明け暮れ 我が家 お出かけ
机上メモの取り替え。
普段使っている机にA3よりも一回り大きいメモが乗っている。ブログをみると2019年夏から始めているようなので4年半くらいは続けている自己流の机上メモです。
大抵は終わったカレンダーの裏を用いて、書き物や調べ物でチョッチョッとメモる紙です。およそ4,5ヶ月から半年くらいで一杯になりますので替えますが、この度は昨年8月のを終わりとしました。。
以前はコロナ関係の記載が目立っていましたが、この度はスマートフォンの使い方、行事予定、美術関係、昨秋購入のプロジェクターほか買い物予定、気になった英語、ブログ向けの調べなど雑多で、キリスト教のメモも見られ懐かしさを覚えました。
主にボールペンで書き、必要度の高いものは赤で、時には一度書いた上にマーカーで書くなどかなり徹底して使いました。
この度はやや小さな紙に替え、
しゃんとした気持になりました。
最初のメモはなんでしょうか。
さて本日夕ご飯前、スマホがぶーぶー、ぶーぶーと鳴り緊急地震速報が知らされた。すぐにぐらぐらと来ましたがじきに止みました。震源が佐渡付近、当地の震度は4でした。佐渡、能登半島北部、上越市の位置関係はほぼ二等辺三角形を描きますので不安です。
昨日から雪が降りました。
上掲写真は昨日仕事場から潟町駅に向かう道路。一応消雪パイプが通っていますので助かります。本日はほぼ止み、積雪は15センチほどです。
次回の本欄は正月旅行2日目、平等院に続き同じ宇治の黄檗宗万福寺を書かせて頂く予定です。
長きあこがれ宇治平等院で。
正月は8日となり本日月曜は成人の日。
かっての自分のその日は東京で浪人中で、受験を控え式の意識は皆無だったのではなかったか。
その60年前に夢想だにしなかった今年正月の短い西国旅行。本日は去る1月2日、幼少からの憧れ宇治平等院行きを記したい。
小学時代の高学年、切手を集め始めていた。安くても手に入る記念切手に混じって国立公園などの名所切手をあこがれとともに眺めていた。
中でも特に気に入っていたのが錦帯橋と宇治平等院だった。錦帯橋は2012年母の遺影をリュックに佐賀県の菩提寺を訪ねた帰路岩国に寄って念願を叶えた。
錦帯橋
昭和28年発行の観光地百選切手
そしてこのたび1月2日午前早く、80過ぎて初めて平等院を訪ねた。
平等院鳳凰堂
昭和25年発行国宝シリーズ切手
いずれの切手も今は手許にありません。
初めてこの目で見る平等院鳳凰堂は
想像を遙かに超えて素晴らしかった。
浄土か来迎か
「平等院雲中供養菩薩」の図録表紙
地下の鳳翔館の壁や美しいガラスケースで観た雲中供養菩薩像群には有り難くて言葉も無かった。展示されて20躯を越える菩薩はそれぞれ細い輪光を負い法衣をなびかせ、麗しい雲に乗って合掌し、楽器を奏で、法物を手にするなどして天から軽やかに降りてくる風だった。
鳳凰堂と庭園は浄土を表すようだが、雲中供養菩薩は一つに浄土の表象でああろうが、死を迎えようとする者を来迎し供養するために降りてくる大事な役割を負っているのではないかと写った。
これまで800例前後の看とりを経験したが、それぞれの場面は全く様々で、その都度“ああ今この人は自らの苦楽を終えられ冥界に入られた”と胸に刻み合掌してきた。多くの人でそうだったが、父、母の時は加えて人生のあまりの「はかなさ」に涙が止まらなかった。
しかし平等院で多くの慈悲に満ちた菩薩の来迎する様を見て少々考えが変わった。
老いや病でお終いの喘ぎの際に、どこからともなく漂い集まる菩薩たち。私達にはそれが見えないし聞こえない。だが見えも聞こえもしないゆえ余計に尊いのだろう。長く苦しんだ人も突然の人もそれこそ「平等に」そっと慈しみを受け供養される。
