医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
上越市最近の話題から その1新幹線
このところ上越市で注目された話題が二つありました。予定新幹線駅の名称と厚生産業会館の建設に関することでした。
【新幹線への感想】
新幹線駅名を考える会が最終的に提言したのは「妙高高田」でした。分かり易く爽やか、語感に格調・安定感があって好感が持てました。募集順位の上位二つには越後が付いていましたが、溌剌さに欠けていたかもしれません。あえて三番目を推した委員会の見識に敬意を覚えました。このまま決まるような気がしますが、はたしてどうでしょうか。
答申された駅名には直江津や頸城に関して表現されませんでした。しかしまず爽やかな表札が掛かれば後は家の中身が問題になることでしょう。上越のはずれ樹下美術館は、新潟・長岡の両市に近いメリットも生かしながら精一杯維持発展の努力を続けたいと思いました。
ここで2点ほど。
●それにしても上越一帯の国道とその歩道、さらに中央分離帯などの雑草繁茂は凄まじく、植え込みは何処へやら眼を覆わんばかりです。立派な駅名が付いても「雑草のまち上越」では、とてももてなしになりません。
人を迎えるのであれば足許。少なくとも国道の雑草をしっかり管理し、まず足許に磨きをかける必要があろうと思いました。
●色々懸念される新幹線メリットですが、メリットの一つに医療充足への期待は如何でしょうか。富山・石川の両県は足しても人口、面積などで新潟県より小規模の地勢です。しかしこちらは医学部が一つ、あちらには三つもあるのです。
上越-富山37分、上越-金沢42分。新幹線によって北陸から上越へ、通勤など医師往来の可能性が生まれそうです。医師数が切実に不足する上越地域は、人的交流を北陸へと広げ、ぜひ新幹線メリットとして生かして欲しいと願われます。
一方、上越-東京1時間35分、上越-長野16分というメリットも医師の往来のほか、医療の広域化としても注目されるのではないでしょうか。いずれにしても上越地域の医療水準の向上への付与を期待したいと思います。
時間をみて厚生産業会館について若干を記せればと思っています。
「指示が入る、入らない」を止めよう。
10年ちょっと前、介護保険が始まる頃、保健、介護、リハ、看護、と多様な職種の方たちと交わるようになった。いろいろ話が聞けてためになったが、認知症に関連した奇妙な言葉にも出会った。
「この方は指示が入りません」、「指示は入るのですが、すぐ忘れます」などという言い方だった。こんな言葉は病院にいた時も、20数年の開業でも聞いたことがなかった。
この地域だけの言葉だろうか、一部でかなり一般的に使われていたように思われた。
言葉は如何にも上から目線である。そもそも今どき「指示」はまずい。さらに「入る入らない」はなおさら問題だろう。あたかも動物かロボットを相手にしているようではないか、あるいは古い時代の看守など も浮かぶ。
「言ったことを理解出来る出来ない」、「助言を行える行えない」などの事だと思われた。治療者や介護者の言葉としては乱暴かつ冷酷であり何とも悲しかった。
かなり前、このことを地域の関係者の会議で述べた事があった。しばらく耳目にしなかったが一昨年の介護職の書類に使われていた。その頃ちょうど厚労省から人が来て上越市の担当者を交えた集まりがあったので改善を要望した。
そして今日の在宅訪問。同席したケアマネージャーが「指示が入らなくなっています」、と言った。ちゃんとした仕事をされる人だったので残念だった。相談ごとを済ませてから、言葉について皆さんで話し合ってみて下さいと告げた。
介護の現場は一定の洗練を続けている。しかし、いつか自分がお世話になる時に、この人は指示が入らない、などとは言われたくない、、、。
夜9時半を回った。先ほど痰が詰まって苦しそう、という方を往診した。最後までお願いします、と言われハイと答えた。何とかやってきたので何とかやっていけるだろう、というハイだった。満月を終えた月がむら雲とやりとりしていた。
新潟市への往き帰り 船とトンネル
厳しい暑さを越えたころから在宅の方たちがが続けて発熱された。大方回復に向かわれ、入院の検討が必要だったお一人も今朝解熱された。
例年、夏と冬は寒暖のピークを過ぎたころに用心が必要な期間があることを知らされる。
今日木曜日午後は一応の定期休診で新潟市へ産業保健の講習を受けに行った。職業性呼吸疾患(じん肺)についての講義だった。作業環境改善と健診の注力でこの分野の改善は著しいが、長年の観察が必要で油断できない。
