ほくほく線電車&乗り物

自然対人、人対人の災害 あと二日の「はくたか」は雪の中。

2015年3月11日(水曜日)

昨日この場に〝人間はあらゆる面で自然に依存しているが、自然は人間を相手にしていない〟と書かせて頂いた。
災害をもたらす地殻や気象変動の無慈悲な一面は、一方的な関係を完膚なきまで知らしめる。

だがどんな仕打ちがあろうとも、
自然(地球環境)は私たちを誕生させ糧を与え楽しませてくれる親のごときものだ。
私たちはその膝に乗り背中に抱きつき髪を嗅ぎ母のごとく慕い親しむ。
そんな親同然のものが突如私たち向けて圧倒的な力で攻撃に転じることがある。

まさか〝これを越えよ〟という試練の親心ではあるまい。
〝慢心をいさめよ〟という教訓でもあるまい。
厳しさと強大さに対してただ畏怖し、できればそこに学び懐かしむほかないのである。

3/11から5年目となった。あらためて地震津波と原発事故の違いを感じる。
前者は自然対人の関係だが、後者の因果は人の所業が関わっている。
放射線災害の特殊事情から、今もって10万もの人が4年経っても郷里を追われたままだ。
慕わしい親である海山を汚染させ人を蹴散らした。
歴史上恥ずべき事実である。

さらに、この程度の放射線などは怖くないから早く戻ればいい、と言う一群の人々。
冷酷な上から目線と他人ごと感覚には被災同胞への洞察も何もない。
利害が絡む人為災害のこのような側面もまことに悲しいのである。

ところで事故後の「避難計画」が原発再開の条件の一つらしいが、本気なのだろうか。
「さしあたりの逃げ方」の事のようだが、検討するほどに複雑膨大で幻と闘っているように見える。
しかも逃げた後からが大変なのに、「生活再建計画」や「帰還計画]、同時に一帯の「処理や復旧計画」などについて基本的な考えも出ていない。
重い責任当事者の異様な安易さである。

そもそも原発を稼働させるために「逃げる計画」が必要だという事自体、悪夢に近い。
近くの避難場所でなく、何十キロも遠くへ、ともすればふる里を捨てて逃げなければならないのである。
地域の将来にこんな惨めで愚かなことを想定しなければならないとは、
一体何のために生きて税を払ってきたのだろう。

もう根本から考え直すべきであろう。
この國の知恵と力の全てを出して舵を切れば、真に安心な将来はきっと実現出来ると思う。

051あと二日のほくほく線「はくたか15号」。
施設の帰り道、強風と雪で遅れたがしっかり現れた。

 

鉄ちゃんというわけではないけれどその1 懐かしいはくたか特急券。

2015年3月9日(月曜日)

このブログの欲張りなカテゴリーに「ほくほく線特急「はくたか」&乗り物」があります。
書き始めた頃に、このようなカテゴリーが出来るとは思ってもみませんでした。
それが2012年4月4日の記事からほくほく線、特にはくたかに興味を持つようになり、
以後はくたか廃止が迫るにつれ、一種とりこになり撮ったり書いたりを続けました。

いわゆる「鉄ちゃん」という方達は車両や車体の形式やそれらの変遷などに詳しく、写真もしっかり撮られます。
それに比べて私はそのようなことに疎く、夕刻の空や雲、あるいは四季の表情をはくたかに重ねて満足していました。

昨年秋、田んぼで東京から来たという熱心な鉄道ファンの若者に私のゆるい写真のことを話しますと、
「情景写真としていいと思いますよ」と言われました。
なるほどと、安心させて頂いた次第です。

