明け暮れ 我が家 お出かけ
中学1年生に高祖父・杉田玄作の話をした。
本日午後、地元の上越市立大潟町中学校で一年生を対象に地域の先人を学ぶグル-プ授業があった。
昌平校に学んだ学者で大肝煎・笠原文右衞門、北海道で鮭・鱒のふ化事業を成功させた小池仁郎、そして小生の高祖父・医師杉田玄作が取り上げられた。
玄作は文政元年1818年生まれの蘭学医。開国~明治維新に向かって騒然としていく時代の人だった。
授業では玄作の時代背景を主に吉村昭著小説・「長英逃亡」と当家に残っていた玄作の「上京日記」を資料にした。
※「長英逃亡」には数ページに亘り玄作が取り調べを受けるくだりがあります。
以下は「上京日記」(縦12,5㎝、横30㎝)の一部です。
「上京日記」表紙、縦横12,5×30,0㎝で25ページ。主に金沢から京都滞在まで書かれている。
福井県今庄から栃の木峠越えの日。
秀吉が陣中に持ち込んだという茶釜と出会い、寸法、状態、文様などを細かに書いている。
以下に京都滞在中に起こった石部宿の天誅事件(文久2年1862年9月23日発生)が記されている。京都粟田口(あわたぐち)刑場に晒された三つの生首の素性が中央赤線(私がコピー後に引きました)に記されている。
殺された三人は京都から江戸へ向かった渡辺某ら京都の与力や同心で、追っていた志士に石部宿で暗殺された。
安政の大獄が引き金であり、左方赤線の長野某ら三人も大獄を断行した井伊直弼の腹心として天誅に遭っている。
※滞在終盤の夜、数人と共に祇園で妓十蝶、小菊らと歌舞を見た、とありほっとさせられる。
最終ページは多種の薬、紙類、土産の巾着などを買い出納を記し、送付の荷造りをしたことが書かれていた。、
長く家にあった日記はざっと見、途中の風景や信長公廟の図などに目が行くばかり。
文字も読めずのどかな旅日記だと思っていた。
このたびのことで急遽文書(もんじょ)に精通した古老に読んで頂いた。
道中の俳句や病人の診察までは良かったが、後段に突然京都の騒乱が記されていてびっくりした。
蘭学医の玄作は開国論者だったと考えられ、蛮社の獄(1839年)で入牢6年後に脱獄した医師高野長英の6年に及ぶ逃亡に際し、
幇助の嫌疑で江戸奉行所の使者に厳しい調べを受けている。
また信州の温泉場で薩長の動きや佐久間象山の暗殺などの情報を得て地元へ報告していた。
昔の人はよく歩き、日記などから玄作もよく歩いた人だろうと想像される。
歩いて得た知識や情報は貴重だったに違いない。
生徒さんたちに江戸時代に書かれ、コヨリで閉じたふわふわの日記に触って貰い、
小山作之助の母が玄作の娘だったことなどにも触れ、拙い話だったが真剣に聞いて頂いた。
開府400年の高田へ時間旅行 高田の値打ち。
本日午後の休診日、気がかりな人を午前に往診して午後少々の用事の後高田へ行った。
今年高田は開府400年に当たり多くの行事が進行している。
午後上越総合博物館で開催中の記念特別展「越後の都高田と徳川家康の血族」を見た。
その後日射し傾くころ堀口大學の文学碑「高田に残す」をみて、
高田公園内で岩野勇三のブロンズ10体をみた。
まだ陽が残っていて、長く懸案だった天崇寺で「高田姫と亀姫(寧子様 宝珠院)」の墓所を見た。
特別展図録 発行:上越市・上越市教育委員会 2014年10月4日
豊富な写真と解説の119ページは労作で2000円。
展示で重文の「唐物肩衝茶入 銘初花」のあっさり感は意外だった。
一方貞松院所蔵・古九谷鉢は実に見事であり、天崇寺所蔵の「持蓮華」の仏のあはれを興味深く見た。
美しい堀口大學の詩碑「高田に残す」
樹下美術館の常設展示陶芸家・齋藤三郎も碑建立世話人の一人。
高田公園内の岩野勇三ブロンズコーナー。
台風の後であるが、園内でここが一番よく手入れされ、落ち着いているように見受けられる。
