文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ

爽やかに晴れた日曜日、開院20周年記念のコンサートがあった。

2023年11月19日(日曜日)

本日よく晴れた日曜日、午後3時からA先生の所で開院20周年の記念コンサートがあった。
ピアノ小松園子さん、バイオリン腰高多恵さん、フルート田中志都さんによるトリオアンサンブルだった。
院内を待合室中心に広く工夫され立派なホールに設えられ、100人近い入場者さんで一杯だった。
プログラムはショパン、モーツアルト、ビゼー、チャイコフスキー、久石譲etc、ガーシュインのメドレーほか初耳の曲もあり、終始楽しい音楽会だった。

ツィゴイネルワイゼン、熊蜂の飛行、モンティのチャルダッシュなどテクニカルな曲の熱演、モーツアルト「フィガロの結婚」はエレガントに、チャイコフスキー「眠れる森の美女」のワルツのオリエンタリズム、ニューシネマパラダイスで交錯するバイオリンとフルートのスリリングな和音、ガーシュインはラプソディインブルー、アイガットリズム、ス・ワンダフルなどがちりばめられ、みな心ゆくまで楽しみました。

プログラム

チラシ、当日のプログラムとも美しく、選曲バリエーションが素晴らしく、安定したピアノのリードにバイオリン、フルートの熱演は高い天井に響き、本当にブラボーでした。

色々と忙しいお支度は大変だったことでしょう。
A先生ご夫妻、スタッフの皆さま、20周年お目出度うございます。お陰様でとても良い日曜日でした。

「生誕140年 小林古径の世界 」 朝日池、コハクチョウのねぐら入り。

2023年11月18日(土曜日)

上越市立小林古径記念美術館で10月21日から始まっている「生誕140年 小林古径の世界」は明日で終わる。本日出かけたところ5章に分けられた一級品揃いの充実した内容で来館者も多く高揚した気持で回った。

お忙しい笹川副館長さんがほぼ一緒して下さり繊細かつ多様な線、空間と構成など日本画の、なかんずく古径のエッセンスに触れることが出来有り難かった。

展覧会図録を買い忘れたので明日再訪し全国主要な美術館の収蔵作品を網羅した貴重な展覧会をもう一度脳裡に収めたい。

古径記念美術館への往路、稲田橋を見る。つかの間の晴れ間、強風に洗われる空の色と雲が良かった。

入場券

美術館を出ると晩秋の外堀と南葉山。

まだ明るかったので地元大潟区の朝日池へねぐら入りする白鳥を見に寄った。

 

 

 

湖面はせいぜい15~20分で真っ暗になる。何とか写せるのはISO感度のおかげ。

朝日池の白鳥はさらに数を増しているように見受けられた。

本日西日本は当地以上の厳しい寒さに見舞われたようで広島市などの降雪風景がニュースで報じられた。今冬は暖冬、厳冬どちらだろう?

読書「宮沢賢治のこころ」 柿崎海岸 来館したU君 田と朝日池の白鳥。

2023年11月16日(木曜日)

本日休診の木曜日は午前9時に起きて「宮沢賢治のこころ」という本を読んだ。本は先日の上京時に持参し往復の新幹線や夕食前などの時間に読んだ。
著述家や画家など6人の賢治ファンが書いた本文が150ページと比較的短く一通り読み終えていた。

しかし一読ではみな忘れてしまうので一旦読んだ本も2、3回また読むようにしている。
この度は画家・作家・装丁家・絵本作家の多彩な司修(つかさおさむ)さんの「詩は童話、童話は詩」のセクションの2回目を読み始めた。

氏は樹下美術館の画家倉石隆と同じ主体美術協会に所属されているご縁で2010年9月に当館で講演をして頂いている。
心の奥底に照らされる氏の物語は画家らしく複雑な遠近法のようであるが、時に伝聞から俯瞰、そして接写へと及び、そこから対象を突き破るように深く入っては飛ぶように出るなど不思議な次元や距離を体験させられる。

まだ二度目の途中なので何とも言えないが、賢治の本(特に詩は)は難しいのと司氏のところが面白いので繰り返し読もうと思っている。

さて10時を過ぎて柿崎海岸へ行った。柿崎は何十回どころではない、数百回も歩いたのではなかろうか。殆どテトラもなく砂浜が残っているので私には海と言えばここしかないという感じだ。

