明け暮れ 我が家 お出かけ

たかが卓上カレンダー。

2014年1月14日(火曜日)

相変わらず気温は下がるが雪はほとんど降らない。

本日仕事場で、薬のメーカーさんから頂いた小さなカレンダーが余っているのに気づいた。

以前、医師会長などを仰せつかっていた頃は随分先まで日程がつまり、毎日カレンダーと睨めっこだった。
それが職を辞して間もなくすると、カレンダーをほとんど見なくなった。
見たくない気持ちが働いるように感じていた。
すると今度は、祝日などは前夜になって妻に言われて初めて知ることがよく起こった。
(不意にプレゼントをもらうようで嬉しいことでもあったが)

ところで冒頭のカレンダーは縦横10数センチで卓上でも小さな方だ。それでも上方に前後二ヶ月が印刷されている。

これを自室の机の隅に置いたところ、邪魔にもならずなぜか気持ちが落ち着く。
かつては予定で真っ黒だったが、今はすっきりして曜日の流れが感じられる。
小さなカレンダーだが、妙に楽しく、また張り合いめいた感情が沸いてくる。
不思議なことだ、と思う。

 

カレンダー魔法のような小さなカレンダー。

以下は若き頃、時々ラジオから流れた「It’s Magic」(Stanley Black&his Orchestra)。

眩しい道 落椿(おちつばき) 洋梨の油絵。

2014年1月6日(月曜日)

およそ正月休み明けの本業は暇がちとなる。在宅回りも一件だけで、ウオーミングアップの一日だった。

四ツ屋浜夕刻近い四ツ屋浜の通り。

この時期の午後から夕刻にかけて陽が射せば、浜線の上りは真っ正面から陽を受ける。
とても眩しい。

 

 048昨日遅くから本日夕方まで開いていたヤブツバキ。
夕食事時に見ている前でぽとりと落ちた。あたかもゆるんだ萼から押し出されるような感じ。
お正月来楽しませてもらってお礼を言いたい。

 

洋梨小さなキャンバスにガラステーブルに乗った洋梨の油彩を描き進めた。
一度に何枚も描くのは乾かしながら描くため。

教則本などちゃんと読んだこともないので作業は全て試行錯誤。詳しい人が見たら筆も油も方法もみなでたらめと言われるかも知れない。

そーと、そーと、進めるだけで、全く自信はない。

家で昼の風呂はうぶ湯以来か 椿は半分の開花。

2014年1月4日(土曜日)

1月4日、樹下美術館も仕事場も雪が無い。気温は5度前後なので降っても雨になる。季節風も家が鳴るほどの強さは無い。
昭和が終るころから10年近く極端に雪が少ない年が続いた。果たして今年は?

本日は朝寝して朝昼兼用を食べ、風呂につかり、絵を進めた。

ブランチ朝昼兼用の食事。

 

風呂何処へも行かない正月は四日目、午後3時過ぎに入浴した。

家で昼間から風呂に入るのはうぶ湯以来だろう。
今年の正月は何かと貴重であり、この風呂だけでも生きて良かったとしみじみ思った。

 

今日の椿昨日お示しした椿の本日は半分程度の開花。
いわゆる詫び助椿の風情だが、当椿は開くとなかなかの花っぷりとなる。
(器は陶齋の徳利です)

年の瀬にアルバムを考える。

2013年12月18日(水曜日)

在宅回りの訪問の時、高齢者さんがベッドでアルバムを開いていることがある。私は在りし日のモノクロ写真が好きなので、人様のアルバムでも一緒に眺めさせてもらう。

軍服のものなどは早めに飛ばされ、田植え時に皆して畦でおにぎりをほおばる写真などではこれは誰、それは誰々と教えてくださる。

警察官だった人やバスの運転手だった方のアルバムなども大変興味深かった。

さて先日のお宅で、私の為にとその方の兄さんが残したアルバムを用意して下さっていた。若き日の小生の叔父さんが写っているという。

020 - コピーB5ほどのアルバム。他でもこのように黒っぽい立派なアルバムを見た。戦前の流行だったのか。

 