ところで中学生時代から何とか残っている切手帳があります。
切手は学生時代に売ってお小遣いにしてしまいましたが、一緒に入れていた数十枚の切符が残りました。

先日何十年振りにそれらが入っている小さな箱をあけました。
中に「はくたか」の特急券が一枚ありましたので、大いに驚きかつ喜びました。

切手帳中学時代からある切手帳の外観。中はぼろぼろ。
縦横19,6×14㎝

切手帳の中身思い出につながるものもあった切符。
厚い切符などが入ったために余計傷みました。

はくたかの特急券灯台もと暗し、昭和49年(1974年)10月28日(32才)発行の「はくたか」特急券。
直江津18時10分発上野行、前日の地元潟町駅発行でした。
電話で直江津駅に空席を確認後、手書きとハンコで記入し最後にガチャと日付印字器を通すなど、
色々手を掛けて発券されたのだろう。

パーキンソン病だった父はこの年2回だったか入院しました。切符はそのうちの1回に際して急遽帰郷した時の帰りだと思われます。
上野には深夜に到着したことでしょう。翌年5月、勤務していた大学病院を辞めて家に入るきっかけとなった出来事だったと振り返られます。

次回は更にさかのぼって昭和34年(1959年)9月、高校三年生の時、父とともに上京した際の寝台券と、それにまつわる事を書ければと思っています。

頸城野を行くほくほく線(北越急行)「はくたか」最後の日曜日は晴れた。

2015年3月8日(日曜日)

いよいよ北越急行の特急「はくたか」の終了が近づいた。
本日3月8日は最後の日曜日となった。

特にほくほく線である六日町-犀潟間は最大時速160㎞の在来線国内最速のスピードで走った。
疾走する栄光の「はくたか」を広角で撮影できる頸城野の水田に、この日多くの鉄道ファンの姿があった。

1
思い思いの場所で待つ。

2
ここでも待つ。

 5もうじきお別れ、自分の車と記念撮影。

 6
一列車行く度に終わりが近づく。
本日午後は次第に晴れ、「はくたか」最後の日曜日にふさわしくなった。

あと6日もすれば新たに北陸新幹線が開業し場所と姿を変えた「はくたか」が走る。
だが何でも新しいものが良いとはすぐには言えない。

親しんだものとの別れは、心ゆくまでその名残を惜しまなければならない。

ほくほく線のはくたかが春めく頸城野の最後の2月を行く。

2015年2月28日(土曜日)

晴れの予報だったのか、やや寒かったが好天に恵まれた。
2月はほくほく線特急「はくたか」なみのスピードで過ぎ去ろうとしている。

その「はくたか」も来る3月13日をもってお別れ。
ここ頸城平野を颯爽と疾走していた特急が姿を消すなど、いまでも信じられない。
本日夕刻、名残惜しむように思い思いの場所ではくたかを撮る人たちが見られた。

150228はくたかはくたか21号(直江津発17:01)が下る(犀潟-くびき駅の高架線)。
本日のように晴れていれば、直江津着17時29分はくたか18号も撮れる。

〝 春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ 〟
日が長くなっている。

新幹線時代の上越を思案する。

2015年2月23日(月曜日)

新幹線の開業が目前に迫り、ますます金沢、富山の充実ぶりを知らされる。

出遅れの否めない上越妙高ですが、日頃思っていたことをつれづれなるまま少々綴ってみました。
まず上越の観光エッセンスを以下に絞ってみました。
桜、蓮、妙高山、謙信、飲み屋街。

①桜:景観、スケール感とも申し分ない。但し、
交通の利便性をさらにダイナミックかつこまやかに構築しないと大変なことになる。
露天は高田花見の特長の一つだったが、新幹線時代を迎えてあらためてあり方を検討してみる。

②蓮:景観、スケールとも申し分ない。但し、
毎年美しい満開をむら無く迎えるために生育環境の管理研究に一層力を入れる。
五六八姫の行列などフォトジェニックな催事を一層充実させ、撮影された写真を介して二次的な宣伝効果を高める。

③謙信・春日山城:視覚的インパクトに欠けるが、通年性はある。
春日山の平場に武家屋敷通りを構築(足軽長屋程度では弱い)。
背に腹は替えられないとして正面を避けて春日山ロープウエイを設置する。
などあろうが、今々間に合うものでもないし議論も多いだろう。
当面林泉寺と春日山神社の充実と交通の利便化で精一杯か。

