明け暮れ 我が家 お出かけ
本日終戦70周年。
本日終戦70周年の日。
昭和17年2月1日誕生の私は満州生まれ。
二つ上の姉も、一つ下の弟も三つ下の弟もみな満州で生まれた。
ある時期までいつか訪ねてみたいと思っていた中国だったが、
不思議なことに働くようになって、あるいは結婚すると全く里心を失った。
終戦の時、三歳半の自分に残ったのは記憶というほど高尚なものではなく、夢か幻に近い。
その中の一つに次のようなものがある。
5才の姉と私(もしかしたら一つ下の弟も居たのか?)は街を歩いていた。
通りは見た事がないほど祝祭的で人々は恐ろしいほど興奮していた。
その街中で、「早く、早く」と姉にせかされて家へ急いだ。
手をつないでいたのか、必死の姉をすぐそばに感じていた。
長く脳裏にあるこの場面は、満州における終戦の日ではなかったかと思っている。
そうであれば、父母はすでに厳しい帰還(引き揚げ)の準備で精一杯だったにちがいない。
戸外の騒ぎを見たい私たちは、親の目を盗んで外へ出たのか。
だが途中で、敗戦国民である自分たちの危険を感じた姉は慌てて帰ることを促した?
帰国後母は大陸の食べ物や、ちょっとした中国語を話してみせたが、父は満州を一切語らなかった。
縁者の大戦犠牲者はレイテ島に於ける母の弟がいる。
あるいは思想えん罪事件として、凄惨な拷問の果てに亡くなった無実の叔父も戦争犠牲者だ。
そして往診や訪問の行く先々でどれだけ戦死者の遺影を見たことだろう。
歳月が過ぎて関係者は黙っているが、今なを悲惨な死を遂げた当事者のうめき声が響いているように感じる。
故国を遠く離れた戦場で撃たれ血を吹きながら苦しみ、家族にも会えず冷たくなっていった兵は何を思っただろう。
みな善良で勤勉な兄弟であり夫であり、父であり子だった人達である。
歴史上の武将の物語も同じ、何千何万の兵のむごたらしい死なくして成立しない。
このことを考えれば、NHKは延々一年に及ぶ武将中心の歴史大河ドラマなどもう止めてはどうかと思う。
“70年の平和の重みは増すばかりであり、それでボケることなど絶対にあり得ない〟
偏狭な敵味方の峻別とその延長は戦争の導火線であり、いまや時代錯誤ではないだろうか。
那谷寺のご親切と「さるの釜」 高祖父玄作の見た釜のこと。
さて前回9日の北陸行き記事に旅先の親切を書かせて頂いた。
翌日の那谷寺では宝物の一つという茶釜についてお尋ねしていた。
実は過去の記事に、小生の高祖父・杉田玄作(1818-1874年)が残した「上京日記」を挙げさせて頂いた。
(当時の上京は京都への旅でした)
文久2年1863年9月7日金沢出発から始まる日記。
同月11日の今庄から栃の木峠の日に、秀吉公が陣所へ持参した古窯を見た、と記した上で釜の絵図が描かれてある。
この度の北陸行きで、予め那谷寺を調べたところ、ホームページに「秀吉公御物」として茶釜が伝えられている事を知った。
もしや玄作が見たものが那谷寺に伝えられているのかと思い、当日金堂を守られていた方にその事をお話し、
釜の拝見の可否をお尋ねした。
その方は熱心に話を聞いて下さると、釜は現在展示されておらず、しかも住職は所用で外出中ということ。
後日写真で宜しければお送りします、と仰った。
とても丁寧な方、と妻が述懐したほどの応対だった。
ところがその写真が帰った翌日早速届けられた
送られた写真の釜はまず霰(あられ)の肌がまことに美しく、
幾分撫肩(なでがた)がかった古芦屋(こあしや)の真形釜(しんなりがま)だった。
「さるの釜」として利休と秀吉が銘や由来を箱書きしていたのである。
鮮やかな肌、ふんわり落ち着いた腰の広がり、珍しい猿の鐶衝(かんつき)そして箱書き。
極めて上品かつ珍重な品物だった
ところが、玄作上京日記の絵図と説明を詳細に見ると、釜の寸法が非常に大きく、形も異なり茶釜ではなく湯窯のようである。
結局二つの釜の一致は無理なようだったが、このたびのことで那谷寺から受けた親切は身に余るものだった。
2017年、自然摂理(自然智)を背景に高野山 真言宗 別格本山の美しい那谷寺は,、開創1300年を迎えるという。
錦秋はことのほか素晴らしいと聞いた。
年を取ると、同じ本、同じ人、同じ場所へと傾く。
ぜひ再訪したいと念願している。
一泊の北陸は楽しく懐深かった なつかしや「旧はくたか号」。
昨日8日午後、上越妙高駅から15:09分発「はくたか563号に乗車して北陸方面に出かけた。
金沢一泊の短い行程だったが、小さな親切、小さなツキがあった楽しい旅行だった。
主な目的は
①かって特急「はくたか号」としてほくほく線を疾走していた「しらさぎ号」に乗ること。
②8日は、高岡市から「万葉線」に乗って夕刻の射水市「海王丸パーク]へ行き帆船「海王丸」を見ること。
③本日9日は、念願の北陸本線特急「しらさぎ」で加賀温泉駅へ行きレンタカーで以下の三カ所を巡ることだった。
