齋藤三郎(陶齋)

齋藤三郎ゆかりの人々展 その4 堀口大學と長女すみれ子さん。

2022年6月9日(木曜日)

「齋藤三郎ゆかりの人々展」の紹介がその4まで来た。
本日は詩人でフランス文学者堀口大學の番になった。齋藤三郎の師である富本憲吉、近藤悠三からはじまり、これまで6名の士に触れさせて頂いた。そのうち三人が文化勲章の受章者、あるいはそれに比肩する日本を代表する人々であり、知るほどに皆さまは大きく高くなるばかりで身が縮む思いを禁じ得ない。
さらに、そのような人々と関係し、当地の交流では「かすがい」にも似た働きを負った齋藤三郎の器量と、上越という風土の懐の深さにあらためて驚きを禁じ得ない。

●堀口大學 1892年(明治25年)東京市生まれ新潟県長岡市育ち 89才没。
有能で文芸の理解もあった外交官を父に持ち、幼くして母を亡くし、祖母のもと長岡市で育った。短歌に親しんだ青春時代は与謝野鉄幹、晶子を師とし、佐藤春夫を友(終生の友)とした。慶応大学の在学中に父の任地であるメキシコに渡り、以後ベルギー、スペイン、スイス、フランスなど多くの国々を巡る中でマリー・ローランサンやジャン・コクトーの知己を得、フランス文学への造詣を深めた。外遊中に一時帰国すると最初の詩集『月光とピエロ』を著している。
14年間の海外生活を終えて帰国。同年ベルレーヌ、ボードレーヌ、アポリネール、コクトーなど66人、340篇を集めた詩集「月下の一群」を発表、文壇に多大な影響を与えた。生涯で300にも及ぶ著作を発表し、後年は歌会始の召人にも選ばれ1979年(昭和54年)に文化勲章を受章。

上段左・妙高市、上越市時代の詩集「雪国にて」「甘い囁き」「人間の歌」など。
上段右「幸福のパン種」「虹の館」「水辺の庭」など長女堀口すみれ子さんの著書。
手前写真左・髙田に於ける堀口大學ご家族、右・齋藤三郎窯に於ける先生。
写真は「虹消えず 又」 堀口大學先生三周忌追慕写真帖の見開き。
(1983年3月15日私家版 撮影・発行濱谷浩)

堀口大學の妻マサノは現妙高市出身。昭和19年一家は妙高市に疎開。21年髙田南城町に移り、25年に葉山町へ転居するまで足かけ7年を上越で暮らした。

●長女堀口すみれ子さんは昭和20年生まれの詩人、エッセイスト、料理家。髙田で幼少を過ごし濱谷浩夫人朝さんの寸雪庵で茶の稽古をされている。爽やかな著作の行間には風や水の音が聞こえるのを覚える。

来たる7月9日土曜日、午後3時から堀口すみれ子さんの講演会「父堀口大學と上越そして齋藤三郎」を催します。これで樹下美術館4回目になるすみれ子さんのお話、前回は2014年でした。涼やかな声で語られるお話をどうかお聴き下さい。
講演会お申し込みは 電話025-530-4155(良い午後)でお願い致します(入場料お一人500円です)。

色紙「花は色 あなたは こころ」

鼠地に蝋の筆で書き抜いた色紙。
「槍にはたんぽ 筆にさや 埋み火にこそ 手はかざせ」
「埋火(うずみび)にこそ手はかざせ」とは何と良い言葉なのだろう。
自身を維持するには過去歴史に触れてみなさいと言う意味
ではないか、と思う。

詩集「甘い囁き」 昭和22年5月10日 岩谷書店発行
表紙・装丁は東郷青児で戦争直後の貧しい時代、
芸術家たちは仕事を分け合って生活してたことが伺われる。

1950年髙田を去るに当たって残した詩「髙田に残す」。以下読み下し。
ひかるゝおもひうしろがみ
のこるこヽろの なぞなけん
すめばみやこと いふさへや
高田よさらばさきくあれ
おほりのはすよ きようさけ
雪とこしへに白妙に

1980年、有志によって髙田城址公園にこの詩文を刻んだ詩碑が建てられました。

詩碑建立を記念して齋藤三郎は詩文が書かれた染め付けの
酒盃を焼き建立協力者に配りました。

次回はマグナムフォト写真家濱谷浩と朝夫人です。

齋藤三郎ゆかりの人々展 その3、棟方志功、河井寛次郎、志賀重人と辰砂修得。

2022年6月6日(月曜日)

