文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ

初冬の大潟水と森公園 SPレコードを聴きささやかな食事会。

2022年12月10日(土曜日)

日中温かかった日、大潟水と森公園を歩き、夕刻から美術館で普段忙しい方たちと久し振りに食事をした。

 

実を落として冬を迎えるムラサキシキブ。

ガマズミはまだ真っ赤。

普段見かけなかったオヤマボクチが熟れた実になって
現れた。

 

エナガかと思った後ろ姿はシジュウカラだった。

 

四時半ころから3組の夫婦が集合、蓄音機を回してSPレコードを聴き食事をした。

カフェに掛かるHさんから毎年届くリース。

今夜のHMVはことさら澄んだ音を奏でた。


ディヌ・リパッティのピアノ「ショパンのワルツ第10番から」
アンコールで二回掛かった。上掲は1950年の音源。

スタッフが用意したホットサンドを半人前ずつ。

妻が用意したカボチャのスープ。

頂き物のお菓子。

シューベルト冬の旅からエレナ・ゲルハルトが歌う「おやすみ」もとても良かった。いつもながら聴き応えのあるレコードを持参されるA氏のセンスに深く癒やされた。

お茶と軽食でほどよく食べ、古き良き音楽を聴いた夕べだった。

荒れた日 ナタリー・コールの「Nature Boy」 映画「島の女の」テーマ「いるかに乗った少年」。

2022年12月6日(火曜日)

強風の火曜日。素晴らしい虹がときおり掛かりましたが、あいにくカメラも携帯も持ち合わせていませんでした。
また掛かることでしょう。

 

荒れる渋柿浜。

 

さて前回ナット・キング・コールが歌う「Nature Boy」という曲を載せました。
本日は娘さんのナタリー・コールの「Nature boy」を載せました。とても澄んだ声ですね。

Nature boyの邦題は見当たらず、あえていえば自然児、自然からの子、遙か彼方から来た少年、などが浮かびますがしっくりきません.「Nature Boy」そのままで良いのでしょう。

 

以下は同じように歌のタイトルに「少年」が付く「いるかに乗った少年」です。
こちらはギリシャの海底に眠っていた黄金の「いるかに乗った少年」像を発見した海綿取りの女性と、像を巡る顛末を描いた1957年制作の映画「島の女」の主題歌です。


「島の女」のワンシーン。
主役はアメリカ映画初主演のソフィア・ローレン。
一世を風靡したジュリー・ロンドンが歌う主題歌「いるかに乗った少年」

歌はギリシャの歌「イナフトール」が原曲で英語に変えられ「いるかに乗った少年」になったということ。さまざまな国で歌われましたが、イナフトールは、愛とは何、という意味のようです。


パラグアイのロス・パラガヨスによる主題歌。

海底に眠る黄金を自らの愛になぞらえ、主人公(ソフィアローレン)はアラン・ラッド演じる考古学者へと心が傾いていく。
この曲が入ったロス・バラガヨスのカセットを長く車中で聴きました。

よく晴れた土曜日の鳥たち 「夢見る頃を過ぎても」。

2022年12月3日(土曜日)

予報の通りに良く晴れた土曜日、午後は鳥を見に新柿線を走った。

水田のあちらこちらにコハクチョウのグループが見える。国道8号線に出る手前に小さなグループがiいて、撮っているとタカが一羽飛んで来て近くの電線に止まった。

 

外に出たなら飛び立つので車内からグラズ越しに撮った。
詳しくは分からないのですが、ノスリでしょうか。
それにしても随分大きく見えました。

 

飛び立つとハクチョウたちの頭上でホバリングを始めた。
ハクチョウを狙っているのか。

 

急降下して一羽を襲った。
ハクチョウはすかざず翼を広げ威嚇した。
(直ぐにはピントが間に合いませんでした)

狙われた鳥は無事だったが、自分の何倍以上もあろうかとという相手をも狙うタカの猛禽ぶりにびっくりした。

夕刻はねぐらに入る鳥を見に朝日池へ。

田んぼでの食餌を終えて続々と池に帰ってくるコハクチョウ。

 

 

段々と数が増えてくる。
対岸の米山水源カントリークラブのホテルの明かりがきれいだ。

 

