医療・保健・福祉・新型コロナウイルス

今年も飛来したハクガン スマホを教えてもらう フキノトウはテンプラに。

2023年1月14日(土曜日)

去る11日から昨日まで三日間、冬に希な晴れ間が続いた。気温も上がり小春日和となり晴れがましくもあった。

5回目のコロナワクチンの接種が間もなく終了する。3年間に5回もの接種となった。高齢者の死亡率を抑え、事業所や学校への影響を最小限に食い止めるためだった。
3年間に5回もの接種があるとは、当初では考えられないことだった。せめて5回目のオミクロン株対応ワクチンが効果を上げ、仮に9波が来ても深刻な影響を生じないことを切に願いたい。

コロナ禍で日本人の平均寿命の伸びが止まり、僅かながら下降している。富める国アメリカの短縮は著しく過去2年で2,7年短くなったという。中国が受ける影響が案じられるが正確には公表されないことだろう。

さて11日以来2日ブログを空けてしまった。
12日の晴れ間に朝日池に行くと、湖畔の農道に数台の車が見えた。ハクガンが来ているという。

随分遠くにかなりの数のハクガン。
飛び立たさせないよう近づく人はいない。

別な場所に行ってみるとマガンに混じって小さな群が食餌していた。

 

今年も来てくれたハクガン。全体で何羽くらいいるのだろう。
今のところ大雪は避けられている。この先およそ二ヶ月、どうか安全にゆっくり過ごしてもらいたい。邪魔にならないよう気をつけて、優雅な彼女らの写真を撮れれば嬉しい。

さて悩みの種だった新しいスマホ。普段パソコンを診てもらっている(株)信越情報のA氏に来てもらって教えを乞うた。

指紋認証から始め、連絡先のグループ分け、画像転送、アイコンの動かし方と整理や削除、メールの統一など基礎から教わった。下取りに出して元の簡単ラクラクフォンに戻せないかとまで考えていたが、先まで使うことになった。

カメラの機能は凄いのだが、小さなキーパッドの英語をはじめ意味が分からないまま登場する様々なメニュー記号。タッチミスも絶えないため、機能を限定して慣れればと願っている。

先日のフキノトウは天ぷらになった。

越後の真っ直ぐな「銀色の道」 続く看取り 散髪と連休。

2023年1月8日(日曜日)

雪は無いが連日の雨天と風に悩まされていた。それだけに先日訪ねた信州上田、別所温泉の青空は別天地そのものだった。
それが本日少々雨は降ったが風はピタリと止み、何か潮目が変わったような感じを受けた。

1月5日、頸城区の近隣の道。

山地を巡る別所温泉観光をしたばかりだったのでこのようにフラットで真っ直ぐな道を少々不思議に感じる。走りながら学生時代に良く聞こえていたダークダックスの「銀色の道」を思い出した。
年を取るとモヤモヤしていた人生の道が次第にはっきり見えるように感覚される。ゴールが近づく効果ではないかと思われる。

本日夜更けてまた看取りがあった。救急車を呼ばずに助かりました、と言われたが、年末のお二人に続き10日で三人になった。帰宅すると頭が冴えてしまいわずかな眠りだけで離床した。例年冬の死亡率は高いが、このところの看取りは今冬の不安定な寒暖の影響か。

午後から散髪。
馴染みの店に行くと、連休はどうするのと聞かれ、えっ何時ですかと返した。明日ですよ、明日、と言われ、寝不足を取り返せると大いに喜び、温かい室内の椅子でウトウトした。

明日あたりから予報に晴れマークが時おり見受けられる。少し気温も上がるようであり、一時的にしても有り難い。

コマーシャル映像の今昔 上手く行かないスマホの転送。

2022年12月16日(金曜日)

頭が忙しい時に時々観る動画がある。ご覧になった方は沢山いらっしゃると思いますがコカコーラのコマーシャルでバブル期のもののようです。

映像は若者から老人達までさまざまな人々の幸せそうな場面がコマーシャルソングとともにちりばめられます。それぞれは特別な設定ではなく、いわば日常的な一コマです。

服装や風俗、行動などから今とは異なる時代のものであることが分かり、爽やかで明らかな懐かしさが感じられます。何か違いがあるのなら何なのでしょう。観ているとある一つのことが気になりました。皆さんは如何でしょうか。

遠近どの人も、どこにもスマホ(ケータイ)が写っていません。全て演出でしょうが、現在ではこれだけのシーンをスマホ無しで撮るのはむしろ無理なのでしょう(当時すでにpcやポケベルなどはありましたが)。