小松市の「那谷寺(なたでら)」→山中温泉「長楽」のぎょうざ→最後に大聖寺の「石川県九谷焼美術館」。
※新高岡-高岡で利用したタクシーの運転手さんの助言から「瑞龍寺」を昼夜二度の参拝が出来た。
驚くばかりの端正さ、高岡市の国宝「瑞龍寺」(曹洞宗)。
●新高岡から高岡へ向かうタクシーの女性運転手が教えてくれ、見学の間待っくれた。
二日間のライトアップはとてもきれいです、とも教えて貰った。
高岡駅の「万葉線」ターミナル。乗った電車も駅も小さくて可愛い。
●万葉線は全24駅、途中の町並みが様々に変わり見飽きない。
目的の海王丸駅は23番目。
万葉線の複線区間で「ネコ電車」とすれ違う。
●運転手さんに女性がよく見られる。
当地高岡市ご出身の藤子不二雄氏が協力したドラえもん電車と小さなホームですれ違う。
●「見ますか」と若い運転手が言って、閉まったドアをもう一度開けてホームに降ろしてくれた。
「海王丸パーク」で二日前に、二代目にあたる「海王丸Ⅱ世(1984年進水」が入港した。
●Ⅰ世、Ⅱ世の「海王丸」と練習船「大成丸」を同時に見ることが出来た。
(写真の海王丸Ⅱの背後に大成丸、背景は新湊大橋)
この船が常時係留公開されているパーク主役の初代「海王丸(1930年進水)」。
●期待通りに茜雲が現れた。
高岡から新高岡への帰路で見たライトアップされた瑞龍寺。
●タクシーの運転手さんが、寄ってみますかと仰り待っていてくれた。
瑞龍寺は大きな山門を入ると広大な芝生の中を本堂に向かう。
静かな音楽が響き、光は様々に変わり荘厳で幻想的だった。
翌日(8月9日)午前、加賀温泉駅まで乗った「しらさぎ号」。
●ほくほく線で「はくたか号」として走ったその列車です、と乗務員さんが教えてくれた。
(「しらさぎ」はほかに従来から北陸本線で運行されていた同型のものもあります)
ああ懐かしや、元気ですか、あの時のはくたか号に会えて念願叶った。
目的地の一つ「那谷寺」はわが家の宗派、真言宗(写真は金堂)。
懸崖作りの本堂(拝殿)。
三重の塔ほか重文の塔頭は変化に富んだ広大な地形を利用して配されている。
●山中温泉「長楽」で、肉厚の餃子は期待通りの美味しさだった。
香り良い水餃子。
●油汚れの無い店内にピアノがあり、ジャズの催しの写真が壁に沢山貼ってある。
茂木健一郎さんの色紙も良かった。
大聖寺の九谷焼美術館の近くに「山の下寺院群」があった。
●偶々出会った場所だったが、赤い瓦の寺々は明るく爽やかだった。
最後に訪ねた大聖寺にある念願の「石川県九谷焼美術館」。
驚くべし九谷焼の意を確認した。
●小学生のイラスト(このたびは魚)を九谷焼のプロたちが作品にする企画展も見た。
数十点あったが、素晴らしい企画だった。
子供達は九谷焼を理解していると実感した。
帰路の金沢駅で、美しいアシスタントさん。
●ブログ掲載の事を話すと、どうぞお願いします、ブログも見たいと仰った。
グランクラスのお弁当と飲み物。油脂を一切使わない上品なお弁当だった。
予定が順調すぎて、ひと電車早めるべく切符を買い直した。
●日頃の褒美?にとグランクラスを申し込むと2席残っていた。
一泊の短い旅行。
駆け足のため金沢で街に出ず、山中温泉は湯につからず。
それでも出会った人はみな親切で、疲れもせず楽しかった。
施設がおしなべてきれいで清潔だったのも、大切なことである。
非常に沢山の写真となってしまいましたが、やはり「北陸恐るべし」だった。
文化も人も全体の観光深度がちがう。
そういえば上越地方も北陸と呼ばれていたっけ?ふと思い出した。
信越で行けば良いのか、難しいところだ。
昨日の同級会は卒後58年にして初めての会だった。
昨日の記事に中学校の同級会の事を書かせて頂いた。
前回は何時だったか判然とせず15年前?と記した。
だが、配られた資料などから卒後58年にして初めての正式なクラス会だったらしい。
15年前?としたものは、学校の創立記念行事の流れで急遽集まった模様だった。
みな忙しかったのか、これが普通なのかよく分からない。
しかしあちこちから集まった中学時代の三年間は、実人生の幻のような始まりとして振り返られる。
厳しい将来の予感の中で、あこがれ楽しんだ特別な月日。
58年経って100余人の中から40人も集まるのには訳があったのだろう。
本日午後、以下の花などを庭で見ました。
今年は珍しく夏夏とした暑さが続いている。
地元の鵜の浜温泉海水浴場も賑わっていると聞いて嬉しい。
本日ご来館の皆様、まことに有り難うございました。
ああ小島真(おじま まこと)校長 58年後の有り難み。
私は昭和32年(1957年)に新潟大学教育学部附属高田中学校というややこしい名の学校を卒業した。
入学したばかりのころ、自分で書かなければならない書類の学校名にうんざりしたのを昨日のように思い出す。
本日昼、その学校の同級会があった。
前回はいつだったか思い出せないほど間が空いていた。
(よく覚えていないが15年前?)
