明け暮れ 我が家 お出かけ
あじ、ピアニシモな豚飼いの“いばり仔豚”と“あげ足地鶏”
昨日A氏宅の夕食に続いて、ふたたび食事の話になりました。
今夜の夕食は昨日頂いた鯵と弟から届いた“いばり仔豚”のフライでした。
芳しい豚肉はどんな野菜とも合う。
宮城県南三陸町、
弟は、その山中で30000㎡の放し飼いと餌の研究によって
イベリコ豚をさらに美味しくしました。
福島原発から120キロ遠隔の南三陸町の山中は、放射線とは無縁だったという事です。
スペインでの生活経験を活かして美味しい肉のほかウインナー、ベーコンなどの良品を限定生産しています。
昨年末、イタリアはフィレンツェで鶏を学び、“あげ足地鶏”としてラインナップに加えたようです。
和歌山県で林業に関わっていた甥が昨秋から助っ人として入りましたので、頼もしいかぎりです。
フォルテシモな豚飼いに続いて本人が今年出版した「ピアニシモな豚飼い」
お肉などご興味の方は、お問い合わせ下されば大喜びすることと思います。
【エルコルティッホソーナイ(ソーナイ牧場)】
電話:022-646-5592 杉田 徹
あじ。
昨日とは打って変わって寒い一日、明日も寒くなるらしい。
本日午前、同級生から今朝獲れたという鯵を何枚も頂いた。スタッフと分け、今夜は鯵のたたきとフライで決まりだった。
聞けば沖合2,5キロ、イルカの群が来ているということで刺し網を上げに行ったら沢山入っていた、という話も興味深かった。
そして午後、樹下美術館へ友人のA氏夫妻が寄って下さった。はからずも夕食をうちで如何ですか、とお声をかけて頂いた。有り難いお声掛け、鯵は新鮮なうちにと言って妻は下ろすと身を持参した。A氏自ら包丁を振るって盛ってくださった。
ストーブの部屋で奥様手作りのご馳走に時の経つのも忘れ、気がつけば11時だった。
似たような年頃で、色々同感となったが、お二人とも「らしさ」は健在。さすがだ、と思って家路についた。
土曜深夜に書き始めましたら日付をまたぎました。
お守り。
さる3月19日に母の実家があった佐賀県は鹿島市古枝を訪ねた。その折、近くの立派な神社「祐徳稲荷神社」を参った。同社で患者さんたちのおみやげにと女性には赤の、男性には青いお守りを買った。
当日、在宅の方たちへと考えて50枚ほど用意したが、帰ってから気が変わり外来の皆様にもお配りした。一日で無くなってしまい電話をして沢山送ってもらった。
当地における私の37年間は文字通り皆さんのおかげだ。
今日の暖かさは並大抵ではなかった。午後、車が示した外気温は19度もあった。若者は半ソデだったのでは。ここが温帯であることを思い出した一日だった。
日増しの春。
慌てて冬のあと始末をするより、のんびりとお天気を楽しみたい一日だった。数日前から軒下に入ったスズメは抱卵を始めたのか。順番を待つような風情で一羽が巣を見上げていた。
新堀川沿いの木蓮。 |
新堀川沿いの桜。 |
今日、樹下美術館の近く、新堀川に沿う桜並木の蕾が膨らんできた。白木蓮は待ちきれないほどだった。
午後のデッキ |
一番に開花した庭のクリスマスローズ |
寒くはないが、週末のお天気はくずれそう。春の雨は次々と木の芽、草花を目覚めさせていく。
旅の印象: 花 人 猫舌 田畑 偶然 外人バー。
普段親や故郷について問われれば父親の土地や係累のことを考える。長男として跡を取ればなかば当然なのか。一方鉄路で1000キロはあろう佐賀県の母の故郷は長きにわたり文字通り遠かった。
この旅行で母の生地を、記憶もままならぬ幼児期来はじめて歩いた。また何人かの親族とも会えた。風土と人、自らの血脈には父方とともにもう一つの質量が込められていることを、漠然ながら知らしめられた。