海岸は東西でかなり様子が異なる。たいてい真ん中辺より西を歩くが東側に比べて砂浜は広くシーグラスは多い。一方東側は西側より砂利が大きく砂浜の背の崖は高い。上掲写真は西側で、まばらな高齢の釣り人が一斉に帰るところだった。

陽は明るく柔らかかった。

東側の海岸線。ずらりと若い釣り人が並んでいる。

3700歩あるいた後美術館に向け新井-柿崎線を走った。柿崎地区で白鳥の群を見た。

小さな群を見ていると次々にほかから降りてくる。白鳥といえば雪上で見る事がほとんどだが、今年は雪の無い黄色の刈り田にいる。稲には二番穂が沢山ついているので今年の水鳥はお腹いっぱい食べているのではなかろうか。

美術館に戻ると中高の同級生U君夫妻が顔を出してくれた。息子の中学時代の校長で世話になり、ほどよい加減で寄ってくれる。
氏は僧籍を有しているので、何故一向宗は一揆を起こしたのに浄土宗は無かったのかなどと無茶苦茶な質問を許してもらい、近いうちに食事を一緒にしようという話になった。

さて去る11月6日の本欄で例年「朝日池」をねぐらとする白鳥が隣の「鵜の池」にいるのを不思議に思って書いた。しかるに本日夕刻に訪れた鵜の池はサギが並ぶだけだで白鳥の姿は無かった。

サギだけの鵜の池。

一方隣の朝日池では、

次々に白鳥が降りてくる。

枯れた蓮でいっぱいの湖面ながら鳥たちは気楽に憩っている風。

ゴルフ場のホテルの明かりが一部灯っていている。だがこれ以上遅くは暗くて撮影は無理だった。

一昨年から12月下旬の短い時期、ホテル全館に明かりが灯り、ある種絶景的な眺めが出現した。今年はどうなるだろう。ぜひとも再度まばゆい湖面を見てみたい。

それにしても鳥たちは鵜の池と朝日池をどのように使い分けているのだろうか。

週末の上京 イタリアン 永遠の都ローマ展 ピエタに涙。

2023年11月13日(月曜日)

先週末土曜日、上京し毎年集う同級生三組の夫婦による食事会に行った。年末が近づくとK夫婦と始めた食事会は間もなくN夫婦が加わり30回近く毎年続いている。昨年Nが亡くなったので昨年に続いて夫人が参加して5人の会食だった。

東京都心は来るたびに変わっているように感じられ、東京駅周辺は数年でさらにビルが林立し空が狭くなる。見るとビルとビルの間に新たな工事が進んでいるので、今後さらに建物のボリュームは大きくなり空は小さくなるにちがいない。

6時からの食事はKが選んだイタリアン。3時間近くも今昔を話し、N夫人に柔らかさが生まれていた。ホテルに帰ると深夜までラウンジで過ごした。アルコールを飲まなくなっているので食事時は水、ラウンジではノンアルのカクテルを飲んだ。

シェフが来て良く香るキノコなどの包み焼きを開いてくれる。氏はしばらく居てイタリア料理の状況などについて話してくれた(田舎あるいは家庭料理から今風の流行など)。

席のそばにあったフィギュア。

東京在住のN夫人と別れた後ホテルのラウンジで深夜まで時を惜しんだ。

ラウンジの眺め。
まるで巨大な光イベント。

翌日はお目当ての東京都美術館「永遠の都ローマ展」へ、。

展覧会パンフレット

撮影可能だった2点。
彫刻が多く会場の
ボリューム感は圧倒的。

以下同展の紹介分の一節です。

二千年を超える栄えある歴史と比類なき文化は、古代には最高神をまつる神殿がおかれ、現在はローマ市庁舎のあるカピトリーノの丘を中心に築かれました。その丘に建つカピトリーノ美術館は、世界的にもっとも古い美術館の一つに数えられます。同館のはじまりは、ルネサンス時代の教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことにさかのぼります。
古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻、またローマの名家からもたらされた絵画など、その多岐にわたる充実したコレクションは、古代ローマ帝国の栄光を礎に、ヨーロッパにおける政治、宗教、文化の中心地として発展したローマの歩みそのものにも重ねられます。
本展は、カピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、建国から古代の栄光、教皇たちの時代から近代まで、約70点の彫刻、絵画、版画等を通じて、「永遠の都」と称されるローマの歴史と芸術を紹介します。

