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樹下美術館のヤマザクラ 懐かしい「セレソローサ」。

2023年4月12日(水曜日)

ソメイヨシノが終わると間もなく辺りでヤマザクラが満開になる。昔から大潟ー柿崎間の松林と雑木林に点々とヤマザクラが咲く。

樹下美術館はその西外れに当たり建設同時から6,7本のヤマザクラがあり満開を迎えている。かって潟町の自宅にも幼少から薄緑色や桃色のヤマザクラが咲き、ソメイヨシノよりもずっと親しんだ。

以下本日夕刻雨が上がった美術館の花です。あちこちに濃いの薄いのと咲いています。

 

 

その昔、近所には三つ年上の生徒さんが何人もいて、中学校に入ると多くが吹奏学部に入った。以前は今よりも学年を越える交流があったため、トランペット、ピッコロ、チューバ、ピアノなどが身近な話題としてあり、私の家でトルコ行進曲を弾く人もいた。

春休みになり、温かい日はよく松林か海へ行った。何が目的というわけではないが兎に角心弾ませて行くのである。
ある春、三学年上のMさんが卒業し就職のため上京することになった。みんなで松林へ行くと、Mさんはトランペットを取りだし高らかに「セレソローサ」を吹いた。
それぞれ進学や就職そして進級を控え、私は高一になる春休みだった。希望と惜別の「セレソローサ」は春の松林いっぱいに響いた。

セレソローサは少し前にシャンソンとして登場、1953年にペレスプラード楽団が「セレソローサ」として発表。長期に亘ってアメリカのヒットチャートの一位を維持し日本でも大流行した。原題は「Cherry Pink and Apple Blossom White(ピンクの桜と白いリンゴの花)」。

腰をくねらせながら一歩出ては一歩下がり、時に回る。簡単なマンボステップは長く全国を席巻し、1962年大学に進学した私は皆と一緒に自由が丘のダンス教室へ通いルンバ、ワルツ、フォックストロットなどを習った。

週末の種々(くさぐさ)。

2023年4月9日(日曜日)

4月二回目の週末は雨降りから晴れへと変わった。雨はしっかり降ったため乾いていた庭には恵みだった。時折強い風が吹いたので周辺で頑張っていた桜はみな散り、残った蘂(しべ)で木々は赤飯のような色になっている。

蘂一色の新堀川の桜。

樹下美術館のソメイヨシノも落花、一昨日などあたり一面の花びらだった。それが昨日からの風に吹かれ大方どこかへ飛んで行ってしまった。

課題に浮上したソメイヨシノの根上がり。

 

南は積み石、北は美術館のコンクリート基礎に挟まれ、行き場に詰まって肥大する根。キーホルダーを置いてみたが、17年目で小苗がこんなになるとは思ってもみなかった。
このままでは遠からず石垣を壊すであろう。対策を調べてみると石垣を遠くに逃がし、盛り土したうえ表土を固めるか、最悪伐採も考えなければならないようだ。いずれにしても庭師さんに来て見てもらうことになった。

お客さんに頂いた「Number」最新号。大谷選手が良く撮れているWBC永久保存版。カフェのラックに置きます。

以下は週末の食卓です。

イワシのつみれと揚げ物野菜。

TVのレシピによる春キャベツのコールスロー。ゴマが良い味を出していた。

今夕美術館を閉めてから二時間ばかり庭仕事をした。たまたま良い場所が空いていたので掘り返し、作った用土を入れ、ネットで取り寄せたタカサゴユリ8芽、ヒメサユリを3芽植えた。
終わって撒水すると辺りは真っ暗。傷んだ所を手入れしている芝生とともに先が楽しみ。膝や腰が痛むが庭をいじるのは本当に良い時間だ。

父のバイオリンケースと1枚の譜面 「あさね」の歌。

2023年4月5日(水曜日)

3月に続き今月も良い天気に恵まれている。雨が少ないので芝生や湿り気を欲しがるクリスマスローズに水やりが欠かせない。
陽気で言えば春眠暁を覚えずの候となり、特に休日は目覚ましのメロディー「母が教え給ひし歌」が良く、しばしば寝過ごす。