向こうに見える「えちご」は第九管区海上保安本部最大の巡視船、二基の砲門(機関銃らしい)が見える。その昔、能登半島沖を数人のクルーとヨットで航行中に近づいて来たのは多分この船。はるか沖合で出会うと少々怖い。
新潟県所属の多目的漁業調査指導船、「越路丸」が入港してきた。
なかなか格好良く、研究室付きの漁船といった感じ。
遠くに巨大な新日本海フェリー「しらかば」。深夜に新潟を出港して翌日夕方に小樽へつくという。ぜひ乗船してみたい。
寺泊で見た漁船。赤と白のペイントはテレビで見るヨーロッパの舟のように美しかった。
新潟市まで高速道路を含めた運転が90分、講義90分で緊張の3時間。受講後は車を留めたホテルで珈琲を飲み、みなとぴあでしばし船を見た。それから海沿いの道をすたすたと走って帰ってきた。
柏崎の手前で椎谷トンネルを通った。照明がグリーンで目に優しくとてもきれいだった。椎谷岬の国道は2007年の中越沖地震の崖崩れで通行不能となり2010年1月トンネルとして開通したという。あの岬の坂道は語りぐさになった。
新潟県立柿崎病院 愛着病院 大夕焼け
今夕はおどろおどろしいほどの夕焼け。ほぼその時刻を新潟県立柿崎病院の症例検討会に参加していました。検討会でツツガム病と結核の症例が呈示されて非常に有意義でした。
検討会を終えて懇親のため病院から出た途端、我が眼を疑う大夕焼け。皮肉なことに大夕焼けはしばしば台風に付随します。はたして上陸地域の被災は如何ばかりだったのでしょうか。
ところで柿崎病院さんは、藤森院長以下常勤医師4名による正真の地域密着病院です。何かと大病院に気が引ける切実な患者さんを助けて頂いて、いくら感謝しても足りません。地域の密着病院を越える愛着病院として長くl粘って頂きたいと心から願っています。
終わりは良く
明け方前に、5年ほどみていたおばあさんが亡くなられた。
家で大切にされ、つましくもよい介護を受けられた。10日前頃から食欲が落ちたが、逆に顔の浮腫がとれて目鼻がはっきりした。「お顔がきれいになりましたね」というと、痩せた顔をくしゃくしゃにして喜んでくださった。
その後も、きれいになったって言われてよかったね、と介護者が話すと、喜んだという。
いつ頃からか“終わり良ければ全てよし”を思っている。人生はまさに色々だ、しかし何かがあっても最後のどこかが良くあれば、それを持ってあの世へ行けるのでは、と。
反対に終わり悪し、の場合もある。そんな時は見かねて「まもなくこの世に居なくなる人ではないですか。もう少し優しくしてあげましょう」と家族に話した。はっとした顔をされ、それだけで変わることがあった。
扇風機がきた 今夏は食中毒にいっそう注意して
日中晴天の一日、気温は30度を超えた。昨年は今頃から高齢者を中心に一斉に熱暑の影響が出た。
昼過ぎても反応が鈍かった母は、クーラーで1~2度室温を下げると夕刻には少々の生気を取り戻して何とか食べた。
拙室に初めて扇風機が来た。“弱“でも結構強くて辺りの紙がひらひらする。憧れのクーラーをどの程度我慢できるのか、頼むぞ扇風機、部屋は昭和50年代の風が吹いている。
ところで先日、産業医としてある工場の巡視をした。事務所の隅の蛍光灯を取ったり、窓を開けたり、機械の稼働に配慮したり、清涼飲料の自販機を減らすなど節電15%を仮定したノルマに懸命に挑んでいた。しかし一階はまだしも二階に上がると一気に室温は上がる。罰金付きのノルマということ、工場の努力をみてクリアはぜひ報償を出してもらいたい、としみじみ思った。
話題がお弁当におよんだ。およそ100人の職員は食堂で二社の配達弁当で昼食を摂るという。一社はおよそ一時間前に届くが一社は早く、およそ2,5時間前ということだった。
室温の15分でおよそ二倍の増殖レベルを細菌に仮定すると、汚染は150分で500倍を超えてくる。もっと早い者もあり、当初の微細な菌付着でも中毒の発症水準に達する可能性を否定できない。
食堂と保存場所は二階、かつ今夏の節電で1~2度の室温上昇が及ぼす影響は無視できないのでは。配達時間の明確な短縮を緊急課題にすることにした。もうその時だが杞憂でもいい、昨年並みの暑さなら食中毒は重要なテーマになる可能性があると思った。
平成5年だったか6年だったかの夏、おにぎりやお盆の仕出しで頻繁な食中毒が発生した。訪ねた家で7,8人、家族と客全員が倒れていたり、夫婦のために一本のスタンドに二本の点滴を吊すなどの対応が必要だったことがあった。
近年、衛生環境が改善されて、夏の出来ごとは減った。しかし今夏~秋半ばは特別な注意が必要かもしれない。
