明け暮れ 我が家 お出かけ

ドック健診、まずまずの体重と脂肪 白鳥 椿の蕾。

2014年2月20日(木曜日)

本日午後、上越医師会検査センターで妻とドック健診を受けてきた。諸検査の結果は後日だが、本日BMIは21,1、体脂肪率17%台で満足な数字だった。一昨年秋以来何とか続けている食事と屋内運動の効果だと思う。

一日食事エネルギー1700Kcal以内、階段昇降350~600段+自己流ストレッチは今のところあまり負担を感じない。

行きに道路から遠く見えた白鳥を健診の帰りに近くで見てきた。
沢山の群を見たのは今年初めてで、新鮮だった。

 

 

田の白鳥白い生き物はどこか神々しい。

飛翔する白鳥夕刻になると餌場の田んぼから池に帰る白鳥。
この寒さの中、帰る我が家が冷たい池とは。彼らには当たり前のことなのだろうが、、、。

椿のつぼみ美術館の庭から切ってきた椿のつぼみが部屋でぐんぐん膨らみ赤くなる。
この椿は八重だがとても上品で、昨年美術館の三月開館から重宝した。

朝寝ぼうしたので弟に電話した。

2014年2月13日(木曜日)

昨日「ラジオ深夜便」で弟のインタビューを聞いた。張り切って本日もと考えていた所、頼みの妻とも起きそびれて聞けなかった。夜電話で詫び、何をしゃべったのか聞いたみた。

このたびは復興に関連して個人意識のことを次の様に述べたという。

自分たちは行動や思考を揃えることは得意だが、個の意識や独自性となると尻込みしがちだ。
水の共有が基盤だった稲作文化がもたらした志向として無理からぬことだが、
新たで豊かな創造には時に難もあろう。 震災復興もしかりではないか。

かって訪ねたフィレンツェの多くの個人商店は、店内の工房で商品を製作していた。
カバン、文房具、楽器、食品、陶器、ガラス、衣料、などなど多様な店は美しく生き生きしていた。
個人が開放され芸術の理解が日常にある彼の地の文化はまぶしかった。
3年が経とうとしている復興も、お上を頼むばかりでは離れる人が後を絶たず限界が見えてきている。
物作りから流通まで、今あらためて個人の開発が求めらているように思われる。

弟の論旨は以上のようだった。ラジオを聞かずに電話でずるをしたが、たしかにと思った。
実は日本人は整然だけではなく、多くの分野で個人の独創性と粘りを発揮して文化に貢献している。
先の中山教授、小保方研究員しかり、ノーベル賞受者の多さをみるまでもなく、
身近な中小企業の特異性も貴重であろう。

揃ってまとまるのも確かに優れたことだ。
だがその中で、個人が自分自身であることを喜び、しかも能力を発揮できるならそれは幸福のエッセンスかもしれない。
そのことが可能な日常を作ることは、生き生きした地域の維持発展にも繋がっていくのではないか。

最後に弟は言う、もっとも身近な自己確認(幸福)の一つは、美味しいものを食べること。
自分は独自の飼料と飼育法と流通をもってそのことに懸命に携わってきた、と。

早朝のラジオで弟の声を聞く。

2014年2月12日(水曜日)

熟睡の今朝四時ころ「始まったよ」という妻の声。
テーブルに置かれた古いラジカセから一つ違いの弟・徹の声が聞こえていた。
NHKラジオの深夜番組「ラジオ深夜便」のインタビューだった。

南三陸町の山間で25年前から営んでいる農場〝コルティッホ・ソーナイ〟における豚の放し飼い。弟は40年前に、自分、人間、自然を問うたため、韓国、秋田、スペインを巡ることになった。15年後に決着した場所で図らずもこのたびの大震災に遭った。

ラジオから、聞き慣れた声と考えが滑らかに聞こえてきて安心した。彼の思考が人と災害を考える上で通底していることを改めて知らされる。

農場で作られる豚、鶏の肉とハムなどの加工品は身内ながら絶品で、お陰様でファンも多い。
忙しいだろうが、ますます身体大切にと願わずにはいられない。

ラジオから弟の声今朝「ラジオ深夜便」を聞いたラジカセ。明日2月12日も午前4時から続きが放送されます。

杉田徹の主な本です。

韓国の石仏 淡光社 金 両基 , 杉田 徹  1975年1月発売

できたぜ!かくれ家 沢山の不思議2001年7月号 福音館書店 杉田徹写真 /後藤一磨指導

南島紀行 福音館 福音館書店 斎藤 たま , 杉田 徹 2004年3月20日発売

風を見たことある?沢山のふしぎ 福音館書店2006年11月号 井出隆夫文 /杉田徹写真

こぶたがぶうぶう 福音館書店 文・写真:杉田徹 2007年90月発行

フォルテシモな豚飼い 西田書店 著者:杉田徹 2009年12月発売

ピアニシモな豚飼い 西田書店 著者:杉田徹 2011年8月17日発売

こぶたのおでかけ 福音館書店 文・写真:杉田徹 2014年2月1日発行

身内の宣伝をさせていただき有り難うございました。明朝も聞いてみるつもりです。
「ラジオ深夜便」は亡き母がよく聞いていました。案外多くのリスナーがいることは知っていました。
私は初めてでしたが思いのほかすがすがしく、早起きされている方達がうらやましくなりました。