しかし私にはその後死者はどこへ導かれるのかはまったく分からない。
もう50年近く前のことある先人に尋ねた、私の祖先だけでも何千何万人もいて挨拶回りでけで明け暮れするかもしれない。まして全人口ときたら何億何兆の不死の先祖であの世はぎゅうぎゅうだろう、たとえ極楽でも、と。
日頃、死はただ一点、生命の終息現象であり、あの世は多分無く、この世で全てが完結していると思っている。そしてこの度の平等院の雲中供養菩薩をみて、死の床で最後に苦しむ者に対して、様々に麗しい菩薩たちがやってきて、経を唱え音楽を奏で苦楽の生涯を祝福(供養)し救済するイメージをこの胸に仕舞った。
臨終で死後数十分するとおよそ皆それまで見たことが無いような穏やかな顔になる。もしかしたらその間に諸菩薩が心込めて慰め供養してくれからではないのか。
その後を問うのは自由だが、少なくとも何千何億という人々の精一杯の苦楽や修行の末に生まれたであろう雲中供養菩薩の姿と振る舞いは人生の終末にまつわる形而上の曖昧さに対する一つの正解かもしれない。
※生前、諸菩薩に癒やされ励まされるのは勿論ですし、より安寧な死後世界があるとする考えも真っ当だろうと思っています。
正月の西国旅行 一日目京都。
昨年正月は隣県長野の別所温泉の一泊旅行をした。安楽寺の国宝三重の塔は静寂の中、夜半に降った僅かな雪で各層の縁が白く染まり、それは美しかった。
今年はせっかくだから温かい地方へということで、京都、倉敷、高松に一泊ずつして西へ向かい、4日午後最後に備中玉島へ赴き、江戸時代に若き良寛さんが修行した円通寺を訪ね、何とか無事な正月旅行を終えた。
一日目の午後京都で知った能登半島地震。終始気をもみながらの旅だったが、間もなく82才を迎える旅行記念として本欄上に拙い足跡を残すことにしました。
京都の宿は駅に繋がったホテルで移動には便利だった。
早速のめあてを訪ねる
「泉涌寺(せんにゅうじ)」の長い参道。
同寺は数ケ寺の塔頭を有する皇室の菩提寺。
初めに左手前の「戒光寺」
寺院の正月花はいずれも見事だった。
大きさと美しさに圧倒された
「戒光寺」の「丈六釈迦如来立像」
運慶・湛慶親子の作とされる。
戒光寺を出て長い参道を歩くと深閑とした山あいに「御寺 泉涌寺(みてら せんにゅうじ)」の大きな伽藍が現れる。
宗代の「楊貴妃観音菩薩」
異国情緒の表情と宝冠。
(絵はがきより)
泉涌寺の水源である「泉湧水屋形」。
左手に清少納言の歌碑があった。
歌「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも、よに逢坂の関はゆるさじ」は百人一首に。
泉涌寺を出て歩くと右側に「即成寺(そくじょうじ)」。境内裏手に那須与一の大きな墳墓があった。
数日後、高松往復の海上で源平合戦の那須与一にまつわる屋島が繰り返し見え隠れし、旅情を誘われた。
即成寺の高札を観ているときに頭がくらくらとして、何か発作が起きたと思った。間もなく東京の長男から電話があり、能登地震を知らされた。
京都は泉涌寺とその塔頭二ケ寺を回った。
雪はこの程度にしてもらいたい。
正月のこと 地震と旅行。
拙ブログの読者の方々、ただいま帰りました。
実は正月1日午前、かねて計画していた3泊の旅行にでかけ、本日4日夜、先ほど11時に帰って来ました。
地震を初めて知ったのは京都でした。到着後に訪ねた寺院から出て間もなく、東京の長男から「地震大丈夫?」という電話でした。私達が上越にいるものと思って掛けてきて、私の反応は「地震て何?」でした。
電話の直前、寺院から表に出て、あらためて高札を読んでいると急に頭がふらふらとなり、2年前に心臓発作を起こした時に最初に襲われた症状に似た感覚がしていたのです。当日のことが脳裡をよぎり強い不安を覚えましたが、これが京都に波及した地震の揺れだったのです。