厚労省では6つの注意を挙げている。しかし室内の食品保存に関して室温や時間の具体的指示は見られない。“出来るだけ早期に食べる”ことはしっかり意識したほうがよさそうだ。
(6月23日AM0時半ころの記載でした)
煙突女学校 世が世なら
この人は輪ゴムが好きで、ゴムをはめたままだったのでうっ血したんでしょうか?嫁ぎ先で100才近い実母をみている奥さんが言った。
ゴムの跡から先のお年寄りの手が赤く腫れていた。症状はさほど問題ないが、うっ血の言葉を正確に使われたので少し驚いた。
看護師さんをしていたのですか?と訊いた。
「ああ恥ずかしい全然です。私は煙突女学校ですワ」と仰った。うっ血はテレビで聞いたかもしれない、ということ。それにしても煙突女学校とは。
「私ら中学校を出てすぐ富山の紡績工場へ就職しました。高い煙突がある大きな工場で、学校みたいに見えるので、煙突女学校と言ってました」。工場の寮生活ではお花や裁縫を習い、ある種学校の雰囲気もあったという。
「家に金が無かったから高校へ行ってません、そのかわりの女学校ですね。みんなもそう言ってました」。
富山の紡績工場、、、呉羽かな、、、高校の地理で習った。この人はそれを実際経験している。聞いたことがない言葉も、、、。
私より二つ上の彼女は常におおらかで明るく、介護の要点を把握し、質問なども要領を得ていた。
「こんな年まで世話かけて悪いね」
ある日、一緒に入浴した母親が言ったという。彼女は“そんなことはない、長生きはいいことだって新聞に書いてあったよ”と答えた。新聞に書いてあった、の一言が効いたのか親は安心していました、と笑って話してくださった。
なるほど確かにそうだ、賢い人だなあと感心した。
F子さんは、高校や大学へ行かなくとも、何かと適切に振る舞う代表選手のようだ。もしかしたら富山では周囲や上司の信頼は厚かったかもしれない。明るくはっきりしている言葉からそう思った。
お顔もどことなく上品で、職人あがりの静かな旦那さんはいつも幸せそうに日曜大工に勤しんでる。
彼女もまた「世が世なら」の一人なのか。少なくとも余計なことを考えないで、現実に直面できる望ましい性格の人なのだろう。うっ血からそんなことまで考えてしまった。
早く逝きたい 自然な長生きを
「先生、早く逝かせて」。初めて訪ねるころの超高齢者が口にされることは希ではない。この場面にはいつも悩まされ、「また言っている」、とそばのご家族が叱るように仰る。
前なら、“二十歳で戦死した兵隊さんたちのことを思えばもったいないですよ” “事故や病気で若く亡くなった方もいるじゃないですか” “仏様がもう少しそっちに居てと仰ってますよ”などと言っていた。
その後理屈はダメだと思い、がらっと変えた。まずは「そうですよね、長生きも退屈なんですよね」など同情から始めて見る。それから伺う度に、
「子どもの頃はどんな風に遊びましたか」、「子どもも田んぼを手伝ったのですか」、「昔の浜はイワシやカレイが沢山とれたそうですね」、「奉公に行ったことがありますか」、「新婚旅行はどこでしたか」、「東京へ行ったことがありますか」、「寒くないですか」、など答えやすい質問を試みる。
すると死にたいと仰った人が色々話しだす。新婚旅行は無かったと大抵否定されるが、否定は元気な証拠だ。東京が無ければ善光寺は?と聞いてみる。おばあさんなら、実家のこともいい。さて帰ろうかというころ「また来ますよ」と言うとしばしば「ありがと、また来てくんない」が返る。
お年寄りのスイッチは比較的簡単に切り変わる。ご家族が少しでも真似るようになると、落ち着く傾向がみられて前進する。
ところで、この2月末頃から不整脈を悪化させ、連日苦しまれた方がいた。昼夜の往診を続けたあと、一両日かもしれません、とご家族に告げた。まもなく100才になられる方だった。お嫁さんは、薬や飲食のことを心配され、せがれさんは涙をいっぱいためて、お世話になりました、と仰った。
それが、その日を境にゆっくりと回復に向かわれた。往診の日など「先生の前で粗相するといけない。トイレに行く」と這っていって用を足されるという。無口で黙々と自立され、散歩も欠かさない方だった。長生きと気丈をあらためて振り返った。
上越市は介護保険料や重度の要介護者率は全国でもトップクラスという報告がある。財政への重圧は事実だろうし、大震災以後なおさらかもしれない。
しかし、私たちは目の前で苦しむ人や、死にたいと言う人をみると何とか助けたいと思う。苦しむ人を見るご家族の心配も自然に感じる。