この中学校の卒業生の多くは高田高校と北城高校に進学する。
両校は大規模で、そこでの同窓、同級会は盛んに行われている模様だった。
しかし私はこれに参加したことが一度も無い。
病による留年で高校の卒業が一年遅れたことと、大勢がどうも苦手である。
このたびは〝いくら何でも、死ぬ前にもう一度〟というような密かな本音によって誰かが言い出し、高田の貴重な有志が幹事を引き受けて実現した。
105名の卒業生のうち40名が参加した。
73,4の年令を考えれば、良い出席率ではないだろうか。
さてクラス会は、過ぎた年月の威力をひたすら知らさせるばかり。
誰が誰やら、美味しい料理も立派な会場も、どこか浮き世離れして見え、
なんだかあの世で集まっているような気がしないでも無かった。
これが年月、これが現実、、、。
但し、但し時間と共に段々とクラス会らしくなってきた。
忘れがたい顔があり、遠慮がちにニックネームが聞こえ、その人らしい人生がささやかれ、
自分の恥ずかしいエピソードを聞き、いまだ変わらぬ優しさや語気に触れた。
誰かがぼろぼろの卒業記念文集を持参していて、それが回された。
末席に居たので時間が無く、何故か気になった校長の巻頭言を拾い読みし、急いで写真に撮った。
私の呑気な駄文はどうでも良いが、巻頭言は胸を打った。
昭和29年の入学式で、負けて8年も経つのに「国破れて山河あり」と述べられた校長。
膨大な仏教美術の詳細を関西修学旅行の宿題とした校長。
恐らく初めて読んだその巻頭言「高田の町」は以下の主旨で進められていた。
いわく〝高田というところは世に知られた雪の町である。そこでの生活は何事も雪を中心に固く希有なバランスで形成されている。バランスは小さな地域に平和と調和を約束するものであるが、近年、受験の狭き門に晒されるようになった。このため個人が前に進もうとすればこのバランスを破らなければならず、背後の世評や失敗の苦悩と憂うつさを背負うことになる〟と述べる。
最後は次のように締めくくられていた。
「せめての願いは試験を受ける人に、このようなあせりを抱かせない様温かい思いやりをよせて、のしかかる運命を、苦悩を少しでも軽くさせたい」
ああ何という含蓄、何と暖かな言葉だろう、親以上ではないか。
偉くなれ、世に尽くせとは言ってない。
あの大きな両眼を窪ませ、痩せてまるでガンダーラ仏のようだった小島校長。
卒業する私たちにこんな言葉を贈っていたとは、58年経って今更ながら有り難かった。
牧区から届いた野菜 ムクゲにベニシジミ。
本日牧区の親戚からずっしりとした箱が届いた。
中からトマト、胡瓜、トウモロコシ、ジャガイモ、ピーマン、茄子、枝豆が次々出てきた。
丹精込められた野菜は雨土の恵みを現してとても美味しそうだった。
美術館の庭をアゲハチョウたちが忙しそうに横切って行った。
ムクゲでゆっくりしていたのはベニシジミ。
本日貴重な更正福祉に携わられるご婦人方が大勢でお寄り下さった。
近くで催された研修の合間、休憩をかねてのご来館だった。
展示、お茶とも喜んで頂き、本当に有り難うございました。
みんなで遅刻 ケータイを持たない外出で陸の孤島化。
昨夕、東京からの客である知人と食事をするため、高田のホテルで待ち合わせをした。
17:45ロビー集合。
万事妻任せの私は財布もケータイも持たず診療所を出て、妻が待っているはずの美術館へ向かった。
ところが着いてみると妻の姿は無い。
「どうしたのだろう」美術館の電話を使って妻のケータイに掛けたが伝言設定だった。
「少し待ってから、先に出る」と伝言、返事が無かったためやむなく高田に向かった。
客人は几帳面な人だ、美術館で手間取ってしまい焦った。
それにしてもこんな時にケータイが無いと陸の孤島に居るようになる。
悪いことに高田に入って高速道路を降りると、珍しくひどい渋滞だった。
