雪は降らないと決め、本日午後美術館の庭の雪囲いの一部を取り外した。今冬雪らしい雪が降ったのは昨年のクリスマス前だけだった。

まだ降るかもしれない、といえばその通りだが陽気に釣られて外してしまった。但し囲いの中で木を縛っている縄はそのまま残した。

約二時間半外周の縄を切り囲いの竹を抜き、妻は結び目を切り解いた。

本日は7割方外した。作業量として、囲う手間の10分の1よりも楽ではないかと思った。囲って下さったお手伝いのお二方、済みません、黙って外してしまいました。

終わりころにお茶を飲んだ。

一番乗りしているクリスマスローズ。
このところの好天で。
3月15日開館まで持つか心配。

以下、この冬庭に落ちた枯れ枝です。細かい物はまだ沢山あります。

今年の倉石隆の展示。

2024年2月11日(日曜日)

作品点数がやや少なく展示場も狭い倉石隆の絵画。毎年一定の趣向を決めて展示するには智恵をしぼらなければなりません。

2011年まで5年間は特定のテーマを決めずに展示。その後毎年何らかのテーマ(趣向)で開催してきました。それらを眺めますと、男女、お嬢さん、挿絵、自画像と自己投影像、細長い絵、瞑目する人、カリカチュア風、朱色シリーズ、男性シリーズ、男女、多様性シリーズ、デッサンなどがありました。

スペースが狭いことに助けられなんとかクリアしてきましたが、アイディアが浮かぶとほっとし、ある意味楽しい作業でもありました。

さて今年の倉石隆のテーマです。氏が描いた人物は赤ちゃんからお年寄りまで一定の幅がありましたので“揺りかごからお年寄りまで“などを浮かべていました。するとこれでは羅列に過ぎず深みに欠けるように思われました。
そこであらためて候補の作品を眺めますと人物たちに“精一杯生きている印象”が濃く浮かび上がってきました。

その結果タイトルは「兎に角生きる」に決まり、うぶ湯や抱っこの赤ちゃんからお年寄りまで13点を選びました。

 

同ポスター、チラシファイル。

昨年12月、ある動画の対談で辛さを抱えながら生きるのは仕方が無いとして、かってボストンマラソン優勝、メキシコ五輪2位ほか数々の大会で優れた成績を残した君原健二選手の言葉が紹介されました。

氏はレース中、あまり他者との競争を意識せず兎に角「次の電柱まで走ろう」のくりかえしだったというのです。これを聞くと首をふりふり喘ぎながら走る君原選手が浮かびました。
ああそうかもしれない、確かに人生になにかしら目標はあってもその日々は“差し当たりあそこまで”を精一杯繰り返しているだけかもしれない。

倉石隆の人物たちにもそれが感じられ、それぞれの日々を生きる中で、ふとその手を離した時の表情に普段の生活努力が滲じむように浮かぶのを感じるのです(赤ちゃんにも、少女にも、大人にも、老人にもです)。

「兎に角生きる」あるいは「兎に角生きた」。年を重ねると、生活は余計そのように瞬間的な感覚の連続であるかのように思われてくるのですが、皆さんは如何でしょうか。

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