聴老(お年寄り&昔の話)
大潟区のメンズの会とは 椿にメジロ、新堀川の桜。
午前の診療で、ある方から当上越市大潟区には、メンズの会というものがあることをお聞きした。
その方は会の幹事さんで、70才以上の男性だけによる月一の集まりだという。大潟水と森公園のビジターセンターに集合、体操、散策、昼食、茶話や歌などを楽しむ日課は、とても出席率が良いらしい。
何故男だけの会になったかお尋ねしたところ、以下のお話を聞いた。
そもそも地域の介護予防事業として生き生きサロンがあった。しかし集まるのは女性ばかり、男性はゼロが続いた。そこで男性を対象に似た主旨の集まりを試みたところ、すぐに希望者があり、8年目の今日20名の参加で続いている、ということだった。
参加者を独居男性と老々世帯の男性に限定。長続きを心がけ、人数や内容は現在のレベルで維持したいという。
女性のサポーターが協力されているが、男性にも厨房が得意な人もいて楽しいらしい。
世の中にはまだ隙間がある。年取って大勢の女性達の座に加わると、賑やか過ぎて時に気後れするのも事実。メンズの会はお仕着せではない、良い会ではないかと感心した。
歌うことの健康メリットを訊かれたので、以下のようにお答えした。
心臓と肺に良い、楽しくて気持ちが若返る、認知症の予防になるなど、メモに書いてお渡しした。「みんなきっと喜びますよ」と、その方。良い幹事さんに恵まれていると思った。
昼、診療所の椿にメジロの群が来ていた。
昼休みは美術館に向かったが、直前の犀潟は桜の新堀川を歩いた。
美術館の裏手で、ドードーと耕耘機が唸っていた。
入学式が終わり、畑にジャガイモが植わり、田で耕耘機が唸る。
今年の春も様々に動き出した。
暖冬でもコタツと相撲 お年寄りの厚着。
今冬の当地は小雪などではなく、今以て無雪の様相で過ぎている。
ある種歴史的のようであり、90才を越えるお年寄りも、こんなのは初めてと仰る。夏は異常に暑かったので、冬は一転寒いのではと心配の気配が漂っていたのだが、異常な暖かさ。一体何が原因なのかさっぱり分からない。
ところで多くのお宅では、体が動くお年寄りが雪かきの係だ。例年ならば通勤する家族の為に、少なくとも車庫の前を朝夕に除雪しなければならない。中でも除雪車が寄せた硬くて大きな雪塊の始末は骨が折れる。しかるに暖冬の今年、それも一度あったか無いかで過ぎている。
楽な冬になり極端な運動不足を否めない。
毎日どうしていますか、と尋ねると、
「寝転がっています」
「テレビばっかりです」のほか、例によって
「コタツと相撲をとっています」
「コタツ番です」
「コタツのホゾです」
など、,どこか自虐を交えて仰る。
相撲を取ったり、番をしたり、ホゾになったり、という訳であるが、本当の所はじっとしているというのが実状であろう。
事のほか運動不足となった冬。それなりに気にされて、晴れた日の外出と歩行をされる人もいるが多くはない。それで屋内歩行や足踏み、ラジオ体操などを勧めなければならない。また動かない分、食事を軽くする事も大切と連日お話している。
話変わって、毎冬のことだが、お年寄り、特におばあさんたちの厚着には驚かされる。
7.8枚を重ねて来られる。
だから心音を聴こう、となると大変だ。
ブルゾン1枚(時には2枚)、カーディガン1枚、セーター2枚、メリヤス肌着2枚、下着2枚、合計8枚も珍しくない。
付き添いの方と袖を引っ張り、肩をはずし、外側だけでも脱いでもらう。このレベルの厚着のほとんどが85才以上の方だ。
その日の暑さ寒さに関係なく、厚着は確固として決まっているように見える。いくらご家族や私が話しても、寒いからと言って、ある物みな出して着るという。厚着は長年の習慣と安心、こうなると一種信仰のようでもある。
後からでは遅い「もっと親に聞いておけばよかった」。
過日ある方から明治13年、小山作之助16才における上京について、長野まで徒歩だった事は分かっていますが、その後はどうやって行ったのでしょうかと訊かれた。