樹下美術館の常設展示の陶芸家齋藤三郎は私どもの家を何度も訪ねて来られた。氏は博識で鼻に響く良い声で話し、聞く者を飽きさせることはなかった。

齋藤について両親はその日のこと話を教えてくれることがあった。仕事については以下二点をよく本人から聞いたようだ。
一つは、辰砂(しんしゃ)の技法が難しく、なかなか顔料が定着しないこと。もう一つは、年を取るに従って華やかな着色を好むようになったこと、だった。

昭和27年のある日、当時の三郎の助手である志賀重人氏が京都の陶芸家河井寛次郎の許へ向かい、難関の辰砂修得を目指すことになった。河井氏は釉薬の優れた研究家であり早くから辰砂を完成させていた。齋藤自身が出向かなかったのは自らの窯焚きが迫っていたためかもしれない。

京都行きの途中、志賀氏は富山県福光町に居住していた棟方志功を訪ねた。そこで棟方氏に作品を制作してもらいそれを旅費および滞在費の足しにすべく寄ったのだ。一連のいきさつと作品依頼は予め齋藤氏から棟方氏へと手紙でしたためられていたと考えられる。

この話については、2014年、棟方、齋藤、志賀各氏と親交した大潟区渋柿浜の専念寺ご住職青木俊雪さんからお聞きした。青木氏によれば棟方氏は直ちに20枚ほどの作品を仕上げて志賀氏に渡したという。

その時の棟方作品がどのようなものだったかお聞きしていないが、旅費、滞在費を十分にまかなうほど作品の人気は広く浸透していたことが伺われる。またこのことから齋藤と棟方、さらに棟方と河合各氏の親交の厚さを垣間見る事ができる。

以下棟方志功作品からです。

当地祭の音頭を踊る娘を彫った「米大舟頌」

「鶴図」 雑華堂の印。

棟方作品はほか1,2点展示の予定です。齋藤三郎は棟方氏を連れて私どもの家を訪ねてこられたことがあり、作品はその時父が購入したものです。

以下河井寛次郎 作品。

「花茶碗」

「辰砂花香合」
温かく美しい辰砂の発色が見られる。

 最後に志賀重人作品です。

左灰釉草文茶碗 右辰砂染め付け茄子文湯呑。
湯呑の辰砂は完璧ではないだろうか。

●志賀重人:高田出身で齋藤三郎の築窯から協力、助手として齋藤三郎に入門。また当地で濱谷朝氏が開いた江戸千家茶道に早くから入門。後に京都へ出て修業、さらにオーストラリアで陶芸技術を広め、教授もされて活躍。河井氏の許を訪ねたことは終生志賀氏の宝物になったにちがいない。濱谷浩写真集「昭和男性諸君」の昭和24年のページに裸でうずくまる氏を背後から撮影した写真が掲載されている。日焼けした身体は逞しく、優しい印象しかなかったが、特攻隊の生き残りと書かれていて驚いた。

●河井寛次郎:1890年(明治23年)8月24日兵庫県生まれ 76才没。柳宗悦の民藝運動の影響を受け、高い精神性と深くおおらかな独自の世界を展開。器の箱に署名をしたが、一民として器そのものには署名をせず、相当していた人間国宝や文化勲章など公の認定、表彰を辞退。終生棟方志功に敬愛された。

●棟方志功1903年{明治36年)9月5日青森県生まれ,72才没。眼が不自由だったこともあるが川上澄夫の版画の影響を受け油絵志望から版画{本人は板画を宣言)へと変わる。1936年(昭和11年)発表の「大和し美し(うるわし)」を柳宗悦が驚きをもって評価、河井寛次郎に知らせ、その後棟方は河井の京都の自宅へ招かれて逗留。その後も芸術、仏教など河井から薫陶を受ける。昭和10年以後齋藤三郎の富本憲吉入門時代に両者は知り合っている。

※小品ですがどうか河井氏、志賀氏の辰砂をご覧下さい。

次回は堀口大學、さらに濱谷浩を紹介させてください。

最後に齋藤三郎本人の辰砂作品です。

 「辰砂鶴首花瓶」

齋藤三郎ゆかりの人々展 その2 近藤悠三と北出塔次郎

2022年6月2日(木曜日)