022昭和12年、若き日の叔父さん。父より3つ下、ハンサムで優しい人だった。
逞しい人生を歩まれ、今から15年ほど前に90才近い年で亡くなられた。
写真は満州時代に入院中の戦友を訪ねた時のものらしい。
人様のアルバムで若い叔父さんと出会い、よけい好きになった。

さて私たちにとって、誰かの人生を、誕生から老後まで見ることはそう容易でない。年下で若くして亡くなった人の人生は誕生や幼年時代から知り得るが,、最晩年まで見切ることは中々難しい。
またその人が長年生きて亡くなられる場合、大抵年上の自分が先に倒れるので多くは叶わない。
親や子についてもしかりであり、他者の長い生涯を目の当たりにするのは、よほど元気で長生きしない限り実現しない。
(6つ年下の人が90才で亡くなるまでを見るには、自分は97才まで正気で生きていなければならない)

ただ幼年、若年、青春、新婚などの写真がある人が長生きされた時、生涯はよりリ近くリアルに感じるだろう。
しっかりしたアルバムを残された昔の人たちはその点で立派だ。

人生では親子はじめ人の距離や情愛は様々な事に影響される。
しかし単に写真が揃っているか否かで、親近感に差が生じる事はあり得るかもしれない。

この事では、ペットにおいて事情が異なりそうだ。大抵生まれたてから、長生きなら老衰まで共に暮らし生涯を目の当たりにする。
先日樹下美術館を訪ねられた犬の飼い主さんが、長生きされた愛犬の死を大変に悲しまれたのもなずける。

 

いつか私も乱雑な写真をちゃんとアルバムにした方が良いのか。
また一般に、写真以外でも聞いてくれる人がいるなら、上手に自分の昔話を話す(伝える)ことも良いことだろう。
晩年の母から、幼少や青春の話を何度も聞かされたが、そのことで母を深く好きになった。

何はともあれアルバムはどんな人生でも自らを完結させ得る唯一単純な手段であろう(当面誰も見てくれなくとも)。

東京の食事会 ラウンジピアノ ターナー展 豆腐。

2013年12月8日(日曜日)

この週末一泊で上京した。一年に一回、時に二回、学生時代と病院医局をともにした三人の同級生夫婦で食事会が続いている。

うち一人がワインに造詣深いのでおよそフレンチになる。年と財布を考慮して今年は最後までグラスワインで通し、肉料理も外した。

ワイン好きは複雑でわずかなことにこだわり続ける。先日も100年前のワインを年刻みに用意し、皆で少しずつ味わう会に参加したという。飽くなき姿勢に一種可哀想な気もするが、本人はえへへ、と嬉しそうに笑っている。

pianoのチョコレートケーキ最後にピアノのチョコレート・ジェラート。選ばれたデザートワインも合っていた。

 

食事を終えてラウンジに行くと黒人がピアノを弾いていた。ベースが付いているので深く包まれるような音になる。ラウンジピアノはジャズだが、バラード中心でグルーヴ感やテンションコードが抑えられた演奏は洗練されている。

ステージが終わると「拍手が嬉しかった」と言ってピアニストが私たちのテーブルに来た。とても良かったと褒めてマティニーをおごった。妻の隣に座ったが、「私、黒人がそばに座るの初めて」とびっくりした顔が面白かった。おしなべて黒人達は優しく楽しい。

51才の彼はロスアンジェルスから来ていて、渡辺貞夫と一緒にセッションをしたり録音したという。当夜のベーシストとともに、今でも各地でナベ・サダのステージに立つと言った。渡辺貞夫が元気に演奏していると聞いて驚かされた。

 

pianoデュオ「My One And Only Love」をリクエストすると弾いてくれた。

 

翌日は「ターナー展」を東京都美術館で見た。ターナーはどれだけ耳目にしただろう、ついに見たという感じだった。ご承知のように英国を代表する画家。水彩で親しまれているが、油彩の大作も多く架けられていた。

全体に画調が薄いという印象を払拭出来なかった。劣化を考慮して照明を落としてあるが、極端ではないかとやや不満だった。但し大人気で場内は大変に混んでいた。

展覧会図録丁寧なターナー展図録。明日樹下美術館カフェにお出しします。

 

