医療・保健・福祉・新型コロナウイルス

寒波が降らした 寒波の中の鳥たち コロナはさらに異質に 三三九度 どう見ても立場は悪い。

2022年1月20日(木曜日)

本日は二か月一度の受診日。一番を目指してみたが雪のため随所でのろのろ運転となり、随分遅れた。受診の結果は前回同様ほぼまあまあだった。「ほぼ」も「まあまあ」も満点では無いので、一定の生活管理は続けなければならない。
帰宅後に外来があるので次回はもっと早く出て一番を果たしたい。

それにしても病院は寒波にも拘わらず混んでいるし、朝早くから仕事が始まる。さらにオミクロンによってコロナが急増し受診、相談も多く、皆さんの自己防衛もあり大変だという。

三三九度。形の異なるマスク三枚、帰宅後2時間毎にうがい三回、歯磨き洗顔三回。効果は分からないが受診前後は出来るだけの予防を試みた。なにしろ後期高齢者、三大疾病の持病、エッセンシャルワー-カーの末席、、、どうみても立場は悪い。

以下は美術館前の通りと付近の農道にいた鳥と池の鳥です。

 

美術館前の通り。
除雪が進んで難渋するほどではなくなっている。

道路端で雪のへりから出ている枯れ草にスズメが群がっている。
草の種を食べているのか。

雪の上に止まっているものもいる。

飛ぶものも。

お客さん(ムクドリ)が来た。

一緒に食べるSDGs。

やはり雀とは食べ物が違うようだ。上手く行かず去って行った。
群で移動しているムクドリが一羽でやってくる。
雪が降るたびに鳥たちの群は小さく別れていく。

スズメたちとの距離はとても近く、恐れずに私のすぐそばにいた。積雪が増すほど餌は遠ざかる。用心深くしていられないくらい空腹なのだ。

以下は朝日池のマガモ。

飛び立ったところ。
オスは頭部の緑、首の黄色の輪など特に美しい。
しかもオスメスとも翼のブルーと黄色のくちばし、足のオレンジは言うこと無し。

 

上越市のページによると大潟区の積雪は25センチと出ていた。何処であれ、とにかく少なめに少なめにお願いしたい。

コロナは異質のステージになった。新潟県、当地ともにさらに様変わりするのではないだろうか。

病院の待ち時間に「海辺のカフカ」を読みもうすぐ終わるところまできた。

在宅の悩ましさの一端 「海辺のカフカ 上」を読み終えた 長生きの価値。

2022年1月14日(金曜日)

言われるほどは降らない寒波。
午後三軒の在宅を回った。苦労する道路もあるが、各お宅は大抵きれいに除雪され、爺ちゃんは朝から待っていました、と家人が申されるなど恐縮する。

だが在宅回りは必ずしもほのぼのしたものではない。悪化に加え新たなトラブルが生じていることが少なくない。なかでも別な疾患で病院に掛かりながら検査だけで処置、投薬が無く、次の受診を前に症状が悪化している場合などは大いに悩む。本日はそんな事例があり、考えたすえ私なりの処置をした。

さて大晦日から読み始めた「海辺のカフカ上」を本日終了した。
戦前設定の特異なお椀山事件、直近のジョニー・ウォーカーによる大量の猫殺し、主人公の父の殺害事件などを経て人物たちは四国高松に集まってくる。

エディプス・コンプレックスの神話的な構図を下地に、集団催眠、行為を伴う無意識下の動機、時空を越えて絡む複数の人間関係などが語られる。
ノルウエイの森では心の病理の深刻さが書かれていたが、このたびは心理、分けても科学を越える無意識下の事象が取り上げられる。

父による不吉な予言や暗示から逃れようと家出した少年は、むしろそれに支配される。後半、人間の原理的な問題を前に、彼はどのように自らの存在価値を発揮し、開放されるのだろう。
少年時代の事件によって読み書きが出来なくなり、猫と話せるようになった良心の人ナカタさんは出色で、下巻が楽しみ。

 

昨夏私は突然心筋梗塞に襲われ、循環不全に陥り意識を失った。病院循環器グループの皆様によって救命され、お陰で遅まきながら村上春樹を読む機会を与えられた。文中聴いたことが無い音楽が書かれている時など、YouTubeで聴いてみるのも楽しく、皆様には本当に感謝に堪えない。