無二の親。しかしその人に近づくようになったのは晩年のわずか十数年だ。短かかったが知り得た分で興味を持ちなんとか母を好きになることが出来た。
親を知るのにこれほど時間がかかるとは。だがそれが可能になるまで長生きしてくれた事や、間に合った自分の幸運にも感謝しなければならないことだろう。
今回の旅行はあまりに急ぎ足、ほとんど一日2食で過ごした。それでも幼年から成人まで若き母を育んだ土地を辿り、聞いていた話に触れることも出来た。努力家だった母と実直な係累、そして力強い風土。短い旅ながら、どこか懐かし気な春風に吹かれ、母の故郷の気を胸一杯吸い込んできた。
これからはそれらを自身に足し直し、残りの人生にいくばくかの膨らみを持たせることが出来れば、有り難い事だと思う。
今回は車窓や見聞など余談を記して旅の記録の最後とさせて頂きたいと思います。
【見て来た花々】
筑肥線の菜の花 同キブシ 同じく手前にナンテン、奥にしだれ梅 |
佐世保への山道でヤブツバキ 同じくアブラチャンとレンタカー 錦帯橋の公園の梅 |
【樹木】
祐徳稲荷のクスノキ |
古枝小学校のキンモクセイと校長と教頭先生 |
さすがに山も庭も常緑広葉樹(照葉樹)が主だった。冬でも緑の山、緑の庭、生活や心持ちにも影響しよう。
【田畑】
母に聞いていた青々とした佐賀県の麦畑 |
佐世保への山道で力強い棚田 |
母はかつて故郷の二毛作を盛んに話していた。そして今回突然現れた棚田、とても強靱な感じだった。
【垣間見た九州の人】
●男性:・きりっとした男前が多く、まめで親切、女性によく気配りしている。
●女性:・活発な美人が多くよく働く。男性をリードしているようだ。
●猫舌:福岡に到着した17日夜、出てチャンポンを食べた。店内は向かいに4人の女子高生と右遠くにOLが一人居た。みなチャンポンを食べている。料理の熱さはちょうど良かった。しかし彼女たちは、麺を箸でとるとしばらく胸元あたりで止めて話などをする。麺を冷ましているらしい。7,8秒するとさらにフーフーしてから食べる。
ほかの子も一様に麺を上げて一旦止め、さらにフーフーして食べる。右端のOLも箸の麺を持ち上げてじっと止めている。それからフーフー、実に根気よく冷ますのである。
まもなく私の隣に若いサラリーマン風の男性が座った。彼もやはり同じようにした。女も男も、お客さんたちが揃って熱心に冷ますのが可笑しかった。これは偶々ではないのでは、と感じるほどだった。
※そういえば母も極端な猫舌だった。しばしば「熱っ!」と言っては口をもごもごさせていた。
●外人バーで猫舌の話:3月18日夕刻、ホテルで尋ねるとすぐ前に外人バーがあると教えられた。私は飲めない口だがせっかくの佐世保なので入った。カウンターの向こうに濃いキャップの静かな外人さんが一人いた。ホステスさんが二人、私は二十代の人と話をした。彼女は若い米兵と結婚しているということ、さわやかな普通のお嬢さんだった。
気になっていた博多のチャンポンの店で見たお客さんたちの猫舌を話した。はじめ不思議そうな顔をして聞いていたが、私があまり言うので、もう一人のホステスさんにそのことを話し始めた。
すると、そう言えば私もするということになってきた。麺類に拘わらず熱いものは大抵一旦箸を上げて冷まし、フーフーして食べると。二人で繰り返し食べる仕草をして、やっぱりフーフーするわねと顔を見合わせて笑った。それから「あなたたちはそうしないの?」と怪訝そうに聞かれた。私は博多のチャンポンを冷ましたりフーフーなどせず、ドンブリから直接口に運んだと言った
母もそうだったが九州の人は猫舌が共通しているのではないか。猫舌は可愛い仕草に見えるから全く直さなくてもいいと思う。
●外人バーで雪の話: 新潟県から来たというとすぐ雪の話になった。ところによって4,5メートルと聞くと彼女たちはびっくりして、携帯をいじっている外人にもそのことを話した。当然ながら二人とも英語が素晴らしい。
