明け暮れ 我が家 お出かけ

母の三回忌 油断出来ない夏の脳梗塞。

2013年8月10日(土曜日)

本日は母の三回忌だった。母は小生を宿し血液を共にし産み、ある種ふるさと的。その点父は、生成の契機にDNAを届けただけなので〝ふるさと〟感はややクールだ。

パーキンソン病が進行していた父はおよそ20年前、突然に生じた腸閉塞のためわずか半日で自宅で亡くなった。肩を貸して母とともにレントゲン室まで運んだ日のことが鮮明に思い出される。

両親は明治と大正の夫婦で、特別睦まじいという風でもなかった。今よしんば遙か小さな星にでもなっていて、子どものように眠ったり笑ったりしていればなあ、と思う。

 


マンハッタン・トランスファーによるCHANSON・D’AMOUR(シャンソン ダ ムール・愛の歌) 

 

読経西念寺さんご住職の読経。

本日昼に発症した脳梗塞の高齢者の方を速やかに受け取って下さった病院さんに大変感謝しています。この時期、メディアは盛んに熱中症を取り上げる。一方脱水によって濃縮された血液が関係する突然の脳梗塞も夏独特の怖い疾病であろう。

明日から5日間のお盆休み。暑さは続き、気になる方がいて油断できない。

我が家も梅を干す 「まー」と言うお年寄り 単純な誕生・多様な死。

2013年8月7日(水曜日)

昨日在宅で伺ったお宅の庭に梅が干してあった。本日は我が家でも妻が干した。昔ながらのローテクは目に優しく心和む。(梅は家で採れたものと頂き物が半分ずつだったということです。)

 

梅干し作り

 

本日の新潟県上越市の最高気温は32度。週間予報は30~33度と示され、関東以西などよりやや低目のようだ。

日中お二人の高齢者が38度まで発熱されたが一過性だった。
盆はショートステイの利用が増える。来客に忙殺されたり介護者も一息つきたい。しかし如何せん患者さん自身急な弱りが見える時期でもあり、予約はしても利用の可否は気がもめる。

本日伺ったお年寄りは間もなく100才になられる。半年前まで大声を出されていたが、この数日は「まー」としか言わなくなったという。額を撫でて「どうですか」と尋ねると小さく「まー」とおしゃった。
〝すみません〟が短くなって、ついに「まー」だけになったと聞いた。やはり生まれた姿に戻るのか。

それにしても死は絶対運命にもかかわらず、自分のこととなると具体的なイメージを容易に作り難い。それは誕生と異なり遙かに多様で、人生の複雑さが深く絡んでいるように見える。
生まれた姿に帰るとはいえ様相は人の数だけ異なろう。死は誕生と同じく一瞬だが万差を経る。私たちは、あたかも生涯をかけて回り道をさせられている如くだ。このことはおそらくDNAの計らい(戦略)であろう。しかし全てを彼らの手にゆだねる訳には行かない。

可能な限り健康に留意すること。これはDNAによって複雑に仕組まれた生死を少しでも単純化し、かつ豊かなものへと導くことの根本にちがいない。

同門ゴルフ会。

2013年7月29日(月曜日)

先週末は軽井沢へ出かけた。大学病院時代の教授のもとで研鑽した当時の同門によるゴルフ会が、軽井沢で40数年も続いている。

美術館の開業以来休んでいたが、7年ぶりに参加した。前夜の懇親で思わぬ医師たちの死に悲しみ、何十年ぶりになる方との再会を喜んだ。

美味しいワインの差し入れを続けられる先輩・同輩、奇抜な冗談で盛り上げる先生、記憶力抜群の人、絶えない逸話、濃やかな幹事、、、場所を移しても話は尽きなかった。

翌日のゴルフでは医局時代、私の下に付いた医師が元気に当日参加した。変わりなくスマートで、私と一緒で良かったとは、お世辞にしても嬉しかった。

美術館のことや、妻が持参したパンフや小生の絵はがきを皆さんに喜んで頂き、行ってみたいと言ってもらった。年を経て揺りかごのような会になってきた。来年も是非参加したい。

帰り道で帰り道の浅間山。

遅ればせながらの発見 ヘアブラシの裏側。

2013年7月27日(土曜日)