色々事情はあろうが長生きはするものだ、とあらためて認識している。

昨日の仕事始め 葉っぱと輪郭線の交点と接点 感染拡大と南アの過程。

2022年1月7日(金曜日)

仕事始めの昨日6日、曜日を間違えたため風変わりな日になった。
その日木曜日なのを朝から水曜だと思って過ごしていた。休みが長かったので午前中は普段より少し忙しめに過ぎた。

問題は午後。
水曜日は在宅回りが無い日なので絵筆を取った。一時間は経った後も外来へ呼ばれない。お薬が切迫していた人は午前で大方済み、午後はヒマになったのか、と思った。

そこでせっせと葉っぱを中心に描いた。
花を描くとは言え、私の場合花より葉に費やす時間の方が圧倒的に多い。
理由として、
花に比べ葉の数と面積が多いため、
葉の複雑な色彩のため、
照りを伴った明暗や葉脈が作る陰影がデリケートなため、などの理由が挙げられる。

その間、外来は誰も来ないと見え、連絡はなかった。最後に「誰も来なかったね」とスタッフに挨拶しようと思ったが、時刻は閉める時間をとうに過ぎスタッフは帰ったはずだった。ヒマにしてスタッフに申し分けなかったな、と思った。

間もなく妻が外出から帰った。すると、
スタッフのAちゃんが予定があって日を繰り上げ、午後ワクチンに行ったんだよ、と言った。
えっ、午後から、、、?うちの仕事があるのに、と思い、 本当?と言うと妻が、
「午後は休みだから」と言った。
あ~そうだったのか、木曜なのか、午後休みだったんだ、と一人騒いだ胸を撫で下ろした。

曜日の間違いは歳のせいの一方、長休みボケ、幼少からの物忘れ癖などで、私にはたまに起こる。大抵前日などに気づくが、当日勘違いのまま過ごすのは珍しかった。

 

葉の彩色の過程。
輪郭線の交点や接点、特に鋭角な部分を極細の筆で
予め塗っておく。

さて本日は七草がゆの日。七草ではなかったが夕食にセリを中心にした粥が出た。

 

とろみダシで百合根が入っている。
昆布の佃煮を一本乗せた。

国内でコロナがオミクロン株に代わりつつあり、ひどいことになってきた。新潟県でも本日70名もの報告があった。
12月29日のブログで未曾有の拡大が懸念される、と書いたが、年末年始の移動などから予想を遙かに超える勢いになっている。
週が明けたらさらにその数倍からそれ以上の拡大があるのではないか。
万一インフルエンザと同程度の症度でも一定期間隔離の必要があり、重症化も否定出来ない。
※隔離期間は症状の有無で変わり、無症状でも検査陽性日翌日から10日という基本がある。今後オミクロンで短縮の可能性があるとも言われる。

オミクロン株の発祥地南アは惨憺たる有様だったが、いま確実に減少に向かっているという。何しろワクチン接種率が極めて低かったため、一気に拡大したが、今や国民に70%台の抗体が獲得され、ピークアウトしつつあるということ。

この間、はたしてどのくらい犠牲者があったのか詳しく知らない。
だがある種放置のような状態の結果、皮肉にも自然に近い形で社会的免疫の獲得が進んだとすれば、狐に包まれたような感じを覚える。

本日仕事納め 野鳥の群 果たして新型コロナはどうなるのか。

2021年12月29日(水曜日)

色々あった一年の仕事が本日で一応終わった。
検査とワクチンで新型コロナに神経を使い、在宅で8名、施設で1名の方の看取りがあった。
本日の最終日は僅かの方が来られたのみで、予定の30分前に終了とさせて頂いた。

昼休みに田に野鳥を見に行った。
先日のカワラヒワの飛翔がピンぼけだったので、もう少しうまく撮りたいというのが目的。

 

