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新潟市で二つの展覧会と中華の半日紀行。

2023年2月26日(日曜日)

新潟市の新潟絵屋で館長さんである大倉宏氏の作品展が行われている。大倉さんは2018年にかってご自分の所で開いた塩﨑貞夫さんの展覧会を樹下美術館でも行うことを勧めて下さった方。

芸大出の氏は優れた美術感覚と均衡が取れた心の持ち主。2000年から「良い美術」への親しみを願い、有志と共にNPO法人新潟絵屋を立ち上げ、市内の砂丘館、見附市の美術関連施設の指定管理者となり、今日までたゆみない活動を続けられている。
均衡が取れた人と書いたが、渚を思わせる穏やかな印象とともに、私などは及ばぬ忍耐の持ち主ではと畏敬の念を覚える。

本日は大倉館長さん自ら制作された作品展へ出かけた。

以下久し振りの新潟市の様子をまじえて半日紀行のご報告です。

絵屋入り口。愛らしい祝花と「開廊中」の丸看板の「絵屋」エントランス。

展覧会案内。館長自らの揮毫は美的。書展を期待したくなる。

透明水彩の小さな作品は繊細かつ単純で心癒やされる。館長そのものの魅力。
町屋利用のこじんまりしたスペースで、入場無料のため散歩がてらふらりと入って来られる人がいる。心ざしは高く入館のハードルはとても低い画廊。

絵屋を後に砂丘館へ。

開館中?と出ている。

絵屋は町屋だがこちらはかっての高級公務員のお屋敷。

ボランティアさんがあしらうのか、いつも随所にお花が丹精されている。

催事は近年まだ若くして故人となられたジャン・フランソワ・ゲリーの写真展。多くが銀塩写真による流木がモチーフだった。解説文に「生き生きと死んでいる」という表現がある。

 

流木の写真についての映像を鑑賞するコーナーを観た。

私が行く一帯の海岸もよく大きな流木が上がっている。オブジェとして見映えのあるものは生きものを連想させる。
だが時として長い旅の途中で休息をしているのではと思わせるものや、何かを訴えるために上がってきたのか、というものまである。

 

 

上掲2点はY字路。ご覧の方も多いと思われるが新潟市は見応えのあるY字路が多いと思う。砂丘館近くの建物はともに坂の動きとあいまって並々ならぬ存在感。

新潟市なら海も見たい。

冷たい強風が吹きつけ、すぐ車に戻った。新潟市と砂(砂丘)は切っても切れない縁。

新潟市は美味しいものが沢山あるに違い無い。本日出かけたのも数日来急にホテルの中華が食べたくなったからでもあった。
ANAクラウンプラザホテルの中華「天壇」で夕食した。

ホテル駐車場から見たメディアシップ。

65才以上というメニュ-があった。品数はかなり多いが量が少なく安価に設定されているのでまことに有り難い。

クラゲと野菜のサラダ(二人分)。

一人分の蟹の爪揚げ。

大好きなピータン(二人分)。

初めてのあんかけチャーハン。
(二人分)

久し振りの外食で妻はビール、私はノンアル。
綺麗な場所で上掲ほか数品いれて税込み一人6500円少々。外は寒かったが、良い展覧会を観て念願叶った中華にありつけた半日だった。

“良いものを観たり聴いた後の食事はひとしお美味しい”

「汽車」の作曲者、大和田愛羅氏のご縁者から雀の写真の所望。

2023年1月30日(月曜日)

過日千葉市のある方からお手紙を頂いた。
その方は東京音楽学校のご出身で音楽家、作曲者大和田愛羅(1886年3月24日 – 1962年8月11日)のお孫さんだった。 数年前に音大の草創期の指導者小山作之助の墓参と中学校の作之助胸像をご覧になられ、樹下美術館を訪ねていだいていた。