白鳥がコウコウ、雁がカリカリ、鴨はガアガア。
このあと雁が帰り湖面は鳥の幸せの声でいっぱいになる。
(16:35頃)

 


リンダ・ロンシュタットの「When I Grow Too Old to Dream」
邦題「夢見る頃を過ぎても」
セサミストリート時代の名優カーミットらと一緒。

1946年生まれのリンダは1970~80年代に世界で最も売り上げた歌手と言われ、グラミー賞ほか2019年ケネディセンター-名誉賞を受賞している。ロンシュタットと名乗るように曾祖父がドイツ移民。

温かかった日 Sちゃんのポストカード。

2022年11月29日(火曜日)

上越市髙田で最高気温22,9℃、最低でも16,6℃と非常に温かかった日。

一ヶ月予報は温かいと伝え、三ヶ月予報は雪が多めと伝えている。一昨年のようなドカ雪はもう勘弁してもらいたい。

以下のポップな女の子のイラスト(ハガキ)は卒業制作で来ていた孫Sちゃんの作品。

 

 

どこかSちゃん自身に似ている。

猫の絵を描いていた子がこんなカードを描けるようになっている。地味色といい、色の単純化、肩と腕の動き、顔角度のバリエーション、横並びのリズムなどいずれも良く、この子にはセンスがあるのかな、と思ってしまう。

今後色々沢山のものを見てさらに磨きをかけてもらいたい。

小林古径記念美術館の「芸能科の記憶」展。

2022年11月18日(金曜日)

昨日、上越市の小林古径記念日館で開催中の「芸能科の記憶」、 学び舎から飛び立った作家たち展を観てきた。

上越地域と新潟大学教育学部髙田分校、なかんずく芸能科との関係や親しみには深いものがある。特に学校があった旧高田市はこじんまりした地方都市だが大学、それも芸能科(芸術科)を有していることに、ある種名誉や品格といった、どことなくスノッブな雰囲気を漂わせていたように思われる。

私事だが大学との距離の近さで言えば、姉、自分、弟の中学校は髙田分校の附属中学校で、校舎は本城(もとしろ)の大学芸能科と敷地を同じくしていた。また中高時代に世話になった髙田の下宿のあるじは西城の教育学部の事務職で、隣の部屋にはKさんという同校の学生さんがいた。

中学校に隣接するレンガ壁の音楽練習室から絶えず学生のピアノや声楽が聞こえ、学校給食は芸能科に隣接する厨房で作られたものを渡り廊下を通って当番が教室に運んだ。
めったに入る事が無かった芸能科合唱室は講堂のような作りで、卒業実習生の発表会を一回だけ聴いた。その時、卒後ジャズピアノの道を歩まれた飯吉馨(本名:信・まこと)さんのクラシック演奏を聴いた。

中学校校舎の東端は保健室で、その先は学生寮(公孫寮)に繋がっていた。寮は常に静かで近寄りがたく(昼間は誰もいないこともあり)、一方で何か秘密めいた雰囲気がいつも漂うのを感じていた。

ついでに言うと、高校一年生の時に校舎が火災に遭い、何ヶ月か西城(にししろ)の大学校舎を間借りしたこともあった。

 

以下このたびの展覧会会場の一部の様子です。

 

山ノ下堅一「大学祭ポスター」(シルクスクリーン)」
1974年11月15-19日、季節はちょうど今ごろの開催。
時間が止まったような懐かしい時代。

髙田分校芸能科は1982年に閉校になったが、展覧会は閉校後40周年を記念して多くの高名な教官および卒業生による全52名の展示で構成されている。
在学中の熱さ、卒後の我が道それぞれが一堂に会し、原点である教育を通して始まる芸術への情熱が、静かな館内いっぱいに溢れんばかりだった。

68年前、一緒に附属中学校へ入学した内山順一君(一嶽)は元気で、氏の書「酔月」はとても良かった。

樹下美術館が展示する齋藤三郎は同学で長く陶芸の講師を務め、自らの陶房を教室とするなど熱心な指導を行っている。当展覧会に大きな壷が展示されていた。

昭和29年(1954年)3月、教え子たちとの送別会。
後列左から3人目、齋藤三郎。

同展は12月18日(日曜日)まで開催です。とてもきれいに庭の紅葉がライトアップされていました。

今夜のルナ・ロッサ 赤い月。

2022年11月8日(火曜日)