彼女達が言うには佐世保に一旦雪が降ればその日は町全体がパニック。坂が多いので車は大混乱し、むしろ誰も乗らなくなる。
それから大人も子ども一日中テンションが上がり、雪だるま作りに熱中する。降った雪を総動員して町の至る所に大小の雪だるまが出来上がるらしい。おもむろに一昨年の暮れに作ったという雪だるまの携帯写真を見せてもらった。なかり砂が付いてはいたが、にんじんの目鼻、頭に黄色のオモチャのバケツが乗っていた。
そんなところで私の一杯のチンザノが終わって店を出た。ワンショット1000円だった。10時?から料金が高くなるらしい。短い時間だったが、昼間あちこちで泣いたのを忘れて楽しいひと時を過ごした。
【偶然】
●カメラ:18日の昼、虹の松原でポケットカメラを落としてしまった。駅に戻って気がつき、探しに行くと広い松林だったがちゃんと見つかった。
●婚姻届け:母の旧宅を探すため戸籍を持参していた。昔の戸籍は字が小さく手書きなので読みにくい。18日夜、たまたま戸籍を見ていたら住所の脇に婚姻届け日が書かれていた。昭和14年3月18日とあり、当日がまさに両親の結婚記念日だった。
●お彼岸のおはぎ:このたびお会いした90半ばになる現実家のおばあさん(母の義妹)はお元気だった。私たちが佐世保に引き揚げた直後の昭和21年3月に10日間ほどお世話になっている。当時結婚三年目だったというその方は、お彼岸ということで、餅を突いておはぎ作った、と話された。
空腹と疲労におはぎ!どんなに嬉しいご馳走だったことだろう。これまで引き揚げた具体的な期日が分からなかったが、まさに三月の今頃だったことも分かった。
【言葉】
●「福祉は地味ばってん堅実だってゆうんよ」。「助言する人がいるなんてうらやましかー」。こんな風に女子高生が話していた。良い方言なら若者たちも自然に使う。言葉に気遣いがこめられ、語感が優しく聞いていると音楽のようだ。上越の方言はどうなのだろう。
●「とっとーと?」 ユーモアがコミュニケーションを和らげる。
よく分からなかった地下鉄・筑肥線の広告。
「席を取っているんですか?」「取っているんです!」と言う意味なのか、それにしても。
【九州は独立国?】
ほんの一部をみただけだが九州の海岸線は長大で、海も山河も豊かに見えた。大企業はことごとく進出している。これまで知り得た九州人も含めおしなべて皆さんは自我がハッキリしてまめだ。九州弁は独特で情がこもりやさしい。
なんといってもアジアが近い。今後何か事が起これば九州は独立してしまうのではないか、と少々心配した。
以上恋々として長くなりました。著名な観光地を巡ったわけではなく、隅々まで個人的な旅でしたので面白くは無かったかと思います。読んで頂いた方々に恐縮と感謝を禁じ得ません。
南国・西国の小旅行Ⅶ:錦帯橋 なんばグランド花月 雪の新潟空港。
母の遺影を背に旅行の最終日3月20日。これまで急ぎ足ながら念願の地をめぐることができた。博多発7:44の山陽新幹線で帰路についた。 帰路で是非寄りたい所は錦帯橋だった。小学校時代に集めた切手のなかで最も目を奪われていた図柄が錦帯橋。立体的で変化に富んだ大きな橋は印象的で、いつかは見たいと思い続けた。 錦帯橋の切手。
博多で買ったゆずスカッシュは美味しかった。 |
電車を模した「いちすけ号」 |
博多から広島まではあっという間。錦帯橋の岩国へは広島から山陽本線の鈍行で往復した。岩国駅から橋までの交通は赤いバス「いちすけ号」だった。電車を模した形態だが内外とも頑丈で、真ちゅうなどもピカピカに磨かれていた。