本日は齋藤三郎の最初の師近藤悠三です。
悠三への弟子入り前後のことに触れますと、旧栃尾町出身の三郎は13才のときに刈谷田川の洪水で母を亡くしました。多くの犠牲者の中で母だけ遺体が見つからなかったそうです。一家の悲しみは如何ばかりだったでしょう。
1928年(昭和3年)、兄泰三は福井県小浜の妙心寺に入り出家。1932年(昭和7年)、絵が上手かった18才の弟三郎を縁あって京都の近藤悠三の許へ入門させました。

●近藤悠三 1902年2月 京都市生まれ 83才没
1914年、京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に入所。その後奈良県に窯を築いた富本憲吉の助手として師事。1928年に帝展で初入選を果たした後13回連続で入選。山、梅、石榴を得意のモチーフとして金彩、赤絵へと陶技を拡げ雄渾、明解な絵付け作品を生み続け、1977年染め付けの人間国宝に認定されました。
齋藤三郎は近藤氏のもとで足かけ4年の修業後、助手を探していた富本憲吉の許へ入門しました。

 

石榴(ざくろ)染め付け面取り壺。

石榴(ざくろ)染め付け角皿。
太めの筆が走り、モチーフにリズムと生命感を与えている。

石榴は悠三が好んで描き、富本憲吉は描くことがあり、齋藤三郎は好んだ。

 

梅呉須赤絵鉢。
※呉須(ごす):酸化コバルトを主成分とした顔料で、焼くと青色を発色。
呉須を用いる技法を「染め付け」と呼び、釉薬を掛ける前の素焼き上に描く。

梅は憲吉、悠三、三郎とも好んだ。憲吉と三郎は花びらを、悠三は枝を主に描いた。

後年近藤悠三は齋藤三郎を訪ね赤倉温泉で遊びました。
ゆかり展の氏の作品は入り口正面のボックスと左手前のボックス2カ所に3作品を展示予定です。
展示は近藤悠三作品から時計回り(右回り)で観るよう心がけるつもりです。

●北出塔次郎(きたで とうじろう) 1898年(明治31年) 兵庫県生まれ 70才没

北出塔次郎作「色絵急須と茶碗10客揃え」
華やかで明解な色絵磁器。

富本憲吉は齋藤三郎が師事した昭和10年代の前半に色絵磁器のさらなる研究のため九谷へしばしば通いました。九谷の宿泊は窯元である北出塔次郎宅の世話になり窯を借りて取り組み、塔次郎もまた訪れる憲吉から新たな色絵陶芸の世界を熱心に学びました。後年金沢美術工芸大学教授を勤めています。

「齋藤三郎ゆかりの人々展」その3では河井寛次郎、棟方志功、志賀重雄を記してみます。

本日、大潟区土底浜の内山木工所に注文していたゆかり展で用いる120×90㎝の多孔ボードパネル6枚が、思ったより早く出来上がってきました。
ひと安心です。

齋藤三郎ゆかりの人々 展 その1 富本憲吉。

2022年6月1日(水曜日)

今後、6月23日からの「齋藤三郎ゆかりの人々 展」に向けて展示予定作品のお知らせと作者についてのコメントを記します。
本日は富本憲吉です。

富本憲吉:1886年(明治19年)奈良県生まれ 78才没。
東京美術学校で学び在学中にイギリスに留学。ウイリアム・モリスが提唱したアーツ・アンド・クラフト運動に影響される。帰国後、来日中のエッチング版画家で英国人バーナードリーチと親交。リーチが陶芸に興味を持つと、憲吉も同じ道を目指すこととなる。実家の奈良県内の安堵村に築窯し楽焼きから始め、白磁および染め付け作品を発表。1915年(大正4年)東京都祖師谷に移り昭和10年代には九谷を訪ね北出塔次郎宅を宿として色絵磁器をさらに探求。1946年(昭和21年)に京都へ移り精緻な金銀彩に取り組む。1955年(昭和30年)色絵磁器で人間国宝となり1961年(昭和36年)文化勲章を受章。

齋藤三郎は1935年(昭和10年)、22才の時に最初の師である近藤悠三から推されて富本憲吉のもとに2年余入門。厳しい師のもとロクロを挽き、絵付け焼成および陶芸の精神を学び、この間師に添って九谷行きにも同行した可能性が伺われる。近藤悠三はかつて富本氏の許で修業をしているので兄弟子にあたる。

