明け暮れ 我が家 お出かけ
えんぴつの会の皆様 今を生きる子どもたち。
風強く時々雨が吹きつけた日、文芸に勤しまれるグループ
えんぴつの会から14名の皆様が来館されました。
児童文学作家、杉みき子さんを囲みまた薫陶を受けられて
いる皆様。
大潟区の小山作之助の足跡を訪ねてその墓所や、大潟町
中学校にある資料室を見学、同区の「魚蝶」で昼食の後、お
寄りになりました。
作之助の孫の一人が当館の展示画家倉石隆の夫人であり、
作之助の弟直次郎の孫の一人が不肖館長であることを写
真と共に説明させて頂きました。
左・明治20年頃の作之助と直次郎兄弟。右・倉石氏アトリエ
における2002年の夫人と小生(資料としてお配りしました)。
齋藤三郎の陶芸では氏の鮮やかな赤、シンボル的な椿、味
わいある文字、年代に於ける作風や父との交流などをお話さ
せて頂きました。
作品を観た後でカフェでお茶になりました。
皆様の熱心な視線、生きた個性、軟らかな人柄、なによりグ
ループとしてのまとまりに強い印象を受けました。
カフェでは松本竣介や司修の話題も出て私自身楽しませて
頂きました。
杉先生は何度も来館されていますが、とてもお元気で、美味
しそうにお茶とケーキを楽しみ、談笑されました。
皆様のますますのご活躍をお祈りし、ご来館に感謝いたしま
す。
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本日、午後1時から園医をしている保育園の健診に赴いた。
春より明らかにみな大きくなっている。
疾病や事故などを克服しながら成長するこどもたち。
この子たちは良い大人になるためではなく、かけがえの無い
今を無心に一生懸命に生きいている、それだけでいいんだ、
とふと思った。
季節のお品。
日頃何もしないのに皆様にはお世話になるばかり。
患者さんやご近所さんから季節の品を頂戴して、
恐縮しまた感謝致しています。
晴れ間が訪れるようになり、皆様のお顔が明るく感じられます。
2016えちご・くびき野100キロマラソン 柿崎ー鵜の浜間の上下浜 日本海の荒海を撮るランナー。
本日はこれまでに無く多くの写真を掲載させて頂くことにな
った。
本日第11回、2016年えちご・くびき野100キロマラソンの日。
雨交じり強風の日、当初の気温18度はさらに下がり寒かった。
午後遅く、前回も撮影した上下浜へ行った。
この場所は野山と田園を走った後、突然海が見える地点。
悪天ながら前回よりも海を撮ったり、自撮りをされるランナー
さんが多い印象を受けた。
不思議な事で晴天ばかりが人を惹きつける訳ではない。
荒れる日本海、そしてわずかに現れた夕陽の情景は、90キロ
を走った皆さんの目をも奪う魅力を有しているように思われた。
そして信じられないほど長く走られた後、なおカメラを操作され
る皆様も非常に魅力的だった。
整形外科医のランナーが取り出されたカメラで海を背景に撮ら
せて頂いた。
静岡県から参加と仰った。
沢山撮りましたが、海を撮影される方達を中心に掲載させて頂
きました。
二年ごとの開催、再びここへ来てみたい。
数多くのピンぼけをお許し下さい。
時には皆様のカメラをお借りして、海を背景に記念撮影の
シャッターを切らせて頂きました。
日没は17:20頃であり、この時間帯は近くの最終関門の制限
時間17:55には、まだ余裕がある。
カメラを取り出される方達はお元気に見えるが、長く綿密な練
習のたまものに違いない。
17:55、92キロ地点にある鵜の浜温泉の第5関門が非情にも
閉じられる。
鵜の浜で最初にカットされ、メディアの取材を受ける女性。
コースの9割以上を達成し、わずか数秒の事でカットとは。
何度か挑戦され最後の参加だったようで、無念さが全身に
にじんでいた。
100キロは「参加されること自体が凄いこと」なのだが。
10月8日は「チェロとギターの夕べ」
ようやくしのぎやすさが出て、秋の気配十分になりました。