ブロンズコーナーの「おまんた」
小田嶽夫の「高陽草子」によく似た岩野氏のカットがある。
寺町天崇寺にある高田姫とその息女で初代高松宮妃となった亀姫(寧子妃)の墓がある貴重な廟所。
特に亀姫(寧子妃 宝珠院)の墓は地方に於ける宮家御陵として極めて貴重なようだ。
(明治後期であろうか、墓跡再発見と公表についてやはり小田嶽夫「高陽草子」に詳しい。
午後の高田巡りはほんのちょっぴりで、足早な秋の陽と競争だった。
町で人を惹きつけるのはやはり「歴史」と「清々しい場所」ではないだろうか。
いつもながら、高田の町の風情は中心部でなく、本町通り両端に位置する古い地区の景観に旅情を感じる。
公園とそこの桜と蓮の値打ちは言うまでも無く、
あとは長く言われている事だが、何処で茶を飲み何を土産に買うかが宿題かもしれない。
高田は金満でない美しい町の魅力を秘めていると思う。
今年の秋は長い(旧歴の話です)。
今月初めのこと、今年は「旧暦の秋が長い」という記事を読みました。
月周期29,5日を一ヶ月とする旧歴は3年に一度閏月(うるうづき)として一ヶ月分をどこかの月に足して一年を調整しています。
今年の閏月は新暦9月に当たり、旧暦でいう九月は閏を入れて日数29,5日×2=59日もあるようなのです。
旧暦9月は新暦9月24日から始まっていますので、以後閏9月として11月21日まで9月が続くわけです。
文字通り長月です。
とりわけ9月が閏月になるのは今世紀中にはもう無いということ。
詳しくは24節季の「中(寒露や霜降など)」が必ず含まれることが一ヶ月の必須条件ということからそうなるらしいのです。
偶々今年は9月が終わった翌日10月24日~11月21日までの一ヶ月(29日間)の中に「中」の日(霜降)が無いので10月とせず、
閏9月としてひと月を足した(延ばした?)ということになるようです。
考えちがいをしていましたが、昔の秋は7,8,9月でしたね。
確かにキキョウは7月から咲き、仲秋の名月は8月15日です。
昔風に言えば今年は晩秋が延々と続く、という感じになるのでしょう。
普段あまり考えないことを思い浮かべるのは、結構難しいです。
しかし旧歴とはいえ、9月が長い、秋が長い、と言われると、清々しさが長く得をしたように感じられます。
それにしましても、御嶽山の噴火は大変なことになりました。
やってきた息子が便座を変えた 混乱の国でビールを買う。
このたびやって来た息子は文化の違いか、今時の人間らしく料理をはじめ家事や育児に熱心に携わる。私にはとても出来ないことであり、幾分唖然とさせられる。
昨夕の食事前、なにやらをホームセンターから買てきて、工具を貸して、と言う。
工具を渡すとトイレの一つにこもりっきりになった。
あれこれやって、ホースなどが取り付けられ今風のものに変わった。
お客さんのために変えた方が良いでしょう、ということだった。
夕食後、二人で話をした。システムとしての政治・経済さらに宗教。おもにそれらの建前と本音、あるいは手法やシステムに内包されるリスクが論点だった。彼は私の質問に逐一歴史的、地政学的事例を示して説明した。
話題は多岐に亘ったが、いずれも個人の欲望と社会・国家システムの軋轢(ストレス)と緩衝の方法論へ繋がる。それらの失敗例における共通課題などは、時に掘り下げあるいは広角的に語られた。
最後にこの国の投票率の低さを心配した。
いま小児科医の彼は1999年大学を卒業すると、国家試験も受けずに中国から出発して東南アジア、インド、中近東、近東など大陸を横断し欧州まで単身バックパッカーとなって旅している。
特にイラクは湾岸戦争後の混乱が続いていて心配した。
旅のエピソードとしてアラビア半島某国において禁じられているアルコールを買う話が出た。
酒を買うには時計・宝石商を訪ねるのだという。