70才にして初めて錦帯橋とはいかにもオクテなことだが、憧れの橋を渡りおおいに満足した。橋を中心に眼下一帯はいかにも清々した広大な日本庭園の様相。江戸初期から今日までたびたびの損壊を越えてよく保存されている。大きな建造物を造るならこのように他に比類のないものを作るべきではないかと思った。
広島は寒かったが、錦帯橋は若い人にも人気があるようでかなり賑わっていた。
周囲の美しい自然をいっそう見事に引き立てている。 |
一帯はみな気持ちがよい。 |
大阪空港発19:00の新潟への帰路。新幹線は京都まで行くとそこで2時間弱の余裕が見込まれていた。一月前には西行ゆかりの勝持寺へ行こうと考えていた。しかし桜が未だなこと、空港へのシャトルバスの面倒も考えて見切りをつけた。思いついたのが新大阪で降りて「よしもと」を見ることだった。
出発の1週間まえ、突然に浮かんだ180度の方向転換。すでに感傷旅行は十分に済ませていよう。いい考えだと思いなんばグランド花月の切符をネットで買っていた。
満員の会場でザ・ぼんち、オール阪神・巨人、のりお・よしお、月亭八方、それに吉本新喜劇を途中までみた。渾身の漫才は素晴らしく、大阪の人たちと一緒に笑えて幸せだった。間もなく乗る飛行機なのに、落語は飛行機が着陸に失敗する話で戸惑った。
暖かな大阪から雪の新潟空港へ。きっちり南西へ旅行した実感がした。20日の食事は昼食を広島駅で買ったお弁当(あなごや海鮮類がほろほろと入り大変美味しかった)。夕食は空港でカレーを食べました。
さて以上無事に旅行を済ませることができました。患者さん達にはご迷惑をお掛けいたしました。母の逝去から考えていた念願が叶って喜んでいます。
次回は旅行の諸印象を記して終わりに致します。大変長々となり恐縮しています。
南国・西国の小旅行Ⅴ:佐世保は浦頭引揚(うらがしら ひきあげ)記念平和公園。
前記しましたように虹の松原を泣き泣き歩いた。その後再び筑肥線に乗って唐津で降りた。
唐津はレンタカーの営業所へ直行、車を午後1時から24時間レンタルして佐世保へ向かう。途中の伊万里などもスルーして、一路目的地、浦頭引揚記念平和公園を目指した。
浦頭(うらがしら)は複雑な佐世保湾のやや南よりに位置している。途中の花などを撮影しながら夕暮れ近く目的地に到着した。公園は小高い丘の上にあり、長い階段を登った。
正面の彫像などはホームページで見ていたが、目の当たりにして全体の広さと手入れの良さに驚かされた。歴史を丁重に扱うのは知性と良心であろう。公園は市が管理しているのだろうか。
公園からの眺め。引揚げ船は湾の左奥から右手前にある桟橋へ入港したらしい。
園内の説明板から。検疫後も厳しい行程が待っていたことが分かる。
昭和20年10月から25年4月まで引揚者と復員兵の合計140万人もの人が
南風崎(はえのさき)駅から故郷へ帰っている。
全国では舞鶴、佐世保、博多など8港ほかを経て、
660万人を越える人々が困苦のなか帰還したという。
表情や姿に癒された記念像。
制作者の小金丸氏は太平洋美学校教授、東大講師の経歴の人。
昭和21年の今頃の季節、0才と3才の弟、6才の姉と4才の私を引き連れて当地に上陸した父母。
満州では引き揚げを前に、母は私たち三人の子どものために一つずつ小さなリュックを作ったという。
出発の前の晩まで一番張り切っていた私は本番では全く駄目。リュックの代わりにオマル?を背負わされ、健脚の弟が頑張ったらしい。
かすかな記憶を拾ってみると緊張場面ばかりだ。満州で乗った貨車や客車、途中の襲撃、引き揚げ船の雑魚寝やうす曇りの甲板がうっすらと浮かぶ。しかし佐世保の上陸に関して全く記憶が無い。私はすでにふらふらになっていたのだろう。引き揚げはそれぞれにとって文字通り命がけだったのだ。
このたび訪ねた記念平和公園への階段を登り始めてから帰るまでの一時間、虹の松原同様やはり涙を禁じ得なかった。大きな荷物を背負い私たちを守った一文無しの父(満鉄病院の医師だった)を思っていた。
