明け暮れ 我が家 お出かけ

10月8日は「チェロとギターの夕べ」

2016年9月13日(火曜日)

ようやくしのぎやすさが出て、秋の気配十分になりました。
その秋の樹下美術館のコンサート「チェロとギターの夕べ」
が近づきました。

当日のプログラムが届きました。

ブラームスの子守歌。
シューベルト「アヴェマリア」
バッハ「パストラーレ」
サンサース「白鳥」

ビゼー「ハバネラ」
ピアソラ「リベルタンゴ」
ほか

休憩を挟んでお二人の豊かなソロやオリジナル曲も演奏されます。

秋のコンサート告知ファイル
(お知らせは大きくしてご覧下さい)

秋の夕べ、心にしみる
弦楽器の演奏をお楽しみください。

お申し込みはお電話025ー530-4155  

あるいは樹下美術館の窓口でどうぞ。 

ふるさとの自然は親の懐と同一。

2016年9月4日(日曜日)

暑かった日、樹下美術館のご近所の方たちとゴルフをした。
恥ずかしながら小生が幾ばくかの賞品をお出しする3組の
ささやかなコンペが20数年続いている。
上手い下手なく、どなたにも優勝チャンスがある方法で行い、
反省しきりの表彰式を有志のお宅で行っている。

 

IMG_6901
振り返ると尾神岳が見えるコースの一部。

 

IMG_6904
コースは手入れされ往時の自然の雰囲気を残している。
(近隣の多くの森林はその後の開発で荒れてしまった)
今年は暑さのため、砂地のコース管理は大変だったと
思う。

 

私が東京から上越市大潟区に帰郷しのは1975年だった。
帰郷のきっかけに父の病もあったが、郷里の自然環境が
忘れられなかったのも大きい。

一帯の松林と湖沼は海とともに幼少からの遊び場であり、
高校3年生の時に病気で休学した際は特に慰められた。

当地に育った方達は昔ながらの自然を愛し、海岸べりに
長く続く松林はボランティアの皆様によって非常に良く保
全されている。

いま往時を偲べる自然は、幾つかの湖沼と当ゴルフ場、
および県立大潟水と森公園と上記の海岸線、さらにそれ
らを囲む水田くらいであろう。

慣れ親しんだ自然環境は親の懐と同一と言っても過言で
はない。

昔の秋今の秋 ほおずきの鉢 突然の知事選撤退。

2016年8月31日(水曜日)

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる

読み人藤原敏行の時代(平安時代)の
暦(旧歴)は今の新暦よりもおよそ一ヶ
月前(早く)に相当している。

つまり秋は現代の8月には始まっている
ことになり、昔人はかすかに秋が来た
ことを、その頃の風の音で感じる、と歌っ
ている。
台風シーズンの始まる頃であり、風の
音はその予兆を指していたのだろう。

これが樹下美術館であれば、8月頃から
庭は花が減り、やつれを見せるようにな
る。
昔の人は暑い盛りのそんな眺めも「秋」と
と認識した。

良くしたもので、昔から見れば一月遅れだ
が、今日8月31日に、「ああ明日から秋か、
それにしても暑いなあ」などと自然に思うよ
うになるのが人間の便利なところだ。

160831秋きむと、、
↑今月初め近くの「コメリ」で求めたほおずき。
樹下美術館のほおずきはこんなに沢山実を
つけることは無い。
もっと涼しくなったら鉢から庭へ移したい。

ちなみに浅草寺のほおずき市のはとても立
派な鉢らしい。
一度見に行って一鉢買っみたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで10月の新潟県知事選挙に出馬を
表明していた泉田知事が昨日突然それを
取り下げて撤退した。

原発再稼働に慎重な知事から整然とした
論理と生活者目線が伝わり、大変だろうが
このまま頑張って欲しいと期待していた

翻意には新聞社を巻き込む大きな力が働
いたと想像され、原発に潜む底知れぬ暗
黒をあらためて知らされる思いがした。

知事とは医療や個人的なことで
数回立ち話をしたことがあり、
親しみを覚えていたので余計に残念だ。

祖母の遺影の裏 父と祖父母。

2016年8月29日(月曜日)

一昨日の話で、しかも仏壇のことで申し分けありま
せん。
実はある高校生の縁者の宿題で家系図を作ると
いうのがあり、それについてこちらで調べたものを
作成してお手伝いをした。

いわゆる描いたものではなく、戸籍をもとに作成し
たので大昔まではさかのぼるものではないが、か
なり手間どった。
念のため滅多に見ない仏壇の位牌を裏返したり没
年月日など出来るだけ確かめた。