展覧会ではカピトリーノのヴィーナスに見られた上品な恥じらいは美しく、カエサル、コンスタンティヌス、アウグスティヌスなど歴史教科書で見た人物の突然でリアルな出現に戸惑った。古くはプトレマイオス王朝妃の像まであり、生き生きとした気品に魅了され人知れない作者のことを思った。

あまりに長大なローマの歴史は宗教の軋轢、民族の大移動、度重なる疫病、止まない紛争と戦争にひたすら揺さぶられる。その中で洗練された発想と熟練が必要な芸術がたゆみなく生み出され続ける。
同じ人間の出来事としてくらくらするような不思議を禁じ得なかった(他国、他民族からの尊崇という帝国に必要な要素があったにしても)。
彫刻が多く、館内一杯にあふれるヨーロッパの立体的なエッセンスに包まれると、次第に満足という気持になった。

上掲2点を遠くから。若い来館者さんがとても多い。都会の美術館で感じる事の一つに若い入場者の多さが挙げられる。彼らに混じると気持が高揚し楽しさが増す。当地でもそうあってほしいといつも願っている。

昼食は寿司を食べた。
食べながらK夫人が“かってフィレンツェでミケランジェロの「ピエタ」を見たが、その時のキリストに突然涙が出てきて止まらなくなった”と語った。

フィレンツェの「ピエタ」
ミケランジェによる四つのピエタの一つ。
(Kが送ってくれた写真から)

去る11月2日、美術作品を前に気を失う人のことを記し、10月22日には音楽会で涙を拭くスタッフのことを書いた。そして昨日はミケランジェロの作品に涙あふれたと話す人がいた。みな人間らしく素晴らしいことだと思う。

さて短くも長かった貴重な週末は十分に食べたので帰宅した夕食はカップヌードルで済ませた。
両日とも寒く本日月曜日は今期一番の寒さとなり、午後ミゾレが降り、燕温泉では積雪があった。

美術作品を観て気を失うことがあるらしい その2「スタンダール症候群」

2023年11月7日(火曜日)

去る11月2日の当欄、NHKBS「フェルメールに魅せられて“史上最大の展覧会”の舞台裏」で展覧会関係者の一人が「かってフェルメールの作品を観て気を失った」と述べていた。そのことに関連してその昔スペインでゴヤの「裸のマハ」を見て失神した知人の話を当欄に書いた。

記した後、気になり「美術鑑賞 気絶」で検索してみた。すると真っ先に出るのが「スタンダール症候群」だった。「美術 失神」でも「アート 失神」あるいは「美術 気絶」もみなスタンダール症候群(以下 ス症候群)が真っ先だった。

だがそれはいずれも期待した“衝撃的な美に直面した時の精神反応”ではなかった。

由来は小説「赤と黒」の作家スタンダールが19世紀前半に初めてイタリアへ旅行した際、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂で壮大なフレスコ画を見上げていた時、突然めまいと動揺に襲われしばらく呆然としてしまったということから来ていると記されていた。

サンタクローチェ聖堂の壁画
(photo libraryより)

それに関して20世紀後半、イタリアの心理学者が同様の症状を起こす外国人観光客が多いことからスタンダールの例にちなんで「ス症候群」と命名したというものだった。

現象は、強いあるいは長時間の上向きによる後頭部の後屈(この場合仰向け)からくるもので、頸椎を通過するある動脈(椎骨動脈ついこつどうみゃく)が圧迫され脳循環が受ける影響によるというものだった。
しかし同じ状況で誰にでも症状が起きるとは限らない。脱水、疲労、解剖学的な個人差、代謝異常などが関係していることだろう。
また症候の命名者は”高揚した気分”なども付け加えているようであり、自律神経系の反応が加味されるのかも知れない。

ただ外国人に多いと記されるていることがやや不思議であり、また東大寺大仏殿ではどうなのか、さらに上向きの仕事がある技師や職人さんも気になるところだ。

いずれにしても強く上を向くのは要注意と、かって脳神経外科医からも聞いている。
このたびはほかであまり見つけられなかったが、美術、アートの衝撃によって失神することがもっとあるものか探してみたい。


「But Beautiful」

愛は喜びもあれば悲しみもある、笑いもあれば涙もある。だが美しいと歌われている。

美術作品を観て気を失うことがあるらしい 夕刻の施肥 夕食。

2023年11月2日(木曜日)