お豆腐料理一夜明けて本日昼食は鶯谷駅前、根岸の豆腐料理「笹之雪」で。あんかけ豆腐は二つ付く。
店を訪ねた皇族方が美味しさの余りお替わりを所望し、以来二つ付けているという。
フレンチの翌日の豆腐料理、種類も多く楽しめた。店を紹介してくれた義理の兄に感謝。

図録以外の写真は妻のスマホで撮りました。以前の携帯に較べずっときれいに撮れるんですね。

樹下美術館で結婚の集い。

2013年11月12日(火曜日)

予報通りの寒波?仕事場の大潟区一帯は数㎝の積雪となり、朝方はスリップにあえぐ車の音も聞こえた。例年、冬の初めは内陸より沿岸に降ることがよくある。

休館日の本日火曜午後、樹下美術館で結婚の集いがあった。お客様が12人、ご本人お二人、司会者とアシスタントお二人、見届け人の私たち夫婦を入れて18人のこじんまりした集まりだった。

参加者の祝意と当人たちの自然かつ固い愛情が響きあう25分だった。

1初雪の残雪午後の残雪3花束署名を終えて花束5食事会場夕刻の食事会場 2会場こじんまりした会場カフェでお茶式後カフェでお茶6テーブル食事にて

大勢、少し、二人。人の晩年に心許す人の数は次第に減る。拙い経験によると意識ある限り最後の段階で、およそ他者は視野に入らなくなる。その時、看る方は伴侶か、子か、孫か、医師か、看護師か、ヘルパーさんあるいは介護士さんか友人か、時には親という事もあろう。

誕生後の母子にも似た関係は、機能低下を辿る脳が行う精一杯の適応に違いない。いずれにしても相手は様々で一概に言えない。

本日のお二人も「最後の二人切り」を願って貴重な船出をされた。当人たちからある種晩秋の清々しさと言うべき心情が伝わり、胸打たれるひと時だった。

夕刻の食事会では苦学の青春時代、60年安保に一途心血注がれた諸先輩が集われた。後年、地道な社会貢献を遂げられ、なおかつ皆様の姿と言葉に影が見当たらない。何と率直で爽やかな人々だったことか。

希望に包まれた3時間余、ユーモアと教養あふれる美しい女性の皆様のことも決して忘れることはできません。

豊漁のフクラゲ 誕生日の花束 5才児も天使。

2013年11月6日(水曜日)

冷たい風雨が始まる時期となっている。本日朝は寒かったが、一日中よく晴れた。

ふくらげ網元から立派なフクラゲを頂き、診療所スタッフと分けた。今年は沢山獲れて網を引く船のエンジンが焼け切れそうになったこともあったという。
一帯がみな豊漁のため安値となり一概に喜べない、一方カマスは小さくてまるでイワシみたいだ、とお聞きした。

 

花束スタッフの誕生日に届いた花束。美しさにモネ人形もびっくり。

話変わって昨年夏、四肢不全麻痺、記憶喪失症、失語症で長年闘病された方が亡くなられた。長い介護は大変だったが居なくなると淋しい、と最近お会いした奥さんが漏らされた。

今でも「おじいちゃん!」と言って孫が顔を見せます。
もう死んじゃったでしょう、と言うと「分かった」と言って傍らの保健薬を持って仏壇に走るんです。

そしてカンカンカーン、と鐘叩いて拝むんですわ、と奥さん。

一才児は天使、と以前書いたが、5才もまた天使だ。

浄興寺の茶会 大根炊き 古着の初おろし。

2013年11月4日(月曜日)

日曜日の昨日午前は、浄興寺茶会だった。9時前に到着し裏千家・西口宗米先生のお席から表千家は野村宗幽先生のお席と回った。

いずれも薄茶。晩秋の名刹で秋の名残を惜しみ、冬を迎える風情が漂う会だった。

お点前
最初の席が終わると懐かしい先生にお会いした。惜しまれて亡くなられた私の茶の先生の親先生だった。優しい笑顔がお元気で嬉しかった。

 

お運び2若い男子の生徒さんが運んでくれた。とても熱心だとお聞きした。

茶道は、どんな人にも道が開けている。
「その道に入らんと思ふ心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ」
茶の道、心得を伝えた利休百首の頭に出てくる素晴らしい言葉だ。