数カ所でスズメ、カワラヒワ、アトリの各群、あるいは混合した群を見た。
上掲の写真でAはアトリ、Kはカワラヒワです。

先日よりピントが合ってきた飛翔。
翼が黄色がカワラヒワ、首が赤いのがアトリ。
形が似ていて、モニターで大きくしないとよく区別できない。

ところで今後の新型コロナ。
せっかく国内全体が減少したところへオミクロン株が世界中で拡大し、あたかもターミネーターの如き有様。この株は感染力が強い一方、今のところ罹患者の重症度はやや低めといわれる。
症状が軽めで強力な感染力という様式により、我が国でも未曾有の拡大が懸念される。このことは際限なく増殖したいウイルスにとって、願ってもないパターンであろう。
あくまでも想像だが新型コロナは最終形に近づいたのか。一方でそろそろ有効な抗ウイルス薬が実用化され、コロナ禍が新たなフェーズに入る事を期待したい。
果たしてどうなるのだろう、いつまでも同じ繰り返しという訳には行くまい。

生きているアベノマスクもある 熊本のみかん 私の快気祝い。

2021年12月23日(木曜日)

月一回、あるお爺さんが外来に通って来られる。足が弱ったと仰りながら歩いて来院される。
実直なことにずっとアベノマスクをしてこられる。洗い洗いされているマスクはいっそう小さくなり、色褪せてほころびもみえる。

こんなに大切に使われている一方、配布元の政府には8000万枚も倉庫に余っていて、1100万枚が不良品。保管料だけで6億円も掛かっているらしい。
為政者の金銭感覚、内容、方法、、、、みな異常でいい加減だ。
事実は
“いい加減なことをしても、知らん顔していれば大丈夫です”という不思議な人がリーダーだった不思議な国の出来事というほかない。

 

このたび引き出しから出て来た4枚のアベノマスク。
前記のお爺さんに訊いて、ほしいと仰ったら差し上げよう。

 熊本の先輩から届いた柑橘は南国の色。
熊本地震の時、営む高齢者施設で足りないという米を60キロ送った。
助かったと言って、今でも御地の果物を送って下さる。

今夕、直江津の美味しいイタリアンで同業夫妻と食事した。私の快気祝いということだった。ほぼ同じ年、何から何まで真っ当で、頭が良く、そのうえ面白いお二人。快気祝いなどと過分で楽しい時間を誠に恐縮でした。

柿崎のフクラゲ、ワラサ釣り A氏のチャールズ・ワーグマンと初期伊万里 油断出来ない感染症。

2021年12月10日(金曜日)

本日風も無く穏やかな日。但し日射しは昨日より弱まった。
昼、穏やかな柿崎海岸を歩くのに出かけた。海岸道路に釣り人の車はあったが賑やかという訳ではなかった。

西に向かって歩くと大きな魚を釣った人と出合った。

フクラゲが一匹、それよりずっと大きなのが二匹。
大きいのはワラサと呼ぶのだろう、ブリの手前まで成長している。

4匹釣ったこの人はかなり若かった。
砂で汚しちゃってと仰った。
フクラゲもワラサも、今どきはとても美味しい。
投げ釣りでこれだけの釣果なら十分では。

この方達に出合った直後から釣り人が集まりはじめ、5,6人だったのが一気に増えた。

仲間同士、携帯で知らせ合うのか、あっと言う間だった。

来た時は空いていた道路が車で一杯。

 

さて海崎から美術館に戻ると同時にA氏が来られた。
何か持って来ましたね、と言うと、見て下さい、とニコニコしている。
最初にチャールズ・ワーグマンのスケッチ2点。2点一緒に横長の額に入っている。

米国の国旗を掲げた船。

二枚目はこの船の上陸後の様子。

魚でも買うのだろうか。一行が民家に移動する。

以下この絵の左右を拡大しました。

 左側に喜ぶこどもたち。

右側では船頭が休み、上陸した外国人が歩いている。

幕末から明治前半頃まで多くの画家が日本を訪ねている。動きの多い対象を撮影出来なかった当時のカメラに代わって素早くスケッチが出来るプロの画家たちだ。
英国人の画家ワーグマンは記者としても活躍。幕末~明治の出来事、風俗などを広く描き、ニュースや見聞録として本国へ送付、刊行されている。
仕事の傍ら日本人たちに絵画を教え、“日本で最初の洋画家”といわれる高橋由一(たかはしゆいち)は弟子の一人。
徳川慶喜と接見し慶喜を描いている。邦人と結婚、一児ををもうけた。