先日のNHK-BSで「フェルメールに魅せられて“史上最大の展覧会”の舞台裏」が放映された。予告と途中からではあるが本放送を観た。その前半に主要な関係者が「かってフェルメールの作品を観て気を失った」と述べていた。

絵画作品を観て気を失う。普段耳にしないことだが、今から50年ほど前のこと、それと同じ事を言った人の話を聞いた。当時はまさか大げさな、という感想を抱いたが今回の放映の談話を聴いて、かって語られた話は本当だっのかと思い直した。

その人は東京大学出身の若い男性だった。旅行か仕事だったかでスペインに行った折りプラド美術館でゴヤの「裸のマハ」を観た瞬間、衝撃を受けて気絶した、と帰国後私の知りあいに話している。

音楽や美術には信じがたく素晴らしい作品は多い。だが鑑賞者にも感応性と言うのか上述した二人のように強く反応する人が希にいることも確かなようだ。
ただ極めて素晴らしい作品でもあまねく人を失神させる訳ではなく、倒れた人の感受性に加え作者、作品に対する深い尊崇などの個人史と、当日の体調などの複合的な側面があったのではないかと推測された。
満一ケガが無かったのかは案じられるところだった。

一方音楽と失神はかってよく聞き、ロックやグループサウンズのステージで倒れたり、若い女性客が失神するコンサートがたびたび知らされた。倒れるプレーヤーの詳細は分からないけれども、観客の失神は興奮と絶叫による過呼吸がもたらす反応のように見えていた。
確かに音楽は強い感情反応をもたらす。もしかしたら私が知らないだけで、クラシックコンサートではあまりの美しさや突然のティンパニーで、椅子に座っているため人知れず失神している人がいるかも知れない。

さて本日は昨日に続き暮れてから草花中心に施肥をした。クリスマスローズとアジサイはやや丁寧に、ホトトギスになどにはざっと行った。ホームセンターで求めた軽い用土にリン酸カリを含んだものを混ぜてくべた。来年の元気な庭を想って、もう一日、雪の前に残りの草木と芝生に遣りたい。

クリスマスローズの一部。

ややミニのカツ丼。

テレビで観た温野菜とイカの料理。

ご馳走様でした。

晴天の日曜日の感動音楽会 庭の花。

2023年10月22日(日曜日)

しっかり二日間降ったあと本日日曜日は爽やかに晴れた。
午前に少し本を読み、来週予定されている高齢者の認知症検査のトレーニングをしてみた。
時間の無駄遣いにも思われるが、少しは脳トレに寄与するのかなと思いながら試行した。本番はどうなるのだろう。

さて本日午後は吉川区出身、プラハ在住のピアニスト市村幸恵さんのコンサート。2019年秋共演されたチェコフィルの第1バイオリン奏者ヴィクトル・マザーチェクさんに、このたびはプラハ音楽院教授・オーボエ奏者ヤン・トゥーリさんが加わった。

会場の大潟区コミュニティプラザホールは何脚も椅子を足したほどの満席。

ドヴォジャーク、スメタナ、スーク、モーツアルト、ショパン、ショスタコーヴィッチのブログラム。知らない曲が何曲もあったが、三人がソロ、デュオ、トリオと変えながら楽しませてくれた。
これまで市村さんが何度か話されたように、チェコでは集まってはアンサンブルを「楽しむ」という。この度はまさにそれで、ある意味即興性まで感じられ、陰影の濃いスリリングな演奏会だったのではないだろうか。

市村さんの至近距離によるショパンのワルツ7番嬰ハ短調は素晴らしく、モーツアルトのドレミファソラシドの妙に驚き、三人で演奏したショスタコーヴィチ5つの小品やチェコ民謡などでは心ゆくまでスラブの情緒を聴かせてもらった。

ヴィクトルさんが編曲した「家路」、アンコールの小山作之助「夏は来ぬ」は場内に歌唱とハミングが満ちた。わけても「夏は来ぬ」のコーダが非常に良く、振り返ると同行した美術館の若いスタッフが感動のあまり涙で目を赤くし、ハンカチで拭いていた。
音楽を聴いて惜しみなく涙をこぼすのは何にも増して素晴らしい事で、私達はそれを観てまた感動したのでした。

