文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
賑わい創出は第一の目標だろうか 暑さ慣れ?はあるのだろうか。
公民を問わず新しい事業に〝賑わい創出〟の冠がつくものによく出合う。
あるいはそれらを知らせるメディアの見出しに、この文言が見られる。
本日の新聞でオーレンプラザのエントランスにピアノが置かれ、ストリートピアノ風に市民に解放するこころみが紹介されていた。
原則予約だが、空いていればその場で申し込みが出来るという。
公共の場にグランドピアノがあり、市民が演奏できることはとても良いことだと思った。
その素敵な記事の見出しに「賑わい創出」の文言が付されていた。
だが一旦この言葉が用いられると、こころみの印象が重くなり堅さが加わる。
ピアノ演奏もそれを聴くのも「楽しみ」や「挑戦」であり、それだけで十分ではないのかな、と思うのである。
「活性化」も同じ、賑わいとともに地域の悲願であることはよく分かる。
だが多くの事業や試みは、本来人が楽しんだり、憩ったり、交流し、利便を感じたり、元気になる、などのためのものであろう。
内容こそ唯一無二であり、地域活性化や賑わい創出はむしろ副産物で良くはないだろうか。
小さな個人施設、樹下美術館はそれら重苦しい見出しを付けられることはなかった。
おかげで、大変ですが一方で楽しみながら営むこともできるので幸運だと思っている次第です。
昨夕の入道雲。
高さを想像したらちょっぴり涼しくなりました。
台風の影響もなく日照りが続くようです。
さて高温続きのため血液濃縮を生じ、薬剤によっては血中濃度が過度に上がり、対応が必要な症状が現れることがあるようです。
それほど高齢でない方でも、水が不足しているのに渇きを感じない場合があり、怖いなあと思います。
「暑さ慣れ」などということがあるのでしょうか、気を付けなければと、自ら言い聞かせています。
水の摂りすぎも問題になりますので難しいところですが、
この方は水気の少ない、明らかに乾いた舌をされていました。
舌の濡れ方、乾き方に水分の過不足が現れますので、普段から時々観察し、気になったらほかの人と比べてみて下さい。
前髪のこと、おでこを見せる見せない。
何か観たり読んだりすると、それを長くネタに使う。私の良くない癖であるが、狭い日常を生きているためどうしてもそうなる。
本日は連日の材料であるDVD「にごりえ」から、三作品それぞれに主演した女優さんの髪に興味を持ち、そのことを書いてみたい。
まず場面写真から。
十三夜の若奥様おせき、丹阿弥谷津子。
丸いおでこがとても可愛い。
「大つごもり」の女中おみね、久我美子。
病気の叔父一家のために借金をしたいが、その工面が出来ない。
それぞれヒロインの立場は異なり、詳しくはないがしきたりに準じて髪型も異なっていた。
日本髪は非常に装飾的で、迫力がある。各部は前後左右どの視線にも美しく耐えることが意識され、すれ違って振り返えられた場合の、後ろ姿にも非常に気を使ったやに思われる。
さてこのたびの映画の三者三様の髪型に共通だったのは、前髪であり、みな揃えて上げている。
そのことで額がよく見え、これは日本髪の基本の一つにちがいない。
私は前髪を上げている(あるいはおでこを出している)のをいいな、と思うくせがある。
賢そう、涼しそう、大人っぽいうえ、個性がちゃんと表れるようだ。
前髪を下ろす上げるは、勿論好き好きであるが、
「王子さまが来るのを待っている」のと「王子さまを探しに行く」イメージの違いが何となく浮かぶ。
※追加です、王子さまを幸福と言い換えても良いかと思います。
親からもらった可愛いく個性的な「おでこ・額」。
この夏、お嬢さんたちも髪を上げ、涼しい額を見せてはいかがでしょうか。
十三夜の車夫。
過日は、明治時代の底辺の生活をシンボリックに伝える残飯屋を綴ってみた。
それを書物「生きづらい明治社会」で知り、後でたまたま樋口一葉原作、今井正監督の映画「にごりえ」のDVDで見た。
シーンはドキュメンタリーさながらのリアルさだった。
但し書物 明治の古典3「樋口一葉 たけくらべ」に載っている田中澄江訳による「にごりえ」の章には、残飯屋が出てこない。少女は「米屋」に米を買いにやらされ、帰路、ぬかるみで転び、途方に暮れる。その夜、父が今夜は「断食」、と言っているだけだった。