その秋の樹下美術館のコンサート「チェロとギターの夕べ」
が近づきました。
当日のプログラムが届きました。
●ブラームスの子守歌。
●シューベルト「アヴェマリア」
●バッハ「パストラーレ」
●サンサース「白鳥」
●ビゼー「ハバネラ」
●ピアソラ「リベルタンゴ」
ほか
休憩を挟んでお二人の豊かなソロやオリジナル曲も演奏されます。
秋の夕べ、心にしみる
弦楽器の演奏をお楽しみください。
●お申し込みはお電話025ー530-4155
あるいは樹下美術館の窓口でどうぞ。
ふるさとの自然は親の懐と同一。
暑かった日、樹下美術館のご近所の方たちとゴルフをした。
恥ずかしながら小生が幾ばくかの賞品をお出しする3組の
ささやかなコンペが20数年続いている。
上手い下手なく、どなたにも優勝チャンスがある方法で行い、
反省しきりの表彰式を有志のお宅で行っている。
コースは手入れされ往時の自然の雰囲気を残している。
(近隣の多くの森林はその後の開発で荒れてしまった)
今年は暑さのため、砂地のコース管理は大変だったと
思う。
私が東京から上越市大潟区に帰郷しのは1975年だった。
帰郷のきっかけに父の病もあったが、郷里の自然環境が
忘れられなかったのも大きい。
一帯の松林と湖沼は海とともに幼少からの遊び場であり、
高校3年生の時に病気で休学した際は特に慰められた。
当地に育った方達は昔ながらの自然を愛し、海岸べりに
長く続く松林はボランティアの皆様によって非常に良く保
全されている。
いま往時を偲べる自然は、幾つかの湖沼と当ゴルフ場、
および県立大潟水と森公園と上記の海岸線、さらにそれ
らを囲む水田くらいであろう。
慣れ親しんだ自然環境は親の懐と同一と言っても過言で
はない。
昔の秋今の秋 ほおずきの鉢 突然の知事選撤退。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる
読み人藤原敏行の時代(平安時代)の
暦(旧歴)は今の新暦よりもおよそ一ヶ
月前(早く)に相当している。
つまり秋は現代の8月には始まっている
ことになり、昔人はかすかに秋が来た
ことを、その頃の風の音で感じる、と歌っ
ている。
台風シーズンの始まる頃であり、風の
音はその予兆を指していたのだろう。
これが樹下美術館であれば、8月頃から
庭は花が減り、やつれを見せるようにな
る。
昔の人は暑い盛りのそんな眺めも「秋」と
と認識した。
良くしたもので、昔から見れば一月遅れだ
が、今日8月31日に、「ああ明日から秋か、
それにしても暑いなあ」などと自然に思うよ
うになるのが人間の便利なところだ。
↑今月初め近くの「コメリ」で求めたほおずき。
樹下美術館のほおずきはこんなに沢山実を
つけることは無い。
もっと涼しくなったら鉢から庭へ移したい。
ちなみに浅草寺のほおずき市のはとても立
派な鉢らしい。
一度見に行って一鉢買っみたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところで10月の新潟県知事選挙に出馬を
表明していた泉田知事が昨日突然それを
取り下げて撤退した。
原発再稼働に慎重な知事から整然とした
論理と生活者目線が伝わり、大変だろうが
このまま頑張って欲しいと期待していた。
翻意には新聞社を巻き込む大きな力が働
いたと想像され、原発に潜む底知れぬ暗
黒をあらためて知らされる思いがした。
知事とは医療や個人的なことで
数回立ち話をしたことがあり、
親しみを覚えていたので余計に残念だ。
祖母の遺影の裏 父と祖父母。
一昨日の話で、しかも仏壇のことで申し分けありま
せん。
実はある高校生の縁者の宿題で家系図を作ると
いうのがあり、それについてこちらで調べたものを
作成してお手伝いをした。
いわゆる描いたものではなく、戸籍をもとに作成し
たので大昔まではさかのぼるものではないが、か
なり手間どった。