長男からの第一報を聞き、上越に戻ることも考えましたが、宿に帰ってテレビで観た被害と遮断された交通からとても帰れるものでは無いことを知りました。また家の近くの甥が見回ってくれた大潟区の仕事場と頸城区の美術館の状況が深刻ではないことが分かり旅を続けることにしました。
お陰様で京都、倉敷、高松と泊まり、本日備中玉島の円通寺を訪ねたのを最後に帰宅したという次第です。
夜遅く帰宅、散らばった本やCDを片付けるとお腹が空き、今ほど夜食を食べながらとりあえず本日分を記載しているところです。
1日と3日の記事は出かける前に予定投稿をしましたので、特に3日の「ノンアルに酔う」は地震と無関係なもので、ご不審をお掛けしてしまいました。
申し分けありませんが、本日は遅くなりましたのでこれでお終いにいたします。
後日旅の事などご報告出来ればと考えています。
中心被災地の皆さまには心からお見舞い申し上げます。
二次的な生命と健康被害は今後さらに深刻さを増す事が想像されます。支援として自分に何ができるかあらためて考えたいと思っています。
一日1万歩は歩いた旅でしたが、妻共々元気に帰った事を報告させてください。
今年もこれに懲りず、どうか宜しくお願い申し上げます。
ノンアルで酔う。
年末年始はお酒の季節です。過日のこと、初めての方を交えた食事の席で少々変わった事が起りました。
総勢5人の夕食会、普段アルコールを口にしませんので私一人メニューのノンアルにあった巨峰の葡萄ジュースを頼みました。初めてお会いする人もいて緊張も楽しみもあり、巨峰ジュースもとても美味しかったのです。
時経るに従い一同和気藹々となりました。若き日のこと、趣味、文化芸術など話が弾みます。ところがどうでしょう、座が興じるにつれ私の胸は高鳴り、顔が火照るのを感じましす。
たまにはこんなことがあったかも、と思いながら、あるいは皆さんのアルコールが漂い、なにかしら私にも効いているのでしょうか、酔い心地のような気分を覚えるのでした。
「私、赤くなってない」と傍らの妻に訊きました。
「あら、真っ赤よ」と妻は言い、皆さんも口々に「赤くなっている」と言いました。
ほっぺたを触ると熱く感じます。これはノンアルでは無いと確信し、お店の人にグラスを渡し、確かめてと言いました。
ややあってその方が来ました。
「済みません、注文されたジュースの隣のアルコール入りをお持ちしてしまいました、本当に申し分けありません」
と言って別のグラスを持参されました。
同じ赤色でしたが、ずっと薄い色になっていました。
だがそれも冷たくシンプルでとても美味しく、今度は安心とばかりゴクゴクと飲みました。
こんなことがあるんだね、と話が盛り上がり、宵を薄めるため水も沢山飲みました。時間が経つと顔のほてりが薄らぎ気分は次第に元に戻りました。
楽しい食事が終わると帰宅です。店の方は、私達の責任ですからと仰り、車を二台用意し店の人が代行運転をして家に送り届けて下さって一件落着となりました。
以上ですが、私はアルコール検知器のように正直に反応すること、葡萄ジュースはアルコールが入るととても美味しくなることが良く分かりました。
ところで今どきの若い人や外国人の中には食事でアルコールを飲まず、水にする人が時々います。外食なら妻はビールなどを少し飲みますので、飲まない私は喜んで行き帰りの運転手をします。
但し記念の祝賀会などの宴席では、水だけだとどうしても居心地が悪く、落ち着きません。
宴会は酔ってのんぼのものですから、しらふだと時間とともに興ざめし、相手の方にも申し分けなく恐縮至極の気持を否めません。初対面の方にはなおさらです。