かって中高時代、押し入れに古びたバイオリンケースがあり、おんぼろな弓と弦が足りない楽器が入っていた。父の学生時代のものと聞く楽器を出しては時折キーキー鳴らしてみた。

いつしか処分されてしまったケースには歌詞付きの譜面が1枚入っていた。歌詞から朝寝坊を歌った曲のようで、ピアノで旋律を弾いてみると面白い曲だと思った。

後年、題名、歌詞ともがウロ覚えになってしまった歌を何度か検索したが見つからなかった。ところが数日前、歌詞の冒頭を頼りにサイト検索すると「あさね」という歌がヒットし、YouTubeに一つだけ出ていた。

「とろろん とろろん」の出だしと懐かしいメロディーは、まさにバイオリンケースにあった譜面の歌だった。


「あさね」
松原至大作詞・弘田龍太郎作曲

とろろん とろろん 鳥がなく
ねんねの森から 目がさめた
さめるにゃ さめたが まだねむい

とろろん とろろん 鳥がなく
とりのなく声きくほどに
私の お目めが まだねむい

舌をきられた 雀(すずめ)なら
ちゅうっちゅ ちゅうっちゅとなくけれど
とろろん 小鳥はなんの鳥

ごはんはたべたし まだねむし
学校(がっこにゃ 行(ゆ)きたし まだねむし
とろろん 小鳥がないている

ちなみに作曲の弘田龍太郎は「鯉のぼり」「浜千鳥」「叱られて」「雀の学校」「春よ来い」「靴が鳴る」など馴染みの歌の作曲者だった。

歌詞の“学校”は大学あるいは会社や仕事でも良いと感じられ、大人の歌としても面白いと思った。

以前書いたとおり、12人(生まれたのは13人)の子がいる医家の家計は苦しく、大学に進学したのは父一人だった。それも私学(慶応)なら苦学は免れない。

寒い夜は新聞紙を布団に入れ込んで寝たという貧乏学生のオンボロバイオリン。ケースにあった譜面が「あさね」でほっとする。

お陰様で父の享年を三つ上回り、何とか仕事も続けている。
日頃の仕事場で皆さまに「長生きや良い事は親のお陰」と分かったような事を言っている。今夜は「あさね」の歌を脳裡に浮かべ父に感謝しながら眠ろうと思う。

明日鳴るスマホの目ざめましメロディーが「母が教え給ひし歌」とは。

侍Jが優勝 大谷選手のインタビュー。

2023年3月22日(水曜日)

診察室と自室を往復しながらTV観戦したWBC対アメリカ決勝戦。いいところでしばしば呼ばれたが9回裏、クローザーとして登板した大谷投手は一死走者一塁で、必死のアメリカを鮮やかなダブルプレーで切り抜け四番トラウト選手との対決になった。

アメリカ屈指の強打者で米国のキャプテン、チームメイトでもあるトラウ選手を大谷は尊敬しているという。画面からトラウト選手に闘志とともに緊張の表情が見られ、最後は大谷選手渾身のスライダーをフルスイングし空振り三振で試合終了。球はスライダーで打者の向こうへ約43㎝も曲がったらしい。

MVPに選ばれた大谷選手はインタビューの最後に日本球界への思いを聞かれた。
すると“日本だけじゃなく、韓国も台湾も中国も、その他の国ももっともっと野球が大好きになってもらえるように、その一歩として優勝できてよかったし、そうなってくれることを願っています”と答えた。

優勝が日本の球界に与えた影響は非常に大きい。
しかしあえてそれを口にせず、近隣との他の国々で野球がより盛んになって欲しいと願いを伝えていた。限られた時間のなか、無駄の無い立派な答だった。

立派な功績を残す人は素晴らしい話を口にする。こんな場合、心が素晴らしいから立派になれたのか、立派になったので素晴らしい心の持ち主になったのか、よく頭をよぎる。

おそらく前者なのだろう。
生まれ育ちから誠実で高い探求心に恵まれた人だったのではと思う。さらに自然な言葉で高潔な気持ちを伝えられる事が多くの人の心をとらえるに違いない。