念のため滅多に見ない仏壇の位牌を裏返したり没
年月日など出来るだけ確かめた。
先祖たちのことはともかく、お壇の中の1枚の写真
が気になった。
写真は全部で4枚あり、祖母、父、叔母、母の遺影
が見える。
父のは弟が撮ったスナップで、母のは私が撮った。
祖母のは写真好きだった父が撮り自ら現像したも
のと思われるが、それが気になった。
22,5×17,5㎝の白い額に入り、さほど大きくは
ないが、全体が白々しているので少々変わった印
象があった。
そもそも父は叔父叔母たちと違ってほとんど先祖
の話をしなかったし、仏壇も参らなければ墓にも
行かない人だった。
子供の頃、お墓や仏壇が好きだった自分にすれば
大変不思議なことだった。
その父は二つのことで両親を恨みに思っていたふし
がある。
一つは多産で、祖母は19才から44才までの25年
間に12人を出産している。
その事は兄弟たちの学費不足として長く影響したと
いう嘆きをを父から聞いたことがある。
あるいは寒い日、新聞紙をフトンに足して寝たという
苦学の浪人と学生時代、帰省するたびに小さな兄
弟姉妹が増えていて困惑したと、漏らした。
もう一つは借金だ。
祖父母は大正7年と聞いているが家を建てた。
二階建ての入院施設に続く住居は、部屋数が60畳
の広間を入れて13室の木造三階建てという普通で
ない建物だった。
現在でいう億単位の家、そうでなくとも素封家出の祖
母はお金の掛かる人だったらしく、田舎医者の祖父
に際限ない借金がかさんでいったらしい。
返済に行き詰まった夫婦は家の書籍、書画はじめ
フトンまで売り払い、現金を求めてここを捨て北海
道の寒村の診療所へ移り、父は大学の研究生活を
中断して渡満、満鉄病院の勤務医となって背負った
借金の返済につとめたという。
これは母から聞いた。
父は後々まで借金と祖父母を疎み恨んでいた風に
見えていた。
祖父は私が二歳になるころの昭和18年に亡くなり、
祖母は小学5年の春、昭和27年に亡くなっている。
祖母の火葬場で末の叔母がわんわん泣いて皆にか
らかわれ、お通夜で、普段静かな父が酔って枕を背
負い、「赤城の子守歌」を歌って踊った。
さて祖母の写真である。
このたび仏壇の位牌を見終わり、眼前の祖母の写真に
手が行った。
撮影した父が裏に何か書いてないか、と思った。
↑別な紙が1枚挟まれていた。
厚さなどを調節する当て紙かと思った。
祖母の写真の裏に祖父が密かに重ねられている。
別々に置かず重ねた子、そうされた父母。
突然現れた祖父に驚くとともに、胸が熱くなった。
人の心の真意は分からない、開けて覗いても分
からないものは分からない。
だが何気ない所に形として残っていることもある
ということなのか。
物語は、終わればみな普通の人に帰るという事も。
思いもよらぬ父の行為にしばらく動けなくなった。
祖父の写真から思い当たる1枚があった。
病身となり北海道から家に戻った病床の
祖父を祖母と大勢の子、孫が囲んでいる。
満州から私たち子供を連れて里帰りした父母
も一緒だ。
あらためて見た祖父母の遺影の服装はこの時と
全く同じだった。
皆で撮る前にそれぞれ1枚ずつ撮ったのだろう。
生後8カ月の弟が後方で母に抱えられ、
1才8ヶ月の自分は父の膝の上に、
3才の姉が祖父母のそばにいる。
借金返済はまだ終わらず、
「簡易」の扁額が見えている。
(小山作之助の長男・藩氏が父の後ろに見える)
以上大変長くなりましたが、祖母だけ額に
入れ祖父を裏に重ねた遺影には、父の祖母への
思慕と思想の一面が現れているように思われました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみに祖父・直次郎は日本教育音楽協会の
初代会長で唱歌「夏は来ぬ」の作曲者・小山
作之助の弟です。
※小山作之助:文久3年(1863年)12月11日~
昭和2年(1927年)6月27日。
※祖父杉田直次郎:千葉医専出身医師、明治9