私たちの家は作之助の母トヨの実家であることなどから、よくこのような質問を受ける。だが祖父の顔もしらない私にその13才年上の兄作之助の事などまず分からないというのが正直なところだ。
但し父は生前作之助を叔父さんと呼び、学生時代の東京生活で度々自宅を訪ねた事が作之助の日記にも記されている。作之助はある程度研究されているが、青春期になぜ親に黙ってまで上京したのか、如何にして音楽を志したのか、などはやや判然としていない部分がある。
このような事は生前本人に会った人であれば直接詳しく訊けたはずであろう。だが残念ながら私は亡き父に詳細を尋ねたことがなく、一方小山家の方でも細かに話す人がいなかった模様だった。今なら少なくとも父には一種執拗に尋ねてみたいところだが、残念というほかない。
話変わって、日頃あれこれ親に聞いておけばよかった、と思うことは多い。晩年の母にはかなり聞いたが、父には満州でのことをはじめ祖父母、さらに曾祖父母の人ととなりなどを、ほとんど聞いていなかった。
一つ言えることは、若き私自身それらに熱心な興味を抱いてなかった、ということがあり、もう一つ、父は煙たい存在だったというのもあった。
万一父にも私と似たような事情があったならば、その親や祖父母についてもあまり訊いていなかったかもしれないが、どうなのだろう。
ただ、12人兄弟姉妹の長男だった父の学生時代、帰省するとまた新しい兄弟が生まれていてイヤだった、と聞かされたことがある。また祖父の度々の事業加担と失敗、祖母の贅沢などで借金がかさみ、その返済のため現金を求めて満州に渡らざるを得なかったことを苦々しげに話したことはあった。
お盆になっても父は墓参りをしなかったのは、そんなこともからんでいたのだろうと、思っていた。
何かと口を閉ざす父に代わって、叔父叔母たちが曾祖父の断片的な逸話を話すことがあった。
写真なども無い曾祖父・貞蔵については、医者であり、生前幼い孫達を座らせては漢文を教えていたことを聞いた。語られたのは、不勉強の際、掛け軸を掛ける竹棒でピシャリと叩かれたことばかりなので、せがんで容姿や仕事ぶりなども訊けばよかった、と振り返っている。
(※貞蔵の作之助への生活支援に対して、作之助から送られた月々の小遣い帳が一通だけ残っています)
冒頭の作之助の明治13年の上京に戻すと、村上一郎著「おもかげ(伝記・小山作之助)」には吹雪の大田切小田切を倒れそうになりながら懸命に歩いたとある。ほかに父か叔父叔母から、ある日の宿泊は旧信濃追分の油屋旅館、その先は安中という話を聞いたような気がするが、自信はない。だが作之助の上京当持、高崎線、信越本線の開通はまだ先のことなので、すべて徒歩だったのは間違いないことだろう。
現在寿命はどんどん延びている、そのどこかで親に聞きたいことがあれば遠慮なく尋ね、親は伝えたいことがあれば、つまらない話と言って喋ってみるのも悪くないはずである。
荒天はご馳走なのか お年寄りの塗り絵 郡上八幡の葉なんばん。
ビュウビュウと吹き、ザアザアと降り、ゴロゴロと鳴った
日。
てんこ盛りの悪天候はもはやご馳走と呼んだ方が良いかも
しれない。
在宅訪問を終えてほっとした帰り道。
あるお宅では、夜間に賑やかな認知症の方の部屋を替えた
ら、声が響かず皆でよく眠れるようになったという。
新たな部屋とは家で最も良い部屋だったようだ。
あるお年寄りは最近塗り絵に熱心で、見せて頂いた。
お孫さんから色数の多い色鉛筆を買ってもらい、余計身が
入っている。
普段の手の震えが見られず、色使いも抜群だった。
とても可愛い方で、若き日を思い浮かべて描いていらっ
しゃるのだろう。
縞の着物の配色、襦袢、帯、帯あげ、帯留めなど細部の
描き分け。
あるいはドレスのピンクの部分の赤いフチ取り、顔の周
囲のこまやかでファンタジックな色処理etc、、、素晴ら
しいと思った。
本日水曜日は美術館の休館日。週一回、家で昼食を食べる
日だが暖かい素麺が出た。