●以下展示予定の富本作品から

染附「竹林月夜」皿。
図柄は故郷の安堵村の風景で、長く好んで描かれた。
アイディアはバーナード・リーチとの外出から生まれている。

 掛け軸「安堵村小倉」から。
月、竹林、倉の図案は「竹林月夜」によく似ている。

 染附並用中皿「風景」5枚。
安堵村の「曲がる道」がモチーフ。
後年、実用と普及を願って並用と称し、工芸的な数もの作品に熱心に取り組んだ。

右・富本憲吉最初の著書「窯辺雑記」 初版 1925年(大正14年)文化生活研究会発行
および左・文化出版局版、1975年(昭和50年)発行。
初版本に昭和12年春 松尾禎三氏恵與 齋藤三郎と自書している。
松尾禎三を調べたところ同名の豆本作家があったが、同定は出来なかった。

●「窯辺雑記」について
安堵村に窯を築き試行錯誤が続いた時代の志と生活の実状が書かれている。生活はかなり苦しかったらしい。理解者(陶芸愛好家)として新潟県旧西頸城郡能生の素封家伊藤助右衛門のことが触れられている。

以上4点に銀彩蝶文香合と梅竹湯呑2器を加えて正面のテーブルと壁面に展示の予定。
※スペースに余裕があれば並用作品「花の字」中皿5点も展示致します。

次回「齋藤三郎ゆかりの人々 展」からその2として、齋藤三郎の最初の師・近藤悠三および九谷焼きの北出塔次郎の二人を予定しています。

齋藤三郎の盃、陶器と磁器、器の雰囲気、署名の有無 一日中冷たい雨降り。

2022年3月19日(土曜日)

現在展示中の陶芸は齋藤三郎の「湯呑と盃」です。
盃に関連してお気づきかもしれませんが、展示している二つのケースのうち一つは「鉄絵」で陶器。もう一方は「染め付け」と「赤絵金彩」で主に磁器です。

陶器は「土もの(つちもの)」、磁器は「石もの」という呼び方もされます。
前者は柔らかみがあり後者は硬い、前者は厚みとざらっぽさがあり後者は薄くツルツツしているなどの違いがあります。
さらに風合いでいうと、前者がくだけた感じで後者は澄ました感じなどの違いがあります。

この度の展示から、三郎は両者の器の底(高台:こうだい)に書き込むサイン(署名)も以下のように区別していたことが窺えました。

 

全て陶器の盃です。
矢印の一個以外は点が三つ、四つ、あるいは三本線など
記号的で、くだけた感じあるいは遊び心が認められます。
三つの点、また3本線は三郎の「三」でしょう。四つの点は一体何でしょうか。

少し遠くから撮っていますが、一個(矢印)を除き全て磁器です。
青主体の染め付けと白磁のかしこまった雰囲気に
合わせたうようにみな署名が施されています。

2個の矢印作品のように陶器に署名をした訳は良くわかりません。もしかしたら特に気に入った場合にしたのかな、と思いました。
上段の矢印は如何にも絵唐津の味が出て、下段のは辰砂の桃色の出来が良いので、署名したのでしょうか。
齋藤三郎の盃はおよそ小振りです。
賑やかに杯を重ね合うのを期待したのでしょう。

昨日肥料をくべましたところ本日冷たい雨が降り続きました。
濃い肥料が雨によって少しでも馴染むことを願いました。

本日展示ケースに載った齋藤三郎の湯呑と盃。

2022年3月13日(日曜日)

本日曇り空の日曜日は気温が上がり髙田の観測で19,8度にもなっている。
今年の常設展{コレクション展)は陶芸「齋藤三郎の湯呑と盃」、絵画「倉石隆の新旧コレクション展」です。

開館を前に準備が進み以下のようになりました。
まず今日は陶芸の一部です。

鉄絵

色絵

辰砂

染め付け

展示は大きく分けて入り口から茶色や黒の「鉄絵」、時計回りに淡い赤紫が使われる「辰砂(しんしゃ)」、続いて多色を用いる「色絵」、正面から右へ青で描く「染め付け」、最後は盃各種です。

所々に急須と徳利を添え、一つの器を一個と数えますと92点の展示になりました。
小さな器に齋藤三郎らしさが滲む湯呑や盃を展示したいという思いがようやく叶いました。飾り物ではない実用の作品には自然と親しみが湧きます。

4種の絵付け技法や草花のモチーフ、そして形状などをどうかお楽しみください。

今年の陶芸コレクション展です。

2022年2月26日(土曜日)