今井監督の映画は、「生きづらい明治社会」で紹介された「最暗黒の東京」(明治21年 松原岩五郎著)の挿絵をヒントに構成された場面ではなかったか、と思った。考えてみれば、考証を研究し資料を活かすのも映画監督の才覚にちがいない。
そして本日はDVD三部作から「十三夜」の車夫です、宜しくお願いします。
慎ましい暮らしの家から嫁いだ先の高級官吏の家で、おせきは辛酸をなめる。せがまれて嫁いだにも拘わらず、学識から作法はじめ生活の隅々を意地悪く指摘され、夫にはいじめられた挙げ句、完全に無視されて暮らすおせきに、唯一幼い長男は生きがいだった。
だが十三夜の月の晩、とうとう離縁を決め子を残して家を出ると、実家に帰ってくる。何も知らず、久し振りの来訪を喜ぶ両親に、嫁ぎ先の惨状と覚悟をおせきは打ち明ける。
物語のもう一つのテーマである人力車でやってくるおせき。
駿河台からお茶の水橋を渡り、上野坂下町の実家へ向かうところ。
セットらしいが、ニコライ堂が描かれた背景と、しつらえの美術は素晴らしい。
この時父は、子を残してきて家族で暮らすのもいずれ我慢が生じるだろう。一方子と暮らしながら夫に尽くすのも我慢だ。
外で仕事が出来る男は、得てして家では的を決めて我が儘に振る舞う。同じ不運に泣くなら、向こうの妻として大泣きに泣いたほうが良いと思うが、どうだと言う。
最後に「お前の口に出さなくとも親にはお前の苦労がわかる。涙はみんなで分けてみなして泣こうではないか」と父親が話す。
この下りは解決策では無いものの、行き詰まった人間の心に響くものと思った。
父親の話に対して、おせきは騒ぎを恥じ、心配を掛けたことを謝り、家路につく。
この後、流しの車夫が登場する。
おせきを乗せた車夫は、間もなく車を止め、今夜はどうも気が進まねえ、降りて下さい、としゃがみ込み一服しようとする。
ふと月が照らした車夫は、かっての幼なじみ禄之助だった。
(車夫役の芥川比呂志は芥川龍之介の長男ですね)
客がおせきだと知った車夫は、身の落ちぶれを恥じ、先刻の無礼を詫び、宅まで届ける、という。
おせきは、偉そうにして貴方の車には乗れない。別の車が拾える上野広小路まで一緒に歩いてくれるかと言って、二人は歩き出す。
極貧者の木賃宿に帰る禄之助、辛い嫁ぎ先へ向かうおせき。
広小路を昔ながらの名月、十三夜の月が照らしている。
以上映画「十三夜」からでした。
今から9年前、テレビで同じ映画を観た時、なぜ車夫がこんなに卑屈なのか不思議に思った。
このたび「生きづらい明治社会」を読み、後に再度DVDで出会い、それが当時の最下層の働き口だったと知り、なんとか物語を理解した。
車夫、嫁の人生、親子の情、物語を照らす名月。ただの叙情ではない十三夜だった。
明治29年に24才で亡くなる前、物語として世の辛さを切り取った樋口一葉に、すごいなあと驚くばかりだ。
(ちなみに今年の十三夜は10月29日だそうです)
残飯は太平洋戦争戦後の闇市でも売られ、人力車は昭和初期まであったという。
本日終戦の日の今夜、妻はNHKBSの再放送「映像の世紀プレミアム 独裁者三人の〝狂気〟」を観ていた。
「にごりえ」の「残飯」。
たびたび登場する書物「銀の匙」の明治時代の子供達は、遊びに学校に無心に明け暮れていた。
一方で凶作や差別、さらに借金に苦しむ農村の困難も少しは分かっているつもりだった。
「おしん」の辛酸は典型かもしれない。
そして書物「生きずらい明治時代」には、都会の底辺事情も詳しかった。稼いだ日銭で布団を借り、残飯屋から残り物を買って食べる人々が居たことを知った。
このたび残飯屋について、偶々求めたDVDでありありとしたシーンが見られたので、とても驚いた。
松沢裕作著 岩波書店 2018年12月5日第3刷発行。
「生きづらい明治社会」 不安と競争の時代の図版より。
以下DVD「にごりえ」のシーン。
立っている男は秤をを手に残飯を計量している。
座っている男は杓を扱っている。
秤に掛けられた残飯がすくい取られたり足されたりするたび、待っている人の一喜一憂が伝わる。
女の子(ヒロインの幼少時代)の番が回ってくる。