年(1876年)10月25日~昭和18年(1943年)
12月13日。
※父杉田敬義:慶応大学出身医師、明治39年
(1906年)2月1日~昭和59年(1984年)11月
14日。
午後、急いで行ったルノワール展の東京 オリンピックの女子ゴルフ。
ルノワール展が良かったので是非見てというお客様の話。
もう会期終了が迫っていたため、診療を終えた午後急い
で上京し、展覧会だけ見て帰った。
ルノワールに始まりルノワールに終わる。
こんな言葉があるのかな、と思うほど人気の会場だった。
本日の閉館が20時という土曜の特異日だったため日帰り
でも観ることが出来た。
貴重な展覧会のことは後で記載することにして、久々の東
京は台風の影響でめまぐるしいお天気、本日ばかりは傘
を持参して助かった。
観終えて休んでいると驟雨、満席のテラスから一斉に人が消える。
ビルの基部に残された旧館がシックで魅力的。
特に時計が効いていた(昭和の建物は人なつこい)。
さて以下は本日の美術館(国立新美術館)の入場行列。
混んでいたが20分待って入れた。
あと二日、もう一度観たい名残惜しさがつのる。
妻ではありませんが、日帰りの割にゆっくり出来ました。
これも北陸新幹線のお陰でしょう。
ルノワール展につきましては次回記載の予定です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日記載のオリンピック女子ゴルフは本日最終日。
アジア勢、ことのほか韓国の強さが際だっていました。
メダルを逸したアメリカ選手の涙が印象的でしたが、現
在のゴルフ界を象徴するシーンだったと思いました。
日本の野村敏京(はるきょう)選手は最終組の最終ホ
ールで抜かれましたが、4位に入賞し健闘しました。
また昨日何気なく記載しましたロシアの選手は、本日
ホールインワンを記録するなど62のコースレコードを
打ち建てました。
4年間は破られない保証付きの記録、オリンピックな
らでは、ですね。
100年以上という長いブランクを経て再開されたゴル
フ。
女子で30数カ国も参加があったということですから、今
後さらに人気になるのではないでしょうか。
男子112年、女子116年ぶりというオリンピックのゴルフ。
連日暑さだがまだ先も続くらしい。
オリンピックは後半になって女子ゴルフが行われるようにな
った。
開催地はほぼ12時間の時差なので夜7時過ぎからのスター
トがテレビで放映されている。
4日間の競技で本日は三日目、日本の大山、野村の二選手
が健闘しているが、若い野村選手が上位に行きそうな勢いが
ある。
ゴルフ競技はプレーは真剣だが静かで、風景も美しいので
一種のんびりテレビを見ることが出来る。
初日からおよそを見ているが、以下のような事が興味深かった。
●時々南大西洋という海岸が写るが、ふだん映像などではほ
とんど目にしない海域であり、遠い地への旅情をかき立てられ
る。
↑オリンピックのために新設されたコースであり、終了後は一
般に開放され、アカデミーを創設しゴルフ振興に寄与する予
定だという(手前が塩水湖、向こうが南大西洋らしい)。
●選手達のコスチュームが全体に地味であるがシックでもあり、
また国柄が反映されていて興味深い。
↑華やかさよりもセンス強調というユニフォームが多い。
日本選手のはややぱっとしなかった。
●世界の上位ランカーとともに何百番台という下位ランカー
が一緒。
年令では10代から40代という幅広い選手が共にプレーする。
ワンプレーずつでは、上位も下位も年令もプレーに差が見ら
れず、さすがだと思う。
↑モデルでありゴルフ雑誌の編集者でもあるというロシア
の選手。
帽子はユニフォームに入らないのだろうか。
●通常の4日間競技では当初二日が予選ラウンド、そこ
で一定ライン以下の選手がカットされるがオリンピックは
全員4日間競技する。
ワンプレーで差が無くとも4日間(一日およそ4時間競技