この言葉は亡き師から何度も聞かされた。
「私も師ですが、やってみたい、学ぼうというあなたの心も師なのです」、と。

古着 昨年10月に東京のアンティークショップでたまたま目にとまった古着の初おろしの妻。
3000円値切って1万5千円で求め、東本町のきものの小川さんで仕立て直して頂いた。
菊の小紋は着ている感じがしないほど軽いということだった。

食事券が付いていて、茶の後に季節の名物、大根炊きとおにぎりを食べて帰った。大抵お茶会は午後遅く伺っていた。本日はすがすがしい午前、早出して良かった。

せめて帽子だけでも。

2013年10月30日(水曜日)

男性の古い写真が三枚あります。共通点が四つ、「池の平」および「一人」、そして「帽子」と「同じ人」です。

湖畔で黒姫山を正面に池の平の湖畔。
長い影法師と山の雪、寒そうな湖畔の旅情。

 

池ノ平 初夏だろうか、軽々した感じ。

 

ベンチで時折の優しい笑顔。いもり池湖畔、あるいは近くのグラウンドかもしれない。

ブログに身内を書いたり写真を載せるのはかなり決心が要ります。現存者の写真は斜め後ろなどが精一杯の世界でしょう。

さて突然ですが、実は掲載の写真は父です。1984年(昭和59年)11月、78才で亡くなり30年近く経ちました。
母のことばかり書きましたが、父と向き合うのは今でも勇気が要ります。

理由はおおよそ〝怖い〟と〝近いのに遠い〟の二つ。
怖いは文字通りで、子供時代、五人の兄弟姉妹の中で特に私は叱られました。
今でも「いつまで何やってんだ」と呆れられそうな気がしないでもありません。

とても父には叶いませんが、せめて帽子だけでも同じにと、似た帽子を探していました。
しかし昔は普通にあったいわゆる〝登山帽〟が現在中々ありません。

ところが最近似た帽子が偶々ネットに出ていて求めました。

 

帽子出会った帽子。帆布 風船型 と謳っていた。
初めて知ったSILVER LAKE CLUB社製。非常に頑丈なのには驚きました。

 

やや深めですが安心でとても満足しています。
せめて帽子だけでも、、、。

陶齋を心深く偲んだ日。

2013年10月6日(日曜日)

本日高い空の日に、冒険とも思われました〝陶齋の器で食事会〟の一回目を終えました。

新潟市から6名のお客様を迎えて割烹「京」のご主人松本末治氏が包丁を振るわれました。

食事部屋の棚に陶齋親子の作品を飾り、用いた器は陶齋および師である富本憲吉と近藤悠三のものでした。

今年は陶齋生誕100年ということ。私どもは特別な事も出来ませんでしたが、本日ご本人とゆかりの人々の品を無事に実用致すことが出来ました。

二人の希有な師と陶齋、陶齋を愛した父。給仕に出ながら亡き人々の有り難みを噛みしめた一日でした。

 

親子二代の棚食事部屋の棚に陶齋の壽皿と香炉および陶箱、そして二代陶齋・尚明氏の白磁花瓶が二器。

 

陶齋の志野と唐津「口取り」に鮑焼きや鴨ロースなど9品が盛られた陶齋の志野皿(左)と絵唐津皿(右)。

近藤悠三の角皿香の物(お漬け物)は近藤悠三作ざくろの角皿に。

富本憲吉の花皿デザートのいちじくワイン煮、茶巾栗など6種が盛られた富本憲吉の花皿と陶齋の梅皿(手前)。

食後の茶は小生の点前でした。一カ所、道具の扱いを明らかに間違えました。しかし暖かなお客様は何服も茶を所望され、一期一会の一座建立となり、深く感謝致しています。

また、皆様がまず美術館の展示をご覧になり、強く興味を示して頂いたこと何よりの喜びでした。

器を生かしきって9つもの素晴らしいお料理(献立)を作られた松本氏ご夫妻。庭、給仕、水屋をお手伝い頂いたスタッフはじめ知人友人の皆様、本当に有り難うございました。あと三回、頑張りましょう。

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