ご近所の理容店 表日本、東京に寒波。

2014年2月8日(土曜日)

潟町の仕事場のすぐ近くに理容店がある。本日夕刻、店が空いたということで散髪してもらった。

私の髪はずっとここ。子ども時代はおじいさんに刈ってもらった。おじいさんの頃は畳の待合が店内にあって、漫画などを読みながら待った。
今の店主さんは私より三つ年上。昔から互いにちゃん付けなので、私は〝ふかしちゃん〟と呼ばれる。

螺旋灯 (1)おなじみの灯はサインポールと呼ぶらしい。
世界共通というが、地域に世界共通のサインや看板などめったに無い。

「ああ、きれいになった!」。散髪が終わって椅子から立つ時に必ず店主が仰る。
なるほど座ったばかりの時にぼーとしていた顔がしゃんとなっている。
これがいつも不思議で魔法のようだと感心させられる。

カップ懐かしいシェービングカップ。

 それならもっと頻繁に来ようと思って帰るが、いつも伸ばし伸ばして慌てて出かけるから情けない。
パーマが上手な倅さんも居て店は千客万来。遠くからの常連さんも多い。

さて、東京はじめ表日本が強い寒波に襲われている。都内は車のスリップや接触でJAFは大忙しだった模様。
夕食時にニュースを見たが、JAFの出動回数がテレビ局ごとで随分違っていた。
ある局は普段の2倍といい、ある局は10倍、ある局は13倍と伝えた。
聞き流す分には構わないが、何かの参考にするには困るはず。

昔を今に「どんどの池」。

2014年2月7日(金曜日)

昨日雪の寺を掲載しましたが、本日の大潟区は鵜の浜温泉にほど近い「どんどの池」です。
砂丘地の大潟区で、九戸浜のこの池は一年中こんこんと水が湧き、絶えることはありません。

どんどの池小さな祠と鳥居があるどんどの池。

水に恵まれなかった当地のこと、その昔、どんどの池は洗濯など洗い物をする人で賑わいました。
戦後の一時期、母もここへ通いました。私も何度か一緒に来たことがあります。

当時の我が家は疎開の人も多く、十数人が住んでいました。
南国佐賀から嫁いだ母はことのほか大変だったと思われます。
この池のことでも機嫌の良い顔を思い出すことはできません。
しかし水はきれい、浅場と深場があるしつらえ、大勢の人、、、。
子どもの私にとって池はどこか怖く、反面興味もつきない場所でした。

さて写真はすぐ上の旧国道から撮影していますが、水は国道をくぐって反対側へ流れます。
反対には醤油工場と瓦屋根が立派な和風のお宅がありました。
建物の回りを小さな流れが囲み、水路に美しい砂利が敷かれていたのです。

お宅に新大の学生さんが居て、小学時代のある時期姉といっしょに勉強を習いました。
お宅へも遊びに行きましたが、縁側で飽かず流れを見たり笹舟で遊びました。

今お宅はありませんが、跡地の草の中を水路だけ走っています。
流れはそこから竹やぶと松林を抜けて「はまなすの池」に貯まるのです。

その池の手前にも小さな洗い場があり、往時の面影を伺うことが出来ます。
昔人の息づかいが残る場所には、自然と心癒やされます。

ぴんとこない誕生日。

2014年2月1日(土曜日)

昨夜というのがいいのだろうか、就寝前に妻がおめでとう、という。
「え?何」
「日がかわりました、今日は何の日ですか。はい、おめでとう」
出されたのはカーディガンだった。
「ああ分かった分かった、ありがとう、ありがとう」

毎年誕生日はこのようなことが繰り返される。
こんな時、自分の毎日は如何にもその日暮らし的ではないのか、と思う。

いずれにしても日ごと年をとっていることに変わりがない。
こうなれば誕生日ごとに人生経験を一年積み上げたこととしよう。
差し当たりいくつ積み上げるか、という事で。

 

カーディガン「AZAMI」さんのカーディガン。

お花を下さった方、まことに有り難うございました。

今日の海柿崎の海。

土曜日は午後から休診。15時に入浴しそれから柿崎の海辺を1時間少々歩いた。
早い入浴と散歩は、お手軽な旅行気分がして気に入った。正月にも試みたが、お天気さえ良ければ休日などでまた行ってみたい。

さて過日弟との電話で、年を取ると何かすることに億劫がつきまとう、と私が言った。
弟は「いやいや良く分かるが、若い時も何かと億劫だったと思う」と。
なるほどである。

本日見たもの味わったもの。

2014年1月23日(木曜日)

午後から休診日、時々薄日が射し雪も降らなかった。妻の友人がお稽古がてらと、家に来てお茶を点てて下さった。
しばらくすると三人の高田の婦人が鵜の浜温泉の人魚館で泳いで来たといって寄られた。

冬の温水プールの後にお抹茶、ご婦人方は楽しみ上手だ。

 