ご自分はチェロを教えておられ、後にお仲間と再度樹下美術館をお訪ね頂いた。来訪のたびに大好きなスズメの絵はがきをお求めになられたという。
このたびのお手紙には、大和田氏の没後60年を記念して氏が手がけた曲から110の楽譜を選び出版することになったこと。当時の唱歌、童謡は山河、鳥や動物など自然のテーマが多いこと。そこで楽譜集の裏表紙などに好きなスズメの写真を載せたいがお願い出来きないか、という主旨がしたためられていた。

このところの寒波でひもじいスズメ。そんな時スズメを愛する人から可愛い写真をというお話はなんとも温かかいものだった。私の雀ファイルには沢山写真はあるが、いざ可愛いものとなると中々難しい。なんとか7,8枚を選び2L版にプリントして、明日投函することにした。


大和田氏作曲の「汽車」

4才と6才年下の弟妹は幼き日の春秋、野尻湖行きの車中、片言交じりでこの歌を歌った。

大和田氏のご尊父は都内の医師だったが、事情により愛羅氏は新潟県村上市で養育されている。東京音楽学校の卒業後は国立音楽学校、東洋音楽学校で教鞭を執られ、これらの間に多数の童謡、唱歌および学生歌や校歌を作曲されている。

小山作之助とはほぼ二世代後の音楽家に相当され、新潟県にゆかりもあり、わざわざ当地をお訪ねされた。そしてこのたびは拙スズメ写真をと仰る。何とも有り難いことと感謝に堪えない。

冬に希な晴れ間。

2023年1月11日(水曜日)

予報通りに晴れた本日、午後いつもの特養を回診して樹下美術館に寄った。

真っ青な空、頬なでる風はまだ冷たかったが目に入るものは皆くっきり鮮やかだった。

板囲いのカフェの前だけわずかに雪が残っている。

本日も裏の土手でフキノトウを探してみた。小さな流れのふちに4つあった。

土手沿いに行くと黄色の花が咲いていた。馴染みの無い花だが可愛い。せせらぎの音が聞こえるこの場所は日当たりも良く、野の花の特等席にちがいない。調べてみると「キンセンカ」らしい。自生しているのだろうか。

午後の仕事時間までアプローチの練習をした。


青森県八戸市立根城中学校
合唱部(平成元年ころ収録)

美しいコーラスだと思ったら1985年度世界アマチュア合唱コンクール世界第2位、NHK全国学校音楽コンクール全国優勝8回の学校だった。良い指導者がいたのだろう。

 

さてカレンダーの冬は今ちょうど半ば。寒の内なのにこんなに晴れるとは。本当の春になったら、待ってと言うヒマが無いほど季節は早足に回り始める。

今冬、ドカ雪は正月だけで、近隣にもう雪は無い。もしもこんな風に冬が続くならば、春さんにはそう急がなくてもいいよ、とお願いしたいほどだ。

明日も晴れ間があるらしい。

初フキノトウ 夢のカリフォルニア、「武器ではなく花を」の時代。

2023年1月9日(月曜日)

予報によれば本日日中は晴れ間があり温かだということだった。その通りになったので美術館うら手の土手でフキノトウを探した。
私は少しだったが、妻は幾つも見つけ20ヶほど採れた。

過去のブログではおよそ1月末に初フキノトウが書かれている。本日はそれよりずっと早く、いえ、早すぎてまだ小さかったのでした。

 

洗ってきれになったフキノトウ。

夕方にはいつもの風雨に戻りましたが明後日からは数日晴れる模様で、また土手を見ようと考えています。


ザ・ママス&パパス
「夢のカリフォルニア」

寒空の下でかって自分が幸せだった温かなカリフォルニア{ロスアンジェルス)への思慕を歌っている。歌われた1960年代は若者を中心に「ラブ&ピース」や「フラワー・ムーブメント」など公民権運動や反戦運動の時代で、カリフォルニア州はその中心になっていった。

当時学生の私は実習グループの友人宅に勉強と言って集まり、声の良い妹さんやギターの上手な義理の妹弟たちとP・P・Mなどの歌を歌った。今や良いお爺さんやお婆さんになっていると思うが元気でいてほしい。

「武器ではなく花を」はかって若者の時代的な空気としてあり、今も心の底に染みるように残っている。

ようやく訪ねた別所温泉 その2 最後は「無言館」。

2023年1月5日(木曜日)