先祖たちのことはともかく、お壇の中の1枚の写真
が気になった。
写真は全部で4枚あり、祖母、父、叔母、母の遺影
が見える。
父のは弟が撮ったスナップで、母のは私が撮った。

 

1
上の矢印は父、下のは祖母の写真。

祖母のは写真好きだった父が撮り自ら現像したも
のと思われるが、それが気になった。
22,5×17,5㎝の白い額に入り、さほど大きくは
ないが、全体が白々しているので少々変わった印
象があった。

そもそも父は叔父叔母たちと違ってほとんど先祖
の話をしなかったし、仏壇も参らなければ墓にも
行かない人だった。

子供の頃、お墓や仏壇が好きだった自分にすれば
大変不思議なことだった。

その父は二つのことで両親を恨みに思っていたふし
がある。
一つは多産で、祖母は19才から44才までの25年
間に12人を出産している。
その事は兄弟たちの学費不足として長く影響したと
いう嘆きをを父から聞いたことがある。
あるいは寒い日、新聞紙をフトンに足して寝たという
苦学の浪人と学生時代、帰省するたびに小さな兄
弟姉妹が増えていて困惑したと、漏らした。

もう一つは借金だ。
祖父母は大正7年と聞いているが家を建てた。
二階建ての入院施設に続く住居は、部屋数が60畳
の広間を入れて13室の木造三階建てという普通で
ない建物だった。
現在でいう億単位の家、そうでなくとも素封家出の祖
母はお金の掛かる人だったらしく、田舎医者の祖父
に際限ない借金がかさんでいったらしい。

返済に行き詰まった夫婦は家の書籍、書画はじめ
フトンまで売り払い、現金を求めてここを捨て北海
道の寒村の診療所へ移り、父は大学の研究生活を
中断して渡満、満鉄病院の勤務医となって背負った
借金の返済につとめたという。
これは母から聞いた。

父は後々まで借金と祖父母を疎み恨んでいた風に
見えていた。

祖父は私が二歳になるころの昭和18年に亡くなり、
祖母は小学5年の春、昭和27年に亡くなっている。
祖母の火葬場で末の叔母がわんわん泣いて皆にか
らかわれ、お通夜で、普段静かな父が酔って枕を背
負い、「赤城の子守歌」を歌って踊った。

さて祖母の写真である。

2
↑父が撮って現像したと思われる遺影。

このたび仏壇の位牌を見終わり、眼前の祖母の写真に
手が行った。
撮影した父が裏に何か書いてないか、と思った。

3
↑写真立ての裏側。
裏板をはずしてみる。

4
↑別な紙が1枚挟まれていた。
厚さなどを調節する当て紙かと思った。

5
↑裏返すと祖父の写真が現れた。
この写真は初めてだった。

祖母の写真の裏に祖父が密かに重ねられている。
別々に置かず重ねた子、そうされた父母。
突然現れた祖父に驚くとともに、胸が熱くなった。

人の心の真意は分からない、開けて覗いても分
からないものは分からない。
だが何気ない所に形として残っていることもある
ということなのか。
物語は、終わればみな普通の人に帰るという事も。
思いもよらぬ父の行為にしばらく動けなくなった。

祖父の写真から思い当たる1枚があった。

 

1943年10月
昭和18年10月祖父を囲んだ写真。

病身となり北海道から家に戻った病床の
祖父を祖母と大勢の子、孫が囲んでいる。
満州から私たち子供を連れて里帰りした父母
も一緒だ。

あらためて見た祖父母の遺影の服装はこの時と
全く同じだった。
皆で撮る前にそれぞれ1枚ずつ撮ったのだろう。

生後8カ月の弟が後方で母に抱えられ、
1才8ヶ月の自分は父の膝の上に、
3才の姉が祖父母のそばにいる。
借金返済はまだ終わらず、
「簡易」の扁額が見えている。
(小山作之助の長男・藩氏が父の後ろに見える)

以上大変長くなりましたが、祖母だけ額に
入れ祖父を裏に重ねた遺影には、父の祖母への
思慕と思想の一面が現れているように思われました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに祖父・直次郎は日本教育音楽協会の
初代会長で唱歌「夏は来ぬ」の作曲者・小山
作之助
の弟です。
小山作之助:文久3年(1863年)12月11日~
昭和2年(1927年)6月27日。
祖父杉田直次郎:千葉医専出身医師、明治9
年(1876年)10月25日~昭和18年(1943年)
12月13日。
父杉田敬義:慶応大学出身医師、明治39年
(1906年)2月1日~昭和59年(1984年)11月
14日。