④妙高山:景観とスケールは申し分ない。
課題は宿泊施設の充足、中央の資本にも入ってほしい所だ。
全体に景観が繁り過ぎている。国立公園の規制もあろうが、各所に手入れが必要な気がする。

⑤飲食店街;五智は海沿いの高台に住宅に影響しない範囲で、潮風通い漁り火が見えるレトロな飲食店街。
日本海に最も近い飲食店街と名打つ。
バス・タクシーの往き来で交通利便を図る。

オプション
⑤齋藤真一画伯の瞽女絵画を展示するレトロで重厚な施設設置。
施設一帯を典型的な高田町屋街として一服とみやげ物販売の場所とする。
同じ文化として長岡瞽女をも入れて質量ともスケールアップするのは方法かもしれない。
絵画をさらに収集し充実させる(どちらかというと絵画メインに)。

コシヒカリの本当のおいしさを知っている人は全国にまだ少ない、魚、野菜、酒とともにしっかり味わって貰う。
いずれにしても手間とお金が掛かることは必定。
いずれにしてももっと真剣に考えることが必要。
全てに於いて上から目線は絶対に避ける。

人を呼ぶことも大切ですが、新たな「日本の交通要地]となった今日、全国各地へ出て見て楽しむチャンスも訪れました。このことは今後の街づくりに必ずや生きて反映されるにちがいありません。

以上思いつきばかりを連ねて恐縮を禁じ得ません。ただ下手をすると上越は現状維持どころか埋没が心配なのです。時間はかかるにちがいありませんが、慌てずに目標を決めて着実に巻き返しを図るのが良いのではないでしょうか。

筆者は樹下美術館の維持充足に専念し及ばずながらわずかでも上越の文化に寄与できればと考えている所です。

はくたか、くびき駅の上下列車交換 可愛い鉄ちゃん 「はくたか」から「しらさぎへ」。

2015年2月15日(日曜日)

本日日曜日、昨日に続いてはくたかを見にほくほく線くびき駅に行った。
本日は昨日にも劣らぬ強風、そのためかダイヤに遅れを生じていた。

乗客の方には申しわけなかったが、遅れのお陰で自分としては珍しい光景を撮ることが出来た。
一般に特急の上下行き違いは虫川大杉駅で行われるところ、本日それがくびき駅で行われた。
最初にはくたか15号が停車し待つことしばし、間もなく14号がやって来て通過した。

1近づくはくたか14号。
勾配があるため場面がより立体的(ジオラマ風)に感じられる。

2通過するはくたか14号。昨日追加しましたとおり、、
この車両のラインはすでに北陸特急「しらさぎ」の青/オレンジのラインに塗り替えられていました。
もう嫁入り仕度なのですね、少し寂しい気持ちになります。

 ところで、くびき駅で可愛い撮り鉄さんとお会いしました。何年か前、おばあちゃんが撮ったはくたかが大好きになり、自分で撮り始めたということでした。カメラの中の写真を見せて貰いましたが、貴重でした。

3おばあちゃん、お母さん、妹さんと見に来て写されるのです。
もう胸が一杯になりました。

「はくたか」のなんと幸福なことでしょう。

間もなくお別れのほくほく線特急「はくたか」 名残惜しむファン。

2015年2月14日(土曜日)

ほくほく線を走る特急はくたかが来月13日で18年間の運行を終了する。
その名は翌日に開業する北陸新幹線の特急列車が受け継ぐ。
ほくほく線はトンネルが多かったが平野区間での高架線疾走は素晴らしかった。

