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教育世代の違い? 「学校で何をして遊びたいですか」「勉強したいです」

2014年4月7日(月曜日)

本日のニュースで多くが入学式を報じていた。
以下のようなコメントやインタビューが興味深かった。

●夜のニュース。新潟市のある大学の入学式で〝ゆとり世代の初めての大学入学〟という趣旨のアナウンス。
※ゆとり教育が実施された2002年に小学校へ入学した人達のことらしい。

昼のニュース。新潟市の小学校の入学式で新入生へのインタビューのやりとり。
インタビュアー「学校で何をして遊びたいですか」
男子「勉強したいです」
インタビュアー別の生徒さんに「学校で何をして遊びたいですか」
女子「色々勉強したいです」

インタビュアーと生徒さんの答えがかみ合わない。
もしかしたらインタビュアーは途中からゆとり教育を受けた世代の人なのか。

夜のニュースで同じく小学校入学式の映像を伝えたスタジオキャスターのコメント。
「今年は勉強したい、という生徒さんが多いようですね」

ゆとり教育世代と脱ゆとり、、、小学校のインタビューはある種象徴的に写った。
あるいは偶々(たまたま)だったかもしれません。

※脱ゆとり教育:小学校で2011年度、中学校で2012年度、高校で2013年度から導入された。
今年小学校入学の生徒さんと親御さんには、
3年前からの小学校の方針転換が保育園、幼稚園などを含めすでに全体的に反映されているのか。
となると文科省の影響力はやはり凄いという事になりますが、、、。

 

2014すみれ子さん講演会バナー

 

4月1日の春風。

2014年4月1日(火曜日)

昨夜来の風が弱まり穏やかな日射しの一日だった。

昼休みに絵筆を動かしているとカサ、カサッ、、、カサ、カサッ、、、と小さな音がする。
ガラス戸が開かれていてカーテンがわずかにレールを行ったり来たりしていた。

四月の風

 

昨晩のタモリはつまらなかったが仕方が無い。前の晩勝手に彼のエンディングを空想して楽しませてもらった。

届いたデジタルフォトフレーム ITは第二のDNA。

2014年3月29日(土曜日)

ようやく子どもが出来たせがれ夫婦が東京から妻の携帯(私のより上等)に盛んに写真を送ってくる。
8ヶ月になったばかりの孫の写真であり、妻は携帯から私のパソコンに送っていた。

ところが本日デジタルフォトフレームという物が倅から届いた。
9インチの画面に孫の携帯写真が随時入るという今時のシステム。

デジタルフォトフレーム1ぼんやりした家の片隅がしゃきっとした。

横から横から。

 

デジタルフォトフレーム2バイクに娘を乗せて喜んでいる。

テレビは見るが録画はしない、ビデオやDVDも先ず見ない我が家。
この度のはしつらえによって時計、カレンダー、場合によってテレビまで見れるという。
画像専用の卓上タブレットというようなものか。

今まで送られた写真はパソコンから中々出なかった。
不思議な事に今回一度見ると、また来ているかな、と見たくなってくる。

説明書によれば〝仕事場の机に置いてボーイフレンドの写真を〟など幾つも用途が書かれている。
その6番目に〝定年後の夫婦のコミュニケーションに孫の写真を〟と言うような事があった。

デジタル、ウエブ、クラウド、、、。ITは世界の隙間という隙間を細分化して埋め尽くす。
飽くなき拡大志向は〝第2のDNA〟というべきある種生命体ではないのか、と思った。

子猫ちゃんに見えたが、、、、。

2014年3月24日(月曜日)

昨日に続いて晴れ、気温もぐっと上がって午後の在宅回りで車が示した外気温度は16度だった。
畑を耕す人やランナーが急に目立つようになった。

お陰様で樹下美術館はこの二日間で52人の来場者さんがあったという。

19才のミーちゃん

 

ところで在宅訪問のお宅の帰り、玄関先に小柄な可愛い猫ちゃんがいた。
美人な子猫ちゃんですね、と言うと
もう19才、人間ならうちのおばあちゃんと同じ100才なんですよ、と奥さん。
そう聞けば確かに腰部の筋肉が少ない、、、。