帰りを急いだこの子はどぶ板の道で転び、泥に混じった残飯を泣きながら集める。
なけなしのお金を出して他人が残したものを食べる。
限界生活でも、食べられればなんとか生きて行ける。
だがそれも子供のころまでで、「にごりえ」では食べるだけでは生きて行けない人生が描かれる。
密かに運命に苦しむ色街一の美形、お力(淡島千景)は、かっての恋人により、最後は無理心中の犠牲になって終わる。
嬌声絶え間ない街の裏で行き詰まっていく生活、捨てられない業と自我、、、。
一葉作品は文語体で書かれている。
30年以上前に泉鏡花の「高野聖・歌行灯」とともに、円地ふみ子・田中澄江が訳した樋口一葉の函入り本を買った。
当初ちらりと見て、仕舞うばかりたったのを、このたび取り出した。
明治の古典3「樋口一葉 たけくらべ」「にごりえ」
1982年9月16日 学研発行
一部の原文とともに解説が詳しい。
24才で亡くなった樋口一葉の凄さにただ驚嘆するばかり。
ところで私自身、残飯を食べたかもしれない経験が一つある。
満州からの引き揚げで、逃避行の列車を降りて山東半島の青東(親は「ちんたお」と言ってた)港に終結した。
外は水溜まりのテント生活の中、夕食時「めしあげー!」の大声でテントから人が出て食事をもらいに行った。
ある日、姉と私で入れ物を持って、男が運ぶ大きな桶からご飯や汁などを貰った。
なぜか楽しくなり、二人で「めしあげー!」と叫びながらテントに帰った。
あれはそれこそ、どこかの軍か病院、あるいは街中から出た残飯だったかもしれない、とこのたび思った。
申し分けありません、今度は「十三夜」の車夫のことを記してみます。
明治時代の「銀の匙」のこどもと家庭、同時代の貧困家庭の暮らし、今井正監督による樋口一葉の原作作品に見る暮らし。
昨年12月から繰り返し読んでいる「銀の匙」。
明治時代の幼少から青春へ、私小説風に書かれた一冊を興味深く何度も読んだ。
たびたびの小学館版「銀の匙」。
中勘助著 橋本武案内 2015年7月21日第5刷発行。
以下は人見知り激しいの主人公(私)が、小学校へ上がる前に友達になったお国さんを形容した部分です。
お国さんの櫛(くし)は赤く塗って菊の花の蒔絵がしてあった。緋と水色の縮緬(ちりめん)でこしらえた薬玉(くすだま)の簪(かんざし)ももっていた。お国さんはなんか新しいものを買ってもらうと自慢してみせておきながらよく見ようとすれば袂(たもと)へかくしたりして人を焦らせる。私はそんなものを見るたんびに自分が女に生まれなかったことをくやみ、また男はなぜ女みたいに綺麗にしないのだろうとおもった。
かくれんぼでは、あそこに一つ目小僧がいたと、脅かすお国さん。それに怯える主人公。
かと思えば月の夕刻、二の腕を見せ合いながら、互いの肌の美しさにうっとりする。
あるいはヒナ飾りでは、お国さんの家の立派なのに驚く主人公は、雛たちが生きていると思い、丁寧にお辞儀をして笑われるのである。
読む度に、このようにくったくない二人は、どんな家の子なのだろう、としばしば思った。
明確にどこのなになに、とは書かれず、男の子は上京した下級士族の子、お国さんはかなり上級の官吏の娘さんらしかった。
ところで初めて読了したころ、「生きづらい明治社会」という、意外なタイトルの本に出合った。
「生きづらい明治社会」 不安と競争の時代
松沢裕作著 岩波書店 2018年12月5日第3刷発行。
江戸時代から明治時代へ、没落し困窮する下級武士たちのことは学校で習った。ほか明治といえば、おおかた文明開化、富国強兵、自由民権運動くらいしか浮かばない。
生きづらいとは、どんなことだろうと思いながら読んでみると、知らないことばかりだった。
明治は厳しい時代だったと書かれている。
教科書には長屋で喘ぐように暮らす人々の事は無かったと思う。
下層と言うべき貧困家庭では、その日稼いだわずかな現金で「損料屋」から布団や枕を借りて寝ていたという。
あるいは、食事に不自由すると、兵舎や学校から出る残飯を商う業者の量り売りを買って食べたとあった。
このような暮らしを余儀なくされたのは、日雇い労働者、人力車夫、廃品回収者、大道芸人、あるいは鍋釜修理、露天商い、傘や道具の修理などを生業にしていた人々だったらしい。