名残惜しさもあって2012年から近くではくたかを撮るようになった。
田に水が入る頃あるいは夏~秋の夕方、そして秋の黄金の水田を走る姿に爽快感と詩情があった。

残りのひと月、これまで雪中の写真が少なかったので撮ってみたい。

今冬の一帯は雪が少なく農道に車が入り、歩くことも出来る。
本日は田んぼやくびき駅など至る所に、残りわずかとなったはくたかを撮る人たちが見られた。

のぼり

雪田で

下りくびき駅くびき駅を通過する下り「はくたか」

大池駅で
くびき駅で

本日見たはくたかはいずれもこざっぱりとして、きれいに洗浄されているように感じた。

※3月14日以後に第二の人生であるJR西の北陸特急に転身すべく、衣替えに入っているとも伝えられているようです-2月15日加筆-

寒波の後の晴れ間 静かな「はくたか」 つぐみ 農道。

2015年2月11日(水曜日)

寒波が去って穏やかだった休日。
昨晩の雨と上昇した気温で雪が融けている。

午後は「はくたか」を撮りに頸城区の農道に行った。
あとひと月少々で北陸新幹線に名を譲って終了となる「はくたか」。
やはり名残惜しい。

はくたか 音が雪に吸収されるせいか、静かな感じを受けた。

ツグミ雪解け水が走っているあぜ道のツグミ。

暮れる農道帰りの農道。雪解けした水溜りがまぶしい。
日が長くなった。間もなく5時というのに陽が残っている。
冬が終わりつつあると思いたい。

次第に今年の開館が近づいていて心引きしまる感じがする。

蔵に描かれていた兎 ほくほく線超快速は「スノーラビット」号。

2015年1月16日(金曜日)

在宅回りで訪れた上越市大潟区の集落の蔵にうさぎの絵があった。
黒い地に白く浮き出る兎はリズムや動きがあってとても良かった。

兎の意匠にされた持ち主にどんな意図があったのだろう。
兎は古来神の使い、多産のために豊穣、山と里を往来する超越性など様々な意味があるようだ。

また脱兎の如くなど俊敏さを表象している。

蔵の兎竹ぐみは庭木を雪から守るための「雪囲い」です。

ところで来る3月15日に北陸新幹線が東京ー金沢で間もなく開業する。
これに伴って従来ほくほく線で越後湯沢-金沢を結んでいた特急「はくたか」が無くなる。

代わって同線に直江津-越後湯沢を「はくたか」に準ずる時間で結ぶ超快速列車が走る。
その愛称が募集されていたが、先日「スノーラビット」に決まった。

私も幾つか応募したが、スノーラビットは思い付かなかった。
日本語でいえば「ゆきうさぎ」。
俊敏、越後の雪、山里の往来、神の使いや豊穣などで「はくたか」に負けない名だ。

そして愛らしい。

外観デザインを工夫して夢あるものにして頂ければさらに良いと思う。

大晦日の白鳥とはくたか Anniversaly Song 上越地域医療センター病院の貴重。

2014年12月31日(水曜日)

いよいよ2014年は最後の一日となった。
やはり感慨を禁じ得ない。

 

白鳥親子であろう、くつろいでいた白鳥。

今年最後のはくたかあと二カk月半の走行、くびき駅を出た頸城平野で最後の大晦日を下る本日のほくほく線特急「はくたか」
白鳥がはくたかを見ている。


トム・ジョーンズの「アニヴァーサリー・ソング」

幸い予報されるほどの悪天候を免れほっとさせられる。
本日午後頸城野(くびきの)の白鳥は美しく、最後の大晦日を走る「はくたか」も見ることが出来た。

夕刻は高熱と脱水に苦しむ高田の方を上越地域医療センター病院で引き受けて頂き感謝に堪えない。
当病院は極めて有用性が高いものの、建物の老朽は否めない。
新築に向けて一歩を踏み出すという市長の言及は極めて貴重であろう。

さて世間で大晦日も人は頑張っている。
来る年は、人の努力と平和に水を差したり不安を煽るような政治だけはどうか避けてもらいたい。

2024年11月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

▲ このページのTOPへ