今夜の満月は皆既月食、しかも天王星食も起きる貴重な空だった。

だが残念ながら予報も現実も雨降り。但し雲や予報から西、例えば糸魚川は晴れと出ていた。時間は十分にある、夕食を済ませると車を駆って高速道路を西へに向かった。私は尻が重いのか軽いのか、こんな時は特に分からなくなる。

名立や蓮台寺のサービスエリアはいずれもパラパラと降っている。親不知もダメでとうとう朝日ICまで来てしまった。
幸い雨は止んでいたのでこれ以上は止めにして降りた。勘を頼りに田舎道へ入り農道に出て見上げると高い雲間に赤い月が見えた。

今夜の皆既月食(20時すぎ)。
こんなにしてまで観たいのかと、自問はあったが、
来て良かった撮って良かったと思った。


リュシェンヌ・ドリールのシャンソン「ルナ・ロッサ(赤い月)」
“おお赤い月よ、夜の女王よ”と恋心を訴える
(サイトの歌詞から)。


ヴィック・ダモンがスペイン語をまじえて歌う「ルナ・ロッサ」
ヴィック・ダモンはフランク・シナトラに、声が良すぎるのが
欠点と言われたという話を昔読んだことがある。
良い声のどこが悪いのか、とシナトラに反発を覚えた。

テラ・ロッサはブラジルの赤い土、ルナ・ロッサは赤い月でシャンソンだと、高校時代の地理で恩師Y先生から教わった。Y先生は良い先生だった。

朝日の月は雲で見え隠れを繰り返し、天王星の食は観られなかったが心に残る異国の夜空だった。
※ネットで天王星食の写真を見たがとても小さくて、私には無理だと知った。

次回はここで降り入善のコスモホールでアンサンブル金沢を聴くことにしようと思った。

先週末の種々。

2022年11月7日(月曜日)

このところ土日のブログをさぼり、月曜に「先週末の種々」などとまとめて二日分を書くことが目立ってきた。週末は書くことが多くなる一方体を休ませたいのをその理由にしている次第。

さて先週金曜日にはシュターミッツ弦楽四重奏楽団&市村幸恵さんのコンサートがあった。翌土曜午後はクラシックファンのA氏が見え、前夜のコンサートが如何に素晴らしかったかを逐一語った。
内外の有名ピアニストを聴いている人が、何より市村さんのピアノを第一番に褒め、ピアノであんなに美しい音色を奏でる人は滅多にいないと絶賛する。
熱演の第一バイオリンかアンサンブルを褒めるのかと思ったのが、ピアノをまっ先に挙げたのには正直びっくりした。
たしかに当夜の市村さんの演奏には色や輝き、香りや感触などが漂うのを折々感じ、演奏は冴えていた。

当夜演奏直後、知人のB氏一人が控えめなブラボーをし、A氏が一人スタンドして喝采した。コロナで大声は控えられているが、感動に駆られてするスタンディングは演奏者と聴衆が感動と感謝を分かちあう優れたマナーだ。だが立つなり後ろの席から「立たないで、立たないで」と言う声がして、がっかりしたとA氏は嘆いた。

いつか上越でも演奏者の感情を遮る楽章ごとの拍手が控えられ、盛大なブラボーと大いなるスタンディングオベーションで終わるコンサートがあることを夢見ている。

さて週末の目撃です。

A氏のお土産髙田稲田の名物鯛焼き。

病癒えて再び来館されるようになったC子さん(89才)の靴。

翌日曜日は髙田方面へ二つの用事で行った。
先日あるお茶人から無地の木製の建水(湯水を捨てる器)にモミジの絵を描いてと頼まれていた。

数年前の茶会で桜の花びらを描いてと言われ、花を散らした意匠をアクリルガッシュ絵の具で描いた。今度のモミジは花びらとは違い簡単ではなさそうであり緊張し、大嶋画廊で足りない絵の具を求めた。

ジョーシン電気は帰路に寄った。今春求めたコンパクトカメラが突然スイッチが入らなくなったためだった。
それがカメラ売り場で充電ケーブルにつなぐと直ぐに動いた。家のソケットの差し込み不十分という他愛ない原因だった。落ち込んでいたのでほっとした。