髪を伸ばして50余年、長くヘアブラシのお世話になっています。ブラシは毛の製品も使いますが、主に写真のようなプラスチックのものを使っています。

このタイプは何時頃から登場したのか定かではありませんが、柄とブラシ一が体のプラスチック製品は昭和30年代半ばに既にあったと思われます。姉などはブラシにからんだ毛を処理しやすいよう上からガーゼを刺すようにかぶせて使っていました。毛がたまってくるとガーゼごと抜き取るのです。

この方法はどなたも工夫されたことがおありではと思います。私は普段何もせず、汚れてくると入浴の時に石鹸湯に漬けて手洗いし、指や爪楊枝や古い果物フォークなどで汚れと毛髪を取っていました。

 

1

ところで洗った後、ブラシが生えている赤い部分の中に溜まっているであろう水分がずっと気になっていました。それで強く振るなど水切りを試みていましたが、すっきりしません。

 

 

2それがつい先日、赤い部分が柄からスライドして外れることに突然気がつきました。

4外れた部分を裏返すと底が二つに割れます。

 

005割れた部分をさらに開くとブラシの根元が現れました。今後はここも洗えます。

知らぬは私だけだったかもしれません。

しかしこれほど見事に、気になっていた問題が解決(100%以上?)される工夫がなされていたことにひどく感心しました。ブラシには製造元など一切記されていません。この構造はプラスチックブラシに共通で、長い常識だったのだろうと思いました。

誰もが当たり前に知っているようなことを今さら気づく、、、。なにごとも〝おくて〟の自分に相応しい発見でした。

暑かった関東 美味しかった野菜 名残惜しい「はくたか」。

2013年7月8日(月曜日)

昨日午後、縁あって埼玉市を訪ねた。大宮駅で新幹線を降りたが突然にして驚くような暑さだった。
暑さが苦手な妻は顔をゆがめた。しかし混雑する駅で、地元の人々はハンカチや扇を使ってはいるが平然としているように見えた。文化の違いか気のせいか、とにかくさすが関東、ということになった。

今回どの電車も駅も多くの人がスマートフォンを操作していた。隔世の感であり、「おとぎの国」のようでもあった。私は良寛の俳句の本を広げたがとても面白かった。

本を読む人は他にもいて、それはそれでまた「おとぎの国」の人のようにも見える。不思議な世の中になったと思った。(私自身が年のせいで、不思議の国へ近づいているという事でしょうね)

 

お訪ねしたお宅の菜園から見えた積乱雲の頭部。008畑では多くの作物が育ち熱心さが伝わる。夕げの食卓は幸福の野菜料理だった。

 畑で初めて見たブラックベリー。007

英国の器、ロイヤル・ウースターにペインテッド・フルーツのシリーズがある。そこにはブラックベリーがしばしば描かれ、あこがれていた。黒く熟しているものがあったので口にしてみたが、とても美味しかった。上越でも作られているのだろうか。

 

036上越新幹線は越後湯沢駅への往復に利用したほくほく線特急「はくたか」ホワイトウイング。

2015年春、北陸新幹線の開業で現「はくたか」は終了する。その後私たちの上京などは「上越妙高」駅を利用することになるのか。せめて列車の名だけでも残してほしい。

ところで北陸新幹線開業後は長野駅でJR東と西の運転士と乗務員が交替するらしい。現行の信越線ー北陸線に関して直江津駅でそれが行われている。これにはある種カルチャーショックを禁じ得ない。

新駅まで冬場の交通不便や直江津駅の地位低下、ともに辛い状況が見える。今後は、残ったほくほく線およびJR並行在来線の頑張り、それに新たな公共交通の開発が期待される。いずれにしても地域がどれだけ頑張れるか、私たち自身の古くて長く真剣な課題にちがいない。

帰路、懐かしい医師にお会いした。頑張り屋さんの先生で国際的なチームに参画されている。変わらぬ前向きさに、元気を頂いた。

頂いたジャガイモ 音楽会 最後の6月。

2013年6月30日(日曜日)

ジャガイモの収穫の時期になっています。以前に書かせて頂きましたように、春から続いた水不足で当地の砂地の野菜はうまく行きませんでした。

特にジャガイモは中断された人もいたと聞いています。昨日そのジャガイモを頂いきました。最も大きなもので通常の中くらいサイズ。ジャガイモには最後まで頑張った作者と作物の根性がにじみ出ているようでした。