猫を良く知っている人は一見して年が分かるのだろうが、私は幼い風貌にとても驚いた。

長野の方のメッセージ ああ分校クラス会。

2014年3月22日(土曜日)

寒さの中、日射しが戻り春めいた感じがした一日、樹下美術館は新潟市や長野県のお客様があった。
長野の方から以下のようなコメントがノートに残されていました。

「カフェを探していてこちらの美術館にたどり着きました。今日はカフェの利用のみで来させてもらいましたが、建物も景色も、カフェの内装も全部素敵で、すごく嬉しい気分です。
好きなカップを選べるのも嬉しいです。コーヒーのおかわりが出来ることも良かったです。芝生が緑色に変わる頃また来たいです。素敵なカフェに出会えて幸せです。有り難うございます」

「こちらこそ有り難うございました、またお持ち致してます」

 

さて今夕潟町小学校分校のクラス会があった。わずか一クラスで1~3年生まで通った分校のクラス会がずっと続いている。

一昨年は11人、昨年12人、、、しかし今年は何と17人の参加だった。
高齢化したクラス会では参加が減り続ける、あるいはもう止めようということも聞くのに増えるとは!

ああ分校クラス会、皆でいつまでも元気で居たいと心から思った。

 

1962年のクラス会1962年(昭和37年)20才で始まった1回目の分校クラス会。


今年のクラス会52年経った今夕。多くの方が転出され、中には亡くなられた方もいる。
会は当地に残っている人だけで毎年行われるようになった。
(早く帰られた方が二人いらっしゃいます)

図録と表彰。

2014年3月21日(金曜日)

ニュースは吹雪を伴うこの時期異常な寒波を知らせ、東北地方の太平洋側は寒さの中、長時間の停電など厳しい状況が続いている模様。

彼岸の中日とは言え、当地も寒風吹きすさぶ寒い一日でした。本日も朝から時間毎の予定表を作って一日を送りましたが、消化できたのは予定の半分。収穫は介護保険の書類を4通書いたこと、ル・レクチェの絵を4枚完成させたこと、陶齋の図録の校正をほぼ終えた事でした。

 

図録齋藤三郎(陶齋)の図録原稿。左が2011年の初稿、右がこのたびの校正原稿。

初稿から3年も経ってしまいましたが今回こそ終了しそうです。表紙、内容とも今日まで延ばし延ばしていたこと、結果として良かったのではと振り返っています。24日に印刷屋さんが陶齋の校正原稿を取りに来て倉石隆初稿を置いて行く予定です。

夕刻郵便小包が届き、中に公衆衛生事業功労者に関して厚生労働大臣表彰状が入っていました。普段表彰などに全くこだわりを有していませんが、開けてみて有り難みと懐かしさを禁じ得ませんでした。

表彰状

同封の名簿を見ました所、新潟県は小生一人。内容として以下が書かれていました。
「永年にわたり、医師会役員として保健・医療・福祉における地域保健活動の中心的役割を担うと共に、上越地域全体における地域医療の向上、小児救急医療体制の構築に貢献した」

平成7年からの医師会役員、とりわけ平成15年から4年間の会長時代は会議に次ぐ会議。帰りに車の場所が分からなくなったり、高田へ向かう高速道路を北陸道へ入ってしまい、司会を代わってもらったことなど色々ありました。

そんな4年間から幾つかのことが生み出されましたが、とりわけ会議の大切さとその突破力を知らされました。行き詰まった状況を開いて頂いた貴重な意見の数々と発言者のお顔は今でも鮮明に浮かびます。
何より助言、協力を惜しまれなかった上越医師会の先生方j、事務局、保健所さん、福祉事業関係者さん、市役所の皆さん、木浦前上越市長。皆様に代わって受け取らせて頂きました。
また忙しい毎日をご理解いただいた患者さん達とスタッフに深く感謝しています。

前に進もうとしただけの四年間、今となってはどの会議もどの出張も懐かしい思い出です。

目標があればアゲインストは支えになると考えよう。

2014年3月11日(火曜日)

昨日午後3月15日の開館を前にスタッフが集合してミーティングを行った。
ニケ月のお休みだったのでまだみな少々ぼんやりしている。
これから助走して一気に浮揚することだろう。