そもそも私はADHDといってアルコール分解酵素がほとんど無い体質です。アルコールが強く悪く作用するのです。その結果食道癌発生率が通常の70~150倍も高いのです。そのためでしょう、6,7年前に食道に前癌状態の小さな異常が発見され経過観察となりました。また21年の心筋梗塞ではビールを飲んでいる最中に動悸とともに失神して倒れました。
それでは宴会はどうすれば良いのでしょう。一つは、親しい人たちや仲間の会ではノンアルを飲む。もう一つ、知らない人が混じる会、特に祝賀会・宴会は欠席することです。もう年ですから十分ですということも理由として通りはしないかと思っています。
ちなみに、
「少しいかがですか」
「済みません、車で来ましたので」
「いいじゃないですか、代行を頼めば」
ここで体のことなど持ち出せば興ざめですし、ただ「申し分けありません」としか言いようがないのです。
宴会で飲まないのも困りますが、飲まなければ楽しくないのは困りませんか。
今年を振り返る。
本日大晦日。ますます月日は早くなりますが、どうしようもありません。それについては深く考えず、ぼかかしながら身を任せるのでいいのではないでしょうか。そのなかで何か新しめいたことや、人の情けに出会うことがあれば喜ぶ、そんな毎日と一年でした。
本日はざっと一年を振り返りました。
美術館の催事としまして、3月15日「齋藤三郎の壺点」「倉石隆のお嬢さん展」から開館し、途中から上越市小林古径記念美術館で「齋藤三郎生誕110年展」があり、当館から30点近く出品しました。そのこともあって陶芸ホールでは「洋食器展」、「館長の写真展」、「館長の絵画展」、「篠崎正喜展」、「絵付け陶芸三人展」を次々に開催しました。
めまぐるしかった企画展。消耗もしましたが結果として無事開催させて頂きました。お世話になった皆さま、ご来場の方々には心から御礼申し上げます。
そのほか何かと忙しい年でした。
3月、「裏千家今日庵新潟支部総会」
総会後茶会の有沢先生のお席
この日何か表彰を受けた。
9月、髙田文化協会60周年記念祝賀会
特別講演された堀口すみれ子に花束
齋藤尚明作陶50周年記念祝賀会で
今年は何度か記念の会があり挨拶などをさせられました。81才になり賞味期限が過ぎた証しにほかなりません。
当館の催事では10月の篠崎正喜さんによる「生成AIと美術」の講演会を致しました。篠崎さんらしい独自の感性とトレンドに対する的確な指摘は大変に有益でした。
個人的には
正月に別所温泉の一泊旅行で始まりました。初めて訪ねる信州塩田平は清々しい場所でした。
5月に随分久し振りに軽井沢で友人と、春秋の2回タッフのご主人とルフをしました。8月は患者さんの倅さんが出たこんにゃく座の二人芝居を観て、婚約者を連れた甥っ子と食事、10月は上京し六義園と護国寺を訪ね東京芸術劇場で同郷の先人汐澤安彦氏指揮の白金フィルを聴き、大潟区でチェコ在住の吉川区出身ピアニスト市村幸恵さんとチェコフィルのコンマス・バイオリニストとオーボエ奏者のアンサンブルを聴き、10月にある医師の開業20年コンサートを聴きました。今年春・夏に木村茶道美術館でお茶を飲み、そちらのスタッフさんからも当館へ訪ねて頂きました。
鳥では冬の田で沢山ハクガンを撮り、柿崎のシロチドリに接し、くびき憩いの森でなんとかエナガを撮り、先日は今年初ハクガンの大きな群と出会い幸運でした。
医療では軽症化し5類になったコロナの例数は減らず、一方インフルエンザが紛らわしく混じった。在宅と施設で6人の看取りもあり夜間や深夜に出かけた。お一人は不在にしたため他の先生のお世話になり本当に申し分けなく思っています。
買い物では初めて百均とユニクロに行きとても新鮮でした。