ジャガイモ

昨夕あるお宅で音楽会がありました。演奏、選曲とその時代背景などみな素晴らしかったです。料理を持ち寄った打ち上げは、飛び入りもあり笑い声が絶えませんでした。平成生まれの大人は余興に演奏された〝イエスタデイ〟を知らないと言い、驚くよりも新鮮でした。

お料理平らげられた料理。

6月はあっという間に去って行くようです。

卯の花音楽祭 筆者のゴルフは時の運 新潟市への途中で。 

2013年6月23日(日曜日)

本日糸魚川カントリークラブでゴルフコンペだった。梅雨の晴れ間に恵まれたが51-53で残念ながら15人中11番だった。私のゴルフはもっぱら時の運だと思った。但し160ヤードのショートホールでニアピン賞が取れた。

参加賞とともに樹下美術館へ持ち帰り、閉館間際のスタッフと分け合った。

本日、東京から新潟市の老親の世話に通われる方が、ネットで当館を見たと云って寄ってくださった。ほくほく線へ乗り換えてのご来館、嬉しく思いました。
介護の合間に来館される方を時々お見受けします。お忙しい日常と想像されますが、当館ではゆっくり心休めてください。

013夕刻の美術館のデッキからの空。秋を思わせるいわし雲だった。

さて本日午後、大潟コミュニティープラザで「第11回 卯の花音楽祭 小山作之助をたたえて」が開かれた。盛りだくさんの内容だったと聞きに行った妻。特に上越教育大学の後藤丹(まこと)教授編曲の「夏は来ぬ」素晴らしく、アンコールになったと云う、お聞きしてみたかった。堀川正紀委員長はじめ運営委員の皆様のご努力に深く敬意を表します。

忽然と消える不思議の鳥コムクドリの親子。 

2013年6月22日(土曜日)

さて連日のコムクドリです。筆者は何度か彼らのことを〝不思議の鳥〟と呼ばせて頂きました。

詳しく観察していませんが、不思議とは次のようなことです。

①つがい以外のフリーな鳥たちの意味不明な関与。
②あっけない子育ての終了。

①について:巣にはしばしばつがいではない個体がやって来る。ヒナの巣立ちが近くなるとその数を増し何羽も来て巣を覗き、巣に入り、また賑やかに鳴きます。しかしいくら空腹のヒナが叫んでも餌は運びまんせんし、一体何しに来るのでしょう。

③ある日ヒナは身を乗り出して大声で叫び餌をせがむが、親鳥の姿は現れず、翌日にはヒナも消える。

この時期、家の周囲でスズメ、ツバメ、カラス、カワラヒワ、さらにムクドリまで、巣立ったヒナが親に給餌をせがむ姿が見られるようになります。しかしコムクドリは昨年同様、親子してあたりから忽然と消え去りました。〝飛ぶ鳥後を濁さず〟それにしてもその後ヒナはどうやって生きるのでしょうか。

 

0106月19日雨の中、空腹のヒナの前に盛んに現れるフリーの鳥。これはオス、餌は運ばない。
鳥の親はめいっぱい開かれたヒナの黄色のくちばしを見ると餌を与えずにはいられない、と云います。
ヨシキリの巣へのカッコウの託卵は、これを利用して行われています。

こんなにせがんでいるのに親でない鳥は全く餌を運ぶことはしないのです。自然界の遺伝子支配は絶対的であたかもパソコンのプログラムの如くです。

巣から顔を出すヒナ同じ日、ただ来るだけのフリーのメス。この日親鳥の姿を見ることはなかった。
フリーの鳥はもしかしたら巣離れを促しに来るのでしょうか。

 

026巣から実を乗り出すヒナ。巣立ちかもしれないが、飛翔をみる暇がなかった。
昨年と同じく、翌日20日に親子とも姿、気配が消えていました。

コムクドリはツバメと同じく南洋からの渡り鳥と云うことです。飛翔は実に滑らかで自在。様々な声色で鳴き、ヨシキリに劣らず饒舌でよく歌います。私は他で見かけず、ここの合歓木(ねむのき)だけで見るのも不思議だなと思っています。

現在、残ったフリーのオスが木に来て盛んに囀っています。ペアを探しテリトリーを主張しているようにも見えますが、この先どうなるのでしょうか。

 