多くの場面で(コーラ以外)両手が空いているのも新鮮で、自由に触れあい反応しあい行為に夢中です。そのことが人が生き生きし、ひいては幸福そうに見えるのは私だけでしょうか。

ところで話変わり、在宅で長期間の処置で褥瘡が縮小しましたが、ある部分に出来た空間(ポケット)が中々ふさがらない方がいます。その方を外科で皮膚を部分的に切除する等修復治療(デブリードメント)を依頼するための写真を新しいスマホで撮りました。
カメラは鮮明で素晴らしいのですが、操作が不慣れで何度も撮り直しました。

傷と看護師さんの手。

帰宅してから画像を私のpcに転送しようとしましたが出来ず、スタッフにやってもらいました。しかしいざ自分一人になってやってみると上手く行きません。
あまつさえ途中で手が滑り、だれかに電話が掛かってしまい、その止め方も分からず、済みません間違いました、と言って相手が切るのを待つことが三回ありました。
※IT本来の価値はこの画像を相手のスマホかパソコンに直接送るのでなければあまり意味が無いのかもしれません。

そんな訳で私の新しいスマホは、早くも怖くて触れないピカピカしたものとして、そっと棚に置かれたままになりました。
電話帳?住所録?も以前のものと全く様子が変わっています。
来週になったら、医師会のIT関連の方に来て頂き、しっかりノートを取り今後のためにしようと考えています。

初雪の日 ワクチンの毎日 シュトーレン。

2022年12月2日(金曜日)

昨日はぐっと気温が下がり黒雲が垂れ込めた。夜間はさらに寒く、今朝アラレの音がして大きなカミナリがドーンと鳴った。

午後の美術館の庭の一部に雪が残り初雪となった。

 

 

窓に貼り付いたモミジの葉。

寒空のもとご来館のお客様、有り難うございました。

さて5回目のコロナワクチン、例年のインフルエンザワクチンで忙しい。
インフルエンザの発症は過日の一人だけだが、コロナは毎日数人の相談ないし診療がある。

日本の8波感染数報告は世界でも最多レベルにあるようだ。熱心にカウントをしない国も多いので、日本は相対的に多いという見方もされている。
流行して早くも3年が経とうとしている。当初に比べ死亡率は大変減少しているが、感染数と比例するのでやはり油断は出来ない。

 

5回目、オミクロン対応ワクチンのシリンジはブルー。
午前12人午後6人がルーチンになっていて、1月まで続く。

 

頂いたシュトーレンを切って食べるのもルーチン。

明日土曜日は晴れるらしい。白鳥の良い写真が撮れれば。

検査当日と翌日の退院。

2022年10月24日(月曜日)

検査日の10月20日、15時半近く看護師が迎えに来て検査着に着替えた。スリッパを履き、今や分身となった点滴スタンドを押して看護師とともに検査室まで向かう。

検査着に着替えて記念撮影。
病後一年数ヶ月、意識して7キロは痩せた。
それが心腎の保全にも良かったと思っている。

昨年の救急では真っ暗に感じていた深夜の検査室がとても明るく思われた。施術する主治医医師と担当スタッフに挨拶して十字架に似た細いベッドに両腕を拡げて寝た。前回行った剃毛や導尿カテーテルの挿入はなかった。
検査のためのカテーテルとやワイヤを通す右手親指下の動脈周囲に局麻が打たれる。痛みはこの時だけで検査終了まで何処にも痛みはない。

検査が始まって静かな室内に心電図モニタの心音がピッ、ピッ、ピッと規則的に響く。前回のピピピッ、ピピなどの不整脈とは大きな違いだ。
最後に、検査目的の一つである、ステント設置せず経過を観た狭窄血管について、病変前後の内圧比を調べる検査(FFR)が行われた。医師達がやり取りする数字から機能の回復が想像できた。検査は40分ほどで終了。動脈射入部を止血固定し室内にほっとした空気が流れた。

すぐにモニタ室に呼ばれ検査動画を観ながら待っていた妻とともに主治医の説明を受けた。結果は去る21日のブログの通りだった。

翌日の退院が9時と決まり、妻と別れ再び病棟看護師と一緒に点滴スタンドを押して部屋に戻った。夕刻に少し本を読みぐっすり眠った。

21日退院の朝は晴れ、朝食を摂って部屋を片付けた。9時頃看護師が点滴を抜きに来た。
問題の腎臓を造影剤の悪影響から守る点滴処方をした主治医先生に感謝し、忠実に実施した看護師さんたちにも同じ気持ちだった。繋がれっぱなしの点滴はもう一人の恩人に思われた。