一泊二日の別所温泉行き、昨日に続き本日2日目を記載させて下さい。

訪ねる先は主に寺院ですが、ご本尊は軽々に拝む事が叶いません。それぞれ個性的な寺院の外観や趣き、境内や道すがらの石塔、あたりの景観をなどを楽しみに回りました。

調べてみると塩田平は見所が多そうだった。6カ所の社寺と美術館「無言館」を回る行程で午前9時半にタクシーさんに来てもらった。

泊まった「中松屋」さんのお風呂と食事が良く、女将さんの愛想は最高とは家内ともどもの感想。

行く先は運転手さんの意見も聞きながら決めた。また私達の好みを知って、途中新たに寄ってもらった所もあった。

最初の訪問は北へ峠を越え、お隣りの青木村「大法寺」。

紅白の幕が晴れがましい大法寺本堂。大勢で竹灯りを片付けているところでした。

 

国宝三重塔は美しく、“見返りの塔”と呼ばれている。遠い時代から声を掛けられている感じ。村が国宝を有しているとは。

再び峠を戻り上田市へ。

とある三叉路の庚申塔。
とても強く彫ってある。

別所駅を通過。丸い窓があるかっての電車が屋外展示されている。

 

上田市に戻って満願寺。庫裏の窓が花頭。

駐車場脇の多数の石仏の中の一体。風化が進み馬頭観音かもと迷ったが上部の左右に日月の彫りがかろうじて認められる庚申塔だった。

十王仏。3回忌まで死者を裁く王たち。死者の衣服をはぎ取り重量から悪行を裁く脱衣婆(だつえば)や35日目に行く先を裁く閻魔大王などが居並ぶ。
行いとともに厳重に舌を調べられ何を話したかは善悪の重要な判断材料にされる。このような場面では、子どもの頃に聴かされてぞっとした事が思い出される。

信州の竹林の多くは孟宗竹ではなく「破竹」だという。孟宗竹より細く背丈も低い。随所の青々とした破竹は冬を若々しく彩っていた。

三叉路に二十三夜塔。

 

運転手さんに勧められた
中禅寺。

 

 

堂々とした藁葺き屋根の薬師堂および薬師如来像と両腕が無くなった神将はともに国の重要文化財に指定されている。

 

仏像塔と文字塔、
二通りの庚申塔が並ぶ。

 

龍光院本堂。

おおらかな屋根の棟にある三鱗紋は北条氏の家紋。塩田北条氏は当地の有力な武将。当寺で出される精進料理は好評だという。

この辺りではゴツゴツとして妙義山を思わせる独鈷山(とっこうさん)が常に間近に見える。

さて最後の寺院は前山寺(ぜんさんじ)。

お城を思わせる石垣と塀を巡らせている。

重厚な茅葺き屋根と唐破風向拝(からはふこうはい)が印象的。

運転手さんから、向拝の下に「水」の文字があると聴いた。バックライトを薄めて見ると見える。かって訪ねた糸魚川市の早川谷地区の民家の棟にも「水」が印されていた。火事などの厄除けとされるようだ。

未完成の完成と呼ばれる丹精な塔は国の重要文化財。

本日の塩田巡りは寺院を終えて念願の美術館「無言館」となった。冬木立の頂に蕭然と建つシンメトリックな館は、信州の冬を裸で引き受け歴然と佇んでいた。

まさに花開こうとする直前に招集と戦没により道閉ざされる若き芸術家(画学生)たち。ふりかかる残酷な戦争の犠牲を前に、必死に描かれた作品からは美への最後の執念が伺われ胸に迫る。

どんな芸術家も何時か訪れる死を根底に力を振るう。
だがここの作者の死はあまりに早く不当で、それはまた遍く不条理な戦争の断面そのものにほかならない。

よくも集まった作品が並ぶ館内は、意思と希望が死とともに混然一体となった異次元の世界であり、それは他では決して得られない明らかな引力を放っていると実感した。

何かで迷ったら、無為な忙殺を感じたら、ふとした時にまた来てみようと思った。

以上非常に沢山載せてしまいました。
見所満載の塩田平。
昨夜は女将さんに、ここは信州の文化と心の中心地ではないか、と言った。本家「海の鎌倉」に並ぶ「山の鎌倉」といっても過言ではないかもしれない。

