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偶然カーラジオから聞こえた秋田荷方節と松坂というもの。

2022年8月22日(月曜日)

先日のこと車のラジオから激しい三味線の音色が聞こえて歌が始まった。民謡「秋田荷方節(あきたにかたぶし)」と紹介された。

もとは新潟県の民謡「越後松坂」あるいは「新潟節」が秋田県に伝わり秋田荷方節になったと説明された。
荷方節を耳にしたのは全く偶然。一方「松坂」は今年5 月、加茂市へ行ったとき加茂山公園で松岡譲が揮毫した「加茂松坂」の歌碑を見ていた。甚句や音頭などは耳にするが勉強不足で松坂は知らなかった。調べてみると「祝い歌」「座敷歌」に分類される民謡だった。
そもそもは伊勢参りで松坂地方から持ち帰られ新潟県に定着した民謡の形とも言われている。県内に前述の加茂松坂、新津松坂、魚沼松坂、小国松坂、瞽女歌の祭文松坂ほかがあり、全国各地にも伝承され、驚いたことに近隣には「頸城松坂」もあるということだった。

頸城松坂は優れた民謡らしいので機会があれば聴いてみたい。

一方荷方節は秋田県内で「仙北荷方節」など幾つもあるほか東北、北海道、北陸、関東中部地方各地に多く残されているという。民謡が県や地域を跨いで拡がり創作され伝承される。荷方節に松坂、、、少し調べただけだったが、歌や音曲に対する昔人の意欲を垣間見るような気がした。
それにしても新潟節が荷方節になるとは。

 


素晴らしい秋田荷方節 歌:小野花子 三味線:高橋希脩

歌は「にいがたー」で始まる朗々とした節にテンポの早い三味線の伴奏が休み無く付く。華やかな伴奏は津軽三味線でも取り上げられる難曲の一つらしい。

ちなみに前半の歌詞は
“新潟 寺町の 花売り婆さま 花も売らずに 油売る”と歌われる。

ところで三味線の演奏は何人で行っても同じ旋律をきっちり揃えて弾く。5人、20人でもひたすら同じ旋律。音量は増えるが表情や合奏としての膨らみは生まれない。
なぜ三味線のアンサンブルが無いのだろう。検索してみたが一つもヒットせず少々不気味なくらいだった。パートに別れ、和声に添って複数で合奏するなら三味線独特の素晴らしい和音が生まれそうなものだが、試みはタブーなのだろうか。
(私が知らないだけでどこかで演奏されているのかもしれない)。

個人、家族、在宅、各種施設、、、あちこちコロナの状況はひどい。まみれてると言いたいほどだ。
昨日も今日もそれに悩まされた。明日はどうなるのだろうか。

「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」のご紹介 その3 積乱雲から土砂降り。

2022年8月13日(土曜日)

本日「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」のご紹介が三回目。これで全員のご紹介になります。
このようにして作品について書いたり作家さんの内面を覗くことは難しい仕事だなあと感じました。

わずか9点ですが、個性的な作品ですので、遠くで眺め近くへ寄って構図、形や線、素材、色づかい、描き方、さらに作家さんの息づかいや人柄、作品の意味などを自由に想像してみるのも楽しいのではないでしょうか。

 

午後しばらく晴れて大きな積乱雲が出ていたが、5時半頃から土砂降りになった。

 15時半ころ南の山脈上の積乱雲。

二時間もしないうちに土砂降りになった。

「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」のご紹介 その2。

2022年8月13日(土曜日)

本日は11日に引き続き展示中の「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」から、簡単ですがさらに3点、三人のご紹介です。

作品の解釈、感想は観る人それぞれにゆだねられますが、ご紹介が何かの手がかりになるなら有り難いです。

暑さ厳しくコロナ激しい夏です。
そんななか遠方からお訪ね下さる方もいらして感謝しています。過日は小杉放菴記念日光美術館 の学芸員の方が来館されました。齋藤三郎ゆかりの人々展をご覧頂き、心ばかりの小杉放庵コーナーをお褒めいただきました。本当に有り難うございました。是非貴館をお訪ねさせてください。

「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」のご紹介その1。

2022年8月11日(木曜日)

