明け暮れ 我が家 お出かけ

週末、貴重な場所で

2011年11月12日(土曜日)

インフルエンザワクチンの接種はピークが続いている。今年からお子さんたちの接種量が増量された。

 

これまで高額な費用を支払い痛みをこらえて受けても、40度もの熱で発症するお子さんが少なくなかった予防接種。このたびの増量による効果はどう判断されるか、目が離せない。 

 

四ツ屋浜の海午後三時、四ツ屋浜の海をみて

齋藤尚明さん作品展
高田、アートサロン遊心堂さんで15日までの齋藤尚明氏の作陶展を見た。
 樹下美術館でお出しする銘々皿セット、ほかに美しい茗荷の小品を求めた。

 

幼少を知る尚明さんとは雑談が尽きない。間もなく美術協会のIさん、エレクトロニクスのUさん、陶芸家のTさんが次々お見えになり、お話をご一緒して光栄だった。

 

皆様と別れて大島画廊へ寄り、額装を終えた倉石隆の「」を受け取った。店内でばったりIさんと出会った。「今日、友人を連れて樹下美術館へ行きましたよ」と、美しい人のもったいないお言葉。

 

びんのかけら初めて行った店「びんのかけら」。

 

リー・ワイリーのヴォーカルがかかる「びんのかけら」の店内。そこで美味しいピザとコーヒー、それにケーキを食べた。センサブルに選ばれた過去にはときめきと安心がある。今後「びんのかけら」はますます貴重だろうと思った。

 

秋バラの庭、奥にはバレースタジオ、、、おとぎ話のような場所だった。

いただいたチョコレート メルバの食器ドリー・バーデン

2011年11月11日(金曜日)

新米を送った東京の親戚からゴディバのチョコレートが届きました。夕食後にコーヒーを出して食べましたが、とても濃厚でした。

 

コーヒーは今年求めた1943年製、英国メルバ社のトリオで飲みました。トリオ(カップ&ソーサーとケーキ皿)は、絵がらの女性の名からドリー・バーデンと呼ばれるようです。

ドリーは英国の偉大な小説家チャールズ・ディケンズ(1812年~1870年)の作品の一つ「パーナビー・ラッジ」に登場する明るく魅力的な女性と、説明書きにありました。

ゴディバのチョコレートとメルバのカップメルバのドリー・バーデンと後方のチョコレートのボックス。

当食器は来年三月、樹下美術館の開館からカフェでお出しする予定です。写真はわずかな損傷があるカップを用い、カフェ向けの4セットは現在大切に保管しています。

ドリーが出てくるパーナビー・ラッジを読んでみたいと思いました。

ディケンズと言えば忘れもしません、数えてみると57年も前、中学校へ入学して初めての国語の時間だったと思います。先生は今までに読んだ中で最も印象に残る本を生徒に尋ねました。

「大いなる遺産」、K君が答えました。
「エッ、おいなりさん?」

「大いなる遺産!」
「おいなりさん?」

 

先生との間でやりとりが何度もありました。K君は顔を真っ赤にして大声で答えました。みな笑いだし、K君はついに肩を落として座ってしまいました。しかし問答は明らかにK君の勝利だったのです。

母の命日 沢山良いことが

2011年11月10日(木曜日)

去る11月7日のノートに母の夢を見たことを書いた。ハモニカを吹くのは如何にも母らしいと思ったが、正直、叱られての曲目がやや寂しさを残していた。

今日昼、三回目の月命日でご住職に読経していただき、一生懸命祈った。

 

 命日の読経

そのせいか午後から以下のように良いことが7つ起こった。

1.美術館にお客様が次々と見えられた。
2.新潟、長岡、三条、柏崎、と県内遠方の方たちがお見えになった。
3.今月二つ目の団体さんの予約があった。
4.いもけんぴの絵を買いたいと、お客様が仰った。
5.球根類を植え、懸案のもみじの移植が出来た。
6.きれいな月だった。
7.お目に掛かりたかった人にお会い出来た。

 

植えたもみじ
ひと月ほど前に根切りをしていたもみじを移植。

およそ1,6メートルのもみじは、庭の奥の方、日当たりの悪い所から移した。当砂地の庭は夏には猛烈に灼けて花がつらい。少しでも日陰ができるよう最も日の当たる場所に植えた。一躍目立つ場所に出た木、やや心配だが実生なのでうまく育つことを期待したい。