庚申塔や二十三夜塔を見つけると、運転手さんに「止めて!」と言って“普段あまり人が来ないような所”も回った。庶民のささやかな信仰と娯楽。昔の人が生きた証しとして残したこれら石塔に出会うのは小さな旅の楽しみです。

回った寺院の凍った石段で転ばなかったのは幸運でした。
4時間半の行程、何かと手間取る昼食を摂らずに回り、お腹を空かして夕げに向かう。このような観光スタイルは私達の習いになりました。

帰りの新幹線まで駅直近のタリーズコーヒーで一服した。

初詣で混雑する昭島足島神社にも短時間寄りました。

一歩も外出しなかった週末。

2022年12月25日(日曜日)

今週末は土曜日午後から今日日曜日はずっと絵を描き、一歩も外出しなかった。花のサムホールサイズから10×10×5㎝の小さな3D キャンバスまで、面倒な葉を油彩で描くことに馴れてきて制作がはかどるようになった。

サムホールの大きさは22,7×15,8㎝と小さく、ハガキ2枚より一回り大きいサイズ。3D キャンバス同様、同じ絵を多数描き、描きながら習熟できればという考えでやっています。

現在5種類の椿を描いている最中で合計48枚に挑戦中です。風景の2枚は2本の木のバランスが悪く、木を塗りつぶし再出発を期しているところです。

バディ・デ・フランコの動画を出して
3Dの椿を描いていた所。

以下その動画です。


30年前の頃、
よくこのレコードを聴いていました。

クラリネットは軽くて音域が広く、好きな楽器です。学生時代には都内のあちこちに小さなライブ会場があり、北村英治をよく聴きました。

雪は峠を越えたか 目覚まし音楽の歌唱。

2022年12月23日(金曜日)

大雪と言われた早い冬将軍。本日は風強かったものの日が射すなどして降らなかった。

 

本日のスタッフ駐車場。

大雪の見舞い電話をもらうが、現状を説明するのはかなり難しい。
1メートル以も積雪し、毎日吹雪が吹き荒れているイメージで掛かってくる。TVを見るとそんな風になるのだろうし、仕方が無い。

陽が射している時間に在宅を4件回った。心配した人に顔色が戻り、ひと安心だった。

植林予定の丘。15㎝ほどの積雪で、強風のため風紋が現れ、雪面が凍っているように光って見える。

岩野の池から米山。

 

岩野を下りたところから尾神岳。

新しいスマホの目覚ましに慣れ、朝は「我が母の教え給いし歌」で目ざめている。

以下はその歌唱です。


スペインのソプラノ歌手が歌っています。

我が母が教え給いし歌、という邦題ですが、”老いた母”が歌ってくれた時の涙が主題のようです。
いま自分が我が子にその歌を歌うと涙が頬を伝う、と歌っています。”老いた母“に人生の物語が込められているのでしょうか。

髙田のホーリー・イブニング、教会の音楽会と青田川。

2022年12月18日(日曜日)

昨日からの寒波で潟町の自宅は10㎝ほどの積雪があり、強風が吹き付ける悪天の日曜日。
そんな日、午後3時から始まる髙田カトリック教会の「クリスマス バロック コンサート」を聴きに行った。足もとは悪かったが同業先生お勧めの音楽会、ヤリが降っても行こうと出かけた。

髙田に着くと雪はうっすら、風もほどほど、大潟区との異なりに少々驚いた。
初めて訪れる教会のホールは大きく、3人掛けのベンチと長テーブルは余裕があった。

薄井志都さんのフルート、腰高多恵さんのバイオリン、小松園子さんのオルガンピアノで前半のバッハや聖歌、ヘンデルなどが演奏された。初めて耳にする曲もアンサンブルは美しく響き、心洗われる演奏に惹きつけられた。