インタビューの大谷選手。
保身や邪(よこしま)さなどみ塵も無い。

優れた投手陣とアメリカの強打者との対決も素晴らしかった。

春分の日 絵筆とシューベルト スポーツ観戦の鳴り物 ノイズに夢中で良いのか。

2023年3月21日(火曜日)

温かだった春分の日の祝日。スマホの妙なる目覚まし音「我が母の教え給いし歌」が余りにも優雅に響き二度寝を繰り返したため、起きたのが昼近くだった。
だが慌てることもなし、長寝が必要だったと納得し身支度をして用意された朝昼兼用食をゆっくり食べた。

冬鳥が去った後、暇をみては絵筆を執る。小品中心とはいえ数が多いため時間が必要だ。本日西王母椿に手を入れると、ようやく15点が一定の段階まで揃ってきた。

2月28日時点の西王母の2枚。
当時殆どが下段どまりだった。

以来葉を濃くし枝とシベを描き、右の花に影を付けた。

この絵の15点が揃ってここまで来た。
細部と陰影、バックなどまだまだ。
ほかに風景と菊の静物等もある。
6月に間にあうだろうか。

本日はシューベルトのピアノ五重奏、いわゆる「鱒」をYouTubeで聴きながら描いた。「鱒」は歌も良いが五重奏はいっそう鮮やかで楽しく、ピアノが生き生きしている。鱒の季節が気になる所だが調子の印象から春として聴きながら描いた。

だが3時間近くなると疲れ美術館に顔を出した。
聞く所によると陶芸、絵画とも観やすい親しみやすい、と好評らしい。確かに焼き物と言えばまず「壺」のイメージがある。また「お嬢さん展」はデッサンと版画メインだが、一目で若さや愛くるしさに出会えるので良かったのか。

さて寝ている間にWBCは素晴らしい逆転で勝っていた。これもユーチューブ。勝っているのだからチームワークの良さは素人目にも分かるし、監督が優れていることも伝わる。
ただ一点、外野席に陣取る鳴り物は明らかに浮いていて見た目にも恥ずかしかった。

あくまで観客は客。それが主役とともに目立っているのはどうかと思う。バレーボールしかり、大声を揃えて客が試合に参加するのは日本独特の文化だろうか。
一方、観客の多くがサポーターとして旗振り揃って大声を出すサッカーは世界共通であり例外かもしれない。

ゴルフも観客が特定選手のプレーによく大声を出している。選手によって不興を表明したり、嬉しいと言うなど反応はまちまち。私個人は観客の大声は邪魔だと感じる。

総じて観戦マナーとしては拍手や驚きの歓声など自然な反応で十分ではないのか。お金を払って観ている者同士なのだから、基本個人が余計なノイズを生じさせるのは感心しない。
音というのは防ぎようが無く、厄介だ。それで言うと修行において食事を無音で行う禅の徳目が目を惹く。

文句のついでにもう一つ。
首相がウクライナを電撃訪問した。コメンテーターは目的と成果を論ずれば良いのに、NHKと日テレだけが知らされていたのではないかと、物識り顔でノイズに埋没している。
仕事の本質と哲学を忘れ、ただただ見た目や末梢で済まそうとする。それで言うと為政と学問文化の根幹であり、忘れっぽい人間のためにこそある資料、文書を「ねつ造」と言い出す風潮しかり、何が動機なのかあまりの軽さに悲しくなる。

こんなことで国は大丈夫なのだろうか。

貴重なU君 北村英治の「Memories of you」。

2023年3月16日(木曜日)

今年の開館後わずか2日目にも拘わらずもう何日も経ったように感じる。緊張して過ごしているせいではないかと思う。

本日、中学、高校の同級生U君夫妻が見えた。大学で書道を専攻され、教職とともに有名な鎌倉仏のご本尊を有する寺院の住職の道を歩まれた。

私は高校三年生の半ばで病のため休学したために、卒業は一年下の学年と一緒だった。しかし同級生となると入学を共にした学年という意識がある一方、宙ぶらりんを否めない。そんな事情のなかたびたび髙田からやって来てくれる中高入学一緒のU君は貴重。