月「私がもみじの鉢を掘るから、あなたは月を撮っていて」と妻が言った。

三日前の母の夢と本日のお経、そして皆様のご理解によって良い日になった。体にも気を付けなければと思った。

母が初めて夢に現れた。

2011年11月7日(月曜日)

夕食後の眠気で一階の6畳間に横たわっていた。一時間ほど眠った頃ぼんやりと目が覚めた。近くでハモニカの音色がしていた。

 

音色は童謡「叱られて」だった。最後の節“コンときつねが鳴きゃせぬか~”を私も口ずさんだ。もしやハモニカは母ではないのか。身をのけぞらせて空いているふすまから隣の部屋を見た。

 

やはり母だった。白装束をまとって仰向けになった母は、わずか3,4センチの小さなハモニカを口に含んでいた。

 

ああ、やっぱり母さんだったんだね、と思う間もなく姿はすーと消えた。

私は二階の自分のベッドで目覚め、見たものは夢だった。

 

チェーホフの短編集「かわいい女/犬をつれた奥さん」のどこかで、“亡くなった人を忘れはじめる頃にその人の夢を見る”というような一節を読んだ気がする。

 

8月10日に母が亡くなって3ヶ月が経とうとしている。早いか遅いか自分には分からないが、今夜の夢はそう悪い感じはしなかった。

 

亡くなって30年近く経つ父は、数年に一回くらいの割合で元気に夢枕にたつ。出来れば今後、母も父などと和やかに現れてもらいたい。

 

夢の中で母が寝ていたところは、一晩遺体を安置した場所。そこで納棺の時、猛烈に私は泣いたのでした。

 

潟町の夕焼け

瑞泉寺の一期一会 樹下美術館もぽつんとした引力を

2011年11月6日(日曜日)

日中さして寒くない雨の日。上越市南本町瑞泉寺で「邦和会 茶会(第三回」があった。

 

このところ続けて茶会に伺っている。母が亡くなって間もなく三ヶ月、まだ部屋にいるような気がするが外出に少々安心を自覚するようになった。

 

聖人像瑞泉寺。なかば落葉した桜の陰で聖人像が冬を迎えようとしている。

 

薄茶席は点茶盤による立礼で、時雨にけむる庭が見える開放的なお席。濃茶席では八畳間で開かれたばかりの炉を囲んだ。

 

いずれも心こもりのお道具に接し、熱い茶に一期一会を胸深く吸い込んだ。 

 

白い建物一つだけぽつんとある物の引力。

 

帰りはしょっちゅう通る国道8号線。直江津方面から来て黒井を過ぎる右側、遠くに白い小さな建物が見える。以前は木造だったように思われるが、ずっとある。

 

写真のさらに左には長い間、松が一本ぽつんとあった。松は切られて10年近くたったかな、やはりいつも目をやっていた。

 

松も家もぽつんとしたものにはある種引力がある。小さな樹下美術館もそのような力を有していたい。

甥の結婚式

2011年11月3日(木曜日)

昨日午後、甥の結婚式が軽井沢であった。披露宴はスピーチが一つ、謝辞が二つだけ、お色直しも騒ぎも無い簡素なものだった。

 

 ハートのディスプレイ

あんなにやんちゃだったのに、こんなに良いお嫁さんをもらうなんて。食事が美味しく、温かで良い結婚式だった。

 

テーブルディスプレイ
テーブルディスプレイ
バナナケース
バナナケース

目の前の坊やがバナナケースというものを持っていた。開けると中に本物のバナナが入っていた。傷まずにバナナを携行できるというもので、大小構わず入るという。バナナの湾曲度がほぼ一定なために出来るらしい、初めて見た。

 

終わって式場を出るととっぷりと日が暮れていた。 

賞品の財布 「いもけんぴ」の終了

2011年10月16日(日曜日)

日中は強い風が吹いた日曜日、ゴルフコンペに出た。今年三回目のゴルフは、わずか二組の小さなコンペ。それが年一回、18年間続いている。

 

ダブルペリアのハンディは制限無しの優しさ。今年の優勝者は44,4のハンディがついて腕時計の賞品だった。小生は55-53で四位、二つ折りの財布をもらった。20年間使った財布を今日で止め、賞品を使うことにした。ほかに大波、ニアピンの賞をもらって上出来だった。実は私が主催するささやかなコンペの話でした。

 

財布
 

さて当ノートに何度か出させていただいた「いもけんぴ」。今夜加筆、サインをして終了としました。用意した額に入れて記念写真をとりました。
SMサイズの小品ですが、30数年ぶりの油絵の完成でした。植物画の精密水彩をしていたことや、年を取ったことで昔よりも上手く描けたような気がしました。