行くと店主は用件の表裏を尋ね、ドルの所有を確認後、夜の広場の一角で指定の時間に待つように言われた。
その通りにすると、やってきた車に乗せられ郊外の荒れ地で降ろされ、車は行ってしまう。
待つことしばし、別の車がやって来て男がビールを二瓶取り出すなり、「ドル!ドル!」と催促。
支払うと男は慌てて立ち去り、間もなく最初の車が現れて広場へ戻された。
斯く曲折の後、宿に戻ったが肝心の栓抜きが無い。
机の角でガツンガツンとやってようやくぬるいビールを飲んだ、いう。
息子は来るたびにクーラーボックスと共に、シャンパンやワインを持参するがいずれも値段は安い。
その酒が美味しいのは、吟味されていることと話の内容次第であるように思われる。
かように何でも行う人間には体のことを心配してしまう。
彼の健康と幸福を願わずにはいられない。
映像と音楽 こころ旅の貴重。
テレビで流れる美しい映像や似た場面を私たちも実際目にする事がある。
街や村、山々、海岸、流れなどの自然や風景、あるいは美術・工芸品、建築物などの作品である。
多くの場合映像、中でも旅や美術の特番では音楽とともに映し出される。
海にも仏像にも朝霧の森にも間髪を入れず音楽が入り、荘厳、壮大さあるいは緊張感まで付加される。
しかるに実際、美術館の作品や華々しい夕焼けを見る時、そこに美しい音楽は無い。
美術館なら靴音やさざめきが聞こえ、海には風や波音あるいは足音などだけである。
そんなせいもあって、美術館で作品を目の前にすると、ただポツンとしてあり、拍子抜けして見えることがある。
また音楽無しの絶景も、どこか違うと感じることがあるのではないだろうか。
「とうちゃこ」した海辺で霧のため見えない利尻島の方角を眺める火野正平。
昼食からその後の時間、火野正平の「にっぽん縦断 こころ旅」が再放映されていて、よく見る。
視聴者の思い出の地を自転車で訪ねるのだが、移動中も現地「とうちゃこ」においても音楽は限定的、極めて控えめにしか用いられない。
車輪と地面の音、息づかい、風、雑踏、すれちがう自動車、、、聞こえるのは私たちが日常耳にしている音だ。
場面に現実感が漂い、視聴者のエピソードと日野氏の個性があいまって「旅情」が伝わる。
2012年早春、九州の母の故郷を尋ねた際、番組で放映された所と出会った。
他者の思い出と我が胸中が重なって感慨深かった。
効果音に関して、送り手側としてはわずかなサイズの画面で、美や壮大さ、時に侘びさびなど雰囲気を伝えるのに相応(過剰?)な音が必要なのは分かる。
しかし一方音楽なしの大自然や大都会の迫力、あるいは社寺仏閣や村落の静謐の実像は音楽付きのテレビ映像を異次元的に凌駕しよう。
これらを考えると過剰とも思われる音楽付き映像の伝え方は功罪なかばしているように思われる。
割り切ればそれでいい話であるが、敢えて言うならやかまし過ぎるのでは、と感じるのである。
さほどTVを見なくなると、ふとした現実の風景や場面に対して感動が深くなることも希ではない。
「こころ旅」の日野氏には体をいたわっていただき貴重な番組を続けてもらいたい。
欅の枝切り 頼んで良かった業者さん。
診療所のケヤキがひどく繁茂して、道路や隣家の庭まで覆い始めていた。
そこで先日ある事業所に依頼して枝の伐採をしてもらった。
大がかりな手間になると思っていたが、作業は一人で非常にスムースに行われた。
ハーネスを装着し、ロープを枝に掛け巧みにチェーンソーを操る。
以前のこと、庭木の伐採と剪定のためにあるシルバーの派遣を依頼したことがあった。
二人で来て午前中から始まったが、昼休みまで作業はさしてはかどっていなかった。
午後しばし眺めてみた。
一人が枝を一本切ると一人がそれを5メートルほど先に運ぶ。
まだ若々しい人たちなのに動作は緩慢だ。。
よく見るとほんの小さな枝切れでも、一本ごとにぶら下げて歩くのである。