何度も信号待ちした後、稲田橋を渡るのに10分以上を要して完全に遅刻である。
付近の関川で「直江津祇園祭」に向かう「みこし渡御」の祭事が行われていた。
6,7分の遅れでホテルに着いたがロビーに知人も妻も居なかった。
まさか私を残して出ることはないだろう。
財布が無いので妻へ公衆電話も掛けられない。
行く店も妻任せで名を聞いていない、そもそも集合場所がこのホテルだったのか。
駅前のロータリーを回って気を静めてみる。
戻ってホテル脇に停めると知人が慌てて出て来た。
「遅れて済みません、訪ねたお宅で長引いちゃって」
と盛んに謝る。
ひとまず私の車に乗ってもらったが、どこへ行けばいいのか。
すると知人のケータイが鳴り、妻からだった。
最初の待ち合わせ場所が美術館でなく診療所だったと言い、夕刻の用事にも手間取ったらしい。
いまホテルの駐車場に入った所と言うと、間もなくはーはーと言って妻が現れた。
やれやれ、最も用心の悪かった私が一番乗りだったとは。
全員遅刻となったが、なぜか皆ほっとしている。
来る途中の妻は店に遅刻の侘びを入れてあり、お陰で楽しい食事となった。
県内産、地場産の凝ったオードブル.。
開店6周年記念メニューはみな口に美味しく胃に優しかった。
「私はなにかと数を数える癖がある。公園の木も年月や時間も」
「駅の階段は数えながら上り下りすると安全」
私と同じ年の几帳面な知人の幾分不思議かつ為になる話だった。
帰路、車が二台になったが、飲んだ妻は一晩高田の実家に泊まり、
飲まなかった私がそれぞれの所へアッシ-をした。
ケータイと財布を持たずに外出した私が最もいけなかったのは論を待たない。
昼寝に父が現れた 朝日池の蓮。
「ああ元気だったんだね」
やっと言うと嬉しくて言葉が出なくなった。
本日午後、短い昼寝に30年も前に亡くなった父が突然現れた。
パーキンソン病で背が曲がり、何も言わず悲しい顔ばかりしていた父。
それがにこやかに笑いながら部屋に入てきて私の隣に座った。
-こんなに元気だなんて-
-こんなに元気だなんて-
嬉しさのあまり目が覚めると涙が出ていた。
昼食を美術館で摂ることになっていたが、赤い目が恥ずかしい。
時間延ばしに朝日池を回った。
池にぽつんぽつんと蓮が咲いていた。
忘れてた父を夢見た昼の蓮
亡くなって30年近く経つ父の夢をみるとは。
この年になって親に甘えてみたかったのか、と思った。
同僚の弔いの後で山間を少し走った。
先日亡くなった医師を送る通夜と葬儀が、昨夕と本日正午、妙高市で行われた。
読経や鐘の音のたびに故人の面影が仏のイメージへ昇華していく。
心込められた経や鐘、そして焼香には強い作用がある。
残された奥様の愛惜に接し、亡き人の幸せを思った。
葬儀のあと、送迎してくれた妻と県道飯山線の途中から関山方面へと少し走った。
雨交じりの山間に立葵(タチアオイ)が咲き、野菜畑はみずみずしかった。
走りながら故人はこの辺りも往診したのではないか、と思った。
かって頂戴した美味しい蕎麦のことも思い出された。
頸南地方の流れと草花そして蝶 ある医師への冥福。
発熱をする方が高齢者を中心にみられている。
さて一昨日当地の頸南地方に向かって石垣を見に行った。
本日は、その折りに撮った路傍の写真を掲載させて頂きました。
林道からゆっくり舞い降りたヒョウモンチョウ。
本日亡くなられた医師の使いだったのか。
本日、ある医師が60代の若さで亡くなった。
私より5才若かったが、小生の当地医師会長時代を確固として支え下さった。
いつも覚悟のようなものを身につけ、「やりましょう、先生」と何度も助けられた。
私も身を削ったが彼は私以上だったかもしれない。
本当に残念です、衷心よりご冥福をお祈りいたします。
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