樹下だより

洋食器展が始まって 展示の一部からその2.

2023年4月20日(木曜日)

本日は昨日に続いて洋食器展のご案内です。
昨日は当館で最も古いカップ&ソーサー及びシノワズリ(中国趣味)とジャポニズム(日本趣味)の食器、一部アールデコを紹介しました。

本日はワイルマン→フォーリー→シェリーへと受け継がれた英国のある窯の食器からです。
私がこの窯の器に惹かれたのはその薄さと時代による好みの移り変わりの妙でした。特にワイルマンの薄さと軽さは際立っていて強く握ると壊れそうな感触がありました。デザインの繊細さにも目を奪われ観ているだけで楽しくなる器だと思いました。

右のピンクと奥左の黄色がワイルマン。
中央と左端がシェリーのリージェントタイプ。

シェリーに引き継がれるとアールデコの流行期と重なり、リージェントタイプには丸いハンドルとシャープなフォルムが見られます。

以下はシェリーのクイーンアンタイプです。

シャープさと丸みのバランスが人気。やはり薄く軽い器です。庭、樹木、花、幾何学模様など様々なモチーフがあり、楽しくお茶が飲めます。上掲のリージェントタイプとクイーンアンは現在もカフェで使用しています。

右のシェリーの2器は円と角が強調されアールデコの骨頂のような器です。左の銀器(ティーポット、シュガートレイ、ミルクジャー)にもアールデコ調が見て取れます。

精緻な文様とたっぷりとした大きな器のブレックファーストトリオ(1890年)になります。英国のミントン社製ですが、購入先の資料にはデンマークブレックファーストセットとありました。もう1揃いありましたが孫の進学祝いに献上しました。

以下はデンマークの名窯ロイヤルコペンハーゲンです。

金をたっぷり用い、手描きの花があしらわれた上品でやや小ぶりなヘンリエッタシリーズ。19世紀半ばから20世紀半ばまで長く人気を維持しました。

金と言えば以下ロイヤルウースター(英国)のペインテッドフルーツシリーズはその最たるものではないでしょうか。

ふんだんに金を使い洋梨、桃、スモモ、ブドウ、ベリー類などが手描きされました(1920年頃)。それぞれのペインターのサインが見られます。右手前の器以外はデミタスです。

上掲しましたが洋食器で見逃せないものにデミタスサイズがあります。小さくて気が効いていて愛すべき器ではないでしょうか。

デミタスサイズのカップ&ソーサー。英国のミントン、パラゴン、コールポート、ジョージジョンズ、ロイヤルドルトン、ロイヤルクラウンダービー、クラウンデヴォン、ロイヤルウースター。フランスのリモージュ、日本のノリタケが並んでいます。1800年代後半から1930年ころまでの器です。コーヒーは濃厚で高価だったため小さな器もまた好まれたようです。

右6客は1960年頃のリモージュ(フランス)、左の3客は1930年頃のコールポート(英国)、シノワズリのデミタスです。底に高台の無い筒型(缶型)のデミはすっきり見えて気に入っています。50年、100年以上前の人がほっと一息ついたカップでお茶を飲む。豊かな時間ではないでしょうか。

以下の明るい器はメルバ社(英国)のドリーバーデンシリーズ(1948年頃)。カフェで使用しています。

黄色のマフラーをなびかせた女性ドリー・バーデンはチャールズ・ディケンズの小説「バーナビー・ラッジ」のキャラクターということです。

最後はウエッジウッドで愛されたオズボーンシリーズのティーセットです。

控えめながら引き締まり、真っ白で上品なシリーズ。昭和が終わる頃東京の代理店で求めました。

洋食器は私などより遙かに詳しく広く網羅される愛好者さんが沢山いる世界です。展示は十分とはとても言えませんが、ご一瞥頂ければ有り難く思います。

明日から洋食器展 展示の一部から。

2023年4月19日(水曜日)