3月18日は九大病院→虹の松原→唐津、伊万里→浦頭引揚平和記念公園→佐世保で泊った。この日昼食を摂るヒマがなかった。
当旅行で見た家々の梅と椿、山道に満開だったアブラチャン、そして時折のキブシ。道中慰められた花は二三のエピソードとともに最後にまとめて掲載させて頂こうと思っています。
南国・西国の小旅行Ⅳ:虹の松原で泣く。
3月18日(日)、九大病院からタクシーに乗り最寄りの地下鉄駅で降りた。地下鉄は姪浜から陸上へ出ると筑肥線となり玄界灘に添って走る。車窓は広く次々に変わる海の景色が美しかった。小雨が降ったり止んだりしていた。
若き日の母のことで、写真によって唯一場所が特定出来るのが虹の松原だ。西唐津行きの普通列車は11時半ころに当地へ到着した。小さな空色の駅舎は無人で、目の前にはすでに広大な松原が広がっている。何十万何百万本といわれる黒松が続く素晴らしい場所だった。
左19才の母の虹の松原。学校の合宿のような行事があったらしい。
東に向かって白砂と松原 |
西へも |
多分ここへ来たら泣くだろうと思っていた。その通り松原を横断して白い砂浜に出るとすぐに涙がこぼれた。
また来ましたよ、背中の遺影に言葉を掛けた。ウオーキングの人たちは林の道を足早に歩く。砂浜を歩くのは自分だけだ。遠慮なく涙を落としながら歩いた。
カメラを見ていた日傘の母は77年経って車椅子の遺影となって背中に居る。しかし老若を駆け抜けたその人は、人生のはかなさだけを伝えているようには思われなかった。学び読み倹約し、老後も懸命に自立を続けた姿を私は脳裏に刻んでいる。
この人からもらった人生。はかなくはあっても美しい砂浜で泣いているだけで有り難いことではないのか。憐憫とともに深い感謝に包まれた。
感傷と言われればその通りだと思う。25年前の正月に、3泊4日の京都・奈良旅行を子どもたちとした。以来今日まで生きて、感傷旅行以外に私の旅は考えられなかった。
南国・西国の小旅行Ⅲ:九大医学部・病院 母への憐憫。
19日(日)は二日目、この日から母の若き足跡を訪ねてみる。ホテルの小さな食堂でモーニングを食べ、ハンカチで包んだ遺影をリュックに入れて8時半すぎに宿を出た。
母が学んだという九州大学の看護学科(当時は別の呼び名があったらしい)のこと。入学式のこと、級友と本の貸し借り、寄宿舎のしきたり、泣いてばかりいた同級生、満点を取れなかった最終試験、、、、何度も聞いていた。
訪ねた朝の構内は静かだった。話のとおり医学部と附属病院は大変立派で広大、旧帝国大学の風格を今に伝えていた。看護学科は現在保健学科に含まれて北東の隅にあった。
大きな病院 |
看護学部がある保健学科 |
昔からの正門らしき左部分 |
右部分 |
看護学校の入学式で母は初めて見る同級生の身なりの良いのに驚く。みな立派な袴を付け、時計をしていた。その中で、自分は自らの母が縫ったつんつるてんの袴で時計も無かったらしい。
父の夭折などある種不遇の中、8年間皆勤した高等小学校から看護学校まで主席を通したという。満州で医師の夫(小生の父)と出会う母。終戦後新潟の我が家へ嫁として入るや、「ぐうの音も出ないほどに」姑、小姑たちに押さえ込まれたらしい。ばらばらな作法、風変わりな言い訳、作り話のような話など一部変人扱いを受け、私たちさえある部分そう思うようになった。
しかしその晩年(80才を過ぎて)、遅きに失したが母の中に“素晴らしい人”が見えるようになった。息子が言うのも可笑しいが、勤勉と読書、超絶な記憶力、一発で人を見抜く眼力など、、、。私たちの方こそ見抜かれていたのか?私は自分を恥じ、母へ強い憐憫を抱くようになった。