右下の菜は過日訪ねた旧友が送ってくれた郡上八幡の「葉
なんばん」。
おふくろの味とあったとおり、使うと何でも美味しくなる。
国内には行きたい所が沢山あり、郡上八幡もその一つ。
お昼はささやかな味覚の旅でもあった。
リンドウの花言葉とお年寄り。
10ほど前、急に勢いを失くしたリンドウが、いつの頃か
らかトクサの中で猛烈に増えている。
トクサノ中や周囲に、生後数年というチビちゃんを入れれば、
何十本どころか百や二百本はある。
そこで過日、小さな株を掘り出して多少陽当たりの良い場所
に移植したところ元気に推移している。
今週末の開館前に幼い株を中心に更に場所替えをしてみた
い。
ところでリンドウの花言葉は尊敬、正義のほかに「悲しいあ
なたに寄り添う」というような意味があるようだ。それには
群れずに一本一本別々に咲くから、という説明が多く見られ
ている。
しかし当庭のはトクサの中で我が意を得たりとばかり賑やか
に生えている。
だが群れようが孤立していようが、この花の色の気品、気高
さは素晴らしい。さらに悲しいあなたに寄り添う、をどこか
に込めて、お年寄りへの贈花に勧められているようである。
寄り添う、で言えばかって同居する娘さんとの事で、次のよ
うに愚痴を仰ったおばあさんがおられた。
“うちの娘は60半ばになって、自分も忘れっぽくなっている
のに、私の事をボケだ認知症だと責めてばかりいるのです。
もうイヤになっちゃったから、早く先生に来てもらって、枕
元で「あっ、こりゃもう駄目だと」言ってもらいたいです”
昔から何かにつけ愚痴を仰る方だが、この時は妙にリアルな
表現をされ、返って可笑しくなった。娘さんを愚痴る時も、当
の本人が付き添い、後ろで笑っておられるので「こりゃ大丈
夫だ」と、思うわけです。
上田縞の暖簾。
100才をとうに越えられた女性は酷暑のなかうとうとし
ながら安定して過ごされている。
夏になってその部屋に架かった暖簾がとても良い。
上田縞(うえだじま)だと聞いています、とお嫁さんの返
事。
信州つむぎの中でも有力な上田で織られた縞の着物をほど
いて暖簾にした、という。寝ている方がかって着ていたも
のだった。
黒っぽい地に大小の黄色の縞が大変に粋。
気持ち良くさらりとして、細身だった持ち主にはどれほど
似合っていたことだろう。
この方の趣味の良さや能力は、東京の奉公生活で培われ、
敬服に値するものだった。
織物を作る人着る人、共にかっての人は手間を惜しまな
かった。
およそ掛けた手間の分だけ明らかに良さが現れる。
品物の良さを理解し、受け手が大切に扱ったことまでちゃ
んと伝わる。
昔多くあったものが今しばしば特別な物に見える。
だが今多くあるもので将来特別になる事がどれだけあるだ
ろう。
お年寄りたちの畑、山の畑浜の畑。
上越市は西南、牧区の縁者から野菜が届いた。
元気なお年寄り夫婦が営む山の畑で採れる野菜は力がこもっ
ていてとても美味しい。
ところで患者さんたちの畑は砂地の所が多く、この暑さでひど
く焼ける。
菜園が家に隣接するほど近ければ十分に水やりが出来、何とか
収穫が出来ている。
しかるにかなり遠くの人もいて、その人達は一輪車などで水を
運ぶが焼け石に水のようだ。
そんな畑のおばあさんが仰った。
「いくら水をやってもほんの上っ面だけ、ナスもキュウリももう
駄目です。
家族は手伝ってくれませんし、こうなれば私が食べるトマト一本
だけ残して水をやることにしました。それなら何とかなるでしょ
う」。
笑いながらどこかほっとしたお顔だった。
かってお年寄り夫婦が耕していた畑に野鳥。
美術館の近くの林にぽっかり空いた数百坪の土地が
ある。
あるお年寄り夫婦が耕されていた畑の跡地だ。
数年前まで軽自動車、ある時は自転車で来てお二
人で精を出されるのを見ていた。
今年、どういうわけかここで車を停めて耳を澄ますと
小鳥の声が聞こえるようになった。
この一週間、数回空き地に降り立ち、以下のような鳥