2007年6月に開館した樹下美術館。上越市ゆかりの陶芸家齋藤三郎と画家倉石隆両氏の作品を常設展示してきました。この間塩﨑貞夫さんや掘川紀夫さんの企画展、さらに昨年の「齋藤三郎ゆかりの人々展」および「ゆかり上越主体美術協会の人々展」などを開催することが出来、とても有意義でした。

そして今年第1回の企画展「洋食器展」が明日から始まります。本日はみなで展示の準備を行いました。
以下に仕度を終えたケース上の器の一部をご紹介します。

展示で最も古い器(入ってすぐのケース)。
奥1800年頃のベルリンKPM(独)
手前1830年頃のコールポート(英)

カフェでお出ししているカップ&ソーサ。
ロイヤルドルトン1930年代(英)
アールデコ風デザインの典型です。

カフェで好評のオールドノリタケ(日本)。
1910年代英国へ輸出したセット。
ハンドル(つまみ)が可愛い花です。

シノワズリ(中国趣味)の器。
手前1930年頃のミントン(英)
奥1900年代前半のローゼンタール(独)

ジャポニズム(日本趣味)の器。
梅、竹、菊などのモチーフ(いずれも英国)。

個人的に1910年~1930年代にかけて流行したアールデコ風デザインが好きなものですから、そのような時代のものがやや多めになりました。
アールデコはカーブと直線、あるいはシンメトリーが効いて、どこか懐かしさもあります。父母若かりし時代に相当し、どこかでDNAが作用しているのかもしれません。

明日は洋食器展その2を記載させてください。

ところで夜間、美術館に用があって出ると濃い霧がかかっていました。

 

 


シル・オースチンのテナーサックス
「白い夜霧のブルース」
こんな曲を知っている人も少なくなった。

誇らしい花々 長野県の人たち。

2023年4月15日(土曜日)

温かな冬は時折巡ってくるが、今冬の雪の少なさと温かさは特別だった。花々は早く訪れ一段と盛大に咲いている。

大潟区潟町の仕事場の椿。今年の花数は特に多く見える。私の幼少から既にあった椿で、すぐ下のヤマブキとともに目を惹く。本日訪ねた方が見て驚かれていた。

午後からはホームセンターへ行き。トレーシングペーパーほかアヤメやラベンダーおよび園芸用土と肥料を購入した。広い園芸館で花などを選ぶ大勢の人を見ると幸せな気持になる。

美術館でお茶。

庭の花にカメラを向ける長野県から来られた女性三人組とお会いした。
挨拶すると庭を褒めて頂き、新潟県は良いと長野の人らしいお言葉。“いえ、長野は空気が澄み自然が美しい”と言うと“山ばかり”と謙遜される。それではと“長野の人は頭が良く勉強熱心”と話すと、“新潟の人は親切”と返された。
こんな風に他県や県内の遠方の方たちと話をするのはとても楽しい。

美術館の前の道路に咲いていたノスミレ。繁殖力の強いスミレとはいえこんな場所をものともせず、誇らしげに咲くとは。

終日の曇り空。アヤメとネットで購入した松本センノウなどを植えて撒水し、今日も暗くなるまで庭にいた。

来週4月20日木曜日から初めての試み「洋食器展」が始まる。

清々しい日 洋食器展の準備 花を植える。

2023年4月13日(木曜日)

2月から木曜日の医業を全休として3ヶ月目になった。踏み切るに当たって約二ヶ月半ほど前から皆さまにお知らせメモをお渡しして踏み切った。当初は知らずに来ましたという人が見えたが、ようやく認知されたような雰囲気になった。

休み前後の日は少し忙しく感じられるけれども、皆さまのお陰で週の中ばに休める事は“本当に本当に”有り難く感じる。
本日は午前11時頃から昼食を摂らずに絵を描き、2時頃から美術館へ顔を出した。