これらをまさかと思っていたところ、最近、今井正監督による樋口一葉原作「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」の三部作が収められた「にごりえ」というDVDを求めた。
過日の月を見て、かってテレビで観た「十三夜」がとても良かったのを思い出して買った。
今井正 監督作品 樋口一葉原作「にごりえ」。1953年制作
「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」の順で三話が連続して収められている。
提供:独立プロ名画保存会、新日本映画社 2004年10月22日発売。
キネマ旬報1位、ブルーリボン賞1位、毎日映画コンクール作品賞/監督賞作品。
驚いた事に「にごりえ」には、ヒロインの子ども時代の回想で、残飯を買うシーンがあった。
また「十三夜」で、車夫であることを恥じる幼なじみとの場面があり、ああこれなのかと思った。
このようなことについて後ほど続きを記載したいと考えているところです。
ベン・シャーンで一部盛り上がっていました。
6月16日~7月29日まで新潟市美術館で開催された「ベン・シャーン展」。
貴重な展覧会は、診療を休んでもと考えたが、どうしても行けなかった。
幸い親しいT氏は2回もご覧になり、後日図録を下さり、素晴らしさをお聴きした。
7才でリトアニアから父とともに米国へ移民したシャーンの作品には、一種民族の香りがするヒューマニティあふれるのを感じた。
絵画とともに多くのポスター、イラストなどのグラフィックアートが載っている。目を引くのは多様な表情をした線で、鮮やかにモチーフの「らしさ」が簡潔かつ十分に描かれる。
人の何倍もトレーニングを積み、自在な表現を可能にしたにちがいない。
政治や社会の残酷な側面を告発し、一方街中や著名な人物、風景、静物に暖かな眼差しを送っている。色彩画にみられる美しく澄んだ色も素晴らしかった。
出品は丸沼芸術の森からということ、所有者の幸福を想い、社会への貢献に深く敬意を覚えた。
さて、小学校を卒業するころの1954年3月1日、北太平洋マーシャル群島で米国の水爆実験が行われた。いわゆる「ビキニ水爆実験」である。危険水域外でマグロ漁船が空から降る濃厚な放射性物質、死の灰を浴び、23人の乗組員は早くから被爆障害を発症した。
船は「第五福竜丸」。
懸命な治療の甲斐無く亡くなられたのは通信長・久保山愛吉さんだった。
入学したばかりの中学校でも第五福竜丸事件と久保山さんらの容態は、逐一話題になった。原爆よりはるかに強力な水爆というものが登場したこと。被爆すると間もなく食事が食べられなくなり、吐き気下痢を生じ、皮膚のただれが起こり、衰弱感とともに次第に髪の毛が抜け落ちる放射線障害の恐ろしさを知った。
帰国後、国を挙げての治療は困難を極め、逐一ニュースとなり、ご家族のことも報じられ、中学生になったばかりの私たちははらはらした。
久保山さんは半年後に亡くなり、伝えられる氏の言葉「原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい」には大きな無念がこもっている。
第五福竜丸事件を書いた絵本「ここが家だ」
絵:ベン・シャーン 構成・文アーサー・ビナード
文中から
「久保山さんのことを、わすれない」と
ひとびとは いった。
けれと わすれるのを じっと
まっている ひとたちもいる。
ひとびとは 原水爆を
なくそうと 動き出した。
けれど あたらしい 原水爆を
つくって いつかつかおうと
かんがえる ひとたちもいる。
実験は その後 千回も
2千回も くりかえされている。
話変わって、熱心な地域活動をされ、時折樹下美術館を訪ねて来られる方が、
昨年春、〝私はベン・シャーンが好きです。彼の展覧会で「ラッキー・ドラゴン(第五福竜丸)の作品を観てショックを受け、以来美術に興味を持ちました〟と仰った。
樹下美術館の図書にベン・シャーンは無く、今冬上掲の本と、以下の2011年12月~2013年7月まで全国4カ所を巡回した展覧会図録を購入した。
261ページの図録
「ベンシャーン クロスメディア・アーティスト」
-写真、絵画、グラフィック・アート-