 

 

午後、急いで行ったルノワール展の東京 オリンピックの女子ゴルフ。

2016年8月20日(土曜日)

ルノワール展が良かったので是非見てというお客様の話。
もう会期終了が迫っていたため、診療を終えた午後急い
で上京し、展覧会だけ見て帰った。

ルノワールに始まりルノワールに終わる。
こんな言葉があるのかな、と思うほど人気の会場だった。
本日の閉館が20時という土曜の特異日だったため日帰り
でも観ることが出来た。

貴重な展覧会のことは後で記載することにして、久々の東
京は台風の影響でめまぐるしいお天気、本日ばかりは傘
を持参して助かった。

 

1
↑出発前、上越妙高駅で。

 

2
東京駅と雲。

 

3
急速に広がる雲、日傘を差す人。

 

4
たけし氏の大きな写真が六本木の街角を見ている。

 

5
会場の国立新美術館にも雲と日傘。

 

7
観終えて休んでいると驟雨、満席のテラスから一斉に人が消える。

 

8
帰りの東京駅南口で見たビルが印象的。

 

9
ビルの基部に残された旧館がシックで魅力的。
特に時計が効いていた(昭和の建物は人なつこい)。

 

さて以下は本日の美術館(国立新美術館)の入場行列。

10
混んでいたが20分待って入れた。
あと二日、もう一度観たい名残惜しさがつのる。

妻ではありませんが、日帰りの割にゆっくり出来ました。
これも北陸新幹線のお陰でしょう。
ルノワール展につきましては次回記載の予定です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日記載のオリンピック女子ゴルフは本日最終日。
アジア勢、ことのほか韓国の強さが際だっていました。
メダルを逸したアメリカ選手の涙が印象的でしたが、現
在のゴルフ界を象徴するシーンだったと思いました。

日本の野村敏京(はるきょう)選手は最終組の最終ホ
ールで抜かれましたが、4位に入賞し健闘しました。

また昨日何気なく記載しましたロシアの選手は、本日
ホールインワンを記録するなど62のコースレコードを
打ち建てました。
4年間は破られない保証付きの記録、オリンピックな
らでは、ですね。

100年以上という長いブランクを経て再開されたゴル
フ。
女子で30数カ国も参加があったということですから、今
後さらに人気になるのではないでしょうか。

男子112年、女子116年ぶりというオリンピックのゴルフ。

2016年8月19日(金曜日)

連日暑さだがまだ先も続くらしい。
オリンピックは後半になって女子ゴルフが行われるようにな
った。

開催地はほぼ12時間の時差なので夜7時過ぎからのスター
トがテレビで放映されている。

4日間の競技で本日は三日目、日本の大山、野村の二選手
が健闘しているが、若い野村選手が上位に行きそうな勢いが
ある。

ゴルフ競技はプレーは真剣だが静かで、風景も美しいので
一種のんびりテレビを見ることが出来る。

初日からおよそを見ているが、以下のような事が興味深かった。

●時々南大西洋という海岸が写るが、ふだん映像などではほ
とんど目にしない海域であり、遠い地への旅情をかき立てられ
る。

1
↑オリンピックのために新設されたコースであり、終了後は一
般に開放され、アカデミーを創設しゴルフ振興に寄与する予
定だという(手前が塩水湖、向こうが南大西洋らしい)。

 

●選手達のコスチュームが全体に地味であるがシックでもあり、
また国柄が反映されていて興味深い。

4
↑華やかさよりもセンス強調というユニフォームが多い。
日本選手のはややぱっとしなかった。

2
↑フェアウェイの大山選手。

●世界の上位ランカーとともに何百番台という下位ランカー
が一緒。
年令では10代から40代という幅広い選手が共にプレーする。
ワンプレーずつでは、上位も下位も年令もプレーに差が見ら
れず、さすがだと思う。

5
↑モデルでありゴルフ雑誌の編集者でもあるというロシア
の選手。
帽子はユニフォームに入らないのだろうか。

●通常の4日間競技では当初二日が予選ラウンド、そこ
で一定ライン以下の選手がカットされるがオリンピックは
全員4日間競技する。
ワンプレーで差が無くとも4日間(一日およそ4時間競技
する)では、最終日が近づくにつれ、世界ランカーが上位
に並ぶと思われる。

●通常のツアーには無い34カ国という多くの参加だった
が、アメリカツアー同様、アジア系の選手が活躍しそうだ。

●男子選手はジカ熱や治安を懸念して出場辞退者が目
に付いた。
女子は、マイナーなゴルフを盛り上げたい、四年ごとの
貴重さへの自覚などから、辞退者がほとんど見られなか
ったようだ。