会場は旧議場で音楽向けホールではなく、演奏者は苦労したのではと想像したが熱演でカバーし心に残るコンサートになった。

終わって市村さんと少し話す機会があった。次回は現代音楽を1曲とお願いしてみた。良いですね、というお返事だった。

このたびの音楽会を開催された頸北の吉川、柿崎、大潟各区の文化と地域振興グループの皆さま。熱意とご努力に心から感謝申しあげます、まことに有り難うございました。

美術館の庭で秋の花が日射しを浴びていた。

 

 

健康的で良い日曜日だった。

明日から始まる「絵付け陶芸三人展」の準備をした。

2023年10月18日(水曜日)

本日総出で明日からの「絵付け陶磁器三人展」の展示準備をして終了した。

今年の陶芸ホールは「齋藤三郎 壺展」、「館長の写真展」、「館長の絵画展」、「篠崎正喜展」とめまぐるしく企画展を続けた。展示構想、撮影、告知、広報、搬入搬出などが連続し非常に忙しかった。

年だからもうのんびりするのが普通なら、私の場合、年だからこそ慌ただしくなるのを否めない。慌てるし疲れもするが、何よりも張り合いが前に進ませてくれる。

展示してみると、赤絵の黒岩卓実さん、色絵金銀彩の鈴木秀昭さん、九谷の正木春蔵さん、三人の作品は等しくとても楽しい。それぞれ色が冴えているうえ筆致に緻密、軽快、繊細など三様の個性があり、特異な作風が一貫し観ていて飽きない。

キャプションと共にケースに収まった場内を見ると、力作の迫力と作品の楽しさがホールに満ち、あらためてワクワクした。

展示作業の最後は照明。渡辺電気さんにやってもらっているが高い所の作業はいつも心配で気を揉む。

 

入って直ぐの黒岩卓実さんの大きな赤絵深鉢。肌色の柔らかな地に菊、蝶などが見込みに、独特の動物模様が胴回りに、いずれも速筆で描かれ、添えられる緑に大胆で味わい深い赤が冴える。入って左回りに黒岩作品が続く。

正面に近づくと鈴木秀昭さん作品に変わる。上掲は抹茶茶碗。いずれの器も宇宙や曼荼羅の形象が金・銀・色絵によって驚異的な緻密さで埋め尽くされ、哲学的な雰囲気が漂う、

 

 最後は山代温泉の正木春蔵さん。九谷の伝統と中国や半島の研究を土台として、独特の間と一種飄々とした文様がセンス良く描かれる。かって数回窯を訪ね、食事をご一緒したことがある。

お三人とも様々な雑誌でよく取り上げられ、東京はじめ日本各地の有名店の展示会は常に好評を博している。

陶芸室の18の展示台に38作品を展示しています。
年度末まで本展示を継続いたします。晩秋から初冬へ、日々変わる空を味わいつつどうかお寄りください。

お陰様でゴルフで優勝した 弟との時間。

2023年10月15日(日曜日)

本日日曜日、小雨がちの空の下、サンシャインゴルフクラブで同業14人による今年最後のゴルフがあり、なんと優勝した。簡単な表彰式で最後に優勝者はスピーチをしなければならない。

前回優勝はいつだったか思い出せない。成績がよかったのは皆さま、とりわけ同組の3人のパートナーに恵まれたお陰。来年も仲間に入れてくださいと述べた。実はお陰はほかにも沢山あり、年取って一番前のティーから打てること、ハンディキャップが26もあること、当然ラッキーもある。

とにかく良い事があった時の挨拶は嬉しさを噛みしめながら、あるだけのお陰を挙げるのがマナーだと長年のゴルフから学んだ。ついでに挙げると、普段誘って頂く友人知人のお陰は大切で最後は親のお陰も足さなければならないだろう。
本日参加の皆さま有り難うございました。元気に過ごし是非来年も続けたい。

美しい最終18番ホール。
ちなみに50-46でした。

本日夕刻に南三陸町の弟夫婦が姉妹二人を連れて来て、家で食事を一緒した。

妻手作りのイクラ。牧村の親族の新米に掛けてもフランスパンに載せても美味しかった。

いも煮汁。

 

久し振りの故郷の弟は文化の話をしたいと言った。
日本の自然と太古の地質、多神教と一神教と文化、日本美術と西洋美術の違いの根幹、自然と神、心の本質、本音と建て前、他人の大切さ、自問の大切さ、やれやれという言葉、旨いもの不味いもの、庶民の拠り所と救い、大規模酪農の脆弱性、明治人の立派さetc、もう何から何まで話をした。