新鮮で明解、明晰なベン・シャーンは多くの芸術家に影響を与えました。
氏の絵は見やすく簡潔でとても親しめます。
上記三冊ともカフェの図書に置きたいところですが、コロナを恐れ、図書閲覧を中断していますので、とても残念です。
図書閲覧が危険とは、コロナウイルスの残酷な一面ですね。
本日は降ったり止んだり、気温も下がり梅雨に戻ったような一日でした。
そんな日にご来館された皆様、有り難うございました。
仕事休みの暑い午後、再び一人でハーフを回った。
本日日中の気温は上昇し、上越市髙田の最高気温は13:47に34,7度ということだった。
空さえ問題なければ、夏は暑ければ暑いほど外へ出たくなる性分。
本日午後は仕事休みなので、近くの米山水源ゴルフ場へ行き、1時15分ころからカートを使ってハーフを回った。
くれぐれも暑さに気を付けて、と言ってゴルフ場から500ミリリットルの冷たいボトルが出た。
二年前から問題を起こしていた左手親指の付け根の痛みが和らいできたので、本来のグリップに戻すと幾分打球が安定してきた。
4番ショートホールの木陰で、頂いた「熊野古道水」を飲んだ。
当地ではこの頃が最高気温だったらしい。
途中の販売機でスポーツドリンクを買い、1時間40分のラウンド中1000ミリリットル飲んだ。
6月25日に次いで二回目の一人ハーフ。暑さでコースは空いていて、とてもリフレッシュ出来た。
費用はトータル4650円だった。
長いコロナの梅雨にシャングリ・ラ(Shangri-La)。
長い梅雨、全国を支配するウイルス感染症で、明るかるべき夏がまったく冴えない。
こんな日にシャングリ・ラ:Shangri-LaをYouTubeから曳いてみました。
ザ・レターメンによる「Shangri-La(シャングリラ)」1969年。
貴方との時間は一瞬一瞬がシャングリラ、と歌われる。
ウィキペディによれば、Shangri-Laはイギリスの作家が1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場するチベット奥地の理想郷だという。転じて、一般的に桃源郷やユートピアとしても扱われている。
Shangri-La 1963年。
庭でカサブランカが咲き始めた 「As Time Goes By(時の過ぎ行くままに)」と飯吉馨さん。
傘マークが付いた日だったが、ほとんど降ることは無かった。
7月の連休初日、Go-Toキャンペーン初日でもあるこの日、樹下美術館に居る限り静かに過ぎた。
長く降り込められながら懸命に咲いたテッポウユリが終わり、代わって庭にカサブランカが華やかに登場した。
花弁の先端をひるがえして大きく開くこの花は、数はテッポウユリより少ないものの香りが高く引力は強い。
梅雨時に咲くなど気の毒な面をもちながら、
百合たちは一生懸命生気を振る舞う。
1970年代、日本のヤマユリを基にオランダで誕生した品種と言われる。
さてこちらは映画「カサブランカ」のテーマ曲「As Time Goes By(時の過ぎゆくままに)」です。
同じカサブランカですが、1942年に制作された映画の方が先のようです。
映像は現代のようですが、歌は1961年のベギー・リー。
以下は上越市出身のジャズ・ピアニスト故飯吉馨さんのCDジャケットの写真です。
氏は当地新潟大学藝能科でクラシックを勉強後、ジャズ・ピアニストの世良譲氏に師事。その後著名な奏者のコンボに参加、後に自らのカルテットを結成。NHK「音楽の広場」では森山良子とともにレギュラーを務め、テレビ朝日「題名の無い音楽会」などの出演で親しまれました。
一方でスタジオ・ミュージシャンとして録音演奏のほか、相良直美、森山良子、ガロほか数多くのアーティストの編曲を手がけ、さらにビクター音楽カレッジほかで後進の指導に当たりました。
ハンサムな人であり、かってサンヨーレインコートのCMにご自身が出演されたことがあります。
〝GREAT ART BEAKEY〟
Sep.29.1997 Live at Victor Music Collage
KAORU IHYOSHI Dreaming Piano FPD-5006
のプロフィール。