今日、心身への気遣いや医療・保健・介護によって、元気に90、100へ長生きが可能になった。ただ超高齢における安易な管類挿入は避けたいし、戸外を促し、事情によって良心的な施設が選べるようになればもっと安心にちがいない。
上越市は合併で日本一人口の多い過疎地になったと聞いていた。介護費用がかさむのもやむを得ない。いっそうの疾病予防と、国費の支援は当然ではないだろうか。
福島県からのお子さんたち そして夏は来ぬ
学校医をしている大潟小学校のPTA誌「あらいそ」。今年から始まったミニコラム絆のスタートに書いて、ということで駐在さんと一番バッターをしました。
福島県から上越市に避難されたお子さんの多くが、新学期から大潟区の小中学校に転校されました。それで福島の友達とのことを書きました。
わずかなスペースをなんとかうめて拙文とし、本日それが届きました。
新たな人との関係は、なにかとこちらの事ばかりを話したくなりますが、ぜひ相手(福島のみなさん)のことも聞いてほしい、一心を書きました。※文中の大潟町→大潟区でした(汗)。
そして本日は地元の保育園で春の健診。小中学校だけでなく、保育園にも10人ほど福島県からの園児が通っていることを知りました。
こうしてみますと、避難された方たちの中に如何に若いご夫婦が多いかが、あらためて分かります。職業のこと、教育、不慣れな生活、、、大変だろうなと思いました。まず何よりお子さんたちが当地でのびのび出来ることをお祈りしています。
どうかみな様頑張ってください。御地の回復、そして時には当地で楽しんでいただければと心から願っています。
卯の花の匂う垣根に、、、♪の「夏は来ぬ」は大潟の人、小山作之助の作曲です。作曲は古く明治29年でした。曲は音階を上げていって高らかに終わります。
このことについて、團伊玖磨氏が随筆集「好きな歌・嫌いな歌」で曲の斬新さを賞賛されていました。確かに季節にふさわしい晴々としたエンディングだと思います。ちなみに以前にも書きましたが、作之助は小生の祖父の兄です(再汗)。
夏を迎える満開の白い花を見ますと、あらため花も曲もいいな-、と思いました。
がんばれ介護保険
昨夜の要介護認定審査会を最後に審査委員を終了させてもらった。審査委員は止めたが、意見書はじめ患者さんがお世話になっている制度とはまだお付き合いが続く。同制度は医療と共にある重要な両輪の一つだ。
介護保険には思い出が多い。、
平成12年制度発足まで数年間を地域福祉計画策定委員会、それを引き継いだ介護保険計画策定も会議責任者としてしぶとく議論を重ねた。
完成した計画案は平成12年の施行に向けて町の議会で承認された。承認に当たって陳述をもとめた。いまだ介護保険を忌む空気が一部にあったからだった。悲惨な現実に対応する制度概念とサービス項目の優先順位などを精一杯訴えて責務を果たした。
前後してスタートする制度に対応すべく要介護認定作業が始まった。頻回な研修や模擬審査会が連続し、語りぐさになるほど疲労困憊した。医師審査委員の選任も重要であり、総動員に準ずるルール作りを急いだ。
非公式な活動では、
旧大潟町の医師達もまとまった。介護保険施行の数年前、訪問入浴車の重要性を訴えて皆で役所に補助の請願をして認めてもらった。また制度周知のため費用を出しあって専門家を招聘し、住民説明会を行った。個人的には自院の患者さん達にアンケートをお願いし、結果報告と説明会を催した。40ページの小冊にして臨んだ。
夢中で書いた投書が新潟日報“窓”欄と朝日新聞“声”欄に載ったのも懐かしい。
f
介護保険前年、平成11年6月、アンケートに基づく制度説明会。
患者さんはじめ大勢参加いただいた。男性も多く見えて頼もしかった。
始めにSPレコードで歌を聴き、終了に「誰か故郷を想わざる」をレコードとともに皆で歌った。
町の計画策定会議では真摯な課員のお世話になった。ある制度見直しの年、保険料の財源不足が見込まれて大きな課題となった。
保険料を一様に増やすと低所得者へしわ寄せが強くなる。この緩和のため高額所得者の負担増を目して5段階の負担区分を6段階に上げることを検討した。
くだんの担当者は全国の状況を調べて6段階の自治体をいくつか見つけた。やりますか、やろう、と承認を得て計画に盛り込んだ。
総じて介護保険は苦境の中で開かれた制度として頑張ってきた。考えられないことだが、遊び半分の人間達がメチャクチャにした年金などとは全く違う。この震災で当制度もさらに厳しい環境になろう。苦しいが、みなが110%働くことで正念場を乗り越えられると思う。
長くなってしまいました。
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