プログラム後半はゲスト出演、ニューヨークから来日中の波多野聖子さんのソプラノが加わった。波多野さんの歌は出色で、力み無く良く響く多彩な声、妙なる楽器、いやそれ以上に力強い魅力に溢れていた。
シューベルトのアヴェマリア、アダンの「ホ-リーナイト」ほかを歌われ、いずれも歌い終わると皆さんがブラボーを我慢しているのが伝わったほどだった。

T先生、とても良かったです、有り難うございました。

以下教会のクリスマス飾り。

 

 

 

良い音楽を聴いたせいか帰路の西城町、青田川の眺めもホーリーな雰囲気だった。

 

 

明日は仕事場の除雪機が初仕事をする予定。

再掲「南国土佐を後にして」の“ゆうたちいかんちや”とは。

2022年12月14日(水曜日)

一昨日は今年を振り返り亡き級友Nに触れ、「南国土佐を後にして」を載せました。
あらためて歌を良いなと思い、ペギー葉山は上手いなあと思いました。
そのおり歌詞を良く見ると、これまで“夕立いかんちや”と聞こえていたのが“言うたちいかんちや”であることが分かりました。

分かったは良いが、今度はどういう意味かさっぱり見当が付きません。ググってみると「言っても無駄ですが」とか「言ってはなんですが」の意味だと出ていました。
言うたちは“言っても”で、いかんちやは“無駄ですが”を表すようです。

これまで漠然と“夕立は困るけれど”などと、いい加減に解釈していたのが恥ずかしくなり、あらためて味わいある方言だなと思った次第です。
こんなことならNが元気なうちにもっともっと土佐弁のことを訊いておけばよかったと後悔しています。

以下にもう一度「南国土佐を後にして」を掲載しました。


1959年発売後200万枚を売り上げた
ペギー葉山「南国土佐を後にして」。

この歌は本来ジャズやシャンソンの歌手だったペギー葉山が歌ったのがドンピシャで、秋になると長野県のリンゴ売りの車がスピーカーで鳴らしながら走って来たのを思い出します。

またクラシックやカラヤンばかり聴いていた父でしたが「南国土佐を後にして」だけは目を細くしてTVを観ていました。

いよいよ樹下美術館は明日で今年の終了です。今夜から大雪?の気配です。今しばらくは是非とも少な目にお願いしたい所です。

あと二日の樹下美術館 「南国土佐を後にして」と亡き友N。

2022年12月13日(火曜日)

2022年度の樹下美術館の最終営業日12月15日(木曜日)まであと二日となりました。
15周年を迎えた今年は「齋藤三郎ゆかりの人々展」と「ふる里上越 主体美術協会の人々展」の二つを特別企画させて頂き、例年に比し多くの皆様にお越し頂き、深く感謝申し上げます。

3月15日から開館後の9ヶ月間はそれなりに長いはずでした。でもこんなに早く終わってしまうとは、歳月に代わってお詫びしたい気持です。

このところ悪天候もありましたが、名残りを惜しむお客様でかなり忙しくして頂き、有り難うございます。

振り返れば今年は学友のNを亡くした年でした。大学の6年を一緒、卒後も7年間同じ医局に所属。20年前からはKとともに毎年1回夫婦3組で食事会を続けました。

Nは高知県出身で穏やかなうえに粘り強く、時折口にする冗談は自分から先に吹き出してしまうような純粋さがありました。高知の結婚式では「皿鉢(さわち)料理」が振る舞われ、桂浜を案内され、教授とともに土佐カントリーのゴルフも招待されました。

「スギちゃん、スギちゃん」と寄ってきては、耳元で話す短い話は他愛ないが何故か面白く、問題の際には核心に照らして返される反応は的確でした。

昨夜の音楽番組でコーラスグループが「南国土佐を後にして」を歌った。すぐにNを思い出し、詩情も人情もある歌にあらためて聴き入り、土佐弁のこまやかさに心温まった。名曲ではないでしょうか。

寂しくなった私達、心からの冥福を祈るばかりです。

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