よく晴れやや寒い外気は気持ち良かった。
駐車場で自転車に乗ろうとされる女性と出会った。群馬県からご夫婦で釣りに来られ、夫は海、私は自転車で周辺を走るのが決まりのようになっている、と仰った。
普段絵を描き、人物デッサンもよくする。およそ形にばかりとらわれるが、本日観た倉石隆のデッサンの内面と表情の豊かさは非常にためになったと仰った。

群馬の人というだけで貴重、そのうえ倉石隆の感想は嬉しかった。また齋藤三郎の花の絵付けも独特で良かったと話され、張り合いを感じた。
黒井の火力発電所周辺の海岸は群馬、長野の車でいつもいっぱいだと聞いている。ご主人の釣果は如何だったでしょうか。どうかまたお寄りください。

本日の駐車場。

ヤマザクラが開花するや木々は一斉に新緑へと進む。新緑は多彩で麗しい。

夕刻までスタッフと次回「洋食器展」の仕度をした。

ミッドウインターやロイヤルドルトンのセットなど。

シェリーやメルバ、銀食器のお茶セットなど。

ロイヤルウースターやミントンなどの主にデミタスサイズ。
仕度するスタッフは楽しい!と喜んだ。陶芸の展示ケースに入りきれないかもしれない。

閉館後のいっとき取り寄せていたホトトギスとノアヤメを植えた。アヤメは長年モグラ被害に遭い寂しい景色になっていたので、電池式のモグラ忌避機を埋めた。果たしてどうなるのだろう。

日ぐれて赤いイカリソウを見つけた。

東北大震災後茨城県から運ばれたショウジョウバカマに混じっていたイカリソウが増え、赤花が一輪咲いていた。

従来から庭の片隅にひっそりと白いイカリソウが一輪咲く。赤が欲しいと思っていた矢先の幸運。スコップと指で根を外し10芽ほど取り出した。

暗くなったため地面に根を埋めたっぷり水を遣った。陽当たりを好むので良い場所に植えてやりたい。

今更と思ひて植えし花苗に水遣り終えれば夕の清しき。

庭仕事終えて一先ず鼻をかむ

ソメイヨシノの爆発的な成長。

2023年4月4日(火曜日)

美術館裏手のソメイヨシノが満開になっている。毎年樹の成長ぶりには驚かされる。

以下本日の花とかっての写真を比べてご覧下さい。

本日のソメイヨシノ。敷地にヤマザクラは7,8本あるが、ソメイヨシノは2007年の開館時に植えたこの1本だけ。ある時期からぐんぐん伸びた。

以下若かりしころの同じ木(苗)。

2009年6月、開館3年目の木(右の輪の中)。

 

本日、上掲写真とほぼ同じ方向の桜。15年でこんなになり、デッキの雰囲気も変わった。

 

2010年4月の木。だれにも見向かれずひっそり花を咲かせ散っていた。
何とか人目を惹くようになったのは5,6年前から。

今やこの樹の何本もある根が地上に盛り上がり、そばの石垣を崩すのではないかと心配している。青年期へと成長しつつあるような印象を受けるが、いつまでも若く溌剌としていてもらいたい。

春雨の庭 祝福されているような花たち。

2023年3月26日(日曜日)

日曜日の今日、晴ていれば早く起きて大潟水と森公園へ行き春の鳥を撮りたいと思っていた。昨夜目覚ましを6時45分にして早めに寝た。
だが朝からしっかり降っている。待てど晴れそうも無くあらためて見た予報は一日中雨だった。それではと10時までぐっすり寝て身仕度、新聞、食事のあとやおら絵筆を執った。
4時間半、座っては描き、描いては屋内を歩き回った。たとえ何時間、どんな風に描こうとも問題は出来映え。少しでもご期待に添えるよう取り組み続けたいと思っている。出来上がりに近づいたならまた掲載させてください。