以下は夕刻の大きな雲と月

大きく悠々とした積雲は魅力的。

東の空で陽をを浴びている雲の上に出た月。
明日皆既月食があり天王星食も起きるという。
18時過ぎから20時40分過ぎまで、お天気に恵まれるように。

皆既月食中に起きる惑星食は今後2235年まで見られないという。果たして写真に撮れるだろうか、この間だけでも晴れてほしい。

 昨夕食、佐渡のイチジクのサラダ。

市村幸恵&シュターミッツ弦楽四重奏団、素晴らしかったの一言。

2022年11月4日(金曜日)

今夕上越市内オーレンプラザで開催された市村幸恵&シュターミッツ弦楽四重奏団は素晴らしかった。クラシックのコンサートは何時が最後だったか思い出せないくらい久し振りだった。

6時半開演、その前6時15分からのプレトークも聴くべく仕事を15分切り上げて終了、雨と駐車場の空きが気がかりでタクシーを使った。そのタクシーも久し振りで何故か気恥ずかしく終始黙って座った。

プレトークにやっと間に合う時刻の到着、ほぼ満席の入りでびっくり。これだけ入ると否応なく演奏への期待が高まる。全館自由席なので最前列近く右端に空いた席に座った。

プレトークでマイクを握った市村さんは、人生の半分以上をチェコで過ごした事になる。チェコの演奏家は素朴で温かい、と述べられ、弦楽四重奏は緻密さが求められ、寸暇を惜しんで練習しかつ挑戦を続けていると説明され、巻き舌を使う“ドヴォジャーク”の発音法をやって下さった。

演奏が始まるやピアニシモは静謐で甘美、フォルテシモは弦が切れはしないかと心配になるほど力強かった。プログラム1(p1)のシューベルト「四重奏断章」は緩急、陰影鮮やかに奏でられ、作曲者の悲喜に引き込まれる。
p2ドヴォジャークの代表曲の一つ「アメリカ」は米国にあって祖国を愛し慕って歌う牧歌として心に伝わった。
いずれの奏者もあざやかに歌い、アンサンブルは勿論、折々かすめるように入るソロも美しく音楽がゆらめき立ち上がる。詳しくはないが熱演を伝えるホールの響きも良かったのではないか、と思った。

あっというまに休憩。
靴の音がすると女性が来て、もう少し後ろに座りませんか、と言う。美術館のスタッフだった。隣に座ると目線が上がってとても見やすい。
休憩で席を立ち、ホワイエに出た。すると美術館のご常連、クラシックファンのお客様三人と次々に出会い、そろって素晴らしいと仰る。切符を買ってもらった後援者の一人として嬉しい笑顔だった。

後半のp3はやはりドヴォジャークで、ピアノ五重奏曲。市村さんが初めて加わる。
第1楽章半ばに可愛い旋律をピアノと弦楽器が優しく会話をするようなシーンがあった。リリカルで涙がにじんだ。市村さんのピアノは時に流麗時に勇壮、弦楽四重奏を鮮やかなオーケストレーションをもって支えきった。

最終p3のフィナーレ後、声が飛びスタンドする人がいた。館内いっぱいの拍手が続き、アンコールは初めて耳にする愛に関する穏やかな曲で終了した。
ホワイエでアンケートに「素晴らしいの一言 市村さんは晴れて大御所になられました」と記載した。

非常に良い一夜であり、弦楽四重奏、そしてピアノ五重奏は知的で格好良く、コロナと戦争にすさぶ心を深く癒やしてもらった。
次回、来日されたならば是非ともまた聴きたい。

タクシーが時間通り来てくれたのも有り難かった。

「アメリカ」のイントロがずっと耳に残って歌っている。

11月上旬、二つの催し。

2022年10月27日(木曜日)

秋は一通りのお天気をずらりと並べたあと間もなく晩秋へと移ります。
11月上旬、当館に関係ある方達の二つのイベントが予定されています。本日はそのお知らせです。

●一つめ、上越市吉川区出身のチェコ在住、市村幸恵さんピアノ
&チェコが誇る「シュターミッツ弦楽四重奏団」の演奏会です。
・開場:髙田城址公園オーレンプラザホール
・期日:11月4 日(金):17時45分開場、18時15分プレトーク、18時30分開演
・プログラム:ドヴォジャーク「弦楽四重奏曲第12番アメリカ」および「弦楽五重奏曲第2番」
シューベルト弦楽四重奏曲 遺作 ハ短調 第12番
・入場券:一般前売り3000円、当日3500円(樹下美術館でも購入できます)
※市村さんはチェコ留学に際し、小生の義兄で医師の、チェコ文化研究家・関根日出男氏と親交され出発されました。