 

退院日、朝の窓外。
配膳に付く食事票に描いた。

 

迎えに来た妻と10時過ぎ病院を後にした。

お世話になった主治医F先生とスタッフの皆さま、そして妻にあらためて深く感謝します。

入院の種々 輝くスタッフ愚かな自分。

2022年10月23日(日曜日)

【点滴したままの着替え】
さて入院一日目、用意された病衣に着替えると直ちに点滴が始まった。二泊三日の入院期間中、点滴に繋がれたままの生活を送ることになる。
スタンドを引っ張って衣類などを片付け、本を読みトイレ、自販機に行った。

しばらくすると看護師が状態のチェックにやってきて、服が少し大きいようだからと小さめのを届けてくれた。だが私は高い点滴スタンドのバッグまで長いライン(チューブ)で繋がっている。着替えるにはどうすればいいのか。左袖からこの一式を抜かないと服を脱ぐことが出来ず、新しい服はその逆をしなければならない。一人で出来るだろうか。

着替えは難問だった。
まず自由な右袖を脱いでみた。左袖を通して服全体が点滴チューブにぶら下がるような形になる。次ぎは点滴を止め、ラインをバッグから外して袖から抜くのか。だがこれは露わになっている先端の針が服に接触するなど不潔を免れない。
では点滴チューブを抜かずにバッグごと袖を通せるか。見ると袖幅に余裕がありそうだった。バッグを台から外しチューブを伝って服の袖を移動、最後に袖からバッグを抜いて服を外した。

新たな服はこの逆を行った。だが一連のことは手品か曲芸のようで、万事神聖で合理的な病院に相応しい行為に似つかわしいとは言えなかった。看護師を呼ぶべきだったか。

実は翌日、点滴をしたまま検査着に着替える場面があった。この時は看護師がいて、まずコネクターの上部チューブと射入部それぞれの流下を止めてコネクターの連結を外し、露出した接合部をアルコール綿で消毒後、袖を通して脱いだ。その後新たな服に袖を通し、再び消毒しラインを繋ぎ着替えを終えた。

点滴をしながらの着替えはこれが正式であろう。遠い昔の勤務時代にはやっていたような気がした。眼前でよどみ無く行った一年目という看護師を敬意をもって見た。やはり誰かに来てもらうべきだった。

【あんかと電気毛布】
本ばかり読んで過ごしていた初日、夕方テレビを点けるとニュースは翌朝までの強い冷えを伝えた。大事な検査を控え、寒がりの自分には掛け物一枚では眠れない。

流しから熱い湯が出る。起きて傍らのペットボトルを空にして湯を満たしタオルにくるんだ。足元に置くとぽかぽかと気持良い。
これで眠れると目をつむった。
だが頭が冴えるので本を読む。
時は過ぎ看護師が預かった私の常備薬である睡眠導入剤を持って消灯を告げに来た。
ペットボトルの湯のことを話すと、湯たんぽがありますよ、入れましょうと仕度に帰った。すると今度は別の看護師が点滴チェックに現れ、あんかのことを話した。
彼は今夜の寒さは特別らしい、電気毛布があるからと、持って来てくれた。あんかの看護師には毛布の話をしました、という。
電気の掛け毛布は初めて。今度は眠れる、、、。

【不眠の原因】
しかしやはり寝付けなかった。緊張していたわけではなかったが、何故だろう。前年の入院では不眠など全くなかったのに。4時を回っても眠れず、室内が明るみを帯びたころ僅かの睡眠と短い夢を見ただけだった。
おかしい。
初めての電気毛布でもなかろう。あるいは前日午前中、腎臓の負担緩和を思って飲んだペットボトルの「生茶」のカフェインが影響したのか。

検査日の朝を迎えた。朝食を終え配られた薬を飲み、傍らのテーブルを見ると、なんと前夜もらった睡眠導入剤がそのまま置かれていた。
飲み忘れ、全く馬鹿げた原因だった。
夜間のペットボトルとあんかに続く電気毛布の一件に紛れてすっかり忘れていた。

何かの支障の原因が分かったとき、それを正せば問題は片付く。しかし不眠の原因が翌朝かわっても、薬を飲み直すわけには行かない。普段それほど効いていると感じない導入剤だが、こんな形で薬効を知るとは。