 

9月上旬からはじめて一ヶ月半、憧れの油絵を描くことは苦労もありましたが、総じて楽しく描けて幸せでした。

 

いもけんぴ 

作品は20日に長岡市のギャラリー沙蔵さんへ搬入、震災復興支援のチャリティにする予定です。売れればお別れです。

文化も醸成して

2011年8月30日(火曜日)

この国は農を背景に勤勉によって立国してきた。しかし狭小な国土に多くの人がひしめくあまり、気遣いと競争で暮しは疲労が伴う。

 

困難のない生はあり得ないことは分かるし、そこに幸福を見い出したいのも変わらぬ願いだ。幸い人はその証しとして文化を生成しそれによって困苦を和らげ、明日へ希望を繋ごうとしてきた。

歴史における文化活動の開花は国の発展と同義語だ。直近では戦後の繚乱と明治時代の実りは鮮やかではないだろうか。

 

いま困難の中で新たに首相が決まった。力強い震災の克服、原発と官僚依存から脱却、創意工夫による経済再生と平和の外交リードに注力願いたい。

我々はひしめく人間関係の中でアリのように働くことを引き受けている。しかしアリではなく人だ。首相にはぜひとも豊かな文化芸術の醸成をお願いしたい。優れた宰相であるならばその泉は沸くはずであろう。

パソコンのウマオイ 建付の悪い我が家はよく虫が訪れる。今日はウマオイ。

ラジオと本で育つ子供

2011年8月28日(日曜日)

今日で母逝去の35日法要が終わった。8月10日の滅入からすれば大変早めの壇払いとなった。残った者は自分なりに死者を心に沈ませて、先を生きることになる。

 

法要に訪れた二人の姪は楽しかった。本とラジオだけでテレビも新聞もない生活を続ける一家。小学3年と5年生だが、たいてい大人の相手もする。

 

大嶋画廊へ用事があって二人を連れて高田へ行った。店に気に入ったらしい可愛いものがあった。「買おうか」と言うと二人ともしっかり首を横に振った。よく躾けられている。

 

ある高校を通る時、生徒が横断歩道の手前で携帯していた。それを見て、「歩道で補導されたホド子さん、報道されて親父のホド夫にほどほどにと叱られた。それでカラオケに行ってほどり(踊り)まくりました」、と並べてくったくなく笑いあった。

追放されしもの 
小3が読んでいたクロニクル千古の闇 4「追放されしもの
 作: ミシェル・ベイヴァー 出版社: 評論社 (2008/04)
絵:酒井駒子 訳:さくまゆみこ

ペイヴァー,ミシェル
オックスフォード大学で生化学の学位を取得した後、薬事法を専門とする弁護士になる。神話、民俗学、考古学の書物を読みあさり、アイスランドやノルウェー等に旅をしては物語の構想を練り上げていった、という履歴。私にはさっぱりな本です。


源氏物語の和歌 
源氏物語の和歌  
著:高野晴代 出版社:笠間書院(2011/8/5)
これは小5が、ああ、とてもかなわない。

 

大勢に属するのもたしかに良いことだ。しかし端に属するのにも可能性はあろう。
二人とも健やかに育ってと祈らずにはいられない。
 

一見楽しそうでも 眼鏡も修理を終えた

2011年8月24日(水曜日)

 昭和57年(1982年)秋に78才で父が亡くなり、今年は母だった。母は父より30年近く長生きしたことになった。

 

それにしてもこのたびの葬儀に集まった親族の若返りはめざましかった。父の時、喪主だった私は40才で、集まった親族の多くが年長者だった。当時父の兄妹12人のうち10人が存命で随分気を使った。

 

30年後、このたびの参集者の親族で私より年長は僅か一人、大半が30台の子供や甥姪とその子供たちだった。夢の中にいるような隔世感を味わった。

 

メガネ 馴染んでいた眼鏡が修理を終えて戻ってきた

 

12日に葬儀を終えた盆の15日、来訪者の児童たちと広場でサッカーボールを蹴り合った。突然来たボールを追いかけた時に足を滑らせて転んでしまい顔を打った。

 

頬に擦り傷、メガネが壊れた。年長者の恥ずかしい傷はお盆休みの間にガーゼが取れて、皆様には言い訳をしないで済んだ。メガネも無事修理を終えて本日戻ってきた。

 

この一件によって、一見楽しそうに見えても不用意に仲間に入ることは慎まなければならない、と痛感した。

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