演奏会やライブは、しばしば「As Time Goes By」で始まり、氏のテーマ曲ではなかったかと思う。
当地でホームコンサートがよく開かれ、私どもへも何度か訪ねて頂き、弾いて下さった。
後年氏が出演し、著名人が集まった東京青山のピアノバーを時折訪ねた。ご常連という井上順氏が来られると、「駆けつけ三曲」などと言ってはこの曲を歌われた。
ある日順氏はマイクを握ると、以下の話を披露された。
〝カサブランカの映画制作で主演のハンフリー・ボガードがロケ先のカサブランカへ行くことになった。関係者に服装の事を訪ねた所、案外寒いと助言を受けた。そこで少々厚着をして空港に降り立ったところ現地は暑く、タラップを降りながら思わず「かさばらんか」と言った〟と話し、みなを笑わせた事があった。
そもそも1942年のこの映画は第二次大戦開始直後の制作であり、現地ロケなどはしてなかったという事のようです。さすが井上順さんです。
ちなみに映画が作られた年の2月、父が勤務していた満州奉天(現中国瀋陽)の満鉄病院の一室で私は生まれたようです。
去る日曜日午後の柏崎行き その2市立博物館から木村茶道美術館へ。
去る7月19日日曜日の柏崎行きの続きです。
前回は大潟区犀潟の圓蔵寺の大日如来像と作者の石工高橋一廣を考察した冊子を、さらに海辺の青海川駅の様子を綴らせて頂いた。
梅雨の合間の貴重な晴天のもと、半日足らずの隣市の探訪は楽しかった。
大橋と海を見る旧街道の高い所に、円形の出羽三山参拝の供養塔{巡拝碑)があった。
最も信仰厚い湯殿山を真ん中に左羽黒山、右に月山。
一帯の随所に西国や秩父そして出羽三山の巡拝供養の石塔が見られる。
青海川駅のすぐ手前の青海神社下に大正元年と読める庚申塔があった。
庚申行事としては遅い時代くまで行われていた模様で感心した。
14時半すぎに柏崎市博物館へ。
ショップを見ると小生の絵はがきが販売されていた。
古い統治、農魚業と生活、町と村、信仰と祭、鉱業(石油)、地質、戦争(大戦、鯨波戦争)、地震災害、生態系、現代の文化・芸術とスポーツなど、風土とその歴史が網羅され興味尽きなかった。
生活史や信仰では、米山を東西に挟む上越市柿崎地域との往来に納得し、格調高く展示された木喰仏は特に心うばわれた。
明治期の火災で閻魔堂内から救出された閻魔様。
館内ではこの像のみ撮影が許されている。
庚申塔は生活の安堵の証しのように感じる。大規模な凶作や災害のもとでは講は維持出来なかったに違い無い。
そんなことから塔とその周辺の風景を眺めるとき、ひと事ながらほっとするのを覚えるのである。
当日最終の目的は木村茶道美術館でお茶を飲むことだった。
15時45分ころ赤坂山の駐車場に入った。
コロナの世相で果たして開館と呈茶はどうなっているのか、遅い時刻でもあり気がかりだった。
相変わらず手入れの良い壮大な庭を急いで美術館へ上がると、受付の方が4時半まで大丈夫です、と仰った。
待合に正岡子規の短冊が掛けられている。
夏帽や不起とはされて濠に落つ
(夏帽やふきとばされて濠に落つ)
夏の流動する大気がよまれていた。
庭に面した竹の長椅子に座る間もなく、最後の席が始まった。
もったいないことに、私一人のために裏千家の方がお点前をされた。
席主さんの説明では、コロナのために南北の戸を十分に開け放ち、小人数ずつ分けて座り、マスクをしてのお点前を続けているという。
私どもも今週末、呈茶の予定があるのでとても参考になった。
穏やかなお点前で美味しいお茶とお菓子を頂いた。
手付の竹筒花入れに、矢筈薄(やはずすすき)、白花秋海棠(しろばなしゅうかいどう)、金水引(自信がありません)が涼しかった。
向こうの菓子器は現在同館で展示中の神山清子作の信楽。
神山さんは同市に縁があったとお聞きした。
茶杓は宗旦作銘「弁慶」、黒中棗(満田道志作)、茶碗は三代道入(ノンコウ)の黒楽平茶碗。
ふと訪ねてノンコウのお茶碗で服すとは!
夏のお席で黒味のお道具は心引き締まり涼やかだった。お道具組みは表千家のお仕事ということ、感心しました。
5時間に満たない柏崎。西の一部を巡っただけですが、海、山、博物、お茶とお菓子など沢山頂きました。
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