●静かで、長い集中力が必要な熱い競技、ゴルフ。
男子の日本選手は駄目だったが、明日女子最終日を楽
しみにしたい。

釜蓋遺跡の出土品を見る 巡業中の力士と会う。

2016年8月7日(日曜日)

昨年3月に開業した北陸新幹線の新駅「上越妙高」
周辺の関連工事における2005年の調査時、弥生
時代~古墳時代の大規模な遺跡、遺構が発見され、
2008年度の国史跡に指定された。

遺跡は埋め戻されているが案内施設(ガイダンス)
に出土品や説明物が展示されている。
上越妙高駅の目の前であるが訪れたことが無く、本日
お近くの方の案内で念願が叶った。

どんなものでも身近なものは詳しく見たくなるし、
知り合いの音楽や絵画などに特有の親しみを
感じるのは自然であろう。

展示物は決して多く無かったが照明がほどよく、
土器類の質感や文様が良く見え興味深かった。

 

2
↑展示の弥生土器から明るい印象を受ける。
縄文土器のおどろおどろしさ、須恵器の暗さ
からみると単純だが、当時の生活感も伝わる。

端正な器には一部でロクロ技術が用い
られていたのかと思うほどのものがある。
九州から始まったとされるクシ目模様もしっかり
施され、文化度の高さも十分ではないだろうか。

今後も周辺の発掘は続けられるが、いっそう
ダイナミックな展示が期待されるし、市県とも
もっともっとこの方面への注力を望みたい。

 

3
↑口作りにへらで模様を点けている。
肩の線も滑らかで美しい。

 

4
↑5,6本の歯からなるクシ目で波形に模様を点けてある。

 

5
↑10数本の細い歯のクシで円周に沿って複数ケ所模様を
施している。
ロクロが無かったとすると、一人で器を回して彫ったか、
もう一人の回す人と共同作業で櫛目を付けたのか。

 

6
↑何重もの同心円を重複させて描いている。
クシを使ってコンパス式に回して彫り模様を付けたようにも
思われるが、フリーハンドで同心円を彫ったようにも見える。

 

7
↑体験学習あるいは同好者が作成した弥生土器。
説明者が「どうやっても出土する土器のように薄
く作ることが出来ない」と仰った。
生活者の探求と技術は簡単に追従を許さない。

展示室にさらに南に下った吹上(ふきあげ)遺跡
で多く出土したヒスイの装身具が展示されていた。

ヒスイは日本海の糸魚川から、黒曜石は長野県
から運ばれたのであろう。

物物交換の原始経済であれば、当遺跡が属す
る妙高市の斐f太(ひだ)遺跡群の一つとして、当時ど
んな品(産物)が当地の交易材料だったのだろう。
主たるものは米だったにしても。

遺跡はいずれも山裾の扇状地に見られている。
低地の関川流域では洪水ばかりで稲作どころでは
なく、比較的高い土地の方が安定した農耕が出来たの
かもしれない。

弥生時代は争いが多かったとも言われるが、本日
見た土器の明るい生活感から、裕福では無かった
かもしれないが、平和な場所だったのではと思った。

さて本日上越市リージョンプラザで大相撲上越
妙高場所があり、ある力士にお会いした。

1
終了直後にお会いした篠原関。
三段目全勝優勝の経歴を有し、
現在幕下で頑張っていらっしゃる。

学生時代に体操、テニス、ゴルフなどで極めて高
い身体能力を有し優れた成績を残した先輩がいた。

その先輩(医師)と仲良くされている篠原関。
このたび是非合ってみてと先輩から電話があった。

「結び」が終わった広い会場で主催の方にお
尋ねすると、清々しい笑顔で出て来てくださった。
ご挨拶をして一緒に写真を撮らせていただいた。
柔軟で賢そうな力士だった。

大相撲が楽しみになった。

 

何事も先ずは暑いと言ってから。 

2016年8月4日(木曜日)

緑影ますます濃くセミ鳴き栄え暑気天地に注ぐ
いつしか田に雀も見えて稲穂が膨らむ

連日暑ければ 人やや股開いて歩き、
ようやくクーラーに逃げ込めば年寄りは寒いと言う

暑いと言って来られた方に展覧会が良かったから、
行ってご覧なさい、と色々勧められる

私は暑気に当たり過ぎて4,5日風邪をひいた
鼻水と鼻声は隠しようがなく、お大事にと言われ、
恥ずかしかったが、ようやく楽になった

誰言うとも無く何事も暑いと言ってことが始まり
ついに盆がやって来て暑い暑いで集い合う
なだれ込みへたり込みながらおよそ実家は忙しい

 