夕刻4時過ぎて美術館へ行った。皆さんが帰られて静かになった館内と庭を観た。展示の安定した雰囲気はこれまで通りだったが、庭の変化は目覚ましかった。

以下夕刻近く肌寒い雨の庭です。

手前のコブシと
向こうのホウキザクラ。

例年寒さをものともせず眩しいばかりに咲くヒュウガミズキ。

数日前まで固そうな蕾だったヒヤシンス。

駐車場脇、何カ所かの水仙。

東北地震の翌年、茨木県からやってきたショウジョウバカマ。

クリスマスローズ。終わったらしっかり肥やしをやろう。

独りでに咲き、
移動するキクザキイチゲ。

晴れた過日、よく香っていた沈丁花。地味が合わないのか小さなまま。周囲を掘り返して施肥の予定。

5㎜ほどの小さな花はヒサカキ(当地のサカキ)。
地域の池周辺の急な傾斜地に沢山生えている。フナやコイの乗っ込み時期〔産卵期)に釣りしているとかなり強く匂う。タクアン漬けあるいはメンマに似た匂いと言われ、悪臭とされても仕方が無い。
地味な花は釣りに最適の時期に咲き、また何年に一回は統一地方選挙と重なる。釣りの最中に田や湖畔を渡って聞こえる選挙カーの音とともに懐かしい匂いでもある。

冷たそうな雨に黙って打たれる花はけなげだ。
この世を終えたら花になれればいいと思う。敢えて言えば野に咲くのが良く、手抜きされかねない家の庭は勘弁してもらいたい。


雨に祝福されているようだった花たちのために。

春分の日 絵筆とシューベルト スポーツ観戦の鳴り物 ノイズに夢中で良いのか。

2023年3月21日(火曜日)

温かだった春分の日の祝日。スマホの妙なる目覚まし音「我が母の教え給いし歌」が余りにも優雅に響き二度寝を繰り返したため、起きたのが昼近くだった。
だが慌てることもなし、長寝が必要だったと納得し身支度をして用意された朝昼兼用食をゆっくり食べた。

冬鳥が去った後、暇をみては絵筆を執る。小品中心とはいえ数が多いため時間が必要だ。本日西王母椿に手を入れると、ようやく15点が一定の段階まで揃ってきた。

2月28日時点の西王母の2枚。
当時殆どが下段どまりだった。

以来葉を濃くし枝とシベを描き、右の花に影を付けた。

この絵の15点が揃ってここまで来た。
細部と陰影、バックなどまだまだ。
ほかに風景と菊の静物等もある。
6月に間にあうだろうか。

本日はシューベルトのピアノ五重奏、いわゆる「鱒」をYouTubeで聴きながら描いた。「鱒」は歌も良いが五重奏はいっそう鮮やかで楽しく、ピアノが生き生きしている。鱒の季節が気になる所だが調子の印象から春として聴きながら描いた。

だが3時間近くなると疲れ美術館に顔を出した。
聞く所によると陶芸、絵画とも観やすい親しみやすい、と好評らしい。確かに焼き物と言えばまず「壺」のイメージがある。また「お嬢さん展」はデッサンと版画メインだが、一目で若さや愛くるしさに出会えるので良かったのか。

さて寝ている間にWBCは素晴らしい逆転で勝っていた。これもユーチューブ。勝っているのだからチームワークの良さは素人目にも分かるし、監督が優れていることも伝わる。
ただ一点、外野席に陣取る鳴り物は明らかに浮いていて見た目にも恥ずかしかった。

あくまで観客は客。それが主役とともに目立っているのはどうかと思う。バレーボールしかり、大声を揃えて客が試合に参加するのは日本独特の文化だろうか。
一方、観客の多くがサポーターとして旗振り揃って大声を出すサッカーは世界共通であり例外かもしれない。