検査日朝7時ころの窓外。
駐車場はガランとしている。

9時にはスタッフ(手前)や患者さん(向こう)の車で埋まってくる。

病院スタッフ、なかんずく看護師さんたちは大変マメだ.。交替勤務で入れ替わり立ち替わり現れる。ドクターのオーダーを共有しチェックし検査に向けて齟齬なく対応する。
一方私はひとり怪しげな着替えをし、薬を飲み忘れ、寒がり、不眠に到る。輝かしい皆さんに比べ何と愚かしかいことか。

入院中の主な出来事は以上です、この先検査当日をもう少し書かせてください。

長野から再びお客様 入院の種々(くさぐさ)。

2022年10月22日(土曜日)

【長野県からのお客様】
去る18日、長野市から団体で来館された男性が、今度は奥様連れで本日再び来られたと聞いた。樹下美術館が気に入ったからということ、何と有り難いことかと喜びました。

本日お客様の話で、先日の皆さまの熱心な鑑賞態度はどこへ行っても同じと、伺った妻の言葉。さすが勉強熱心な長野県人だと感心しました。どうか季節が変わりましたなら又お寄りください、お待ちしています。

【二泊三日入院のわけ】
さて前年発症した心筋梗塞による入院は夜間の救急搬送だった。当直医の応急処置と診断後、冠動脈拡張術のため循環器内科医師とスタッフが招集され、深夜に掛けておよそ3時間カテーテルによる造影検査と処置が行われた。
慌ただしく動く皆さんに囲まれながら、当の私は不整と微弱で必死の心臓をよそに終始ぼんやりしたまま身を投げだしていた。

そして今回1年2ヶ月通院の後、10月19日午前、予約通り受付と循環器内科外来で手続きし、9時半に病室に入った。付き添った妻が帰ると直ぐに病衣に着替え点滴が始まった。

この度は検査前後の一日半、生理的食塩水(生食)を主とした持続点滴を受ける。私のように元来腎臓に一定の問題がある人間が負担が大きい造影検査をするには、臓器への負担が無い生食を投与し続けて造影剤による負荷を薄め軽減を図らなければならない。
外来で、あるいはせいぜい一泊入院で済む検査を二泊三日かけて行うのは、腎保護を考えてのことだった。

 

とても若い看護師が射した点滴部位。
これだけで前後6本の持続点滴が受けられた。

 

三本目から連結になった点滴。

【岡倉天心の本】

持参した「茶の本」(The Book of Tea)。
岡倉天心著 立木智子訳 平成6年淡交社発行。
明治39年英文による著作は欧米で販売され反響を呼び、
以来多くの訳本も出版されている。

原著を読んだことも見たことも無いが、この本から明治時代にあって、岡倉天心の英語力と深く膨大な教養に驚かされる。アメリカ留学歴がある天心の欧米人への訴え方は洗練されていて、いま我が国で日本文化と固有の美をこれほど上手く伝えられる人がいるだろうか、と考えさせられた。

訳者の言及にあったが、明治の文化人たちの教養は凄まじいものがある。このことは時々お会いする二代陶齋・齋藤尚明氏もよく指摘される。

このたび、これまで途中で投げ出していた本を点滴しながら二回読むことができた。
昭和62年から下手の横好きのまま続く私の茶。何らかの形でずっと続けていたいと痛切に思い、そのためにも我が心臓と腎臓にはもう少しのあいだ頑張ってもらいたいと心の底から願った。さらに天心の晩年の山荘であり終焉の地でもある妙高市赤倉に建立されている岡倉天心六角堂へ、是非とも行かなければならないとも。

本日は時間がきましたのでここで終了させてください。
後日この続き【働く病院スタッフ】【点滴をしたまま衣服を着替える】、【寝不足の原因】、【検査と結果】などを書いてみるつもりです。

無事終わった冠動脈造影検査。

2022年10月21日(金曜日)

一昨日19日午前中に上越総合病院に入院、翌20日に冠動脈脈造影検査を行い一泊して本日午前に無事退院した。
昨年7月夜心筋梗塞を発症して救急搬送され13日間入院治療を行い、その後定期的に通院。この度の入院は治療成績を評価し今後の方針を決めるのが目的だった。

結果、設置された2本のステントは望ましい形で働き、これまで経過観察した狭窄部は十分な数値まで機能回復していた。
腎機能に問題があるため最も危惧された造影剤による腎への影響は、検査後最小限度に留まり、今後通院の必要はないでしょう、と主治医から伝えられた。