お決まりに従い年と老いの話を一通り終えると同級生たちの事になる。彼は私より遙かに皆の消息を知っている。
私自身決して壮健では無いので、心身共に優れていた級友の死などにはとても驚く。中には私が知り彼が知らない話もあり可笑しかった。
長話になったが文字通り気の置けない級友の訪問は嬉しい。


原信夫とシャープス&フラッツとともに北村英治の「Memories of you」
学生時代、氏のクインテットを良く聴きに行った。テーブルの用紙にリクエストを書くと店員さんが取りに来る。ドキドキしながら待つのだが大概のリクエストは演奏してもらえた。

北村英治の「Memories of you」はいつ聴いても甘く懐かしく大好きな一曲。

学生時代テニスも音楽も何かと一緒だったSはもういない。いつしかそういう年になったのは不思議なことだ。

新潟市で二つの展覧会と中華の半日紀行。

2023年2月26日(日曜日)

新潟市の新潟絵屋で館長さんである大倉宏氏の作品展が行われている。大倉さんは2018年にかってご自分の所で開いた塩﨑貞夫さんの展覧会を樹下美術館でも行うことを勧めて下さった方。

芸大出の氏は優れた美術感覚と均衡が取れた心の持ち主。2000年から「良い美術」への親しみを願い、有志と共にNPO法人新潟絵屋を立ち上げ、市内の砂丘館、見附市の美術関連施設の指定管理者となり、今日までたゆみない活動を続けられている。
均衡が取れた人と書いたが、渚を思わせる穏やかな印象とともに、私などは及ばぬ忍耐の持ち主ではと畏敬の念を覚える。

本日は大倉館長さん自ら制作された作品展へ出かけた。

以下久し振りの新潟市の様子をまじえて半日紀行のご報告です。

絵屋入り口。愛らしい祝花と「開廊中」の丸看板の「絵屋」エントランス。

展覧会案内。館長自らの揮毫は美的。書展を期待したくなる。

透明水彩の小さな作品は繊細かつ単純で心癒やされる。館長そのものの魅力。
町屋利用のこじんまりしたスペースで、入場無料のため散歩がてらふらりと入って来られる人がいる。心ざしは高く入館のハードルはとても低い画廊。

絵屋を後に砂丘館へ。

開館中?と出ている。

絵屋は町屋だがこちらはかっての高級公務員のお屋敷。

ボランティアさんがあしらうのか、いつも随所にお花が丹精されている。

催事は近年まだ若くして故人となられたジャン・フランソワ・ゲリーの写真展。多くが銀塩写真による流木がモチーフだった。解説文に「生き生きと死んでいる」という表現がある。

 

流木の写真についての映像を鑑賞するコーナーを観た。

私が行く一帯の海岸もよく大きな流木が上がっている。オブジェとして見映えのあるものは生きものを連想させる。
だが時として長い旅の途中で休息をしているのではと思わせるものや、何かを訴えるために上がってきたのか、というものまである。

 

 

上掲2点はY字路。ご覧の方も多いと思われるが新潟市は見応えのあるY字路が多いと思う。砂丘館近くの建物はともに坂の動きとあいまって並々ならぬ存在感。

新潟市なら海も見たい。

冷たい強風が吹きつけ、すぐ車に戻った。新潟市と砂(砂丘)は切っても切れない縁。

新潟市は美味しいものが沢山あるに違い無い。本日出かけたのも数日来急にホテルの中華が食べたくなったからでもあった。
ANAクラウンプラザホテルの中華「天壇」で夕食した。

ホテル駐車場から見たメディアシップ。

65才以上というメニュ-があった。品数はかなり多いが量が少なく安価に設定されているのでまことに有り難い。

クラゲと野菜のサラダ(二人分)。

一人分の蟹の爪揚げ。

大好きなピータン(二人分)。

初めてのあんかけチャーハン。
(二人分)

久し振りの外食で妻はビール、私はノンアル。
綺麗な場所で上掲ほか数品いれて税込み一人6500円少々。外は寒かったが、良い展覧会を観て念願叶った中華にありつけた半日だった。

“良いものを観たり聴いた後の食事はひとしお美味しい”

「汽車」の作曲者、大和田愛羅氏のご縁者から雀の写真の所望。

2023年1月30日(月曜日)