二人で切り、脇に積んだのをまとめて片づければいいのに、、、。
二人とも動いているので一見仕事に見えるが、つくづく馬鹿にされていると思った。
そのうち友達だろうか、ほかの男性が来て立ち話が始まった。
たまらず出て行って、意味のない動きや立ち話を注意し、派遣元に報告すると伝えた。
すると二人はせっせと動きはじめ、たちまち仕事がが片付いた。
時給で費用が発生するような作業を依頼した場合、とんでも無いことが起こることを知った。
ではどうすればいいだろうか。
一つはその方面に詳しい信頼できる人に業者さんを探してもらう。
一つは具体的な作業内容を伝えて貰い、しっかりした見積もりを出してもらう。
悪口は言いたくないが、シルバーさんといえども気を付けなければならならないという事になるのか。
このたびは挙げた一番目を満たした業者さんだったが、自らきちんとした見積もりも出された。
作業は迅速で事故もなく費用は大変リーズナブルだった。
ちなみにこのケヤキは貴重な緑陰を提供するが、繁茂と落葉でかなり手こずらされる。
しかし一度だけもっと若木の頃、めざましい自力を発揮したことがあったらしい。
1964年の新潟地震の時、家から飛び出した近所の人たちが安全だからとこの木に集まったという。
生前、そのことを何度か母から聞かされた。
お盆休みの上京 ジャポニズム展 豊島園 武相荘。
15日16日と上京した。幸い東京は降らず昨日はかなり強い陽がさした。
15日は午前にほくほく線に乗り東京駅から渋谷経由で世田谷美術館へ。
同館は9月15日までの予定で「ボストン美術館 華麗なる ジャポニズム展」が開催されている。
19世紀後半から20世紀前半にかけて日本美術は欧米を文字通り席巻した。
広重と北斎の浮世絵を筆頭に漆器、工芸品、着物、武具、庭園に至るまで広く熱狂的な芸術潮流を引き起こした。
その影響は印象派の絵画から英国のアーツアンドクラフトまで及ぶ。
思いも寄らぬ構図、鮮やかな色彩、モチーフの動きや情愛、粋と洒脱のフィーリング、自然へのこまやかな視点、そして全体、、、ことごとく受け手側のショックが伝わる。
当時の我が国に於いてこれら文化は一部の階層だけでなく、
様々な形で人々の好みとして広く親しまれていたに違いない。
それらは現在言われるクールジャパンやカワイイなど比較にならない深度と地平を有していたと思われる。
入場券は当展の象徴的な大作、クロード・モネの「ラ・ジャポネーズ(着物をまとうカミーユ・モネ)」
展覧会は大変な人気。若い人が多、く非常に頼もしかった。
見終えて出た広い庭、欅の木漏れ日の下でかき氷を食べた。
小さなジャポニズムが刺さっている。
ジャポニズムの展覧会がとてもお似合だった来館者さん。
名刺をお出しして撮影させて頂いた。
〝有り難うございました。〟
展示された広重の版画は早くから美術館収蔵されていただけに新鮮さと美しさは抜群だった。
私たちにとってジャポニズムは芸術の逆輸入であり、あらためて江戸時代の美とは、日本の美とは、を考えさせられる。
この度の上京は忙しい。用賀のジャポニズム展の後は阿佐ヶ谷で一年生の孫と待ち合わせて「豊島園」へ。
念願の夕刻のメリーゴーラウンドを見ることが出来た。
豊島園のシンボル、メリーゴーラウンドは「カルーセルエルドラド」。
当メリーゴーラウンドは現存する日本最古の遊戯器械であり、世界的に見ても最古クラスのものだと言われる。
1900年代初めにドイツで制作され、1911年にはアメリカに渡りさらに1971年に豊島園に来たという100年前の貴重なものだ。
このたび私はもっぱら写真を撮る側だった。
メリーゴーラウンドは幼年時代からの密かな憧れ。
来年は是非とも乗ってみたい。
以下は翌16日に訪ねた小田急線は鶴川駅下車の「武相荘」。
-
若き白洲次郎氏の愛車
-
木製の一輪車?