今年は展示とカフェで部分的な変化を付けるほか、4月の堀口すみれ子さんの講演会、春秋に陶齋の器で寿司の会が入る。

個人としては、4月にいのちの電話・桜茶会の席主、5月に個展と2冊の図録刊行、新潟市立美術館の講演が待っている。

本業の医療は不断であり、今年は人生後半の大きな山を迎えそうだ。

展示準備作品を出す。

カモメのソアリングミーティングの帰りは海へ出た。強風に向かって次々にカモメが西に飛ぶ。
風速20メートルにもなる中、わずかの羽ばたきで風上へ向かう。

薄いカモメ後ろから見るとこんなに薄いのに、飛翔は驚くほど安定している。
波を通過する上昇気流に突っ込み高く舞上がり、再び下降しスピードを得て波上に突っ込む。

若い時代、ヨットに乗ったが、アゲインスト系の風で艇は安定的に走る。
逆に後方から押される風の場合、スピードは出るが不安定となる。

年取ってアゲインストはきつい。しかし安定的な前進を促す要素であると認識してみよう。

三月「寒さの倍返し」 北陸園芸。

2014年3月8日(土曜日)

このところ寒さが続き、本日、仕事場の上越市大潟区は一時吹雪となった。

雪が少なかった当地は三月に入り、かえって雪交じりの寒い日が続いている。
「寒さ倍返し」とスタッフに言うと、古いという表情で笑われた。

悪天候の午前、当院の駐車場に車両が入って電線工事があった。

工事車両 工事の人二階の窓越しに写真を撮った。大正時代のゆがんだガラスでより厳冬の感じになった。

北陸園芸午後から高田は北陸園芸さんに寄った。ひんやりした空気の中で花が生き生きとしている。

その後ホームセンター・ムサシで展示品説明のキャプションを入れるケースを買った。
先日訪ねた県立近代美術館の展示でヒントを得て試してみることにした。

淡雪の高田は暮れて人恋し。

2014年3月6日(木曜日)

上越市高田は、私には旅情の街です。

とくに弥生の夕刻、淡雪の降れば儀明川の通りは人恋しさがつのります。
それでたいして飲めない人間も川向こうは仲町の、どこか侘しいざわめきに誘われるのです。

高田を何と呼べばいいのか、難しいような簡単なような、、、。
淡雪の高田は暮れて人(酒?)恋し

高田の詩情は宵なのでしょうか。
いえいえ間もなく訪れる昼の桜も真夏の蓮も素晴らしいのです。

 

儀明川今夕、遊心堂さんの後、大島画廊さんへ。帰りの儀明川に雪が降ってきた。

 

公園高田公演で強く降り始める。毎冬の雪に耐える桜は彫刻のようだ。
あとひと月もすれば華やかな花見とはにわかに信じがたい。

高田本町の遊心堂さんでは来る5月の個展の具体的な相談。
DMや後援のこと、展示法や会場のこと、など色々だった。
果たしてどうなるのか、もうカウントダウンに入っている。

浅田真央選手のエッセンス 失敗克服の王道。

2014年2月21日(金曜日)

このたびSPで浅田真央選手は得意のジャンプをことごとく失敗したという。
伝えられた映像、画像も実に気の毒なものだった。
翌日待っているフリー。重圧は途方もないものだったに違いない。

彼女はどんな風なのか、とても気になって深夜のフリーを観た。
だが、高度なジャンプを次々とこなし、後半の滑走は躍動し自己最高の演技となった。

浅田選手

どん底から一転、たった一日で!
よくもこんな事が出来るものだ、と驚嘆した。

フリー終了後、どのように立ち直ったのか?というインタビューで彼女は次のような趣旨を語った。

〝SPで失敗したジャンプの一つ一つを成功させようと思った〟
驚くべき精神力である。

大きな期待を裏切る大失敗。
再起が危ぶまれるほど落ち込むか、下手すればパニックであり、
まず、忘れたいが普通であろう。
だが彼女はそれと直面し修正し、あまつさえ最大の開花を実現させた。

期せずして語られた言葉は失敗克服の王道と思われた。
彼女はずっとそのように生きてきたのだろう。

運が悪かった、相手が悪い、想定外、、、。
重大な失敗は、無かったことにしたり忘れるではいけないのである。

可愛いのに立派な人だと思った。

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