過日千葉市のある方からお手紙を頂いた。
その方は東京音楽学校のご出身で音楽家、作曲者大和田愛羅(1886年3月24日 – 1962年8月11日)のお孫さんだった。 数年前に音大の草創期の指導者小山作之助の墓参と中学校の作之助胸像をご覧になられ、樹下美術館を訪ねていだいていた。

ご自分はチェロを教えておられ、後にお仲間と再度樹下美術館をお訪ね頂いた。来訪のたびに大好きなスズメの絵はがきをお求めになられたという。
このたびのお手紙には、大和田氏の没後60年を記念して氏が手がけた曲から110の楽譜を選び出版することになったこと。当時の唱歌、童謡は山河、鳥や動物など自然のテーマが多いこと。そこで楽譜集の裏表紙などに好きなスズメの写真を載せたいがお願い出来きないか、という主旨がしたためられていた。

このところの寒波でひもじいスズメ。そんな時スズメを愛する人から可愛い写真をというお話はなんとも温かかいものだった。私の雀ファイルには沢山写真はあるが、いざ可愛いものとなると中々難しい。なんとか7,8枚を選び2L版にプリントして、明日投函することにした。


大和田氏作曲の「汽車」

4才と6才年下の弟妹は幼き日の春秋、野尻湖行きの車中、片言交じりでこの歌を歌った。

大和田氏のご尊父は都内の医師だったが、事情により愛羅氏は新潟県村上市で養育されている。東京音楽学校の卒業後は国立音楽学校、東洋音楽学校で教鞭を執られ、これらの間に多数の童謡、唱歌および学生歌や校歌を作曲されている。

小山作之助とはほぼ二世代後の音楽家に相当され、新潟県にゆかりもあり、わざわざ当地をお訪ねされた。そしてこのたびは拙スズメ写真をと仰る。何とも有り難いことと感謝に堪えない。

冬に希な晴れ間。

2023年1月11日(水曜日)

予報通りに晴れた本日、午後いつもの特養を回診して樹下美術館に寄った。

真っ青な空、頬なでる風はまだ冷たかったが目に入るものは皆くっきり鮮やかだった。

板囲いのカフェの前だけわずかに雪が残っている。

本日も裏の土手でフキノトウを探してみた。小さな流れのふちに4つあった。

土手沿いに行くと黄色の花が咲いていた。馴染みの無い花だが可愛い。せせらぎの音が聞こえるこの場所は日当たりも良く、野の花の特等席にちがいない。調べてみると「キンセンカ」らしい。自生しているのだろうか。

午後の仕事時間までアプローチの練習をした。


青森県八戸市立根城中学校
合唱部(平成元年ころ収録)

美しいコーラスだと思ったら1985年度世界アマチュア合唱コンクール世界第2位、NHK全国学校音楽コンクール全国優勝8回の学校だった。良い指導者がいたのだろう。

 

さてカレンダーの冬は今ちょうど半ば。寒の内なのにこんなに晴れるとは。本当の春になったら、待ってと言うヒマが無いほど季節は早足に回り始める。

今冬、ドカ雪は正月だけで、近隣にもう雪は無い。もしもこんな風に冬が続くならば、春さんにはそう急がなくてもいいよ、とお願いしたいほどだ。

明日も晴れ間があるらしい。

ようやく訪ねた別所温泉 その2 最後は「無言館」。

2023年1月5日(木曜日)

一泊二日の別所温泉行き、昨日に続き本日2日目を記載させて下さい。

訪ねる先は主に寺院ですが、ご本尊は軽々に拝む事が叶いません。それぞれ個性的な寺院の外観や趣き、境内や道すがらの石塔、あたりの景観をなどを楽しみに回りました。

調べてみると塩田平は見所が多そうだった。6カ所の社寺と美術館「無言館」を回る行程で午前9時半にタクシーさんに来てもらった。

泊まった「中松屋」さんのお風呂と食事が良く、女将さんの愛想は最高とは家内ともどもの感想。

行く先は運転手さんの意見も聞きながら決めた。また私達の好みを知って、途中新たに寄ってもらった所もあった。

最初の訪問は北へ峠を越え、お隣りの青木村「大法寺」。

紅白の幕が晴れがましい大法寺本堂。大勢で竹灯りを片付けているところでした。

 