昨夜は来館者さん向け配付資料、新たな案内葉書などをこしらえプリントしているうちに日をまたいでしまい、午前3時に寝た。
そして目が覚めると12時近く。あれれ、妻は起こしてくれないし、今日は患者さんが来ないので昼まで寝かされたのかな、と時間感覚がはっきりしない。
ああ休日なんだ、と分かったものの配付資料を届けなければ、来館者さんは手ぶらで観なければならない、、。慌てて美術館に出る。

ちょうど主体美術のお仲間が大勢いたしていたので手渡し。若干お話をさせていただいた。筑波先生が引率された皆さまは熱心で、聞こえるお話も面白い。前後に20名ほどの来館者さんが見え、「ふる里上越 主体美術協会の人々展」は樹下美術館にしては良い初日だった。

今後毎回3名の作家さんと作品をご紹介して行きたいと思います。
本日は以下の三点と作者の概要です。配布資料からの勝手な私見をどうかお許しください。

昼まで寝たお陰で体が楽になった。
9月20日までの展示です。どうかお暇をみてお楽しみ下さい。

チームワークを発揮? 良い展覧会の予感。

2022年8月11日(木曜日)

昨日午後は11日から始まる「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」の展示作業を行った。出品者9名、各一点ずつの展覧会といえども初の複数作家の絵画展。過程はこれまでとは異なる神経の使い方が必要で、少々疲労はしたが最後に充実感を覚えた。

新たなチラシ。
倉石隆の作品を「秋」に変更したのでチラシも改めた。

物故者を交えた作品は上越在住主体美術の筑波進先生と涌井和子ご夫婦のお陰で、私が到着したときはほぼ位置決めが終了。近隣の施設回診を終えて戻ると全てが壁に架かっていた。

皆さんが帰ったあと照明を調整するスタッフ。

大小、色調、志向などがバラバラに異なる個性的な9点は専門家の手に掛かり実に自然で生き生きと見え始めた。
ささやかな展示だが、さすが主体美術協会。9点はあたかも良い野球チームのラインナップのようであり、楽しい展覧会になる予感がした。

作品ごとの拙く短い紹介文を作った。

 

9月8日まで延長した好評の「齋藤三郎ゆかりの人々展」

どうか両展ともご一緒にお楽しみください。

深田久弥著「わが愛する山々」の火打山と齋藤三郎。

2022年7月26日(火曜日)

去る6月26日のブログ「齋藤三郎とゆかりの人々展その9」で登山文学者・深田久弥に触れさせていただいた。その折り著書「わが愛する山々」に火打山があり、そこに齋藤三郎が出てくることを書かせて頂いた。

幸い文庫本サイズの本はネットですぐ買えた。今回、北は斜里岳から南は九重山まで取り上げられている23の山に関する著述から我が齋藤三郎が登場する15ページにわたる火打山をご紹介してみたい。

深田久弥著「わが愛する山々」 山と渓谷社発行
2011年6月5日初版第1刷の2020年4月5日初版第2刷

出身地が福井県大聖寺の深田氏は1960年三月下旬の白馬山麓のスキーで妙高連山を見て以下のように述べられている。
“三月下旬ではまだ全ての山は雪を置いていたが、とりわけ火打は白かった。こんなに一点の汚れもなく真っ白になる山は私の知る限り加賀の白山と火打山以外にはない。”と感嘆される。そして妙高連山のうち火打山だけが未踏であり、是非登ろうと決心されるのである。

同年6月19日深田氏は髙田に到着。かねての読者I氏の案内で金谷山、春日山城、五智を訪ね、市内で山岳講演をされる。この間に終始上越山岳会副会長の饒村義治氏(小生高校時代の恩師)と髙田山の会会長の齋藤三郎の世話になったと記されている。

翌朝田口駅(現妙高駅)でパーティー9名が全員集合。そのうち上越山岳会の一人は私の中高時代の二つ上の先輩松川太賀雄さんだった。9名のうち7名が若者、残りの深田夫妻と齋藤三郎の三人が中年という具合ながら、深田氏からムッシュと呼ばれた齋藤氏は若者に劣らず山で強かったと書かれている。

当地から見る冠雪の左・火打山、 右焼山

読み進むにつれ地元の山男たちは深田夫妻の“お供をする”などというものではなく、途中途中の美しい景観や可憐な花々を案内、楽しい休憩と山菜採り、さらに用意した山海の珍味で深夜に及ぶヒュッテでの宴など、登山を通して精一杯の“もてなし”をしたことが分かる。