さて、ゴルフ練習場今夕、食事前に寄ったゴルフ練習場(上越市下門前:ゴルフプラザ ビーボ

明日は同業のゴルフコンペ。四月に50-51で優勝しました。ハンディキャップが34+2もあったのです。今度はで29+2です。
70才を過ぎると2がプラスされ、その上前のティーから打てます。前回はうっかりして皆さんと一緒にレギュラーティーで回りました。明日もそうするつもりです。

今年は出来るだけこの会に参加しようと考えています。良くても悪くても明日の成績はご報告したいと思います。

減量で昔の式服が楽に着られた 置いた水をコムクドリが飲んだ。

2013年6月14日(金曜日)

かって医師会長をしている時に葬儀や結婚式に参列する機会が多かった。甚だ不謹慎な話になるが、その時自分も含めて多くの参加者の式服がパンパンとして窮屈そうな事が多いのに気がついた。特に男性がそうだった。

そもそも式服は生涯に何度も新調するものではない。社会に出て一回、その後体型が変わって二回目などがせいぜいであろうか。

しかるに新調して5年、10年が経つと、次第に体重が増えるのもおよそ一般的であろう。それでいざ服を着る時、ダブルのボタンが止まらない、ジッパーに苦労し、袖も裾もツンツルテン。お腹をへこませて無理矢理着ると、黒は締まって見えるし、式はおごそか、それに紛れてなんとか形になろうか、というのが一般的だったようである。

このたびある方の「おとぎ」によばれた。これまでの式服は一苦労あった。しかし昨年11月来、食事を是正し階段昇降運動を続けると2月に9%近く体重が減った。その後リバウンドもなく、このたび服はすんなりと肩と乗り、ズボンはすっと気持ち良く入った。

職業がら皆様には適切な食事と運動、その結果の好ましい体重維持を勧めてきた。皆さんが懸命に付いて来られようとされるので、心こめて応援している。健康のほかに、昔の服がすっと着られるのも良い産物だとこのたび実感した。

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ところで現在、仕事場の庭にある合歓(ねむ)の古木でコムクドリがヒナをかえし、懸命な餌運びを行っている。続く暑さを考えて地上2メートル巣の下1メートルほどの所に簡単な水場を取り付けた。

三日間、鳥は近づく気配を見せなかったが、本日一羽のメスが水を飲むのを見た。この鳥はツガイ以外の独身と想定される個体だった。動物世界で新しいことを始めるのはいずれも若い個体だと云う。

 

本日の記載を始めた午後11時20分、突然雨音がして降り始めたが、10分ほどで止んだ。もっと、もっと降ってくれないと!

ほくほく線の列車を見ながら車弁当。

2013年6月4日(火曜日)

連日雲一つ無い晴天が続いていて、しっかりした雨などはいつ降ったのか定かでない。夏になり華やかな夕焼けを期待しているが、雲が無いので平板な眺めになっている。

ところで本日午後の在宅まわりで近頃珍しく飛行機雲がはっきり見えた。薄い層雲も高い空にあり夕焼け雲が期待出来た。

久しぶりに夕暮れの車弁当を食べようということにした。懸案だった車内にお弁当などを置くトレーを急いで用意することにした。前席の左右前後を測り、シフトレバーの所に切れ込みを入れた簡単な図面を書いた。用事で外出する妻はスーパーセンターに寄ると、担当者が板を選びすぐに作ってくれたという(手間賃は要りますが)。

6時、仕事を終えると美術館で庭仕事をしている妻と合流して手伝った後、近くのほくほく線が見える所へ行った。

 

119時少し前、飛行機雲が浮かぶ期待通りの穏やかな夕焼けの空。

 

2ほっともっとで買ったというお弁当を広げ、妻はビール、小生はノンアルコールを開けた。
トレーは大きさ安定感とも十分だった。

但し私が撮影に出入るするたびにドアを開閉するのでそのときだけ妻が軽く支える。

 

3まもなく普通電車がゆっくり通過した。このころの空が最も赤かった。

 

 4次ぎに特急・はくたかが近づいて通過する。特急は音、スピードともとてもダイナミック。

 

5暗くなったが、最後に上り特急を見送った。みずみずしい田のふちでおよそ40分、良い時間だった。

幼少、季節が良くなると父に連れられ近隣の林や丘へ、歩いてピクニックに行った。後に自分の子どもたちと池や尾神岳で昼食をした。その楽しさは今でも脳裏にあり、戸外の食事はたとえ車中であろうと何か楽しい。いつかスタッフたちと大潟水と森公園へ朝食ピクニックに出かけてみたい。

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