明け暮れ 我が家 お出かけ

今日、風が吹いて百日紅が散り始めた

2010年9月3日(金曜日)

 暑さを嘆くまいと前の晩に決めても、翌朝には又かと言って嘆いている。こんな日がどれだけ続いただろう。

 

 今日は珍しく風が吹いた。頑張り続けた百日紅(さるすべり)が吹かれて散り始めた。あちこちに赤いコンペイトウのような花が落ちている。

 

二羽のスズメ 砂浴びをする二羽の雀

花を咥えている 
百日紅の花をくわえた雀(見づらくて申し分けありません) 

 

  庭の砂地で雀が二羽砂浴びをしていた。一羽が赤い花を口にした。暑い昼さがり、雀は楽しんでいるように見えた。暑さを嘆くばかりでなく、雀のように少しは楽しまないとせっかくの人生がもったいないかな、と少々思った。

行く夏

2010年8月22日(日曜日)

 昨日から来ている姪たちと海へ行った。日曜の朝7時半の海など早くて普段見たことがない。しかし海は音もなく静かでとても良かった。何組かの若者たちがいて楽しんでいた。 

渚 
朝の海

 

 ひとしきりシーグラスを拾って浜茶屋(海の家)でかき氷。この飲み物の最後はやはりコメカミが痛くなる。

 

 空は澄み明らかに海はしみじみとし始めている。まもなく秋、いやもう初秋、たとえ猛暑でもそう決めてみた。 

小屋から 

行く夏を小屋のレゲエが惜しんでる      sousi

糸魚川市上覚の普済寺へ灯籠画を見に行った

2010年8月16日(月曜日)

 今日は盆送りの16日。今日は客が無く、今夏25人の出入りに奮闘する妻に貴重な中休みの日となった。

 

 あまり出掛けない私たちは、夕刻に妻の慰労で糸魚川へ行った。そこでお寿司を食べて日暮れを待った。今朝の上越タイムスで知った糸魚川市上覚の普済寺(ふさいじ)へ、本日までの灯籠画を見に行くためだ。

 

 山道を4㎞ほど入った月波山普済寺は曹洞宗の寺。車を降りると深い闇の中、近くに川音がして稲の香りに包まれる。普済寺はかなり大きな寺で、荘厳な本堂の処々に美しい灯籠が配されていた。

 

琵琶 
これはイラスト風の絵、両手を軽く広げたサイズの一枚物です。

作品2
 ほの暗い一角に大きな灯籠(露出がうまくいきませんでした)
作品3
弁慶でしょうか、卓上の灯籠
   

 灯籠画は同寺の奥様で僧侶・響さんの作品。響さんはねぶた絵師でもあられるという。輪郭線の要所に蝋を用いて、鮮やかな色彩と印象的な透光効果がもたらされていた。あたりの雰囲気も良さそうなので、ぜひ日中も訪ねてみたい。

 

 月が架かる寺を後に里へ下ると盆踊り。思い思いの浴衣と仮装で歌と太鼓のやぐらを回っていた。やぐら踊りの詩情は他に代え難い。

 妻は少し休めただろうか。私の盆休みも今日で終わり、遅れていた図録が前進した。

出るほど家は栄えるのか、DNAのおぼしめし

2010年8月14日(土曜日)

 今晩は妻の実家で17人の食事だった。そのうち平成生まれが8人で、一家は壮観のうちに栄えている。何がそうさせるのだろうと、帰りの車で考えた。

 

 「家を出る→異質(多様性)の受容」、もしかしたらこれは栄えの要点かもしれない。代々閉すればいずれ心身に近親相姦原理が働き、衰退が想定される。このことは純血のもろさ、母系志向の危うさと同一に見える。今から18年前までの悲しい13年間の読書で、かってそのことに触れたような気がした。

 

 今夜訪れた家は確かに皆が家を出ている。また夫婦、兄弟姉妹みな非常に多様で、かつそれぞれ曲がりなりにも夫や父親をありがたがっている。異質の原点は父であろうことまで物語るような光景だった。

 