景観を愛で行程と地元の風土に親しむ。登頂に成功するばかりが登山ではなく、断念の山行にも楽しい思い出がいくつもあるとする深田氏の登山哲学を理解し、壮大な火打山をもって夫妻を温かく迎えた上越の山男たち。本は劇的な自然と人々の行為が織りなす文学として感動的に綴られていた。

一行は赤倉温泉でお別れの晩餐をする。そこで、上越山岳会は先鋭分子だが、齋藤氏が会長の髙田山の会は、生け花や謡曲の会と並んで文化団体として扱われていることが披露され大いに盛り上がり、どんな山の登り方があっても良いと、記されている。

火打山で出会った深田久弥と齋藤三郎は後も交流されました。

一昨年植えたブットレアに蝶が来た カサブランカが咲いている 映画カサブランカのテーマ 猛烈化したコロナ。

2022年7月22日(金曜日)

2020年10月美術館の北の庭と西の庭にブットレアの木を植えた。下の幹からある種暴れるように何本も長い枝を伸ばし赤紫色の房花を付ける。

もとは仕事場の庭にある木で、何も知らずに「よく蝶が来るなあ」と感心して眺めていた。あまりの蝶に調べてみると「蝶を呼ぶ木」ブットレアだと分かった。だが不思議なことに、いつ誰が植えたのか分からない。それなら美術館の庭にもということで一昨年秋、ネットで取った苗を植えたという次第。

昨年は数輪花を付け、今年はもっと咲いた。蝶はまだかと見ていたが一昨日昼キアゲハが熱心に取り付いているのを見て初めて撮った。

暇があれば一日中見ていたい。

特別良い匂いがするわけでなく、見かけもまあまあの花。しかし蝶はぐるぐる花に取り付きながら熱心に吸密し、一通り終わると飛び立ちまた引き返してくる。なにが惹きつけるのか、蝶に対して強い未練を残すらしい。

ブットレアの脇に同じ時期ヒヨドリ草も植栽したので間もなく開花を迎える。この花も蝶を集め、とくに驚異的な長旅をするアサギマダラが好むというので、まだ見ぬ美しく強靱な蝶を一目見てみたい。アサギマダラは台湾など南方への旅で知られているが、山形県や北海道にも現れたということ。なんとか我が美術館にも寄ってもらいたい。

あちらこちらでカサブランカが咲き、庭を香らせている。

今年は雨が少ないため傷まずに伸び伸びと咲いている。今のところ今年の梅雨は百合向きだ。

 


ビージー・アデールのピアノで
映画カサブランカのテーマ「「As Time Goes By」

コロナが猛烈化している。

堀口すみれ子さんの講演会。

2022年7月11日(月曜日)

先週末9日午後3時から堀口すみれ子さんの講演会があった。2010年が1回目、2016年が4回目だった。これまで父であり詩人、フランス文学者、文化勲章の人堀口大學のひととなりと交友、上越市や葉山町の暮らしなど、時々でテーマを変えてお話し頂いた。

このたび樹下美術館開館15周年の記念講演の申し込みをお願いすると、5回目だから何を話したらよいやらと、すみれ子さんは逡巡された。
最後の講演から6年が経っています、初めての方も大勢さんいらっしゃいます。お話は繰り返し何度でもお聴きしたいと述べ、あらためて上越時代の堀口大學のこと、交友特に齋藤三郎とのことを折りまぜ「堀口大學と上越 そして齋藤三郎」の演題でお話頂くことになった。

当日みどり鮮やかなスーツで来館されたすみれ子さん。緑いっぱいの樹下美術館の庭に溶け込みながら、姿は美しく際立つ風にお見受けした。

45人の方が来場された当日の様子。
参加されたお客様が撮られたました。

これまではスライドをまじえての講演だったが、このたびは終始お話だけで進行した。静かに語られる妙高市のお母様のふる里から髙田へ。わずか1時間の講演だったが、雪国の疎開で激変する高潔な詩人の苦しい生活と心が、徐々に癒やされる様子が詩を交えながら語られた。
変えたものは上越の風土と人々の情けだったことが自然に浮かび立つ感動的な講演だった。

このたびすみれ子さんは以下2枚の大學先生自筆の貴重な書を持参され、私どもに与えてくださった。

母よ 僕は尋ねる 耳の奥に残る あなたの声を
あなたが世にあられた 最後の日 幼い僕を呼ばれたであろう
その最後の声を
三半規管よ 耳のおくに住む巻き貝よ 母のいまわの その声をかえせ
堀口大學 印