-
レストランの前庭を飛び続けていたルリタテハ
この蝶はもとの主(あるじ)か武相荘武相荘の旧主・白洲次郎氏のおよそは知っていたしTVドラマにもなった。また骨董を通した青山次郎氏との壮絶な交流など正子夫人のこともよく書物で目にした。
本日の訪問で、内部でもう少々お二人の体温や居住まいが伝わればと感じた。一方予約して食べたカレーはとても丁寧で、家具や農具、あるいは小径などが親しめた。
武相荘からの帰路、暑さの中を歩いていると小田急バスがやってきて飛び乗った。
- 鶴川から新宿までは早い電車の乗り換えもせず、各駅停車で20数駅をずっと座った。
- いつしか近年希なのんびりした気持ちに包まれた。
- 電車の中で妻が、
「東京の人が都会の生活が楽だというのが分かるような気がする」と漏らした。
一泊の上京だったが色々な電車に乗り、可愛い孫にも会い長旅をしたように感じた。 -
東京駅のホームに出ていた新たな北陸新幹線の大きな看板。
ビストロ「サブリーユ」。
今夕、東京から高田に来ている義理の兄と三人で夕食。
客人は食通だが遠路を協力してもらい、大潟区はカジュアルフレンチのサブリーユで一緒した。
●サブリーユTEL:025-534-3684
上越市大潟区下小船津浜1165-4(国道8号線沿い)
ランチ 11:00-14:00L.O.
ディナー 18:00-20:30L.O.
年と共にもっぱら近くが良くなり、最近は何かと同店に行くようになった。
店は良心的で美味しく、今夕も3時間半はゆっくり話をしながら過ごした。
こじんまりした店内で以下順不同ですがピンぼけも交え沢山写真を撮りました。
写真に相客のメニューも入れました。
店先のスクリーン白ワインと前菜(イナダのカルパッチョ)前菜2(ベーコン、南瓜のマッシュとパテ)ワイン義理兄のメイン・牛頬肉のワイン煮デザート店内の一隅美味しいコーヒー | 店先のメニューボード今月末、店内に於けるジャズの告知オクラとジャガイモの冷スープ 私のメイン・イシモチのポワレ妻のメイン・さーろいんすてーき玄米ライス店内の一隅・ピアノ代行 |
昨日、夏場の血糖値上昇の要因について色々書かせて頂きました。その舌の根も乾かないうちに今夜は「客」と「外食」の2つファクターが入ったことになります。
それで日中は果物とコーヒーしか摂らずに調整を試み、明日はあっさり三食(二食かもしれません)でコントロールするつもりです。
それにしても赤、白を美味しく飲み、良心的な内容で食べ、コーヒー、デザートで一人4000円台は、
会食にお勧めではないかと思いました。
今月はいつしかあと二回ここで食事の予定となってしまいました。
そのうちの一回は、11月予定の「SP盤を聴く会」をサポートしてくれる友人と打ち合わせを兼ねて食べる予定です。
その間きちんとあっさり食にして、かつ一定のエクササイズは励行しなくてはなりません。
夏だからでしょうか、私が読ませて頂いているブログは食事や運動のカテゴリが多く、興味深く拝見しています。
闘志溢れる関根学園 牧区のトウモロコシと枝豆。
午後1時から始まる夏の高校野球新潟県大会準決勝は新潟明訓-関根学園だった。
この試合でノーシードの私たち地元上越市の関根学園が第2シードの明訓を5-2で破った。
明訓の選手は強豪校に相応しく皆堂々としていてユニフォームもスマートだ。
一方、関根学園の選手達は身長はまちまち、ユニフォームも幾分昔風。
しかし試合は闘志溢れる関根学園が粘って清々しく勝った。
上越の高校が明訓を破るなんて本当に立派だと思った。
夕食のソーメン。
牧村の縁者から頂いた美味しい枝豆とトウモロコシも食べた。
さて明日は決勝戦。相手は横綱・日本文理。
横綱が慌てふためくようないい試合を祈りたい。
特養である老婦人と出会った。
本日午後、いつものように近隣の特別養護老人ホーム「しおさいの里」の出務だった。
回診を終わり2階でエレベーターを待っているとき,職員に付き添われた車椅子の女性と一緒になった。
その方はとても高齢で痩せていたが、しっかりした目で会釈をされた。
初めての感じを受けなかった。
「お会いしたことがありますね」
と言うと、
「はい、、、私Sです、双子のT作とT治の叔母です」
続けて「二人の親父の妹なんです」
と仰った。
私の小学生1~3年の分校生活でS君が居て、名がT作君とT治君という双子だった。
当時双子は珍しかったし、二人は細くて小さな私よりももっと小さかった。
先生たちは「T作、T治答えなさい」などというように接していた。
私たちはその後、本校で別れ別れになり、中学校も別々だった。