 重厚な歴史の上に奏でられる平和への願い。

●二つ目大橋設計工房、大橋秀三氏の「住まい展」は無印良品 直江津店で。
・時期11月5日、6日 13;00から16:00
・ひょんなことから実現した催し。家具売り場でお話と展示です。

大橋氏のセンス「樹木の風と手作りの家。清潔な木綿の風合い」。
これらは建築にどう生かされるのでしょう。
16年前、氏が設計された樹下美術館は今でも新鮮です。
大橋氏と私は1998年、市村さんの渡欧壮行の演奏会で出会いました。

長野から再びお客様 入院の種々(くさぐさ)。

2022年10月22日(土曜日)

【長野県からのお客様】
去る18日、長野市から団体で来館された男性が、今度は奥様連れで本日再び来られたと聞いた。樹下美術館が気に入ったからということ、何と有り難いことかと喜びました。

本日お客様の話で、先日の皆さまの熱心な鑑賞態度はどこへ行っても同じと、伺った妻の言葉。さすが勉強熱心な長野県人だと感心しました。どうか季節が変わりましたなら又お寄りください、お待ちしています。

【二泊三日入院のわけ】
さて前年発症した心筋梗塞による入院は夜間の救急搬送だった。当直医の応急処置と診断後、冠動脈拡張術のため循環器内科医師とスタッフが招集され、深夜に掛けておよそ3時間カテーテルによる造影検査と処置が行われた。
慌ただしく動く皆さんに囲まれながら、当の私は不整と微弱で必死の心臓をよそに終始ぼんやりしたまま身を投げだしていた。

そして今回1年2ヶ月通院の後、10月19日午前、予約通り受付と循環器内科外来で手続きし、9時半に病室に入った。付き添った妻が帰ると直ぐに病衣に着替え点滴が始まった。

この度は検査前後の一日半、生理的食塩水(生食)を主とした持続点滴を受ける。私のように元来腎臓に一定の問題がある人間が負担が大きい造影検査をするには、臓器への負担が無い生食を投与し続けて造影剤による負荷を薄め軽減を図らなければならない。
外来で、あるいはせいぜい一泊入院で済む検査を二泊三日かけて行うのは、腎保護を考えてのことだった。

 

とても若い看護師が射した点滴部位。
これだけで前後6本の持続点滴が受けられた。

 

三本目から連結になった点滴。

【岡倉天心の本】

持参した「茶の本」(The Book of Tea)。
岡倉天心著 立木智子訳 平成6年淡交社発行。
明治39年英文による著作は欧米で販売され反響を呼び、
以来多くの訳本も出版されている。

原著を読んだことも見たことも無いが、この本から明治時代にあって、岡倉天心の英語力と深く膨大な教養に驚かされる。アメリカ留学歴がある天心の欧米人への訴え方は洗練されていて、いま我が国で日本文化と固有の美をこれほど上手く伝えられる人がいるだろうか、と考えさせられた。

訳者の言及にあったが、明治の文化人たちの教養は凄まじいものがある。このことは時々お会いする二代陶齋・齋藤尚明氏もよく指摘される。

このたび、これまで途中で投げ出していた本を点滴しながら二回読むことができた。
昭和62年から下手の横好きのまま続く私の茶。何らかの形でずっと続けていたいと痛切に思い、そのためにも我が心臓と腎臓にはもう少しのあいだ頑張ってもらいたいと心の底から願った。さらに天心の晩年の山荘であり終焉の地でもある妙高市赤倉に建立されている岡倉天心六角堂へ、是非とも行かなければならないとも。

本日は時間がきましたのでここで終了させてください。
後日この続き【働く病院スタッフ】【点滴をしたまま衣服を着替える】、【寝不足の原因】、【検査と結果】などを書いてみるつもりです。

2025年4月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

▲ このページのTOPへ