ゴルフも観客が特定選手のプレーによく大声を出している。選手によって不興を表明したり、嬉しいと言うなど反応はまちまち。私個人は観客の大声は邪魔だと感じる。

総じて観戦マナーとしては拍手や驚きの歓声など自然な反応で十分ではないのか。お金を払って観ている者同士なのだから、基本個人が余計なノイズを生じさせるのは感心しない。
音というのは防ぎようが無く、厄介だ。それで言うと修行において食事を無音で行う禅の徳目が目を惹く。

文句のついでにもう一つ。
首相がウクライナを電撃訪問した。コメンテーターは目的と成果を論ずれば良いのに、NHKと日テレだけが知らされていたのではないかと、物識り顔でノイズに埋没している。
仕事の本質と哲学を忘れ、ただただ見た目や末梢で済まそうとする。それで言うと為政と学問文化の根幹であり、忘れっぽい人間のためにこそある資料、文書を「ねつ造」と言い出す風潮しかり、何が動機なのかあまりの軽さに悲しくなる。

こんなことで国は大丈夫なのだろうか。

明日から今年の開館です。

2023年3月14日(火曜日)

昨年12月15日が同年度の最終日だった樹下美術館。以来冬期休館の三ヶ月が過ぎ明日2023年度の開館になりました。創立17年目を迎え、休館の三ヶ月は諸般忙しくあっという間でした。

展示は常設の齋藤三郎「壺展」と倉石隆「お嬢さん展」から始まり、「洋食器展」「館長の絵画写真展」「篠崎正喜展」「絵付け陶芸三人展」「A氏のコレクション展」と5つの企画展を予定しました。企画は例年よりずっと多く、準備に忙しかったのですが、楽しみな一年を予感しました。

本日は常設展のご案内。入って直ぐは「お嬢さん展」です。

 

中央の6点のうち4点が初展示のデッサン。

 

右パネルの2点は倉石氏1980年代の個展パンフレットです。表紙を少女が愛らしく飾っています。ほかに版画、石版画など若い女性の16点です。モデルの個性と年代を的確に表現した倉石隆の目と力量をご覧下さい。

絵画の先の陶芸ホールは「壺展」です。

 

 

壺のみの展示は初めての試み。様々な草花のモチーフ、陶器に磁器、色絵に染め付け、面取りや掻き落としの技法など齋藤三郎の多彩さをご覧ください。
固有の容積と口を持ち呼吸する21点の器、壺。それぞれの表情と全体の迫力にあらためて驚かされました。

そして庭。

 

例年より早くクリスマスローズとヒュウガミズキが咲きはじめました。

展示をご覧になる場合、入館料は200円→300円に上げさせて頂きました。ただし入館無料のカフェのメニュー料金は昨年のまま据え置くことに致しました。

コロナ対応です。
スタッフはマスク着用、お客様はご自分の意向にお任せ致します。当分戸惑いはあろうと思われますが、着ける着けないはあっても互いを尊重し、静かに認め合うならばそれもまた幸せではないかと考えています。

またお客様間と受付のアクリルパーティションを取り去りました。但し入口ドア、雨の日以外の天井の排煙孔、カフェの1カ所における一定程度の開放を継続し換気に留意、場内二基の空気清浄機の運転は続けることに致しました。
いずれにしましても今後の動向によって柔軟な対応が必要とも考えられますので、どうか宜しくお願い申し上げます。

当地は例年に無く小雪の冬、そして3月は晴れ間に恵まれています。
何かと忙しくなりそうな一年ですが、スタッフ一同心からお待ち致しております。

倉石隆の「お嬢さん展」はほぼモノクロームに。

2023年3月5日(日曜日)

よく晴れましがた寒い日曜日でした。
開館まで10日足らずとなり、この先も良く晴れ10日間予報は今週いっぱい毎日晴れマークが出ています。開館の15日はどんな空でしょうか、晴れて欲しいと願っています。

さて開館後最初の展示の一つ倉石隆の「お嬢さん展」です。具体的に作品選びを重ねる過程でデッサンと石版画に当館未発表作品がかなりありました。
また倉石隆生前の個展カタログ2点に可愛い表紙がありましたので、それも額装して展示をすることにしました.