恥ずかしながら平成16年から4年間、当地の医師会長職をけがした。260人の医師たちは個人としてみな優しいが、当然ながら団体活動となると時に面倒な側面を見せる。医師会は自身の問題とともに公共として常に複数の課題を抱えている。
会員に抵抗されて動きが止まれば地域の水準は遅れる。その前4年の副会長時代も含めて、地域水準などを意識させられると非常にストレスを感じた。
不思議なことだったが、行き詰まりそうになると母を構いたくなった。車に乗せ、散歩をし、昔話を聞く、最晩年は車椅子を押した。すると気が休まり、面倒な会議を続ける意欲が沸いた。母をかまうことがストレスに良いなどとは考えてもみなかった。
余談が長くなりました。
看護学校の外出は厳しかったようでしたが、一旦外出の際は上掲の門で、「行ってきんしゃい」と守衛さんに言われたようです。
(記載しました母のことは一部当ノート「我が家」に書かせて頂きました、繰り返しをお許しください。)
次は大学を出て10:30頃の地下鉄ー筑紫線でおよそ1時間10分、昼の「虹の松原」を書かせていただきます。
南国・西国の小旅行Ⅱ:チャンポン 旅の携行物は多いな。
17日夜無事に福岡の宿に着いた。なぜか九州の実感が無く大阪に居るという錯覚を吹っ切れなかった。
16日から15000人もの参加者がある巨大な学会が開催されていて、福岡市内のホテルはどこも満室。数日前にようやくキャンセルで小さなホテルが一室取れていた。
店内では皆チャンポン、お客さんを見ていてある事に気づいた(後日書きます)。
せっかくの九州。博多駅前のビル内にあった店「リンガーハット」でチャンポンを食べた。初めて知ったが、同店は国内外におよそ500店舗を展開するチェーンらしい。
普段から自分はさほど食べ物にこだわりが無く、外食も大抵のものを美味しいと思ってたべる。この夜餃子とともに食べたチャンポンは沢山入る野菜が新鮮であっさり味、健康的な食べものだと思った。
壁にお洒落なボード。チャンポンや店の歴史のことかと思ったら、野菜、麺、スープ、どれもみな特別仕立てだと書かれていた。ちなみにリンガーは幕末~明治に長崎に来た英国の実業家の名、ハット(hut)は小さな家という意味だった。
一人旅の身支度。リュックとポシェットは数日前ジャスコで買った。
革ジャンと帽子はいつものもの。
それにしても今どきの旅行は携行物が多い。沢山のJR切符、航空予約券、ホテルのクーポン券、保険証、運転免許証、財布、薬、本、紫外線カット品、整髪料、充電器、自作の行程表、鍵類、飛行場の駐車入場券、着替え、カメラ。家に居れば何気ないものまで毎日眼を遠し管理して携行する。旅慣れないので随分なストレスだ。明日から本番、妻が居ればこの携行ストレスは半減するのにと、思いながら休んだ。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 柏崎、上越、晩秋の野道 斎京まさ子さんの本。
- 木村茶道美術館の貴重、庭園の紅葉ライトアップと駐車料金。
- 木村茶道美術館の寒月茶席に伺った 素晴らしい本阿弥光甫のお茶碗。
- ゴルフ場でトマトジュースの汚れを口を使って落としてみた。
- 晩秋、驚くほど当たる天気予報のゴルフ 朝日池のコハクチョウ。
- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「すき」と書かれた。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
- 秋晴れの日のゴルフ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
- 高田高等学校創立150周年の秋 いたくら桜園 近隣の秋。
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