「Charles Wirgman(チャールズ・ワーグマン)」
没後100年記念刊行物
1990年神奈川県文化財協会出版

さてA氏が取り出したもう一点は初期万里の皿。

 花が一輪、簡潔で力強く描かれた染め付け。
大きな余白が花をさらに引き立てている。

ワーグマンの自筆画、初期伊万里皿ともに貴重だった。美大出のA氏は広く深く学ばれ趣味が良く眼力がある。時々見せてもらう品は魅力的で勉強になる。
A氏は珈琲を、私は抹茶を飲んだ。

話変わって本日の新潟県における新型コロナ届け出は16名。全国で減っているなか3番目に多い数字だった。新発田市の小学校でクラスターが発生している模様。
ここで止まってくれれば良いのだが、現在感染性胃腸炎が流行の真っ最中、やはり油断は出来ない。

今年の師走はいっそう落ち着かない 三回目のワクチン接種 我が家のハリハリ漬け シルクロード第2部の再放送が終わった。

2021年12月8日(水曜日)

12月はやはり落ち着かず、後ろからぐいぐい押されている感覚がする。寒い外と暖かな室内の往き来も気ぜわしく、年末特有の仕度も免れず、ふとどこかへ行ってしまいたくなる。

さらにここへ来てインフルエンザのワクチン接種が薬液の不足で大変不規則に推移している。普段ひまでも、入れば遠くからも希望者が来て多忙を極める。
こんな風にワクチンと関係していると今夏の心臓発作がよぎり、ともすると恐怖心を否めない。

本日、新型コロナワクチン三回目の接種について希望日の確認書類が来た。私達は3月になる模様。
コロナ禍はついに三年目に入る。一部にこのようなスパンを予測していた向きもあったが、私には全くイメージ出来なかった。

 

22年のカレンダーにモネのスイレンが毎月見ることが出来るものがあり、
自室用にもらった。
今冬は絵を描く予定なのでモネを観て励みたい。

 

妻が作っているハリハリ漬け。

 

カズノコとスルメ、それに根布が入っている。
今年はカズノコが少し多すぎるようだ。
あるいは小さくても良い。
祖母→母→妻と受け継いだハリハリは食べ過ぎないようにしないと。

 

毎水曜日に観ていたNHK特集「シルクロード ~第2部~」。
再放送は、本日トルコからついにローマに入り第2部が終わった。
マルコポーロの東方見聞録に対して、
長い取材番組は「西方見聞録」と述べられていた。

 


懐かしいテーマ曲。

1部では父もまだ元気で、よくこの番組を観ていた。映像を通して、大昔でもないのに当時の世界は今よりもまだ平和だったことが、非常に遠いことのように伝わる。

一転して寒い雨の日 温かな夕食 細った体重 コロナはどうなる。

2021年10月12日(火曜日)

昨日27℃あった最高気温が本日19℃まで下がった。
半袖からニットセーターへ急降下、終日雨が降り寒かった。10月は半ばに差し掛かるのだからこれでいいのか。

 

本日の椿(西王母・せいおうぼ)
昨日までの暖かさで、普通こんなに開かない西王母が目一杯開ききっていた。

夕ご飯は温かい食事だった。

白菜と鮭缶(中骨入り)のスープ煮。つゆ沢山で美味しかった。

 

カレーうどん。

54キロ前後だった体重が病後49キロ代まで落ちている。一日二食の食事は毎回一定量で食欲が止まり、心臓がこの体重を要求しているのだと納得している。

体重はともかく、コロナの報告が極端に細ってきた。
ワクチンの普及、ウイルスの退行変異、予防生活の定着etcが上げられている。6波があるのか、一旦休憩か、このレベルでwith coronaか、終焉を迎えるのか、微妙な時期ではないだろうか。

なかなか“参った”と言わない新型コロナは間もなく三年目になる。まだ用心にこしたことは無い。

保育園の健診 思い出のアルバム 私は託児所。

2021年10月10日(日曜日)

一昨日は園医をしている保育園で秋の健診をした。春指摘したことはしっかり専門医で診てらってあり、このたび特別な所見はなかった。

相変わらずみなアニメのキャラクターのようで、特におぼつかない1才児は天使だ。子どもたちが障がいのある子と仲良くする光景はいつも心が和む。

以下何枚か写真を撮りました。

 