 言うまでもなく永遠はDNAの悲願だ。好むと好まざるを問わず異質(多様性)を価値としている。結果としてその受容が力と幸福のチャンスをもたらすのだろう。試練とともに王者DNAはご褒美も用意しているように見える。

 

 中学2年生くらいまで親は子を文字通り思いっきり抱きしめる。そしてある年齢(これはさまざま)になったら上手に放す。
 「家とは実家や家屋ばかりでない。離れている親族がくったくなく集まることを家というのだろう」。

 

  最後にきむぶーさん、いつも有り難うございます。今日はお父様にもお目にかかれて嬉しかったです。そしてお子さんの宿題で訪ねて下さった長岡のお客様、とても詳しく見ていただいたそうですね。うまくまとまったでしょうか、美術館冥利でした。

 

本日は沢山お訪ねいただいて有り難うございました。

名残のバラ 
今日咲いていた小さなバラ

パリ国立高等音楽院教授。そしてMia Moslie(ミアモーリエ)。

2010年8月13日(金曜日)

 美術館を営んでみて、上越は沢山の才能を生んでいるこをを知らされます。直接お会い出来ない方がほとんどですが、色々新しいことを知ることが出来て幸せです。

 

今日は上越ご出身でパリ国立高等音楽院教授がお見えになりました。女性の方で、ノートにお褒めのコメントを頂き有り難うございました。

 

 はや上越もお盆。向こう約一週間は大小の親族25人の出入りがあります。なにしろ妻が大変で、小が次第に大になってきましたので最近は要所を外食にするようになりました。

何皿も

 今夜は樹下美術館の近く、上越市犀潟のMia Moslie(ミアモーリエ)で夕食でした。サラダ、ピザ、パスタ、お肉、リゾット、デザート、エスプレッソ、みな美味しかった。何気ないペペロンチーノが美味しいのもなによりです。

 

 カップル、ご家族、お仲間で賑わっていました。 リーズナブルな料金、樹下美術館でもよくお世話になります。

見納めでもいいという夕焼け

2010年8月8日(日曜日)

 今日は雨を待って空が気になっていた。夕食中、カーテンを開けると東の空に小さな虹が出ていた。以前、不安定なお天気の夕刻に虹が出て、素晴らしい夕焼けがあった。

 

 「海へ行ってみよう」と妻に声を掛けて食事を中断した。車で着いた近くの四ツ屋浜はまあまあの夕焼けだった。それでも妻は喜んで、今度ここで夕焼けを見ながら食事をしたい、と言った。 

日没後の空 
そろそろ帰ろうか、という頃

 日も沈んで、そろそろ帰ろうというころ、佐渡の方がきれい、という声で振り向いた。北側が赤々と染まっている。出て写真を撮り、車に戻ってカメラを片付けていた。

「凄くなってきたわ」、とまた妻。

 

広がる夕焼け 
みるみる大夕焼けに

 見れば一面の群雲に鮮やかな陰影が付き、強くオレンジ色に輝やいている。わずか1,2分だろうか、息を飲むような夕焼けが展開された。

 

「これなら末期(まつご)の眺めでもいい」。
三人の老親の間で何かと多忙を極める妻は、まじまじと夕焼けなど見ることが無かったのだろう。食事を中断して見に来てよかった。

 

 夕焼けならこれからもっと素晴らしい日があろう。そんな日にこの丘で食事をするのはいいかもしれない。私は飲めない口だが、その時は代行を頼もう。

 

 帰って食卓に戻ったが、もう十分だった。

 

 今日は小千谷からもお客さんがお見えになった。私の植物画やシーグラスの絵はがきが一週間で150枚ほど出たと聞いた。 

三人のお客様、そしてセキレイ

2010年8月7日(土曜日)

 驚異的な(歴史的な?)暑さが続いています。午後のなかば、美術館へ行くと今日のお客様は三人だけだったということ。しばし静かなカフェに座って外を眺めていましたら、懐かしい時間を思い出しました。

 

 その昔、夏休みの終わりが近づき、上京する時の信越線です。軽井沢と横川は機関車を取り替えるために長い停車時間がありました。クーラーなどありませんので停車中の窓はたいてい開けたままです。