短い入院でしたが主治医先生はじめ担当看護師およびスタッフの皆さまには大変お世話になり感謝に堪えません。

本日は結果の報告をさせて頂き、当院の患者さんや施設関係の方々、周囲の皆さまにお掛けしたご心配やご迷惑をお詫びし、明日からまた元気に生活と仕事に向かえることをお伝えさせて頂きました。

この先、入院中のことなどを少し記載してみるつもりです。

健診のこどもたちと受け持ち。

2022年10月14日(金曜日)

過日のこと近隣の保育園で秋の健康診断があった。45年以上携わっているが園児達は昔も今も変わらずにあどけなく可愛い。
昔は鼻たれさんやひどいアトピーのお子さん、胸部に喘息音が聴こえる園児がいたのに、昨今まずそのような児を診ることはなくなった。

過日の健診で正常な呼吸音と異なるかすかな副雑音のお子さんが一人いた。傍らの園長に告げると、RSウイルスが治癒し登園してきたお子さんだという。
登園は掛かりつけ専門医の判断だと思われるが、冬に向かって増える低年齢ターゲットの本感染症は今後いっそう油断できない。

昨日16時半すぎの空。

集団で行う健診における保母さんのこどもたちに対する態度で気になることがたまにある。
当然のことながらこどもたちは程度の差はあれ、健診中におしゃべりやいたずらをし、時には走り回る。そして状況はクラスや年令により異なる。

現場では園長がそばに付いて記録し、担任の保母さんが子の名を告げながら衣服を持ち上げ、聴診などを行う。
かってあるとき、こどもたちの列がまとまらず走り回る子が沢山いて、保母さんは次の番の子を追いかけるのに忙しく、なかなか介添えが出来なかった。

一方その日あるクラスの保母さんは、左手で先頭の児のシャツを持ち上げ、間に一人を挟み、右手を伸ばし三人目の子の肩を抱え、これを繰り返し全体を円滑に進めた。同じ日のこの差は何だったのだろう。

園長さんに訊くと、経験ですねと言った。前者の保母さんは新人で、後者は若く見えるが20年の人と聞いた。
なるほど。
それにしても20年の保母さんの手際が鮮やか過ぎて、誰にでも出来るものなのか。普段の意識や情熱もあるのでは、と思った。

以前小学校健診で、騒がしいクラスの担任は始終「黙って!」「静かに!」を連発した。一見熱心そうに見えたが、そもそも良い先生のクラスがこんなに騒がしいものだろうか.。先生の声の方がよほどうるさかった。

ある時の担任が「お医者さんの聴診器の音が良く聴こえるように、みんなで静かにしましょう」と予め言い、全体が穏やかだったことが思い出される。

その昔、わずか数人の子どもがクラス全体をひどく荒らし、それが学校全体に影響する時代があった。その頃の担任は大変だった。

 

同じ日17時閉館間際の別の方角。

少なくともピークまでは全数を 報告を簡素化し保健所のさらなるテコ入れを 世界をウイルスが握っている?

2022年8月18日(木曜日)

朝からの風が一日中吹いた日。午後休診だったが妻が持つ携帯にはコロナ受診の問い合わせがいくつかあった。

今夏“社会活動の維持”を目指して国は活動と移動の制限を緩和した。しかし夏休みとお盆を機にすぐさま予想を超える(多分)感染拡大へと転じ、結果個人や企業の事業休止と部分的縮小が随所に見られ、皮肉にも“社会活動の制限”が現実化している。

状況は業種全般を覆っていると考えられるなか、特に対人に深く関係する医療とサービス業は直撃され、製造業までも深刻ではないだろうか。
凄まじい流行の前に全数把握は無理、あらためてという議論が始まっている。しかし感染報告の内容と方法の簡素化によって医療機関を助け、保健所は臨時雇い入れなど強力なテコ入れを図り、せめてピークが見えるまで全数報告を続けてはと思う。

コロナ禍は疾病の疫学、臨床はおろか政治経済にとっても初体験の厳しい試練。できるだけ正確な記録は感染克服とコロナ後に向けて施策の基礎となる重要な拠り所になるはずである。国県にはもう少し粘って実態に添ってもらいたい。

ウイルスに完全にペースを握られたまま死亡数がじわじわ増加している。以前も書いたが、本当は戦争などしている場合ではないのだろう。万一深刻な感染が当事国の疲弊を加速させ戦争の休止あるいは終止を促すことまであるならば、その時コロナを一体どう理解すればよいのだろう。

たわわに実っている近隣の水田。

真っ青だった田んぼが一挙に色づき始め香ばしい香りが漂っていた。

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