2022年3月15日(火曜日)今年度の開館です。
・初めに陶芸「齋藤三郎の湯呑・盃展」のお知らせです。
・多彩な氏は小さな作品にも青磁、鉄絵、染め付け、辰砂、色絵などの技を用い精魂込めて制作しました。
・15周年記念特別展では本展をお休み致します。
開館10:00 閉館17:00  祝日以外毎水曜日が休館です。

本年もどうか宜しくお願い申し上げます。

NHK放映「日本ぶらり鉄道旅」の大井町線、等々力(とどろき)で修理されていた齋藤三郎作品の葉文マグカップ 優しい月食。

2021年11月19日(金曜日)

る11月13日のブログで、全国良寛会会長・小島正芳さんが来訪された事を記した。
その日、先生は最近の話として、
NHK放映「日本ぶらり鉄道旅」の大井町線を見たことを話された。沿線の駅等々力(とどろき)のあるお宅を訪ねるシーンで、破損した陶磁器を金継ぎして修繕する女性の仕事場が取材された。驚いた事に修繕されていたのは、齋藤三郎のマグカップの取っ手だった、という。

花の都の郊外で越後の齋藤三郎の器が修理されているとは、私も聴いてびっくりした。
大井町線は縁があり、話には懐かしさもつのった。

その再放送を知人が録画され、本日それを届けてくださった。
15年の東京生活で、大岡山が長く、後に洗足池と尾山台にも住み、母校と病院の旗の台に通った。いずれも大井町線で、それ以外の電車を余り知らないほど同線にはお世話になった。沿線に自由が丘や二子玉川もあって楽しい路線だった。

 

車内のリポーターさん。中延、荏原町、戸越銀座、旗の台、洗足池、、、。
学友や先輩が住んでいたところ。

 いよいよ等々力のお宅。

 

「最近お預かりしたもの」と取り出された器は、ああまさしく齋藤三郎のマグカップ。

持ち主はビールを飲んでおられたという。
我が家では紅茶やミルクを飲んだ。

取っ手は持ちやすいように大きく造れば、その分欠けやすい。

「そんな大事なものを預かるからからには」

「気持を込めて直さないと」

「漆」を主に金あるいは顔料などを共に用いて継ぐ。
器は丸い窓に葉の文様が描かれている。

樹下美術館には同形のマグカップが沢山あり、葉文もある。

右端が葉文マグカップ。

大きくしてみました。

鉄絵を主に藍色の呉須も用いられる。

明るい辰砂を地に同じく葉が描かれている。
上掲の器はいずれも昭和20年代中頃から10年間ほどの作品です。

確かにこのようなカップに冷えたビールを並々注いで飲み干したなら、どんなに美味しかろう。
飲めない私にもよく分かる。

齋藤三郎の器は一般に実用されました。
だが頻用されるほど欠けたり壊れたりしたはずです。家ではセメダインで継いでいました。しかし補修してまで愛用される器は優れた作品ならではであり、持ち主と作者、そして器自身の幸福にちがいありません。

それにしましても等々力のお宅で、金継ぎ修繕されていたのが齋藤三郎作品だったとは。テレビの前の小島先生は本当にびっくりされたことでしょう。良い情報を有り難うございました。録画されたAさん、感謝しています。

 

今夕の月食です。
優しい色になりました。

窓字、袋字そして窓絵、齋藤三郎の展示作品から。

2021年8月29日(日曜日)

前回に続いて齋藤三郎の焼き物の話です。
現在のテーマは書を中心とした展示です。文字をそのまま書いたもののほか、器に丸や菱などの枠を開け、その中に文字を書く「窓字」がよく見られます。
また文字の輪郭を縁(ふち)取る「袋字(ふくろじ)」も好んで書かれています。

窓字と袋字。
以下、展示の一部からまず窓字を挙げてみました。

 

色絵湯飲みの窓字。丸い窓に春・百・花の三文字が書かれています。

 

鉄絵手付き鉢に二重丸の窓字で「客来一果」。

 

鉄釉壺に二重丸の窓字で「富」の窓字。反対側に「貴」と書かれています。

 

染め付け湯冷ましと煎茶茶碗の丸い窓に「忘却」と「香」の窓字が見えます。

次ぎに袋字です。

湯飲みの「忘却来時道」の袋字の部分です。
まず臈(ろう)で文字を書き、上から藍の釉薬を掛け、
浮き出た文字に縁取りをして袋字にしたようです。

 