 

 晩夏の高原の風に当たりながら窓外の草や線路をぼんやりながめて出発を待ちました。ヒマワリも咲いていたような気がします。

 ピーッと警笛がなってゴットンと走り出すまでずーとぼんやり。当時直江津から上野まで7時間くらいはかかっていたのではないでしょうか。時間がゆっくり流れた青春時代、神経は敏感でぼんやりした時間でも濃厚に感じていたように思います。

 

ハクセキレイ 
気がつくと目の前の芝生にハクセキレイ。樹下美術館が出来て以来の常連さんです。夏ふと訪れるすき間のような時間にひと時心任せました。

あまた蓮咲く夏の外濠、そして木村茶道美術館から

2010年8月1日(日曜日)

  珍しく今日は二つも催しを回って楽しかった。

 

 最初は高田図書館のBlue Sky Project2010。微笑~深刻、単純~複雑、多数の作品を見て久しぶりに多くの人と会った気がした。作品が手頃なサイズに規格されていて見やすく、共通テーマが平和なので自然と心暖められた。

 

 会場周囲では外濠から吹く風が湿った蓮の香りを含んでいた。広大な濠全体が花と共に匂って、盆を前にあまたの仏を迎える支度を始めている。毎年訪れるスケールの大きい夏景色だ。 
 

お濠の蓮 
 どの花が尊き人を泊めたやら あまた蓮咲く夏の外濠   sousi

 次が筑波進さんの同プロジェクト協賛イベント「青の世界展」へ。No More Warの青による鎮魂は際限なく心に滲みる。小ぶりな裸婦のほか残像として画面に時間を与えた作品も魅力的だった。そしてお仕事場が昔の病院のようで、懐 かしくもあり心地良かった。

※今秋予定の司修(つかさおさむ)氏の講演案内を頂き有り難うございました。非常に楽しみです。

    

 一方樹下美術館では、開館早々に柏崎から木村茶道美術館の関係者がお見えになった。お当番に留守を任せて来られたということで、ゆっくりしていただいた。同美術館へはもう二十年以上通わせていただいている。

木村茶道美術館の皆様 
  「我が心の美術館の皆様、あらためて有り難うございました。貴美術館は茶道が生きている貴重な施設です。 心遣い、しつらえ、密かにお手本とさせて頂いています。近くに良い美術館があることを幸せに思い誇りを感じます。

間もなく秋、皆でまたお伺いすること楽しみにしています。」

南摩羽峰の屏風に紅茶

2010年7月29日(木曜日)

 降ったり止んだりしながら雨脚が強まっている。気温も下がり、生ける者みな一息つける。ただ降りすぎだけは許してもらいたい。 

 

屏風の前で 
夏の午後會津藩士の屏風引き 冷えた紅茶を影に浮かばす   sousi

 

 南摩綱紀(羽峰)の屏風を居間に置くようにした。二曲一双を開くと藩士の静かな高揚感に包まれる。こうすることも先日朴斎記念館を訪ねたお陰か。それにしても再三のアイスティーで恐縮です、逆光が気に入りました。

雨、そして暦のアクセル

2010年7月28日(水曜日)

 

夕方の雲 

 今日夕方の空は四方から雲を集めて、雨の支度をしているように見えた。すでに山沿いはどこも厚い雲に覆われ、イナヅマも光っていた。牧区では夕方に15分くらい降ったらしい。

 

 予報によると明日昼頃から一日半ほど雨模様となり、気温も4,5度は下がるようだ。これで体も田畑も庭も、ダムも一息付けるだろう。

 

 お天気の都合もあると思うが、洪水にならない程度にして、しっかり降って欲しい。なによりも予報が外れないことをお願いしたい。

 

 ※睡眠を確保しながら図録作成を進めています。図録は倉石隆と齋藤三郎それぞれ一冊ずつの予定です。年代同定が少々難しい齋藤氏の分を先にしています。余裕があれば、秋の終わり頃、小生の拙絵についても小さな画集が出来ればと思っています。

 

 それにしてもどうして暦はこんなに強くアクセルを踏むのだろう。

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