その結果カタログ以外全体がモノクローム(単色)となり斬新。発表ずみの油彩が無くともスペースが十分となりましたためあらためてお知らせした次第です。

下見した人物デッサン。

 

版画と石版画および個展カタログ。

写真でお示しした作品のほか以下2点のデッサンを追加いたします。

 

「お嬢さん展」と名づけましたが、幼い人からお姉さんと呼べる人まで、若い女性の雰囲気に加え個性や年令を描き出した倉石隆の筆力をどうかご覧下さい。

頭髪の改善 直らない失念と間違い。

2023年3月3日(金曜日)

本日の散髪で、目立っていた右後頭部の白髪が良くなりまたねと言われた。一昨年春から初夏のころ、見づらい場所ながらそこだけ髪が真っ白になっているのを知った。薄毛だが黒かったのに真っ白な部分があるとは、当時とても驚いた。

馴染みの理容師さんは染めましょう、と言ってすぐに取りかかってくれた。以来散髪のたびに染め、一年半を過ぎた本日、もう見分けが付かないほど良くなっていると仰った。
実はもう一カ所左額の生え際で脱毛が起こっていたのだが、数ヶ月前からそれも戻っていた。

白髪の出現時コロナワクチン接種やその実施届けの電子化などに忙殺され強いストレス下にあった。挙げ句の果ては心筋梗塞発症の搬送騒ぎだった。頭髪の変化もその反映だではないかと考えた。

この年令で頭髪の異常が改善されるのは何かしら安堵を覚える。本日店のあるじは昔、長年の円形脱毛症が退職によって直った例がいくつかあったと話された。私はそのような人を知ると敬意を覚え、改善や退職を祝いたい気持になる。

さて話は飛んで、白髪、ハクガン、、、。最近白と言えば本欄でよく間違える鳥の名にシロチドリがある。つい最近もコチドリと記載した鳥は実は「シロチドリ」であることを鳥のサイトで知った。
同じ間違いは昨年3月に気がつき、本欄で訂正していたのだが、再度コチドリに戻っていた。

昔からある言葉を決まったように間違えたり思い出せないことが起こる。特定の人名と一部に花の名前がそうだった。
筆頭は「レオナルド・ダビンチ」。
何故か先にミケランジェロが出てしまうともう駄目で、「モナリザの作者」で検索せざるを得ない騒ぎになる。
現に本日も検索してダビンチを確認した。
何十年も前からのことであり、若年性認知症と指摘されそうな話だ。

この事で言えばかって若い親族の進学に際して希望校が望み薄と聞かされた。それではということで週一回英語を教えたことがあった。
そのとき、間違える癖があるものは、過去間違った回数の何倍も呪文のように正解を繰り返せばいい、と勧めた。そのせいかどうなのか、英語が見違えるように良くなり、同時に他の教科も伸びて半年後2ランク上の進学を果たした。
それが自分のこととなると今もってダビンチが苦手、以前に花の名、近時シロチドリがあやしくなった。

以前に、迷ってもダビンチが出てくるよう「ミ、レ」を手がかりとして思い浮かべることにした。「ミ」はミケランジェの「ミ」、「レ」はレオナルド・ダビンチという方法だ。
だが本日「ミ、レ」は直ぐに浮かびミケランジェロも出たが、「レ」は駄目だった。モナリザの絵が頭全体を占め作者の名はどうしても浮かばない。
検索などで一旦分かればしばらく良いのだが、ダビンチに関して何かトラウマでもあるのだろうか。

花や鳥に言及することが多いブログ。机上メモに記すなどして間違わないようにしないと。

コチドリ→シロチドリはあらためて訂正のうえお詫びさせてください。
皆さまにもダビンチのようなことがありますか。

ゴメンネ、「シロチドリ」
とても可愛い。

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