文房具揃えから良寛詩「吾与筆硯有何縁」の袋字。

 

以下の窓は菱型の窓を開け、袋字が書かれています。

 

色絵柿文鉢「秋収冬藏」の袋字の窓字。

 

色絵椿文鉢「露結為霜」の袋字の窓字。

何か呼び方がややこしくなりましたが、いずれも手の混んだ作業ではないでしょうか。
文字の縁(ふち)を囲むのを袋字と呼ぶとはなるほどと思います。それぞれの文字や部首を崩せば袋になりますね。

 

ちなみに窓を開けて中に絵を描く手法を「窓絵」と呼びます。
以下展示の中から窓絵の一部を掲載しました。

蝶の窓絵の染め付けタ湯飲み。

 

椿の窓絵の急須。
赤い地に釘で良寛の詩も彫られている。

 

「忘却来時道」の額に水注の窓絵。

 

素早い筆さばきで丸や二重丸を描き中に文字を書く。
早くても乱れない。
そのことも味や見所であり、齋藤三郎の手筋の良さに驚かされます。

以上、何か呼び方がややこしくなりましたが、いずれも手の混んだ作業ではないでしょうか。
窓字、袋字、窓絵は“皆に喜んでもらいたい”という齋藤三郎一流の「もてなし」の現れではないかと思っています。

齋藤三郎の展示替えで全ての作品に書字が見られるようになり,館内の雰囲気が変わりました。

2021年8月25日(水曜日)

今年の齋藤三郎(陶齋)の展示は「齋藤三郎の絵と書」です。
本日水曜日の休館日はその後半(明日8月26日から)の展示に向けて、12点の展示替えを行いました。

これによって全ての作品に文字が入った展示となり、場内の雰囲気がかなり変わりました。文字があることで、人の気配や和やかな雰囲気が漂うように感じますので不思議です。

以下は追加した12点の中から一部をご紹介しました。

 

文房具:焼き物による筆、鞘、硯、硯屏(けんびょう;塵よけ)、水滴、筆架です。
硯と硯屏には良寛の詩から“吾与筆硯有何縁云々”が書かれています。

硯の脇にも書かれた全詩の読み下しとして、

吾と筆硯と何の縁か有る
一回書き了れば又一回
知らず此の事 阿誰にか問わん
大雄調御 人天師

が読め、口語訳として、

わたしと筆や硯とは どんな縁があるのだろうか
一回書き終わったのに またまた一回
このような縁についてわたしは知らないし、そもそも誰に尋ねたら良いのだろう。
ただ知るのは御仏だけだ

という意味のようです。

赤絵の福貴長春文 灰皿。
よく富貴長春と書iと書いていましたが、福貴となっています。
中国の言葉で、幸福と長寿は貴いという意味です。
一方で富貴は牡丹、長春はバラという意味もあるようです。

 

 

杉田敬義(父)宛書簡屏風。
手紙を貼って茶道向きの屏風にしました。

 

手紙にはススキが描かれ、品のある文字がしたためられています。
最も古い作品の一つ「弥彦鉄鉢茶碗」を置き合わせました。
昭和23年頃、弥彦神社で行われた茶会に呈されたお茶碗です。
書かれている文字は残念ながら読めませんでした。

 

 

先日ブログに書きました二合半の看板と「染め付け街道屋どんぶり」

正面右奥に展示しています。看板は陶齋がひいきにした店の為に書いたものでしょうか。味の良いどんぶりとともに館内に和やかな雰囲気が漂いました。

 

かって展示した色絵番茶器揃えです。
梅、椿、竹の模様とともに釘彫りで詩文が書かれています。

詩文を調べてみますと、良寛の詩だと分かりました。

読みとして、
間庭(かんてい)百花発(ひら)き
余香(よこう)此の堂に入る
相対して共に語る無く
春夜 夜将(よるまさ)に央(なかば)ならんとす

訳として、
静かな庭に沢山の花が咲き、香りがこの部屋に入る。
共に向きあい語るともなく過ごす春はもう真夜中になろうとしている。

何度か書きましたが、齋藤三郎の森羅万象への理解と高い教養にあらためて驚かされます。
同時にそれを理解したファンたちが居たことにも驚くのです。

文字が入ることによって作品にいっそう和みや深みが現れるようであり、その様式は齋藤三郎の骨頂の一つではないかと、実感させられました。

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