越にふる 雪の 深さか   越びとの あわれの 深さ  大學 印

 

一番目の詩「母の声」は詩集「人間の歌」に、二番目の詩「越びとに」は詩集「月かげの虹」に初出掲載されています。

「越びとに」は講演の最後に読まれ、お身内ならではの情愛がこもり、越びとの一人としてとても感動しました。
良い人の良い話は何度でも聴いてみたいし、聴く度に新たな発見があります。
文化や芸術は単に知ることではなく「感じること」だと、このたびも知らされました。

堀口すみれ子さん、ご来場の皆さま、本当に有り難うございました。
スタッフ共々感謝致しております。

ほくほく線の夕暮れ電車 どうしても撮影と言えない その昔父母の呼び方を変えた。

2022年7月5日(火曜日)

 

夕方の空が良さそうな時は海岸かほくほく線、あるいは上下浜のホテルを写しに行く。本日はほくほく線だった。

ところで私には中々「撮影」という言葉が使えない「性」がある。
若い頃から「撮影」は映画かプロのカメラマンのようにお金をもらってする専門家の「仕事」だという観念が染みこんでいる。だからヘタでもあり、素人の自分がやっていることを「撮影」と呼べないのだ。
ならば「写真を撮る」、あるいは「写真を写す」、と言うことになるが、これは「頭痛が痛い」クラスの重複語(重言)となりダメである。

カメラの説明書やネットはもっぱら撮影と述べられているので読み聞きするのは平気だが、自分の事として使うとなると言えないから不思議だ。

思い切って「撮影」と言ってしまえば直ぐに慣れるようにも思われるが果たしてどうだろうか。
学童時代、父母のことを「とうちゃん、かあちゃん」と呼んでいた。周囲もそうだったので全く平気だった。
ところが姉が東京の私立高校へ入った夏休み、帰省するなり「おとうさん、おかあさん」に変えよう、と強く提案した。家族は戸惑い、呼び合うたびに顔を見合わせ、照れ笑いを隠せなかったが、かなり早々に慣れてしまった。

呼び名を変えた前後で父母への敬慕に変化はなく単に見た目の悪さを直しただけだったが、それで良かったと思う。果たして「撮影」はどうだろうか(どうしても変えられない気がする、、、)。

上り電車。

しばらくして下りが行く。

電車の何がどうと言うわけではないが、待ったり見たりしていると何となく一日の緊張をほぐせるので空が良いと来てみる。もしかしたら「子どもの時間」かなと思う。

以下は何気なく歌われる「Twilight Time」。

 


ジャネット サイデルの「Twilight Time」
初めて聴く歌手だが、
私が知っている曲をよく歌っているようなので
かなり古い人ではないだろうか。

この曲のようなのをよくスタンダード曲と呼んでいる。ジャズの演奏で頻繁に使われ、大昔、大橋巨泉氏がジャズの「歌」は深刻に歌うのではなく、鼻歌のように軽く歌うのが好きだ、というのを聞いた事がある。ジャネットさんはそのように歌う人のようだ。

東京からの人を交えて。

2022年6月27日(月曜日)

東京から久し振りの方が来られた。諸事万端に造詣深く良い人づきあいをされている。

地元の相客は性格が全く異なるものの、好ましいものへ眼が利いているところ、良いお仲間を持っておられる所が共通している。
狭い世間しか無い私にはいずれも羨ましいお二人なのでご一緒は楽しかった。

 

昨日のお道具を出し普段着の妻がお点前をして
気楽なお茶を飲んだ。

左:前田正博さん、右:鈴木秀昭さんのお茶碗。
素晴らしくて、近いうちにバチが当たりそうな気がしてくる。

 

齋藤三郎の小壺を薄茶器に見立てた器。
お茶に親しまれる人は自ずと手付きが違う。

夕刻は皆でお寿司を食べた。

お造り。

茄子の味噌田楽。

カッパ巻き。

美味しそうな魚を尻目に私の体は茄子、胡瓜の野菜を喜んだ。文学、映画、音楽、食べ物、青春時代、人間、、、私が知らない楽しい話を沢山聴けた良い時間だった。酒を飲まないので妻を乗せて帰ることが何となく張り合い。

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