国宝三重塔は美しく、“見返りの塔”と呼ばれている。遠い時代から声を掛けられている感じ。村が国宝を有しているとは。

再び峠を戻り上田市へ。

とある三叉路の庚申塔。
とても強く彫ってある。

別所駅を通過。丸い窓があるかっての電車が屋外展示されている。

 

上田市に戻って満願寺。庫裏の窓が花頭。

駐車場脇の多数の石仏の中の一体。風化が進み馬頭観音かもと迷ったが上部の左右に日月の彫りがかろうじて認められる庚申塔だった。

十王仏。3回忌まで死者を裁く王たち。死者の衣服をはぎ取り重量から悪行を裁く脱衣婆(だつえば)や35日目に行く先を裁く閻魔大王などが居並ぶ。
行いとともに厳重に舌を調べられ何を話したかは善悪の重要な判断材料にされる。このような場面では、子どもの頃に聴かされてぞっとした事が思い出される。

信州の竹林の多くは孟宗竹ではなく「破竹」だという。孟宗竹より細く背丈も低い。随所の青々とした破竹は冬を若々しく彩っていた。

三叉路に二十三夜塔。

 

運転手さんに勧められた
中禅寺。

 

 

堂々とした藁葺き屋根の薬師堂および薬師如来像と両腕が無くなった神将はともに国の重要文化財に指定されている。

 

仏像塔と文字塔、
二通りの庚申塔が並ぶ。

 

龍光院本堂。

おおらかな屋根の棟にある三鱗紋は北条氏の家紋。塩田北条氏は当地の有力な武将。当寺で出される精進料理は好評だという。

この辺りではゴツゴツとして妙義山を思わせる独鈷山(とっこうさん)が常に間近に見える。

さて最後の寺院は前山寺(ぜんさんじ)。

お城を思わせる石垣と塀を巡らせている。

重厚な茅葺き屋根と唐破風向拝(からはふこうはい)が印象的。

運転手さんから、向拝の下に「水」の文字があると聴いた。バックライトを薄めて見ると見える。かって訪ねた糸魚川市の早川谷地区の民家の棟にも「水」が印されていた。火事などの厄除けとされるようだ。

未完成の完成と呼ばれる丹精な塔は国の重要文化財。

本日の塩田巡りは寺院を終えて念願の美術館「無言館」となった。冬木立の頂に蕭然と建つシンメトリックな館は、信州の冬を裸で引き受け歴然と佇んでいた。

まさに花開こうとする直前に招集と戦没により道閉ざされる若き芸術家(画学生)たち。ふりかかる残酷な戦争の犠牲を前に、必死に描かれた作品からは美への最後の執念が伺われ胸に迫る。

どんな芸術家も何時か訪れる死を根底に力を振るう。
だがここの作者の死はあまりに早く不当で、それはまた遍く不条理な戦争の断面そのものにほかならない。

よくも集まった作品が並ぶ館内は、意思と希望が死とともに混然一体となった異次元の世界であり、それは他では決して得られない明らかな引力を放っていると実感した。

何かで迷ったら、無為な忙殺を感じたら、ふとした時にまた来てみようと思った。

以上非常に沢山載せてしまいました。
見所満載の塩田平。
昨夜は女将さんに、ここは信州の文化と心の中心地ではないか、と言った。本家「海の鎌倉」に並ぶ「山の鎌倉」といっても過言ではないかもしれない。

庚申塔や二十三夜塔を見つけると、運転手さんに「止めて!」と言って“普段あまり人が来ないような所”も回った。庶民のささやかな信仰と娯楽。昔の人が生きた証しとして残したこれら石塔に出会うのは小さな旅の楽しみです。

回った寺院の凍った石段で転ばなかったのは幸運でした。
4時間半の行程、何かと手間取る昼食を摂らずに回り、お腹を空かして夕げに向かう。このような観光スタイルは私達の習いになりました。

帰りの新幹線まで駅直近のタリーズコーヒーで一服した。

初詣で混雑する昭島足島神社にも短時間寄りました。

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