知人友人に闘病する人が何人かいます。懸命な取り組みによって良好な状態ですが、心から応援をしています。
一年間お世話になったお客様患者様、当院、当館のスタッフ、心から感謝申し上げます。
沢山お世話になった上越市立小林古径記念美術館館長さんとスタッフの皆さまに深く御礼申し上げます。
どうか良い年をお迎え下さい。
一先ず峠を越えた雪 土井先生のチキン ホワイトクリスマス。
一昨日当欄でドカ雪ぶりを記したが、どうやらその日がピークだったようだ。予報ではしばらくの間、さほどの寒波(降り)はなさそうだ。
当地は昨夜から雨風交じりとなった。風も雨も雪を減らすので50センチ前後あった積雪は半分近くになった。
以下は本日一時陽が射した近隣です。
土井善晴さん風のチキン。
妻は簡単で美味しい土井先生ファン。
ホワイトクリスマス。
昔の若者にはクリスマスソングと言えばこれくらいしか無かった。その後のクリスマスソングは具体的でややこしく、あまりholyな感じを受けない(爺まる出しでした)。
今年二つめの初店舗 痛みの少ない注射。
この年になって今年初めて入った店舗が二つある。一つは「百均」でもう一つは本日の「ユニクロ」だった。
いずれも大変よく耳にする店だが、もう私には縁が無いものと思っていた。しかるに百均は4月に美術館用の文房具、6月は拙写真展のためのミニイーゼルの用事だった。
望み通りの品があるか心配したが、あるある。そのうえ2回ともとても安くて驚いた。店内は明るく、家族連れや若い男女で賑わっていた。
そして本日のユニクロ。黒と白のスラックスを買いに行ったのだが、種類サイズなど品揃えが親切で選びやすく、サイフにも優しい価格だった。これまで必要に迫られてしか買わなかった服装品だが、館内は爽やかで買いものを楽しむ場所でもあるかと思った。
本日ユニクロの駐車場の雪。
明日21日木曜日は強い寒波の予報。そのため敢えて本日外出した人が多かったのでは。診療所にもそのような人が少なからず来られた。
そのうちの一人、3才の女の子さんはインフルエンザのワクチンだった。ワクチンでよく泣き騒ぐ年令だが、このお子さんは落ち着いた目をして構え、表情ひとつ変えずに終えた。「我慢強い」というよりむやみに騒がない「賢い子だなあ」と思った。
注射の痛みでいえば、そもそも針はごく小さいため射す痛みはさほどでもない。痛みは薬液を押す時に生じるが、ごくゆっくり注入すると痛みは軽減(時にはほとんどない)する。
薬液0,5ccだと8から10秒かける。この場合、痛くてもすぐ終わるのが良いか、時間をかけても痛みが少ない方が良いのかは問題だ。だが子どもさんにはもう一回することが多いので、2回目の恐怖心を和らげる意味でも前者が良いのではと思っている。
直前に「優しくしましょう」とか「そっとやるからね」と言うが、大人にも言うことがある。
念のためですが、上記の方法は普通一定の痛みを伴う皮下注によるインフルエンザワクチンの場合です。
明日の雪は果たしてどんなでしょうか。
日中美術館あと片付け 夕刻齋藤尚明さん作陶満50周年記念祝賀会。
昨日日中は今年度最後の展示「倉石隆のお嬢さん展」と「絵付け陶芸三人展」の後片付けとミーティングをした。
片付けに専念するスタッフとともに作品たちにもご苦労様でした、とねぎらいたいと思う。
昨日赤々と実をつけていた
ヤブコウジ。
昨夕髙田はデュオセレッソで「齋藤尚明 作陶満50周年記念祝賀会」があった。早めのつもりだったが、受付は長蛇の列。師走のこの時期200人に達しようという参加者というから大変な会である。
私のテーブルで齋藤尚明ご夫妻、発起人の渡辺隆氏ほか市長はじめ齋藤氏親子二代に亘る関係者の方々と同席だった。アルコールを口にしないのは自分だけという肩身の狭さに加え、記念品目録贈呈と祝意挨拶のプレッシャーを負っていた。