する)では、最終日が近づくにつれ、世界ランカーが上位
に並ぶと思われる。
●通常のツアーには無い34カ国という多くの参加だった
が、アメリカツアー同様、アジア系の選手が活躍しそうだ。
●男子選手はジカ熱や治安を懸念して出場辞退者が目
に付いた。
女子は、マイナーなゴルフを盛り上げたい、四年ごとの
貴重さへの自覚などから、辞退者がほとんど見られなか
ったようだ。
●静かで、長い集中力が必要な熱い競技、ゴルフ。
男子の日本選手は駄目だったが、明日女子最終日を楽
しみにしたい。
釜蓋遺跡の出土品を見る 巡業中の力士と会う。
昨年3月に開業した北陸新幹線の新駅「上越妙高」
周辺の関連工事における2005年の調査時、弥生
時代~古墳時代の大規模な遺跡、遺構が発見され、
2008年度の国史跡に指定された。
遺跡は埋め戻されているが案内施設(ガイダンス)
に出土品や説明物が展示されている。
上越妙高駅の目の前であるが訪れたことが無く、本日
お近くの方の案内で念願が叶った。
どんなものでも身近なものは詳しく見たくなるし、
知り合いの音楽や絵画などに特有の親しみを
感じるのは自然であろう。
展示物は決して多く無かったが照明がほどよく、
土器類の質感や文様が良く見え興味深かった。
↑展示の弥生土器から明るい印象を受ける。
縄文土器のおどろおどろしさ、須恵器の暗さ
からみると単純だが、当時の生活感も伝わる。
端正な器には一部でロクロ技術が用い
られていたのかと思うほどのものがある。
九州から始まったとされるクシ目模様もしっかり
施され、文化度の高さも十分ではないだろうか。
今後も周辺の発掘は続けられるが、いっそう
ダイナミックな展示が期待されるし、市県とも
もっともっとこの方面への注力を望みたい。
↑口作りにへらで模様を点けている。
肩の線も滑らかで美しい。
↑10数本の細い歯のクシで円周に沿って複数ケ所模様を
施している。
ロクロが無かったとすると、一人で器を回して彫ったか、
もう一人の回す人と共同作業で櫛目を付けたのか。
↑何重もの同心円を重複させて描いている。
クシを使ってコンパス式に回して彫り模様を付けたようにも
思われるが、フリーハンドで同心円を彫ったようにも見える。
↑体験学習あるいは同好者が作成した弥生土器。
説明者が「どうやっても出土する土器のように薄
く作ることが出来ない」と仰った。
生活者の探求と技術は簡単に追従を許さない。
展示室にさらに南に下った吹上(ふきあげ)遺跡
で多く出土したヒスイの装身具が展示されていた。
ヒスイは日本海の糸魚川から、黒曜石は長野県
から運ばれたのであろう。
物物交換の原始経済であれば、当遺跡が属す
る妙高市の斐f太(ひだ)遺跡群の一つとして、当時ど
んな品(産物)が当地の交易材料だったのだろう。
主たるものは米だったにしても。
遺跡はいずれも山裾の扇状地に見られている。
低地の関川流域では洪水ばかりで稲作どころでは
なく、比較的高い土地の方が安定した農耕が出来たの
かもしれない。
弥生時代は争いが多かったとも言われるが、本日
見た土器の明るい生活感から、裕福では無かった
かもしれないが、平和な場所だったのではと思った。
さて本日上越市リージョンプラザで大相撲上越
妙高場所があり、ある力士にお会いした。
終了直後にお会いした篠原関。
三段目全勝優勝の経歴を有し、
現在幕下で頑張っていらっしゃる。
学生時代に体操、テニス、ゴルフなどで極めて高
い身体能力を有し優れた成績を残した先輩がいた。
その先輩(医師)と仲良くされている篠原関。
このたび是非合ってみてと先輩から電話があった。
「結び」が終わった広い会場で主催の方にお
尋ねすると、清々しい笑顔で出て来てくださった。
ご挨拶をして一緒に写真を撮らせていただいた。
柔軟で賢そうな力士だった。
大相撲が楽しみになった。
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