ハトご近所さんが伝書バトを飛ばしていた。数十羽の群はすべて白バトだった。
白いハトは文句なく美しい。飼い主さんは大切されていることだろう。

茶をすくう濃茶がなめらかに練られ、美味しく頂いた。

樹下美術館雪の田んぼからみた今夕の樹下美術館。
3月14日までお休みをいただいております。

2月生まれ 健康な首都であれ。 

2014年1月22日(水曜日)

2月になると誕生日が来る。家ではすぐ下の弟も姉も父も2月生まれ、特に父とは誕生日も一緒という2月ぶりだった。

日頃、皆様のカルテで同月生まれの方を見ると、なんとなくシンパシーが沸く。

特に暖房のない時代の生まれでは、お互い湯船の中で震えていただろう、と。

チューリップの花束今年も新潟市のお茶の方からチューリップが届いた。寒空の下、心身温まる。

バレンタイン昼休みに妙高市の孫が寄った。早いバレンタインです、ということだった。
誕生日はともかく、寒さの真っ最中はちょっとしたことで心温まる。

 

夜半に追加です:突然の都知事選挙が始まる。大規模な原発を抱える新潟県民の一人として関心を持たざるをえない。
精神・哲学・姿勢といった目に見えないが深い課題が争点となるとは、さすが東京だと思った。

この機会に、日本が世界一健康な首都を持っている国であることを示してほしい。

昭和天皇巡幸 幼年からの時間 日頃の時間。

2014年1月20日(月曜日)

寒くなってインフルが少しずつ始まった。本日は16才の学生さん、50代のお母さん、超高齢者の方にインフルエンザ薬をお出しした。

夕刻の在宅行で信越本線の跨線橋を渡るときに淡い冬の陽を見た。帰りに車から降りて写真を撮った。
雪の中、線路が西に伸び、松の木や雑木林が見えた。

巡幸の場所信越本線の直江津方面を見る。
右の高い松が見えるあたりに細い道が切れていて、そこから線路脇に出て皆で整列した。

かつて一帯は背の高い松林だった。
小学生1,2年生の頃(と思っていた)、すぐ近くの分校から松林の小道を下りて線路沿いに整列した。
巡幸される昭和天皇をお迎えするためだった。

長々と待ったような気がする。
ようやく現れた列車を見て緊張と興奮に包まれた。
シュッシュッポッポ、ガタンゴトン。
立派な車輌に目を凝らしたが陛下の姿は見えなかったように思う。
それでも私たちは列車に向かって「ばんさい、ばんざい」と大声をあげた。

この日のことはずっと小学1,2年生だったと思っていた。
ところが本日念のため昭和天皇巡幸、新潟県、を検索すると、昭和22年10月と出ていた。

当日の自分は5才8ヶ月の園児だったことになる。
分校のすぐ近くの西念寺さんがされていた託児所から、松林を下りて行ったのだろう。

空腹と漠然とした不安に包まれて過ごした幼年時代。
わずかな思い出も空も当時の写真同様モノクロだ。
本日の冬陽と線路を見て、ふと遠い日が蘇った。

線路の脇に居たであろう幼い自分。しかし以後長い時間が経った実感がない。
66年の歳月とは、ばんざいを叫んだ所から今いる橋までのわずか100メートルを、
一瞬のうちに移動しただけだったのか。

空虚で奇妙な時間感覚。
それに較べれば、診療し美術館の事を考え、絵を描いている今の時間の方が
当然ながらよほど手応えがある。

先輩ご夫婦と夕食 久保田成子(しげこ)さん 宮城道雄の本に小山作之助の名。

2014年1月19日(日曜日)

昨年11月に樹下美術館であるご夫婦の結婚の集いがあった。遠くから学生時代のご友人たちが集まっただけの簡素な集い(式)だった。年下の私などを見届け人にされたご夫婦の清々しさはどんな時でも変わらない。いいなあ、といつも感心させられる。

今夕、そのお二人とご友人が加わった5人で高田で食卓を囲んだ。
話尽きなく、何冊か興味深いご本のことをお聞きした。その中の一冊が米国で活躍されたアーティスト保田成子さんの本だった。

小生は小学校5年生の一年間、直江津高等学校の教師久保田隆円先生(あるいは校長先生?)の夫人にピアノを習ったことがある。そして前記の書物の著者はピアノを教えて下さった方の娘さんということだった。
成子さんはオノ・ヨーコにも縁があったという現代美術の方、上越出身者にそんな人がいたとは、、、。ぜひ一読したいと思った。

(後に久保田隆円先生は小生の高校時代、校長として赴任してこられました)

本日ご一緒したご夫婦はともに読書家で、偶々自分の小さな縁に触れるような記事に出会うとそのことを教えてくださる。過日は「春の海」の作曲者で天才箏曲家の宮城道雄の伝記本に小山作之助の名があったと、当の本を届けてくださった。

 

大潟PA出かける時に入場した大潟スマートインターチェンジ&PA.

駐車場の除雪費用や雪道の往診、在宅回りの苦労で雪を喜べないが、晴れ間は美しいなあと思うことがある。

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