自分が当地へ帰った昭和50年、すでに二人は居なかったように思う。
「T作君達はどうされましたか」と尋ねた。
「A市と、A市の近くB市にいて元気です」
遠い日、裸足のままの2人が手足をくにゃくにゃさせて走る様子が目に浮かぶ。
私は2人のことを、僕より小さいのに根性がある、と子ども心に思っていた。
その2人をこの車椅子の方は育て、そして大都市A、Bへと送り出されたのか、、、。
昭和20年代前半の私たちのご飯はちょっぴりで、おやつは細いサツマイモ。
女子の頭にシラミが居て、家の布団にはノミが跳ね、お腹には虫が居た。
栄養不良と不衛生の子ども時代、私たちが生きて育ったなんて不思議なくらいなのだ。
そんな時代、痩せて目がぱっちりしたこの車椅子の老婦人たちはまだ若く、
戦争などで親が欠けた子どもたちの面倒を見ていたんだ。
私は一時期、この方の血圧などを診ていたように思った。
昭和24年、小学校二年生の私たち。
本校の小学校が一杯なので、中学校の空いた教室を使った分校へ3年生まで通いました。
S君たち、黙って書いてしまって誠に申し分けありません。
私は地元に残る同級生を貴重に思い、離れた方達には畏敬をおぼえるのです。
お元気と聞いてとても嬉しく思いました。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 木村茶道美術館の貴重、庭園の紅葉ライトアップと駐車料金。
- 木村茶道美術館の寒月茶席に伺った 素晴らしい本阿弥光甫のお茶碗。
- ゴルフ場でトマトジュースの汚れを口を使って落としてみた。
- 晩秋、驚くほど当たる天気予報のゴルフ 朝日池のコハクチョウ。
- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「すき」と書かれた。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
- 秋晴れの日のゴルフ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
- 高田高等学校創立150周年の秋 いたくら桜園 近隣の秋。
- 「ラッセル・ジョケラ木工展」 可愛いお子さんとおじいちゃん。
- 2024年11月
- 2024年10月
- 2024年9月
- 2024年8月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年12月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年3月
- 2014年2月
- 2014年1月
- 2013年12月
- 2013年11月
- 2013年10月
- 2013年9月
- 2013年8月
- 2013年7月
- 2013年6月
- 2013年5月
- 2013年4月
- 2013年3月
- 2013年2月
- 2013年1月
- 2012年12月
- 2012年11月
- 2012年10月
- 2012年9月
- 2012年8月
- 2012年7月
- 2012年6月
- 2012年5月
- 2012年4月
- 2012年3月
- 2012年2月
- 2012年1月
- 2011年12月
- 2011年11月
- 2011年10月
- 2011年9月
- 2011年8月
- 2011年7月
- 2011年6月
- 2011年5月
- 2011年4月
- 2011年3月
- 2011年2月
- 2011年1月
- 2010年12月
- 2010年11月
- 2010年10月
- 2010年9月
- 2010年8月
- 2010年7月
- 2010年6月
- 2010年5月
- 2010年4月
- 2010年3月
- 2010年2月
- 2010年1月
- 2009年12月
- 2009年11月
- 2009年10月
- 2009年9月
- 2009年8月
- 2009年7月
- 2009年6月
- 2009年5月
- 2009年4月
- 2009年3月
- 2009年2月
- 2009年1月
- 2008年12月
- 2008年11月
- 2008年10月
- 2008年9月
- 2008年8月
- 2008年7月
- 2008年6月
- 2008年5月
- 2008年4月
- 2008年3月
- 2008年2月
- 2008年1月
- 2007年12月
- 2007年11月
- 2007年10月
- 2007年9月
- 2007年8月
- 2007年7月
- 2007年6月
- 2007年5月
- 2007年4月