に出合い写真を撮った。
近寄ると飛ぶので、撮るのは結構難しい。
お年寄り夫婦は今頃からここへやってきて、小鳥の声を聞
きながら畑仕事に勤しまれたのでしょう。
春を待つ土底浜の古屋敷跡。
以前、私が生まれ育った上越市大潟区は土底浜の草地
を書かせて頂いた。
本日ふと思い出して行ってみた。
一帯は昔人々が住んだ住居跡が窪地として残っている。
一定の窪地の形状はもっぱら冬の季節風である西風を
防ぐためのしつらえだ。
東の方向を見る。ちょうど陽が射し自分の影が映る。枯れ
ている草はイネ科の植物だろうか、かって見た12月のそ
れよりもさらに色褪せ、明るく軽々とした感じに見えた。
強風によって草とともに体も翻弄された。
西の方角。遠く右上方に小さな窪地が見える。近時その一
帯が土底浜古屋敷海岸公園として整備された。
公園の説明パネルの写真。左上の海に沿って四角また馬蹄形
に窪地が多数見える。これらはみな、かってここに住んだ人の
屋敷跡だという。写真は1975年ころの航空写真。
パネルの場所から最初に居た方向を見る。この場所も屋敷跡の
ようだ。
風よけに植えられたエノキ。強風の影響で風下に細かく枝
分かれし、血管模型かモダンな彫刻風に変化している。
屋敷の周囲は土盛りされているが、さらに竹や榎で囲われて
いる。一体いつ頃まで住んでいたのか、それぞれはかなり広
く、何軒かで住んでいたことも考えられる。
沿岸の大潟区では西側が古く、昔は海沿いに道が作られ、
集落もそこにあったという。いつ頃まで住まわれていたのか、
そんなに古い話ではないらしく、詳しい方に聞いてみたい。
半農半漁の寒村だった故郷、大潟。昔は米が採れた周辺の
農村の方が豊かで、農村部から当地への嫁入りは、あんな所
へ行くのか、と言われたという。
聴いてみないと分からない 分校小学校クラス会 発電所の夕暮れ。
今夕小学校3年まで通った分校のクラス会があった。
毎年ノートに書かせて頂いたいるクラス会は旧潟町村
(現上越市大潟区潟町)で昭和23年に分校の1年生
になった者たちの会で、延々と続いている。
本日幹事の報告では現在26名が残っているという。
入学時に50名はいたので、70年経って半分だけ残
ったことになる。
そのまた半分の12人が集まった。
生きながらえたのは、ひとえに運が良かったのと親の
産み方のお陰以外無い。
そしてF君、Mさん、T君、、、ら早世した同級生の顔
が必ず浮かぶ。
今夕、ある方から聞いた話から、あらためて人と家族に
歴史あり、を思わずにはいられなかった。
祖父は神奈川県で特高、それを嫌った父は終戦後、共産
党員になり、こちらの地元で新聞を発行した。
その夫を早く亡くた母は失業対策事業に出るようになった。
ある日、母が道路工事をする現場を見て涙があふれた。
ある夜は窓を開けて星を見ながら泣いた、と。
後に私はそのお母さんを看取っていたが、そのような話
など全く知らなかった。96才まで認知症もなく、しゃ
んと生きられたお母さんだった。
いつも明るい人からこんな話を聞き、ああ分校小学校のク
ラスに歴史ありを思った。
またT君は、俺たちのメシなんて、サツマイモの回りにち
ょびっとご飯つぶがくっついているだけだった、と話した。
細かく切ったサツマイモがおかゆに浮いていたのは自分も
食べた。
今思えば悲しいが、当時はそれで嬉しかったのではと思
う。
いえ、思えば大勢でかゆをすすったのが、なにか幸せな
光景としてよみがりさえする。
だれ一人自己責任だのマキャベリズムだのポピュリズムだ
のと、生意気を言う人もいない、幼少において裸足で駆け
ていただけの者たちが集まる、どこか愛おしいクラス会だ
った。
集まりの前に撮った火力発電所の夕暮れ。
そばで若い女性がシャッターを切っていた。
うまく撮れましたか、私は大した写真になりませんでした。
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