挨拶では、尚明氏幼少の折、父三郎氏とお子たちと甥姪のご一行が訪ねてこられ、母の餃子で満腹したこと。過日東京、神奈川の三人さん来越の時、師団長官舎で食事した際、何品目かに出た器が尚明氏作椿の美しい蓋物でみなで感激し、幸福な食事になったことを述べ、今後も長く作陶し私達を幸せにして、と述べた。
お隣の岩の原葡萄園の遠藤社長は甲子園球児ということでびっくり。過酷だった今夏、根が深く入る葡萄の特性で無事夏を越えたことなどお聞きし、石州流茶道をされる市長とは茶の話をした。
終わった会場。
齋藤尚明氏の人脈と支援者の多さにとても驚いた。このような機会からさらに人の輪が広がっていくのだろう。
私達のテーブルと幹事諸氏が居残って同会場の一角で簡素な反省会を行い帰路に就いた。
そろそろ来年、80過ぎてのミニ同級会。
本日木曜の休診日。日中降らず、寒さはまあまあ、風もなく過ごしやすかった。
午前雑用をして昼に美術館へ顔を出した。ほど良く来館者さんに恵まれ喜んでいます。
来年のカレンダーを持参されたSさん、ありがとうございました。今年はアントニオ・ガウディの書いた諸数字から採り、来年はマティスなのですね。カフェ入り口の壁に良い雰囲気が続くことになりとても感謝しています。
「友情」と「愛情」を大切に生きたマティス。「幸福」とともに我々が有し目指すべきものでありながら、近頃では、たとえ先のことであっても「愛情」や「幸福」と聞くと冷笑する人がいる。人間、なかんずく先祖の長い苦闘と希望を否定するようなものでまことに情け無い。
さて今夕は何度か本欄に登場した中高時代の同級生U君夫妻と食事した。同級会などはもう止めようという年になって、初めてする食事会。いつまで続くか分からないが、もう少し人を増やしてやろうという話にもなった。
奥様ともどもU君は良い人で、県の教育畑で高いポジションにいたので力を秘めているに違い無い。だが実際は伏流水のように磨かれていて気が楽なのだ。
以下はぐるっと回った今夜の髙田駅のイルミネーションです。
いつものように私は終始ノンアル。そんなことなど気にせず3時間近く和やかに失敗談を話した。先は短いが、何となくまだ残りがあると思えたことが嬉しい。
- 仏像、社寺、二十三夜塔、庚申塔
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 強風の日。
- 庭仕事と読書は似ている 新堀川の自然な桜。
- 雨の今夜は満月だった 明日は晴れるので施肥。
- 居ながらの花見 スミレの好意。
- 良いご一家の話。
- 近隣の花自庭の花 赤い動物のオルゴール。
- 吉川区の長峰城址 トランプショックに時代劇。
- 頸城野にようやくの春 メダカの学校。
- いま四月馬鹿はどうなっているのだろう メギスの旬。
- 3月30日の徳川美術館と豊田市美術館 そして富士山。
- 週末は名古屋と豊田市へ 本日は名古屋の分です。
- 自然の末席で。
- 三月にして真夏日 初ゴルフ アイスクリーム 啓翁桜 雪割草 内山雅子さんのCD。
- 春の公園、過日の大潟水と森公園と本日の大池いこいの森公園 その付近でクジャクチョウ。
- 大好きな濱谷浩作「ホンヤラ洞で歌う子供たち」とその絵はがき。
- 小林古径記念美術館「生誕110年記念 濱谷浩展」と講演会。
- 春分の日、肌寒いが日が長くなった 啓翁桜はいつ咲くか。
- 柏崎から佐藤さん、明静院の大日如来坐像 いしだあゆみさんの訃報
- 宮崎俊英さんとあらためて倉石隆を観た。
- 25年初日 A君の書と芸術。
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