 

 

 

 


とても良い歌「思い出のアルバム」。
娘は卒園した後も声を張り上げて歌っていた。

ちなみに私は、託児所である近くの西念寺に行った。それも一年間全て通ったか否かはっきりしない。
脳裡にあるのは、お寺で騒ぎすぎて園長である坊守さんに叱られたこと。泥を丸めてダンゴにし、砂にまぶして固めたものを互いにぶつけ合い、割れたら負けという遊びをしたこと。その遊びは鐘楼の櫓の下で行っていたのだが、ほかに砂場がなかったためかもしれない。

またある日、昭和天皇の行幸列車に万歳をするため、松林の線路脇に整列した。とても長い時間待ち、ようやく来た列車に向かって大声で万歳をした。だが残念なことに窓は幕のようなものが下りていて、陛下の姿は見えなかった。新潟行幸は昭和22年10月で、5才だった託児所の年と合っている。

幼少の私は、昭和21年3月、4才の時、家族6人で満州から長崎県は佐世保港に引き揚げた(私にとって初めての日本)。しばらく佐賀県の母の実家に滞在後後当地へ。昭和22年西念寺の託児所。昭和23年4月潟町村立小学校入学ということになります。

※当時の託児所は坊守さんが慈善事業として開設されていたのではなかったか。

きゅうきゅうと心臓が鳴った日の「びんのかけら」のアルファー波。

2021年9月18日(土曜日)

連休前の本日午前、当院にしては珍しく混んだ。その午前中に高齢の方の往診依頼があり、家人は入院を希望された。普段訪問をしているお宅で、医療の緊急性よりもむしろ介護事情の問題で社会的要因が加味されていた。

当然入院の可否は病院の診察医師の医学的判断にゆだねられ、希望通りに運ぶとは限らない。今回の患者さんの入院は微妙だった。
他方、病院への紹介はこちらの努力や力量も試され、今もって緊張する。紹介に値する診療だったかが暗に問われるのだ。

介護者に二つの病院を候補として挙げたが、入院まで保証は出来なかった。
昼食時間を外し、午後頃合いを見て第1候補の病院に電話した。医師は比較的若い印象だった。
容態と検査数値を伝え、事情を述べた。すると意外にも、分かりました直ぐ来て下さい、と返事が返った。
何と有り難いことか。
その返事を患者さん宅に電話すると、介護者は消え入るような涙声で礼を口にされた。

夏に病んで以来ややもすると心晴れず過ごしている。そこへ今週、病院紹介と病院からの逆紹介が数件続いた。いずれも波乱を含む課題があり、良いとは言えない心臓が時にきゅうきゅうと鳴るのを感じていた。
そこへ本日の一件。地獄で仏、病院の対応は他に替えがたい良薬だった。

そんな夕刻、ふと「びんのかけら」へ行きたくなり妻に提案した。
しとしと雨が降っていたが、芝生のアプローチ、壁を這うバラのツル、辺りの庭道具を目にしただけで心がなごんだ。

 

美味しかったアンチョビー(向こう)と田舎風(こちら)のピザ。

 

アルファー波は良い環境下の瞑目で現れるが、ここでは耳目に入るものでも鎮静される。

店に入ると「There Will Never Be Another You」のサックスが聞こえた。尋ねるとスタン・ゲッツだった。60年代?何とも嬉しい。

それから食事し、オーナーと古めのジャズの話をし、氏先日のアルプス山行やかっての北アルプスの雷鳥親子や星空、主宰されるバレー教室などの、逐一心地良いタブレット写真を見せてもらい、そして話をした。

 

ふと見たピアノに86’年9月のレイ・ブライアントによるサイン入りジャケット。
娘さんと一緒と思われる写真。
かって私もこのアルバムを持っていた。


上掲レコードから「Misty」
可愛いお嬢さんを膝に、演奏しているような優しい「Misty」。
1950年代後半のモノラル。
“ちょっと見て、私は木に上った子猫のように心細く”
“足を右左間違えずに歩いているかも心配”
などと歌われる歌詞がある。

入院とびんのかけら、本当に良かった。

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