私が世の中に不味いものなど無くなったというと、いやいや不味いものはいくらでもある、という1点だけは意見が合わなかった。弟の食へのこだわりが、幼少から今に到るまで変わらずにあるのは全く驚くべきことだ。

ゴルフの後に残っていた足腰の痛みが弟と話をしたらすっかり消えていた。

二人の姪は文字通り匂うように美しく、弟は心配だろう。

良い一日だった。

「真実は美しい」 面白く有意義だった篠崎正喜氏の講演会。

2023年10月13日(金曜日)

現在樹下美術館で展示中の篠崎正喜作品。独特の美しい色彩と手を抜かない描き込み、旅情とファンジーの画家の講演会が昨日午後終了した。

氏と知り合ったのは植物画を描き始めた頃なので25年ほど前になる。細密に描くことに苦労をしている時ネットで知りメールを交換、東京や横浜でお会いし、こちらにも二度足を運んでもらった。
ご好意に甘えて作品を求めたのが、念願叶いようやくこのたびの展示に到った。

よく晴れた昨日の駐車場。

演題は「生成AIと美術」。
氏は私より少し若いだけなのに美術や思想はじめテクノロジ-、環境や健康などについて深い興味と理解を有されている。AIについては頻回に氏のブログで取り上げられていて、それは瞬く間にChatGPT、生成AIへ、美術との関連へと展開されていた。

場内の様子。

 

講演される篠崎氏。

10年ぶりの氏は一段と個性を磨かれ独自の境地へと進化されたように感じた。当日自らトライし上書きを試みた映像を紹介しながら説明された。

 

生成AIは、丁寧かつ要点を絞ってプロンプト(指示、依頼)すること。一般的になってからまだ日が浅いため、興味さえあればだれでも等しくスタートラインに立てると強調された。

まだ生成AI作品には一種の欠落や錯誤が混じるがフォトショップで自分なりに修正を試みていること、未来とくに事物の劣化や荒廃などの表現が得意なこと、あるいは作品の所有権などにも言及された。

最初の方で、カウボーが荒野で馬をを駆るシーンをA・ワイエス風に描く要求に応えた絵が示された。砂塵舞う躍動的な作品で、なるほどなるほどと感心したがワイエス独特の静謐さは今一だった。

快活に語る氏の姿勢は印象的で、取り組みには「何より楽しむこと」が大切と明言された。

南国の海と島、着物の少女をオーダーした作品。とても気に入っているとコメントされ、鮮やかさは宮崎県ご出身だけある。
※上掲3葉は端の席から撮りましたため画面が歪みました、、、。

生成AIは色々やってみているが全体として「生活感」の希薄さが課題と仰った。

後段には自らの作品の解説と、在りし日の親族とのことを描いた自筆スケッチ、さらに街で出会う人々のスケッチ作品が多数追加された。

颯爽と自転車に乗る美しい脚の娘さんや主に赤羽駅周辺あるいはアメ横や電車内、あるいは横浜で見た人々の作品が供覧された。
アジアや中南米の人々、ダンサー、変なオジサン、美しい店員、部活帰りの女子高生、格闘家、変わったおばさん、風俗嬢、鎌倉の女性などなどが、「きれいでしょ」「可愛いでしょ」「面白いでしょ」と次々紹介された。
出会った場所ではなく帰ってからサッと描くという観察眼と記憶力(印象力?)、なにより筆力にはただただ脱帽。休憩を挟み納得と笑いが絶えない貴重な2時間だった。

振り返れば後段の亡き家族や街の人々のスケッチはただの自己紹介や作品解説では無かったのではないか。実は無双「生成AI」がなし得ていない、あるいはその先にある、またはアンチテーゼとしての「様々に匂いのある生活感あふれる作品」の提案だったのかもしれないとふと思った。皆さまは如何だったでしょうか。

終えて近くの「サブリーユ」で食事を一緒した。そこでも話尽きなかった。氏はかなり前から老荘思想、特に莊子が良いと傾倒されている。他方、量子力学への興味から下世話な世間話などへも広がった。
あああのように様々な範疇への興味と洞察、そして描くことへの情熱が混然一体となって氏独自の美しい作品へと昇華されているのでは、と食事を一緒した方が仰った。まったくその通りだと思った。

幼少から描くことが好きで、多くのパトロンが付いた氏の作品。それでも描くことより売ることのほうが遙かに難しかったという。

「真実は美しい」という氏の言葉が心に響いた日だった。

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