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鬼平犯科帳一家。 

2016年7月26日(火曜日)

雨が待たれる、と書いてみたら昨日本日と雨降りとなっ
た。
特に今日は終日の雨で時には強く降った。

他所は分からないが、すくなくとも当上越地域で一定の
貯水が進むことを期待したい。

ところで昨日午後、宮城県の弟夫婦が二人の娘を連れ
てやって来て本日昼帰った。
養豚、養鶏を生業としている一家の生活は長年慎まし
く、ラジオは聞くが新聞取らず、テレビはあるが番組は
見ずDVDだけかける,というものだ。
これは忙しいのと、騒々しさやお節介が嫌いなためな
のだろう。

彼は外国人のステイを引き受け、代わりに営農の手伝
いをして貰うことを続けている。
過日、そのことで某大手テレビのワイド番組の取材を受
け、放映の時にワイドショウ-というものをついでに見た
らしい。
多くが芸能や政治のゴシップネタだったのか、内容につ
いて何て馬鹿馬鹿しいと嘆いていた。

その家族が長く楽しんでいるのがDVDだ。
以前は「パイレーツ・オブ・カリビアン」のシリーズだった
が、それが終わった今は中村吉右衛門主演の「鬼平犯
科帳」になったようだ。

昨日皆して寿司を食べに行った所、店に入るなり一同
「クッ、クッ、クッ」と口をふさいで笑いをこらえている。
どうやら初めて見る寿司屋の親方の顔が登場人物の
一人にそっくりだったらしい。

これで火が付いてしまい、品が出るたび、何かを回した
り、頼むたび、まして親方が来ようものなら大盛り上がり
で、「ちょいとお尋ねしやすが」、「まっぴらご免だよ」など
と、状況に応じて誰かが咄嗟の役になりきり、随所で「鬼
平犯科帳」が展開された。

そして帰りの代行の車中、下の姪が江戸時代が一番好
きということで、祖先が記した天誅事件の事を私が話す
と、それまで黙っていた運転手さんが「面白い話ですね」
と言った。
「運転手さんは何時代が好きですか」
「江戸時代です」
「ええー、じゃどんな番組が好きですか」と誰かが聞く。
「鬼平犯科帳です」
まさかの一言に一同ぎゃっとなり、眠っている人も起きた。
家が近づくと、
「その先を右に曲がってくんねえ」
「合点だ」
「おっとそんな先まで行っちゃいけねえ」
「へーい」
などと言いながら到着した。

あくまで慎重にハンドルを握った運転手さんのセリフは
短かっかったが、どこかで演劇をやっていたのではと
思うほど声が良く、セリフもうまかった。

「ちきしょうめ、あいつに一本取られちまった」と、家に帰っ
て弟が言った。

 

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お寿司やさんで、昨年東京の高校へ進学した姉は自分
で作ったというワンピースを着ている。

中2の妹は黒澤明監督が好き、と言った。

夏、疲れを知らないこども。

2016年7月17日(日曜日)

雨模様の午前が昼になる頃晴れてきた。
一番小さな孫が来ていて近くの鵜の浜温泉海水浴場へ一緒
に行った。

知り合いの浜茶屋「みやこや」(海の家)でラーメンやおでん
などをゆっくり食べてから三才の孫は日本海初デビューとな
った。

初めは波に怯えて、帰ると言っていたが根気良い親が時間
を掛けて馴らすと、浮き輪無しで波に向かって行くようになっ
た。

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鵜の浜は多少深めだが楽しみながら海の泳ぎを覚える事が出
来る。
監視所のアナウンスも適切だった。

さてこどもというのは本当にアクティブだ。
海から帰って昼寝をすると夕食前のひと時はダンス。
家にある卓上型蓄音機で1940年代のレコードを掛けてみた。

 

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ベニー・グッドマン クインテットの「世界は日の出を待っている」が
回っている。

 


ユーチューブに同じレコード演奏がありました。

 

非常に早いテンポですが一生懸命腰を振って踊ります。
そのあとフリッツ・クライスラーのヴァイオリンでベートーベン
のクロイツェルソナタ第三楽章を掛けました。

 


やはりユーチューブにあった同じ盤の演奏です。
テンポに合わせてご機嫌でした。

“疲れを知らない子供のように”
はシクラメンのかほりの歌詞でしたね。

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